❀ 3-5
10月。
クロノス学園で二番目に大きなイベントが開催される。
文化祭だ。
といっても、普通の学校のように準備を生徒が行い生徒が作り上げるわけではない。
9月に一斉進級試験がある為、初等科と学園側、そして企業が参入して準備を行う。
生徒をもてなし楽しませるためだけのイベントだ。
転校生であるルフェにとっては、初めてのクロノス学園文化祭だった。
風船や色とりどりで派手な飾り付けをされた校舎、外にはアーチや看板が至る所に設置されている。
魔法で浮かぶぬいぐるみ達や、広告のため空中を飛び回っているマンボウ型風船。
空には絶え間なくマナ製の花火が打ち上げられ、校内に渦巻く笑い声。
まさに、祭りといった雰囲気だ。
―本物の祭りに参加したことはないけれど。
ルフェは綺麗に飾り付けられた校舎を携帯で写真に収めた。
「アテナ女学院の文化祭とはまるで違うのね。あっちは本当に文化交流会だったから、静かだった。」
「どこを回りましょうか。出店が沢山出てて、各教室や企業の出し物や展示物も面白いのですよ。」
「とても1日じゃ回りきらないぐらいなんだ。」
ジノが文化祭パンフレットを手渡してくれる。
カラー刷の本格的なパンフレットを開く。校内の案内図や目玉企画の宣伝、タイムスケジュールが乗っている。
「2人は見たいものある?」
「ルフェやジノくんと一緒ならどこだって楽しいです!」
「僕たち、いつも1人で回ってたから、友達と文化祭楽しむの初めてなんだ。」
「フフ。皆初心者ってことね。じゃあ・・・まずは何か食べない?さっきからいい匂いがしてて気になってたの。」
「いいね!」
本校舎C棟とB棟の間にある出店ゾーンへ足を運ぶ。
カラフル屋根がずらりと並び、焼きそば、たこ焼き、トウモロコシ、かき氷やカステラなどの祭り定番屋台から
高級ステーキ店、有名パンケーキ屋など様々な飲食店が出店するブースが肩を並んでおり、
生徒や一般参加の客人が溢れかえり、大盛況だった。
「此処、本当にお金いらないの?」
「生徒は無料だよ。どれでも好きなだけ食べていいんだ。」
「わぁー!あのフルーツ飴細工可愛いですよぉ!」
「アハハ。マリーが一番テンション上がってる。色々買って皆で分け合いっこすればいいよね。」
それぞれ店に並び、食べたいものを両手に抱えて、
正門近くに設置された休憩用のベンチで戦利品を広げる。
マリーは見事にデザートばかりであった。
「やっぱりこういう時は焼きそばだよね。」
「こっちのステーキも串焼きも美味しいよ。普段だったら絶対食べられないし。」
「ンー!幸せですぅ。」
「フフフ。マリーも幸せそう。ジノ、そのスパゲッティ一口ちょうだい。」
「もちろん、いいよ。こっちのピザも美味しいよ?」
「こんな所にいたのか、脳天気3人組。」
仁王立ちして現われたのは、シュヴァルツだった。
彼も見事進級試験を合格し6学年になったのだが、3人とはまた別のクラスになってしまったので顔を見るのは久しぶりだ。
夢中でパンケーキを食べていたマリーでさえ、突然現われたシュヴァルツを凝視する。
「先日の訓練で見事足を引っ張られたせいで最高得点での合格という目標を達成できなかったんだぞ。」
「それはー・・・、ごめんね?」
本当は魔女襲撃とルフェを狙った偽ヒントでの誘導が原因なのだが
シュヴァルツの記憶が消されている可能性があるので、ルフェは素直に謝る。
「少しでも罪悪感があるなら僕に付いてきて。今僕らの出し物で、人手が足りなくて困ってるんだ。手伝え。」
「食べ終わったらでいい?」
「駄目だ。」
「シュヴァルツ君、可愛いよ。」
「言うなバカ!!!」
顔を真っ赤にして怒ったシュヴァルツは、何故か女装していた。
巻き髪のウィッグを被り、いわゆるメイド服を纏っている。
短いスカートに、ニーハイソックス。全体的にフリルが沢山ついている。
手には“6-3 逆転喫茶”と書かれた看板を持っていた。
「最近流行ってるもんね、女装とか男装した催し物。」
「僕は好きでこんな格好してるんじゃない!ボネさんが、どうしてもとごねるから!
ジャンケンで負けたせいで看板持って宣伝してこいってコキ使われるし・・・。
これも全て、お前らと関わったせいだ!あれから僕の調子がおかしい!」
「八つ当たりだ。」
「まぁまぁシュヴァルツ君、これでも食べて落ち着いて。」
真っ赤な顔で怒る彼の口に、ジノが強制的にサイコロステーキを突っ込む。
「む。美味い。」
「でしょ?一緒に腹ごしらえしてからでもいいんじゃない?」
突然素直になってベンチに腰掛けたシュヴァルツは、看板を脇に置いてジノに差し出されたステーキと焼きそばを食べ始めた。
小さな口でちょっとずつ食べ物を頬張る姿は、どっからどうみてもか弱く大人しそうな女の子。
周りにいた生徒や一般客も、メイド姿の美少女?にクギ付けで
メイドの足下に置かれた看板を発見し興味が出て来たようだ。
当人が心配しなくても、いづれ客足は増えるだろう。
ルフェが小声でジノに顔を寄せ話しかけた。
「ジノ、本当に策士。最近リヒトがジノ恐ろしいって言うの、わかった気がする。」
「宣伝を手伝っただけさ。どうする?覗いてみる?」
「うん、せっかくだし。」
シュヴァルツも加え、出店で買ってきた品を綺麗に片付ける。
思い出に、とルフェが携帯で食事をしている皆を写真に収める。
シュヴァルツは嫌がったが、腕の長いジノがルフェも含めた4人で写真を撮ってくれた。
ルフェは満足そうにポケットに携帯をしまう。
突然乱入してきたメイド姿のシュヴァルツも美味しい品々に満足したのか、
いつもの調子に戻って3人組を引き連れに本校舎A棟に入った。
校舎の中も人で賑わっており、普段使ってる教室がまるで別物になってしまったような感覚がした。
生徒以外が廊下にいるのもそうだし、豪華な飾り付け達が非日常を演出しているせいかもしれない。
4階にある6学年の教室へ辿り着くと、飾り付けが一際派手な教室に辿り着いた。
廊下壁の装飾は、半分は黒いレース、半分はピンクのフリルという異様な光景である。
6学年Ⅱ3組の逆転喫茶とやらは、男子が女装、女子が男装をして軽食を提供する軽食処だった。
ルフェ達が教室内を覗く。
生徒で賑わっている教室内に、女子生徒の塊が見えた。
その中央で、背の高い執事が無駄のない作法で紅茶を入れていた。
指先まで洗練された動き、優しい微笑み。女生徒が夢中になるのもわかる。
よく見れば、あの執事は女性だ。
「あ、副会長。」
「そう、ボネさん。彼女が発案者。あの容姿だから女子に大人気なんだ。」
「本当に男性のようで、素敵ですわね。」
「シュヴァルツ君も負けてないぐらい可愛いよ?」
「僕のことはいい!ボネさんの取り巻きのせいで客足が伸びないんだ。お前達、名簿に名前書いて寄っていってよ。」
「サクラってことね。」
「名前ぐらいなら――」
「マリアンヌちゃんみっけ!!!」
少し遠くの廊下から、大声を出してマリーを指さしている女生徒がいた。
ビクッ!と肩を振るわせたマリーが顔を向けると、女生徒は凄い形相で近づいてきて、いきなりマリーの手を握った。
よく見たら、同じクラスの生徒だ。
「探したわ!」
「え?えっ?!」
「お願い助けて!ウチの代表が急に体調悪くなっちゃったのよ。
かといってせっかくのエントリーに穴を開けるわけにいかないの!マリアンヌちゃんなら絶対勝てる!」
「か、勝つ?何にでしょうか・・・?」
「時間がないわ!行くわよ!」
その女生徒は、よほど焦って切羽詰まっているのか、説明無しでマリーの手を引き急に走り出してしまった。
事態がわからず、ルフェとジノも後を追う。
「ま、待てお前ら!」
「ごめんシュヴァルツ君!後でくるね!」
「逃げるな!協力してけー!」
後ろで聞こえるシュヴァルツの叫びを無視して、マリーの後を追う。
クラス対抗で行われるような競技があっただろうかと、走りながらジノは首を捻った。
女生徒がマリーを連れていったのは、武道館だった。わざわざマリーを指名するということは、力技を競う球技とかだろうか。
でもそれなら女子ではなく男子生徒を連れていくはずだ。割合的に。
2人は裏口から中へ入っていくが、関係者以外は立ち入り禁止とかで、後を追っていたルフェとジノは中に入れてもらえなかった。
仕方なく、武道館の正面入り口から中に入る。
照明が落とされた薄暗いメインアリーナには、満員とはいかないが人が溢れ賑わっている。
会場には立派な舞台が用意され、舞台上だけまぶしい照明に照らされ浮かび上がっていた。
舞台には、煌びやかな格好をした女生徒が立っており、名前を呼ばれた生徒は舞台を歩き回り、
隣接された縦長のランウェイを手を振りながら渡っていく。
まるで本物のモデルが行うファッションショーだ。
「ジノ!これみて。」
「・・・第12回、文化祭ミスコン!?」
ルフェが差し出すパンフレットを見て、ジノが驚きの声を上げるが、歓声にかき消されてしまった。
今舞台に上がってきたのが、美しい金の髪を持つお人形のような美少女だったからだ。
赤い裾が広がった可愛らしいドレスを着て、緊張した面持ちでランウェイを歩いてくるのは、紛れもなくマリーだった。
魔法によって短時間でヘアメイクを施されたのだろう。先ほど一緒に食事をしていた姿とは別人だった。
唇は赤く、普段より目が大きく見える。髪もウェーブが強くなっているので巻き直されたのだろう。
目がくらむほどのスポットライトに照らされ、弱々しく手を振る美少女に、男女問わず歓声が飛ぶ。
いつも一緒にいるルフェとジノでさえ、その現実離れした美しさにため息が出そうな程だ。
「うわー。マリーちゃん、超可愛いじゃん!」
「サジ先輩。レオンも。」
「雑誌のモデルより全然可愛いじゃねぇの。」
横に並んだサジとレオンも、舞台に立つマリーを注視する。
恥じらいながらも賢明に手を振る姿は、誰よりも愛らしく、格別に可愛らしかった。
「これは優勝決まりだなー。マリーちゃんが出場するって知ってたら、もっと早く駆けつけたのによぉ。」
「臨時出場だよ。半ば強制的に出場させられたの。私たちも今ビックリしてるとこ。」
「そうなの?」
ミスコン出場者が集合し、舞台上で一列に並ぶ。
どの出場者も煌びやかな格好を身に纏っており、会場が一気に華やかになる。此処が元男子校だと忘れてしまうぐらい。
司会がもったいつけて優勝者の発表をする。
全ての照明が落とされ、ドラムロールが響く。注目の瞬間に、会場が息をのみ静かになる。
再びスポットライトを浴びたのは、やはりマリーだった。
紙吹雪が舞い、割れんばかりの歓声を浴びてマリーがミスコンのグランプリに輝いた。
遠くからでも、何が起きたかよくわかってないマリーが、困惑した表情で冠を頭に乗せてもらう。
「レオン!写真撮って、写真!」
「はいはい。」
ルフェにせがまれ、背が高いレオンがルフェの携帯で、群衆が映らぬようにマリーを写真に収める。
司会がミスコンの閉会を告げ、出場者達が舞台袖に捌けていく。
メインアリーナの照明が明るくなったが、またすぐに落とされ、スポットライトが1つ、舞台を照らした。
次の出し物まで時間があったはずなのに、とミスコンの余韻に浸りたかった生徒達から困惑の声があちらこちらで上がる。
舞台上に立っていたのは、生徒会会長のベルクだった。
何故か絵本に出てくる王子様のような仮装をしており、
今し方ミスコンの司会をしていた男性から無理矢理マイクを奪い取って話し出す。
「我がクロノス学園が共学校になったことを記念して始まったミスコンクール、いかがだったかな?
さすがフルール地方の豪族、ヴェルディエ家のご令嬢。実に美しかった。
さて。せっかく集まってくれた諸君らのために、ここらで1つ、余興をご覧いただこう。」
会長がパチンと指を鳴らすと、レオンとサジにスポットライトが当たった。
ルフェがライトに入らぬように、レオンがそっと彼女の肩を押してライトの外側へ押しやった。
「主席であり由緒正しきコルネリウス家の嫡男、レオン・フォン・コルネリウス。
そしてその取り巻き・・・フフ、金魚のウンとでも言った方がいいかね?サジ・オルヴァルト。
舞台に上がってきたまえ。」
なんで俺が、と不満そうに漏らしたレオンの腕を引いてサジが人混みをかき分けて舞台へ向かっていく。
困惑してるレオンを連れて、舞台に上がりサジが会長ベルクと睨み合った。
してやったり顔のベルクはニヤリと笑ってマイクで続きを話し出す。
「ルールは簡単だ。ランウェイを含めこの舞台から落ちたら失格。もちろん、見ていてくれる生徒達に怪我をさせたら罰則だ。
クロノス学園主席であるにも関わらず怠惰と惰性で自ら風紀を乱した罪、
このクリスティアーノ・フォン・デル・ベルクが成敗してやる。
生徒諸君にも見せてあげようではないか、本当の実力とやらを。」
自分の真後ろに向かって弧を描くようにマイクを投げ捨てたベルクは
マスクに乗らないよう2人だけに告げた。
「次に開幕する演劇の主役であるボクを、せいぜい輝かせてくれたまえ。」
スポットライトが増え舞台全体を照らし、戦闘っぽいBGMが流れ出した。
これはあくまで幕間で行われる余興である。そういう演出をしたのだろう。
生徒は生徒会の催し物だと勘違いを始め、勘違いはあっという間にアリーナに広がり
スポーツ観戦でもする呑気さでそれぞれの応援をし始めた。
だが、2人を睨むベルクの目は本気だった。
「おいサジー。面倒くさいことに巻き込むなよー。」
「金魚のウン扱いされて黙っていられないでしょー。大体、ウチの金魚は綺麗だし可愛い。」
「いや関係ないだろ・・・。」
「お前も、ここらで発散しときなよ。せっかくの祭りだ。楽しまなきゃ損ってな、ジパンでも言うぜ?」
「祭り好きはジパンの血かー?」
2対1。実力差は目に見えているのに、自信満々な笑みを浮かべるベルクに一応警戒する。
ベルクはいきなり、大がかりな魔法陣を足下に出現させた。
現われたのは、馬にまたがった鎧騎士だった。全身を銀の鎧で覆い、円錐状のランスを手に握っている。
マナで作った創作物による疑似召喚なのだろうが、あまりに精度が高いので、ベルク自身が作った可能性は低そうだ。
「レオンもなんかかっこいい召喚生物だしてよ。」
「この場で呼べそうなのいねぇよ・・・。他の生徒も巻き込んじまう。」
「向こうはそんなのお構いなしじゃない?怪我人出しても、俺らのせいにされそう。」
「じゃあたまにはお前がやれ。祭りなんだろ?」
レオンに言われ、サジもニヤリと口元を歪めると、手の平を上にして両手を重ねる。
赤い魔法陣が出現し、やや加速して回転を始める。
「見せてやろうじゃないか!ジパンのオーガ、酒呑童子!」
現われたのは、体長2m半はあろうかというオーガ、ジパン国でいうところに、鬼であった。
人の形に似ているが、髪は赤く燃え、肌は浅黒く、口元には牙が見え、頭に二本の角が生えている。
アリーナの天井に届きそうなほど大きく見える鬼の召喚に、割れんばかりの歓声があがる。
ちなみにサジの酒呑童子も、本物の召喚生物ではなく、マナで作った虚像、創作物だ。
といっても作りは一流で、本物の生物と見間違えるほど精密に作られている。
鎧騎士があぶみで馬の腹を蹴ると、馬が酒呑童子に向かって走り、馬上の騎士はランスを構えた。
酒呑童子が、手にしていた棍棒を振り上げ、騎士の脳天めがけ振り下ろす。
驚いたことに、勝負はその一撃で終わってしまった。
疑似召喚同士の戦いなので舞台に傷は付いていないが、鎧騎士は強制帰還となり、ベルクの魔法陣が消えた。
サジが腕組みをして、得意げに笑い出した。
「こいつを倒したかったら、ライコーさん呼んできな!」
ノリノリな姿はもはや悪人のようだったが、周りに居た男子生徒は酒呑童子の迫力に喜んで野太い歓声を挙げ、
ついでに両腕も高く掲げた。
まるでプロレス観戦でも始まったかのような、男子生徒特有のノリを後ろの方で観戦していたルフェはため息をついたが
遠くでもわかるぐらい、サジが楽しそうだったのでまだ舞台を見守ることにして、また写真を取った。
笑みを引っ込めサジを睨み付けるベルクは、再び魔法陣を展開し、次の生物を召喚した。
体はニワトリ、竜のような翼を持ち、尾は蛇。美しい黄色の羽毛を持った魔法生物、コカトリスだ。
酒呑童子に見劣りしない大きさで、尾を含めれば全長3m以上ありそうだった。
巨大生物同士のバトルに観客はさらに盛り上がる中、サジとレオンだけは表情を引きつらせた。
「まさかの本物かよ!」
「本当に周りの被害考えてないなアイツ。レオン、俺遊ぶから露払いよろしく。お前の活躍奪ってやろうじゃないか。」
「へいへい。」
レオンが舞台の縁に防壁を展開する。
観客の視界を奪わないように最低限薄くしてクリアに見せている壁なので、簡単な衝撃で割れてしまう。
何かあったら対処できるようアセットだけは構えておく。
ベルクが指示を出すと、コカトリスが膨らんだ体を後ろに引いて力を込め始める。
くちばしの奥が光ったかと思えば、紫の閃光を吐いた。
酒呑童子は盾などを持っていない上に動きが遅いので、腕で攻撃を防ぐ。
閃光を浴びた右腕が、ドロドロと溶け始めた。
コカトリスは吐息に猛毒を持っているという記述は正しかったようだ。
サジが折り紙を何枚も出現させ1つにまとめ大きな紙を作り上げると、酒呑童子の腕に巻き付けた。
治癒魔法を唱え、応急処置を施す。
生物にしろ植物にしろ、召喚した物体は壊れると元に戻らない。
一度リセットして再び呼び出せば元通りだが、再召喚には大量のマナが必要だし、
契約によっては再召喚まで時間が必要なものもある。
酒呑童子はジパンでは最強に属するヨーカイだ。こちらでいう魔物に近い魂なので、
自分で創作したとはいえ、精密に作ってあるため簡単に呼び出せない。
コカトリスが再び咆哮しようとする動きがあったので、酒呑童子に命じて先手を取ることにした。
棍棒を横に構え、ニワトリの首を狙って打ち込む。
重い一撃にニワトリの鳴き声が漏れたが、細い足で踏ん張ったコカトリスが、身を翻して長い尾を鞭のように打ち付ける。
酒呑童子は蛇の尾を避けることはせず、手で掴んでしまうと、そのままフルスイングで客席に向かって投げつけた。
見えない壁に一度当たったが、耐久力がない壁はあっさり壊れ、生徒の頭上にコカトリスが降る。
ランウェイまで走るレオンが、慌てて客席の頭上に防壁を張り直撃を防ぐ。
レオンがサジに文句を言ったが、サジは全く聞いてないようで、酒呑童子が高く飛んだ。
「ふざけんなサジー!!!」
棍棒を下に向け真上からコカトリスの腹部へ覆い被さりながら直角に打ち付ける。
キュエー!という不思議な悲鳴を漏らして、コカトリスは内側から弾けるように具現化を解かた。
レオンは歯を食いしばりながら防壁を分厚くして酒呑童子の重みに耐える。
再び、キュエー!という悲鳴が聞こえたが、コカトリスはもう居ない。
舞台に目を戻すと、サジが拳を会長ベルクの頬に打ち込んでいた。
ベルクの体は虚空を描き簡単に舞台の外に落ちていった。
巨大生物同士のバトルと、会長をあっさり倒してしまったサジに歓声が振った。
酒呑童子の具現化は解かれ、レオンは防壁を解除して深く息を吐いた。
サジが観客に手を振りながらランウェイを歩き、レオンと並んだ。
ライトは2人を照らし続ける。
「まったく、無茶しやがって・・・。楽しかったか?」
「おうよ!スッキリした!」
「いい笑顔してくれちゃって。」
呆れたように腰に手を当てたレオンだが、その顔は笑っていた。
これもまだパフォーマンスだと信じている観客に、2人は手を振って舞台から降りた。
「おい待てよ・・・。」
2人を呼び止める声がして、振り返る。
白地の綺麗な衣装が汚れ、肩の飾りは取れてしまった王子の衣装を脱ぎ捨てながら、ベルクが立ち上がろうとしていた。
照明が元に戻り、アリーナ全体が明るくなる。
スポットライトすら無くなった群衆の中で、ベルクが顔を上げた。
「よくもボクに恥をかかせたな・・・!」
「お前が始めたんだろうー?巻き込まれたのはコッチ。」
「いつもいつもいつも、お前らはそうやってボクをコケにして楽しんでやがる・・・。」
「お、おいベルク。大丈夫か?」
様子がおかしいことに気づいたレオンが声を掛けるも、ベルクには届いてないようだった。
彼の体から紫がかった黒いオーラが巻き上がり始めた。
周りにいた生徒も異変に気づいたのだろう。その場から離れベルクの周りに人が居なくなる。
「許さない・・・絶対許さないからなコルネリウス!!!」
「やったの俺じゃないだろ!?」
「ボクを侮辱したやつなんて、踏み潰してくれる!」
ドドドっという轟音が響き、魔法陣無しでベルクの周りに全長3mはあるペンギンが何体も現われた。
丸っこいフォルムに可愛らしいデフォルメされた顔。目は三角だが、どこぞのマスコットのような見た目をしている。
さきほどのコカトリスに比べて大分迫力負けした召喚にその場に居た全員動きを止めてしまった。
迫力も凄みも無いペンギンたちが、頭を低くしてサジ達に向かって走り出した。
短い足だが大きさがあるせいか、ものすごい迫力で突進する巨大ペンギンに、
大きなお腹にぶつかって転んだり吹っ飛ばされる生徒たち。
悲鳴が上がりアリーナ内が混乱の渦に巻き込まれ全員逃げ惑い始める。
サジとレオンも走りだし、やや後方にいたルフェとジノに向かって叫ぶ。
「逃げるぞお前ら!」
「私たち関係ないじゃない?!巻き込まないでよ!」
「いいから行くぞー!」
レオンが観客として観覧していたルフェの手を取り走り出し、ジノも慌てて後に続く。
武道館を出ると、後ろでバリバリという破壊音がして振り向いた。
武道館の入り口をペンギン軍団がぶち抜いている。
細かい瓦礫が振ってきて、生徒達が頭を守りながら走っている。
「ブロール宣言中じゃないのに建物ぶっ壊したぞアイツ!」
「理性も何もないな!」
「ジノ知将ー、どうするー?」
「ぼ、僕ですか!?」
急に振られてビックリしたジノだが、冷静に周りを観察して、いったん校舎内に逃げる事を提案した。
相手は巨体だ。狭い校舎で動きずらいだろうし、さすがの会長も校舎内を壊してまでゴリ押ししてこないだろうと予測する。
本校舎A棟に入り、すぐ階段を駆け上がり3階まで一気に進む。
ジノの予想は外れ、悲鳴が聞こえてきた。
3階の廊下を覗くと、向こうの廊下からペンギン軍団が羽を広げて走り迫ってきていた。
廊下いっぱいにブヨブヨした水色の体が詰まっており、なかなかの光景だった。
廊下に出ていた生徒や一般客は悲鳴を上げて教室内に逃げていく。
天井や壁に付けられた装飾は巻き込まれ、窓ガラスは羽に当たって割れていく。
「見境なしかよ!」
「下に戻るぞー!」
登ってきた階段を今度は駆け下りる。
ペンギンはすぐ後ろにまで迫っており、階段を飛ばし飛ばし降りていく。
踊り場の窓ガラスも割られていく音がして、出会う生徒が次々悲鳴を上げて逃げ回る。
ふと、サジが笑いながら走っているのに気づいた。
「頭のネジ外れたかお前!!」
「アッハッハッハ!クロノス学園にいるなーって実感しただけだよ!」
サジの横顔は本当に楽しそうだった。
ペンギンから逃げ惑うこの光景も、言われればずいぶん面白い場面だと気づくと、レオンも笑い出した。
「確かに!騒がしくて野蛮で、バカ騒ぎできるのが此処のいいところだったな!」
「ブロール中じゃないから、被害はそのままですよ!?」
「もう!2人のバカ―!」
「サジ、俺とお前で分断しようぜ!ルフェとジノ、外に逃げろ!」
後輩達を1階で外に逃がし、レオン達は左右に分かれた。
ペンギンたちも二手に分かれ、ちょうど半分がサジの後ろを付いてきた。
廊下を抜け、反対側の階段を再び登り始める。
折り紙の小さな鳥を無限に作り、一匹の巨大な鳥にすると高低差を利用して、上からペンギンに体当たりをさせた。
マナを込めた鳥が腹部に刺さると、ペンギンは風船のように弾けて消えた。
2体は片付けたが、残り3体のペンギンが折り紙の鳥をくちばしでくわえると、引きちぎって吐き捨ててしまった。
4階まで登り、C棟への渡り廊下に出る。
広い場所に出た途端、ペンギンが走るの止めてくちばしを突き出して飛びかかってきた。
空気抵抗を最小限に抑えた突きの攻撃が背中に迫る。
どう避けようかと考えていたら、すぐ背後に迫ったペンギンたちが全て弾けて、色とりどりの紙吹雪となって舞った。
サプライズと勘違いした、渡り廊下の下に居る出店ゾーンにいた生徒が歓声を上げる。
足を止め、乱れた息を整えサジが周りを見る。
渡り廊下で縁に寄りかかっていたのは、タテワキだった。
白衣は着ていなかったが、いつもの黒縁眼鏡を掛け、杖をしまっているところだった。
「トーマ兄ちゃん!」
少年のような顔になったサジが、嬉しそうにタテワキに駆け寄って横に並んだ。
「学校ではそう呼ぶなって言ったろ。」
「いいじゃん。祭りなんだから。」
「祭りの場ならすべて良しっていうのはジパンの悪いところだぞ。」
話ながら、タテワキは指先を動かしている。
校舎を見ると、ペンギン軍団に割られたはずのガラスが元に戻っていくのが見えた。
きっと、校舎内の破壊箇所や装飾も直しているのだろう。
「非番だから飯食って寝ようとしてたのに、強制出勤でさんざんだよ。
お前が暴れて生徒会長煽るからだぞ。召喚に乗らないでさっさと気絶させとけば良かったのに。」
「見ててくれたの!?」
「たまたま通りかかったんだよ。ルフェの様子見にな。・・・・まあ、酒呑童子は見事だったな」
「ヨミばあちゃんの絵巻物で見た酒呑童子を真似てみたんだ~。細部のクオリティまでこだわったんだよー。」
サジとタテワキの祖父母が兄妹のため、当人達はいとこ同士にあたる。
最低でも年に一度は、親戚がジパンに集まっていたため、サジは幼い頃からよくタテワキに遊んでもらっていた。
「シゲじいちゃん元気?」
「元気なんじゃない?俺も最近会ってない。」
「トーマ兄ちゃん、急に一族抜けたと思ったら、此処に先生として現われるんだもん。驚いたよ。」
急に姓をタテワキにした時も、高位魔導師になったときも、いつも外野から噂として聞いていた。
気がつけば、手の届かない場所までいってしまった従兄弟は、誇らしくもあり、内心寂しくもあった。。
手すりに身を任せながら、折り紙で手悪さする。
サジにこの折り紙遊びを教えたのは、何を隠そうタテワキ自身だ。
人見知りで人と交わるのが苦手だった幼少期に、タテワキはよく遊んでくれた。
操作系魔法が幼い頃から得意だったサジにとって、折り紙は彼のアイデンティティとなっている。
「ずいぶん楽しそうだったじゃないか。いつもは暴走する主席に振り回されてたのは―
・・・いや、そうでもないか。お前もやんちゃしてたな。」
「アハハ。一度ベルクの奴を黙らせたかったんだ。いい見せしめになったんじゃない?
でもあのペンギンは楽しかったなー。あいつも意外とおもしろい奴なのかも。」
「生徒は気楽でいいねー・・・。」
「最後に、レオンとバカ騒ぎしたかったけど、俺1人で楽しんじゃったよ。」
「最後?」
「わかってるくせにー。」
手悪さしていた小さな折り紙の鳥を空へ放つ。
風に吹かれて、彼のマナが届かぬ場所へ飛んでいく。本当に翼を持って、意思があるまま飛び立っているかのようだ。
「レオンと初めて会ったとき、兄ちゃんと似てるなと思ったんだ。
誰よりも力も能力もあるのに、いつも寂しそうで、ふらっとどこかへ消えてなくなりそうな雰囲気だった。
実際家の名前が重荷となってて1人だった。歳も大分上だしね。
だから声を掛けた。実際、レオンといると退屈しなかったなー。
大人のくせに誰よりも子供で、イタズラばっかりで。さっきのペンギンなんて可愛いもんさ。」
「その辺りは学園長に色々聞いたぞ。お前の家の血筋はどうなってるって。」
「なんて答えたの?」
「ジパンの血じゃないですか、ってすっとぼけた。」
ケラケラと軽快に笑うものの、すぐ笑顔を引っ込める。
「皆俺を置いてどこか言っちゃうんだ。」
「たまにはお前が追いかけて来いよ。」
「・・・え?」
「お前は、昔から、周りが構ってくれないとひとりぼっちになりたがるひねくれ者だったからなー。
よくじぃさん家の庭の隅で膝抱えてべそ掻いてたろ。
たまには膝抱えていじけてないで、自分からこっち側に走ってこい。俺はいつでも待っててやる。」
力の抜けた笑みを浮かべながら、タテワキがサジの頭を撫でた。
「それに、この学園に来た意味、あったんだろ?」
頭をよぎる思い出の数々。
そのほとんどが、レオンと悪ふざけをした楽しいキラキラした毎日。
お互い、外の世界にはうんざりした者同士だった。
周りの大人に自由を奪われ、心を殺され、未来さえ好きに出来ない。
だから山奥にある全寮制のクロノス学園へ逃げてきた。
卒業するなら、一緒に卒業して、外の世界に戻ってもバカ騒ぎやろうと約束をした。
ここ半年は、後輩達も混ざっていつも楽しく、穏やかだった。
惰性しかない退屈な日々を彩ってくれたのは、他の誰でもない、友人達だった。
さて、とタテワキが手すりから離れた。
「じゃ、俺は仕事終わったし帰るわ。」
「・・・待って待って!一緒に祭り回ろうよ!昔みたいにさ。」
「俺は出店で飯食って寝るんだよ。またにはゆっくりさせろ。」
「いいじゃん!俺とデートしてよぉ。ルフェちゃんばっか相手してさー。あ、そういえば下におにぎり屋あったよ?」
「お。米いいな。」
「レッツゴー!」
「・・・わかったから離れろ、くっつくな。お前もう18だろ?」
「もうすぐ19歳ですー。」
どうせ兄ちゃんももうすぐ居なくなるんだから―。
その言葉は音には乗せず、出店ゾーンへ足を進めた。
*
レオンとサジのおかげでペンギン軍団から逃れたルフェとジノは、テラス付近を歩いていた。
一度武道館に戻り、マリーを迎えに行ったのだが、
ミスコングランプリ覇者は校内を回って生徒達を労うという仕事があるらしく、行き違いになってしまった。
「なんだか、マリーが遠くの人になっちゃった感じ。」
「ミスコングランプリなんて、凄いよね。でも貴族のご令嬢だけあって、華やかな場が似合ってた。」
「地味な私達とは違うわね。」
「一緒に地味と言ってくれてありがとう。マリーは当分解放されなさそうだし、どうする?」
「うーん・・・。置いていったら怒りそうだけど、せっかくだし回りながらマリー探すのもいいかもね。ジノ、見たいところとかある?」
「僕は特に―、あ。」
ジノが低い声を漏らした。
彼の視線の先に、両手に荷物を抱えたリヒトがいた。
ビニール袋を3つ下げ、屋台でゲットしたであろう幼児向けおもちゃを抱え、口にフランクフルトをくわえている。
次席の見たこともない姿に周りの生徒はかなり驚いているが、本人はまったく気にしていない様子だ。
ジノが慌てて駆け寄った。
「リヒトさん!何してるんですか!」
「むぐ・・。ジノか。見ろ。妹達へのお土産が大量に手に入ったぞ。」
「その袋は?」
「夜食。」
「皆の憧れである次席の食いしん坊な姿見せてどうするんですかぁ!ガーディアンの顔なんですよ貴方。」
「関係ないだろ。」
「あります!」
ジノは、リヒトが腕に下げてる袋とおもちゃを全部ぶんどって、代わりに抱えだした。
まるで心配性の母親のようだ。
申し訳なさそうな顔で、ルフェを振り返る。
「ごめんルフェ。リヒトさん暴走しかけてるから、ちょっと付いていくね。」
「なら私、1人でフラフラ見回ってみるよ。マリーとも合流頑張ってみる。」
「1人にさせて本当にごめんよ。夜の打ち上げは一緒に見よう。」
「俺に構わず、ルフェといればいいだろ。暴走してないし。」
「この量見て下さいよ!って、どこ行こうとしてるんです!?」
小言をいうジノを無視して、学園テラスの前にあるカップケーキ店へ足を向け出したリヒト。
偶然ジノが通りかかってよかったのかもしれない。
ルフェはポケットに入れたままだったパンフレットを開いた。
午後に入り、校舎奥にある競技場で行われる演目が続いている。
時間つぶしに見学しにいくのも良いかもしれない。
ふと、パンフレットの端に載っている写真に目がとまった。
パンフレットをしまい直し、特別教室棟の方へ足を向けた。
生徒や企業の催し物は本校舎に集中しているので、特別教室棟内は静かだった。
ゆっくりとした足取りで4階まで上がり、廊下の端にある占星学科室の中に入った。
教室の中は藍色の布で全面覆われ、立体的な星形の照明がいくつもプカプカと浮いていた。
天井と壁には小さな星達がちりばめられ、ちゃんと星座を形作っている。
占星術の部活によるただの展示のようで、中に人はいなかった。
此処なら静かに過ごせる、とルフェは肩の力を抜いて教室の奥へと足を進める。
床も天井も全て布張り、外の音もほとんど聞こえない。
手作りのプラネタリウムを独り占めできて、ルフェは気分が軽くなった。
顔の近くにある星飾りを指で突くと、ゆっくりと天井に浮かんでいく。
多少マナによる仕掛けがあるようだ。
また別の星飾りに手をかざし、今度は引き寄せてみる。
差し出した手の平の上に飾りが落ちてきて、肌には触れずにプカプカ浮かぶ。
弱いが暖かい明かりの向こう側、星飾りを挟んだだけの距離に、女の人が立っていた。
自分1人しかいないと思って気を抜いていたので、本当にビックリしてしまった。
女の人も同じだったようで、ルフェに気づいて一歩こちらに近づいてきた。
星飾りを挟んで向かい合う女の人は、弱い明かりでもわかるぐらい美しい人だった。
真っ直ぐと背中に流れる長い黒髪、整った顔。
どこか憂鬱そうな雰囲気がまた、ミステリアスな美女を演出しており、白い肌だけが暗い教室で目立っている。
世間離れしたその美しさに、目が離せなくなってしまった。
何か言葉を放つべきか迷っていると、女性の方から声を掛けてくれた。
「星が何で出来ているか、知っていますか。」
女性は静かで、落ち着いた声で言った。
低くも無く、高くもない心地の良い響きだと思った。
ルフェは何故か声が出せず、首を横に降る。
「ガスが反応を起こして、燃えているんだそうです。爆発が表面をおおって、光っているように見えるんだそうです。
星は、途方も無い宇宙の向こうで燃えていて、とてもとても、遠い場所にあるのだとか。
私達が見ている光は、ずっと昔の、過去の光を見ているにすぎないと聞きました。」
不思議ですね、と問いかけられ頷くことしか出来ない。
正直、女性の話は理解出来なかった。
星がどんな姿をして、宇宙がどういった存在なのかルフェは知らないし、それほど興味は無い。
星の姿の真意より、もっと女性の声を、話を聞いていたいという欲求が生まれていた。
「星空は好きです。あの瞬きが、自分はひとりぼっちでは無いと言ってくれてるような気がするのです。」
「それは・・・なんとなく、わかります。」
昔、孤児院で見た星空は本当に美しかったという記憶がある。
数えきれぬ星々の瞬き、息吹は、夜に包まれるという錯覚を与えてくれた。
ルフェが、手の上で浮かぶ星飾りをそっと弾く。
星座を形作る1つだったようで、元の位置に戻っていった。
「此処は、山の上なので星が綺麗です。普段は真夜中でも照明が灯ってたのですが
夏休み中は、全ての明かりが消えたので、天の川が見えました。」
「そうですか。」
女性が左腕を軽く持ち上げた。
そこで、女性が黒いドレスのような服を纏っていると気づいた。
ひだのようになった袖が音を立て、女性の指の動きに合わせ星飾り達が踊り出す。
星座を形作っていた星も、照明の大きめな星も、小さな粒達も、ぐるぐると部屋の中を回る。
暖かな明かりがルフェと女性の周りに集中する。
あの日見た、天の川の中に迷い込んだような、不思議な感覚だ。
本当に天の川の中に入ったら、こんなふうに光りに包まれて、ぼんやりと明るくなるのだろうか。
星飾り達が2人の周りに集まり、黄色いに近いオレンジの明かりに下から照らされ、この世界に2人しかいないような錯覚に襲われる。
今、私は宇宙の中にいる―?
先ほどから、ルフェは何かを思い出しかけていた。
でも、輪郭すら掴めずもどかしい。
女性がまた一歩ルフェに近づいた。
手を伸ばせば届く距離にまで迫った、この世のものとは思えぬ程の、美しい人。
その黒い瞳の中も、星空が広がっていた。
女神様みたい。
ルフェは自然とそんなことを思った。
「流れ星を知っていますか。あれが消える前に、願い事を言うと叶うそうです。
昔、私は願い事を唱えましたが、叶えてはくれませんでした。
当然です。燃えるガスに、願いを叶える力が無いと、後で理解しました。」
「流れ星は、小さな石だそうです。宇宙をさまよってきた星の欠片で、この惑星に落ちてきたけど、
地面に辿り着く前に、大気に触れて燃えて消えるそうです。その燃える姿が、流れ星だと聞きました。」
「燃えているのには変わらないのですね。」
「はい。」
「おかしいですね。」
女性は、綺麗に笑った。
本当に、綺麗だった。
不純物が何も無い、純粋な美。子供のような無邪気さや無垢な心も見え隠れする。
星の輝きのように、静かで、精錬された微笑み。
心の全てが奪われる。
魅了されて、目が離せなくなる。
ルフェは、その笑顔を見て、懐かしいと思った。
なぜ?
「星もまた、儚い存在なのですね。いづれ消えるとわかっていてもー・・・。いえ、知っているからこそ、美しいのかもしれません。」
女性が手を伸ばしてきた。
ルフェの頬に、恐る恐る触れ、壊れないようにそっと指を添える。
「本当に、流れ星のようにあっという間でした。まぶしくて、綺麗だったのです。
あの瞬間を閉じ込めていられたら良かったのに。」
「流れ星は輝き続けますよ。全て燃え尽きてしまう、その瞬間まで。」
「貴方の願いを、聞かせてくれませんか。」
「私の願いは・・・。」
それは数年前の自分には無かった答え。
持つことすら許されなかった願い。
でも今は、確かにある我が儘。
「大切な人達を守ってから、燃え尽きたいんです。」
女性がまた微笑んだ。
声には出さなかったが、わかりました、とそう言われた気がした。
今度の笑みは、どこか悲しげで、切なそうであった。
ルフェの顔に添えられていた手が引っ込み、周りに集まっていた星飾り達がぐるぐると回転して元の位置に戻った。
光が分散したことで薄暗い室内に戻った教室に、あの女性は居なかった。
ルフェが特別教室棟を出て、目的も無くふらふらと林を抜け池の畔に辿り着くと
木製テーブルとセットになった椅子に、グランが腰掛けていた。
秋の夜は早く、山の向こうはもう暗くなり始め、最後のあがきを見せる夕焼けが池をオレンジに染めキラキラと水面を照らしていた。
ルフェは、グランの向かいにそっと腰掛けた。
グランはルフェを見ても、驚いたり怯えたりせず、穏やかな顔を向けてくる。
まるで、アテナ女学院で会ったあの時の、ただ純粋に本について語りあった時間に戻ったようだった。
「1人?」
「うん。」
「文化祭、楽しんだ?」
「十分楽しんだ。この後も、まだまだ盛り上がるんでしょ?」
「ああ。ここからが本番かな。一般客は帰るから、生徒だけのお祭り。」
「グランも行く?」
「そうだね。騒がしいのは嫌いだけど、あの独特の雰囲気は好きかな。まるで魔法に掛かったみたいに、皆浮かれて騒ぐんだ。」
グランが、正方形の包みを差し出してきた。
ルフェは素直に受け取って、綺麗にラッピングされたそれをほどくと、中から綺麗なハンカチが出て来た。
「夏休みの始めに、ハンカチ貸してもらって、血で汚しちゃっただろ?ずっとお返ししたかったんだ。」
「ありがとう、グラン。大切にするわ。」
うん、と満足そうに微笑んだグランは、池の方に顔を戻した。
この池の周りだけ、時間がゆっくりと流れている気がする。
文化祭の喧噪も、世間の動きも、何もかも気にせず
ただ自然がそこに存在している。
一匹の白い蝶が、ルフェの前を飛んでいた。
そう急かさないで欲しい。
私は今、目に焼き付けているのだから。
「打ち上げの前に、少し食べていかない?お昼前に食べただけだから、お腹すいちゃった。」
「いいね。」
2人は立ち上がって、池に背を向け文化祭の喧噪に戻っていく。
山の向こうに太陽は消えていき、夜のとばりが迫り出す。
気が早い一番星が顔を出し、やがて水面に星空が映り込む。
その日を最後に、ルフェは学園を去った。