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第一部 青星と夏日星 14

 


新宿にある術士協会本社ビル内
五階・食堂テラス

薄いブラウンの板床に白い机とテーブルが並び、鮮やかな観葉植物があちこちに飾られ、または吊るされている。
天井のライトも北欧家具を使用しており、リゾート地のお洒落なカフェテラスのようだ。
キッチン側以外の壁は全面窓ガラスのため開放感が際立って、ビル内なのにベランダの外にはテラス席まで用意されている。
デザイン設計は絶対隣でコーヒーを飲んでる巨躯のおっさんじゃないであろうと、大盛りカレーライスを頬張りながら透夜は思った。
まだ昼には早い時間だったので、席についている人はまばらだった。
一番窓際の円形テーブル席で、会長に奢ってもらったランチを食べながら、先日横浜で起きた一連の事件について報告をしていた。


「敵の狙いが武蔵国結界だったとはな。結界の歴史は古く、奈良飛鳥時代には完成していたという。徳川家康が移封されるまで江戸は芦の生えた沼地だったというのに。結界だけは一流。
六人の術士がそれぞれ重ねるように張った純度の高い結界のおかげで、都内は大物ナバリの被害から守られている。」
「六之宮が結界の一部を石に宿し、さらに弟子達に託したせいで、ちょっと緩みましたがね。」


カレーを口入れてリスみたいになっているこの少年がいなければ、六之宮の社が壊され危うく東京が妖怪の餌食になるところだった。
本人にその自覚があるのかどうかはわからないが。


「結界石はなぜ割れた。」
「夏海は俺の妹ですよ?夏海の力が石の内部まで届いて壊したんでしょう。」


俺の妹を舐めるな、と文句を言うより次のカレーを頬張ることを選んだようだが、その目はしっかり異議を訴えていたので、それ以上追求することを止めて本郷会長もコーヒーを一口飲んだ。

 


「本来なら、結界が緩んだ隙に六之宮の社を生田目の結界で覆うことで自動修復を遅らせ、社を壊そうとでもしたのでしょう。
が、本当にたまたま、偶然俺が居合わせたのが最大の誤算だった。社は俺の式神が死守して修復を手伝った。」


山盛りカレーが綺麗に無くなった。
細身のくせに透夜はよく食べる。年相応の食べ盛りは、普通の高校生らしい一面を垣間見たと嬉しくなる。
口元をナプキンで拭ってオレンジジュースを半分ほど飲んだ。次はトレイの上に乗っていたプリンアラモードに手を付け出す。


「刀を持ったガキが、最終手段で夏海を俺の元に送って人質にしようとでもしたんでしょうね。
鬼の男が本気だしていたらマズイ状況だったかもしれませんが、生田目家の娘の保護を優先してくれたのが幸いでした。」
「軽く言ってくれるな。夏海を人質に取られていたら、術士協会を崩壊させられていたかもしれんのだぞ。お前という最強の盾でな。」
「安心して下さいよ。夏海を人質に取るような奴瞬殺します。」

 


プリンの横に添えてあった林檎をかじりながら野蛮なことを言うが、確かにどこぞの馬の骨ともわからん男が妹に触れようもんなら、激高して半殺しにしてしまいそうだ。


「やつらはまた武蔵国結界を狙うと思うか。」
「さあね。また狙うとしても、他の宮は結界石なんて残してないでしょうから、一筋縄にはいかない。なにより、やつらがボスと呼んだ存在ですよ。まるで俺の頭を押さえつけるみたいに乱暴に介入して、いとも簡単に結界を解いて去ったんです。
寝不足とはいえ、あれは防げませんでした。」
「強いのか。」
「かなり。」
「厄介だな・・・。奴らは六之宮の弟子達の末裔を見事探し出し、三人もの術士を殺してみせた。
自ら姿を見せなければ、我々は尻尾すら掴めなかったであろう。」

百九十センチを越える大男が持っているせいで、エスプレッソカップみたいになってしまったカップを机に置いて、本郷は眉根を寄せる。

 


「どれもこれも、お前がいたから対処出来た。」
「残念ながら、すべては星の導きですよ。本郷会長。」


透夜は綺麗にデザートも平らげスプーンを置いた。

 


「結界石が夏海の手に渡ったのも、必然です。結果的に俺達は、裏側に潜む巨悪を見つけることに成功した。そう考えましょう。」
「他人事だな。」
「俺は今まで通り、夏海と普通の生活を送れればそれで満足です。」

透夜が立ち上がる。

 


「後は私たち大人に任せなさい。」
「・・・聞かないんですね。」
「何をだ。」
「カレー食べる前に全部報告しましたよね。敵の中に七星出身者がいると。七星は、次期当主の俺が学生なのをいいことに荒れてます。これが内輪もめの可能性も―」
「透夜。」


ダルそうにポケットに手を入れていた透夜が会長の方を向く。
会長は足を組んで、テラス席がある人工芝の緑を眩しそうに眺めていた。


「お前を協会に誘ったとき俺は誓った。東京に居る間は俺が保護者だ。自分の子供を戦地に送りたがる親がどこにいる。
お前より強い術者は協会にはいないが、お前の味方となってくれる者は大勢居る。

調査は俺に任せろ。だが、問題があればすぐに相談するんだ。わかったな。」
「・・・はいはい。ところで、娘さんと最近会えてるんですか?」
「うむ。メッセージアプリというもので連絡は取っているのだが・・・。」
「まだフリック入力苦手なんですか?相変わらず機械音痴ですね。」
「画面が小さいせいだ。この指で画面操作しろというのが無謀なんだ。」
「ふふふ。ごちそうさまでした。」

会長に軽快な笑い声を送って、透夜は食堂を出た。
術士協会ビルを出ると、玄関前の広場で夏海が待っていた。近くの日陰で寝転んでいた白虎も立ち上がる。


「なんだ。来てたなら連絡すればよかっただろう。会長がランチおごってくれたのに。」
「今日はお兄ちゃんとデートする予定!」
「そんな予定あったか?」
「さっき決めたのー。さ、行こう~。」

 


兄の腕を取って歩き出した夏海に逆らわず、そのまま引きずられるように隣を歩く。
その後ろをついてきている白い虎に気づいている人間は、ちょっとだけ肩を振るわせてから術士協会ビルに入っていくが、
見えない人間はいつもどおりの日常を過ごしている。お喋りをしたり、携帯をいじったり。


「どこへ行くんだ?」
「お台場ー!新しいハワイパンケーキのお店出来たんだぁ。」
「今日は日曜だぞ。今カレー山盛り食べたばっかだし、・・・並ぶのダルい。」
「お兄ちゃん甘いの好きでしょ?ほら、メニューこれ。美味しそうでしょ?」

 


兄にピッタリくっつきながら、携帯で店のメニューをスクロールして見せてやる。
そこには白いマカダミアナッツソースがたっぷりかかったもの、苺やベリーが山盛りになったものなどが次々現れる。
色とりどりの写真に透夜も興味がそそられ始めたのを、夏海は横で感じて内心ガッツポーズをした。


「ココ、イケメン店員さんも話題になってるの。ねぇねぇ!夏海がナンパとかされたら、お兄ちゃんどうする~?」
「ありえないだろ。」
「えー!ひどい!」


後を付いてきていた白虎が、顔を横に背けながら、


「まあありえんだろうな・・・。ナンパしようとしてきた男を遠ざける術張っているのだから。」

 


と、人知れずぼやいた。
可哀想に。長身だが女としての魅力は十分あるのに、シスコン兄のせいで恋人すら作れそうに無い。


お台場に到着し、パンケーキ屋の中に入るまで三十分並んだ後、白虎も夏海に分けてもらって最新のスイーツを満喫した。

ご機嫌で店を出た頃には、今回の騒動で感じた不安など一切を忘れてしまっていた。

それは透夜も同じであった。

当たり前の日常がここにはある。それだけで彼には十分だった。

 

 

 


そこは黒い床と、黒い天井があれど四方に壁は無かった。
壁が無い代わりに、宇宙が広がっていた。
黄色や桃色の星雲が広がり、今もビックバンでガスや塵を巻き込んだ渦が動き続けている。
部屋の中に宇宙があるのか、宇宙の中に部屋を作ったのか。
この部屋にいると常識も理も意味を成さない。
光源もないのにどの部屋に同席している者達の姿形ははっきり見て取れる。
―考えるの馬鹿らしくなってきた。
生田目藍佳は、早く終わればいいのにと隠滅な気分を誤魔化すように、先ほど手に入れたカエルのぬいぐるみを抱き寄せた。


「藍佳ちん、それ気にいったん?」
「うん。」
「頑張って小銭をゲーセンに投資した甲斐があったねー。」

 


藍佳を覗き込んでニコニコしている長身痩躯の男性―巌沢(がんたく)―は、ジーンズのポケットに指をつっこんだ。
長いくせっ毛の髪を後ろで結び、一重の目は周り全てを疑っているような抜け目なさがあるが、悪い人じゃないのを藍佳は知っている。なんなら、組織で一番下っ端の自分をいつも気に掛けてくれるお兄さんだ。
袖を通しているブランド物のTシャツも、履いているジーパンもスニーカーも、高校生である藍佳では到底手の届かない高級品。
鬼の姿をしてるときまで身につけているのだから、相当お気に入りなのだろう。
返り血がついてもクリーニングに出してまで身につけ続けている。
―私だったら、他人の血がついた品なんか即行ゴミ箱行きだ。汚らしい。

部屋の中心にいた平川が、おしゃべりは止めろと言いたげに杖の底を地面に打ち付けてきた。
刀を抱えてぶらぶらしていたノエルがクルリと回って、平川の横で同じように前方を見る。
―さあ、大魔王のお出ましだ。
彼らがボスと呼ぶその存在が出てくる度、藍佳はそんなことを思うのだ。平川あたりに聞かれたら悪態だなんだと文句を言われるだろう。
彼らの前方の空間が歪み、巨人が現れた。白髭を携えた老人だ。

巨人は外国のロッキングチェアに腰掛けており、椅子もまた一緒に現れた。

椅子に座っているのに全長は二メートルを遙かに超え、天井すれすれに頭があった。

白いゆったりしたドレスみたいな服をまとい、床まで届く髪と髭。
髪も髭もゆらゆらと絶え間なく揺れていて、皺に埋もれた双眸は固く閉じられている。
手も足も服で隠れているので、肌色の部分が随分少ない。
年老いた巨大なサンタクロースか、北欧神話の神様みたいだと常に思う。
藍佳はボスの名前も正体も知らない。
藍佳をスカウトしたのは平川だし、実際動いてあれやこれやしてるのも平川だ。
ボスの背後で、星が爆発して水色の光が広がった。


「また勝手なことをしたな、ノエル。」


ヒゲの奥に隠された口に動いた様子はないのに、老人の濁った声が漏れて振ってくる。
ゆったりした話し方だが、掠れて、酷く疲れた低い声。
開口一番で怒られたノエルは、後ろ手に回した刀をぶらぶらさせながら、口を尖らせる。


「七星の子に接触するのが、早すぎた。おかげで輪に加わってしまった。厄介だ。」
「いづれ巻き込むつもりだったじゃんか。ちょっとだけ作戦実行が早くなっただけ。」
「馬鹿者。そのちょっとのために、どれだけの労力と金が使われたと思っている。今までの潜伏も段取りも水泡に帰すところであったぞ。」


杖の先に両手を置きながら、平川が恨めしげな目線をノエルに投げる。
そりゃ怒ってるだろう。
平川が事前に事細かく計算して準備をしても、いつもおいしいところをノエルが奪うか、邪魔するかだ。
ボスのお気に入りであるノエルを、平川は嫌っている。出来れば作戦から外したいが、ボスはそれを許さない。
平川はボスの忠実なしもべだから、命令は絶対だ。


「わしの存在も見抜かれてしまった。」
「どこの誰とまでは分かってないよ、あのお兄ちゃん。そもそもボスの事知らないんじゃない?」
「名は肉体の形を示すだけ。意味はない。宇宙に漂う意思に触れることが出来るのは、七星の子だけ。」
「猊下。その憂いの正体、そろそろ我々にお教え願えませんか。」


短い唸り声を上げたボスは、重たそうな瞼を少しだけ開いた。
目の奥に眼球など埋まっていない。あるのは暗い暗い真っ黒な宇宙。
星の瞬きがちらりと見えた気がしたが、星明かりが気にならぬぐらい漆黒の闇が掬っているのを藍佳は知っている。


「時では無い。今の暦は。」
「水無月の終わりでございます。」
「秋の訪れを待つとしよう。」
「そんなにのんびりしてていいのー?」
「猶予は与えん。晩丈、」
「はい。」
「斗宿を使う。必要あらば、援助してやれ。」
「おや、現代まで残っていたのですか。星の使徒を自称する連中は。」
「山奥でまだ星を読んでいる。その間に準備を進めるのだ。頼んだぞ。」
「御意のままに、猊下。」

 

恭しくお辞儀をする。
まるで英国紳士気取りだ。


「藍佳。」


急に名前を呼ばれて、肩が面白いぐらい上に跳ねた。
真っ黒な瞳に見つめられると無意識に全身に力が入り、急に喉が締め付けられたみたいに呼吸が苦しくなる。


「期待しているぞ。お前はまだ強くなれる。」
「・・・はい。」

 


カラカラの喉でか細い声だけ必死に投げると、ボスの瞼は再び閉じて、そして椅子ごと消えていった。
黒い部屋は消え去って、巌沢と共に先ほどまで居た商業ビルの裏側に立っていた。
薄汚く細い裏路地はゴミと苔だらけ。だから人はいなかった。
腕の中にいたカエルは首をきつく絞められて、目が今にも飛び出しそうになっていた。
不細工に作られた顔がもっと酷いことになっている。


「巌さん。」
「んー?」
「私、本当は隣にあったピンクの兎が欲しかったの。」
「オッケー。今度は台ごと買い取ってやるよ。」

 

あれは最終勧告だ。
次は失敗するなよという脅し。体の震えが収まらず、冷たくなった指先で必死に綿の塊を抱き寄せる。
もう後戻りは出来ない。
隠士と名乗る闇の世界を生きてきた組織に入ってしまったからには、もう普通の女子高生には戻れない。
普通の生活を嫌ってここに来たのに、退屈な午後の授業を耐える日々が酷く懐かしくなった。
ポンポン、と頭を撫でてくれた巌さんの後に続いて、ゲームセンターに戻った。

第一部  完

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