2弾目
ガラッシアの拠点は、町の中心部に近い地区にある。
茶色をベースとした木造3階建ての四角い建物は、外観だけなら洒落た金持ちの別荘だ。
マフィアの拠点も知っているアキトは、組織ってものは意外と一般的な装いを好むのかもしれないと考えたことがある。
1階のロビーでタカヒトを待たせ、3階の角部屋を訪ねドアをノック。返事を待たず扉を開けた。
「ああ、流石早いな。」
「さっさと来いと言ったのは貴方ですよ、シベリウス。」
ガラッシアの最高幹部でありアキトの直属の上司であるゲンジロウ・ジョルダーニは、読んでいた分厚い書類をデスクの上に置いた。
初老男性で髪は真っ白だが、体格や厳格そうな目つきはまだまだ現役。
若い頃は警察に勤めていたこともあり、厳しいところもあるが、正義感溢れる真っすぐな人だ。
昔、街を仕切っていた権力者が、彼がピアノを弾く姿を見て音楽家と同じあだ名をつけたらしく、以来彼の俗称はシベリウス。
書類と一緒に老眼鏡も戻し、デスクの前まで寄ってきたアキトを見上げる。
「今度の依頼はカルドの幹部連中からだ。しかもお前たちクインタをご指名ときた。」
「隣町の組織が我々に?」
「奴らの大ボス、わかるだろ。」
「ピングイーノ、ですよね。」
「そうだ。ピングイーノからある品を任され輸入運搬船に乗せて運び、昨晩未明、このリセルの町に寄った。
貨物運搬と物資調達してる間にその品とやらが消えた。カルドの奴らも護衛を任されてた手前、
盗まれたものをきっちり取り戻さないと組織は潰される。
そこで、土地勘が一番あり機動力があるお前さんたちに協力を仰いだということらしい。」
「ピングイーノ絡みってのが、気が重いですね。」
「そうじゃろうな。上層部の連中も、同盟関係にあるカルドからの依頼は何としてでも遂行したい意向だし
ピングイーノが慌てるほどの品を見つけて1つ恩を売っておきたいって欲が見え見えだ。これが資料だ。」
デスク越しにアキトに書類を数枚渡し、シベリウス自身は葉巻を取り出し火をつけた。
アキトはもらった書類に一通り目を通し、眉根を少し寄せた。
「いわく付きの宝石、ブルーフェアリー…。」
「近年の研究でも鉱石かどうかもわからん未知の代物。裏社会のさらに裏で高額取引されているらしい。
それがどんな経緯でピングイーノが運び、どこに運ぼうとしておるのかは流石に教えてはもらえんかったがのぉ。」
「そんな貴重な品探しの依頼を、他所の町のチンピラにやらせるとは無謀ですね。」
「カルドがピングイーノに許可を取ったとも思えんが、余程焦っておるのだろう。」
「隠密で動いた方がよさそうですね。」
アキトは書類を脇に挟み、葉巻を味わう老人に目を向けた。
シベリウスの後ろにある大きな窓の向こうには、昼の穏やかな陽気に照らされた庭が青々と茂っている。
室内と外では、まるで世界が違って見えた。
リセルの町はいつも平和で穏やかで、時たま、夢の中で微睡んで町を眺めてるような錯覚がするのだ。
「ガキ共は優秀だが慎重に使え。暴れまわって事を大きくしすぎるのも問題だ。」
「まずは痕跡を調べ、それからあのトリオを動かします。」
「それがいい。」
「お疲れですね、シベリウス。」
「あのマフィアの右腕が頭脳派なおかげでリセルの景気は右肩上がりでな。外敵がやたら増えた。」
「ハハハ。」
「笑いごとではないわい。」
不機嫌そうに顔の皺を深めた老人に、労いの意味も込めて手を掲げてみせた。
「たまにはお孫さんの顔を見て癒されたらどうです。もう幾つになりました?」
「6つだ。」
「いいお婿さんをもらいましたね。」
「マフィアだぞ。孫娘もまだ幼いからいいが、世の中を理解するようになったらどうするつもりなのか…。」
「ありのまま、でしょうね。あの夫婦なら。」
「フン。…雑談はこれぐらいでよかろう。さっさと仕事をしろ。」
「はい。何か掴めたらすぐ連絡します。」
踵を返し、退室した。
1階でタカヒトと合流し、車に乗り込む。
黒塗りのクラシックカーはシベリウスからのおさがりで、エンジン音は気になるが元持ち主に似てまだまだ現役だ。
ネクタイを緩めてから窓を全開にして、シートに埋もれると流れる街並みを眺める。
「じーさん、元気だったか?」
「相変わらずだったよ。ただちょっと疲れてるかな。」
「そんなヤバイ山を寄越してきたのか。」
「盗まれた品を探せってさ。情報が少ない癖に期限が短い。品もかなりやばそうだ。おまけにピングイーノが絡んでる。」
窓枠に肘をつく。
バックミラー越しにアキトの顔を盗み見て、タカヒトはハンドルを回す。
「マヒト達にはこの件ギリギリまで知らせないようにする。なるべくなら関わらせたくない。」
「俺はいいのか。」
「頼りにしてるよ、兄さん。」
「はぁ…。お前にコキ使われるのには慣れてるがな。」
血の繋がらぬ長兄も、アキトを真似てネクタイを緩めた。
*
「ねー。黒猫亭のクレープ食べに行こうよー。」
「昼飯あんだけ食っといてよく言えんな…。」
「マヒトさん甘党だもんね。」
「デザート食べないと落ち着かないんだよー。」
「ボウリングしたいって言いだしたのお前だろうがよ。」
「だからぁ、ボウリングの前に…、ん?」
マヒトが足を止めたので、二人も足を止める。
丁度道の角の手前で、人が走ってくる音が左から聞こえてくる。
足音がどんどん近づいて、角から飛び出してきた男が目の前を通過―…した所で急停止。
無精ひげをうっすら生やした中年男性は、スーツ姿の青年三人を血走った目で凝視した後、右手にぶら下げていた銃を向けた。
リョクエンが短い声を漏らしたが、ヤマトが腰にぶら下げていた刀―を模した木刀で銃を握る手を叩いた。
男は銃を落とし、もう片方の手に持っていたシルバーのスーツケースを胸に抱いた。
「クッソ!これだけは渡してたまるか!」
「いやいらねーから、そんなもん。」
四つ角の左の方から、今度は軽薄なー今時の言葉で言えばチャラチャラしたー若者が三人やってきた。
いかにも町の調子づいた不良という出で立ちで、見た目が兎に角派手でだらしない。
世の中を舐めきったような表情で薄ら笑いすら浮かべながら、バットや鉄パイプを握りしめている。
真ん中にいた緑のヘッドバンドをした若者が銃を落とした男を見てニヤリと口角を上げた。
「お仲間と再会してよかったなぁ、おっさん。いや部下か?ガキら共々ぶちのめされたくなかったらそのオタカラこっちに渡しな。」
「これは貴様らみたいなチンピラが手にしていい品じゃないんだ!」
銃をヤマトに落とされた男は、不良とヤマト達を見比べたのち、すがるような眼をヤマト達に向けた。
「頼む助けてくれ!俺はこのケースをどうしても届けなきゃならないんだ!」
「は?知るかよ。すれ違っただけで銃口向けてきやがったくせに。」
「金ならいくらでも払う!君達みたいな若者、金さえ積めばなんでもやるだろ?時間稼ぎをしてくれればいい!」
「あれー仲間じゃなかったのか。ま、そりゃそうだよな~。そんなスーツなんて着たませたチビ。」
「ジュニアスクール卒業してなさそうなちびっこギャングが仲間ってのも、笑えるがな!」
不良がゲラゲラと笑い出したと同時、マヒトは溜息をこぼし、リョクエンは笑みを深くした。
そして同じことを不良三人組に向け胸中で言った。ご愁傷様、と。
不良三人組の左側にいたモヒカンが、突然腹を蹴られ前のめりになり、地面と対面する前に膝蹴りを食らった。
真ん中にいたヘッドバンド男は重い拳で顔面を殴られ、前歯を何本か失いながら後ろに倒れた。
最後に、右にいたピンク髪の男は手に持っていた鉄バットを奪われたのち、それで急所を思いっきり叩かれ悶絶した。
あっという間に不良を制したヤマトは、くるりと首を回してスーツケースを抱えた男の首裏を思いっきり手刀で叩き、気絶させた。
ヤマトが細く長く息を吐くと、マヒトはやる気なさげに手を叩いた。
「お見事~。」
「ヤマト君に身長の話は禁句中の禁句だと、そこのお兄さん達も身に染みてわかったみたいだね。」
「でもこのおじさんまで倒さなくてよかったんじゃない?どう見たって被害者だったよ。」
「俺達にナメた口聞いたから腹立った。」
マヒトは口から泡を吐いて倒れる男の近くに膝をついて、スーツケースを奪った。
カギは掛かっていたのだが、4桁のダイヤル式ロックは、物の数秒で解かれてしまった。
*
ガラッシアの本部から出たアキトは、アジトに戻る前に寄り道をしていた。
気の乗らない寄り道ではある。
町の西側、工場が並び労働者が多い地区に車は入り、錆びれた道路の脇に止めてもらう。
考仁に車を託し、徒歩で裏路地を歩く。
工場を囲む石壁が左右に並ぶが、突然開けた場所に出て、鉄の大きな黒門が現れた。
門の左右にはいかにも“そっちの道”である柄の悪そうな男が手を後ろに組んで立っていた。
右側の男がアキトに気付く。
「久しぶりじゃねぇか、アキ坊。」
「どうも。今日はボスいます?」
「ちょうど帰ってきたところだよ。中には知らせといてやるから、勝手に入んな。」
「ありがとうございます。」
厳重そうな門がゆっくりと開き、アキトは門番達にバレぬよう小さく溜息を落としてから、重い足を引きずって中に入った。
門から続く短い道を辿り、現われたレンガ造りの家の玄関扉を開けた。
ガラッシアの本部が金持ちの別荘風なら、こちらの建物はただの民家。
広さは民家の3倍はあるのに、生活感は皆無だ。
玄関ホールは綺麗だが、極めて質素。物が少なく、絨毯すら敷いていない。
外観は街に溶け込むカモフラージュなのかもしれないが、此処の主人が物に執着しないというのが一番の理由だろう。
出迎えてくれる使用人もいないので、慣れた足取りで二階へ続く大階段を登り、廊下の一番奥にある扉をノック無しで開けた。
ガラスが嵌められただけの大きな窓がまず目に入り、白い壁が昼下がりの陽を浴びて輝いていた。
質素な木造机と安そうなソファーが一対。白いチェストと、足の長い丸机、丸机の上には花が活けられた花瓶が載っている。
この部屋にあるのは、それだけ。
対して広くないこの部屋こそ、この屋敷の主が使う執務室である。
部屋には男が二人おり、ソファーの左側で気だるげに座り、足を机の上に乗せていた男がアキトを見るとニヤリと口角を釣り上げた。
「よぉ、坊主。やっと俺らの傘下に入る決意がついたか。」
「するわけないと知りながら聞かないでくださいよ、タケルさん。」
「おはよう、アキトくん。」
左側の男と打って変わって、反対側にいた黒髪の男は綺麗な微笑みを向けてくれる。
キチンとした身なりで、キチンとソファーに座ってコーヒーを飲んでいる。
歳は40手前だろうか。優しそうな顔つきだが、その漆黒の瞳の輝きはどこか謎めいている。
「もう昼は過ぎましたよ、カズキさん。」
「おっと。タケルの遅起きが移ったせいで感覚が麻痺してたよ。お義父さんは元気だったかい?」
「シベリウスは相変わらず心労で大変そうでしたよ。俺がガラッシアからの帰りともう知ってるんですね。」
カズキという名の黒髪の男が腰を浮かせ、席を空けてくれたので、アキトはその隣に腰かけた。
安っぽい机をはさんで対面する男は、カズキより歳は若そうに見え、オレンジ交じりの茶髪。
どこか不真面目な雰囲気を漂わせながらも、心の底を決して覗かせない油断ないこの男こそ
リセルを含めた近隣一体を牛耳る、マフィア・ブラッティマリーの若きボスである。
先代が病気で引退したためすぐに後を継いだらしいが、正直、先代よりも統率も資金運用も上手い、とシベリウスは言っていた。
アキトは幼いころよりこのマフィアのボスを知っていたし、ボスもアキトの頭の良さを見抜きよく勧誘してきたりもしたが、
アキトはこのボスが昔から苦手だった。
頭も勘もよく、口も自分より数段上手いため、交渉は絶対成功したことがないし、嘘は絶対見抜かれる。
頭脳戦を得意としているアキトにとっては、自信を根こそぎ奪うだけの絶対的強敵でしかない。
そんな微妙な心境を隠そうともせず見つめてくる青年に微笑んで、ボスはソファーに埋もれたまま口を開いた。
「昨夜港で不審な動きがあった。定時連絡だけはしっかりしてたみたいだが荷物積み下ろし中に動きがあったのは確かだぜ。」
「耳が早い…。」
「俺から言わせれば、ガラッシアの盗聴対策が甘々。」
「シベリウスに伝えておきます。一応確認したいんですが、どこまでご存じで?」
「1から100までに決まってんだろ?町の主が、町で起きてることを知らないわけがない。
ピングイーノからブツを盗んだ連中は港の警備を装って、あらかじめリセルにやってきていた仲間にブツを渡した。
今部下に追跡させている。定期連絡で現在地はまもなく入るだろうな。」
アキトは頭を抱えてしまいたい衝動を必死に抑えた。
ガラッシアの屋敷を出て自分が持つあらゆる情報網を使っても、ピングイーノの船から盗まれた品の足取りが掴めなかったのに。
時間がものを言いそうだったので、仕方なくマフィアを頼ってみたが、彼らはもう全て把握していたようだ。
この街に降りた人間には、もれなくマーカーか発信機を仕込まれているんじゃないかと本気で疑ってしまう。
「マフィアの構成員舐めんなよ。」
「すみません…。タケルさんなら、ブルーフェアリーの噂も知ってますよね?」
「噂だけな。今の所有者が誰で、どのぐらいの値段で取引されて、とかまでは知らない。興味なかったからな。
うちのファミリーは宝石の取引はやってねぇし、肥えたブタ共の娯楽の一種はゲスで嫌いだ。」
「なんでも、成分が未だにわからない上に、鉱石かどうかもわからないのに、多額取引されているとか。」
「謎のままのほうが値打ちあがるから、誰も精密検査しないだけだろ。」
「いわくつきの宝石って話ですが。」
「よくある話じゃないか。」
横で優雅にコーヒーを飲んでいたカズキが口を挟む。
「持ち主は必ず不幸になるジュエリー、魂を吸い取られる妖刀。オカルトめいた付属があるほうが価値が出る。」
「カズキ~。俺のアキトちゃんは純粋なんだよ。そういう話信じちゃうお年頃なんだよ。」
「マヒトと混同しないでください。俺はもう21ですし、貴方のものではありません。」
「ま、とにかくだ。」
ボスがソファーから背をはがし、体を前傾させ青年の顔を覗き込む。
一見地味な茶色の瞳が、複雑な色味でアキトを物色しているかのように光る。
品定めされているような、すべて見透かされる瞳が、昔から嫌いだった。
「ピングイーノなんてちゃちな組織に長居されるのは気持ち悪い。宝石をさっさと届けて恩でもなんでも売ってこい。」
ピングイーノといえば、南側の諸国で権力を強める一大組織だ。
表向きは貿易、不動産、会社経営などの企業を装っているが、裏社会でも幅をきかせ
麻薬取引、人身売買、武器密輸エトセトラ。危ない商売はだいたい手を出してると聞く。
規律や秩序を重んじるマフィアなんかより、かなり危ない組織である。
それをちゃちな、なんて暴言吐けるのは、世界広しといえど、身の程知らずを除けばタケルぐらいだろう。
生憎タケルは、身の程をわきまえたマフィアだ。自信家で傲慢なのは否定しないが。
「それより、お前が気を付けなきゃならんのは、カルドの連中だ。」
「カルドが自分たちで宝石盗んで、俺たちに罪を擦り付けようとしてるとか、ですか?その可能性は当然考えましたが、
マフィアでもないただの不良の集まりであるカルドがピングイーノを裏切る危険を冒して、何の得があるんです。」
「お前を指名したってことは、お前さんが俺と仲良しってことを奴らは知ってるってことだ。」
「カルドとガラッシアは同盟関係にあり、代表者同士が古い友人ということもあり絆は強いです。
絆を大切にする点はマフィアと通じるものがあるはずです。」
「全く、甘いねお前は。なあ、カズキ。」
フフ、と怪しい笑みを溢して、妖艶で魅惑的な輝きを持った黒い目を向ける。
黒曜石のように、深く強い輝き。
そういえば、彼の娘も同じ目を持っていたっけ。
「カルド内部に、革新派が生まれたのを知ってる?」
「初耳です。」
「若い幹部の一人が古い体制に不満を持って、お仲間を集めながら勢力拡大を狙ってる。
ボス同士の友情なんて知らない新参者なんだろう。若気の至りで、我々マフィアの寝首を掻こうと考えていないとは言い切れないね。」
「なるほど…。そこで先ほどの話に戻るわけですか。」
「俺の首は簡単には落ちないがな、お前の首は軽いだろう。
悪いが、お前が人質になろうが俺はファミリーを守るためならお前を捨てるぞ?」
「はい。ブラッティマリーやシベリウスには迷惑かけないようにします。」
「素直でよろしい。」
「ピングイーノの船は港を離れエンドス島に向かっている。今奴らのことは気にしなくてもいいが
どうやら次のオークションはカウス国でやるようだ。猶予は3日。それまでに宝石を届けねぇと、ペンギン様はお怒りだろ。」
「全く、恐ろしい人ですね。」
「お前の頭の良さは買ってるんだ。さっさと俺の傘下に下れ。」
「俺たちを見捨てたのは貴方じゃないですか。今更戻りませんよ。」
「恐ろしい子だよねお前は。この俺の誘いを断るなんてさ~。さぞかし周りから恨みを買ってるんだろうね。」
「その言葉まるっと全てお返しします。貴方が買った恨みに比べれば、俺なんて雀の涙ですよ。」
「言うねー。俺様にそんな口聞けるのはお前だけだよ。」
カズキは二人の会話を聞きながら、コーヒーを飲み切った。