❀ 3-7
空気中に充満する焼け焦げた臭いで、肺が悲鳴を上げそうになっていた。
薄まらない一酸化炭素と、血の悪臭。
野原を焼いた火は収まったが、無理に魔物の遺体を焼いたせいで悪臭が辺り一面に充満してしまった。
これじゃあ2,3日は臭いは取れないだろう。
煙がくすぶる大地を見下ろせる高台の縁で、ルフェは地面に腰掛け足をぶらつかせていた。
戦場にいるとは思えないリラックスした様子だ。
手元を見ると、携帯を楽しげに眺めている。
「なんだ、また見てるのか。」
「あ、先生。お疲れ様です。」
「毎日見てたら飽きるだろ。」
「飽きませんよ。私の大事な宝物ですから。」
そういってルフェは指で画面をスライドさせていく。
画面の中にあるのは、つい数週間前まで在籍していたクロノス学園での思い出達。
「夏休み明けてからやたら写真撮りたがると思ったら、この為か。」
「はい。写真って本当便利ですよね。見て下さいこのレオンの顔。何度見ても笑っちゃいます。」
「メールぐらい返しても、俺は怒らないぞ。」
タテワキは優しく告げたが、ルフェは携帯をポケットにしまってしまった。
ルフェは学園を去ってから、通話やメールが出来ないように携帯をオフラインにしてしまった。
魔法院に所属している以上機密事項の漏洩などは禁止されているが、友人と連絡取るぐらい何も問題はないというのに
彼女は頑なに友達と連絡を絶っていた。
「これは私のけじめなんです。私は罪人であるのに変わりないですから。」
ああ、やはり行かせたのは失敗だった―――。
夏の中頃、オークウッド先生の合宿中に魔女が現われ、かねてから大先生を監視していた元老院の息の掛かった連中がルフェの身柄を拘束。
大先生の抗議もむなしく、魔法院に連れて行かれ、シャフレットの大惨事の件で公式に裁かれてしまった。
あれは事故であり、当時5歳の少女に何の罪はないのに、心ない大人が汚い野次を投げつけた。
きっと、彼女はそこで現実を受け入れてしまったのだ。受け入れなくていいものまで、全部。
元老院はルフェの事もシャフレットの真実も全て知った上で、魔女の出現を隠すために彼女を生け贄にしたのだ。
自分がついて行くべきだったと何度も後悔したが、アレシア学園長でさえ歯が立たなかったのだ。
ただの高位魔導師に何が出来ただろうか。
下手に暴れてルフェの処遇を更に悪くしただけだ。
そんなタテワキよりルフェは頭が回ったようで、タテワキの付き添いを元老院に承諾させた。
我が教え子ながら、よくやった。
誰も味方がいない一人っきりの戦場など、彼女の心が壊れてしまう。
俺が必ず、守らなければ―――。
「今日はもう解散でいいってよ。腹へったから飯にしよう。」
「はい。」
立ち上がったルフェは、魔法院所属の証であるローブについた土を払ってから、
悪臭漂う戦場を抜け、タテワキの転移で飛んだ。
魔法院直属の防衛部隊―正式名称・魔法防衛特務局は、大きく3つに分かれている。
1つめは、各国の郡・県や街に配置されている警備隊。
彼らは市民を守るためにおり、街の見回り、市民同士のいざこざや軽犯罪者の対処を行う。
2つめは、警備隊よりワンランク上の治安維持部隊。
オークや妖精などはいまだに人間の世界に来ては悪さをするのでその対応に当たったり、
国同士の戦争や有事があれば派遣され対処する、防衛部隊の中核を担う部隊だ。
部隊はさらに班や小隊、得意分野などで分けられかなり細分化されており、
ウィオプスが街に入らないように結界を張る境界警備隊も此処に所属する。
そして3つめ。
選ばれし精鋭しか配属されない魔法騎士団。
彼らは魔法議会の直属でもあり、国家レベルの事態に対処する部隊。
魔術のスペシャリストが集い、この中から高位魔導師や魔導師も多数輩出されている。
ルフェとタテワキは魔法院の治安維持部隊の所属となり
彼女のために新設された特別対策班として、ウィオプス対処のために世界各地へ派遣される日々を送っている。
ルフェが生まれるずっと前からウィオプスは存在し、人間の世界へやって来ては魔法使いを困らせてきた。
浮かぶ巨大な黒い風船とまで呼ばれた気まぐれな訪問者は、漂うだけで攻撃してこない個体もいれば
雷や雨を降らせたり、直接人間を襲い命を奪う個体までいる。
今まではウィオプスが街に入らぬよう、境界警備隊が結界を張っていたのだが
此処数年ウィオプスの動きは活発で、ルフェが対処した時のように突然街の真上に現われることも多くなってきた。
ウィオプス対策で一番の問題は、倒せないこと。
魔法使い達がいくら攻撃してもマナは吸い込まれ、最悪煙のように消えてしまうパターンがほとんどだった。
そこに来て唯一ウィオプスを倒せる魔法使いが現われたとあって、世界各地からルフェ宛てに応援要請がひっきりなしに届くようになった。
多いときは1日2回。ひどいときは北の国から南の国へ飛んだ時もあった。
ルフェは全身全霊を掛けて、マナを放出しウィオプスを退ける。
最初のうちはマナが空っぽになることでヒドイ肉体疲労により気絶することもあったのだが
彼女も大分コントロールが出来るようになったのだろう。
前のように汗をかいってぐったり倒れるようなことは無くなった。
かといって、俺が傍らにいて無理をさせるわけがない―・・・とタテワキはパンをちぎりながら思う。
2人が今食事をしているのは、とある国の、とある民家。
ルフェのために、タテワキが私財を投げ打って購入したれっきとした彼らの家だ。
最初は魔法院の寮に住むよう言われたのだが、世界中に派遣されるうちに
海の真ん中に隠された魔法院にいちいち帰るより、どこへでも飛べるように陸地にいた方が早急な対応が出来ると
タテワキが高位魔導師の権利をここぞとばかりに使ってある程度の自由を手に入れた。
本当は、周りの大人の目にさらされルフェが疲れてしまわないようにと、タテワキなりの気配りだった。
知らない場所より、静かな場所で穏やかに暮らせる方が楽であろう。
「ルフェ。何か不足してるものあるか?休んでる間に買ってくるぞ。」
「大丈夫です。十分ですよ、先生。」
「本読み終わったら言えよ?新しいの探す。」
「はい。ありがとうございます。」
いくら自由になる家を手に入れても、ルフェの行動は常に監視されている。
シャフレットの大惨事の再来を恐れた議員共が、ルフェの自由を奪ってしまった。
街へ買い物に出かけることも出来ず、買い出しは常にタテワキが1人で行っている。
彼女は今、この家の中か、戦場しか動き回れない。
これでは軟禁と変わらないでは無いか。
戦場で戦う駒として使われてる分、さらに人権を無視されてるようで腹が立つ。
それでもルフェは、ゆっくり本が読めて楽しいですと笑う。
友人達の思い出が詰まった携帯を、愛おしいそうに眺めながら―。
食器を2人で片付けて、ルフェはシャワーを浴びてから2階の自室へ戻った。
今日もよくマナを使った。本を読む間もなく眠っただろう。
タテワキは1人リビングで、小窓を開けながら空の月を眺める。
『いやね黄昏れちゃって。らしくないわよ。』
「月ぐらい眺めたっていいでしょ、学院長。」
月と彼の間に、喋るハチドリが現われた。
妖艶な声を出すハチドリは窓をすり抜けリビングに入ると、ローブを身に纏った若い女性の姿に変わった。
タテワキが小窓を閉める。
茶のフワフワした髪をもつ女性は、クロノス学園学院長、アレシア・ダークグレン。
普段は白いスカートスーツ姿だが、今夜は彼女の本来の姿でもある、スリットが大きく入ったドレスをまとい、
魔法院のローブを肩に掛けていた。
「ルフェは?」
「寝ちゃいましたよ。」
「あら残念。顔を見に来たのだけど。・・・どう?調子は。」
「元気を装ってますが、大分心はすり減ってるでしょうね。」
リビングの木製チェアーを引き寄せて背もたれを前にして跨がって腰掛ける。
タテワキの言葉に、アレシアも憂いの表情を見せて腕を組んだ。自分を抱くように。
「そりゃそうよね・・・。本物の戦場を無理矢理体験させられてるんだもの・・・。
18歳の女の子には辛すぎるわ。魔物、増えてるんでしょ?」
「ええ。狭間の口が開くと、必ずウィオプスと一緒にやって来ます。数も減ってる感じはないですね。
相変わらず人を食らって、マナを吸収しているようで、嫌でもルフェの目に入るんですよ・・・。」
タテワキが悔しげに眉根を寄せ拳で軽く椅子の背を叩いた。
オークウッド先生のライム島にも現われた異形の怪物たちは、今は魔物と呼ばれ、ウィオプスと同じぐらい厄介な敵となっている。
アセットやマナであっさり倒せる個体も居れば、皮膚が硬くちょっとやそっとじゃ傷を付けられない強個体も存在する。
彼らは何故かマナが好物のようで、人間を文字通り喰ってはマナだけを吸収していく。
戦場で焼かれるのは魔物だけではない。人間の死体も一緒に処理されるようになった。
それは、世間にまだ魔物の存在を公表していないため、獸に喰われた死体を遺族の元に戻せないための事実隠蔽対策だ。
運悪く目撃してしまった一般人には、必ず記憶操作の呪文を掛け、情報漏洩防止を徹底している。
記憶操作の魔法は最悪脳みそを焼いて廃人にしてしまう危険性があるというのに。
魔物は世界各地で現われるようになっている。対処しきれない日は目前だろう。
こちらの人員にも限りはあるのに、あちらの来訪者達は無限に来るのだから。
「魔女は相変わらず沈黙しているようですね。」
「ええ。ルフェが戦場にちょこちょこ顔を出してるのだから、いつでも襲ってきそうなものだけれど。」
「ルフェの誘拐は急務ではないようですね。魔族が何者か、オークウッド先生は掴めたんですか?」
「現在の仮説で有力なのは、魔女が”あの方”と呼んで慕ってる指導者が魔族を作ったか何かして、こちら側に寄越してるんじゃないかって。
どの歴史書にもあの異形生物は載っていないから、新種でしょうね。
それがなぜ狭間の世界で生まれたかは全く謎だけれど、ライム島に来た魔女も狭間の世界から降りてきたんでしょ?
彼女達は好きに行き来できるってのは確定条件でいいと思うわ。」
「予言の巫女がまた来てくれれば話は早いのに・・・。」
「そう簡単に行かないわよ。巫女を呼んできたのも、鍵を握る人物を探してどこかへ消えたのもメデッサ先生なんだもの。」
アレシアは憂いのため息をこぼした。
メデッサ・クローバー。
歴史上の名高い大魔導師達と同等の力を持つ魔法使いだが、決して表には出てこない影に潜む実力者。
何故かルフェが生まれた時から彼女を知っており、ルフェのマナを封印し続けた。
シャフレットの大惨事ではルフェの責任を1人で負い、アテナ女学院の学院長にされ監視状態にあった。
ただ、学院長の席をアレシアの娘・フレイアに継がせると、突如姿を消してしまった。
タテワキも、メデッサにはとてもお世話になった過去がある。
出来れば会って話をしたい所だが、ルフェをアテナ女学院に預けてからはずっと行方不明。
「オークウッド先生ですら見つけ出せないんだから、本当恐ろしいお方だわ。」
「この事態を変えられるのはメデッサ先生しかいないっていうのに、どこで何をしてるんだか。」
「フレイアがね、まさか、魔女が言う”あの方”とやらに捕まってたりしないかって心配してるのよ。」
「そりゃないでしょうね。」
「フフ。私も同意見よ。あの人は、そんな簡単に捕まったりしない。いくら魔女が従うような相手でもね。」
「俺は今でも、魔女と唯一対等に戦えるのはメデッサ先生だけだと思ってますよ。」
談笑して気が晴れたのか、アレシアの顔が少し明るく、彼女らしい美しさが戻ってきた。
「明日の朝、何か栄養のある食材と、甘いお菓子をたんまり届けさせるわ。
ちゃんと食べさせて頂戴。それから、男と同棲が嫌になったらいつでも私が変わるからって伝えてね。男には言えないことあるだろうし。」
「はいはい。お気遣いドーモ。ちゃんと配慮してますって。」
「手出したら殺すわよ。」
「出すわけないでしょ!」
珍しくタテワキが声を荒げて怒り、アレシアはおかしそうに笑ってから、ハチドリの姿に戻った。
また来るわ。そう言い残してハチドリは窓をすり抜けて外に出て行ってしまった。
*
ルフェに出動要請があったのは、東にある国の、とある森の上だったのだが
タテワキの転移で降り立った時、その森は炎に包まれていた。
空中で浮かぶ2人は、あちらこちらで上がる煙と、悲鳴、戦闘音を聞き、森の上に佇む1体のウィオプスを見た。
「凄い悲鳴・・・人がいるの?」
「いやこれは、精霊の声だよ。この森に精霊の住処があったはずだ。」
授業で習ったことがある。
精霊は、人間の世界から離れた場所でひっそりと暮らしており、人間も精霊もお互いの土地を決して侵さぬよう約定が取り交わされている。
神聖なる気の化身である精霊は清い土地を好み、大地の精霊、森の精霊は美しい木々に囲まれた場所を好むと教科書にあった。
此処が彼らの土地ならば、今、燃えさかる炎に侵されている。
「精霊が直接攻撃されているわけじゃない。火で森が傷つき空気が濁ることで、精霊も共鳴を起こして嘆いてるんだ。」
「ひどい・・・。早くウィオプスを―。」
1人の魔法使いが箒型アセットにまたがってやって来た。ローブは魔法院のものだ。
「タテワキ様。ウィオプス退治はしばしお待ち下さい。今、魔物も一緒に森に閉じ込めております。
外に出ぬよう結界を外から内に向けて張り、追い詰めます。」
「そんなことしてたら森が全部消えちゃう!」
ルフェの抗議もむなしく、上から指示がありましたので、と魔法使いはさっさとどこかへ行ってしまった。
森の上に鎮座するウィオプスは、とくに攻撃はせず渦をゆっくり自転させ炎の触手が暴れ回る様を見下ろしているようだった。
「先生、ウィオプス退治しなくていいなら、下に降りて魔物を狩ります。」
「ダメだ。君が言い渡されてるのはウィオプスだけ。魔物が君のマナを狙って、次の大物呼んだら困るからね。」
「ならせめて鎮火作業をさせて下さい!」
『もうこの土地は死んだよ、お嬢さん。』
老いた男性の声がした。
2人の前にぼんやり現われたのは、白く長い髭を生やし、茶色のローブを纏った老人だった。
何故か体はぼやけて、陽炎のように揺れている。
皺に埋もれた顔に僅かな苛立ちと悲しみを感じた。双眸に鈍く炎の揺らめきが反射していた。
『もう遅い。森は死ぬ。元には戻らんよ』
「これは・・・ノーム!?」
タテワキが驚きの声を上げ、珍しく動転した様子で透けている老人を凝視していた。
陽炎のように霞み姿が薄くなっていく老人の周りに、背中に羽を生やした緑色の小人が4体現われた。
精霊だ。
ルフェを睨み付ける子もいれば、今にも消え入りそうな老人の髭を一生懸命撫でている子もいる。
精霊たちの羽も、端から細かく崩れ始めており、崩壊した体は粒子となって大気に消えて行く。
そしてこの老人こそ、大地精霊の長。人間の前に姿を見せること事態が希少な存在。
『厄災がこの地に降りかかっただけのこと。』
「ごめんなさい・・・私、何も出来ない。」
『よい。お嬢さんのせいではない。かと言って、やはり人間はやることが利己的過ぎていかん。
次に宿る森が、人間から遠く離れた場所であることを願うよ。』
「怒ったり、恨んだりしてないの?」
『そんなことをして何になる。わしの森は死ぬ。起きた事は変わらん。人間は変わろうとはしない。いつの世も、ただ繰り返すばかり。』
陽炎は消えていき、小人精霊は泣きながら粒子となって消えていった。
震える右手を恨めしそうに睨み付けるルフェの肩を、タテワキが支えた。
もしここで命令違反を起こせば、手の平に刻まれた証がルフェの体を即時拘束するだろう。
それでは意味が無い。鎮火も出来なければ、今後大切な人達も助けられれない。
「私は魔法院には逆らえない・・・。こんなヒドイことが目の前で起きていても、止められないのですね。」
「そうだな・・・。いくら人間を助けるためとはいえ、これはやり過ぎだ。いずれ精霊王が魔法院に文句を言いに行くだろう。」
ルフェは森の上から、燃えさかる炎に呑まれ消えて行く木々を見下ろしていた。
倒れ、崩れ、焼き消される木々の悲鳴は耳に残るほど響き続け、
森の外に張られた結界が大分狭まった頃には、ウィオプスはどこかへ消えていなくなってしまっていた。
忘れ去られたルフェは帰ることも出来ず、燃やす素材が無くなった黒焦げの地面を見ているしか出来なかった。
魔物も一緒に燃やされたのだろう。悪臭がする。
魔物も人間も、不純物が多いのか焼くととても臭いのだ。ルフェは戦場に出てそれを学んだ。
火が消えたことで、夜明けが迫っていることに気づいた。
地平線には緑や黄色のグラデーションが歩み寄っている。
「タテワキ様。3km先でウィオプス確認。先ほどの個体かと。」
「わかった。ルフェ、行けるかい?」
もはや言葉を話せなくなったルフェが力なく頷いたので、転移魔法で報告地点に飛ぶ。
確かに、先ほど森の上に佇んでいたウィオプスがいたが、他にも2体ウィオプスが増えていた。
うち1体は攻撃型のようで、雷を地面に落とし続けている。
今のルフェが3体同時攻撃に耐えられるかとタテワキが思考していると、隣の少女から発光が始まった。
マナを高めているんだとすぐに理解し周りの魔法使いに撤退を命じる。
未だかつて無いほどの強い光を生み、ルフェはタテワキの補助なしに高めたマナをウィオプス3体にぶつけた。
光に包まれたウィオプスは、しぼむ風船のように体を細くして、その場から消えてなくなってしまった。
マナを放出し終わり、ルフェの体が膝から崩れたので慌ててタテワキが支える。
「ルフェ!?無茶をするな!」
「・・・さっきの、イライラしてたから。八つ当たりです。」
「俺に制御させなかったな?仕事を奪うなよ。用なしだって言われちまうだろ?」
額に汗いっぱいにためながらも、弱々しく微笑むルフェはタテワキの腕を掴みながら立ち上がった。
先程の放出、タテワキのコントロールがなくとも四方に爆発させるようなことはなく真っ直ぐマナを撃ち込んでいた。
息を整えたら、もう足の震えは収まり自分の足でしっかり立っている。本当に用なしになってしまったかもしれない。
声を掛けようとしたところで、100m程先の空に藍色の亀裂か走った。
歪な線が膨らみ、狭間の世界と呼ばれる異空間から、ぞろぞろ魔物達が落ちてくるのが見えた。
散開していた魔法使いたちが素早く元に戻り、魔物の対処を始める。
普段と違い、あっさりと空の亀裂が塞がって、朝焼けが差し出した空に戻る。
地上ではすでに戦闘が開始され、飛び交うマナで土煙がそこかしこで上がる。
「ルフェ、上に逃げるぞ。」
「・・・。」
「ルフェ?」
ルフェは答えず、数歩前に進んで、首から提げていたアセットに力を込め、弓矢の形にした。
タテワキが止めるより早く、マナの矢をセットしたアセットで矢を放つ。
たった一本だった矢が、大砲でも撃ちつけたような分厚い閃光が大地を駆け抜けた。
直線上にいた魔物達が一瞬で消し炭となり、そこには土がえぐられた真っ直ぐな線が残った。
「ルフェ!?魔物の相手は俺達はしなくていいんだ!」
「お願い先生、やらせて。」
「いくらあいつらに八つ当たりしても、精霊は帰ってこないんだぞ。」
「ちがう。何かいるの」
ルフェが矢を放ったことで舞い上がった煙が左右に逃げて正面の視界が開けた。
黒い影がそこにはあった。
影は人の形をしていることはわかるのだが、遠すぎて姿がおぼろ。
いや、違う。
朝焼けが差してきた明るい一帯にあっても、肌色が見えない。全身が黒色しかない、影で出来た何かだった。
ルフェがアセットをハルバードに変形させ体の前で構えたその瞬間、ハルバードに衝撃があり体が数センチ後ろに押された。
咄嗟にマナで足を強化してなかったら持ち堪えられずに倒れていただろう。
ルフェに一撃を食らわせた影人間は、間近で見てもおぼろげに輪郭が揺らいでいるだけの黒い影そのものだった。
人の形をしているが、皮膚は全て黒く、目の辺りがわずかにくぼんで見えるだけののっぺらぼう。
でも、ルフェのハルバードに打ち付けているのは、くすみ暗くなったオレンジ色の剣だった。
柄も装飾も無い、ただむき出しの刃。アセットではない。マナを凝縮して作った武器だ。
ルフェが影人形と睨み合っていると、タテワキがアセットの鎌で剣を狙って斬りつける。
影人形は、逃げる事はせず、オレンジの剣で鎌の刃を弾きながら、足でルフェの腹を蹴って体を吹っ飛ばした。
ただの一蹴りで、ルフェの体がかなり後方に転がる。
タテワキがルフェの名を叫ぶも、顔を向けた一瞬でタテワキの肩にオレンジの刃が刺さった。
意識がルフェに向いていたとはいえ、外傷を受けるような隙を見せた覚えはない―・・・。
久しぶりに誰かに怪我を負わされたことに驚きながらも、タテワキは足下に魔法陣を展開させながら一歩踏み込んで鎌を横凪ぎに払う。
影人形はやはり避けずに、肘で鎌の柄の衝撃を動きを止め、反対の手の平で溜めたマナをタテワキの腹に打ち込む。
足下の魔法陣で防御力と俊敏さを高めていたにも関わらず、タテワキも後ろに吹っ飛ばされる。
地面に転がる前に体制を戻しアセットを解いてマナの弾を打ち込んだ。
ルフェとの訓練時に作る弾とは威力も濃度も全く違う本気の攻撃を向けながら、上に飛び、影人形の四方に魔法陣を展開。
呪文を唱えると、陣から鎖が現われ影人形の四肢を拘束する。
まずい。
タテワキが起き上がってこちらに向かってくるルフェと、援護をしようと箒で飛んで来る魔法使いに叫んだ。
「今すぐ離れろ!!」
爆発音が響き、下から吹き上げる風に土煙が上がり目の前が砂しか見えなくなった。
タテワキは自分の周りをマナの透明防壁で囲み砂を防ぐ。
何も見えなくなった世界で、神経を研ぎ澄ます。
砂の中から、オレンジの剣がタテワキの防壁を破って真っ直ぐ伸びてきた。
心臓を狙っての一撃を読んでいたタテワキの足下に、今度は三重に展開させた魔法陣が現われた。
人間の動体視力では認識出来ない早さで、影人形の突き出してきた腕を落とした。
砂煙が止み、剣を持った腕ごと切り落とされた影人形が無い腕を突き出す格好のまま固まっている。
追い打ちとばかりにタテワキが指を鳴らすと、足下の魔法陣から巨大な狼が現われ影人形を口にくわえ魔法陣の中に引きずっていった。
息を深めに吐いたタテワキは、ルフェの姿を確認して駆け寄った。
「怪我は?」
「ありません。先生こそ、肩の傷・・・。」
「とっくに塞いだ。服が少し汚れただけだから安心しろ。」
「今の敵も、狭間からの来訪者ですか?」
「わからない。俺の隙を突いてくる程の敵なんて、大魔導師レベル――」
言葉の途中で、ルフェを抱き抱えて高く飛んだ。
地面が影人形の拳による一撃で深くえぐれてしまっている。
切り落とした腕も元に戻っている。
「嘘だろ・・・。動きを止めた上で、召喚獣に喰わせたってのに、帰ってきやがった。」
着地する前にもう一度宙を蹴ってさらに遠くへ飛ぶ。
周りにいた魔法使い達が、高位魔導師の妙技でさえ押さえつけられない敵と判断して術式を展開。
辺り一帯をマナによる異空間で包みこんだ。
さらに、数人の魔法使いで行う重複魔術呪文を唱え、封印箱に影人形を捕らえた。
水色のシンプルな正方形で包んだ後に、呪文を杖で刻み外に出れないように鍵を掛ける。
魔法院所属の魔法使いが箒に乗って、ルフェを抱いたまま距離を取るタテワキに追いつく。
「タテワキ様。院に許可をもらい一級拘束禁術を施しました。このまま院の地下に転送します。」
「やめといたほうがいい。有望な魔法使いや議員を殺したくないだろ。」
「問題ありますまい。あの術では当人の意思で息をすることすら―」
「見てみろよ。」
魔法使いが顔を戻すと、封印箱の表面が震えていた。
まさか、内側から破ろうと暴れているのか――。
「そんな・・・。禁術ですら破るのですか。」
「魔物の類いじゃない。比べものにならないぐらい上等な奴だ。
俺の召喚獣も、捕縛術も効きやしない。早く大魔導師クラスに応援要請出した方がいいと思うがな。」
簡単に呼び出せる大魔導師など、いるはずがない―。
箒の上の魔法使いが嘆いたと同時、封印箱が内側から粉々に壊され、外側の空間壁ごと破壊された。
かなり距離を取ったにも関わらず爆風が体を押し、箒に乗っていた魔法使いはよろけた。
影人形の顔の部分に白い切れ込みが現われ、それがニヤリと笑ったのが見えた。
腕の中のルフェがかすかに震えたのを指で感じた。
悪いが俺達は逃げさせてもらう。
そう言おうと口を開いた矢先である。
影人形がタテワキのすぐ目の前に転移してきた。
気配が全く読めなかった。なんの予備動作もマナの波動も出さず転移した影人形に驚いて、
歯まで見える大きな口を間近で見てしまった。
ああ、こいつは手合わせを楽しんでいる。
この場で、一番強いのが俺だと見抜いて遊んでやがる―。
ルフェだけでも安全な場所に転移させようと手を動かした瞬間。
「待て待て。少し形を変える。」
影人形が喋ったかと思えば、表面を覆っていた黒がアカのように剥がれだし空へ向かって消えて行く。
皮膚が剥がれ落ちるかのように黒い色が無くなっていき、
そこに現われたのは、筋肉質な人間の男だった。
長身で、焼けた肌に鍛え上げられた分厚い筋肉。何故か毛先だけオレンジの黒髪を持ち、太い眉と凜々しい瞳。
美男というわけではないが、精悍な顔つきをしている。
年頃は、中年と呼ぶにはまだ少し若く見える。
恐ろしいことに、男は何も身につけてない生まれたままの姿だったので、ルフェの頭を胸に抱き寄せて目を塞ぐ。
「年頃の女の子になんてモンみせてんだ、コラ。」
「ハッハ。そうだった。服がいるな。」
男が指を鳴らすと、どこから出したのか、素肌の上に服を纏った。
筋肉が浮かび上がるびっちりした白いTシャツに、古くさいデザインのワイドパンツ。
野生的な笑みを浮かべながら、服と一緒に現われたあごひげを掻いた。
押さえつけがなくなり、ルフェが恐る恐る顔を男に向けた。
すると、ルフェの顔を見た男が笑みを引いてルフェに魅入ってしまった。
嫌な予感がして、また後ろに飛んで男から距離を取る。
「おい!待てって!もう何もしねぇよ!」
タテワキは身構えたままルフェの肩を抱く手に力を込める。
臨界態勢を解かないタテワキに男が両手を伸ばして必死に振った。
「話をさせろ!」
「寄るな変態。そもそも、狭間の世界からやって来た奴の話なんか聞けるか。お前人間じゃないだろ。」
「人間なんだよ!俺はハインツ。アルバ大魔導師の弟子だ。」
「アルバ・・・?」
「お前知らないのか?アルバ・ヴォルフガング・リー魔導師。」
「その名前なら、知ってはいるが・・・。」
様子を伺うために周りに集まってきた魔法使い達と、顔を見合わせる。
首を傾げながら、魔法使いの1人が告げる。
「アルバ大魔導師様は、もう150年も前にお亡くなりになっております。」
「はぁ!?そんなはず・・・。今何年だ?」
別の魔導師が現在の西暦を告げると、男は更に驚いて、やがてよなよなと膝から崩れ地面に手をついた。
「あれから・・・150年も経ってるだと・・・?これも狭間の世界の影響か・・・?」
「あんた、狭間の世界からやって来てたよな。本当に、人間なのか?」
分厚い筋肉を持っているのに、ずいぶん弱々しく縮んでしまったように見える男は、
情けない顔を上げた。
「俺はアルバ先生の研究を手伝う為に、狭間の世界を調査していた。
俺の体感だと・・・、実際に狭間の世界に足を踏み入れてから1,2年しか経過してないはずだ。」
フルネームを魔法使いに問われ、自分は本名ハインリヒ・ブランデンブルグだと名乗る。
すると、また別の魔導師が手にしていた本をペラペラめくったあと、声を上げた。
「確かに名簿に記載あります!ハインリヒ・ブランデンブルグ高位魔導師。150年前に行方不明とあります。」
タテワキが警戒を解いて、ルフェから手を離すとポケットに手を入れた。
「ジパンでいうところのウラシマ現象だな。色々話を聞く必要がありそうだ。」