第一部 青星と夏日星 13
立てた指を前方に向かって振る。
すると、指先から青白い光が六つ飛び出した。それは光速で放たれた手の平サイズの弾丸だった。
光の残像がまるで尾のように光り、左右上下に分かれ男に降り注ぐ。
再び土煙が上がり、平川と名乗る男は後ろに大きく飛んで逃げたが、地面に当たったはずの六つの弾丸はミサイルのように男の後を付いてきた。
追尾機能があるようだと気づいた時、すでに透夜は次の技を仕掛けるべく地面に手を置いて陣を展開させていた。
「煌星流々(きらぼしりゅうりゅう)。」
男の頭上に透夜が描く円形の陣が現れ、青白い弾丸の雨が降り注ぐ。
雨なんて優しいものではない。どれも大きく威力が凄まじい。男に当たらず落ちた弾丸はコンクリートの床を抉って粉々にしていく。
男は走って逃げたが、陣は頭上にくっついて来ており、雨に加え先ほど放たれた六つの弾丸も相変わらず後を付いてきていた。
男は地面を強く蹴って高く飛び上がると、杖を構えた。
「堕転星術(だてんせいじゅつ)・黒雨散々。」
杖を振るうと、男の体の前から黒い半透明な小粒の弾丸が無数放たれ、六つの弾丸に当たると内側から爆散させた。
さらに頭上に張られた陣へエネルギー弾を撃ち込むと、透夜の陣は粉々に砕けて消えた。
「・・・七星でありながら開祖摩夜の技を悪変したな。」
「修行の末に独自アレンジをしたまで。やっと透夜様の星廻交降術と対戦出来ること叶いました。
さあ、もっと楽しみましょう。星の導きのままに!!」
「お前に星の声が聞こえるわけないだろ。身の程を知れ、痴れ者が。」
憎々しく言葉を吐き出した透夜は、一瞬で男の眼前に転移しており、肘を引いた姿勢から構えた手の平で男の腹部狙って突き出した。
「辰星波弾。」
「射弾!」
ゼロ距離で男の腹に穴を開けようと放った高圧縮のビームを、男の杖から放たれた細いビームに相殺される。
両者、一瞬の時だけ睨み合う。
怒りで眉間に皺を寄せ険しい顔をした透夜と相反するように、男はどこか夢見心地な、恍惚に染まった瞳で透夜を見下ろしていた。
間近な距離で、男が再び笑うので、透夜は彼を捕らえることを優先とした戦い方を止めることにした。
―こいつは此処で半殺しにでもしておかねばならない。そう本能が告げていた。
透夜の肩に乗っていた羽織の裾が風を受け高く持ち上げられた。
透夜の足下から緑が混じった水色の明かりが生まれた。
「轟け、喚け、姿を見せよ唐鋤星(からすきぼし)。」
余裕の笑みを崩さなかった男から、笑みが消えて初めて焦りの色を見せた。
円形に広がった水色の光に足が捕らわれる。靴の裏が地面にくっついて離れないのだ。
たった一瞬体の自由を奪われた。それが命取りだった。
「貫け、捕らえよ、足垂れ星。」
足下から白い光の柱が何本も生えてきた。
実態を持たぬ筈の光に男のふくらはぎ、太もも、二の腕、などが貫かれる。
男は小さく声を漏らし、綺麗なグレースーツとコートに穴が開く。
衝撃で顎を上げてしまった角度のまま、瞳だけ透夜を見下ろした。透夜が素早く次の術名を唱える。
この術は――・・・。
透夜が繰り出そうとする術を学んでいた平川は、その瞬間に己の敗北を悟った。
やはり選ばれし宗家嫡男。
なんと素晴らしいのだろう。機転も利き、技の威力も洗練され心地がよい程だ。
本気を出していれば開始数秒で命は散っていたに違いない。今は周りにいる人間達―特に妹に被害が及ばぬよう考慮して力をセーブしていた。それに、殺意はあっても本当に人を殺すことは出来ないのであろう。次期当主とはいえまだ学生。
だがわかる。私には分かるのだ。
十一年前、掟を破り行動に移したことは間違いではなかった。あの時は彼の父に邪魔されてしまったが。
今こそ、七星を、いや術士全体を背負うお方の力になれるかもしれない。
この若き天才こそ、未来の――
「おい、何一人で悦に入ってんだよおっさん。キモイぞ。」
「勝手にバトル始めちゃって、ボスに叱られるねー。」
「いやそれはお前だろ。」
透夜の意識がわずかに逸れたことで、平川は足の裏に力を溜め術を反転させることで拘束を解きビルの縁まで飛んだ。
透夜がほとんど壊してしまったビルの屋上に、ジーパンをはいた鬼と、自宅を襲った黄色タイツの少年が立ち、平川も二人の脇で膝をつきながら息を整えていた。
丁寧にスニーカーまで履いている鬼は、背中に少女を背負っていた。あれが生田目家の末裔であろう。
「ボスが帰ってこいってさ。」
「ええ・・・。ですが出入り口は―」
「開いてるよ。」
黄色タイツの少年が口元だけで笑ってみせた。
目は一切笑っていなかった。むしろ、好戦的で快然たる野性的な光がチラリ映ったことで、透夜の頭から怒りが引いた。
本能が、警戒音を上げる。
何か巨大な力に頭を押さえつけられたような錯覚の後、透夜が生田目家の娘から奪った結界が解けた。
ドーム状に覆っていた薄い幕が飴細工のように端からドロドロに溶けていく。
先ほどまで夜を拒み水色に近い藍色のままだった空が、一気に暗くなり見慣れた夜の帳色に変わる。
遅れて、街の騒音、大量の人の気配、ビル群のライトが一気にのしかかってきた。
透夜が立つビルは一切傷がついていなかったし、道路を闊歩していた髑髏達はいなくなっている。
「じゃあね、七星のお兄ちゃん。きっとすぐ会えるよ。」
透夜が猿鬼を呼び出すより早く、目の前の三人はビルから飛び降りて横浜の街に消えてしまった。
ビルの縁に立って見下ろすも、姿どころか気配もなかった。転移でもしたのだろう。
街の灯りにも負けずに一等星が顔を出して瞬きを繰り返す。
この空しさをなだめるような星明かりに、悔しさで握りしめていた指を解いた。
父の笑顔が脳裏を掠めたが、霧の中に隠れてしまう。
見下ろす派手で主張が強すぎる夜景を見ながら、随分遠くへ来てしまったものだと改めて思う。
彼の肩から羽織が消えた。
「お兄ちゃん!!」
声がして振り返る。
白虎の背に乗った夏海がビルの屋上までやって来て、白虎から飛び降りこちらに駆けてくるところだった。
その後ろで、紙の鳥に乗って後を追ってきた頼安と嵐の姿もあった。
「お兄ちゃん大丈夫!?急に結界が解けて、髑髏達はいなくなったけど、鬼が―」
「ああ、もういい。」
駆け寄ってきた夏海を右腕で抱き寄せて、肩口に頭を埋める。
突然兄に甘えられて、夏海が驚きの声を漏らす。
が、すぐその頭を撫でてやった。どうやらかなりお疲れのようだ。
「怪我はないか。」
「ないよ。」
「そうか。寝る。」
「寝る・・・?えっ!?ちょ、お兄ちゃん!?」
急に全身から力を抜いて抜け殻になった兄が夏海に寄りかかったせいで、
支えきれなくなりしゃがみこんで兄の頭を腕に抱く。
宣言どおり、兄は眠ってしまっていた。
遅れて駆け寄ってきた頼安も動かなくなった透夜を珍しげに見下ろした。
「そういや透夜クン、昨晩徹夜したって言ってた。」
「睡眠不足のままがしゃどくろと戦っていたんだ。緊張の糸が切れたのだろう。」
「お兄ちゃん、がしゃどくろ倒した後誰かと戦っていたみたいだった。お兄ちゃんが、敵を逃がすなんて・・・。」
彼らの頭上で鳥が鳴いた。顔を上げると、誠司さんの灰色鳥が心配そうに頭上で旋回していた。
「とにかく一度帰ろうか。」
「わかった。」
そう言って夏海は、眠る兄の体を軽々と持ち上げ、お姫様だっこで歩き始めた。
「ままま待って夏海ちゃん!?そのまま運ぶの!?」
「当たり前じゃないですか。」
「プライド高い透夜クンが知ったら怒るよ!?術士の誰かに見られでもしたら大惨事!」
「アタシが運びたいの!お兄ちゃん、めちゃくちゃ頑張ったみたいだから。」
「俺がおぶる。ついでに車で送るから。」
堂々と兄を抱えて歩き出した女子高生を、大学生二人がかなり焦った顔で後をついていく。
しんがりにいた白虎は、虚空に目をやった。
「お前、主に言われて敵の結界を支配してなかったか?」
「ああ。支配を奪われた。白虎よ、ずいぶん懐かしい気配がしたぞ。」
「そうであろう。主が敵を逃がした。こんなこと出来るのは今の日の本では奴ぐらいじゃ。」
「強すぎる力も厄介なものだな。あの子は誰より平和とあたりまえの日常を渇望しておるというのに。」
白虎は透夜を放そうとしない夏海をなだめるべく、駆け足で後を追った。
今し方話していた気配は、街明かりすら届かぬ場所へ消えていった。
*
父と母を失った夜から五日経った。
遮光カーテンもなく障子だけの和室は朝日が眩しくて、優しく抱いてくれる布団の誘惑を振り切った透夜は、布団から起き上がった。
誰もいない家に帰るのも辛かろうと、師匠である柱可和尚の家に泊めてもらっている。
渡り廊下を歩いていると、雨戸は全てしまわれガラス窓も開け放たれていた。
まだ陽が昇って間もない生まれたての朝の匂いが充満している。
生まれたばかりの柔らかな陽の光が、師匠の小さな庭に優しく降りかかる。
師匠が趣味でやっているガーデニングでは色とりどりだが控えめな花たちが並び、
ミニ農園にはミニトマトが可愛らしく実っていた。
その近くで蜜を求めてモンシロチョウが飛んでいる。
五日前に起きたことが、夢なのかもしれないと、一抹の期待が残酷に胸の中に忍び込んでいる。
再び元の平穏な生活が展開されるのではないかと、考えてしまう。
柵の向こうから穏やかに笑いながら袖を合わせて父がやって来て、
建物の裏からほうきを手に掃除をしていた母が顔を出して―。
「お兄ちゃん、頭いたいいたいなの?」
真横から声を掛けられ、ハッとして顔を向けた。
自分の左側に、幼い少女―妹の夏海が心配そうな顔でこちらを見つめていた。
「夏海がおまじないかけてあげる!」
ぴょん、と飛びはねながら兄の隣に並んで背伸びする。
しかしまだ兄との身長差はかなりあり、かかとを浮かせても手は兄の頭に届かない。
透夜は膝を折って、頭を差し出してやる。
「いたいの、いたいの、とんでけー。」
「うん。ありがとう。元気になったよ。」
そう言って頭を撫でてやると、夏海は満面の笑みを浮かべてキャッキャと笑った。
本当に太陽みたいだ。
同時に、もう父も母もいないことを悟る。暖かな生活は遠のいたことを知る。
でも大丈夫。
自分にはまだ妹がいる。
今度こそ守り抜かねばならない。
まだやることがある。
両親が残した思いを叶えねばならない。
強くならねば、透夜はそれだけを胸の奥で何度も何度も唱え続けた。