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神宿りの木   クロガネ編 2

手かがりは消えた。
闇の中で移動をしながら、さて次はどう動くべきか思案していると、モヤに何かが触れた。
触れた箇所だけ実体を現してやると、それは肩に乗った。尾の長いトカゲだった。

 


「やはりトカゲではないか。」
『言ってる場合じゃないんだって!千木良ちゃんと捜索してたら燃えてる集があるんだけど、様子がおかしいんだ。すぐ合流して!』

 


口を動かさぬトカゲから発せられるユタカの声は、彼には珍しく焦っている様子であった。
これは非常事態だと判断し、彼の使いが示す場所に飛んだ。降り立ったのは見覚えのある集だった。
四角に切り取られた空間に、これでもかと天井に埋め込まれた眩し過ぎるライトは地上の昼程明るいと言われている。
地下にありながら道が走り、綺麗に配置された民家。
元老院所属一族でもある空木の辰巳という集は、今炎に包まれていた。
天井からの明かりはこの異常さを見て見ぬふりをしながら、踊る焔を照らしている。

こんなに色のない火影は初めて見たかもしれない。
辰巳の民は逃げ惑い、叫び、悲鳴や怒号が行き交っていた。
石で作った道だけが火の猛攻を防いでいたが、木造家屋の半分以上が燃えて崩れ始めている。
火を避けながらトカゲが示す場所に走ると、中央の通りで身を低くして構えるユタカが誰かと対峙していた。
その向こう側で、麻袋を運んでいる男達が確認出来た。きっと米袋だろう。
ある程度豊かな集への襲撃や略奪はよくある話だが、天御影の人間は火を嫌う。略奪と放火を同時に行う馬鹿はいなかった。
ただし、常識外のことをやる奴らが存在する。


「赤畿か。」


ユタカと対峙する女は、クロガネの姿を見て赤い唇をつり上げた。
女は赤畿に所属する実力者で、他の幹部クラスの補佐役であるらしいのだが、顔を知られてるぐらいには有名人だ。
赤畿についていい噂は一つもなく、天御影の厄介者。
かつては深梛と不戦の約定(たたかわずのやくじょう)を結んでいたが、近年になって盗みや暴行の事件を起こしている。
証拠もないし現場を押さえる前に逃げるので元老院も頭を悩ませていた。


「現行犯だな。深梛に報告を入れる。」
「報告は後にした方がいいよクロガネ。嫌なニオイがする。」


ユタカは眉間と鼻筋に皺を寄せ、目の前の女に威嚇する姿勢を強めた。
対する女もスリットの入ったスカートから足が覗くのも気にせず、構えた。

 


「無色のはぐれ者共には口をつぐんでいてもらおうか。」
「強盗に放火は重罪だ。」
「それは人間達が勝手に作ったルールだろ。あたしらには関係ないね。ただ、まだ邪魔させるわけにはいかないんだ。」


女は胸の谷間から取りだしたものを広げた。それは鉄扇だった。骨の部分は黒く、扇面の赤地には金の模様が描かれている。
笑みを携えたままそれを軽く仰ぐと、扇から何かが飛び出し二人は反射でそれを避けた。
石の道に刺さったそれは、暗器の針だった。隠し針を仕込んであったようだ。
もう我慢出来ぬとユタカが両手の平を上に向けた。彼の手の中に赤い炎が生まれた。
今も燃え盛り辰巳の家々を包む炎より赤く洗練されたそれは、彼の苛立ちを現したかのように高く燃え盛った。


「ユタカ、これ以上燃やすな。」
「アイツから嫌なニオイがするんだよクロガネ。止めないといけない気がする。」

 


ユタカの赤毛が逆立ち始め、眼帯をしていない唯一の右目が赤く染まっていく。
眼光がどんどん鋭くなり、瞳孔が縦に細長くなっていく。まるで爬虫類の目だった。
赤畿の相手より、ユタカをどうにか止めないとならないと焦りだしたところで、天井から外套をひらめかせ千木良が舞い降りた。
華麗に着地した彼女は、赤畿の女を振り向きながら左手を挙げた。


「おいで、ククリ。」


下に向けた手の平の先で、金色の輪が生まれ高速で回転し、回りながらどんどんと膨らんでいく。
あっという間に辰巳一帯を取り囲むと、家を焼いていた炎が小さくなり、くすぶる程度に収まった。


「ユタカの炎は私とククリが抑える。クロガネは先に行って。この混乱、強盗と火事だけじゃない。」
「頼んだ。」

 


離脱しようとするクロガネに、赤畿の女が太ももに隠していた暗器を投げつけたが

ユタカの炎が鞭のように伸び絡め取って落とした。
女が舌打ちしたのを聞きながら、クロガネは高く飛んで半分崩れた屋根の上へ移動し走った。

頭上で千木良の能力である金の輪が回り続けているおかげで、煙はそこかしこで上っても火はどんどんと小さくなって消えて行く。
逃げ遅れた人々は何が起きたのか分からず呆けた顔を見せたが、生存本能が働き集の外に走っていく。
ある程度自立した大きな集なので守衛がおり、人々を誘導してくれているのも大きい。
クロガネは、屋根の上まで届いた煌めきに反応して、強く屋根の瓦を蹴って通路の上に降りた。
一歩遅かった―・・・。

老婆の腹部から抜かれる刃には生々しく赤いぬめりこべり付き、天井の眩いライトを反射させた。
肢体がバサリと音を立てて地面に落ち、死の間際まで大事に抱えていた箱を、血塗られた剣を持つ男に奪い取られてしまった。
事切れたはずの手は、それでも手放してなるものかと、最期までその箱に手を添えていた。
黒漆塗りに朱色の紐が巻かれた上等品をすくい上げた男が、こちらを振り向いた。
金の髪に青い瞳を持ち整った顔をしているが、頬や白いシャツに飛び散った返り血と、冷静な微笑が表情が異様さを際立たせていた。
血に汚れた優男は、クロガネの方に体を向けた。


「やぁ、黒衣の魔術師さん。こうやって顔を合わせるのは初めてだね。」
「お前が赤畿幹部の吉良か。」
「知っててくれて嬉しいな。」

 


優しく紡ぐ声は柔らかく、向けてくる視線も穏やかなのだが、刀についた鮮血を拭おうとはせず、滴がぽたりと石の上に落ちた。
彼の後ろで、物資を運ぶ赤畿らしき男達と、幼い少年を肩に抱えた男が見えた。
少年は気絶しているのか、ぐったりして動かない。
黒いパーカーのフードを目深に被っているあの男も、確か幹部の一人だったと記憶している。


「お前達、何をしているんだ。あの子供をどうするつもりだ。」
「ちょっとね。」
「火事まで起こすとはやりすぎだ。」


 

クロガネは予備動作なしに、体の一部をモヤに変化させて金髪の優男を拘束した。
しかし、彼の半身を捉えたはずのモヤが散開して消えてしまった。
勝ち誇った表情を浮かべた吉良が、一瞬驚いた顔をしたが、またあの柔らかい笑みを作る。


「そうか。君も僕と似ているんだね。内に化物を飼っている。」

 


その言葉を聞いた瞬間、クロガネの力が暴れ出し、体の輪郭がぼやけモヤが溢れながら膨張した。
モヤはクロガネの頭上で炎のような揺らめきを作りながら、野生の動物のように威嚇の姿勢を見せ吉良に襲い掛かろうと身構えた。
体から外へ出ようと暴れるモヤを、クロガネは必死に抑え込もうとしたが、今日に限って言う事を聞かなかった。
気を許したら、目の前の男を食い殺してしまいそうだった。
――おい、どうしたっていうんだ。
胸中で問いかけるも、声は届かない。
クロガネの様を見て、吉良は声を出して笑った。まるで軽やかな鈴の音のようであった。


「君は面白いね。人間だけど、半分以上化物くんに飲まれている。果たして、今の君はどっちなんだい?」


その問いに怒ったとでも言いたげに、モヤがクロガネの制止を振り切って暴れ出した。
体の実体が強制的に解かれ、モヤに引き込まれる。
モヤは渦を巻きながら堆積を増やし屋根より背丈を伸ばしながら吉良に襲い掛かった。
優男の体を脳天から飲み込もうと口を開けるも、空中で動きが止まった。
男は相変わらず微笑んで血のついた剣と黒塗りの箱を抱えているだけで動いてはしない。
モヤは吉良にどうにか噛みつこうともがいているが、見えない壁に阻まれているのか一定の箇所から進めない。

「化物くんは同族だったんだね。」
『イッショニスルナ!裏切リノ種族メガ!』
「起源は同じみたいだよ?だって、君の力は僕に届かない。」

 


―――彼の言葉が届いた?
脳天からの攻撃は無意味だと気づき、左右や背後から吉良を狙うも、やはりモヤは一切届かなかった。
苛立ちを募らせたモヤがさらに膨らんで巨大な口を開けたところで、後ろに引っ張られするすると後退していった。
飛び散ったモヤを引き寄せたクロガネの実体は、膝をついて蹲ったまま荒い息を繰り返しながら顔を上げ吉良を睨み付ける。
右の赤い瞳が燃えるように輝きながら、呼吸をするように明暗を繰り返す。
モヤが暴れている間に吉良の部下達は姿を消していた。少年を抱えた男もおらず、炎は完全に消えて煙だけが燻っていた。


「その精神力があったからこそ、上手く共存しているみたいだね。」
「お前は何者だ・・・。何を、しようとしている。その箱の中身は、なんだ。」
「この期に及んでも謎の追究とは恐れ入るね。あの女帝の使いにしておくには勿体ない。」


吉良は足下に倒れている老婆の服で乱暴に刃についた血を拭い取り、腰に下げていた鞘に収めた。

 


「あの少年は殺さないから、とりあえず安心しなよ。大事な人柱だからね。
さて、そろそろ厄介なお姫様が来そうな予感がするから、退散するかな。」


待てとそう叫びながら立とうとしたが、体に力が入らなかった。
急激な疲労感が全身を襲い、まるで重力が倍以上になった空気に押しつぶされているような感覚に陥る。
吉良の足先が方向を変えたのを、石道の上に頬をつけそうなぐらい蹲りながら確認する。
逃がすわけにはいかない。けれど、体が言う事を聞かない。内側でまだ暴れている彼が外に出せと喚いている。

耳鳴りがうるさくて辰巳中の騒音が遠く感じる。
どうにか力を出せないかと手を伸ばしたが、震える指の先で吉良がどこかへ消えた。
敵に逃げられた苦い思いと、体の内でぐるぐると疼き続ける苛立ちに歯を食いしばった。


「頼む・・・、落ち着いてくれ、鐵(くろがね)!!!」

 

 

 

 

 


 

 

 

 


等間隔に明かりが埋められた薄暗い廊下を、幼い少年が走っていた。
身の丈より大きな外套を首元に巻いているせいで、ずいぶん重たそうにしていた。
裾はくるぶし辺りまであり、ブカブカの余分な布が走る足の邪魔をしてくる。
息を切らしながら走るうちに、ついに少年は足を絡ませて転んでしまった。


『立て。』
「わかってるよ。」


少年ではない重低音の声に急かされ、ズボンに付いた汚れを払いながら立ち上がる。


「これ、着てなきゃダメなの?」
『お前はまだ十分に私の力を使えないからな。これも鍛錬だ。さあ、行くぞ。』


肩からずり落ちた外套を嫌そうに引き寄せ、少年は走り続けた。
少年は声を出して話しても、聞こえてくる声は彼にしか聞こえない。

声を出さずとも会話は可能だが、少年は癖で声を出して会話をする。
廊下が終わり、広い場所に出ると、少年は軽々と壁を蹴りながら天井近くまで飛び、頭上を張っていた配管の束に乗った。
今度は太いパイプを伝って走る。配管は色んな方向に伸びており、足下の床はずいぶん遠くなった。
高い場所を走っても少年は怯えた様子もなく、また転ばないように外套だけを気にしていた。
同じ日に同じ失敗を2度繰り返せば、少年の師でもある同居人にこっぴどく叱られ、鍛錬だ何だと無茶な要求をしてくるに違いない。それを知っているので、高い場所に登ったり壁を伝ったりすることより、外套で転ぶことを恐れた。
露出している頬の左側がぞわっとして、少年は急停止してしゃがむ。頭上で何かが通り過ぎた。
明かりが届かぬ配管の上に、闇より暗い何かが降り立った。

 


『外套に気を取られてなければ、通過の一瞬で一撃は与えられただろうな。』
「きびしいなぁ。」

 

突然の来訪者は体を伸ばし、塊に手足が生えた。
黒い人形のようになったそれ―悪鬼は、頭の部分に不気味なお面をつけていた。
少年は、どうして悪鬼は顔を隠したがるのかよくわからなかった。知性を持ってる個体は特に。
悪鬼は手に持った、少年の身長より長い棒を持ち手と逆の肩上に構え、瞬きの間に少年の前に移動してそれを振り下ろす。
驚いた風も無く、少年は全身に力を込める。すると、巻いていた外套の輪郭が揺らぎだし、端からモヤになって実体化を解いていく。
膨張し空中でまとまったモヤは、脳天の振り下ろされた悪鬼の武器を絡め取り、ガラ空きになった腹部に少年がモヤを叩き込む。
しかし、打撃は弱く悪鬼は無反応のまま、あっさり武器から手を離し、手刀を少年に叩きつける。
彼は後ろに転がりながら攻撃を避け距離を取った。


『拳にもっと影を纏わぬか。』
「わかってるよ。」
『わかってるなら実行しろ。言葉は二の次だ。』

 


ムッとした表情を見せた少年だが、冷静に悪鬼の動きを見てモヤを噴出させた。
モヤは触手を伸ばしながら悪鬼の武器を完全に飲み込んでしまった。そこにはもう何も無い。
何も語らぬ悪鬼はただ冷たい敵意を向けながら、上げた片手に別の武器が現われた。
先程の棒状のものに刃がついている。槍のような、刀のような。
切っ先を少年に向けながら、身を低くしながら突進してきた。
全身にモヤを纏わせる。視界が黒に染まっていき、迫ってくる悪鬼の姿が遠くなって見えなくなる。
体の輪郭が無くなる。手足の感覚も重力も、その一瞬だけ彼には無縁のものとなる。
肉の塊である体が、空気の中に溶けて混じってしまうのだ。これもまた、同居人の能力だ。
再び体が元に戻った時には、悪鬼の背後に回っていた。悪鬼は目の前から標的が消えたせいで攻撃の勢いが死んでいる。
手を胸の前で構え、まだ実体とモヤ化が半々の外套から氷柱のような鋭い触手を伸ばし隙を突く。
後ろを向いたまま、悪鬼は手にしていた武器を投げつけてきた。
一瞬の敵意を読まれたのだろう。再びモヤ化して転移しようと試みるも、体が完全に消える前に肩を刃が貫いた。
痛みはない。感触もなく、強制的にモヤになった肩を刃が空しく通り過ぎながら、とぐろを巻いたモヤが刃を捕らえた。
掴んで離さぬように固定させながら、柄を通って悪鬼の指、腕、首と絡みついたモヤが悪鬼を締め上げ、

背後から伸びた別の触手が背中から胸を突き刺したことで、悪鬼は灰のように崩れて消えた。
悪鬼が残した武器も几帳面に飲み込んでから、モヤは外套に戻った。
固まっていた少年は細く長く息を吐いて、緊張で強ばった体の力を緩めた。


「ありがとう。」
『早くワタシの補佐がなくとも敵を倒せるようになれ。あの場面なら、移動して避けるより攻撃した方が早かった。』


素直にお礼を述べたのに、早速ダメだしをされ口をへの字に曲げながら、外套を纏い直す。
本音を言えば、戦いなどしたくない。攻撃方法が上手くならなくてもいいと思っている。
けれど、同居人の力に惹かれて悪いものが集まってしまうので、仕方なく力を使いこなすべく日々指導を受けている。
産まれた時から内側に存在し、共に時間を過ごした同居人は、人間でもなければ零鬼でもない。
実体はなく、モヤのようなものらしいが、少年の体から出ることはない。
少年が彼の力を使うときだけモヤは出てくるが、それが彼の体と言うわけでも無かった。
彼の正体については母から聞いている。けど、深くは理解出来ていない。
頭の中で会話する家族であり友である。少年にとってはそれで十分だった。生きる為に戦う。痛いのは嫌だから学ぶ。それだけ。
さあ鍛錬の続きだと急かされ、再び配管の上を走る。
相変わらず外套は重く、足が絡め取られそうになってしまう。
と、何かが聞こえてきた。
辺りの壁に反響して聞き取りづらいが、人間の、女の子の声だ。気になって、内なる声の指示を無視して配管の上を左に曲がる。
円形のトンネルを抜けると、最低限の明かりしかない、コンクリートで囲まれたただっぴろい空間にでた。
天井に配管を走らせてはいるが、カプセル型という不思議な形をしており、中央が大きく窪んでいた。
耳を塞ぎたくなるような悲痛な金切り声は、その窪んだ場所から聞こえてきた。


「いやだああああ!!!!!!!!!!

空気を揺らすような、そして生命の危機を感じるような絶叫に体がビクっと震えた。
足を止めて眼下を覗くと、白い服を着た、自分より小さな女の子が泣き叫んでいた。
その絶叫は聞いているだけで胸が痛くなるほど、全身で拒絶を示した泣き声だった。


「やりなさい。」
「やだやだやだ!おうちにかえるっ!」
「言う事を聞きなさい、沙希。」
「やあああ!!」


泣き喚き暴れる少女の細い腕を掴んでいる男は白衣姿で、少女と対比して冷淡な声で制していた。
状況がわからず、少女を助けるべきかと迷っていると、内なる声がこれまた冷静な声で話し出した。

 


『斎垣ではないか。』
(いみがき?)


少女の凄惨な声を聞いてすっかり怯えてしまった少年は声を出せる状態ではなかったので、胸の内で問い返した。


『確か隠し名はシノノメ。今代は注連縄のお役目も兼任しておるな。ということは、あの少女が守姫か。教育係としては、適任だな。』
(あの子、嫌がってる。)
『逃げられはせん。受け入れるしかないのだよ。自分のお役目をな。』


癇癪を起こしても、泣いても騒いでもどうにもならず、逃がしてももらえないと理解したのか
涙でぐしゃぐしゃになった顔を小さな手で拭いながら、少女は右手に青い光を出現させた。
粒子を纏うそれはゆっくり伸びていき、少女の背丈ぐらいある刀になった。


(あれ・・・<シンジュ>石の力?)
『いいや。ヒモロギの守護役である三神の御子が使うのは別の力だ。あの刃は神に直接送られた神器の形と言われておる。』


男がポケットに入れていた何かを撮り出すと電子音が1つ響き、広場の壁に小さな穴が空いた。
すると、そこから十杜が大量に流れ込んできて、へこんでいる場所にいた少女めがけ襲い掛かった。
少女の纏う雰囲気が変わったのを感じた。
刀に重みはないのか、少女は剣を軽々と振り上げ、飛びかかる十杜達を次々斬りつけていく。
先程まで大声を上げて泣いていた少女と同一人物とは思えぬぐらい、その身のこなしは冷静で軽やかで無駄がない。
少女より体高がある十杜に怯える様子もなく、淡々と切り続ける。
その動きに見惚れていたのだが、白衣の男性がこちらを向いた。

 


『バレておったようだな。まあ境界を司る男に近づけば嫌でも気づかれる。』


丸眼鏡の奥にある切れ長の瞳に見つめられ、どうしたらいいかわからなくなった少年はその場から走って逃げた。
配管を辿り、適当な場所で地面に降りた。
呼吸が乱れたせいで上がってしまった呼吸を整える。

 

『あのまま見学しておいた方がよかったのではないか?シノノメも怒りはせん。』
「だって、怖かったんだもの。あんな小さな子に、無理矢理戦わせるなんて。」
『問題ない、あやつは何が大切で、何をすべきかわかっておったようだ。』
「その通り。斎さんはいい人だよ。」

 


彼とは違う幼い声が聞こえた。顔を向けると、白い上下の服を着た、少年と同い年ぐらいの男の子がいた。

ひょろっとした体躯に耳が隠れる程毛先の長い茶の髪、表情には大人しそうな印象があった。
人の気配には敏感な少年も、内なる友も声を掛けられるまで何も気づかなかったことに、心底驚いた。
だが、次の瞬間モヤが少年の体から飛び出した。
黒いモヤが少年二人の頭上で膨らみ、茶髪の少年に向かって突進した。

 


「待って!ダメだよ、くろがね!」

 


少年が必死に制止させようと体からはみ出したモヤを掴もうとするも勢いは止まらず、

大きな口を開けて茶髪の少年を飲み込もうと襲い掛かる。
―しかし、モヤは見えぬ壁に邪魔をされて少年に触れることすら適わなかった。
唖然とする彼とモヤを順番に見て、茶髪の少年は微笑んだ。正気を取り戻した友は、モヤの体を縮めて、しかし興奮した声を上げた。

 


『おお・・・!帝一族に再びお目にかかれるとは、なんたる喜び!』
「君は僕の先祖を知っているんだね。でもごめんね。僕は血族ではあるけど、証は持ってないんだ。人工授精で生まれた廃棄物だから。」


茶髪の少年が言っていることはよくわからなかったが、内なる友の声が届いていたらしい事に少年は驚いた。
内なる友の声を聞けるのは、地下でも限られている。


「君は一体・・・。」
「沙希の訓練を邪魔されたくないと思って覗きに来たのだけれど、敵じゃなかったみたいだ。僕は一ノ瀬瑛人。水縹の集・水面(みなも)に属してる。君は?」
「無色の、桜栄(さくらえ)若葉。彼はくろがねって言うんだ。驚かせたよね。」


平気だよ、と笑う彼の無邪気な笑顔に誘われて、別の場所に移動することになった。
といっても、あまり風景は変わらない。
コンクリートで作られた人工的な建造物の縁に並んで腰掛ける。
下は水路となっており、落ちたら怪我では済まなそうな高低差があったが、少年二人は無邪気に足をぶらぶらとさせる。


「凄いや。くろがねの声が聞ける人、あんまりいないんだよ。」
「僕はちょっとだけ特殊なんだ。若葉の目、綺麗だね。」

 


褒められたことは嬉しいのだが、複雑な表情を見せた若葉は俯いた。
内にいる友は冷静さを取り戻したのか、今は大人しくしている。


「右は、くろがねの目なんだ。前は両方とも緑だった。」
「赤色嫌い?」
「ううん。ただね、最近、僕とくろがねの意識が混ざり過ぎちゃって、自分が分からなくなるときがあるんだ。
この目みたいに、僕が無くなっちゃったら嫌だなって思う。
あ、もちろん、くろがねの事は嫌いじゃないんだよ?彼は僕の中でしか生きられないし、生まれてからずっと一緒の、家族なんだ。
ただ、僕は弱いし、意気地無しだし・・・。母さんだって、僕よりくろがねを大事にしてた。僕なんか・・・。イテッ。」

 


こめかみ辺りに弱い痛みがあって顔を向けると、瑛人が微笑みながら指を向けていた。
デコピンをされたらしい。

 


「君は若葉なんだろ?その名を忘れなければ問題ないさ。これも何かの縁だろうし、僕がずっと覚えていてあげるよ。」
「瑛人くん・・・。」
「瑛人でいいよ。よろしくね。」


思えば、くろがねを怖がって大人からは嫌厭され白い目で見られ、同世代の友達はいたことがなかった。
母親以外と触れあうこともなかった。

差し出された手を、弱々しく握り返した。握った手は温かかった。

瑛人と別れた若葉は、興奮気味のくろがねと共に家に戻ることにした。
彼の家は、無色の拠点にある。
無色とは、天御影にある一族の名前だが、五大一族同盟深梛には加わらず、孤立した者達の集まり。
それもそのはず。無色に所属する者は、皆普通の人間では無い。零鬼であったり、零鬼と混じった混血人間だったり。
無色の者は総じて他者と関わるのを嫌い、自分たちを差別的な目で見る人間も嫌っている。
半透明の和服を着た女零鬼の横を通り、門も柵もない無色の領域に入る。
白い石やコンクリートを使った家や施設が並び、明かりは最低限しか灯っていない。無色は常に夜だった。此処に住む者は夜目が効くからだ。
話し声などのざわめきはなく、静かな生活音が時折漏れて届くのみ。
外に出ている者は少ないのだが、極力目に止まらぬよう外套のフードを深く被って、小走りに通りを抜ける。
狭い小道を掛け、白い壁に埋められた木造の扉の1つを開け、中に入った。

そこが若葉の家だった。

入ってすぐキッチンダイニングになっており、木造のテーブルとチェアー、食器棚に2段の小物入れ。

扉も仕切りもなく右に部屋がくっついており、そちらにはベッドやソファ、天井まで届く本棚がある。
右の部屋に置かれたソファに外套を脱ぎ捨てると、それはモヤにはならずバサッと音を立ててクッションに落ちる。
青白い円柱ライトにだけスイッチを入れ、少年はベッドサイドにある棚の前に立った
手の平サイズの観葉植物の横にある写真立てには、綺麗な女性がこちらに微笑んでいる写真が飾られていた。
この部屋の家具などは全て彼女の趣味で、彼女は若葉の母である。


「ただいま、お母さん。」


何も語ってはくれない写真立てに語りかけてから、若葉はベッドにダイブした。
疲れた体と頭がふかふかでいい匂いのシーツに包まれたことで眠気が急に襲ってくる。
食事を取れとくろがねが言ってきたが、無視して瞳を閉じた。
泣き喚く少女と、茶髪の少年―瑛人の顔が順番に瞼の裏に浮かんでくる。
他人と話をしたのは本当に久しぶりだ。年の近い子供と言葉を交わしたのも数える程度だったのに。
目を開けると、無意識に投げ出した右の手の平が映り込んできた。人の温もりも、いつ以来だろうか。
物心ついたときには母はいなかった。思い出は一切無く、声も面影も知らない。
それなのに、写真立ての中にいる女性が力強い眼でこちらを見て叫んでるシーンを覚えている。
それは、くろがねの記憶だ。僕のものではない―。
重たい体を持ち上げて、キッチンに移動した。
若葉は半分だけ人間なのだ。食事や水分を取らなければ弱ってしまう。

『料理の腕前は上がっておるのに、』
「くろがねのモヤ使うより簡単だもの。くろがねも食べられたらいいのにね」
『そうだな。』

 

一人分の食事を一人で取る。
スプーンと食器がぶつかる音だけが寂しく部屋に響いた。

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