♥♦♠♣11
新生ハーティアの待合室は一階中央にある出っ張り部分だった。
真っ白な木製扉を開け、談話室とそう変わりない部屋でゲームの開始を待っていた。
グラスは赤いソファーに腰掛けながら、フィールドへ続く扉の前を右へ左へ飽きもせず回り続けるマヒトをため息をつきながら諌める。
「落ち着きなさい、マヒト。動物みたいにクルクル回っても状況は変わらない。」
「だってマコト兄さん!タカヒトが・・・。タカヒトが来ないと、僕達ゲームに参加出来ない。」
談話室にいるメンバーを申し訳なさそうな目で見渡す。
アカネとオニキスは落ち着いた様子で壁側に控え、腕組みをするクガの横にはモモナが心配そうな表情でソファーに座っている。
机を挟みマヒトの真向かいにいるアキトは、新しい眼帯をつけ車椅子に座っていた。
具現化しているユタカがマヒトの肩に腕をかける。
「あんな奴いなくても俺がマヒトちゃん守るってー。」
「そういう問題じゃないの!」
「あ、忘れてた。」
グラスが声を上げる。
「人と契約状態にない召喚獣はフィールドに入れないってさっきサキちゃんが言ってた。」
「なに!!?」
ユタカが勢い良くグラスに首ごと向けた。
「早く言えよ!」
「ごめんごめん。」
「じゃあ俺は?」
「留守番、かな。」
「えーー。」
その時。
カチッ、という乾いた音が響いた。
フィールドへ降りる扉のロックが外れたのだ。アカネが扉を開け、一同扉へと歩を進む。
仕方なく具現化を解くユタカに見送られながら、マヒトも不安に眉を歪めつつフィールド手前の待機スペースに移動する。
黒いゴシック調のゲートの前に、黒い兎が現れた。
ガラス細工みたいな真ん丸の瞳とチョッキは真紅。
ふさふさの体毛をした腕を器用に後ろに回し、一同の顔を確認するように眺めてゆく。
この場に<ハートのジャック>はいない。
マヒトは内蔵が石みたいに重くなり気分が沈むのを感じた。
心のどこかで、タカヒトは時間までには現れてくれると一抹の期待を抱いていた分、更に沈む。
自分のせいで、仲間にもクラブにも迷惑がかかってしまった。
唇をかむ。
ヒゲをぴくつかせながら、黒兎が話出す。
「ごきげんよう、ハートの皆々様。<ハートフェル・ティアーズ>全員の出席を確認いたしました。ゲームへの参加を許可いたします。」
一同が揃って息をのんだ。
マヒトが一歩前に出る。
「本当に、いいのか・・・?<ハートのジャック>は・・・」
「此処でお知らせがございます。<ハートのジャック>様は<スペードのナイト>へ役が移りました。」
「なっ!?」
黒兎の赤い目を覗き込むように背を丸め詰め寄る。
「どういうことだ!?ゲーム開始前に報告だと?」
「役の移動に関してのお知らせはリアルタイムで全スート同時に行なっております。」
「タカ・・・アオガミは<ハートのジャック>だ!今更スペードになんて―――」
低く唸るようなブザー音と同時に、黒鉄格子のゲートが開いた。
「皆様のご健闘をお祈りしております。――――ゲーム、スタート。」
それだけ言い残し、黒兎は姿を消した。
「くそっ・・・!」
「待ちなさい!」
マヒト―ゲーム時の呼び方でリディアが駆け出す。
するとフランソワーズもさも当然のように走り出し、グラスが止めるのも気にせずフィールドの中に消えてしまった。
グラスは耳にインカムを差しながら立体映像モニターを出し険しい顔をした。
クガがナビを伺う。
「どうする。」
「・・・やるしかないだろう。皆、まずは宝を探しに行ってくれ。モモナちゃんは南へ、オニキスは東。クガは北。」
「は、はい!」
3人は走りだし、車椅子のアイザーは手で車輪を押しながらグラスの横に滑る。
いつの間にか、その後ろには白い衣服の女、氷の女王が立っていた。
「グラス、リディアは。」
「通信切って走ってる・・・。全く。どうなってるんだ、いきなり出鼻をくじかれた。」
「アオガミはスペードに戻ることにしたのでは?」
「それは絶対ない。」
きっぱりと言いきるグラスの顔を仰ぎ見る。
険しい顔をしながらも、モニターのフィールド地図を双眸を世話しなく行き来させ、インカムで早速仲間に指示を与え始めている。
元はナビだったアイザーも地図を見るが、今回から人が多い上に、迷路が複雑化している。
アクシデントでショックをうけつつも冷静に状況を把握しているグラスの手腕は凄まじいものがある。
グラスが歩き出したので、アイザーも続く。
「聞こえるか、フランソワーズ・・・ああ、構わない。そのまま守りなさい。<スペードのナイト>がリディアに近づいてる・・・。
気をつけるんだよ・・・モモナちゃん、次の分岐を左だ。」
インカムから手を離し歩くスピードを上げた。
「よいのですか。クラブとの約束は。」
「タカヒト君本人から話を聞いた方が早いだろう。それからフランソワーズを戻しても遅くはない。
まずは宝の確保だ。・・・クラブから<眠り姫>の座標が送られてきた。行こう。」
「はい。雪籠女が必ずお守りします。」
絶え間なく指示を与えるナビに、車椅子はひたすら後をついて行く。
*
角を適当に進んでいるかと思いきや、リディアは確実に距離を詰めていた。
すぐ後ろをついていくフランソワーズにはそれが感じて取れた。
敵スートの幾人かとすれ違ったが、リディアの剣幕にただ通り過ぎるのを見送ることしか出来なかった。
やがて、迷路の中に空間が開いた場所に出ると、リディアが足を止めた。
「タカヒト・・・。」
その姿を見て足を進めるリディアを静止させ、フランソワーズは主の前に出た。
二人の前に現れたのは確かにアオガミことタカヒトだ。
だが、明らかに様子がおかしかった。
分厚いサングラスをしていてもわかる。敵意が全身からにじみ出ているのだ。
フランソワーズは初めて、アオガミに対して警戒心を抱く。
野生の動物が、自分より強者である動物と出会ってしまった時のような。
「リディア様、此処は一旦引きましょう。タカヒト様の様子が――」
フランソワーズの静止を意味する腕をするりと抜け、リディアはタカヒトに駆け足で近付く。
フランソワーズが叫び止めるも、彼の耳には入っていなかった。
ずっと安否を心配していた仲間の姿を見て、声を掛けずにはいられなかった。
「タカヒト!一体何があったんだ?連絡の一つも寄越さないで・・・。」
「・・・。」
「育てのおじいさんには会えたか?何でまたスペードに戻ったのか聞かせてくれよ。」
間近で、アオガミのサングラスを覗き込む。
黒いそれに映るのは自分の顔のみで、彼の目さえわからない。
「タカヒト・・・?」
突然、リディアの体が宙を舞った。
フランソワーズが名を叫び、落ちる彼の体を地面との衝突寸前で抱き止める。
「リディア様!?」
「ケホっ・・・ケホっ・・・。」
リディアは距離が一瞬で離れてしまったアオガミを見た。
腹部を殴られた衝撃よりも、頭に受けたショックの方が大きかった。
混乱する思考が絡まり過ぎて、わけがわからない。
分かるのは、目の前にいるアオガミが本物であるということだけ。
フランソワーズの腕から素早く立ち上がるとアオガミへ真っ直ぐ駆けてゆく。
走りながら腰のレイピアを抜く。
身を低くして突進するが、すぐ目の前に居たアオガミが消え、足を緩めた隙にリディアの左に現れ、長い足で肢体を蹴り飛ばす。
軽い彼の体は壁に背中からぶつかった。
一分も遠慮もない攻撃に、蹴られた脇腹もぶつかった背中も悲鳴を上げ、リディアの体はそのまま地面にすたれ落ちる。
かつて、まだアオガミを嫌って幾度となく戦いを挑んだ時でさえ、全力の攻撃などしてこなかった。
初めて味わうアオガミの本気に、骨がギシリと唸り、痛みで気絶しそうだった。
今までユタカの超再生能力があったが、契約解除した彼は至って普通の少年なのだ。
アオガミは一歩の助走で崩れ落ちたリディアに詰め寄り、仕留めの一撃とばかりに腕を振り上げる。
拳は、少年の頭の脇に当たり、壁をぶち抜いた破片がリディアに振りかかった。
横目で、肩を叩き攻撃の軌道を変えた女を見やる。
拳を引くと同時に体を捻り、反対の腕を女の胸目がけ放つが、女はヒラリと簡単に避けた。
アオガミが数歩後退した。床には、太い針が3本つき刺さっていた。
女が軽々と攻撃を避けながら、更に左手に隠し持っていた暗器を投げたのだ。
咄嗟に避けたアオガミの危機察知能力も凄まじいが、一瞬で暗器を手にした女もまた凄まじい応用力だ。
フランソワーズは主をかばうようにアオガミの前に立ちはだかる。
「訳をお話下さい、タカヒト様。私の・・・我々の主に暴挙を振るう理由がおありのはず。」
「・・・。」
「主は誰よりも貴方を信頼し好いておりました。それは貴方も同じではありませんか。スペードで何があったのです。」
アオガミは応えず、サングラスの奥からフランソワーズをジッと睨みつけるのみだった。
獲物から決して目を離さぬように。
体を前に傾け、突進。
フランソワーズは眉根を僅かに寄せながら、仕方なく暗器を手に取り身構える。
話が通じぬ以上、気絶させて無理矢理にでも連れ帰るのが得策だろう。
向かってくるアオガミに暗器を何本も投げつける。
やや上方からの不規則な攻撃だったが、アオガミは器用に体をくねらせ全ての針を交わし、
低い姿勢のままフランソワーズの懐に潜り拳を腹部に叩きこんだ。
しかし、拳に手応えは無かった。視界にフランソワーズの白いスカートが映ったかと思うと、彼の頭は地面にたたき付けられた。
コンクリートの地面がえぐれ、亀裂が四方に走る。
アオガミの頭を押さえていたフランソワーズの足が着地すると、その足がアオガミの手で払われた。
バランスを崩したフランソワーズの長い三編みを振り回し、遠慮なく体を地面に落とす。脇腹に拳を向けるが、彼女は転がって回避する。
激しい攻防戦を繰り返しながら、フランソワーズはアオガミの本気とやらに驚愕していた。
彼女の息は少しずつ乱れてきているのに、アオガミは平常心のまま。
普通の人間なら気絶するか骨を折る攻撃を二度ほど食らわせたというのに、眉一本乱れていない。
まるで機械を相手しているようだ―――。
フランソワーズはチラリと主の姿を確認してから、スカートの内側に隠した小型ナイフを取り出した。
此処は生半可な攻撃じゃ意味がない。主には悪いが、半殺し覚悟でやらなければ、アオガミを確保出来ない。
ナイフを計四本両手に持ちながら、アオガミに向かい地面を蹴った。
まず2本、アオガミの足目掛け放つ。当然アオガミは避けたのだが、太ももの裏に痛みが走った。
避けたナイフは、彼が避ける方向まで読んで跳ね返り、刺さったのである。
痛みだけでない何かが体を巡り、アオガミは足を止め一瞬注意を怠ってしまった。
気付いた時には押し倒され、ナイフを掲げた女が馬乗りになっていた。
「ご安心を。速効性の痺れ薬です。」
説明の間もアオガミの腕や足を軽く傷つけていき、痺れを拡大させる。
「このままお眠り頂きます。」
ナイフをアオガミの肩目掛け振り下ろす。
「アカネ・・・、タカヒトを傷つけないで・・・。」
「っ!?」
弱々しいが、確実にフランソワーズの耳に声は届いた。
ナイフの軌道が外にずれた隙に、二人の位置が入れ替わり、アオガミがフランソワーズに馬乗りになり、その首を絞めてゆく。
痺れ薬をあれだけ体内に入れながら、指先までしっかりと力が入っているアオガミにただただ驚いた。
薬も効かぬ体を持ちながら、今まで彼は力を押さえてきたのだ。
ならば彼の本気とは―――。
「標的は彼女じゃないでしょ、アオガミ。」
首を締めていた指が弱まり、アオガミの下からなんとか抜け出したフランソワーズは、咳き込みながら今やって来た人物を確認する。
2丁拳銃使いの<スペードの9>と、水のリセルを持つ<スペードの6>だった。
「最強召喚獣を持つ<ハートのキング>を殺せって言ったはずだ。」
「待って兄さん。彼、眼帯してない。」
「あれ~?本当だー。」
火竜ユタカと契約を切ったのはまだ敵には知られてない事実だった。
フランソワーズは首を擦りながら男達を見る。
「アオガミ様に・・・何をなさったのですか。」
弱々しい女の問いに、<スペードの9>はにやりと嫌味な笑みを向け、中指で眼鏡を押し上げた。
「前回俺達をバカにしてったメイドさんも、アオガミの本気とやらには勝てなかったみたいだ。
フフフ・・・。教えてあげよう。俺のリセルはちょっと変わっててさ、いわゆる洗脳ってやつ?
のこのこやって来たアオガミを運良く確保出来たんで、戦力に加えたわけさ。
ゲーム直前で仲間がいきなりスペード入りと聞く、なんていい演出だろ?」
アカネが投げた針を水の鞭が叩き落とした。
アカネには珍しく、嫌悪感を一切隠さぬ顔で<スペードの9>を睨みつけていた。
――リディアが、顔を上げた。
いつの間にか現れていた二人の男のうち、金髪の<スペードの9>を見ながらか細く呟いた。
「イツキ・・・義兄さま・・・。」
<スペードの9>は軽やかに二回手を叩いた。
「さ、アオガミ。契約してなくても彼を殺しちゃいなさい。」
その指示が言い終わるかどうかで、アオガミはもう踵を返し、地面に座り込む少年に走り出していた。
フランソワーズが慌てて後を追おうとするが、水の鞭が邪魔をして僅か一秒出遅れた。
アオガミが拳を振り上げる。
「リディア様ーー!!」
アオガミの攻撃が壁に直撃し、その側壁には大きな穴が空いて向こう側が見えるようになってしまった。
しかしそこに少年はいなかった。
黒いモヤがリディアを抱き上げ、フランソワーズの側で降り立つ。
同時に、ゲーム終了のブザーが鳴り響いた。
「ちぇ、誰かが宝を取ったか・・・。行くよ、アオガミ。」
スペードの三人はそのまま帰還していき、駆け付けたオニキスの腕にいたリディア―マヒトは去るタカヒトの背中を見ながら涙を流した。
*
「こちらの都合で、本当にすまなかった。」
司令室にて、グラスはモニターの中にいる黒髪少女に向かい謝罪をする。
少女は首を横に振る。
「予期せぬ事態でした。仕方ありません。幸い、作戦実行前でしたので、<ジョーカー>にはバレなかったようです。
もし感付かれれば、今頃フィールド破壊を禁止したルールが追加されてました。」
グラスはつい一時間前のゲームを思い出す。
いきなりのタカヒトのスート移動を告げられ、マヒトは混乱。
宝はいち早くオニキスが見つけ守っていたのだが、マヒトの危機を察知したオニキスが宝箱から離れたため、ゲームは終了となった。
クラブとの共同作戦の序章しかクリア出来なかったのだ。
念のため、フランソワーズが来るまでクガに穴堀させないでいて良かった。
「マヒト様は?」
「部屋に籠ってる。」
「そうですか・・・。」
モニターの向こうで少女は目を伏せ、しばし沈黙が落ちる。
「次のゲームではちゃんと作戦を実行させるよ。」
「よろしいのですか・・・?」
「サキちゃんさえ取り戻せばゲームは開催出来ない。タカヒト君を取り戻す上でもそれは重要だ。」
「大変な時に・・・申し訳ございません。」
「ウチの王子様なら心配しないでよ。強い子だから。また連絡する。」
通信を切ると、司令室は静寂に飲み込まれた。
椅子の背もたれに体重を任せ天井を仰ぐ。常灯する機械類の小さな明かりがチカチカと呼吸している。
「さて、どうしたものか・・・。」
唇の合間から漏れた戸惑いが闇に溶けきれぬまま不完全に形作る。
やがて部屋の隅に影より濃い闇が現れた。
水に垂らした墨汁がゆっくりと羽を広げるように、闇は降り立ち人型になった。
顔に巻き付けた布を払い、左右で色の異なる瞳でグラスを捕えた。
「ご苦労様、オニキス。悪かったね、ゲーム終了してすぐ働かせちゃって。」
「構わない。」
「フフ、マヒトの為なら、だろ?」
普段のからかったような笑い声に、力が入っていなかった。
全身真っ黒な服装をしているせいで闇から首だけ出しているみたいに映るオニキスは、一拍間を置いて口を開いた。
「大分疲れてるようだな。」
「落ち込むマヒトを見てるのが一番辛いことさ。僕達の太陽だからね。」
「タイヨウ?」
「ああ、地上の単語。生命を育む程の強い光って意味かな。」
「まだ泣いてるのか?」
「フランソワーズが無理矢理睡眠薬飲ませた。手荒いとは思うが、休ませた方がいい。」
椅子の上で足を組み、手すりに両手を乗せる。
「それにしても・・・タカヒト君の能力は末恐ろしいね。フランソワーズが怪我をしてる所なんて初めてみたよ。」
「今まで理性で力をセーブしてたんだろう。催眠状態で人間なら誰でも脳みそが掛けてるストッパーを外されたんだ。
間違いなくこの世界最強だ。」
「それで、その催眠術師いた?」
「ダメだ・・・。スペードは今混乱のままに制御されている。」
「ほう。矛盾した言い回しだね。」
オニキスが腕組みをして壁に寄りかかった。
「アオガミの正体や生い立ちがその催眠術師によってスート内にバラされた。
更に前司令塔が育ての親と聞いて一般民達は戦々恐々といったところだ。
<スペードの9>は先頭をきって野蛮な強攻派の連中をまとめダイヤに攻めこもうとしている。」
「仕返しというわけか。」
「スペードの下っぱが<スペードの9>がこう言ってたと嬉しそうに喋ったぞ。“スートを統一させれば世界を支配出来る”」
グラスはチェアーの上でクックと笑った。
「随分安い文句だな。安直な宣伝文句は詐欺師の専売特許だ。」
「だがツジナミの目的もそれなんだろ。」
「あの人は別の余他話を知ってスート統一したがってる。目的はまあ一緒だが、意味合いは全く異なる。」
「?」
「世界制服なんて子供みたいな夢を語ってる奴らのことは出来れば忘れたいが、いつコチラに攻めてくるかわからない。
引き続き注意しててくれ。」
「わかってる。お前、少し休め。」
「君に心配してもらえるなんて光栄だな。君もタカヒト君に出会わないように気をつけてくれよ。マヒトを更に泣かせたくない。」
「言われずとも。」
オニキスは外套をくるりと体に纏わせると、モヤと化して司令室から消えた。
再び一人になったグラスは、頭を背もたれに思いっきり預けて瞳を閉じた。
ゲーム終了後、意識を取り戻したマヒトが混乱の中でマコトに言った台詞が嫌でも蘇ってくる。
(マコト兄さん・・・<スペードの9>は、イツキ兄様だ・・・。)
激しい感情が体の奥からむせび上がってくる感覚に、体を前に折り曲げ額に手をついて制止させる。
「ああ・・・くそっ・・・!」
真名によって得た記憶と現実が交差して複雑な様相を見せ、彼の胸を内側から焦がす。
わかっていた事実なのに、此処にきて苦しむ羽目になるとは。
だが純粋に浮かび上がってきた疑問は確かに気になる。
実兄の現在の弟は<スペードの6>ソウタという青年だ。
彼は誰なのだろう。
どうして<ジョーカー>は、偽物の弟が必要だったのか。
記憶野から登って来た明るい世界の記憶を引き寄せる。
兄と、マヒトと、マヒトの両親と、綺麗な花が所狭しと咲き誇る庭で談笑し、遊んでいる幼い時の記憶。
もし兄に、真名を教えたら―――
グラスは頭を横に降ってその考えを消した。
既に自分は、偽りの青年を弟と呼び可愛がる兄を見て呆れ、諦めたはずだ。
今更、兄が欲しいとは思わない。
真名による真実の記憶が、兄への愛しさを再び呼び戻したのも事実だが。
ポケットから携帯を取り出し、ボタンを押して耳に当てる。
「もしもし?今司令室なんだけど、・・・・・・、ああ、悪いね。すぐ来てくれ」
*
くわえた煙草の火は自然と消えてしまい、口の中で不味い柵みたいな風味がただただ渦巻いてるみたいだった。
出来ればいますぐポケットの箱から新しい一本を取り出して紫煙を味わいたいと思う。
だが轟き、渦巻く喧騒は一服を許してくれそうもない。
「あいつらをどうにかしてくれよ!」
「シベリウスはどうしたんだ?」
「もう戦いはコリゴリよ!」
「シガウラさん、アンタからも言ってやってくれよ。」
「・・・まぁまぁ、落ち着け、お前ら。」
すっかりしなびた煙草をくわえ、苦笑いで思いの丈をぶつけてくる群衆を抑える。
此処はスペード<ブルーソード>居住区一般民棟。
つい一昨日まで彼等の平穏を脅かしていたダイヤからの侵略にくわえ、
昨日のゲームから暴徒化しつつある強攻派の連中がバカをしでかさないかという不安に不満が爆発し始めているのだ。
リセル等の能力を持たない一般民は役持ち達に人生を左右される。
生活を支えてもらっている側とはいえ、黙って破滅を待ってなどいられない。
「イツキ達はダイヤに仕返ししたがってるだけだ。お前らは不安がることないだろ。」
「アオガミは一時期ハートに居たんだ。いつ裏切るかわかったもんじゃない。」
ああ、焦点はそこか。
シガウラは納得した。
強すぎる力は畏怖の対象となる。
「アオガミはイツキに操られてスペードに戻っただけだ。万が一洗脳が解けても俺達に牙を向くこたねぇよ。
ハートに行きたがってんだ、止めてやるな。」
「役持ちのくせに働かないなんて身勝手だろ?!」
「そうだそうだ!俺達の為に働かせろ!」
「お前ら・・・、流石にそれは・・・、」
群衆の中から、シガウラを呼ぶ声がした。
顔を向けると、緑髪の青年が群衆の最後尾で大きく手を振っている。
文句の雨をなんとか切り抜け、青年と一般居住区からいそいそと逃亡する。
「まったく・・・。参ったよ、どーも。」
「最近ピリピリしてますからね。僕、一般民さん怖いですよ。」
「俺もよ。で、どうしたよリョクエン。」
ポケットから念願の煙草を取り出して火をつけながら、とっくに自分の身長を越した青年を伺うと、青年は表情を引き締めた。
「イツキさんたちがダイヤを急襲したって本当ですか。」
「ああ・・・。一時間も前の話だ。俺とシベリウスの静止を振りきって、アオガミ連れて行っちまった。」
役持ちが住まう居住区の外渡り廊下で足を止め、柵に肘をかけながら紫煙を吐く。
そこからは暗闇しか見えないが、ゲーム中ならフィールドの迷路がライトアップされる。
「奴らにくっついて終始観察してた情報屋の話じゃ、芸術的な程あっという間の制圧だったらしいぜ。
向かってくる敵を全部アオガミにやらせ、役持ちをゲーム復帰不可能になるまで痛めつけさせ、
司令室のフラッグはトキヤが握ってフィニッシュ。
胸クソ悪いとはこのことかねぇ・・・。血を浴びるアオガミは阿修羅か悪魔みてぇだって言ってたな。」
「酷い・・・。アオガミさん、他人を傷つけたくないって感じだったのに・・・。
普段無口で怖いけど、悪い人じゃなかった・・・。エミちゃんの召喚獣もなついてたし。」
リョクエンが悔しそうに唇をかむ。
アオガミとは深い付き合いはなかったが、同じスペードの役持ちとして一緒に戦ったし、会話も多くはないが交した。
人見知りのエミが遠慮なく物を言えたのも彼だけだ。
彼が優しい人間だと気づいていたのに。
「シベリウスが聞いたとこにゃ、あいつ、ハートに親しい人間が出来たらしくてよ。
大分人らしくなったって、厳格のシベリウスには似合わないぐらい顔綻ばせて喜んでたぜ。」
「アオガミさんを助けなきゃ!」
「やめとけ。ずる賢いイツキ相手じゃ傷つくだけだ。エミに怪我させたくねぇだろ・・・。」
「シベリウスさんは?」
「居住区に監視つけられて軟禁状態。もうナビに復帰させない気だ。」
リョクエンは押し黙り、しばらく紫煙が目の前を通り過ぎる道筋だけを見ていた。
シガウラが体の向きを変え、背中を柵に預けた。
煙草を挟んだ手で口元を隠す。
「まだ不確かな情報だが、ダイヤを牛じってた<ダイヤのキング>一派が逃走したらしい。」
「旧ハートを裏切ってダイヤを吸収した人達ですか?」
「そうだ。やつらの指示でダイヤの一般民も無事逃げたらしいがな、キングなんかはスート離脱扱いで役を失った。
ダイヤの主勢力を逃がしたのはイツキのミスだ。あいつら、何か狙ってやがる。」
「何を?」
「俺が知るか。まるっと教えて欲しいぐらいだよ、チクショー。こっちはとっくに引退した身だってのに、
心配事が減るどころか次から次に降ってきやがる!」
「相談役のシガウラさんが信用されてる証ですよ。そうやって他人の事柄まで心配してくれるんだもの。」
コートの胸ポケットから携帯灰皿を取り出して吸い殻を押し付けた。
「お前ら、どうする。」
「どう、とは?」
「<ブルーソード>はある意味終わった。ガキ共の野蛮なスートになり下がっちまった。元々<ジョーカー>もゲーム事態も野蛮だったがな。
お前とエミはシベリウスが言うところの将来有望な若者だ。ハートかクラブに亡命するなら手を貸す。」
普段より何倍も真面目な声音にリョクエンは軽く笑ってみせた。
「笑うとこじゃねぇだろ。」
「ハハ、ごめんなさい。昼暗灯でフラフラしてるシガウラさんのほうが、僕達好きですよ。」
「あのなぁ~・・・。」
リョクエンも柵に近づき、肘を置き寄りかかる。
「僕達は最後まで此処にいます。此処が僕達の家です。」
「そうか・・・。変なこと言って悪かったな。」
「いえ、心配してくれてありがとうございます。心配ついでに、お願いがあるんですが。」
シガウラを見つめる青年の目は力強く、頼もしい。
まるで、若い頃のシベリウスそっくりじゃないか――。
*
音は何も無いはずなのに、耳鳴りが押し寄せてきた。
煩いぐらいの耳鳴り。静寂なんて程遠い。
そこはタカヒトの部屋だった。
新生ハーティアに移って、ちゃんと自分の部屋を作ったのだが、居心地が良くてタカヒトが使っている部屋を彼も利用していた。
まだ敵対意識のあった怪我をしたリディアことマヒトを看病してくれた部屋。
今は誰もいない。
マヒトはゆっくり体を起こした。体がダルいし、目の周りが熱い。
ただ、腹部に受けた損傷はアカネが治しておいてくれたようで、痛くも痒くもない。
腹部をそっと撫で、先程再会したタカヒトを思い出す。
自分がつっかかって戦っていたときの方が、まだ愛想はあったと思う。
あんな冷たい、物を見るような目―――。
心中で悪態をつく。
(洗脳なんかされちゃって、・・・バカタカヒト。)
ベッドの脇に、オレンジの炎が渦巻き、ユタカが現れた。
漂漂とした彼には珍しく、険しい顔をしていた。
「おはよう、ユタカ。」
「マヒトちゃん・・・。」
「大丈夫、落ち着いた。」
赤毛の召喚獣はベッドに腰掛け心配そうな目でマヒトの顔を覗き込む。
「どうしてそんなにアイツのこと考えるの?最初、嫌ってたじゃないか。」
「わからない?」
「俺は竜だし、元々人間の思考は理解不能だけど、マヒトちゃんのことはわかりたい。俺を救ってくれた君だから。」
真面目な雰囲気を崩さないユタカに微笑を向け、ベッドの上で立てた片膝を引き寄せた。
「僕ね、タカヒトとは以前の世界でも親しい仲だったと思うんだ。兄弟とか。」
「サキはそんなこと言って無かった。君は一人っ子。」
「うん、そうだね。地上においてのタカヒトとの記憶もない。けど、心が覚えてる気がするんだ。」
マヒトは膝に頬を触れさせ、ブラインドが掛かっている四角い窓から廊下の灯りを見た。
「最初嫌ってたのは、僕をちゃんと見てくれないからだって、気付いた。対等でいたかったんだ。」
「・・・。」
「不満?」
「ヤキモチ。マヒトちゃんにそんなに大事にされてるくせに悲しませるなんて、許せん。」
「フフフ。ユタカも当然大事さ。コッチの世界で僕を守ってくれた。」
「今も守ってる。」
「そうだね。」
マヒトが真正面からユタカの目を捉えた。
表情は凛々しく引き締まり、一見地味なマカボニー色の瞳は光を吸って複雑な色味を魅せる。
「ユタカ、僕と契約してくれ。」
その落ち着いた声色は、深い響きを奏でながら自然と人をひれ伏させてしまうような凄みがあった。
まさに、人の上に立つ人間――。
「僕は決めた。必ずタカヒトを救いだし、サキを救いだし、<ジョーカー>が作ったこの世界を終らせる。
今度は皆の願いの為に、お前の力を貸してくれ。」
ユタカはベッドから腰を上げると、床に直接片膝をつき頭を下げた。
「召喚獣、火竜ユタカ。謹んで貴方様にお仕えいたします・・・・・・・・・なんてね、ちょっとクサかったかな。」
ユタカは自身の眼帯を外し、少し下からマヒトを捉えた。
眼帯の下にあった目は、爬虫類のそれだった。
黄色い眼球に、縦長の瞳孔。その目に右手を被せ、再びマヒトの前に持ってきたときには、手の平に光る結晶が現れていた。
「またしばらく眼帯生活だね。」
「慣れてる。」
ユタカは右手に乗った結晶石―精霊核と呼ばれる契約の証をマヒトの右目に押し込んだ。
短いうめきがマヒトから漏れたがそれ以上は耐えてみせる。
ユタカとマヒトの回りに火が走り、火の粉が舞う。
ユタカが手を放すと、マヒトの右目は白眼になっていた。
「これより私は主の下僕、主の手足、主の怒り、主の喜び。精霊核によって契約は成された。名を刻まれよ。」
「我が名はマヒト・アイン・ウル・ヘミフィア。」
二度目の契約は完了した。