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神宿りの木    たまゆら編 15

 


真人はずっと握りしめていた手から力を抜いた。
重ねていた指を開き、大事に包んでいた水色の勾玉を差し出した。

 


「導いてくれてありがとうございました。」


対面して立っていた美丈夫がそれを受け取った。
艶のある黒髪をまとめ、白い衣を赤い紐でまとめている。
壁も天井もない真白の世界で向かい合いながら、勾玉を大事そうに見下ろしていた神樹の君が顔を上げる。
凜々しい眉や意思の宿る澄んだ瞳は、兄に似ていた。

 

「不思議なものだな。自分の子孫と対面する日が来るとは。」
「僕も変な気分ですよ。」
「全ては彼女を救うためだった。親に捨てられてもなお清いまま存在し続け、人間を始め数多の命のため犠牲になり眠り続けることを選んだ。
彼女を救うため、私は神々に頼み新たな世界で人間に成った。因果の果てで希望が生まれいつか魂を解放してやれたらと、自分勝手な願いを子孫に託した。
まさか、思っていた以上の成長を見せるとは。申し訳なさの反面、正直驚いている。」


真人は首を左右に振った。

 

「これもまた、沢山の想いが重なって引き寄せた結果です。
此処に至るまで、あらゆる時代に生きた沢山の人達がシンにより運命をねじ曲げられ犠牲になりました。
あなたに神の権限を一時的に譲ってくれたおかげで、なんとかなりそうです。」


少年の瞳が、徐々に水色へ変色しているのを彼は気づいていたが、あえて口にしなかった。
言わずとも、本人にはわかっているはずだ。
自分が自分じゃなくなっていく感覚と、時間軸が全て混ざりながらぐちゃぐちゃになり、未来と過去が行ったり来たりしながら一つになり体に宿り始めたのを。
此処は神門の中。
人間が住む現世とも神が住まう天津国とも違う場所。


「よいのか。本来、シンを引き連れこの世界を去るのは私の役目であったというのに。」
「僕がやりたかったんです。欲張りなんですよ、僕。」
「幾たびも朝と夜を迎え、幾たびも生命の繰り返しを見守ろうとも、同じ魂が宿るとは限らぬのだぞ?
お前という器が生まれたのも奇跡に近いのだ。
神々でさえ、世界の書き換えを一度行っただけで力を使い果たし天津国に帰る羽目になった。」
「不可能に近い奇跡だろうと、必ず起こしてみせます。」
「私は彼女を連れて天に帰る。さすれば、完全にこの世界は切り離されよう。散った幾億もの魂を抱え、たった一人孤独に永劫の時に身を置くのがどんなに―」
「僕が譲ってもらった世界です。好きにさせてもらいますよ。」

 

真人がにっこりと迷い無き笑顔を向けると、神樹の君は面食らったように驚いた表情を浮かべた後に、柔らかく微笑み返してくれた。
哀れむでもなく、悲しむでもないのが伝わりありがたくなる。

 


「逞しいな。さすが私の枝葉の子。」
「厳しい冬の寒さも、焼けるような夏の日差しも堪え立ち続ける。それが樹木というやつです。」
「そなたの長き旅の果てに、安息が訪れることを祈っている。」
「ありがとうございます。」

 

微笑む彼の体が金色の粒子に包まれ光の塊になって、天に昇っていった。
真人には神々がこの世界を去った気配がわかっていたが、くるりと向きを変えた。

 


「待っててね兄さん。」

 

何もなかった真白の空間に、丸太で組み上げられた鳥居のようなものが現れた。
通り道であるはずの場所には両開きの扉がついており、真人を迎えるためにゆっくりと口を開いた。
扉の奥に広がる藍色の膜に、無数の黄色い粒が渦巻いている。
あれが宇宙と呼ばれるものなのだろう。
迷い無く、真人は鳥居をくぐった。
まず体の感覚が奪われた。
視覚、聴覚、触覚。
目で見ることは許されず、けれど頭の中に宇宙の渦が残り続けている。
痛覚など感じるはずもない真人の中を蝕み続けるものが暴れていた。
次に体が崩れていく、2本だった足は1本に重なり、腕は長く長く伸び至る所から枝が伸びる。
脳はどこかに取りさらわれ、頭の先で葉が茂る。
真人は、1本の若木になっていた。
人間のような思考は失われ、時間を感じることもなくなった。
視力とは違うもので世界を見ることは出来たので、渦巻きながら新たに生まれようともがく宇宙を眺めることしか出来なかった。
いつしか足の下に土で出来た地面が生まれ、青い空が広がる。
1回目の世界だと、体のどこかでシンが言った。

 

 


人間だった頃のように、数を数えることが出来なかった。
木である自分には理解が出来なかったし、なにより必要なかったのだ。
まるで岩のようにどっしり構え、風を受けながら葉を揺らすだけ。
春に生まれた新芽が秋風に吹かれ全て地面に落ち、厳しい冬を耐えた後再び新芽を迎える。
幾度繰り返したのだろうか。
共にいたはずのシンもいつしかどんどん減っていて、もうこれが何度目か教えてくれる声も無くなった。
何度も登る陽を迎え、何度も沈む月を見送った。
永劫の時間。
魂は生まれては散り、去っては帰ってくる。
世界の中心にいた彼は、いつしか立派な老樹となっていた。
太い幹には次第に割れた線が入るようになり、枝はだんだんと折れて地面に落ちるようになった。
初めは彼しかいなかったのに、いつしか周りには木々で囲まれていた。
彼のように立派な木もあれば、最近成長した細い木もある。
鬱蒼とし雑草が生え放題になった地面はどこか湿っていて太陽の光が届きにくくなっていた。
茂っていた葉は太陽光が得られず光合成が上手くいかなくなり、枯れて地面に積み重なる。
自分でどうすることも出来ない。どうしようとする思考すら持ち合わせてはいない。
彼はただ、起こる事象と流れる時を一身に受け続けた。

 

「此処にいたのですね。」


自分は眠っていたのだと、そこで初めて気づく。
声をかけられ久方ぶりに意識を幹の奥底から振り起こす。
老樹の前に立っていたのは、地面につくほど長い水色の髪をした人間の女だった。
はて、どこかで会った気もするが。思い出せない。

 

「探し物は見つかりましたか?」
「ま・・・ま、まだ、まだです。」
「言語も目的も忘れてはいなかったようで、安心いたしました。」
「な、何を、待っているかは・・・とうに忘れました。
到着すれば、必ずわかります。僕にとって、それは何よりも大事なものだったから。」
「あなたはまだ、神籬としての役目が残っている。なら、私が宿りましょう。」


女が、枯れかけた幹に手を当てる。
乾いて割れた隙間に、女が翡翠の石を入れた。
綺麗な円ではなく、どこか歪な石だが、とても綺麗な石であった。
体が痛み出す。
久しぶりに全身に走る感覚。
頭を揺さぶられる激しい痛みに目から涙が流れる。
見えていた世界が高速で流れていく。
痛みが遠ざかり、体は樹木から人間に戻っていた。


「な、なんで・・・?僕は、」
「さ、参りますよ。先代がお待ちです。」
「先代?」

 

顔を上げると、そこはどこかの住宅地だった。
彼が一度目の人生で生まれた地上の一角に似ていたが、天井にあるのは本物の空だった。
時刻は夕刻か、鳥が4羽橙に染まる夕日に向かって羽を動かしている。
先導する女性は袖の無い長い衣を纏っており、裾がコンクリートの地面で汚れるのも気にせず道を歩き続け、やがて右手側に現れた長い石段を上がっていく。
真人はまだ人間の体に慣れる事が出来ず、のろのろと後をついていく。
足を動かすことすら不格好で、体内で動く心臓の音や流れる血の脈動が気になって仕方が無い。
木になっていたころは葉脈を流れる太陽のエネルギ―と、土からもらう水の恵みだけしかなかった。人間の体は全てが複雑だった。
元々人間であった頃を、とっくに忘れてしまっている。

 


「あなたがこの世界を作って、46億年経ったそうですよ。それも、108回目のやり直しをした末に出来た世界です。」
「え・・・?は?」
「戦も飢饉もありましたが、今は大分平和な世になりました。特に此処は、かつての地上に似ています。」

 

息を切らしながら長かった階段を登りきると、肺が苦しいと悲鳴を上げていた。
この感覚もいつぶりだろうか。
ずいぶん遠く彼方に行ってしまった記憶を探る間もなく、視界の先にいた人物に目が奪われた。
階段の先には、小さな社が建っていた。
社に続く石畳はまばらで欠けたり無くなっている場所が目立ち、鳥居は石造りだが
色褪せており此処には長く人の手が入っていないのがわかる。
社には賽銭箱と注連縄という最低限のものしかなく、造りもこじんまりとしたものだった。
瓦屋根だけは新しく見えるが、壁は所々剥がれ、高欄は今にも崩れそうな程木が腐敗している。
ただ、この社がみすぼらしく見えるのは、全てその前に立つ男性のせいなのかもしれない。
シャツにカーキ色のパンツというラフな格好でポケットに手をつっこみ、
やや背を丸めて立っているのに、立っているだけで絵になった。
手足はすらりと長く、横を向いているのに頭部が小さめであるのがわかる。
まるで雑誌の切り抜きをそのまま見ているようであった。
やや明るい茶色の髪がまだ沈むまいとあがきながら煌々と燃える夕焼けを浴びている。
痛む体を引きずって、なるべく音を立てぬように近づくと、通った鼻筋や薄い唇が、誰かを思い出させた。
それが誰かわかりたくてさらに近づくと、男性はこちらを振り向かずに言った。


「なんで連れてきちゃうかなー。そのうち会うからいいでしょ。」
「最初の体で再会をしておいた方がよろしいかと。1度目の世界が終わった時に、制約は解かれてるではありませんか。」


水色髪の女性が後ろからそう問いかけると、男性は口角を上げた。
長い前髪でまだ顔がよく見えない。
強い夕焼けが輪郭を曖昧にしている。
いや違う。涙がにじみ視界が歪んでいるのだ。
気づいた時には、言葉が漏れていた。


「父さん・・・?」

 


1度目の人生で、地上で自分を育ててくれた両親は、沙希の祖父が用意した偽物であると知った。
あの夫妻には当然感謝しているし、血の繋がった親など気にもしなかったが、対面して驚いた。
彼が自分の親であると、体の全細胞が叫んで示してくれているのだ。
涙が止めどなく溢れてきたが、その人をもっとよく見たくて洋服の裾で乱暴に目元を拭った。
ポケットに手を入れたまま振り向いたその人は、自分によく似ていた。
だが自分より凜々しく逞しく、笑みはどこか抜け目なさそうな戦略家のようにも移る。
そしてなぜか、兄瑛人にも似ている気がした。血は繋がっていないはずなのに。

 


「よぉ。元気?・・・っていうのは変だよな。この世界作って眠ってたんだもんな。」
「僕、無事に出来た、のかな。」
「上出来すぎるぐらいだ!今櫛菜の腹の中に―、あ。櫛菜ってのはお前達の母親な?
びっくりだよ。瑛人までちゃんと俺の子として生まれてきたんだ。
全部元通りだ。シンも出てこねぇし、神様も神話の中に収まってる。人間を食う化け物もいねぇよ。まあ、零鬼は今も幽霊とか妖怪とか言われて残ってるが。」
「そっか・・・。うん、よかった。僕は、ずっと眠ってたから、そんなに大変に感じてないんだ。
シンとなった神様達が頑張ってくれてたみたい。」
「我が息子ながら恐ろしい子だよ。最後は人類の敵を味方につけたんだからよ。」
「でも僕、この世界には入れてないみたいだ。だって、今―・・・イテッ。」

 


おでこに鈍い痛みが走る。
気づいたら父が鼻先に立っていて、長い指でデコピンされたようだ。
おでこを押さえながら、自分より遙かに背の高い父を見上げる。
その瞳は夕焼けにすら負けないぐらい奥深い光が宿っており、自分の目と色合いは似ているのに
牙をもった獣がそこに眠っているような気配すらあった。
とても整った顔と、しっかりとした肩幅。それなのにモデルのような華美さを持ち合わせている。
自分とも兄とも違う煌びやかさを携えた、生まれた瞬間に選ばれたかのような人。


「やっぱ櫛菜似だな、お前。」
「そう、ですか?」
「もうすぐ会える。会えるってか―・・・まあいいや。ほれ、」

 


長い指が、再びデコピンをしようと握られたので
反射的に目を瞑る。

 


「ああそうだ。言い忘れてた。誕生日おめでとう、真人。」

 


父の気配が一層近くなり、おでこに柔らかい何かが触れたと気づいた時には、体が後ろに引っ張られた。
目を開けると父と夕焼けがドンドンと遠くなり、隣で水色髪の女性が微笑んでいる。

 

「日留子!」
「あら嬉しい。わたくしの名前をご存じでしたのね。この世界では、名前を変えて海から戻ってまいります。わたくしもまた人の子と共におります。
ありがとうございました、真人。どうか、この世界でお幸せに。」
「こちらこそ、世界を代表してお礼を言うよ。長い間眠りながらも守ってくれてありがとう。」
「素敵な誕生日を。」

 

神産みで初めて産まれた神、日留子命はとても綺麗に微笑んだ。
そこで真人の意識は途絶えた。

 



ドタバタ、と階段を降りる音が聞こえてきて、瑛人はトースターのスイッチを回した。
温めていたフライパンに甘めに味付けた卵を流し込んでる頃に、洗面台から勢いのいい水音が聞こえてくる。
そろそろ顔を洗い終えた頃合いだろうと、コップにオレンジジュースを注いで、リビングのテーブルに朝ご飯を並べる。
トースターからちょうど良い焼き色のついたパンが顔を出したすぐ後に、弟もリビングにやって来た。

 


「おはよう、真人。」
「おはよ~。」


顔も洗って歯も磨いた後だというのに、寝ぼけ眼で寝癖のついた弟は、
兄が出来たてをすぐ食べられるように計算して用意してくれたのを知ってか知らずか、テーブルに着き朝食の前で手を合わせる。

 


「いただきます。」

 


まずはジュースで喉を潤す。
薄くバターが塗られたパンにかじりつくと、キッチンで洗い物をしていた兄が
エプロンを外しながら向かいのテーブルに腰を下ろした。


「今日は早く帰れるかい?」
「もひひょん。」
「食べながら喋らない。」
「んぐ・・・。兄さんは?」
「今日は2時の講義が最後だから、先に用意しておくよ。
考仁も仕事が終わったら、母さんと父さんを車で拾って合流するって。」
「やった!久々に家族が揃うね。」
「真人の誕生日だからね。帰国の便一つ早めたって。夕飯、リクエストはある?」
「ピザ!あとグラタン!」
「今年は洋風だね。」

 

今日の主役は子供みたいにニコニコしながら甘い卵焼きにかじりついた。


「そうだ。あの子に声掛けて呼んでもいいんだぞ。」
「誰?」
「彼女だよ。沙希ちゃんだっけ。」
「かかか、彼女じゃないってば!ただのクラスメイトだよ!」


あっという間に赤くなった顔で否定する弟に、兄瑛人は頬杖つきながらクスクスと笑った。

 

「寄り道しないで帰ってくるんだよ。」
「うん!」

 


朝食を食べ終え、皿洗いまで兄に任せ真人は制服のジャケットを羽織って玄関で靴紐を結ぶ。
玄関には、家族旅行での思い出写真が飾ってある。
仕事で海外にいる両親の笑顔をチラッとみながら、キッチンにいる兄に聞こえるように大声で言った。

 


「行ってきます!」

 


玄関を開ければ、爽やかな朝の空気と鮮やかな青空が広がっている。
ウキウキした足取りで、真人は学校に急いだ。

end

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