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❀ 3-6

 

時は8月始めに遡る。

 

 

世界を統率し全ての魔法使いを統べる魔法院。
その中心核を担うのは、魔法議会と呼ばれる法を司る最高機関。
議会で決定された事が世界の全てを左右する。
両院制をとってはいるが、実際、発言力が強いのは7人の賢者で構成された元老院と呼ばれる上院だ。
下院は、世論や若い世代の魔法使いからの不満をため込まないように代議員を設立したに過ぎない。、
世界を牛耳り現在の形を成したのは、強欲と傲慢を振りかざす年寄り共。
今は空席となっている上院席を睨み付けながら、若い代議員の1人であるライアン・フォン・コルネリウスは議員席を立ち上がった。
青い絨毯が敷き詰められた議会ホールを杖をつきながら歩き、守衛がドアを開け廊下に出た。
本日の議会はとっくに終了しているので、普段は談笑で賑わっている廊下内も静かであった。
派手な調度品が並び、過度な装飾が成された通路。
自身も貴族であるライアンであったが、見栄と金に物を言わせたこの議事堂には嫌気が差す。
貴族筆頭であるコルネリウス家のライアンが議員をやっているのも、腐った政治を正すという
気高い心意気を持っての行動だった。
だが腐った根は広く深い。あるべき正しい姿にするのも時間が掛かりそうであった。
中央にある大理石で出来たメインホールを歩く。
杖と靴裏がカツカツと甲高い音を立て反響する。
と、脇の扉が勢いよく開き、ライアンの秘書が慌てた様子で走り寄ってきた。


「ライアン様、大事でございます!」

 


秘書が乱れた息のまま主人に耳打ちをする。
話を聞いたライアンはひどく驚いた顔をし目を見開いて、ホールを早足で抜けてゆく。
別の廊下の先にある階段を降り、通行証がないと通れないゲートを抜けてから、怒鳴るように秘書を問い詰める。

 


「どういうことだ!?魔女だと?」
「オークウッド様の私有地での合宿中、魔女が現われたと魔法騎士団のゴッツ様よりコルネリウス家へ内密の通信がございました。」
「間違いではないのか。」
「現場に居たオークウッド様も確かに魔女だったと証言していらっしゃるそうです。」
「地下裁判場への緊急招集もその件か。」
「おそらく。」


険しい顔を向けてきたライアンに秘書は肩をすくめるしか出来ない。
長い長い階段を降り続け、現われた木製の扉を抜ける。
岩をくり抜いた巨大な空洞に、一本の廊下が伸びており、その先に小さな城が建っていた。
此処は、魔法院の地下深くに作られた秘密の空間だ。
表では裁けない大罪人や、内輪で起きた犯罪を世間にバレぬよう裁く為に作られた地下裁判場。
元老院と、選ばれた代議員達、一部の貴族達しかその存在を知らず、選ばれた者以外は入ることは許されない。
コルネリウス家のライアンはその資格を与えられており、最終投票権を持ってはいるが、発言権は与えられていなかった。
一本しかない長い廊下を渡りきり、秘書が両開きの重たい扉を開く。
議事堂と違い赤い絨毯が敷き詰められた薄暗い城内を、階段でさらに下に降り、廊下の脇にある縦に長い扉を開ける。
秘書はお辞儀をして、そこで別れた。ここから先は付き添い人すら入れない。
騒然とした空気と怒号が体に当たる錯覚。熱量のある重たい空気に裁判場はすでに満たされていた。
その裁判場は、片側に寄せて法廷があり、2・3階部分に傍聴席と議員席が法廷を半円で囲むように設置されている。
法廷場だけが照明で闇へ逃げられぬよう明るく照らされ、傍聴人は濃い影に身を隠すことが出来る。
無責任で強気な野次で居られるというわけだ。
ライアンは3階の裁判官席の右ななめ後方で腰を下ろした。
法廷の正面扉が開かれた。
法廷警備員に連れられてきたのは、縄で縛られた少女だった。
無理矢理歩かされ押し込まれ、乱暴に扱われたことでそのまま床に転んでしまった。
ノースリーブに、短パンというラフな格好をした若人が、この裁判場にいることすら異常に見えた。
この場に連れてこられるのは、大罪人か、魔法議会に楯突いた離反人しかいないはずだ。
そして、裁判官の1人が読み上げた内容に、出席した全員が動揺の声を出した。


「13年前に起きた、シャフレットの大惨事。
住民全員は遺体すら発見されず、町は跡形も無く消失した一級災害である。。
原因は未だ不明とされ、ガスの大爆発による災害だったとして院では処理されているが、
犯人は此処にいる、被告人ルフェ・イェーネによるマナの大爆発であったと、この度判明した。」


裁判官は周囲のざわめきを無視して続ける。


「被告人は生まれた時より膨大なマナを持っており、暴発しないよう

高位魔導師の1人であるメデッサ・クローバーがずっと封印を施していた。
が、封印は解け当時5歳だった少女により事は起きてしまった。、
事件後、メデッサ魔導師は少女を匿い、自身が運営する孤児院で保護。その後アテナ女学院で普通の生徒として紛れ込ませる。
院に報告もせず、一般人と共に生活させていた危険性を無視した独断は
再び同じ被害を起こしシャフレットの大惨事以上の被害を出しかねない、非常に無責任な行為であったと推測するものである。
この事実を知った何者かが、昨晩早朝、マナの塊である少女に興味を持ち、あろうことか魔女を自称し
チャールズ・W・オークウッド大魔導師様が開いていた夏合宿を襲った。
この恐るべき事実は、魔法院魔法騎士団の数名が目撃している絶対的な事実だと此処に証言するものとする。」


騒乱の声がピタリと止んだ。
この裁判場で聞くと思ってなかった単語が出て来たからである。
魔女。
遙か昔、人間社会を狙ってきた忌むべき存在であり、魔法院の前身である修道会の騎士団が戦い勝利を収めた原始の存在。
今となっては、おとぎ話に出てくる悪役に過ぎないが、畏怖の対象で忌み嫌われているのには変わりない。
その魔女を語るとは、狂人に過ぎないが、大魔導師オークウッドの私有地を襲ったという点。
大魔導師の私有地となれば当然固有結界で守られており、

未成年魔法使いを招いた合宿中ともあれば、当然結界は張ってあったに違いない。
安易な侵入は不可能のはず。
にも関わらず襲撃出来たとなれば、魔女を語るには十分な実力者である。


「本来であればメデッサ・クローバー魔導師も法廷に呼び尋問を行いたいところであったが
メデッサ魔導師はここ数年魔法院に出入りしておらず、現在音信不通。
オークウッド魔導師の土地への襲撃は緊急事態と判断し、まずは被告人ルフェ・イェーネの審理に入ることとする。」


一般的な裁判と違い、此処に弁護士も検事もいない。
いるのは、魔法院の裁判官だけ。
それも、元老院の息が掛かった――。


「これより質疑に移りますが、被告人。本来の裁判であるはずの黙秘権はここには存在しません。
ここは魔法院が管轄し、特殊事件を扱う場です。
質問に対しては正直に答えること。この法廷で述べたことは全て記録され、虚偽の証言をした場合、偽証罪に問われ
すぐ判決に移る権利がこちらにはあります。
注意して答えてください。まず、名前を述べて下さい。」


縄で縛られ倒れたままだった少女を、脇に控えていた守衛が手荒く立たせてやり証言台の方へ押しやった。
ふらふらとした足取りで立ち上がった少女は、眩いライトを浴びながら恐る恐る顔を上げた。


「ルフェ・イェーネ、です。」
「シャフレットの民、そして文化財にまで指定されていた美しい土地を一瞬で消滅させたのはあなたで事実で違いありませんね。」
「はい・・・間違いありません。」

 


小柄な少女の弱々しい供述に、また傍聴席が騒がしくなる。
ライトを全面に浴びているルフェには、影の中にいるであろう人々の顔も姿もよく見えない。
認識出来るのは降りかかる声と、憎悪や睨み付ける視線は痛いほど感じていた。


「その時の事を詳しく教えて下さい。。」
「あの・・・、よく覚えてないんです。」
「先ほど申しました。偽証は許されません。全てを正直に話しなさい。」
「本当なんです。何か、悲しいという感情は覚えてて、それで、マナを爆発させた感覚はあるんです。
どうして爆発したかは・・・。覚えているのは爆発後の、青い空と、えぐれて何も無くなった地面だけで・・・。」


上に行くほど高くなっている傍聴席から、嘘をつくな!とか大罪人めが!といったヤジが一層強く降ってきた。
最初はか弱い少女相手に戸惑っていた彼らも、怒りをぶつける対象を見つけて喜んでいるのだろう。
本当にシャフレットの事を思って怒っている奴なんでいないだろうに。


「シャフレットの大惨事が起きたとき、あなたはいくつでしたか。」
「5歳です。」
「5歳であれば、記憶もしっかり残っている年齢ですよ。
あんな事件を起こした後となればなおさらです。幼子が起こしたとはいえ、沢山の人命が犠牲になったのです。
子供だったから覚えていません、は通じません。」

 


証言台より高くなっている裁判官席から見下ろされ、ルフェはさらに縮こまった。
今まで、周りからあれは事故で、故意にやったわけじゃないのだから仕方が無いと慰められてきた。
だが、本当の、本来の反応は此処に居る人たちの行動が正解なんだと思うと
現実と自分が犯した罪が重くのしかかってくる。
成長し外の世界を知った今なら、自分が奪ってしまった重さは十分過ぎるほどわかっていた。
押し黙るルフェに、ヤジが降り続ける。
敵意と憎悪の雨に、ルフェは足が震えだした。


「被告人は、生まれた時から膨大なマナを宿しており、ずっとメデッサ魔導師が封印していた。間違いありませんね。」
「はい・・・。物心つく前から、お世話になってました。」
「13年前、シャフレットの大惨事が起きた直後も、メデッサ魔導師が封印を施したそうですね。」
「はい。今度は絶対にマナがもれない強力な封印、と聞きました。」
「その時、貴方の処遇について、何かメデッサ魔導師が言ってましたか?」
「私が聞いたのは・・・、あの後かけつけた大人の人たちによって私は殺される予定だったのですが、マナが巨大過ぎて殺せないから
地下牢で永久封印すると聞いてました。けど、地下牢で軟禁されてだいぶ経った時に、メデッサ先生が牢から出してくれたんです。
あなたはこれから孤児院で一緒に暮らすのって・・・。」
「なるほど。質問を変えます。あなたはチャールズ・W・オークウッド大魔導師の私有地で合宿を行っていましたね。
だが、魔女を自称する魔法使いが現われた。
その女性はあなたに何を言ったのですか。」
「えっと・・・“探しましたよ”とか、“あの方がお待ちです”とかです。」
「あの方、について心当たりは。」
「ありません。」
「その女性魔法使いに見覚えは?」
「ありません。」

 

ふむ、と顎をなでた裁判官は、突然木槌で机を叩いた。

 


「ここで被告人への判決を言い渡します。
シャフレットの民と美しい土地を消した罪は非常に重い。

しかし、まだマナの扱いも知らぬ子供であった点は情状酌量の余地有りと判断。
ただ、被告人のマナが巨大であるのは事前の調査で判明しております。
チャールズ・w・オークウッド大魔導師を襲った魔法使いが再び被告人を狙って襲ってくるとも限らない。
よって、被告人ルフェ・イェーネをこの魔法院の地下牢で、マナが再び爆発しないように永久封印術を施した上で保護します。」

 


傍聴席から戸惑いのざわめきと、怒りの声が同時に沸いた。
最後に裁判官が淡々と求刑の朗読を続けるなか、傍聴席の影に身を潜めるライアンは不機嫌そうに眉をひそめていた。
先ほどから、少女の罪について突くばかりで
オークウッド先生の合宿中に起きた事件とやらを後回しにしている。
しかも、魔女とは言わず“魔女を自称する魔法使い”ときたもんだ。
とことん自分たちに不利な話は持ち込まないらしい。
同僚の1人が隣にやって来た。

 


「可哀想に。あの女の子、生け贄だな。」


ライアンも、隣にやって来た同僚も、魔女についての真実を知る由緒正しき貴族の生まれだ。
魔女が守る聖なる土地を侵し、魔女を怒らせた末、温情で許してもらったという魔法院の汚点を
此処にいるほとんどの議員は知らないでいる。
魔女は歴史的に滅ぼされたと認識され、かつて存在した悪しき存在は
今や子供を寝かしつける教材にしか存在していない。
逆を言えば、今世代の若者には魔女に対する刷り込みが完成されていると言える。
魔女が存在していて、また人間が襲われるかもしれない事実からいったん目を背け
全てをあの少女に押しつけるつもりなのだろう。


「いくら何でも、事態が大きすぎて生け贄1人では収まらんだろ。
どこかで魔女の存在を魔法院が正式に肯定しなくてはなるまい。
大体、もう何十年の前の事件で裁いてどうになる。未成年魔法使いは表に名前を出せない。」
「あの子のバックにいる大物をひきづり出して、魔女対策の席に着かせたいんじゃない?
じぃさま達は、とにかく責任取るのを嫌がるからな。」
「余計、今になって少女を裁いて永久封印する意味が――」


バンっ!と証言台の後ろの扉が開かれた。
薄暗い裁判場に廊下の眩い明かりが入り込み、逆光に立って2人の人物が裁判場にやってきた。
扉を開けたのは、白いスカートスーツに身を包んだ茶髪の女性で、
すぐ後ろに黒髪の凜々しい女性が従っていた。
突然現われた女性2人に、ライアンの同僚が嘘だろ、と悲鳴に近い声を上げた。

 


「グレン親子だ!」

 


彼女たちを知ってる傍聴人達が揃ってざわめきだした。
ライアンはあいにくそのグレン親子とやらを知らなかったので
まだ驚きで口をあんぐり開けている同僚をせっついた。


「アレシア・ダールグレンだよ!高位魔導師の1人で大魔導師になれる実力も実績もあるのに
何十年か前に学校を設立してからは表舞台から身を引いて、若い魔法使い育成に力を注いでる。
魔法騎士団の現団長と力比べして山を1つ消したとか、災害時の救出活動で300人同時転移させたとかウサワはつきない実力者だ。
実の娘であるフレイアも若くして世界で三本の指に入る魔法武具職人であり、今は女子校の学院長だ。」
「親子ではなく姉妹の間違いでは?」
「若返りの魔法だよ!」


どっちも有名人だぞ、とライアンの世間知らずを責める同僚の目線を無視して、
法廷に現われた女性を見つめる。
白スーツに身を包んだアレシアがニコニコ笑いながら少女の傍らに立って腰に手を当てた。
裁判官があからさまに迷惑そうな顔を向ける。


「裁判中ですよ。部外者は退場し傍聴席へ移動してもらいましょう。」
「部外者じゃないわー。この子の親権は今私が持っています。未成年魔法使いを親の許可無く勝手に裁判に掛けるなんて、横暴だわ。」
「緊急事態でした。」
「いまさらシャフレットの件を裁くのが緊急?本当の緊急事態なら別にあるのじゃないかしら。」


赤い唇をつり上げてアレシアがにこりと微笑んだ。
裁判官はこめかみを指でもみながら反論する。


「今まで隠されていただけで、遅いなんてことはないでしょう。当時300人以上が巻き込まれたんですよ。
いくら未成年魔法使いでも、きっちりと裁きを受けるべきです。」
「あら、おかしいわね。裁きならとっくに受けて釈放されてるわよ。そうよね、元老院議員先生方。」


女性がわざと周りに聞こえるように大声で問いかけた。
空気が冷え、ルフェの時とは違うざわめきが静かに起きた。
ライアンは元老院議員席を見たが、うろたえてる様子はなかった。


「この子がシャフレットの大惨事を引き起こした犯人であると、事件後すずメデッサ魔導師から魔法院議会へ報告が行っています。
身柄を此処の地下牢に移し、頑丈な封印を施して一度は軟禁しています。
ですが、その後元老院の方達の判断で釈放。メデッサ魔導師が身元引き受け人、今は私が引き受け人となりずっと監視しています。
ええ、元老院の先生方。先生方の指示通り、立派な魔導師として魔法院のお役に立てるよう教育してますわ。
この子のピンチにメデッサ魔導師が駆けつけると予想してこの裁判を開いたようですが、残念でしたね。
今の保護者は私です。」


やはり、とライアンは杖の上に置いた手に力を込めた。
元老院は始めから事態を知っていた。
そして、少女を餌にメデッサ魔導師をおびき寄せようとしていたのだ。


「いまさらメデッサ先生に何のご用があるというのかしら。

予言の巫女様の言葉を無視して見ないようにしたのはあなた方ではありませんか。
予言通り魔女が現われたんで、慌ててメデッサ先生に頼ろうとしたって、時すでに遅しですわ。」

 

裁判官が、1人では処理できないと振り返って元老院議員席を見た。
構わずアレシア魔導師は続けた。


「先ほどの裁判、聞かせて頂きましたけど、偽証罪に問われるのはどちらかしら。
魔法騎士団の方々は、ちゃんと魔女と大先生の会話を録画してましたわよ?
ライム島に現われたのが魔女であるのは明白であり、
新たな脅威、魔族が出てきたこともこの場に居る議員にお知らせしてないなんて、ひどいですわよ?」


元老院の1人がしびれを切らし立ち上がってアレシアに向かい怒鳴りつけたが
興奮しすぎて何を言っているのかわからない。
麗しの魔法使いは腰に手を当てて一歩前に進み出た。

 


「予言の巫女の言葉を無視したのはそちらですよ上院議員!
予言者は魔女の再来も、魔族が生まれる可能性も示唆もしていた。
全てを隠し通せると思ったら大間違い。人間はそこまで偉くない。
それに、魔女の再来を恐れてこの子を生かす決断をしたのはあなた方ではないですか。
現状、狭間からの来訪者に対抗できるのは、この子しかいないの。」


ずっと大人しくしていた娘のフレイアが、アセットの刀でルフェを拘束している縄を切った。
突然身動きがとれたことと、足が震えていたせいで体がぐらつき
倒れそうになったルフェの体をフレイアが支えた。
その時、2人が入ってきた扉が音を立てて閉まり、裁判場の照明が一段落とされた。
元老院席の真ん中に座っていた老人が、立ちあがってアレシアを見下ろした。


「おぬしは昔からおてんば娘でおしゃべりであったな、アレシア。イタズラに場を混乱させるでない。」
「この子は3度魔女に襲われ、ウチ2回は私の学園内で起きました。
私の結界が簡単に破られたのですよ。これは由々しき事態です。
混乱などど、のんびりなんてして居られませんよ、イライジャ先生。」

 


イライジャ先生、と呼ばれた元老院議員は
皺だらけの顔を持ち、頭髪はないが白い立派なひげを生やしていた。
立派な木で作ったであろう杖に手を置いて、皺だらけの細い指で長いひげを撫でた。

 


「敵が誰であろうとも、世界の平和を守るのが魔法院の役目。不安にさせてはならん。」
「魔女からは仕掛けてこないと高を括ってるのでしょ?おじいさま方は。
今回の魔女は魔族を従え、自分から人間の土地にやって来ました。
せめて、魔法院内での情報共有はすべきですわ。」
「なら、そなた達も全て話すべきではないか、アレシア。
全て話せば、その娘はさらに危うい立場になるであろうぞ。」


ずっと余裕の笑みを浮かべていたアレシア魔導師が、初めて悔しそうな表情を浮かべ唇を噛んだ。
悔しげな表情で元老院議員を睨み付ける。

 


「わしらはな、その娘も守っておるのだよ。メデッサとの約束じゃ。
このまま魔族や魔女に娘が奪われれば、それこそ世界が終わるやもしれん。
ならば、この安全な場所で静かに眠らせてやるのも手だと思っただけのこと。
じゃが確かに・・・ウィオプスを退けられる魔法使いは、現状その娘しかおらんのも事実じゃ。」


しまった、と見開いたアレシアの表情が物語っていた。


「その娘、今すぐ魔法院に預けよ。議会の管轄下で狭間からの来訪者達と戦ってもらう。」
「まだ就業中の学生です!」
「なら、今すぐ卒業させよ。おぬしなら出来るであろう。あの学園を任せてやったのは他でもない、元老院だ。」
「よくも・・・!アタシやメデッサ先生を現場から遠ざけるために押しつけた役職のくせに!」
「クロノス学園はよい城であったろうが。いかがする、アレシア。
今すぐ永久封印させるか、魔法院に預けるか。」

 


獸の威嚇のように、歯を食いしばり美しい顔を歪めるアレシア。
みずみずしい美しさがわずかに剥がれ出す。隠していた本性と攻撃性が、むき出しの歯からじわじわとにじむ。
その時、ずっと黙っていた少女が恐る恐る手を挙げた。


「発言、よろしいでしょうか。」
「ルフェ・・・?」

 


アレシアが驚いて振り返るも、ルフェはフレイアの腕から離れ、
自分の足で立つと、真っ直ぐと元老院議員を見つめていた。


「よくわからないのですが、私の選択は封印か、ウィオプスと戦うかどちらかなのですよね。」
「現状はそうなるのぉ。」
「なら私、戦います。守れる力があるのに眠ってなんかいられません。私の力、守りたい人たちを守るために使わせて下さい。」

 

魔法院の傘下になるということがどういうことかわかっている親子は焦りを見せたが
少女の力強い眼差しは真っ直ぐ議員を見つめていた。


「ただし、お願いがあります。学校はちゃんと卒業させて下さい。来年の春には卒業出来ます。」
「待てん。」
「ならば、次の進級試験で合格したら、卒業と同等の資格を下さい。」
「どうだねアレシア。特例で卒業扱いは出来るか。」
「ええ・・・9月の進級試験を合格すれば、10月には可能です。」
「ならば、猶予は10月までだ。試験に落ちたとしても、10月には魔法院に所属してもらう。」
「十分です。ありがとうございます。それから、トーマ・タテワキ高位魔導師の付き添いを要求します。
私はまだ十分に力を扱えてません。ウィオプス退治も、タテワキ魔導師が抑えてコントロールしてくれたから成り立っています。」
「承諾しよう。魔法使いの契約を。」

 


やめなさい!とアレシアが叫び、娘のフレイアもルフェの肩を掴んだが、
ルフェは裁判官の脇を通り抜けて、傍聴席との仕切り前に立った。
元老院議員席は、裁判官のすぐ後ろ。高低差もさほどない。
間近でイライジャ議員が静かに告げた。

 


「おぬしは、学校を卒業したら魔法院所属の魔法使いだ。
魔法議会の決定に従い、忠実でいてもらう。
これはシャフレットを滅ぼしたおぬしへの償いである。
命令違反、逃亡時はすぐ永久封印を施すと心しろ。」
「はい。従います。私は、狭間からの来訪者達を退けることに全力を注ぎます。
守りたい人たちを、守らせて下さい。」


イライジャ議員が皺だらけの手の平を向け、ルフェもその小さな手を出した。
30cm程の間を空けて両手の平が近づくと、老人と少女の手を包むように青白い魔法陣が出現した。
複雑な印と祝詞が刻まれた魔法陣が発光すると空気中で砕けると、ルフェの手の甲に黄色い紋が刻まれ、肌に染みこんで消えて行った。
これは魔法使い同士の約束。
それはなによりも神聖であり、絶対的な拘束力を持つ、いわば呪印だ。
契約を違えれば、刻まれた紋によって確実に死ぬ。
ルフェの未来は、魔法院に掴まれてしまった。

 

「ルフェ・イェーネ。そなたの魔法院入りを待っておる。アレシア。」
「・・・はい。」
「学校が始まるまで、オークウッドの所に預ける。実際の戦場でも動けるよう責任を持って指導したまえ。
オークウッド派が何を企んでおるかなど、遙か昔から知っておるぞ。」

 


踵を返し、ヒールの音をわざとたてながら、ルフェの手を掴んだアレシア魔導師は、乱暴に彼女を連れて裁判場から出て行った。

 

 

 

 

 


*    *    *

 

秋もそろそろ佳境に入り、山奥のこの辺り一帯も紅葉が美しく色づき始めた。


立派な針葉樹が並ぶ道を車が進み、豪華絢爛―とはまた違う、質素だが歴史ある城が見えてきた。
此処はコルネリウス家の本邸、セイラ城。
コルネリウス家が王家の側近として貴族の長となってから1000年以上、増築や改築を繰り返して歴史を紡いできた。
門が開き、車はロータリーを周り玄関に到着する。
屋敷の執事がドアを開け、ライアン・フォン・コルネリウスは杖を突きながら玄関を進んだ。

 


「レオンは帰っているか。」
「はい。今は更衣室にいらっしゃるお時間かと。」
「更衣室?」

 


執事に案内され、とある部屋に入る。
更衣室とはいうものの、メイド達の部屋よりかなり広く豪華な装飾が成された室内で、ライアンは驚くべきものを見た。
鏡の前に立たされているレオンは、深紅でベルベットのローブを肩から纏い、裾の長いローブをメイド2人が手直しをしている。
さらに、風貌もライアンが知っている姿ではない。
窓際に置かれた椅子に座り、まじまじと従兄弟を眺めた。

 


「どうしたんだ、その髪。ずいぶんスッキリして、お前じゃないみたいだ。」
「ちょっとしたけじめだよ。」
「それじゃ修行僧のようだな。」

 


メイドが仕事をしているため動けないレオンが、ガラス越しに従兄弟を睨み付けた。
短髪になったレオンは、見たことも無いぐらい貧相な見た目をしていた。
いい年してチャラチャラしていたぼんくら長男というイメージも抜けたが、ずいぶん地味になったものだ。

 


「戴冠式用のローブを引っ張り出してどうした。戴冠式は再延期したんだろ?」

 


夏休み前。
彼はコルネリウス家の真実を知り、正式な当主となるため戴冠式を行うと宣言し、日取りまで決めたが
秋になって再延期を申し入れた。
コルネリウス家の重鎮達はそれはもう怒って大変だったらしいが、ライアンの知るところではない。

 


「少し痩せたから、手直しさせろって。背も少し伸びていた。」
「その歳で?」
「俺もまだまだ成長期なんだよ!それより、めずらしいじゃないか。ライアンが本邸に顔出すなんて。」

 


杖の上に手を重ねたまま、ライアンは静かな声で言った。

 


「ルフェ・イェーネが学園を去ったらしいな。」

 


目を見開いて驚いた顔をしたレオンは、ゆっくりと振り返った。
動かぬようにと告げるメイドの声を無視して、魂が抜けてしまったかのように呆けた顔をしていた。
ライアンはメイドに退室するよう告げ、手元を見下ろしたまま淡々と夏にあった出来事を話した。
ルフェ・イェーネという少女が元老院との約束の通り、卒業後魔法院にやって来たことも。
深紅のローブを肩から提げたまま、レオンは話を全て聞き終えると、視線を僅かに落とした。

 


「8月の終わり、少女の処遇は決まってないと嘘をついた。あの時はすでに、契約は成されていた。
少女はライム島に戻され、オークウッド先生の元で修行に励んでいた。魔法院の監視下でな。」
「地下裁判場で見たものは全て口外禁止なんだろ?いいのか、話して。」
「あれだけ戴冠式を逃げていたお前が、そのローブを身につけるぐらいだ。
アテナ女学院での交流会からの付き合いだったのだろ?」
「まぁな・・・。ルフェは今なにをしている?」
「決まっているだろ。戦場で戦っている。魔法院は頑なに情報を外に漏らさぬよう必死だから、市民は知らないだろうが、
あちこちでウィオプスの目撃が増えた。治安維持部隊の新入りだってのに、引っ張りだこだそうだ。
だがあれから、魔女と魔族の目撃情報はないらしい。人に見られてないだけかもしれんが。」
「いつまで真実を隠す気なんだろうな、魔法院は。」

 


レオンは顔を再び上げ、鏡の中の自分と向き合った。
秋の初めに剃った髪は、あれからずっと伸ばしていない。一定の長さで刈り込まれ、髭も、不摂生の影もなくなった。
これは、けじめだったはずだ。
なのにどうして、まだ自分は守られている。

 


「ルフェの仲いい友達がいるんだけどさ、葬式後かってぐらい落ち込んじゃってそりゃ酷かったんだよ。
自分たちが役立たずだから置いてかれたって、ずっと責めてて。
ルフェの力量に適うのは魔導師ぐらいなんだから気にすんなっていったんだけど、しばらく駄目でさ。
色々話し合った。
誰かとこんなに話し合うの初めてってぐらい、本当に、色々話した。
その結果、俺や、ルフェの友人達もひとまずは卒業することを決めたよ。ルフェがちゃんとけじめを付けたんだ。
俺達が中退じゃ笑われちまう。
ただ俺も、学園長に頼んで卒業を許してもらった。長いことダラダラ学生生活送ってたおかげで、とっくに単位は足りてたからな。
戴冠式はその後すぐだ。今度はドタキャンしねぇよ。」
「いいのか。当主になればあのお嬢ちゃんの隣で戦えない。」

 


わかってるさ、とレオンはローブをそっと握りしめた。
深紅の赤はどこか黒く、血のようである。

 


「コルネリウス家は唯一魔女と契約した一族。決して魔女に逆らわず、魔女に杖を向けないと誓った。
再び人間が聖なる土地を汚すことがあれど、手は出さず戦火を避けよと約束させられた。」
「本来であれば人間の代表である王族が負うべき呪いを、王の側近であったコルネリウスが背負った。
いや、背負わされたといった方が正しい。我らもまた犠牲者だ。
聖なる土地を最初に欲したのは、王その人であったのだから。」
「あんときの王様がバカだっただけさ。だが戴冠式を終え、正式に俺が当主―コルネリウスの長になれば
これから魔女と戦おうとしているあいつらの手助けは出来ない。
なら、もっと別の角度からあいつらを救ってやる。俺には、それが出来るー・・・。」

 


鏡に映るレオンの表情は、憤怒ともとれる燃える瞳を持っていた。
コルネリウス家の特徴でもある金の瞳が、オレンジに光る。
ライアンはまるで見違えてしまったかのような従兄弟の決意をただ見つめることしか出来なかった。
レオンは正統後継者であるのに変わりはないが、彼の母は弱小貴族の娘であったせいで

コルネリウス家の重鎮や周りの貴族から嫌われいじめられていた。
夫が生きてる間は平和だったのだが、早くにお亡くなりになり、夫の守りが無くなった瞬間、

彼の母は心身共に壊れてしまって、亡くなった。
レオンはまだ10歳だったと思う。
周りの大人が何をしたか、わからない歳でもなかった。
母を殺した家を継ぐなんて嫌だと、レオンはずっと生家から逃げ続けた。
本来戴冠式を行う年齢の18歳を過ぎても、彼は儀式を行わなかった。
それでも許されたのは、正統後継者は彼1人だったからだ。
コルネリウス家は血を何よりも優先させる。
真実と、その歴史を後世に繋ぐために。
自分が第1後継者なら継いでやったのに、とライアンは何度も思ったものだ。
幸いにして、レオンは腐りきった貴族社会の悪しき影響を一切受けずに、綺麗なまま育ってくれた。
それに、ずっと逃げ続けていた現実と向き合うきっかけをくれた友人とやらが、今は彼の機動力なのだろう。
他者を思いやり、弱者に手を差し伸べることが出来る男だ。
少し回り道が過ぎたが、新しい時代を築けるかもしれない。彼ならば。


「少女の事を黙っていたのは、それが少女の決意だったからだ。
俺が無責任に喋って、少女がせっかく差し出した犠牲を無下にしたくなかった。」
「わかってるよ。それで正解だ。ありがとな。」
「これからは逐一お前に報告を入れよう。必要ならば情報をかき集めてやる。
腐りきった魔法議会を壊し、正しい魔法院の姿に変えるチャンスが来た。」
「ハハ。魔女は怖くねーの?前も言ったけど、今の魔女は人間に敵意アリみたいだぜ?
今度こそ戦争になれば確実に滅びる。」
「させないさ。俺は内側から、お前は外側から世界を守る。コルネリウス家こそ、忘れ去られた王族の血筋。
分家に乗っ取られた忌まわしい歴史など、この俺が消し去ってくれる。」
「コワー。ライアンだけは怒らせたくないわ、俺。」


それから僅か1週間後。


レオン・フォン・コルネリウスはクロノス学園を卒業。
その翌日、当主の証である冠を頂き、そして血の契約を果たした。
彼は正式な第92代コルネリウス家当主、貴族を束ねる主になった。


 

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