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神宿りの木   クロガネ編 1

 


凜とした空気が立ち上がったような気配がして、少女は静かに瞳を開けた。
静寂が支配する澄んだ空気に抱かれながら、深く呼吸をする。
そこは岩で囲まれた洞窟の奥深い場所。最奥の一帯に出来た窪みには湧き出した水が張って小さな池が出来ている。
暗がりに潜むはずの一帯だが、池の底が光っているため明かりがなくとも岩肌のぬめりとした表面が窺えた。
水面の上で、銀色の長い髪をした幼い少女が浮いていた。
裸足の足は水に触れることはなく、二つに結った髪がふわふわと漂っている。
少女の虚ろな瞳は、水面の色を僅かに反射した銀色をしていた。
目を向けた先で、洞窟の中に舞い降りた闇が現われた。
闇は膨らみ、モヤとなり、黒ずくめの服を纏った若い男性の姿になる。
纏う外套も真っ黒で、洞窟に落ちる暗がりよりも濃い闇をまとっていた。
ただ、白く広い額と開かれた色の違う両の目だけが鮮やかにそこにあった。
少女の親指が水面に触れ、波紋が大きく広がった。
池の縁、ギリギリに立つ男が少女に問いかける。

 


「ラン、どうした。」

 


低く心地のよい声が洞窟内に反響する。
少女は銀色の瞳を男に向ける。


「夢を見たの。」
「何を見た。」
「炎。全てを焼き尽くすように渦巻いて、飲み込む。炎の中に居る人は泣いていた。」
「誰かわかるか。」
「呪われた連なりを持っている人。男の人。黒い髪に赤い瞳。これから、あなたと深い関わりを持つ。」
「そうか。」
「クロガネ、」


表情がないはずの幼い少女の眉尻が、僅かに下がったように見えた。
揺らぐ髪も儚げな瞳も、今にも空気の中に消えていってしまいそうだ。
その小さな胸に、耐えきれないはずの痛みを抱えているのだろう。


「崩壊が見えた。炎は始まりに過ぎない。一つ間違えるごとに、二つ柵が絡め取る。」


色素の薄い銀色の瞳が、ゆっくり閉じられる。
もう少女は言葉を紡がず、つま先が水から離れたのを見届けてから、男は踵を返し洞窟から出た。

 

 


 

岩肌を切り取った狭い通路にはめ込まれた木造の寂れた赤い扉を開くと、喧噪と怒号の圧が押し寄せてきたので、早速嫌気がさした。
天井が見えないほど高い円柱の空間は、岩石内部を切り抜いて作ったと聞く。
敵の侵入を防ぐためと、聞き耳を立てても声が外に漏れぬようにとの目的があったようだが、

これだけ騒いでいては意味もないだろう。
彼が今し方通った扉は言わば隠し扉であり、二階にある観覧席の外れに出た。
ちゃんとした正門は一階にあり、正門から伸びる赤い欄干が鮮やかな橋があり、その下は池になっていた。
池の中には赤い魚が泳いでいる。地上でも滅多に見かけない稀少生物が五匹、優雅に尾びれを揺らす。
水中に埋められたライトが水面を反射し、壁や天井の岩肌を水紋が走り、薄暗い洞窟の中が青い神秘的な空間を演出する。
そう、全ては演出だ。
池の中央に作られた舞台に座る連中が、威厳と神聖さを携えていると見せるためだけの人為的な自然光。
先程足を運んだ、少女のための洞窟が作り出す幻想的な暗がりとは真逆の、余計なものがこびりついた空間だ。


「自給率が2.3%も下がっております。いつまでも地上に頼っても仕方ないですぞ。」
「なんだ梔子。火群の数字が下がったのはお前らの配達人が途中で物資を落として逃げたからであろうが。」
「人員が最優先であるのは当たり前ですぞ。それとも、火群は人の命を軽視していらっしゃるのか。」

 

池の上に作られた舞台には、五つの椅子が円形に向かい合うように置かれ、それぞれの椅子に白装束の男女が腰掛けていた。
先程から醜い声を出して嫌味を振りまいているのは、痩せこけた頬が影をつくる初老男性。白装束に、黄色い布を首から提げている。
丸眼鏡の奥にある細長い瞳は、油断ならない様相をしている梔子の元老院議員だ。
一方、首から赤い布を提げているのは火群の元老院は、椅子の上に片足を上げて愉快そうに笑っている若い黒髪の女性。
気が強そうな黒い瞳で、薄い唇で笑みを携えたまま強い口調で梔子と言い合っている。
丁度二人の向かいに座る、黒い布を下げた浅黒い肌の男性が眉を八の字にしながら恐る恐る手を上げた。

 


「まぁまぁ。今日の議題は集落を含めた全居住区の生活水準同一を目指すって話で―」
「おや、日和見の紫黒が珍しく発言したではないですか。」
「僕はただ平和的な話し合いをしたいなと考えただけで・・・。」
「だそうだ梔子。いつも大人しい紫黒様は自給率がダントツトップだ。万年最下位の梔子が偉そうにするでない。
一人で周りに吠えて騒いでみっともないぞ。ハハ、吠えるはいい例えだ。これが負け犬の遠吠えというやつか。」
「なんだと・・・!?」
「―――いい加減になさい。此処は神聖な審議場ですよ。」


水色の布を提げた老齢の女性がはっきりとした口調で言い放つと、彼らは言い争うのを止めて口を閉ざした。
決して大きくはない声音だったにも関わらず、その声の奥に潜む鋭さには、逆らえないと思わせる何かがあった。

場を纏めたのは、水縹一族の長。元老院議員最年長でもあり、深梛同盟を創立したメンバーの子孫でもある。
此処は深梛の五大一族代表である元老院が話し合う審議場。
深梛、引いては天御影の決まりは全て此処で生まれ、代表である五人の話し合いによって全てが決まる。
限られた人物しか入れぬ場だが、公平さを示すため二階に観覧席が設けられており、

出入り口の橋と同じ赤い欄干がぐるりと囲んでいる。
張り出した部分に何人か傍観者がいた。
彼は影に身を潜めながらも、枠の端に身を任せて煙管を楽しんでいる女性の姿を見つけて話しかけた。


「相変わらずのようだな、元老院は。」


声を掛けられ軽く振り向いた女性は、半月型のメガネを描け、胸元が大きく開いたドレスを纏った妖艶な美女であった。
栗色のウェーブした髪を緩くまとめ、肺でくゆらせた煙を厚みがある赤い唇から吐き出して軽く微笑んだ。


「いい所に来たわね。ちょうどアンタに頼みたいことがあったの。」
「ランの夢見を伝えに来ただけだ。俺を便利屋と勘違いしてないでくれ。」


欄干の手前に立ち女性と並ぶと、眼下の争いがよく見えた。
討論場ではただ一人、白い着物に白い布をかけた空木元老院だけが沈黙を貫いている。いつものことだ。


「集や集落の水準を同一にするなんて夢物語だな。天御影にいくつ非公認の集落があると思っているんだ。」
「減っては増えてを繰り返すからね。人間て種族を増やすってプログラムに忠実よね。」
「この無意味な討論をしてる時間があったら、お前が説いていた

上層階に人間を集めて十杜らと分断させるってやつ実行した方が現実的だろ。」
「あら。アンタが塩を送ってくれるなんて珍しいじゃない。」

 


彼は女性に、先刻少女から受けた夢見の予言を伝えた。
艶やかな唇に煙管の先端を押し当てて、紫煙を再び吐き出した。


「アンタが拾ってきた夢見の予言はよく当たるのよねぇ。一つ間違えるごとに・・・か。
アタシたちは今まで、いくつ間違えたのかしら。もう柵だらけで動けやしないってのに。」


俯瞰的な物言いと追想しているかのような声をだした彼女に、沈黙で答える。
池の魚は気持ちよさそうに水中を進んでは、突然向きを変えて泳ぎだ出す。
まるで尾のひらめきをもっとも美しく見せる仕草を心得ていますと言わんばかりの身振りだった。
あれは金魚という名と教えてくれた彼も、同じように沈黙しているようだ。


「黒髪に赤目の男に心当たりは?」
「ない。俺自身のことかと思ったが、ランはそう言わなかった。」
「アンタの瞳は緑じゃない。」
「左はな。」
「で、依頼の話なんだけど。」
「受けるとは言っていない。」
「夢見がアンタを寄越したのよ。諦めなさい。」
「都合の良い解釈だな。」


女性は勝ち誇った笑みを浮かべて首を傾けたので、諦めのため息を漏らした。
幼い頃から彼女の事を知っているが、いつもこうやっていいように使われている気がする。
反論するだけ無駄だと身を染みて理解している。


「清野の長老と連絡がとれないのよ。通信ケーブルが切断されたのかもしれない。

また気づいてないのかあっちからもコンタクトがないの。ちょっと見てきてくれない?」
「なぜ俺にそんな面倒なことを。お前の私兵どもで十分だろ。」
「これも必然だと思うのよ、クロガネ。」
「物は言い様だな・・・。」


眼下の審議場では、再び梔子と火群が口喧嘩を始め、水縹がため息を溢しながら額に手を当てているのが見えた。
池の魚は我知らぬ顔で、優雅に泳ぎ続けている。
実に滑稽だ。彼らは何も見ようとはしておらず、根本はそこにない。
ただ己の一族の威厳を主張していたいだけ。


「これも全て人間同士の醜い争いだったら、天御影もまだ平和であるということか。」
「さて、どこまでが見せ掛けで、どこからが本質なのか。腹の探り合いはもう無意味だと彼らがいつ気づくのかってところかしら。」
「傍観者に徹していると、手遅れになるぞ。」
「次の世代は動き出してるわ・・・。さ、清野へ行って、連絡が取れなかったわけを聞いてきて頂戴。」
「・・・わかった。」
「お互い、まだ引退は出来なそうね。」
「その命ある限り、そなたは足掻くのであろう。レイコ。」

 


彼が起きて声を出したようだ。
顔を向けたクロガネの赤い方の瞳を見ながら、そうね、と女性は小さく呟いた。
クロガネは踵を返して開けた扉を通らず、体に黒いモヤを走らせその場を後にした。
黒い外套を翻し降り立ったのは、審議場がある所から遠く離れた土がむき出しの通路だった。
どの一族の区域からも遠い場所のため、通路に光源も監視カメラもないはずなのだが、
ランタンの黄色い灯りがクロガネを闇に溶け込むのを阻止していた。

 


「よ。お前が此処に来るってランが教えてくれたんで、先回りしといたぜ~。」


ランタンを手に寄ってきたのは、燃えるような赤毛をして、左目に眼帯をした男だった。
悪戯が成功した子供のような屈託の無い笑みを作って、クロガネの煩わしそうな顔に満足して頷く。
そしてもう一人。ランタンの明かりが届くギリギリで、桑染色の外套を纏った女性がクロガネを見つめていた。
女性にしては背が高く、茶の短い髪と、控えめな表情をしている。


「お前もランに言われて来たのか、千木良。」
「夢で、あなたと共にいるようにと。」
「そうか。わかった。」
「で、何するの?」
「動きながら話す。灯りを消せ、ユタカ。夜目は効くだろう。」
「嫌がらせで持ってきたのに~。」

 


赤髪男の嫌味を受け流し、クロガネは黒い外套を体に巻き付けながら走り出した。
すぐに女性―千木良が続き、ふて腐れたユタカも続く。
走りながら、二人にさらっと事のあらましを伝えた。

 


「またレイコの依頼か~。絶対一筋縄じゃいかないじゃない。何で受けたのさ。」
「仕方ないだろ。これもランの導きだ。」
「クロガネはレイコに恩義あるからそんな甘いことを―。」
「前、見て。」

 


千木良が淡々とした声に意識を前へ戻すと、暗がりの中に三人の人間がいた。
手に懐中電灯を持っている。


「迷子かな?」
「どこかの実行部隊員だろ。抜けるぞ。」
「見られていいの?」
「いちいち気にしてられん。」


背中に落ちたフードをたぐり寄せ目深に被る。背を低くし、走るスピードを上げた。
まだこちらに気づいていない男達だったが、さすがに闇に浮かぶ赤髪には気づいたのか
慌てて懐中電灯を向けた時には、懐近くに黒ずくめの男が迫っており、彼らは驚いて懐中電灯を落とした。
地面に落ちた灯りが通り過ぎる闇を照らした。一瞬で通り過ぎた風のように三つの影が過ぎ去ってから、彼らは叫ぶ。

 


「黒衣の魔術師だ!!」


背後から聞こえてくるそんな叫びに、走りながらユタカが吹き出して笑った。


「大層なあだ名付けられたよなー。」
「魔術師ってなに?」
「不思議な力を使う仮想の術士だよ。奇術師みたいな?」
「なら、クロガネにぴったりじゃない。」
「アハハハハ!!」

 


小道にとどろく愉快な笑い声を鬱陶しそうに睨み付けながら、クロガネは走り続けた。
途中から道を外れ、配管が走る縦穴を飛び降りながら壁を蹴って

別の横穴に入るという無茶な動きをしても、二人はちゃんとついてきた。
三人とも、明かりが一切無い暗闇でも、まるで全て見えているかのようであった。
やがて、背の低い道から、少しだけ開けた場所に出ると、弱い明かりと人の気配がある集落に辿り着いて足を止めた。
明かりはろうそくと小枝を燃やした松明だけで、元々は白であったであろう薄汚れた三角形のテントいくつか置かれている。
まず彼らに襲いかかったのは、強烈な異臭。腐敗臭と排泄物の悪臭が混ざって強烈なものになっている。
鼻がいいユタカはすぐに鼻をつまんで、目にも刺激が来るのか唯一の右目もギュッとつぶってしまった。


「これだから集落は嫌なんだよ~!」
「おかしいな。清野はここまで落ちてはなかったはずだが。」


生活水準の低い集落はごまんと存在するが、名がついた集落や集はある程度の生活力は残っている。
昔からある場所なら特に、レイコが支援活動を行っているはずだった。


「お前達はケーブルに異常が無いか見回ってきてくれ。」
「オレ達修理屋じゃないってのー。臭くてたまんないんだけど!」
「なら仕事は千木良に任せ、臭いの届かない場所で十杜狩りでもしてろ。」
「この悪臭じゃ十杜も近づかないって。」
「エキには鼻がない。仲間だろ。」
「オレとあの出来損ないを一緒にするなっての!」

 


鼻をつまんでるせいで変な声で怒りながら、ユタカは駆け足で場所を移動していく。
平気な顔をしている千木良も後に続くのを見送ってから、クロガネは集落の中に足を踏み入れる。
テントや物が置かれた隅には残飯やゴミなどが散乱し、服を着ずに横たわる老人のあばらは浮いている。
人々が纏う衣服は汚れ、千切れ、辛うじて引っかかっているだけの布に成り果てていた。
見知らぬ人間が通っても気にもとめず、生気の無い瞳は皆虚ろである。
まだ動く元気のある人間は、泥水をすすりゴミを漁っては腐った食料に食らいついている。
一族には属さず、承認もされていない外れの集落に物資は届かない。
たまに通りかかった誰かが恵んで暮れた食料や、この地でも育てられる野菜で命を繋いでいるだけ。
鼻がいい十杜は悪臭で近づきもしないので、死体は食い荒らされることなく無造作に転がっていた。
艶のない髪をした母親と、ガリガリで骨が見えている子供が、ろうそくと木偶人形を置いたテーブルに向かって必死に祈っていた。
此処には信仰があるようだ。神に祈る習慣は天御影ではこういった下層民族のみとなった。
上流階級の人間はもう神には祈らない。
栄養不足のためか、十分な言語を教えられていないのか、舌がうまく回らない子供の祝詞の横を通り過ぎると、
柄のついた布で三角形のテントを作り、木材を組み立てた簡易的な机の前に座る白髪の老人を見つけた。
髪に艶はなく乾いて水分がないが背中まで伸びており、皺が深いおでこの下にある双眸には、力が宿っていた。
近づくクロガネの姿をじっと捉え、片膝を立てた。


「来訪者か。久しいのぉ。」
「この場所は長老の住処があったはず。どこへ行った。」
「月読様が仰ったんだ。わしに神の声を伝えよと。」


しっかりとした瞳とちゃんとした言葉を喋るので話しかけたのに、
このじいさんは気狂いだと、すぐにわかった瞬間後悔をした。
天御影で信仰に依存した者ほど、現実に意識を置いてはいない。
それは逃亡であり、諦めであった。
力強いと思っていた双眸も、狂った故に妄想に取り憑かれたせいだと気づくと全く違って見える。
他に話の通じそうな人間を探そうと左足を引いたと同時、皺と骨しかない痩せ細った人差し指を向けられた。


「そなたの血肉は左の神が作っても、その中におる化物は、誰の加護も得ておらんぞ。」


クロガネは反射的に右目に手を当てた。
気狂いであるはずの老人が真っ直ぐと黒に近い赤い目を見つめてくるので、無意識に隠そうとしたのだ。


「皮肉なものよ。かつて栄華を極めた地上も、もう神がおらぬから崩壊が始まっておるのだ。
太陽は死に、空気は汚れ、土地は死んだ。半円の繭の中でしか生きていけぬ哀れな同族。
天御影には月読様がいてくだされる。愉快よのぉ。十杜らから逃れた同族は、もうすぐ滅びる。

ヒモロギも絶えて、シンの爪も届くまい。」
「おい、なぜヒモロギを知っている。あんたは一体―」
「そなたの内にいる奴は、太陽も月も肉眼で見たことがあるのだろう?羨ましいのぉ。
月はさぞ、美しかったのであろう。
だがのぉ、夜という暗い時間に月が輝くには、太陽が必要らしい。それだけが理解出来ん。
中央の神は人間を見捨てたというのにのぉ。月読様、月読様だけが・・・。」


老人は上げていた指を下ろし、目を伏せて動かなくなってしまった。
何度も声を掛けたが老人は動かず、目を開けたまま突然事切れたらしい。
ふと、老人の足下に折りたたまれた紙が落ちていることに気づいた。
手に取ってみると、汚れた住処には存在しないであろう再生紙の上等品だった。さらに花の絵が薄く描かれている。
縦書きの文字は古典文字な上に達筆で読めなかったが、唯一、署名の後ろに押された印には見覚えがあった。
手紙をそのまま拝借し懐にしまうと、集落の外に出た。
清野の近くにある洞窟内部にいた二人と合流すると、ケーブルを見下ろして立ちすくんでいる所であった。


「どうした。」
「通信ケーブルどころか、電力供給の配線とか上下水道の配管が全部壊されたてたり切られてたりしたんだよ。」
「人為的なものよ。十杜やエキの噛み口ではない。」
「強盗、にしては執拗過ぎるな。」
「そっちは?」
「長老はいなかった。」


ただ手がかりを見つけた、と懐から先程の手紙を出して印を見せる。
今彼らは明かりを手にしていないにも関わらず、清野の松明すら届かない暗闇でも、手紙の最後に押された印を確認した。


「鳥に花・・・待鳥の紋?」
「気狂いのじいさんが、何故かこれを持っていた。一般人では知らない記述まで知っていた。」
「予言者か占い師?」
「わからん。」
「オレ、レイコがクロガネに話を振った理由わかってきたかも。絶対面倒くさいよこの依頼。」
「わかりきったことを言うな。お前達、辺りの集楽を少し調べてみてくれ。」
「えー。クロガネだけズルイ。」
「お前は待鳥に入れないだろ。」
「大丈夫。私が見て回るわ。私も待鳥には入れないし。」
「千木良ちゃん頼もしいー!」
「情けない奴め・・・。外側から観察だけでいい。異様な雰囲気を少しでも感じた報告しろ。」


二人と別れ洞窟を一旦出たクロガネは、清野に背を向け別の出入り口に入った。
体や衣服にまとわりついていた異臭や嫌な空気は剥がれていき、冷たくなった大気に頭が冷静さを取り戻していく。
心が揺らいだのはいつぶりか。
気狂いの老人に向けられた指先と射るような視線が頭の中をざわつかせた。
何故、底辺に住む老人が内側を見抜けたのだろうか。
本当に予言者か占い師の類いなら、レイコが把握していないわけがないのだが。
明かり一つ無い入り組んだ管のような道を走り続け、すっかりいつも通りの彼に戻った頃、待鳥に到着した。
先程の清野とは打って変わって、待鳥は背の高い石の柵で囲まれ、明るさも清潔さもあった。
整列する木造建築もデザイン性が高く、規則正しく伸びる石畳の道は、時たま緩やかにカーブを描いている。
職人の技術力が高い証拠だ。
集の周りには十杜達を警戒するように松明が並び、見張り台が集の前後に設置され武器を持った男達が睨みを利かせている。
クロガネは見張りや集民に見つからぬようにフードを被ってから、黒い瓦屋根の上を渡って集の左奥に向かう。
居住区を抜け、地下では珍しい木が植えられた場所を抜けると、石の鳥居が現われた。
その一帯だけ土と砂利道が敷かれ、赤い社殿欄干と金の擬宝珠がやたら眩しい屋敷の前に着地する。
待鳥は火群一族の中でも由緒正しい家柄が率いる集で、珍しいことに、此処には地下に作られた神社とその本殿が存在する。
神職の出というわけではなく、ただの豪族だったらしいが、地上に居た頃の建築物を地下にそのまま復元したと聞く。
クロガネは砂利を踏みながら、本殿の裏に回る。
すると、欄干に肘をついて使い古した煙管を拭かす老人がぼんやりと天井を見上げていた。
綺麗な着物を纏い、短く着られた白髪は上品で、顔に刻まれた皺には威厳を感じる。
先程の老人とは真逆だった。クロガネに気づいた老人が煙を吐いた。


「久しいな。どうした、こんな場所まで。」
「これに見覚えはあるか。」

 


挨拶もせず、懐から手紙を出しながら社殿の高欄を飛んで隣に並ぶ。
先程回収した手紙を広げると、老人―待鳥の集長がやや難しい顔をした。


「清野の箕有楽(みうら)にやった文ではないか、なぜお前さんが持ってる。」
「レイコに清野の長老と連絡が取れないから見てこいと言われて行ったが、口を聞けるのはこの文を持ったじいさんだけだった。

本人も気違いめいた事を吐いて死んだ。」
「そうか・・・。あいつも逝ったか。以前は熱心な神話研究者だったんだがな。調べる内に信仰に取り憑かれて
狂ってしまった。で、長老は?」
「痕跡すら掴めなかった。唯一あった手がかりがこの手紙だったんで、訪ねてきた。」
「わしは何も知らんぞ。あそこの長老とは交流がない。その文を箕有楽に出したのも、もう十年以上前だ。」
「俺も清野を訪ねたのは久々だったが、随分落ちた。もう正気の人間はいなかった。」

 


集長の隣に立ち、同じように上を見上げた。
切り取った岩肌の表面が、眩い人工の明かりと松明の揺らぎを受けてテラテラと反射していた。


「お前さんも本当は気づいておるのだろう。地上と同じく、崩壊は始まっている、
清野も天御影にはびこる闇に飲まれたんだろう。繁栄の後は必ず衰退が待っておるからな。」
「ずいぶんあんたらしくない答えじゃないか。」
「歳をとったせいかもな。」
「それこそ戯れ言だ。あんたは歳のせいなんかにして根本を見ないふりなんか出来ないはずだ。何を隠してる。」
「なんじゃ、あの女狐に頼まれたか。わしは喋らんぞ。」
「頼まれたのは清野の長老捜しだけだ。墓穴を掘ったな。」
「ほっとらん。まったく・・・。昔は可愛げがあったのに口ばっかり達者になりおって、レイコの教育はどうなっとる。」


呆れたようにため息と紫煙を吐き出した集長が視線を落とした。


「元老院の奴らは見て見ぬ振りをしておるようだが、確実に人口は減っている。
人知れず滅びた集落がいくつあるか予測もつかん。地上の人口もまた減ったと聞く。どんどんとシンの懐に飲まれていく。
予言通り、ヒモロギの葉も朽ちるだろうな。そうすれば、世界は完全に無に帰る。」
「俺は予言など信じてはいない。」
「だがシンとヒモロギの存在は信じておるだろ?いや、視てきた、の方が近いか。お前さんの同居人がな。」


集長の左側に立っているせいで、どうしても右目を向けなければならなくなる。
松明の明かりより暗く赤い色を見つめながら、長老は口端に笑みを作りながらまた煙管に口を付けた。
普段あまり喋ることのない集長は、哀愁にでもかられたのか、珍しくよく口が動いていた。


「かつて神が人間に送った一本の木。サカキと呼ばれた神との繋がりを守るよう言いつかったのは水縹一族。
そして、歴史の始まりに突然現われた帝一族。王と呼ばれ政の一切を仕切り、日ノ本を平定したとされている。
突如現われた帝の血筋を支えていたのは今と同じ五大一族だが、先祖達は意義も立てず容認して支えていた。
奴らが途絶えたと噂がたったのは中期八一六年頃だったか。」


クロガネが右手に手を当てたのを、集長は見逃さなかった。


「疼くか。」
「傷に触れるなと言ってる。」
「ハッハ。化物に文句を言われてしまったわい。」
「歴史を疑っているのか。」
「そう聞こえるか。」
「全ては神の時代の話だ。当然資料などなく口伝やお伽噺が残っているぐらいだろう。
第一、当時栄華を極めていた一族が自分たちの功績を残すため神話をねつ造したなんて話はいくらでも存在する。

今となっては、失われたまま戻らない。あったところで、どうにもならない。」
「女狐の茶飲み仲間が聞いたら怒るぞ。今ある歴史は全て奴が纏めたらしいじゃないか。」

 

集長が吐き出した紫煙がゆっくりと大気に混じって消えて行く様を見守る。
天御影で空気は貴重で、火は敵である。
煙草を好む者は嫌われるが、重鎮に限ってその趣向を持つ。


「なぜ天御影でいまだに一族というくくりがあると思う。語り継ぎを守るためだ。
歴史は失われようと、口伝や秘密を守っている。それらは人類にとって必要不可欠。
皆それを知っているからこそ、一族なんて古くさい輪を尊重している。」
「清野の長老もその語り継ぎを持っているのか?」
「聞いたことはないが、第一次分岐時代に存在しておったからな。あるかもしれん。それがどうした?」
「長老がいないのは、誘拐の類いの線もあるかと思っただけだ。」
「金持ちの梔子一族出身者ならともかく、清野の長老なんぞさらってどうする。歴史や口伝を求めてるのはあの女狐ぐらいだろう。
話が大分逸れてすまんかったな。此処に手がかりはないぞ。」
「これもレイコが言うところの必然だろう。本当に誘拐があったなら、あんたも気をつけろよ。」


笑うのをやめ目線だけクロガネを視た集長は、煙管を口から離した。


「女狐に伝えておけ。例え秘密を話せと拷問されようが、血統の呪いで他人にはこの秘密は話せないようになっておる。
苦しみから逃れたくて話したくてもな。よって、お前さんに教えてやることも出来ない。」
「承知した。」
「一つ聞いていいか。」
「なんだ。」
「神はまだいると思うか?」
「さあな。いようがいまいが、興味はない。」
「そうか。わしと同じだな。」

 


フードを深く被り直したクロガネの体が外側からモヤになり、
渦を巻きながら大気に消えていなくなった。


 

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