❀ 4-1
俺の額に傷が無かった頃の
退屈過ぎるほど静かで優しい日々の話。
大陸から遠く離れ、簡単に見つからない場所に隠された孤島――女神が始めに舞い降りた、聖なる土地。
周りは海に囲まれているため、常に波の音が耳に届いている。
この島に来て太陽の姿をはっきり見たことがない。
薄い膜のような雲が常に島を囲み守っているため、太陽も月も隠されていた。
島の中は夕暮れ前の僅かな一時のように、ぼんやりと滲んだ明るさのまま1日が過ぎていた。
夜も朝もこない。
時間すら、この島には流れていなかった。
生まれたての風は暖かく、澄んだ匂いを肺いっぱいに吸い込むと、みずみずしさに体内のマナが喜んだ。
浅瀬の海に足を浸して遊ぶゾエとプロトが子供のように軽快な笑い声を上げて、水を蹴ったりして遊んでいる。
波打ち際の水から離れた砂浜で、その光景を眺めていた。
「貴方は、交わらないのですか?」
燃えるような赤毛を揺らしながら、ネアが横に並ぶ。
彼女は、姉妹達と違う赤い髪を品が無いと嫌っていたが、黄昏の海によく映えた。
「ここから見てるのがいいんだ。」
「貴方とプロトが大陸から来て、どれくらい経ったでしょうか。
今では、上手にマナを使えるようになりました。素晴らしいです。」
「先生が9人もいるからな。色々教われて楽しいよ。」
「私も、楽しいです。」
顔を伏せて、どこか恥ずかしげに微笑むネアが僅かに頬を赤くする。
彼女が密かに持ち始めた感情をまだ知らなかった俺は、海辺に目線を戻した。
水の掛け合いから、次は追いかけっこに移行したらしく、ゾエが無邪気にプロトを追いかけている。
最近新調してもらった白いローブを纏っているせいで、今にも転んでしまいそうだ。
仕方ないな、と俺は靴を脱いで裸足になってから、プロトの元へ向かう。
プロトは俺と一緒に生まれた原始の人間だった。
女神が作った5人の人間のうち1人。大気を漂う力に導かれ、小舟でこの大陸に辿り着いた。
この世界を覆う力がマナという名前で、使い方次第でいろんな事が出来ると、此処で出会った9姉妹に教わった。
今も、いろんな術や世界の成り立ち、女神についてなど教わっている。
女神が作った最初の土地である此処は、原始の人間でも許された者しか足を踏み入れられないが
俺とプロトはどうやら許された存在だったようで、姉妹達も最初は驚いていた。
何人かには警戒されていたが、今は上手くやっていると思う。
「プロト。もっと裾を持ち上げないと転ぶぞ。」
「そうだった。服は水を吸うと重くなるんだ。ラスト、知ってた?」
「知ってる。夢中に走り回った後転んで全身びしょ濡れになる未来まで知ってるぞ、俺は。」
「凄いや!ラストは予言者様なんだね。」
「いいから、ローブ寄越せ。」
水を吸って重くなっていたローブを受け取ると、華奢なプロトの肢体が浮き彫りになる。
白に近い銀の髪と長いまつげが、しぶきを浴びたのかキラキラと輝いていた。
同時に生まれた俺より年下に見える幼い顔。
纏う儚げな雰囲気と違って、さらに子供っぽいのがプロトという個体の特徴だった。
「そうだ、聞いてよラスト。ゾエと遊ぶ前に、モロノエさんから綺麗な魔法を習ったんだ。見て。」
無邪気な顔と声で、両腕を肩より高く持ち上げる。
すると、手の間にマナが集中し打ち上がると、俺達の頭上にオレンジ色の光が弾けながら広がった。
遅れて、空気を僅かに揺らしながら弾ける音が響いた。
プロトが作り出したそれは、繰り返し繰り返し頭上で弾けては、広がって消えるを繰り返す。
「空に咲く花みたいで綺麗でしょ?」
無邪気に、どこまでも無垢な笑顔。
その笑顔を見る度、愛しいという思いに隠れて、俺の胸はざわめくようになった。
同じ時期に生まれて、同じように育ったのに、どうしてここまで違うのだろうか。
マナの扱いだって、プロトと俺では得意分野がかなり違ってきている。
違うことが、こんなに恐ろしいと誰も教えてくれなかった。
ゾエと、いつの間にやらティティンも加わって、プロトの魔法に夢中になる。
2人は早速弾ける魔法を練習すると、今度は青や緑の花が頭上に咲いた。
見ただけで複製出来るとは、さすが巫女である。
「花火と名付けましょう。」
彼女はいつも気配なく隣に立つので、いつもビックリさせられる。
海の水に浸かってしまいそうなほど長い黒髪が重たそうに風に揺らされ踊る。
土地の主である、1番目の巫女が隣に立っていた。
ただ、靴が水に濡れないように水面の上に浮かんでいる。
実に神秘的な人だった。
思えば、土地の主でもある1番目の巫女だけは、人格も力も別格だった。
「火が花のように咲く、一時の魔法。綺麗ですね。モロノエはセンスがあります。」
「あの・・・。聞きたい事があります。先日仰っていた、宇宙意思とはなんなのですか?どうして女神の作ったものを奪うのでしょう。」
「この世界、この宇宙全ての理に破壊と再生があります。始まりがあればいずれ必ず終わりが来ます。
理は女神にも適応され、女神が産みだした全てに終わりが訪れます。若葉は枯れ、種族問わず生命の火は消える。
女神の息吹が強い私達姉妹は別ですが、他の原始の人間はもう終わりの理に捕らわれてしまいました。
もう、貴方とプロトの2人だけ。」
「なるほど・・・。宇宙意思が終わりを宿すならば、なぜ女神はティティスに予言を残したのです?
全ての物事に終わりがあるなら、いさぎよく呑まれるべきでは?」
「それは私にもわかりません。」
ずいぶんあっさりとした答えを述べて、肩に掛かった髪を払う。
彼女にしては珍しく口元に微笑みを宿していた。
「先が見えないからこそ、終わる前にあがく。そういう人生も楽しそうだなと最近は思うのですよ。
もちろん、私は女神にこの土地の守護を任されました。誇りをもって務めています。
女神がいくら新しい世界を作っても、宇宙意思は必ず絡まる。
終わりをただ待つより、少しあがいてみろと女神は仰ったに違いありません。
やるべきことをやりましょう。私達は選ばれたのです。
女神が作ったものを、宿った命を守らねばなりません。」
彼女は真っ直ぐと、凜々しい立ち姿で海の向こうを見据えていた。
その美しい横顔を眺めながら、果たして自分はそこまで高尚な存在でいられるだろうかと疑った。
彼女達と違って、人間は副産物。
女神に言葉を掛けられたことはない。
始まりの土地にいる限り、寿命という呪縛に呑まれることはないだろうが、それもいつまで有効かわからない。
まだ新しい魔法―花火を出して遊ぶプロトに視線を戻した。
飽きもせずキャッキャと楽しんでいる。
いつかあの綺麗な隣人にも、死が訪れるのだろうか。
消えて無くなって、腕に掛かる水を吸ったローブの重みすら感じられなくなってしまうのか。
暖かな風が頬を撫でて去って行く。
ざわめく俺の心をあやすように、優しく穏やかに。
「此処は良いところです。俺にも死が訪れるなら、此処で眠るように消えたいですね。」
「私もそう思います。」
この土地に夜は訪れない。
黄昏のまま、朝焼けのまま。
僅かな明るさだけが占領している。
終わることも始まることもない場所。
どこまでも甘やかすような、穏やかな時が流れる場所だった。
*
「逝くなプロト!俺を置いていくんじゃない!」
焼けた臭いと、木材が燃えて弾ける音がする。
人間達の悲鳴と、怒声。
全てが耳障りに思えた。
あの日、花火を見た海辺で感じた時とは比べものにならないぐらいの胸のざわめきに、今にも押しつぶされてしまいそうだった。
「帰ろう。あの土地に戻れば再び時は止まる。」
「もう僕は理の中。僕が望んだんだよ。これでいい。」
「いいもんか!こんな最後が、あってたまるかよ!!」
怒っているのに、目から水が絶え間なく溢れていく。
感情が体内で渦巻いて、暴れて、制御出来なかった。
どうしたらいいのか、皆目見当がつかない。
ただ、胸がざわめいてしかたがない。
「僕の家族を逃がしてくれて、ありがとう。」
「お前は・・・家族に見守られながら、綺麗な花に囲まれた、日だまりの中で死ぬんだ・・・。こんな、こんな荒れた場所じゃないはずだ。」
「フフフ。僕はもうそんな綺麗じゃないよ。すっかり老いてしまったからね。」
腕の中にあるプロトの体は、元々細くて華奢だったのに、もっと脆くて骨張ったものになってしまった。
みずみずしかった肌は皺だらけ。
それでも構わなかった。プロトが自分で選んだ道だ。
「いずれお別れが来るって、ラストもわかっていたろ?」
「今じゃ無いはずだ!どうして別の一族を受け入れたりしたんだ。コルネリウスの力を狙って、案の定反乱を起こしやがった。
お前なら、ならず者達を一掃出来たろうが。」
「家長は息子に任せて、僕は隠居の身だったからね。これもまた、運命とやらさ。」
「ふざけるなよ!!」
震えた叫び声が、情けなく空気に木霊した。
背後で、また1つ建物が崩れた気配がする。
プロトが築いた街が、壊れていく。
「さあ行ってくれ。君には役目があるはずだ。なぜ知ってるかって?もちろんわかるさ。
だって僕らは、一緒に生まれ、一緒に魔法を習った兄弟だもの。」
「プロト・・・。」
「君に沢山助けてもらっちゃったね。今度会うことが出来たら、今度は僕が助けるよ。必ず。絶対だ。」
「俺は・・・、お前を・・・。」
「全部君に背負わせてしまったことを、許してくれ。」
さあ早く、と指一本も動かせないくせに、あの頃と変わらぬ笑みを向けられて、俺はプロトの体を火の手が届かぬ草原に横たえた。
逃げるように背を向け空に飛び立つ。
振り返らなかった。
振り返ることなど、出来なかった。
これから俺が何をするのか、プロトは知っている。
俺もまた理に絡まったのを、プロトも感じていたのだ。
プロトを殺した人間達。
絡みつく理も宇宙意思も、全て――
「壊れちまえ。」
掲げた手の中にマナを圧縮する。
あの日プロトが披露してくれた花火より膨大で重いマナの塊は俺の怒りと悲しみをどんどん吸って巨大化していく。
プロトが築き上げた街を覆い被せるぐらい大きくなった所で、俺はそれを振り落とした。
街も、木も、人も、ありとあらゆるものが燃えて、壊れて、爆ぜていく。
俺は、世界を滅ぼすと決めた。
* * *
ルフェは困惑していた。
「ダメだモロノエ姉さん。この子は特別な子。他の人間はどうでもいいが、ルフェだけは守らねばいけない。」
「グリテン姉さんが言うなら、私も賛成よ。」
目の前にいるモロノエが、大げさにため息をついて額に手を当てた。
右側にグリテン、左側にグリトンがそれぞれルフェを挟んで座っている。
抱きしめるようにくっつかれて、身動きが取れない。
生きてきて、こんなに濃厚なスキンシップを受けたことがないので戸惑うしかない。
しかも、目もくらむような美人2人に囲まれ、麗しい美人に見下ろされている。
「ルフェを守るのは当然です。ですが、付きっきりの護衛は賛成出来ません。」
「ロノエ達はいつも不意打ちでルフェに接触してくる。ルフェの友達に恨みがあるようだった。近くで守るのが一番だ。」
「それに私、停戦を破ってティティンに怪我させちゃったわ。きっと怒ってる。」
「グリトンは手加減を学びなさいといつも教えていたでしょ。どうするのですか。姉妹同士で争うなど。」
「あら。モロノエ姉さんもネアと戦って負傷したじゃないですか。」
「結局、この子をあの男に渡さないためには、戦うしかないのですよ。目的が違えてしまったのです。」
「もう、あの頃には戻れないんだ、姉さん。」
畳みかけるような妹達の発言に、モロノエは何も言い返せなかった。
数刻前。
ルフェはロードに捕まり、疲労のあまり眠ってしまったのだが、目が覚めたら、見慣れぬロッジの中に居た。
巫女達が所有している森の奥深くにある小屋らしく、戦火も此処までは届いていないうえに、強固な結界に守られているとか。
ベッドに寝かされていたが、起きてからずっと双子の巫女に抱きしめられている状態であった。
モロノエは話すのを諦め、ルフェの安全を確認出来たからひとまず良しということになり、
ルフェに食事を与えるためキッチンへ入っていった。
「ルフェ。あの男に何か変なこと言われなかったか?」
「仲間になれと、勧誘されました。」
「あいつは口ばっか一人前だった、卑しい男よ。耳を貸しちゃダメ。グリテン姉さんの言う事だけを信じなさい。」
一部始終を巫女達に説明したルフェだったが、ロードか話していた内容は言い出せなかった。
世界の敵である男の言う事を信じるわけではないが、全てに説明がついてしまったのだ。
一度芽吹いた疑念は、ルフェの胸の中で簡単に消せないほど大きくなっていた。
彼が言うとおり、魔女やメデッサ先生が私を人柱にしているのかもしれない―。
シャフレットの事だって、あれだけ罪だ罰だと悩んで苦しんだのに
ロードの言うとおりなら、今までの苦しみは全て無用であったというになる。置かれた状況も押しつけられた責任も、だ。
あんなに優しくて、我が子のように育ててくれたメデッサ先生の笑顔が、今はもう思い出せない。
代わりに、必死にこちらに手を伸ばしてくる金色の瞳が、酷く痛く、悲しそうに見えたことの方が胸に引っかかった。
いつも助けてくれる人たちのことは信じたかったけれど、胸がざわめいてどうしたらいいかわからなくなっていた。
片目を隠したグリテンがルフェに顔を向けた。
グリトンは、ルフェを抱きしめたまま目をつぶって動かなくなった。眠ってしまったらしい。
「顔色が良くないようだが。」
「右手の紋を無理矢理剥がされたせいだと思います。全身に痛みが走ったので、まだちょっとダルいです。」
「本当に末恐ろしい男だ。人間が結んだ魂の契約を強制解除出来るとは。」
「グリテンさんも、出来ますか?」
「残念ながら。人間が魔法と呼ぶ術に詳しいのは、モロノエ姉さんやロノエあたりかな。私とグリトンは武力担当。」
「グリテンさんの剣は綺麗ですもんね。」
「その昔、鉄を見つけ、鉱石を見つけて私が作った。その後、私の技術を人間に教えたことがある。今は、アセットと言うらしいね。」
「そうか・・・。凄いです。魔法の基礎は巫女の皆さんが作ったんですもんね。」
「誰よりも長く生きてるからね。発明する時間はいくらでもあったさ。」
自分を映す瞳には、やはり宇宙の輝きが宿っている。
グリテンの色は特に思慮深い。
この人も、宇宙意思とやらに対抗するために自分と戦い続けろと考えているのだろうか。
そうは思いたくなかった。
けれど、心がざわついて仕方が無い。
「―そして第3の予言によれば、人間は滅びます。
時期は不明ですが、現在の混乱具合からいって、いつ起こってもおかしくはないでしょう。」
夕食後、渋ってはいたが、ロードからあらかた聞いたと話したら、改めて予言の内容を開示してくれた。
ロードに聞いた内容と大差はないが、ルフェはやっぱりかと納得がいった気がした。
「第3の予言を阻止するのが、私の役目なのですね。だから生かされている。」
角が立つような言い方だと気づいてはいたが、止められなかった。
不安が渦巻いて、声がトゲとなって口から出てしまう。
「私は、宇宙意思の破壊阻止のため、ウィオプスを退治して人類を守るためにいる。
だからアレシアさんも、巫女の皆さんも私を助けてくれる。
利用されるのはかまいません。本来なら永久封印されていたはずの命です。
だからって、予言とか、色々隠しすぎです。私は―――、」
「勘違いしてはいけません、ルフェ。我々は、予言を阻止したいから貴方を助けるのではありません。
そもそも、我々巫女は始まりの土地を守るのが仕事。正直、予言などどうでもいいのです。」
「なら、なぜ・・・。」
「土地の主である第1の巫女が、女神が作ったものを守れと仰った。
1番目の姉さんは、世界を守るため一帯に結界を張って日々祈るという不自由な生活を送っています。
姉さんの願いは姉妹全員の願い。そして、姉さんは人間達と予言を回避するため動いています。
メデッサやアレシアと知り合ったのはそれがきっかけです。
そしてメデッサは我々にこう言いました。
“予言のせいで大人達に利用されている我が子を救い出したいのだ”と。」
モロノエの双眸が和らいで、慈愛の色が見え隠れする。
「ルフェ。貴方も我々巫女と似たようなものです。人間は莫大な力を持つ存在に恐怖し、消し去ろうとする。
人間の歴史から巫女を消し、魔女などと蔑称をつけたのがいい例です。
貴方もその力のせいで一番大切な日々を日陰で過ごすことになったのでしょ?
きっかけは1番目の姉さんのお願いだったけれど、貴方はとても澄んだ魂を持った清らかな子。
貴方自身を、私達は好いています。そうですね、言うなれば、私達はもう友達です。」
「第一、巫女が惚れ惚れするマナを所持している上に、こんなに可愛いんだ。守るのは当然だよ。」
シャワーを浴びに退席していたグリテンが後ろからルフェを抱きしめた。
後ろの方で、まだ髪を濡らしたままのグリトンがずるい~!と抗議をしている。
「あまり色々考えすぎるな、ルフェ。大切なものを守る。だから戦う。それでいいじゃないか。」
「そう、ですね。ありがとうございます。」
私も混ぜて!とまだ水に濡れているグリテンが乱入して、難しい話は終わりになった。
頭の中に、ジノやマリー、タテワキ先生や関わった友人達の顔が浮かぶ。
確かに、グリトンの言うとおりだ。
そっと息を吐いて肩の力を抜いた。
「さ、今夜は此処で眠りなさい。アレシアには連絡しておきましたから、明日の朝、家まで送りましょう。」
数時間前に目覚めたばかりのベッドで、やはり双子の巫女に囲まれて横になる。
電気が消えた薄暗い世界で、木目の天井を見上げながら思い出すのは、自分に向けられる必死そうな金の瞳。
ハインツさんを殺した時と、まるで雰囲気が違っていた。
どちらが本当の彼なんだろうか。
(俺は、お前を助けたいんだ―――。)
どうやら、自分に再生の力とやらがあって、そこに興味を持ったわけじゃなさそうだ。
ルフェは瞳を閉じて眠りに落ちた。