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♥♦♠♣13

 


黒い横長の箱に白い花が敷き詰められ、透明な板で蓋をされている。蓋をした継ぎ目も隙間もない。
まるで棺だ。
そんな箱の中に、サキは眠らされていた。


「まさに眠り姫って感じだね。」


花に埋もれ眠る美しい少女を見下ろしながら、グラスは呟く。
白い透き通る肌に、閉ざされた赤い唇。
長い黒髪は頭の上でまとめられた後、背中に流れている。白いワンピースを着せられ、体の上でしっかり手を合わせている。
クラブのナビゲーター、サキの生き写し。いや、こちらが本物なのだが、サキそっくりである。
少女を取り出す手段がわからないまま、そろそろ一時間が経つ。
あらゆる道具を使ったり、クガが力任せに穴を開けようとしたが、中にいる少女を気づかった点を差し引いても、へこみ一つつけられない。
箱を形成する素材もわからず、透明な板を外す僅かな隙間もない。
呼吸する穴すらないのに、どうやって生きているのだろう。
少女の胸が僅かに上下を繰り返しているため、生きていることだけは確認できる。


「困ったねぇ~。」


本物のサキは、先程のゲームで無事掘り返す事に成功し、クラブ側の強い希望でハート居住棟に運ばれた。
とりあえず倉庫として使っていた、ただっ広い部屋に置いたのだが、サキは起きる気配がないのだ。
少女をはさんで向かいに立つアイザーも困り顔で腰に手を当てる。


「なにか、正しい手順でもあるのでしょうか。」
「かもねー。ゲームフィールドをこの子を使って形成させてたぐらいだし。」


彼女を地面深くから掘り出し地上に出した瞬間、フィールドの壁という壁が消えた光景は今だに信じがたい出来事だ。
慌ててオニキスに宝に触れさせゲームを終わらせ、急ぎ帰ってきたのだ。


「クラブのサキちゃん曰く、本物サキちゃんは凄く力の強い巫女姫様だったって。」
「ならば余計複雑な作りでしょう。箱というより、封印なのかも。」
「眠り姫を起こすには、やっぱり王子様のキスじゃない?」
「キスをするにも、この蓋を取り除かないと。」


グラスの悪戯心丸出しの発言に苦笑して返すと、フランソワーズがやって来た。


「王子様どんな様子?」
「お体には全く問題ありません。ただタカヒト様にべったりで、謝罪し続けていたタカヒト様も困惑した様子で。」
「タカヒト君には一番の薬じゃないか。洗脳を弾き飛ばすなんて、マヒトの愛は本物だよ。

その愛でサキちゃん起こしてくれれば楽なんだけどなぁ。」
「そうですね。クラブに一度連絡とってみたら?」
「そうしよう。」


サキの監視をフランソワーズに任せ、二人は通信室に入る。
グラスが回転椅子を回しながら通信ボタンを押す。
しばし応答を待つと、モニターに先程の眠り姫と瓜二つの少女が現れた。


『まずは、お疲れ様でございます。そして、ご協力に最大限の感謝を。』
「目的は一致していた。気にすることはない。それより、本当にこちらで預かってていいの?」
『ご迷惑じゃなければ。』
「迷惑なもんか。ただ、サキちゃんが一番会いたがってたみたいだからさ。」
『サキは私より、マヒト殿下の側にいる方が喜びます。』


「なるほど。ところで、サキちゃん全然起きないんだけど。箱も壊れないし。」
『おかしいですね・・・。フィールドから出れば自然と目覚めると思っておりました。

申し訳ありません。救出後の事は完全に推測でしたので・・・。』
「資料があるわけじゃないから仕方ないね。とりあえず王子様に色々やらせてみるよ。今、感動の再会真っ只中だからちょっと待ってやってよ。」


少女は肩を揺らしてクックと笑った。


『サキは奪回したのですから、焦ることもないでしょう。よろしければ、こちらの人員を派遣しても宜しいでしょうか?

サキを取り出す手助けをさせます。』
「大歓迎。サキちゃんもおいでよ。」
『私は・・・。』
「本物サキちゃんが起きても、消えないと思うよ?ウチの王子が、そんなことさせないさ。」


画面に向けウィンクしてみせると、サキは無邪気に笑ってみせた。
笑うと年相応に見えて、美しさより可愛さが際立つ。


『ありがとうございます、マコト様。私はこちらで少し文献を調べてからお邪魔いたします。』
「待ってるよ。進展あったら連絡する。」


通信を切り、椅子から立ち上がる。


「自力でなんとか救出方法探るしかないか・・・。さて、サキちゃんは交代で見張りと箱の破壊をするとして、少し休もうか。疲れただろ?」
「いえ、清々しい気分です。」
「ハハ。マヒトの気持ちが伝染したな。」
「マヒト兄さんもそうでは?」
「僕はマヒトが嬉しいなら、いつでも嬉しいさ。」


その夜。
フランソワーズを引き連れたマヒトは眠り姫の棺と対面していた。
ゲーム終了時は慌ただしくスート居住区へ帰還したので、ちゃんと顔を見て確認するのはこれが初めてだった。
棺以外物が無い倉庫には、見張り役のオニキスもいた。


「当たり前なんだろうけど・・・本当にサキそっくりだ。」


覗き込むように顔を近付けると、片目の顔を、下からほんのり灯りが照らす。
サキを包み込む白い花は、ライトが落とされた部屋で仄かに光っていた。
夜、もしくは暗がりで光る性質がある花など聞いたことがない。
マヒトはそっと、透明な蓋を指の腹で撫でる。クラブのサキ曰く、この巫女姫と自分はかつての世界で許嫁だったとか。
初対面であるはずの女性を目の前に、その事実が少々気恥ずかしい。
試しに彼は、箱の中に問いかけてみる。クリア板に額が付きそうになる程顔を近付ける。


「はじめまして、かどうかわからないけど・・・。僕はマヒト・アイン・ウル・ヘミフィア。レファス国第一皇子。

聞こえるかい?セレノアの巫女姫。」


眠るサキのまぶたが、痙攣したようにピクリと動いた。初めての反応にオニキスもフランソワーズも一歩前に出ていた。
今までどんな衝撃を与えても眉一つ動かなかったというのに。
瞼が開くかと期待したが、反応は一度きり。それからマヒトがどんなに話しかけても指先すら動かない。


「もう少しで目が開きそうだったのに・・・。」
「声が届いてる可能性が出てきました。大きな収穫かと。」
「やはり許嫁には反応してしまうようだな。」
「含みがある台詞だね、コノエ・・・。」
「別に。」


次にマヒトは、サキの足下、底辺辺りの壁に手をついて、ユタカの炎で焼いてみた。
焦げ跡すら出来ない。


「最大火力・・・!」


腕全体に炎を纏わせ、爆発させる。
炎から生じる風がマヒトの髪を踊らせる。
指先周辺では摂氏500℃の熱を発生させているのだが、手応えは得られない。
炎を引っ込める。引火どころか、熱による融解すらしていない。箱は涼しい顔で、眠り姫を包み込んでいた。


「謎物質・・・。」
「この世界の物質ではないのやもしれませんね。」
「箱壊さないと、サキは起きない気がするんだよね・・・。」
「ハートはこれで全員手を尽した。後はクラブからの援軍に託す他ない。」
「タカヒトはやってないよ?」
「リセルがないんだ。馬鹿力ならフランソワーズとクガが試した。」
「フフフ、それに、タカヒト様には今夜ぐらいゆっくり休んで頂きませんと。」
「あ、うん。そうだな。」
「お前も休め。やっと取り返したんだ。また泣かれても困る。」
「な、泣いてない!」
「ほう?記憶から映像を出してやろうか。」
「サキの前でなんてこと言うんだ!」
「あらあら。」


顔を赤くしたマヒトは、派手な足音響かせながら自室へと帰って行った。
残った二人は、再び眠り姫の棺を見下ろした。


「今夜は随分お喋りでしたわね、オニキス。マヒト様が元気になられて嬉しいのですか。」
「フン・・・。」
「見張りを代わりましょう。休んで下さい。」
「いい。いつ<ジョーカー>がこの娘を奪い返しにくるとも限らん。このまま巫女を確保しておけば、フィールドを形成出来ない筈だ。」
「ええ。」
「もう二度と、マヒトを泣かせてたまるか・・・。」


左右で色味が違うオニキスの、赤い右目が煌々と燃えるかのように、暗い色味を含ませながら鈍く光る。
フランソワーズは垂れ目がちの碧眼を伏せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

朝食を取るマヒトを後ろから抱き締めている赤髪の召喚獣ユタカは、マヒトの隣に座るタカヒトに遠慮のない敵意を向けていた。


「グルルルル・・・。」
「唸るな、ユタカ。」
「だってコイツ!あれだけマヒトちゃんを傷つけといてさも当然の顔して座ってるんだもん!」
「洗脳されて自我を封じられてたって説明したろ?」
「洗脳されようが人質とられようがマヒトちゃんに手を出した野郎は有罪だ!丸焼きにしてくれる!」
「うるさい。帰ってて。」


マヒトが指を鳴らすと、ユタカは具現化を強制的に解かれその場から消えた。
楽になった肩で、エッグベネディクトにナイフを入れる。
斜め前で紅茶を飲んでいたアキトが苦笑を漏らし、真向かいにいたモモナが、声を抑えながら笑う。


「普段の光景が戻ってホッとしました~。タカヒトさん、改めまして、お帰りなさい。」
「あ、ああ・・・。色々迷惑かけた。すまない。」
「とんでもない!私は何もお手伝い出来ませんでしたし・・・。」
「モモナは沢山心配してくれた。無事タカヒトを奪還出来るようにって、新しい眼帯も作ってくれた。」


ナイフを置いて、右目を塞ぐ眼帯を撫でる。


「僕からも礼を言う。ありがとう。」


顔を真っ赤にして照れるモモナだが、マヒトの笑顔に答えるように、満面の笑みで返した。


「同じ仲間ですから。」
「うん。」
「妬けちゃうよねー、タカヒト君。」


グラスがいきなり現れ、片肘をタカヒトの肩に軽く乗せてきた。


「おはよう、マコト兄さん。」
「おはよ、アキト。アキトも妬いちゃうだろ?可愛い男女がキャッキャウフフって・・・。」
「羨ましいのか。」


後ろからグラスに続いて姿を見せたクガが横やりを入れる。
グラスはガクッと首をうなだれた。


「羨ましい・・・!」


グラスはマヒトの横、クガはモモナに脇に座ると、フランソワーズが二人分の朝食を運んでくる。
メイドの性分で、彼女はすっかり給仕役になっていた。
フォークを口元に当てながら、モモナが今やって来た二人を交互に観察する。


「またお二人一緒に登場ですね。最近仲良しさんです。」
「モモナ、大人の領域に突っ込んじゃダメ。」
「ちょっとマヒト。変な言い掛かりやめなさいよ。さっきまで一緒にサキちゃんの見張りだっただけだよ。」
「サキ、相変わらず?」
「朝が来たってのに、眠り続けてるよ。」


焼きたてのパンをちぎり、口に放り込む。
食堂にいた全員が食事を終えた頃、オニキスがモヤを伴って姿を現した。


「クラブの連中が来た。」


グラス、マヒト、モモナが代表して一階の玄関口まで迎えに行くと、見慣れた面々が赤い絨毯の上で大人しく待機していた。
三人の姿を確認した黒髪の美女が頭を下げた。


「お邪魔いたします、ハーティアの皆様。」
「歓迎するよ。ゆっくりしていくといい。あれ、サキちゃんは?」


そこにいるのは目付きがよろしくない<クラブの8>ヤマトと、知的美人<クラブのクイーン>、

そして眠り姫奪還の立役者、造化系リセル所持者<クラブの3>タキザワの3人だけだった。


「ご一緒にとお誘いしたのですが、調べ事があるからと<クラブの6>ユカリと残りました。」
「調べ終わったら来るって言ってたぜ。」
「ヤマト!口の効き方には気をつけなさいとあれほど―」
「いいって、フランクで。こっちは礼儀なんて気にしないからさ、ミヤコさん。」
「恐れ入ります。」
「まずは館内案内しようか?」
「いえ、せっかくですが・・・サキの元へお願いします。」


クラブの三人を連れ、サキが眠る倉庫へ足を運ぶ。すでにオニキスとフランソワーズが待機していた。
クラブの面々は、眠る少女を確認するとそれぞれに感慨深そうな顔をした。
ミヤコは愛おしげに少女の顔を撫でるようにクリア板に手を添えた。
三人にとって、本物のサキはどういう存在なのか、マヒトは少し気になった。
サキを目覚めさせる為に来たことに変わりないが、それは彼らが今まで慕ってきた“サキ”を抹殺してしまうようなものだ。
いくら本人が偽物であると主張しても、過ごした時間は偽物ではない。
箱に寄りかかっていたミヤコは背を正し、グラスに向き直る。


「精一杯、やらせて頂きます。」


クラブの心中を当然察しつつ、グラスは力強く頷いた。
思い思いに箱の破壊が始まると、マヒトはそっと退室し、一人3階の通信室にやって来た。
グラスの操作を見よう見真似でスイッチを押していく。しばらくして、モニターに映像が入る。


『おはようございます、マヒト。』


<クロック・ワークス>司令塔サキは車椅子の上で軽く礼をした。


「おはよう。クラブの皆着いたよ。」
『それはよかった。サキが目覚めるまで、彼等を宜しくお願いします。』
「サキも早くおいでよ。」
『巫女姫を眠らせている箱と、敷き詰められた花について調べておりました。もうじき終ります。』
「じゃあ僕が行って手伝うよ。調べ事得意なんだ。」
『フフ。それは力強い。ですが今は、サキの側に。』
「前から思ってたんだけど、名前ややこしいよね。」


マヒトは顎に指を置き頭を捻る。
画面の中の少女も少しだけ首を傾けた。


『マヒト?』
「提案なんだけどさ、巫女姫のサキはサキで、君はサヤ、とかどう?」
『え・・・?』
「今更改名とか嫌かもしれないけど、そもそも君はサキのコピーなんて悲しい事になってるんだから、これを期に生まれ変わっちゃおうよ。」
『生まれ、変わる・・・。』
「ホラ、この世界で真名はとても大事な役目らしいし。僕はサキを目覚めさせても君を消すつもりなんてないからね?

・・・それにしてもサヤなんて安易過ぎるか・・・、アカネかマコト兄さんに考えてもらって―――」


画面の少女は、その場で激しく首を横に振った。


『サヤが、いいです・・・!マヒトがくれた名が・・・!』


無表情で抑揚のない少女の声は震え、顔は泣き出す寸前で我慢しているのか、大分歪んでしまっていた。
前屈みの顔に掛った髪を払うのを忘れ、歓喜極まるのをどうにか抑える。
眉頭と唇は震え、体の芯も喜びで震えている。
嬉しさでこんなに胸が暴れる程熱くなるなんて、初めてだった。画面の向こうでマヒトは満足そうに笑った。


「君はやっぱり人形なんかじゃないよ、サヤ。」
『はい・・・!』
「名前のこと、皆に伝えとくね。調べ事は後回しにして、ユカリさんと一緒にこっちおいで?」
『すぐ参ります!』


すでに少女の声は涙に震えていた。
小さな女の子みたいで、可愛くなって喉で笑う。
早く会って髪を撫でてあげたい気分だ。


「じゃ、待ってるよ、サヤ。」


通信を切って、椅子をくるりと回しすぐ廊下に出た。早く皆、特にミヤコさんに教えてあげなければ。
名前を与えたところで少女が消えない保証なんてないのだが、皆がサヤをサヤとして認識すれば、

サキのコピーという運命から切り離せる気がするのだ。思いは力になることを、マヒトは知っていた。
階段を降りていると、一階ロビーを猛スピードで走り去る影が目に入った。
ヤマト少年だ。マヒトは慌てて階段を掛け降りる。


「おい、どうした?」


ヤマトの腕を掴みなんとか停止させた。
立ち止まった少年がくるりとマヒトを振り返ったその顔は真っ青で、歯が震えカタカタと鳴っていた。
只ならぬ事態が起きた事だけは把握出来る。


「・・・サキの箱を壊したのか?」
「違う・・・、ミヤコが、変なこと言って・・・確かめないと、」
「おい、待てって!」


再び走り出そうとする少年の腕を掴む。
廊下の向こうから、ミヤコ女史やグラス、フランソワーズがやって来た。
少年を取り押さえるマヒトはそちらに慌てて問掛ける。


「グラス、一旦何があった?」


問うと、グラスが難しい顔をしているのに気づき、ミヤコ女史に至ってはヤマトと全く同じ表情をしていた。
代表してオニキスが答えた。


「クラブがスペードに急襲されたと連絡が入った。」
「・・・・・・は?」
「<クラブの6>が専用携帯で連絡してきたんだ。」


マヒトは、オニキスの話が理解出来なかった。


「僕、たった今しがたサヤと通信してたよ?」
「サヤ?」
「クラブのサキの新しい名前。さっき一緒に決めたんだよ。サキと区別した方がいいと思って。」
「ミヤコ、急ごう。呑気に話してる場合じゃねぇ。」


後ろからタキザワが追いついてきた。


「ミヤコさん!最上階を発見されサキ様が連れ去られたと連絡が・・・!」
「そんなっ!」
「行くぞミヤコ!」
「待って!罠かもしれない!出るのは危険だ!」


必死に止めるグラスの腕輪が鳴る。
万が一の為に装備していた携帯通信機内蔵の腕輪だ。
通信室に送られてきた連絡事項を素早く確認出来る装置で、一番大きなボタンを押す。
浮かび上がった立体モニターの文字を読んで、ミヤコが口元に手を当て蒼白な顔を更に青白く染めた。


「クラブの・・・消滅・・・!?」
「そんな!俺達役持ちは3人も残ってんだぞ?!」
「フラッグはサキ様が持っていた・・・。」


タキザワが呟くと、ミヤコは顔に爪を立てんとばかりに両手を当て、音にならない悲鳴を上げ後ろによろめいた。
すかさずフランソワーズが彼女の体を支える。
マヒトはオニキスに勢いよく顔を向けた。


「オニキス!ヤマトとタキザワを包んでクラブ居住城付近まで飛べ!」
「無茶だ!向こうの状況もわからんのだぞ!?」
「いいからやるんだ!」
「わ、私もお連れ下さい・・・。」


立ってるのさえ不安定なミヤコだったが、瞳だけはまだ生きていた。


「アカネ、ミヤコさんをお連れしろ。必ず守れ。」
「はい。」
「ユタカ!」


マヒトの炎の中から召喚獣ユタカが現れる。


「クラブまで転移!」


グラスの制止の声がしたが、マヒトの体はもう炎に包まれていた。

 

 

 

 

 


​*

ユタカ炎が収束し別の地面に着地しても、そこにも炎が上がっていた。
絵本に出てくるお城のように美しかった<クロック・ワークス>の居住城は、炎に包まれていた。
火花が黒い天井目指して舞い上がり、焦臭さが充満している。
炎の前を、沢山の人影が行き来している。逆光で顔までは分からぬが、全て男達で、武器を装備している。
炎に照らされた衣服の一部に、スペードのマークが見えた。


「クソッ!スペードの連中か!」
「違うと思うな~。」


人間体になってはいるが、鼻をピクりと動かすユタカを仰ぎ見る。


「ツジナミの匂いがかすかにする。」
「ツジナミさんがっ!?・・・それは後回しだ。サヤ・・・クラブのナビゲーターの場所わかるか?」
「オニキスが先に見つけたって言ってる。」
「よし、飛べ!」


再び主ごと炎に包み、オニキスがいる居住城内部まで転移する。
瞳を開けると、そこは暗い緑で統一された個室だった。炎も焦げた匂いも届いておらず、野蛮な武器を所持した人間もいない。
しかし、ミヤコの悲痛な泣き声がすぐ耳に届いた。
部屋の左奥に置かれた天蓋付きベッドの横でオニキスが立ちすくんでおり、そのすぐ足元で、

ミヤコ、ヤマト、タキザワが何かを囲んで頭を下げていた。嫌な予感に、マヒトの心臓が痛みはじめる。
ゆっくり、彼等に近付いた。
ほんの数分前にサヤと名付けた少女が横たわり、覆い被るようにしてミヤコが泣いていた。
すがるように。
少女の脇には、服を赤く染めた<クラブの6>ユカリが横たわり、タキザワがそっと手を組ませてやっている。


「そんな・・・っ、何が・・・。」


膝から崩れ落ちるマヒトの体をユタカが支える。オニキスがそっと口を開いた。


「クラブ周辺で息を潜めていたスペードが侵入し、フラッグを狙ったようだ。」
「クラブには・・・防壁があったはずだ。」
「内部の制御室で管理されてた防壁システムが切られていた。侵入者を感知するセンサーも、通信システムも全てだ。内部に裏切り者が―」
「違う・・・違うよ、オニキス。」


綺麗な顔で、眠るように横たわるサヤを見ながら、マヒトは足を踏ん張って立ち上がる。
瞳を固く閉じてるなんて、本物のサキと同じじゃないか。ただ違うのは、サヤはもう二度とその瞳を開くことはない・・・。


「ユタカが、ツジナミさんの匂いがするって言ってた。」
「何!?」
「ケイセイさんにやらせたんだ・・・。仲間だと油断したユカリさんかサヤが中に入れて―・・・」


下唇をグッと噛んだマヒトが顔を上げた。
片方の瞳に宿る色濃い影の色に、控えていたアカネが思わず声を掛ける。


「マヒト様・・・、」
「アカネ、オニキス。サヤを含め皆をハーティアまでお連れして。」
「マヒト様は何を――」
「ユタカ、行くぞ。」
「マヒト様!」


アカネの声はマヒトの耳に入っていなかった。
今しがた居た城の外、3階相当の高さの空中に転移する。
マヒトの足元に炎が絡みつき、足先にレールのような炎の道が空中に刻まれた。体を低くして、レールを滑りながら城をぐるりと旋回する。
ユタカのものとは違う、城を焼く無秩序の炎は先程より勢いづいて外壁を焼いていた。
炎の周りには、戦利品を抱えた男や、クラブの倉庫から奪ってきたであろう武器や食料をバケツリレーをしながら運ぶ人間の列があった。
高度を少し下げると、人間の中にはスートマークを所持してない奴らもチラホラくわわっている。
彼等は奪略に忙しく、炎のレールに乗り空を旋回する人影に気付かない。
空中を滑るマヒトの横にユタカが現れた。彼は炎のレールには乗らず、主の横を飛ぶ。


「居たよ、マスター。」
「案内しろ。」


螺旋上に旋回していたねじまき型のレールが、形を変えた。
道はクラブの裏口門へ急降下するカーブを描く。
滑る速度を上げたマヒトは足元に火花を散らせながらカーブを落ちるように辿り、最後は跳びながら地面に着地した。
顔を上げた先にいた人影を睨みつけながら立つ。


「おー。王子様、久しぶりじゃねぇか。ちょっと見ない間に逞しくなったじゃねぇの。」


マヒトと対比して、突然空からやってきた少年ににこやかな態度をとる大男は、

元<ハートのジャック>、前<ダイヤのキング>、ツジナミだった。
カーキベージュのツナギを纏い、肩に大型の銃を掲げている。

背後に炎の山を背負い、影を顔に落とす姿は一見社交的ながら、油断を一分も見せていない。


「ケイセイさん・・・、その姿今すぐ解かないと焼き殺しますよ・・・!」


大男の横にいた、クラブのサキ、マヒトが名付けた所のサヤが立っていた。
車椅子ではなく、自分の足で。
白襟の黒いワンピースを着た可憐な少女は、肩をすくめる。


「随分口が悪くなりましたね、リディア。」


口から放たれたのは少女の声ではなく、成人男性の声。
サヤの回りを渦が囲み、竜巻のように発達すると、そこには眼鏡を掛けた細身の青年が立っていた。
眼鏡を中指の腹でくいっと持ち上げたのは、ツジナミの腹心ケイセイ。


「アンタがサキに化けて侵入し防壁を解いたんだな。」
「違います。僕は<クラブのクイーン>に化けたんです。彼女の外出を確認していたので。」


ケイセイのリセルは、擬態だ。
一度見た人物の姿形はもちろん、声や話し方まで完璧に模倣して敵を油断させる。
ただ、リセルが一切効かない召喚獣ユタカと契約しているマヒトには擬態を見抜かれてしまうのだ。
マヒトは口元に笑みを作るツジナミに向き直る。


「アンタはもうダイヤから除名されてるし、スペードでもないはずだ。何故クラブを狙った。役がなければフラッグを取った所で意味はない。」
「意味ならあるさ。俺は未所属だが、現役のスペードさんは違ぇ。奴らをたきつけて、ちょっと暴れてもらったのさ。

暴れ足りなくて鬱憤が溜ってる連中ばかりみてぇだからな。スペードは。」


何処からか、破壊音が響いた。
建物が崩壊したのか、はたまたツジナミが言う所の野蛮な連中が暴れているのか・・・。


「何が目的だ。」
「お前さん、周りの動きなんか興味無かったじゃねぇか。俺が裏で集会してても知らぬ顔で。」
「今は違う。今の俺は、こんな酷い仕打ちをしたアンタ達を見逃したりしない・・・。」
「酷い仕打ち、ね~。」
「何故クラブのナビゲーターを殺した?フラッグを奪えば済む話だ!」
「それは俺じゃねぇよ。お前さんも言ってた通り、俺は役を失った。フラッグを奪っても無意味だ。

嬢ちゃんを殺ったのはスペードの誰かだ。」
「ケイセイはサヤの姿をしていたじゃないか・・・!」



ツジナミの口角がクイッと上に上がった。


「鋭いね。」
「スートの一本化にどんな狙いがある!」
「やっぱ知ってたかぁ。グラスだろ?流石腹黒策士。」
「言え。一応聞いてから殺してやる。」
「そりゃご丁寧にどうも。だが人殺しは可愛い王子にゃ似合わねぇぜ?ヘミフィアの大事な皇子様なんだからよ。」
「っ!?」


虚をつかれたマヒトは目を見開く。


「アンタ・・・。アンタも書き換えを免れた人間か。」
「免れたんじゃなくて、全力で拒否してやったんだ。<ジョーカー>の言いなりになんて、誰がなるかよ。」


ツジナミが纏う空気が豹変した。
瞳に鋭利な殺意が宿り、先程まで穏やかだった表情も暗く残忍な影が差し、声に凄みが宿る。
マヒトが、気迫で負けてしまいそうになる程の剣幕。


「<ジョーカー>はな、俺の妻と幼い娘を殺した挙句、自分達の世界を書き換える為に存在すら消しちまった。」
「以前の世界のことか?」
「俺達の前に現れる<ジョーカー>が兎や猫なのはな、ウチの娘の思考をベースにしたからだ。」
「!?」
「娘は、元の世界で不思議な力があった。この世界で言うリセルだ。口に出したモノを具現化する能力でな、

しょっちゅうチョッキを着たウサギや猫なんかと遊んでいた。その能力を<ジョーカー>は食い、リセルって仕組みを作った・・・。」


ツジナミに対する憎しみが、徐々に消えてしまう。
呑まれてしまう、に正しいのかもしれない。
ツジナミが宿す憎しみの中に、底知れぬ悲しみが渦巻いているのを感じてしまったからだ。
悲しみとやるせなさ、妻子に対する深い愛情が、全てあの双眸に宿っている。そんな気がする。


「俺は、必ず<ジョーカー>を殺して世界を元に戻させる。」
「無理だ!世界改変の力はもう―」
「無理だろうが無謀だろうが、だ。目的の為なら、俺は全てを犠牲にする。邪魔をするならお前さんも殺すぞ、ヘミフィアの皇子。

戴冠式を終えてないヘミフィアの血筋など、毛ほども役には立たないからな。」


それは初耳だった。
マヒトは何処かで、自分が世界改変の力を使ってしまえばいいと思っていたのだ。


「・・・・・・お父さんが人殺しなんて、娘さんは嬉しくないよ、ツジナミさん・・・。」


マヒトの片方の瞳に、哀れみとは違う気遣いが見えて、ツジナミは一瞬だけ妻子との幸せな日々を思い出してしまった。


「わかってらぁ、そんなこと・・・・・・。それでも俺は、もう一度会いてぇんだよ。」


憎しみの剣幕が息を潜め、切実で悲しげな微笑みを落とし、ツジナミは踵を返した。


「ま、待って・・・!」
「クラブの嬢ちゃんには巫女姫の話を聞きたかっただけだ。間に合わなかったがな・・・。

逃がす為にケイセイに嬢ちゃんの恰好させてスペードを二分し時間を稼いだ。それだけだ。悪かった。」
「・・・っ、ダメだツジナミさん!それ以上進めば<ジョーカー>に殺される!」


マヒトがその背に向けて叫ぶも、二人は炎の中に消えてしまった。
恐らく、地下通路へ続く隠し扉でもあるのだろう。


マヒトは出した腕を引っ込め、立ちすくむ。
踊り続ける炎の影を無表情な瞳で写す。


「どうしてこう・・・絡まってばかりなんだ・・・。」
「マヒトちゃん?」
「ユタカ、あの炎を御せるか?」
「出来るけど・・・。」
「頼む。これ以上クラブを壊したくない。」


ユタカは右腕を高く掲げ、手の平を上に向けた。
すると、手の平を起点とするかのように辺りの炎がそこに吸い込まれ始めた。吸引されるとすぐ炎の背は低くなり、数秒と掛らず炎は鎮火。
辺りに残ったのは、むせ返るような焦げた匂いと、やるせなさだけ。


「行こう。残ったスペード達を蹴散らして帰る。」
「・・・了解、マスター。」


その後一時間掛けて、マヒトはユタカと共にクラブの最後を守った。
炎を纏いながらレイピアをふるう。
眉根を寄せた、複雑な表情のまま。

 

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