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2.魚の夢を見た-2

彼女は朝目撃したのと同じ格好で、不審な様子で竹林を覗きこんでいる。
何かを、探しているのだろうか。
困っているなら放っておけないし、クラスメイトに挨拶するのは不自然なことじゃないだろう。
ちょっと心住まいを正し、自転車から降りて彼女に近づいた。


「どうしたの?」


声を掛けると、長い髪を振りながら彼女は振り向いた。
黒いダイヤみたいな大きな瞳を間近で向けられると、どうしていいかわからなくなる。
高貴で、美しく、直視してはいけない気さえするその瞳。
決して睨んでいるわけではないのに、強い眼力にほとんどの人間がやられてしまい話かけられずにいるのだろう。
彼女は真人を確認すると、屈めていた背を正した。


「真人くん。」
「呼び捨てでいいって。で、何か探し物?」
「そう。スカーフ、風に飛ばされちゃったの。たぶん、この辺りだと思うんだけど。」


そう言ってまた竹林に視線を飛ばす。
ここは海に囲まれたように突き出した土地なので、当然海風も強い。
防風林があっても風の向きによっては役に立たないのだ。
朝彼女を目撃した時にスカーフなんて巻いてなかったと思うのだが、女性は常に持ち歩いているのだろうか。


「大切なもの?」
「お母さんにもらったの。」
「それは大変。手伝うよ。」
「…いいの?どこかへ行く途中じゃ…」
「時間持て余して適当に走ってただけだから。柄とか色は?」
「黄色地に、ピンクの花柄。緑も少し入ってる、少し空けた素材のやつ。」
「わかった。」

 


真人は竹林のすぐ脇に自転車を止め、躊躇なく竹林に入っていく。
日光が完全に遮られているので、凄く涼しい。
暑くてどうしようもない日は今度から此処に避暑しにくるべきかと全く違うことを重う。歩行者からみたら怪しいか…。


「どの辺?」
「たぶん、あっち。」


真人を心配そうに―といっても無表情なので真人の感覚基準―胸の前で手を合わせ見守っていた沙希が指をさす。



「風に舞い上げられて、竹林の上に落ちたの。」
「了解。そこにいて。」


密集して生える背の高い竹をかき分けながら、沙希が指示した方に歩く。
日が当たらないせいか、スニーカーと靴下越しでも土のひんやりした感覚が伝わってきて、気味悪くなってくる。
進めば進むほど光が無くなっていき、影も濃く冷えてくる。
竹を両手でかき分けながらちらっと振り返ると、白いワンピースの美少女がこちらをじっと見守ってくれている。
少しでもおびえた姿を見せるわけにはいかない。男のくだらぬ見栄ってやつだ。
迷子にならない程度に竹林深く侵入し、竹の間からわずかに見える空の青を確認していく。
5分程あっちへこっちへ捜索していると、視界にひらひらしたものが入った。
顔を上げると、少し高い位置に生えた枝に黄色い透けたスカーフが引っかかっていた。
風に飛ばされ運よく引っかかってくれたようだ。
見つかったことと、この肌寒い林から抜けられる安堵感で息をついた。
スカーフを捉えている竹を揺らしてみる。しっかりと引っかかっているようで、ずれもしない。
今度はジャンプして背より高い位置の幹を掴むと、大きく竹自体をしならせる。
持ち手をどんどん上にずらし、手を離さぬよう注意し、より先端で竹を降る。
半分より上まで到達したところで、スカーフはやっと枝からひらりとはがれた。
ふんわり地面に落ちたスカーフを握って、大分遠くなってしまった少女がいる道へ戻る。
竹林を出ると、夏の暑さが一気にぶり返した。


「はい。」
「ありがとう。」
「飛ばされてなくてよかったよ。」


少女にスカーフを手渡すと、彼女はそれを大事そうに胸に抱えた。
相変わらずの無表情だったが、見つかって安堵したのだろう。


「お礼、しなきゃ。」
「いいって!通りすがっただけだから。」
「それじゃ私の気が済まない。家が近くにあるの。休んでいって。」


普段なら丁重にお断りするのだが、家に帰りたくない最大の理由があることと
私生活が謎のベールにすっぽり包まれた雨条沙希の家にちょっぴり興味があった。
確か彼女の祖父は全国的にも有名な島田製薬所の会長だと、誰かが噂していた気がする。
会社の社長と聞くと、豪邸しか思い浮かばないのは品疎な考えだろう。
お言葉に甘えて、と告げ、自転車のストッパーを上げた。
彼女の家は、この道の先にある高台にあるという。
高級別荘地帯の、頂点だ。
竹林が終わり、今度は森林に突入する。
鬱蒼とした森、というわけではないが、道が一本続いているだけで左右樹木しかない。
別荘らしき家も目に入らなくなってきた。


「自宅、森の中にあるの?」
「うん。この森はお祖母ちゃんの土地なの。」
「マジで…?別荘とか、結構あるよね?」
「下の方は安く土地を貸してるの。さっき小さい看板あったでしょ?」
「うん。」
「あそこから上が雨条の森。」


真人はこの街の地図を思い浮かべる。
この街の森林地帯は海沿いの割に街の商店街エリアを余裕で覆えるぐらいある。
防風森目的で木々を残している、もしくは海沿いにある森に囲まれた別荘という宣伝文句のために存在しているのかとずっと思っていた。
まさか私有地で、所有者がクラスメイトの祖母だとは。


「雨条家は、昔からこの土地を治めていた結構由緒ある家なんだって。」
「へぇー初耳。」
「どちらかというと影の権力者だから、街の人はあまり知らない。と思う。」


坂が結構な斜面になってきたが、彼女は通い慣れているのだろう、息を一切乱さず話す。
彼女は普段無口だが、会話が続けば結構喋るのだ。
この事実をクラスメイトが知ったら驚くだろう。
家のことについて出たので、真人は聞いてみることにした。
 

「あのさ、お祖父さんが島田製薬の会長だって、本当?」
「うん。」
「そうなんだ!でも名字違うね。」
「お祖父ちゃんが雨条家に婿入りしたの。さっきも言った通り、雨条家は名家だから。
会社は結婚前には立ち上げてた。私が雨条なのも、父が婿入りしたから。」
「なるほど。婿制度なのか。」
「でも島田製薬の売り上げで買った壺はないし、政治家からの裏金も眠ってないから。」
「…その噂、知ってたんだ。」
「うん。」
「ごめん。」
「真人が謝ることない。」


クラスメイトが勝手に言い出した作り話は本人の耳にも届いていたようだ。
若干の申し訳なさを感じながら、初めて名前で呼んでくれた喜びをそっとかみしめる。



 

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