神宿りの木 たまゆら編 13
体が床に打ち付けられた。
痛む膝をさする間もなく、目に入ってきた光景に急いで立ち上がる。
夢を渡りすぎてどれか現実なのかわからなくなっていた真人も、天御影に帰ってきたのだとすぐに気がついた。
薄暗い照明、コンクリートで補強されただけの壁、天井を這う錆びた配管。
なにより、におい。
埃っぽさ、焦げ臭さと、鉄っぽいにおい。血だ。これは夢の中には存在しなかった。
間違いなく天御影の知らぬ廊下に放り出されたようである。
ただ、壁は崩れ土砂や瓦礫の欠片が床に散乱し、廊下の向こうで照明がチカチカと明暗を繰り返し、どこかから地響きが聞こえる上に、足の裏に振動を感じる。
十杜やエキとの戦闘でも此処まで壁が壊れることはない。
「また地震があったのか?なあ、一体どれぐらいの時間が・・・、九郎?」
足下をみると、白い塊があった。
ずいぶんと小さく縮んだ白狐が倒れていた。
慌てて抱き上げてやる。呼吸はしているが、目は固く閉ざされて開く気配は無い。
以前のように、力を使い果たしてしまったのかもしれない。
小狐をぎゅっと抱き寄せ、とにかく真人は足を動かした。
ナカツカミは神門を目指せと言っていた。
それがどんなもので、どこにあるのかはさっぱりわからない。
けれど、行かねばならない。そこが入り口だと確信していた。
彼女がそこに居ると、心が訴えていた。
通路を走り続けると、崩壊が酷い場所に出たり、くすぶる火が残っているのを目撃するようになってきた。
人の気配はなく、空気はひどく濁っているため呼吸が苦しくなってくる。
瓦礫に潰されている腕が見えた。かなり大きな地震に襲われたのかもしれない。どうしようも出来ず心の中で謝りながら横を通り過ぎる。
動かない小狐を抱えながら走っていると、やがて細かく続いていた振動が激しくなり縦揺れに襲われた。
立っていられなくなり壁に手をついて揺れに耐えていると、コンクリートが崩れる音がした。
縦に振るわれる視界の中で頭上から大きめの瓦礫が降ってくるのがわかったが、床に叩き付けられるような強い揺れに身動きが取れず、小狐を胸に抱えて体を小さく折りたたむ。
「みっともねーなぁ、真人。」
痛みを覚悟したところで、声が降ってきた。
揺れは徐々に弱くなり、天井からパラパラと砂が降ってきた向こう側に、懐かしい顔が二つあった。
崩れた瓦礫を飛び越えて真人と合流する。
「ヤマト!緑延も!」
「こんなとこでなにしてんだ、バカ。」
「無事でよかった・・・。避難してなかったとは、不幸中の幸いというか、さすが真人さん。」
「なあ、此処何階層?!」
感動の再会の余韻に浸ることなく、立ち上がりながら詰め寄ってくる真人に、面くらいながら緑延が答える。
「よ、4階層だよ。」
「思ったより上だった・・・。お願い、沙希を探すの手伝って!」
「沙希様?」
「沙希に預けてたものを取りに行かないといけないんだ!あれが門に導いてくれるはず!」
「待て待て待て!今天御影は崩壊中なんだよ。上の方がまだ若干マシだ。避難すっぞ。何言ってるかさっぱり―」
「地上で沙希様と藤堂隊長の姿を見ていない。きっとまだ天御影で仕事をしていると思うんだ。地上避難を訴えたのは一ノ瀬さんらしいから。」
「お、おい緑延。」
「僕たちを此処に連れ戻した存在は、真人さんを守れって言ってた。それに、ほら」
緑延が持つ錫杖に埋め込まれた緑の玉が光り、薄くなっていた翡翠の体がはっきりと映る。
疑わしげに手を上げたヤマトの手に、赤い雷が生まれた。
「力が、戻ってる・・・!」
「さっきも無意識に雷で石を砕いてたじゃないか。」
「ああ、そういやそうだ。仕方ねぇ。お前の勘はあたる。総隊長の場所まで連れていきゃいいんだな。」
「ありがとう!」
また揺れが始まった。ギシギシと嫌な音がする。
時間が無い、と少年達は走り出した。
「ここの人たち、地上に避難したの?」
「上はゴチャゴチャしてるし、天井高くて落ち着かねぇなぁ!」
「真人さんに色々案内して欲しいところだけど、上も混乱してる。地震に加え、人が突然十杜に変化したり、見たこと無い黒い触手が襲ってきたり。せっかく避難した人たちが犠牲になってるんだ。」
「現状をどうにかする術を一ノ瀬さんや藤堂隊長なら知ってるかと探してたら、急に声がして、お前を探せって天御影に戻された。」
「声?それってどんな―」
目の前の地面が突然盛り上がり何かが飛び出してきたので3人は急ブレーキをかけ足を止めた。
「黒い触手って、これ?」
「散々好き勝手しやがって!こんがり焼いてやんよ!」
地面を蹴って高く飛び上がったヤマトが、目の前に現れた半透明な黒い触手に赤い雷を打ち込む。
狭い廊下が赤く点滅し、身震いした触手が真っ黒に焦げて地面に蔦を落とした。
「<シンジュ>は効くみたいだね。ヤマトくん、時間がないから前衛でとにかく突き進んで。瓦礫は翡翠が。真人さん、進路は。」
「ひたすら下!」
「テキトーだな。」
と吐き捨てながらも、真人の力強い双眸に口角を上げて笑ったヤマトは、身を低くして走る。
二人もそれに続き、まだ細かく続く揺れで落ちてくる細かい瓦礫や砂をくぐり抜けていく。
黒い触手は床や壁から次々現れるようになった。
「聞くタイミング逃してたが、その毛の塊なんだよ?」
「友達。今弱って気絶してる。」
「神聖な白狐まで友達ですか。さすが真人さんだ。」
「さすがで済まされるのお前ぐらいだぞ・・・。」
右の壁を突き破ってきた触手を翡翠が叩き、ヤマトが雷で焼く、
その間も足は止めない。
通路を抜け、円形の空間に出た。
立杭のような作りをしているが、床は2階層下にちゃんとある。
錆びた壁沿いに掛けられた鉄筋の通路を走る度、カンカンという甲高い足音が反響した。
眼下にある床に、触手が3本生えてきた。
体をうねらせながら、標的を探している。
「目というより、耳で探してるみたいだね。」
「耳はねーだろうが。」
「細かいこと言わないの。この通路の先にある非常口から火群を越えて行こう。」
「あ?そっちは綴守の方だろうが。」
「総隊長達が脱出せず何かを行っているなら、間違いなく綴守でしょ。あの集は三神の御子が建てた家だもの。どう、真人さん。」
「いいと思う!」
「へいへい。道が潰れてないといいけどな。」
通路の途中に現れた鉄の扉を先陣のヤマトが蹴り開ける。
錆びた臭いが強くなった。
扉の先はまた別の通路で、頭上にむき出しのまま這われた配管はところどころ切れ水が垂れ電気がはじける音が小さく鳴っている。
幸い此処もまだ電気は通っておりまだ無事な蛍光灯が道を照らしてくれている。
「桃那の家に残ってた世界終焉の予言当たってたんだな。」
「神眠りの日が一度だけ名称を変えて、神が目覚める日になるんだよね。」
「なにそれ?」
「天御影に古くから伝わる、全一族共通の予言があるんだと。この世界はいつか終わるって言われ続けてきた。胸くそ悪いことにな。」
「僕は十杜や鬼妖に襲われて人間が全滅するとかそういう話だと思ってたよ。」
「地上の様子みたら、嘘じゃねぇんだと思ったよ。信じたくない頭はあるが、天御影もこんなになっちまったし。」
「希望も未来もないってことかな。どう受け止めていいかわかんないね。」
「わかんねぇけど、俺達走ってるだろ。なんだか滑稽だよな!」
爽やかにそう吐き捨てて笑ったヤマトの横顔をみて、
真人は、これが僕のやるべきことだとそう無意識に悟った。
あまりに感嘆に心の整理がついてしまったので、友人達の横で真人も笑った。
「大丈夫!皆の未来、僕が繋いでみせるよ!」
「何だよ。窮地に立ってついに頭おかしくなったか?」
「はは。真人さんが言うと本当になる気がしてくるから不思議だよね。」
「全部終わったら一緒に地上で遊ぼうよ!ほら、前にゲーセンが気になるってヤマト言ってたじゃないか。」
「壊されてないといいな。十杜と触手どもに。」
「そういえば十杜もエキも見ないね。まさか全部地上に行くなんてこと――」
緑延の言葉が途切れ、隣を走っていた気配が消えたので自然と後ろを振り返る。
天井に近い位置で、緑延のひょろりとした体が浮いていた。後ろから黒い触手に胸を刺されて。
つい先ほどまで笑い合っていた緑延は表情を引きつらせたまま動かなくなり、胸元からどろりと鮮血が床に落ちる。
目の前の現実が全く理解出来ず、数秒思考が停止し呼吸すら忘れてしまう。
真人の後ろで爆音が轟いた。
咄嗟に片腕で頭を守りながら振り向くと、通路の左の壁から触手が3本現れ、前を走っていたため離れていたヤマトの体が
瓦礫に押しつぶされていた。
唯一覗く左腕に、赤い海が広がって纏わり付いているところだった。
たった一瞬。いとも簡単に告げた終わりに絶句するしかなかった。
頭が理解するより早く足が震えてやがって立っていられなくなりその場にへたれこむ。
抱えていた九郎が転がって床に落ちる。
数秒前まで笑って話していた大切な友人が、こんなに簡単に動かなくなってしまった。
受け入れられるはずがない。たった今、二人の未来を守ると、そう確信を得たばかりだというのに。
「ぼ、僕のせいだ・・・。あのまま、一緒に地上に逃げていれば、二人は―。」
絶望に沈む真人の前で、ヤマトに大量の瓦礫を降らせた触手三本がうねりながら向きを変えまるで獲物を見つけた蛇のように近寄ってくる。その先端に目がついていたならば、油断のない目を細めていただろう。
床に転がった衝撃で目を覚ました小狐が、咄嗟に状況を理解し立ち上がったが
小狐もまた余力がほとんどなく四本の足が震え立っているのもやっとという出で立ちであった。
戦うことを諦め、今度は座り込む真人の上着を口で引っ張り立ち上がるよう抗議する。
真人は全身を震わせ、目を見開いたままブツブツ呟いて動く気配は無い。
現実を拒絶している。
シンめ、真人の心をまず殺しに来たか―。
戦う力は既になく、真人も動かない。なら残る手段は―
「真人。」
青い粒子が踊り、白いものが舞い上がる。
その場にいた触手が全て切り刻まれ黒い霧となって消えた。
座り込む真人の前に、綴守の守姫―沙希が現れた。
颯爽と現れた彼女は片膝をつき俯き加減の顔を覗き込む。
彼女の目は青白く染まっていたが、徐々に元の奥深い黒に戻るのを九郎は目撃した。
「行きましょう、神門へ。瑛人が待ってる。」
「沙希・・・。」
沙希が左手を真人に差し出し、握っていた指を解く。
手の中には、水色に光る勾玉が収まっていた。
真人の顔が正常に戻り、彼女の手からそれを受け取った瞬間二人の体はどこかへ消えてしまった。
小狐はしばらくその場でくるくると主が消えた場所を回って鼻をヒクつかせていた。
「もう俺達にやるべきことはないぞ、九郎。」
(お前・・・ずっとついてきていたな。)
突然姿を見せたかと思えば、崩れた瓦礫を一つずつ払いのけ始めた大男に、小狐は低い声をもらす。
実際の声ではなく思念であったが、この男には届くのだ。
「我ら金鵄は全てを記録することを義務づけられている。だが、神門へは行けない。
あそこは選ばれた者しか入れない神域。俺の役目も此処までだ。」
丁寧に丁寧に、重い瓦礫を全てどけ、動かなくなった少年を抱き上げて此方を向いたのは
額から左目にかけて傷のある六本鳶松の長、久我であった。
「力を分けてやる。そちらの少年を運ぶのを手伝ってくれ。」
(亡骸を運んでどうする。この世はもう終わるのだ。)
「五伴緒の魂は無事神の元へ届けられる。彼らにはまだ、岩戸を開ける役目が残っている。」
(神々がこの世を助けると思うか?神樹と彼女の魂を抱いてさっさと天に帰るに違いない。)
「あの二柱はシンを野放しにしたまま天には戻らないだろう。きっと神籬の背を押してくれる。」
(ずいぶんと希望論者になったものよ、金鵄ともあろう者が。)
「お前こそ、神の使いでありながら勝手にシンの領域に入って神籬を助け出したではないか。神力を全て使ってまで。」
フン、と不機嫌に鼻を鳴らした小狐の姿が大きくなり、元の大きな狐になると、床に落ちた緑延の背中に鼻先をつっこみ
器用に体をくねらせてその背に乗せた。
(そういや、五伴緒といいつつ、魂が一つ足りてないな。)
「あれの魂はもうシンから解放されマガツカミが無事連れて行った。」
(アイツ・・・。そうか、だから人間に成ったうえに神使の俺を縛れたわけか。どこまで行っても、不憫な奴だ。)
久我と九郎はそれぞれ亡骸を抱え、崩れ続ける天御影を抜けながら地上へと走った。