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❀ 3-9

翌朝。
1階に降りたタテワキは、目に飛び込んできた惨劇に固まった。
まだ寝起きでぼんやりした頭では、処理出来ない。

 


「おはようタテワキ!わりーな。ちょっと汚しちまった。」
「ちょっと・・・?これが?」
「腹減ったから朝飯作ろうとしたんだけど、現代の器具は使い方がわからん。」
「起こせよ、俺を。」

 


何を作ろうとしてたのか、シンクや床にまで垂れた緑色の液体と汚れきったミキサー。
緑色の液体は至る所に飛散し、焦げた鍋が何故か2つ。魔法を使ってキッチンを綺麗にしていく。

 


「そうしようと思ったんだけどよ、2階に強力な呪術張ってあったろ。俺でさえ入れなかったぞ。」
「当然だ。見知らぬ男をルフェの部屋に近づけるわけないだろ。」
「過保護だねー。そういや、ルフェちゃん、タテワキのこと先生って呼んでたが、弟子なのか?」
「そういうわけじゃないんだが、教え子であるのには変わりない。何か作ってやるから、大人しくしてろ。」

 


やったぜ、と嬉しそうに笑ったハインツが素直にリビングのテーブルに腰掛ける。

 

「あの携帯ってやつは、通信機器か?」
「そうだ。アンタがいた時代は軍用だけだったが、小型で誰でも持てる。ノア科学の電波というやつを使ってる。」
「遠くの奴とも会話出来るってことか?」
「ジパン国の奴とも話せるよ。」


凄いな、と笑うハインツの目に寂しさが見え隠れする。
本当に話したい人間とは、この携帯を使っても繋がらない。
パンケーキとウィンナーを焼いていると、ルフェが起きてきた。

 


「おはよう。」
「おはようございます。手伝います。」
「俺も手伝うぞ?」
「大人しく座っててくれ。」


ウインナーやハムが添えられたパンケーキとサラダを並べ、揃って朝食を取る。

 


「パンケーキに味はつけてないから、ジャムとかバターとか使ってくれ。」
「ハムだけでも十分美味い!凄いなタテワキ!フワフワだ。」
「ドーモ。食べたら出かけるぞ。服も昨日買ってきておいた。」
「何から何まで、すまないな。」
「悪いと思ってるなら、事実究明のために働いてくれ。アンタの知識が要だ。」
「任せろ!」

 

朝食後、各々準備を終えリビングに集まる。
ルフェとタテワキは一応魔法院のローブを持っていくことにしたが、今は羽織らず鞄に入れる。
ハインツは、タテワキが買ってきたカーゴパンツに黒いシャツ、編み上げのブーツを履いた。
髪も整え髭も剃ったので、見違えたほどだ。
よし、とタテワキが転移魔法を発動した。
次の瞬間立っていたのは、一面に広がる草原地帯だった。
もう雪化粧をした山の峰が並び、冷たい風が吹き抜ける。
青い空を鳥が飛んでいくのが見えた。

 

「此処が、ノーチェ?」
「いいとこだろ?ノーチェは山に囲まれて自然豊かな土地だ。今も変わってなけりゃな。
凄いなタテワキ、指定したポイントにバッチリだ。家はすぐそこだ。」

 


こっちだ、とハインツが歩き出す。
彼らが飛んだのは、ノーチェでも外れの山間にある片田舎。人とすら違うことはなく、姿も見えず、広がるのは緑と青空。
小高い丘に入ったのか、緩い上り坂が続く。
ルフェは、久々に心穏やかな外の世界で、深呼吸を繰り返す。
生き物が焼ける悪臭しかしない場所と家の往復だけだったので、穏やかな世界は久々だ。
それに、アテナ女学院とクロノス学園、それからライム島以外であまり外に出たことが無かったので
目の前に広がる自然に感動していた。
もうクセになってしまっているのか、ポケットから携帯を出して写真を取る。


「ん?なんだい今の音。」
「写真を取りました。」
「写真?そのケータイとやらでか。」

 


先頭を歩いていたはずのハインツがくるりと向きを変えて、ルフェの手の中にある画面を覗く。
高画質で保存されている自然の光景に感激の声をもらし、若い女の子よりはしゃぎ始めた。
じゃあ俺も、とルフェと2ショットを撮り出す。
ルフェの肩に載った手をタテワキが払う。


「触るな。さっさと案内しろ。」
「なんだタテワキー。ヤキモチは見苦しいぞ。」


タテワキに睨まれ、大人しく歩き出す。
ルフェはそっともう1枚写真を取ってから、後を続く。
緩やかな坂を登り切ると、丘の向こう側のくぼんだところに、掘っ立て小屋が見えた。
家と呼ぶには質素で、手作り感満載の木と石の家。
小綺麗だが、人が住んでいる気配はしない。
急に真顔になったハインツが、小走りに丘を降り始めた。
きっとあの家だ。あの家が彼と、彼の先生が暮らした思い出の家。
2人も察して、黙ってついゆく。
先に扉を開け中に入っていったハインツに続いて小屋に入る。
中は綺麗に片付いていたが、やはり分厚い埃は避けられなかったようで、足を踏み入れた途端
長年放置された空気感が体にまとわりつく。
手作りと思われる木製のテーブルに、小さい棚が並ぶキッチンとリビングを兼ね備えたような部屋があり
アーチ型の穴の向こうにまた部屋が続いている。
本当に、最低限の生活をするだけの場所のようで、体格のいいハインツにはちょっと狭そうだとルフェは感じた。
さっと周りを観察して、タテワキは奥の部屋に入ったハインツを追った。
寝室と書斎を合体させた部屋の隣に、また扉があった。
僅かに空いた扉を押すと、アンティーク調のテーブルが1つだけ置かれた、狭い物置のような場所にハインツはおり、
壁に向かって白い魔法陣を展開させていた。
タテワキでさえ、その背中に語りかけるのは躊躇した。
顔を見ずとも、全身から漂う喪失感と僅かな怒りがにじみ出ている。
無理もない。彼にとってつい1,2年前住んでいたはずの家が埃にまみれあちらこちら朽ちているのだ。
家がそのまま残っているのも奇跡だと思う。
どう声を掛けたモノかと思考していると、ルフェがタテワキの袖を引っ張った。


「外に亀裂が走った気配があります。」
「なんだと?ハインツ、アンタは此処にいろよ。」


2人は何も言わぬハインツを置いて外に飛び出した。
鮮やかな草原が広がる穏やかな一帯に、不釣り合い過ぎる黒い線が走り、ゴミを不法投棄するように魔物がボトボトと落ちてきた。
空に走った亀裂はすぐ消えたが、魔物は真っ直ぐ小屋に向かってくる。
タテワキは手にアセットの鎌を構えた。

 


「ピンポイント過ぎるな・・・。まさか、奴らも研究データを狙っているのか?」
「狭間の世界から逃げ出せたハインツさんが狙いの可能性もあります。」
「どっちにしろ、此処は死守するぞ。ルフェは後方支援。背後を守ってくれ。」


はい、とルフェはアセットを弓の形にして弓を引いた。
タテワキが身を低くしながら走りだした。
不格好に走って寄ってきた魔物のカエル頭を鎌で切り離し、左側からやって来た尻尾まで生えたトカゲ頭の腹を下から切り上げる。
鎌を振り上げて隙が生まれた腹を狙ってきた一帯に、ルフェがマナの矢を放ち後ろに転倒させる。
牛頭の攻撃を交わしながら転倒した一体の腹にマナを打ち込んでから、牛頭の胴体を横凪ぎに一閃。切断した。
タテワキはルフェの支援もあって確実に数を減らしていたが、とある一体が発する殺意に反応して
脳天に振り下ろされた一撃を鎌で防ぐ。
重い一撃にタテワキの足が土に僅か食い込んだ。
体長は悠に2mは超える茶色い熊のような見た目をしている。
頭と手足こそ動物だが、チェニックを着てその上に簡易鎧を身につけているので、

小説に出て来そうな創作物具合に笑ってしまいそうだ。
だが、笑えないぐらい力が強い。
これは強個体と呼ばれる強化型魔物だ。果たしてマナが通じるかどうか。
次の一手に移りたいのだが、熊は手にしていた棍棒でタテワキの鎌の柄を押し続けている。
こちらから動きたくても、動けない状態になってしまった。
隙を見せられないのでルフェの様子も窺えないが、他の魔物が丘を駆け下りてるのはわかる。
数はそこまで多くないし、愛弟子であるルフェが魔物にやられはしないだろうが、気持ちはどんどん焦っていく。
足下に魔法陣を展開させ召喚でもしようかとマナを溜めたその時、突然熊が苦しげな鳴き声を上げた。
鎌に乗っていた重みが無くなり、後退すると、熊は両手を挙げながら前に倒れてしまった。


「噂の魔物がどんなものかと期待しましたが、大したことありませんね。」


熊の後ろに立っていたのは、黒髪短髪の凜々しい女性―2番目の魔女モロノエだった。
ハッとしてルフェの方に顔を向けると、小屋に向かっていた魔物は全て倒れ粒子となって消えて行くところだった。
ルフェも弓を持ったまま、突然現われた魔女に驚いた顔をしている。

 

「狭間の世界から帰還した方に会わせてください。」

 

声こそ穏やかであったが、その目には有無を言わさぬ強制力があった。
敵意は感じないが、魔女がいきなり現われさすがのタテワキも内心で動揺する。


「どうして知ってるんです?」
「愚問です。私は巫女ですよ。扉の口からこちらにやって来た気配は全て探知出来ます。
魔物ではなく人間がやって来たうえに、ルフェと共にいるので、話を聞こうと参上しました。我々にとっても、興味深いことです。
そちらも、狭間の世界についてわかる絶好の機会だと思ってらっしゃるのでしょ?」
「帰還者を浚おうとかしてません?俺達にとって大事な証人なんです。」
「安心して下さい。まずは話をしに来ただけです。」

 

魔女は目線を外し、恐る恐る丘を登ってこちらにやって来たルフェに微笑むとその黒い髪を撫でた。
途端に、空気が柔らかくなる。
2,3言葉を交わして、3人揃ってハインツの小屋に戻る。
埃だらけのキッチンを見たモロノエは眉をひそめあからさまに深いな顔をすると、2回手を叩いた。
家の中が一瞬で掃除したてのピカピカの状態になり、埃くささも消え清涼感ある心地よいものに変わる。
どうやったのかと問えば、時間を巻き戻したと当たり前のように話し、自分の家のようにキッチンでお茶を入れだした。
水道機能はまだ使えたのか、モロノエが使えるようにしたかは定かでは無い。

 


「魔女は、今回の件に―いや、人間社会の出来事には首を突っ込まないんじゃないんですか?」
「ええ。干渉しません。我々が興味があるのは、狭間の世界。そこから”帰って来た”という事実が大問題なのです。」

 


魔法でどこからか持ってきた紅茶の茶葉をティーポットに入れ、沸かしたお湯を注いでいく。
タテワキがハインツの様子を覗きに行ったが、相変わらず奥の部屋で壁に向かっていたので、そっとしておくことにした。
ルフェとタテワキに座るようすすめ、モロノエもルフェの隣に腰掛け紅茶を飲んだ。

 


「人間に話すつもりはありませんでしたが、ルフェには知ってもらっておいた方がいいと判断して話します。
そもそも、狭間の世界を創ったのは我々巫女です。」
「つ、創った?」
「そんなに驚くことではありません。我々は世界を生み出した女神の娘です。次元を創るなどたやすいのです。」
「なら、魔物やウィオプスも・・・?」
「いえ、それは副産物であって、我々の知る所ではないのです。
人間達が狭間の世界と呼ぶあの次元は、ある1人の男を閉じ込めるためだけに創ったのです。」

 


モロノエは優雅な手つきで紅茶を一口飲んだ。
感情が一切見えない宇宙を宿したように光る瞳を伏せながら、話し始めた。

 


「まだ世界が生まれて間もない頃、我ら巫女が守る聖なる土地に2人の人間が辿り着きました。
あの頃は人間も女神に生み出されたばかりの原始存在だったので、聖なる土地に足を踏み入れることが出来たのです。
我らの長である第1の巫女は人間達を歓迎し、マナを操る術を教えるようになりました。
あの頃はとても平和で、姉妹と人間は楽しく交流し学び合っていました。
1人の人間はとても清く、従順で優しい男でしたが、もう1人の中には野心が眠っていたのを我々は見抜けませんでした。
あるとき、野心家の男が我々巫女の力と聖なる土地を欲して牙を剥いたのです。
原始の人間は、今の貴方達よりずっと上手くマナを扱えます。
それに、女神が直接産み落とした存在同士なので力は拮抗していました。
戦いは長く、激しく続きました。人間の大陸も巻き込んだせいで、危うく火の海にしてしまうところでした。
知っていますか。人間の大陸も昔は真ん中があったのです。」

 


ルフェは言われて世界地図を思い出した。
ジパンなどの島国を除き、この世界は円形のドーナツみたいな形をしている。
ドーナツの穴部分は海しかない。
タテワキが呆れたような顔で問う。

 


「まさか・・・大陸に大穴あけたのあなた方なんですか。」
「ええ。戦いの爪痕というやつです。女神がせっかくお作りになったのに、本当に申し訳ないことをしました。
それもこれも、あの男のせいです。男の欲は止まることを知らなかったのです。
もう殺すことは適わない。そう悟った我々は、新たに次元を創り、そこに男を閉じ込め二度と出てこられないようにしたのです。
この世界から切り離し、遠い宇宙に追いやりました。
でもいつからでしょうか。こちらとあちらが再び繋がってしまったのです。
あの男がやったのか、因果故かは不明です。口からウィオプスのような魂を吐き出すだけだったのでしばらく静観していました。
我々が創った次元の中で捕らわれるしかないあの男が、この世界に再び舞い降りることはないと思っていたのです。
ですが、迷い込んだ人間が再び戻ってきたと知って焦りました。」

 


ハインツのことか、とすぐに気づいた。
モロノエは続ける。


「魂のような霊体や魔物と呼ばれるデク人形なら問題ありませんが、人間そのものが帰ってこれるなら
いづれあの男も戻ってきてしまう。早急に対策を打つために、まずはその帰還者を調べさせてもらいます。」
「俺の判断ではなにも・・・それに話が壮大過ぎてまだ頭が追いついてないのですが?」
「刻一刻を争いますよ。あの男が戻れば、今度こそ土地が無くなります。我々巫女でさえ、殺せなかったのですから。」

 


真剣な眼差しを真正面から受け、蛇に睨まれるカエルの気分がわかった気がする。
自分より力の強い者というのは此処に座っていてもよくわかる。
人間より遙かに強い魔女が恐れる存在。しかも、殺せない程の凶悪な存在。

 


「予言とも関係ありそうですね。」
「ええ。」
「わかりました。彼を呼んできますが、貴方の正体は伏せた方が―」
「全部聞いてたぜ、タテワキ。」

 


アーチ型の入り口からハインツが入ってきた。
顔色が悪いのは一目瞭然だが、弱々しく笑いながらタテワキの隣に腰掛けると、モロノエが手を使わず魔法でカップに紅茶を注ぐ。

 


「魔女が実在するってのは、アルバ先生もうっすら気づいていた。といっても探知していたとかじゃなくて、
学術的に、魔女の存在を肯定しないと解き明かせない問題があったからだ。
初めまして魔女さん。俺はハインツ。2人と顔見知りなら俺とも友達だ。」
「それは素敵ですね。私は二番目の巫女、モロノエです。早速聞きたいのですが、狭間の世界で人間に会いましたか?」
「確証は無いが、1人いたぜ。白に近い銀髪をした綺麗な兄ちゃんだ。まつげまで銀色で、儚そうな奴だった。」

 


モロノエは、目を見開いて驚いた顔をした。
ここまで表情を崩す彼女を始めてみたが、ゆっくりといつもの様子に戻っていく。

 


「なんと・・・驚きました。彼もいるのですか・・・。黒髪の、やや色黒の長身で、額に傷がある男は見ませんでした?」
「俺があった人間らしい人間はその銀色の兄ちゃんだけだ。

俺を外に出してくれたのもその兄ちゃんだった。大して言葉を交わしてないが。」

 

そうですか、と目を伏せるモロノエに、我慢出来ずタテワキが誰であるか問う。

 


「彼も原始の人間です。聖なる土地でマナを教えていた1人。彼はとても優秀で心根の優しい生徒でした。」
「その生徒も狭間の世界へ?」
「いえ、彼は寿命を全うし家族に囲まれ女神の元へ行ったはずです。あの男が暴れだしたのも、親友が亡くなった後・・・。
まさか、魂を引き寄せたとでも言うのでしょうか・・・。この話は後にしましょう。」

 

モロノエはすぐに切り替えきりっとした表情に戻ると、ハインツが狭間の世界で体験した全てと
こちら側へ帰還できた理由を細かく聞き出した。
ハインツは相変わらず顔色は悪かったが、面倒くさがることもなくモロノエの質問に答えていく。

 


「それで、師匠さんの研究データは残ってたか?」
「バッチリだ。俺が狭間の世界へ落ちてから先生が書き記したデータやメモ書きが大量に残ってた。
先生のことだ。きっと解明を進めてくれていたに違いない。俺を助けるために、な。」

 


ハインツがタテワキに1枚の紙を差し出した。
それは、この周辺の土地を買収した証明書で、自分の死後もこの土地と家には手を出さないようにと取り決めが交わされてある。
代償として、アルバ魔導師の研究データや書物が県に献上されている。
アルバ魔導師は、弟子がいつ帰ってきてもいいように、この家を守り通そうとししていたようだ。

 


「それと、先生が死亡時の検死書類も出て来たよ。送る場所がなくてこの家にしまってくれたんだろ。
先生は栄養失調で、老衰のまま隣の部屋で死んでたんだってよ。机に座って、ペンを持ったまま―・・・。
先生、俺が世話してやらないと研究に没頭してすぐ食事とるの忘れちまうんだよ。
ずいぶん、待たせちまったようだ・・・。」

 


ハインツの声がかすれ、我慢出来ずに頬に涙が流れ手で目元を覆った。
何も声は掛けずハインツの肩を軽く叩いたタテワキが、モロノエに顔を向ける。

 


「悪いが、今日は勘弁してやってくれませんか。150年ぶりにこちらに帰還して、親しい人が誰もいなくなった状態なんです。」
「ええ・・・そうですね。急かしたいところではありますが、仕方ありません。
でわ、ルフェ。買い物に行きましょう。」
「え?」
「こういう時は美味しいものを食べて寝てしまうのが一番です。明日からは研究データの解析をやってもらわねばなりませんからね。」

 


止める間もなく、モロノエはルフェの手を取って転移してどこかへ行ってしまった。
人間の常識がない魔女と一緒で大丈夫だろうか。
・・・まあルフェが一緒なら問題ないか、となんだかあべこべの心配をしつつ、ポケットに入れてあった携帯を撮り出す。

 


「この家借りることになりそうだ。」
「構わないさ。・・・お前さんも、親しい人間をなくしたことがあるんだな。」
「・・・亡くなった俺の師匠も親代わりだった。破天荒だったが、いろんな事を教えてくれた恩人だった。
弟子はいつだって、師匠の大きな愛とやらに守られてたんだなと、居なくなって始めて実感する。いまでもだがな。」
「そうだな・・・。」
「オークウッド先生に連絡を取ってくる。」


一度外に出て、アルバ魔導師の研究データが残っていた件と、魔女が接触してきたことを伝えた。
ピンポイントに狭間の世界の口が開いて魔物が襲ってきたことも。
あれこれと指示を受けていると、ルフェとモロノエが両手に大量の買い物袋を持って帰って来た。
どれだけ此処で暮らすつもりなのだろうか。
その夜は、モロノエの手料理を振る舞ってもらい、一緒のテーブルを囲んで食事を取った。
絵本の中の存在とされていた魔女や、150年前に行方不明になった人間と一緒に食事をとっているなんておかしな光景だ。
モロノエの手料理は独特の郷土料理で質素ではあったが、どれも優しく懐かしい味がした。
ハインツも相変わらず顔色は悪かったが、アルバ魔導師との思い出話を聞かれるたび楽しげに話していた。


小屋は4人が住むには狭く家具も揃ってなかったので、一度タテワキとルフェの住む家に戻ることとなった。
モロノエはまた明日来ます、と家に帰って行った。
シャワーを浴びたルフェは、気配がして外に出た。
満月には少し足りない月が夜空に浮かんでいる。屋根の上に、ハインツがいて、同じように月を見上げていた。
足にマナを溜めてルフェも飛び上がって屋根に乗った。

 


「お、どうしたルフェちゃん。眠れないのかい?」
「私も月を見に来たの。外に出るのは久しぶりだったから、寝るの勿体なくて。」

 


ハインツが首を傾げたので、自分が監視下にあって自由に外に出られなかったことを話した。

 


「ルフェちゃんも、色々大変なんだな。」
「私は周りに支えられてるから、幸せ者なの。タテワキ先生もいるし。」
「少々過保護すぎる師匠だが、たしかにタテワキは良い奴だ。すぐわかった。」

 

雲1つ無い夜空に、月明かりにも負けない星が瞬いている。
2人はしばらく黙って月を見上げていたが、ルフェが夜の時間を邪魔しないように静かに口を開いた。


「ハインツさんは、ノーチェに帰って、先生が生きてると信じたかったのね」
「すまんな。どうしても、自分の目で確認しないと気が済まなくてな。」
「アルバ魔導師って、どんな人だったの?」
「風みたいな人かなー。」
「風?」
「常識が無いっていうか、そもそも常識を嫌ってた。自分の研究が一番で、風変わりって周りはよく表現してたかな。
俺にとっては親でもあり姉だった。」
「姉・・・?アルバ魔導師って、女の人だったの?」

 

言わなかったか?とハインツが首を傾げる。
なんとなく、大魔導師と聞くと年配のおじいさんをイメージしていたので、女性だとは思わなかった。


「綺麗な白髪を持ったアルビノだった。俺がガキの時代はアルビノは呪われてるって嫌われててな。
そのせいで幼い頃から親にも村中にも嫌われて苦労したらしい。
でも、俺は先生の髪は綺麗だと思う。細くって指通りがいいんだ。こんな月明かりの夜だと、一際輝いていた。」
「お若いのに、大魔導師だったのね。」
「いんや。アルバ先生は200歳は超えてたぜ。研究のために長寿の魔法を使って、若い姿を保ってたけど。」
「そうなんだ。」
「だから余計に浮世離れしてたんだろうなー。常識も世間も嫌ってたのに

先生は俺をちゃんと学校に行かせてくれたしこんなでっかくなるまで育ててくれた。毎日楽しかった・・・。

最後のお別れぐらい、言いたかった。せっかく戻ってこれたってのに、まさかこんな形で・・・。
ハハ。女の子の前でかっこ悪いよな。ごめんよ。」
「いいんだよ、ハインツさん。突然日常が変わって、大事なものがない場所に放り出されて、平気でいられる人なんていない。」

 


私の宝物みせてあげる、とルフェは携帯を取り出して、画像データをスライドする。

 


「私の大事な友達。」
「俺の時代にもそれ欲しかったなー。あーでも。写真があったら、余計会いたくなっちゃうかもな。」

 


ハインツは大きなゴツゴツした手でルフェの頭を撫でた。

 


「ルフェちゃんの会いたい人はまだ居るんだ。俺みたいに後悔しないように、会えるなら会った方がいい。」
「うん・・・。でも、危険な目にあわせたくないの。大切だから、もう二度と、私のせいで傷つけたくない。」
「友達も同じ思いさ。ルフェちゃんに危険な目に遭ってほしくないって思ってる。
といっても、ルフェちゃんの周りは複雑そうだから、簡単ではないだろうが、やって出来ないことはない。何事もな。」
「ありがとう、ハインツさん。」
「俺の方こそ。こんな可愛いこと月夜の下おしゃべり出来るなんて、幸せだよ。」

 


2人はそのまま月を見ながらたわいない話をして、やがてタテワキが
体が冷えるから戻りなさいと言いに来たので、大人しく家の中に戻って休むことにした。

 


朝食を取ってからノーチェの小屋に戻ると、すでにモロノエがキッチンで紅茶を飲んでいた。
どうやって侵入したかなど、魔女には愚問だろう。
一晩経って元気になったハインツは、早速奥の部屋で研究データの整理を始めることにした。
監視のタテワキも手伝い、ルフェはモロノエとお茶を飲む。

 


「あの・・・モロノエさん。」
「はい。なんですか。」
「聞いていいのかわからないんですが・・・ゾエさんって、どうしてあそこまで私のこと嫌いなんですか。」


ルフェはクロノス学園で2度見えぬ敵から襲撃されており、幻想空間で三番目の魔女ゾエに襲われている。
いずれもゾエではないかと、ルフェは考えている。
現在魔女は二分しており、ルフェを狙う勢力と、ルフェの味方だというモロノエ。
ゾエも初めはルフェを狙って魔物を率いている側なのかと思ったが、モロノエと一緒にいたことからそうではないと状況は告げている。

 


「ごめんなさいね。あの子も色々こじらせてて、精神は子供みたいなのよ。もうルフェを狙ったりしないように
キツーくお説教しといたから安心してね。」
「どうして、モロノエさんは私を知っていて、私の味方でいてくれるんですか?」
「下の妹達が貴方を狙っているからよ。貴方のマナは巫女から見ても特別なの。
いづれ全てわかるわ。今は、お茶を楽しみましょう。」

 


話を強制的に終わりにさせられ、これ以上食い下がることが出来なかった。
魔物側の魔女が自分を狙うのは、あの方のためと言っていた。
あの方とは、昨日モロノエさんが話してくれた魔女と戦って狭間の世界に閉じ込められた男のことなんだと思う。
ならば、どうして魔女は二分しているんだろうか。
わからないことだらけだ。
・・・まあ、私は周りに言われるまま力を使うだけ。大先生やタテワキ先生がわかってくれてればそれでいい。


「聖なる土地って、どういう所ですか?」
「緑豊かで、静かな場所です。」
「巫女の皆さん以外に生き物はいるんですか?」
「居ますよ。動物や鳥が。聖なる土地とは言いますが、いにしえの姿のまま、世界のどこかに存在しています。
ルフェは、どういう所だと思って―ー・・・っ!」

 


モロノエさんが乱暴にカップをソーサーに置くと、いきなり立ち上がった。
外をうかがうといきなり外に出て行ったので、ルフェも続く。
目の前の小高い丘の上に、無数の影がこちらを見下ろしていた。
異形の魔物達と、赤毛の女が1人。
モロノエが飛んで敵の元へ行ってしまい、ルフェも慌てて続こうとするが、家から飛び出してきたタテワキに手を掴まれた。
ルフェを背中に回して守りながら、最後に出て来たハインツと一緒にモロノエの後を追った。
燃えるような赤い髪を山間に吹き抜ける風に任せた魔女が、憂鬱そうな顔のまま口だけを動かす。


「モロノエ姉さん。こんなところで何をしているの。」
「あなたと同じ目的だと思うわ。」
「男と少女を渡して下さい。」
「あの男の命令かしら?2人一緒だなんて欲張りよネア。」
「どうして来たの姉さん。姉さん達は不干渉って言ってたじゃない。」
「姉妹同士では戦わないけど、その他は違うわ。」


モロノエが右腕を肩の高さまで上げると、周りにいた魔物が一瞬で粒子となって消えた。


「悪いけど、あの男をこちら側に戻すわけにはいかないの。」
「敵対するのね。」
「あの男の帰還は許されない。そう決めたじゃない。女神を作った土地を守るのが私達の役目。」
「私はずっと後悔したの。だから、今度こそ自分の思いを優先する。立ち塞がるなら、姉さんでも容赦しない。」
「それは、悲しいわね。」

 


静かな言葉の応酬の中で、高まる緊張感にルフェは全身が震えるのを肌で感じた。
空気が震えている。
見えないまでも、大気中に漂うマナが魔女同士の鼓動に反応して息吹いている。
これが、マナを最も使いこなした原始の存在による圧なのか。
赤髪の魔女が指を鳴らすと、背後の空に亀裂が走り、魔物が目から落ちる涙のように絶え間なく大地に降り立っていく。
果たして、魔女が睨み合うこの場で人間が何が出来るのだろうか。
タテワキとルフェが気圧される中、ハインツだけが両の拳を音を立てて合わせた。


「魔女の姐さん。俺は何すればいい?」
「魔物の相手をお願いします。あと、浚われないで下さいね。」
「ハッハ!任せろ。タテワキはルフェちゃん守っとけ。」
「ああ。極力援護する。頼んだ。」

 

魔女2人が視界から消えた。
見えない空中で破裂音が響き、地面が勝手にえぐれ土が舞い上がる。
視覚で捉えられない領域で、魔女同士が戦っているのだと理解する。
人間を軽く凌駕する者同士の戦闘が行われると、また緊張で震え鳥肌が立つ。
一方ハインツは魔物に向かって走り出したかと思うと、驚くべき事に、拳で魔物の頬を殴りつけた。
手にマナを込めている気配はない。
素の拳のみで、魔物を次々倒していた。


「アセットが改良され戦闘にも使えるようになったのは50年前ぐらいだったな・・・。
昔はああやって戦ってたと思うと恐ろしいな。」

 


ハインツを観察しながら、タテワキが上に向けた手の平にマナを込め、放射線を描いて魔物の塊に発射させた。
頭上から降る雨のような攻撃に魔物は次々粒子となって消えていくが、だんだんとマナの効かない強個体が目立ち始めた。
タテワキの援護で倒せない敵は、ハインツが喜んで拳を振るっていく。
まるで踊るように、巨体から想像出来ない軽やかな身のこなしで攻撃を交わしながら決定打を打ち込んでいく。
ずいぶん武闘派な魔導師もいたものだ、とタテワキは関心する。
やがて、あれが肉弾戦のみの攻撃スタイルではなく、全身でマナを構築して肉体強化とスピード補助をしているのだと気づき出す。
戦いながらマナを全身に循環させ、多種多様な作用を持ち出しているなど、並みの魔法使いでは制御出来ない技法だ。
さすがは大魔導師の弟子を務めていただけはある。
観察と援護を同時に行いながら、頭上の空が徐々に曇りだし、風が強まってきたのに気づく。
山間の天気は変わりやすいと言うから、天候の気まぐれが起き始めたのかと思ったが、
今も見えないどこかでぶつかり合っている魔女2人が時折発する衝撃音。

 


「まずい・・・空間が歪みだしてるんだ。」
「え?」
「人間の魔導師でも、強大なマナを放出させると自然界に影響が出ると聞いたことがある。
それが今は魔女同士だ。理がねじ曲がっても不思議じゃない。」


焦った横顔を見せるタテワキを心配そうに眺めてから、ルフェは曇りだした空を見上げた。
ルフェは、そこにモロノエと赤髪の魔女がいるのをなんとなく感じていた。
当然姿は見えないが、存在をおぼろげに掴める。
と、タテワキが後ろを振り返って、ハインツの家をマナの結界で包み込んだ。
大事なデータを守るためだとタテワキは呟いたが、きっとハインツさんの大切な思い出を魔女に壊されせないためだとルフェは見抜く。
突然。空が晴れた。
分厚い曇天が一瞬で消え去り、まぶしいほどの青空が広がり風が凪いだ。
草原を闊歩していた魔物達も姿を消し、呆気にとられた様子のハインツがポツリと立っており、

空からゆっくりとモロノエが降りてきた。

 


「どうしました。」
「去りました。理由はわかりませんが、一時撤退の指示でも出たのでしょう。あの子は、あの男の指示にしか動きませんから。」

 


優雅に着地をしたモロノエは、不安そうな顔をして見上げるルフェに優しく微笑んだ。


「大丈夫ですよ。」
「でも、右腕が・・・。」
「わかるのですね。見えていたわけでもないでしょうに。大丈夫。私は巫女です。自然に元に戻ります。
小腹が空きました。キッチンをお借りして何か食べましょう。」


ルフェの手を左手で引いて小屋に戻ろうとするモロノエの右腕を観察するが、特に異変は見つからない。
視覚出来ないあの戦闘中に、ルフェは何を見たというのだろうか。
ルフェだけが、何かを察していた。
自分には何もわからなかったが―・・・。
小走りで駆け寄ってきたハインツと共にモロノエを追って小屋に戻ることにした。

 

 

 

「そもそもアルバ先生の専門は、因果律とマナの関係についてだったんだ。」

 


モロノエが作った魔女の郷土料理とやらを食べ終えてから、ハインツがそう言った。
食器の片付けは女性2人に任せ、食後の紅茶を嗜みながらタテワキが相向かいで話を聞いている。

 


「それは物理学の方か?」
「哲学分野も先生は得意だったがな。先生の著書に魔法自然学ってのがある。
マナは人間の体内から発生しているのではなく、自然から発生しているという説を説いたマナについての見解文なんだが、
自然にも原因と動因があり、自然もまた動的であるって昔の哲学があって、マナもそれに習うと先生も考えていた。
先生が始めはウィオプスに興味を持っていたって言ったろ?ウィオプスも因果律が産んだ新生物であり
目的ともよべる動因があると先生は仮説を立ててたんだ。だが、そこにきて狭間の世界だ。」

 


ハインツは手元のカップの持ち手を親指の腹で撫でた。


「俺はこの身を持って狭間の世界の理を体験した。俺が感じたものをすべて肯定した場合、ウィオプスは
狭間の世界に迷い込んだマナを持った人間の魂の集合体。それがどんなきっかけで外に吐き出されこちらの世界へ
吐き出されるのか原理はわからないが、それもまた因果律が成していることだとすれば、

狭間の世界の原理とやらが解明出来るかもしれない。」
「本当か?」
「俺が狭間の世界に落ちてから、先生は幾度となく実験と検証を繰り返していたようで、莫大なデータが残ってた。
そのデータと因果律に基づいた計算を繰り返す。やってみないとわからないが、答えが掴めそうな予感を感じた。」

 


赤茶に濁ったお茶を見下ろして、ハインツは自重気味に笑った。
見てる方が辛くなるような痛々しい笑みだった。

 


「俺はてっきり、先生に蹴り落とされて狭間の世界に迷い込んだと思ってたけど、実際は先生の研究に反対してる学者の襲撃があって
それから守るために俺をかばったら、俺の体が勝手に狭間の世界に引き寄せられたらしいんだわ。
先生はずっと後悔していて、俺のために研究漬けになって、栄養失調で死んじまったんだ。」

 


ハインツがズボンのポケットから一冊のノートを取り出した。
手の平サイズの小さなもので、黒い牛革は所々破け穴が空いている。かなり使い古されたのが表紙を見ただけでもわかる。
タテワキが受け取ってパラパラと中身をめくると、それはアルバ魔導師が記した実験データのメモ書きと、ちょっとした日記帳だった。
書き殴られたデータや数式の横に、後悔の文や過去を懐かしむ一文、ハインツに対する謝罪が記してあった。

 


「これもまた因果が引き寄せた未来であるならば、俺は因果律によって生かされ現世に戻ってきた。
それは、先生の成し遂げたかった研究を完成させるためだ。」


顔を上げたハインツの瞳は燃えていた。悔しさをはねのけ、まるで復讐を誓う戦士のように殺意さえ感じる気迫を宿している。

 


「俺は狭間の世界を閉じる。この現世から再び引き離し別次元に閉じ込めてやる。

そうすれば、もう魂は迷い込まずウィオプスも生まれない。
魔物もこちらにこないし、魔女の姉さんが恐れている脅威もやってこない。世界は元通り、だろ?」
「そうだな、ハインツ。お前は今、アルバ魔導師が作った波紋が引き寄せた要因の使者だ。俺も出来ることは手伝おう。」

 


タテワキも微笑んで力強く頷くと、ハインツはいつもの愛嬌のある笑顔に戻って紅茶を一気に飲み干してから研究室へ戻っていった。

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