神宿りの木 真人編 2
昔々。
それはまだ神の時代。
霧に包まれ何も無かった世界に、3柱の神が舞い降り天と地を作った。
中央にいた神が、ありとあらゆる生物を
右にいた神が、雲、海、地面などを
左にいた神が、実態を持たぬ魂を作った
天を神の住処とし、2柱の神を作り地を任せた
2柱の神の体内、体外から次々神が産まれ、八百万の神となった
神と同じ姿をした人間という生き物が地の上に溢れ、八百万の神々と共に穏やかに過ごした
あるとき、3柱の神が天から地へ舞い降り、ある贈り物をした
*
「それが、雷出したりバリア作ったりするあれですか?」
「<シンジュ>石っていう人間の器管だよ。本当に石みたいに固くて、大半は内蔵の近くにあるけど
人によっては皮膚の上に突出することがある。地上の人たちの体内にもあるけど、気づいていないんだ。」
真人は、連れてこられた施設の一室で、白衣を着た男性に身体検査を受けていた。
学校で受ける検査と変わらず、身長体重心音検査など。
眉辺りで切りそろえられた前髪からも生真面目さが窺える男性が、続きを話してくれた。
全ての神様が天へ帰った後、人間は文明を築くとともに、人間を喰らう天敵とも戦っていた。
真人が実際目で見た十杜もその一種で、恐ろしいことに他にも種類がいるらしい。
今から千年ほど前。
天敵が増え、人間の数が最も少ない時代。
最強の術師が、十杜を始めとした生き物を地の下へ閉じ込めるための結界を張ることにした。
術は完成した。
しかし、人間の半分以上も飲み込み、地下へ閉じ込められてしまった。
術者の結界は完璧で、生き物は決して結界を超え上へ出ることが出来なかったのだ。
地下へ落ちた人類は、絶望をひとしきり味わった後、神から受け取った力を使い戦いながら、生き続ける決断をした。
彼らが作った地下世界の名前は、天御影(あまみかげ)。
「天御影・・・?そういえば、マンホールに書いてありました。」
「君もあそこに入っちゃったのか。まあ、あんなあからさまな通行口作るから悪いんだよね。
大事な空気孔だけど、もうちょっと考えればよかったのに。」
「あの、先生。」
「僕は医者じゃないよ。研究室の高井誠。よろしくね、真人くんだっけ。」
服を着ていいと言われたので、検査の為脱いでいたシャツに袖を通しながら問う。
「地上から入ってきちゃう人結構いるんですか?」
「10年に1人いるかどうかだけどね、」
「僕、行方不明の兄を探しに来たんです。もしかしたら、此処に迷ったかもしれないんです。地上から来た人達と会えたりしますか?」
「うーん。ちょっと難しいかな。」
使用済みの手袋をゴミ箱に捨て、手をシートで拭くのを見つめながら、
ふと部屋の隅で壁に背を預けながら、真人の身体検査に立ち会っていた男性を伺う。
無言の威圧感を背中に感じてしまう。分厚いサングラスが表情を読ませないようにしてるのが監視されているようで居心地が悪い。
高井が道具を片付けながら答える。
「君が思ってる10倍この地下世界は広いし、信じられないかもしれないけど、人口も地上より多いんだ。
住処だって沢山ある。君みたいに無事に保護してもらえたとしてもどこにいるかまでは把握出来ない。
上と違って居住民を全て登録して管理するシステムが無いんだ。
家族のことは一旦忘れて、これから君はこの天御影の決まりや規則を教わって、此処で生きていくために準備をしてもらう。
この集に保護されたのはかなり幸運だよ。此処綴守(つづもり)の生活水準は天御影でもトップクラスだからね。」
よかったね、と特に感情の乗っていない声で言われ、真人は僅かに俯いた。
結論から言うと、地上には二度と戻れないらしい。
これが神隠しの正体なのかもしれない。ミイラとりがミイラになってしまったようだ。
粉々になる十杜の姿を目の当たりしたこともあって、あっさりと現実を受け入れてる自分に一番驚いている。
人間を喰らう生き物も、人間から吹き出した血も衝撃的過ぎて、夢を見たような心地に頭がフワフワしたままだ。
頭の中でブレーキが強く押されている感じもしている。発狂する寸前で、理性がフル稼働しすぎて不自然な冷静さが頭を覆っている。
「兄を探して踏み込むとは、泣かせるじゃないか。その愛を俺は応援したいね。」
診察室に別の白衣の男性が入ってきた。
スラリとした長身だがかなりの猫背で、度がキツい丸メガネにニヒルな笑みは詐欺師のようだった。
金の髪に、だらしなく緩まったネクタイ。彼も白衣を纏っていた。
「ようそこ、アンダーグラウンドへ。」
「篠之留(しののめ)さん、上へ登ってくるなんて珍しいですね。」
「<シンジュ>石の力を発揮した地上人を保護したと聞けば、僕が動かないわけにはいかないでしょ。
あ、藤堂君。久しぶり。座れば?」
軽く会釈をして大丈夫です、とサングラスの大男は低い声で答えまた壁に寄りかかる。
あ、そう。と簡単に会話を結んだ金髪の男性が高井から診断書を奪い取り目を通し出す。
ため息をついた高井が説明をしてくれた。
「この人は篠之留斎さん。これから君が住む綴守にある研究室の一番偉い人。
常識なくて勝手な人だけど、<シンジュ>石研究の第一人者だし、噛みついたりしないから安心してね。」
「ずいぶんな説明だなー。」
本当のことです、と高井が立って席を立つと、入れ替わるように金髪の男性が真人の前に座った。
近くで見ると、ずいぶん整った顔をしているのが分かった。
鼻筋が通っていて、切れ長の目は凜々しい。
猫背と変な笑みがなければ、モデル顔負けだ。
「データ少ないね。本人に発動自覚もないし、今後に期待って感じかなー。
椛田さんに言って僕の研究体として確保しといてよ。迷い人だからって変な部署に回されたら面倒だから。」
「手続きしときます。」
「篠之留さん。沙希が実行部隊で使えるか見極めて欲しいと言っていました。」
ずっと黙っていたグラサンの男―藤堂と呼ばれていた男性が口を開いた。
「いきなり部隊入りは乱暴じゃない?まあ、人員不足は元老院も嘆いてるから圧力もあるんだろうけど。
3日間の猶予期間で何か分かったら、沙希には僕から話しておこう。藤堂くん、今回の監視役?」
「業務があるので、桃那に任せようと思ってます。歳も同じですし。」
そうだね、と優しい声を出した気がしたが、立ち上がってメガネを人差し指で持ち上げた時には
何がそんなに愉快なのかと訝しんでしまうような笑みを向けられていた。
丸めがねの奥にある瞳は、冷徹でありながら妖しい輝きを宿していた。
「またすぐ会うことになりそうだ。これから頑張りたまえ。」
高井も連れ、2人は去ってしまった。
サングラスの大男が隣にやって来て、ついてくるよう言われたので部屋を出る彼に続いた。
表情からも声からも感情が窺えない男は、立っているだけで威圧感が突き刺さり、萎縮してしまう。
何を言われたわけでもされたわけでもないのに。
「すまなかったな。」
急に謝罪の言葉が降ってくるとは思っていなくて、自分に向けられたかどうかも分からず反応が出来なかった。
構わず男は続ける。
「俺の部下が誤った指示を出して混乱させたと聞いた。<シンジュ>石が無かったら無駄死にさせる所だった。
上へ戻れない絶望も、その目で見ることもなかっただろう。」
抑揚もなく単調な話し方であるのに、こちらを気遣った内容に
拍子抜けして口を半開きのまま男の斜め後ろを見上げた。
「天御影には地上人嫌いが多い。これから嫌がらせが増えるかもしれないが、気にするな。・・・どうした?」
「あ、いえ・・・。ありがとうございます。」
まず居住区の部屋に案内する、と歩き出した藤堂のことを、見た目で勘違いしていたことを恥じた。
この人の声は低くて心地良い上に、気遣いが声から伝わってくる。
「あの・・・、藤堂さん。」
「なんだ。」
「つづもり、って場所には、僕以外に地上の人はいますか?」
「いないはずだ。兄を探していると言ったな。諦めた方が良い。ほとんどの迷い人は保護される前に十杜に食われて死んでいる、
希望は抱かない方がいい。後で落胆するだけだ。」
それがいじわるではなく、真人のことを思って言ってくれているとはわかったが、受け入れ難いのも事実。
地下の世界があると知り、こうして日之郷以外の人と話してるうちに
兄は生きてるという確信に似た思いがどんどん膨らんできた。これは必然なのだ。そんな気がする。
廊下を進んで、扉を開けたそこで目にしたのは、巨大ショッピングモールのような施設だった。
シンメトリーになっている建物が左右に並び、どちらも5階建てで、ランダムに設置された渡り廊下が左右の建物を繋いでいた。
今居る1階部分にはいくつも店らしき施設が並び、沢山の人とすれ違った。
当然だが、格好も見た目も日之郷の人たちと何ら変わらない、同じ人間だ。
真人を見ても何も言っては来ないが、隣の藤堂を見た人たちは慌てて退いていく。
自分が先程感じていた威圧感は他の人も感じていたようだ。
店内には食材が並ぶスペース、日用品を売ってるスペース、本屋にカフェ。
ベンチやテーブルなどの休憩所に、観葉植物まで置かれている。
自分たちが住んでいた足下に、こんな立派な施設があると誰が想像出来ようか。
此処が地下であるという事実を疑いだすも、通りの中程にある階段で上へ登る時に、天井がむき出しの岩肌であるのに気づいた。
側面にも灰色の冷たそうな岩が見え、丸い明かりが埋め込まれている。
切り抜いた岩石の中にこんな立派な建物を建てたということだろうか。
そもそも、どうやって切り抜いたのか。建物に使った材料などはどうしたのか、疑問は次々湧いてくる。
階段から降りたのは3階部分で、店ではなく同じ扉がずらりと並んでおり、奥へ伸びる細い道もある。
藤堂は入り組んでるようで規則正しく並んだ廊下の一本に入り、特徴のない扉の1つを選んで開けた。
中にはシンプルな部屋があった。玄関のすぐ左手にお風呂や洗面所、右手にトイレ。
奥にはシンプルベッドが置かれたリビングに、クローゼット、備え付きの家具も少々。
「3階は居住区で、此処がお前の部屋だ。好きに使え。」
「僕の部屋?こんな立派な場所使っていいんですか?」
「一般集民はほぼこのタイプを使っている。狭い方だぞ。」
窓こそないが、自分の部屋より十分広いしお洒落な内装であることに驚いていた。
藤堂の手前、探索したい欲を押さえていると、ドアにノックがあって、人が入ってきた。
桃色の髪をした、先刻会った少女だった。
「遅くなりました。」
「問題ない。後を任せたぞ。」
藤堂が今一度真人を見た。
かなり長身のため見下ろされる形になるが、分厚いサングラスの奥にある瞳が見えた。
凜々しい眉と、鋭い瞳。この人も、ずいぶん整った顔をしているのかもしれない。
「迷い人は3日間の猶予を得て天御影の知識を得てもらう。
それから所属を決めて仕事をしてもらう。桃那に綴守のことを色々聞いておけ。」
「はい。ありがとうございました。」
藤堂は去って行き、少女が深々と頭を下げた。
「改めまして、桃那と申します。お世話係を言いつかりました。よろしくお願いします。」
「真人と言います。こちらこそ、お願いします。」
「あの・・・。先程は、ヤマトくんがすみませんでした・・・s最上階は本来立ち入り禁止なんです。結界があって危ないので。
意地悪にしても、やり過ぎでした。」
「黒髪の女の子がいてくれたので、大丈夫でした。」
「総隊長ですね。あの人があの場にいるなんて、すごい偶然です。滅多に見かけないのですが。」
黒髪の美しい女の子は、あの後藤堂に真人を任せすぐいなくなってしまった。
なぜ若い彼女を周りが総隊長と呼ぶのかはまだ知らないが、身分が上であるのはなんとなくわかった。
部屋の鍵を渡され、扉の横にあるプレートで部屋番号をしっかり覚えさせられる。
なんでも、居住区は全て同じ扉を使っているので、迷子になりやすいそうだ。
部屋番号さえ分かれば辿り着けるとのことで、受け取った鍵をポケットにしまった。
表通りから移動しながら、渡り廊下の真ん中で足を止め改めて建物を眺めた。
むき出しの岩肌は圧迫感があり違和感しかないが、明るいベージュで塗られた建物は真新しい。
上からも、人通りの多さが分かる。
家というからもっと民家が並ぶ場所を想像していたが、ずいぶん風変わりな場所もあったものだ。
「1階は共有スペース。お買い物とか、リラックススペースがあるので好きに使えます。
2階から4階は居住区で、5階以上は一般集民は立ち入り禁止ですので気をつけて下さいね。
ご飯は3階の食堂で取ります。朝6時から夜22時まで開いてますから、いつでもご飯食べられます。」
「お金は?」
「いりません。地上と違って集民はあらゆる恩恵を得られます。
代わりに、働かざる者食うべからず。地上人さんでも仕事はしてもらいます。
どこに所属するかはわかりませんが、頑張って下さいね。」
「仕事って?」
「そうですねー。清掃、食堂勤務、設備点検などがあります。私達ぐらいの年代だと、ゴミ回収とかでしょうか。」
「僕でも出来そうでよかった。」
*
3日後
埃と、微かに漂う錆びた鉄のような臭いの中を歩いていた。
臭いの原因を予想し、恐らく当たっているであろう思考の安易さに苛立った。
辿る通路に光源はなく、水先案内人が持つランプだけが暗闇の手が伸びぬように足元を照らしてくれている。
此処は集の外。
通路なのか広場なのかもわからない闇の中をかれこれ30分程歩かされている。
「そう不安げな顔しなさんな。もう少し行ったら明るいとこに繋がるさかい。」
真人の向かって右側でランプを持つ男は、聞いたことがない言葉遣いをする。
聞けば、大昔に一部の地上人が使っていた訛りだそうだ。
彼の名前は橘左京。
金に近い茶の短髪、黒縁眼鏡、首や手首につけられたアクセサリーから、どこか軽薄な印象を受け真剣みに欠けている。
緩い空気感も相まって、緊迫した場で彼は浮いていた。
「実行部隊も悪いとこばかりやないで?」
「命の危険がないだけ一般集民の方がいいに決まってるじゃない。」
「黙っとき、紫(ゆかり)。」
向かって左側にいた女性が冷たく言い放ったのを男性がたしなめる。
肩でそろえた髪を揺らして顔を前に戻した女性は、邑崎紫(むらさきゆかり)。
色味が強い名前だ、と真人は名前を聞いた時思った。
肌寒い地下世界で、その名前と髪と同じ色のTシャツとジーパンのみの軽装。
軍服みたいな重装備をしろとは思わないが、彼らにとって外での日常がいかに特別でない
普通の出来事であるのか物語っている気がして、無意識に二の腕をさすった。
3日間の勉強時間を終え、桃那から地下世界のあれこれを教わった真人は
てっきりゴミ回収の仕事をするのかと思いきや、連れて行かれたのは実行部隊の会議室が並ぶエリアだった。
実行部隊という綴守の組織についても桃那に教わっていた。
<シンジュ>石を持ってる人間の中でも、戦闘用に特化した能力をもった者が配属される十杜達と戦い家を守る戦闘部隊。
怪しい白衣姿の篠之留研究員の診察を何度か受けた結果、十杜を灰に出来るという<シンジュ>石が自分に宿っているという。
実感もないうちに、人員不足だからと実行部隊に回されることとなった。
大してわかっていない化け物と戦えといわれても、訓練を受けていない上に心の準備も全く整っていない。
猛獣の檻に放り込まれた小動物の気分だ。
「わいらの家に近づく影はないか、見回ってかんとな。外に出たからって必ず十杜たちと遭遇するわけやないで?」
「そう、なんですか?」
「でかくて生活水準が高い綴守だって、天御影全体で見れば一粒の砂や。」
「掘って土地を広げるぐらいしか、生き甲斐がない時代があったのよ。蟻の巣みたいな世界では、敵との遭遇率は低いの。」
「実行部隊も数人の班で動く。あんさんも班決めが終わるまで見習いとしてベテラン達に同行だから安心せえ。」
心細げに左京の穏やかな横顔を見上げる。
見た目こそチャラチャラしてはいるが、どこか高貴な雰囲気があるというか、悟りを開いているかのような印象を受けた。
「さっきの続きやけど、実行部隊に入れば優遇される。
一般集民が立ち入りできない上層エリアは好きに使えるし、優先的に使える施設もある。
地上人だからって不自由なこともなくなるやろ。」
「上だ下だって、くだらないわね。天御影も地上の技術のお陰でデカくなったっていうのに。」
「え?」
揃った前髪の下にある紫色の瞳が真人を捉えた。ランプの光を受けて僅かにオレンジを含んでいる
「電波ってのを見つけて電話とか通信とか考えたのは地上人。科学ベースの技術も生活の知恵も上から降りてきたって話よ。
それに、地下にはタイヨウってのがないから、地上でしか育たない作物も大量に下ろしてもらってる。」
「下ろすって…。」
「実はな。地上と地下には昔から繋がりがあんねや。大昔に両方の代表が話し合ったらしくてな、
地上の世界に真実を伏せ混乱を持ち込まない代わりに、技術や物資で援助をもらうって約定を結んだんやって。」
「じゃあ、地上の代表―議長は地下の存在を知っているってことですか?」
「そうなるわね。あんたが使ったマンホールとやらもその1つじゃない。あれを設置したの地上人よ。」
真人は無意識に歩が速くなり、一歩前に身を詰めた。
「自分たちの足元で命の危機が迫ったり苦しんでる人が沢山いるっているのに、議長は何もしなかったんですか?
何もかも知ってるくせに、人類を謳歌するような演説を平気で―…」
地上世界での最後の日。
祝賀祭で大演説をしていた島田議長の気難し気な顔を思い出す。
議長の演説で人々は声を上げ高揚し、生きている素晴らしさを改めて実感していた。
世界の真実も知らずに。
「って、アンタも何も知らずのうのうと生きてたんでしょう?」
「だって、僕は、僕たちは…何も聞かされてなかったし…。」
「聞いてたらどうする?何かした?実際、真実を知っても何もしないわよ、人間ってのは。
自分とは関係ない事柄がどんなに悪徳非道であろうと、自分の生活が安泰ならそれでいい。
隣の家の誰かが死のうが、他者が詐欺に会おうが、何かしようと思う?可哀そうだなってそう思って終わり。
地下の真実を地上人が知ったところで、無関心。よくて。地下とは関係を断つべきだとかいってデモが起きるぐらいかしら。」
「紫、もうやめとき。そもそも、結界がある限りどうしようもならへんのや。」
穏やかな声の主が幾分か響きを尖らせて制止した。
拳を握って目線を落としてしまった少年に顔だけ振り向く。
足は決して止めない。
止まれば十杜がやってくる可能性が増えるからだ。
「すまんな真人はん。紫はあんさんを責めるつもりはないねん。」
「そーよ。口だけの人間が嫌いなだけ。地下で生きてるあたしらは生きるか死ぬか。留まれば死ぬなら動く。
戦闘用<シンジュ>を持ってるなら動かないわけにいかないの。責任がある。」
「責任…。」
「わいらは、誰かを守れる力がある。でも、この手が守れる範囲は限られている。
その虚しさは実行部隊に入っとるとよう分かる。分かりたくなくともや。」
濃い影に埋もれた少年の表情は読み取れないが、ひどく落ち込ませてしまったのはわかった。
「話大分逸れてしもたな。つまりや、地下と地上は全くちゃう世界やけど、確かに繋がってはいる。
地下は地下で精一杯生きていこうってことや。」
「雑なまとめかたね。」
「紫がいじわるな事言い出すからやろが。下に落ちて日も浅い迷い人がいきなり実行部隊に配属やで?
考えてみ、紫。お前の理屈やと、地上に連れていかれていきなり議員になって仕事できるか?
知らない人間だらけで見たことない機械や常識に囲まれて、一人寂しくやってけるか?
お前は幼馴染のわいや妹がいなきゃ寂しくていられんやろ。」
「失礼なこと言わないでよ。まるであんたたち兄妹がいなきゃダメな子みたいじゃない。」
「実際そうやろ。ほら、行宗さんとこの―」
「その話題二度と出さないでよ!!」
後ろから控えめな笑い声がして、二人同時に振り返る。
「仲がいいんですね、お二人とも。」
「まあ…幼馴染やからね。元気でた?」
「はい。おかげさまで。」
「それはよかった。」
「あんた…。笑うと女の子みたいね。モテるでしょ、男に。」
「やめて下さい…。」
話している内に、闇が少し薄れていることに気づけなかった。
通路を抜けた、ただっぴろい空間に入っていたようだ。
太い柱が遠くの方に建っているが、本数は少ない。
壁と天井に光源が埋まっているが、左京が持つライトはまだ必要だった。
こういう場所には、嫌な思い出しかない。
「ああ、やっぱり・・・。」
「すまんなぁ真人はん。今日は“その日”だったみたいや。」
左京が腰のポシェットから手の平より少し長い棒を3本取り出し、それを1本に繋げ棍棒の武器に変え、構えた。
いつの間にかランプは紫の手に渡っていた。
あいつらはいつも闇の権化のようだと真人は思う。
闇が動いたかと思えば、闇は輪郭を生み出して
濁った双眸でこちらを見つめている。
闇の中へ誘うように。
目視で確認できる数は6体。闇の中にはもっと潜んでいるかもしれない。
紫が真人の前に立ち塞がるように移動した。
「触れられても灰に出来るだろうけど、<シンジュ>はまだ未開発なんだから、坊やは見学。動くんじゃないわよ。」
先に動いたのは右手側手前の個体。
地面を蹴ると左京めがけ突進。左京に近づくと前足を振り上げた。
「オン!」
左京がそう叫ぶと、手にしていた棍棒が金色に染まった。
細かい粒子を纏ったそれを、突進してきた十杜の腹に打ち込む。
次いで左から死角を狙ってきた十杜の顔面を叩き、その勢いのまま半身捻って頭上の1体を叩き落す。
真人は、彼が持っている棍棒の形が変わったのにそこで気づいた。
金の粒子で包まれ、石突があり、先端には大きな円が一つ。その円に六個の小さな輪が連なっている。
棒が動くたびに小さな輪がぶつかり琴のように軽やかな音が鳴る。
無駄な動きは一切なく、敵の位置も攻撃も全てわかっているかのような身の振り方。
新入りを気遣う陽気で優しい先導役とはまた違う顔だ。
鋭くて、やはりどこか神聖さを感じる。
「凄い・・・。」
「アレは錫杖っていって坊さんの神聖な道具よ。簡易版で本物じゃないんだけど。」
「ボーサン?」
「僧侶っていって、あいつの本職よ。あいつの力は<シンジュ>じゃないの。」
手から雷を出したりバリアを張ったり、そういう不可思議な超常現象は
体内にある<シンジュ>石という器官による自然現象だというのをやっと呑み込んだばかりだ。
<シンジュ>じゃないのに、棍棒の形を変えたり金色に光らせたりする能力とはどういうことなのだろうか。
今もまた、目の前で棍棒―ではなく錫杖とやらが輝きを増し噴出させた金のオーラで十杜を焼いた。
頭上から、勢いよく十杜が1体飛び降りてきた。
左京の反応が遅れる。
真人が声を上げるより早く、顔の横を何かが通り過ぎ、襲い掛かろうとした十杜の眉間に刺さった。
それは四角い紙、何かのカードだった。
十杜は波紋のような力で空中で動きを止められ、隙が出来た腹を振り上げられた錫杖で下から突かれた。
紫の手には、先ほど投げたとみられるカードが何枚か握られている。
「あたしの商売道具、あんまり使いたくないんだけど、仕方ないわね…。」
紫の顔に焦りが見える。
彼女が持つランタンの明かりは決して強いとは言えないが、
光源の範囲に見えるだけでも十杜はだいぶ集まっていた。
恐らく囲まれてしまっているだろう。
左京が紫を見た。
「紫!手助けいらんから、真人はん守りぃ!」
再び金のオーラが噴出する。
左京を起点として広がるオーラの向こう側、闇の中に蠢く影を見て、紫は奥歯を噛み締めたが
大人しく真人の腕を掴んで数歩下がると、手にしていたカードを投げた。
カードたちは二人の足元に刺さると、薄紫色の結界を張った。
「紫さん…!」
左京の額に大量の汗が噴き出していることに気づいて真人が声を上げた。
紫も、本当は手を出したいのだが、力が弱い自分がでしゃばっては左京の迷惑になるとわかっていた。
応援要請の信号は出した。あたしの力じゃ何分持つかわからない。
十杜を灰に出来るなら坊やだけでも逃がせるかもしれない-…。
そんなことを考えていると、左京が何かを唱えだした。
十杜の攻撃を避けながら指で印を結ぶ。
「…―ソワカ!」
最後にそう叫ぶと、金色のオーラが左京を中心に三度、連続で放出した。
波紋のようにオーラが広がり、三度目の波紋でかなり遠くの十杜まで捉えた。
オーラに触れた十杜は朽ち果てたが、オーラが止むと、また暗がりから影が近づいてくる。果てが見えない。
次から次に湧く十杜を一人で対処するには多すぎる。
先ほどの技はかなり体力を使うのか、錫杖に照らされる左京は肩で息をしていた。既に彼は何十体倒したのだろうか。
手助けは出来なくても、十杜の目を引き付けるぐらいなら出来るかもしれない―
一歩踏み出そうか迷った紫が、突然真人の肩を思いっきり後ろに引いて、彼の頭を抱き寄せた。
真人には一瞬何が起きたかわからなかったが、
頭を上げた時には、足元にあった紫のカードが燃えており、結界は消えていた。
十杜が放つ強烈な異臭に交じって、血の匂いがした。
紫の右腕が、血に染まっていた。
二の腕に十杜がつけた鋭利な切り傷が走り、地面に落ちたランタンの明かりに照らされてらてらと鈍く光る。
結界が解け、十杜数体が二人へ方向転換をしたのが見えた。
紫が怪我をしていない手でカードを投げるが、たった1体の動きを止めただけ。
真人が彼女の腕の中を飛び出し、かばうように両手を広げる。
――――赤い閃光が走った。
その瞬間だけ闇が取り除かれたようで、この広場の天井を目に出来た。
電気がぶつかる音と共に、頭上を何かが飛んで行った。
地下に降りたあの日に出会った、目つきの悪い少年だった。
手から赤い雷を出しながら宙で半回転し、腕を振り上げ十杜に向かってそれを投げつけた。
感電した十杜たちは体を細かく震わせてから煙を出して倒れた。
華麗に着地するなり、三白眼がこちらを睨めつけてくる。
「紫、さっさと地上人を捨て置けば左京と逃げられただろうが。」
「無理だね。あいつは誰だろうが守るし、私も坊やを置いてくぐらいなら十杜に喰われて死ぬ。」
「チッ。」
少年が再び赤い雷を辺りに放出し暴れだす。
更に、黄色い閃光を放つ女の子と。脳天からつま先まで体が半透明で、民族衣装を着た青年と、緑髪青年の姿が見える。
空から男が下りてきた。
今日も分厚いサングラスを掛けた藤堂だった。
シルバーのコートのはためきが終わるころに、両手に纏っていた青い光が消えた。
同時に、真人を抱える紫ごと透明な結界が張られ、闇から現われた桃那が紫を座らせる。
「紫さん!い、今すぐ治療します!」
「ありがと、桃那。八班と隊長さんまで出動ってことはこれ、群ね。」
「3本隣の通路で対処していたら全てこちらに流れてしまった。」
「左京の汗と私の血のにおいにひかれたってわけか。」
藤堂隊長が、蹲る左京に小走りで近づいた。
彼の周辺にいた十杜はすべてヤマトが焼いてある。
「左京様。遅れて申し訳ございません。」
「ひゃあー、助かりましたで。お手を煩わせましたな。」
左京の体を支えながら立たせると、桃那の結界内に移動させる。
遅れて到着した他の隊員も加わって紫の治療を手伝い、左京の介抱も行う。
藤堂が紫の脇で心配そうに治療を見守る真人を見た。
「お前は、大丈夫か。」
「はい…。紫さんが、守ってくれたので。」
「そうか。」
また何か口を開きかけたところで、彼が耳に差したイヤホンに手を当てた。
隊長が八班の一人を呼び、隊員数人はそのまま十杜が結界に近づかないよう対処する。
「…司令室より伝令だ。十杜が此処に集まりだしている。左京様と紫を連れて離脱する。
俺は先陣、桃那は結界を維持。緑延たちはしんがり。群れを出来るだけ牽制しながらついてこい。」
「はい。」
「聞いてるだろヤマト!緑延がリーダーだ。従え。」
「…わーってるよ。」
とは言いながら不服そうに返事をする稲妻少年。
隊員達が担架を用意し、渋る左京を寝かせる。
紫も担架に乗せようとしたが、軽傷なので自分の足で移動すると言って聞かなかったので、
危なくなったら真人が肩を貸すことにした。
作戦の実行は速やかだった。
あっという間に陣形を指揮し、退却への道筋を整える。隊長の合図の元、全員が動き出した。
桃那が結界を張ったまま走る。移動しながらの結界展開は術者への負担が高いので、
担架に乗せられている左京と、左京を運ぶ隊員だけに限定する。
結界のギリギリで紫と真人が続き、前方は数人の隊員と藤堂隊長が向かってくる十杜を退治していく。
広場から抜け一本道に入った。
狭い道を一匹たりとも通さぬように桃那を除いた八班がしっかりとしんがりを務める。
真人が、小走りで担架の後ろをついて行きながら、首を軽く回して振り返る。
赤、黄色、緑の閃光が飛び回る度に、十杜の野太い悲鳴が漏れている。
前方では手に青い光をともした隊長が無駄のない動きで十杜を殴り倒し道を切り開いてくれている。
武器を使わず素手で化け物を倒す光景はなかなかに驚異的ではある。
隣を並走する紫を見る。包帯が巻かれた腕を押さえながら必死に足を動かしてはいるが、
担架を運ぶ隊員の腰に下げた明かりに照らされた顔色は悪いように見える。
「紫さん、やっぱり担架で運んでもらったほうがいいです。」
「平気だって。」
「だいぶ息が上がって――…危ない!!!」
反射的に、紫を結界の中に押しやって、反射的に腕を上げ降りかかる灰を防ぐ。
闇に紛れ天井を伝って来たのだろう。突然落ちてきた闇は真人に触れた瞬間形状破壊を起こし灰になった。
また別の固体が、天井に張り付いてるのを見つけて、ふらついた紫を桃那が支えたのを確認して、叫んだ。
「桃那さん!そのまま進むように伝えてください!紫さんをお願いします!」
桃那は一瞬困ったような顔をしたが、怪我人を無事送り届けることが優先だと判断してくれたようで
力強く頷いて、紫の体を支えながら走り出す。
再び灰を頭からかぶる。攻撃から身は守れても、服の隙間に入り込む細かい異物感には慣れない。
これは、十杜だった灰だ。
血肉を食い荒らす十杜の、灰。
「怪我人を優先的に逃がす行為は、高く評価しますわ。」
黄色い光に通路の全貌が浮かび上がった。
目に見えてなかった十杜が、黄色い糸に絡めとられ宙に浮いていた。
左京の金色とはまた別の鮮やかな色だ。
廊下を走る黄色の線を辿った先にある、黄色の術式の上に立つ少女が、大きな扇を持っていた。
二つに縛った金色の巻き毛が術式から巻き上げられた微風に揺れている。
勝気そうにつり上がった青い瞳をしており、背が小さく真人よりだいぶ幼い。
頭上を飛んできた童水干を着た青年―何故か体が透けており尚且つ緑色に発光している―が通路を駆け抜け、
空中で動けなくなっている十杜を手にしていた錫杖で全て倒した。
捕らえる獲物がいなくなり、黄色のオーラが消える。
童水干の彼が着地すると、一同が止まっていた足を動かし始めたので真人も慌てて続いた。
目的は左京たちの後ろを守ることだった。
金髪巻き毛の少女が真人の横に並んだ。
「戦時中です。ヤマトと違って、私は新人で元地上人だからといって置いて行こうなんて思いませんわ。
大人しくしてれば守って差し上げます。」
「あ、ありがとう、ございます…。」
「丁寧でよろしい。それにしても、数が多い上に天井を這われたら守りきれませんわね。」
と、言いながらも扇を振って、頭上を通過しようとする個体を捉える。
童水干の透けてる青年が、飛び上がって錫杖でわき腹を刺した。
少女が捉え童水干の彼が仕留める。見事な連携だ。
後ろから、何か呼びかけるような声がした。
振り返ると、緑髪の青年がスピードを上げこちらに近づいてくる。
その後ろで赤い稲妻が落ちるのも見えた。
「絵美ちゃん、一ノ瀬司令官から追加任務。群れが思ったより増えてて全部がこの通路に入ってきそうな勢いらしいんだ。
だから、この先に二股に分かれる道があるから、隊長が入った通路は封鎖。僕たちは囮となってもう片方へ。」
「いくらわたくし達でもこれだけの群れは対処しきれませんわよ。」
「司令が言うには、その先に今は使われてないシャッターみたいなものがあるんだって。それを下ろせば遮断できる。」
「行くしかなさそうですわね。」
「ヤマト君と翡翠で時間稼ぐから、絵美ちゃん分岐が見えたら遮断防壁張れる?」
「桃那がいないんですもの。仕方ありませんね。」
真人さんは絵美ちゃんの近くにいてください、と優しく言われ頷く。少女の名前は絵美というらしい。
やがて問題の分岐が見えてきた。
ずいぶん離れてしまった部隊は真っすぐ走り去ってくき、右に大きくカーブする分岐も見えた。
絵美という名の少女が足を止め、扇を持っていた手をかざす。
黄色の円陣が彼女の足下に浮かびあがり辺りが眩しく照らされる。
右手に持っていた扇がすぅっと消えてなくなり、今度は木の棒に白い紙が沢山ついたものが握られた。
授業で習ったことがある。大幣(おおぬさ)だ。
「祓いたまえ!」
左手で印を作りながら、左、右、左と大幣を振るう。
すると、藤堂や左京達が入っていった真正面の通路に蓋をするように、黄色く半透明な膜が覆われた。
呪文を唱えてから、絵美は大幣を膜に埋め込む。
膜に絡めとられた大幣がそのまま宙に浮いた。
「終わりましたわ。しばらくは破られません。」
「十分だよ!右へ入ろう。」
緑髪の少年の指示で一同は右の道へ走る。
真人が振り返って様子を伺えば、大幣で守られた道に体当たりした十杜は弾け飛ぶように消滅していき、
そちらに進めないとわかると群れも右に折れ後を追ってきた。
塗装されていない土がむき出しの通路を走る。
赤い稲妻が何度も落ち、攻撃をうまくかわした十杜も、壁をツタのように這う黄色い光に捕らわれてしまう。
半透明の不思議な格好をした少年を観察していると、ふいに目が合ってにっこりと微笑まれた。
「彼は僕と契約している零鬼。名前は翡翠といいます。」
真人の疑問を見透かしたように、緑髪のひょろっとした青年が走りながら説明してくれた。
「レイキ…?あ、そういえば桃那さんに習ったような・・・。」
「古来より存在する人間に友好的な存在で、地上では妖怪とか幽霊なんかに分類される都市伝説は全て零鬼です。
漫画読んだりゲームしたりします?」
「はい。」
「じゃあわかりやすくいってしまうと、零鬼は召喚獣だと思ってください。」
「ああ!エクストラファンタジーの。」
「そうです。あのゲームです。零鬼は実体を持たない思念体に近いのですが、特殊な力を持っていて、
波長の合う人間と契約してその力を貸してくれるんです。十杜と違って言葉も通じるし敵ではないんですよ。」
走りながら緑髪の青年が錫杖を振るう。
彼の錫杖は左京のものと先端の形が違っていた。
棒の先端が膨らんでいて、穴が開いたところに小さな輪が一つだけぶら下がっている。
その輪が跳ねると緑を含んだ粒子が溢れ道となり、翡翠に届くと
翡翠の持っている錫杖が発光し、横に一閃をする度十杜が光に切断された。
どうやら、彼の力が零鬼に受け渡されるようだ。
「僕は緑延(りょくえん)と言います。そこの女の子は絵美ちゃんで、後ろで頑張ってくれてるヤマトくんとは会った事ありますよね?
安全な場所まで行ったら、もっとゆっくり自己紹介させてください。」
「はい。僕は、真人です。」
こんな場所で名乗ってくれるだけありがたく、真人は彼らの余裕を感じた。
自分は頷くことしか出来ないというのに。
前方にいた絵美が何かを叫んだ。
狭い通路が終わり、広い空間に出た。
天井に弱い明りが灯っていたので、様子はなんとか見て取れた。
空間は広いのだが、ダムのように高くて分厚いコンクリートの壁が左右に立ち塞がっていた。
高さ30mはありそうだ。
ちょうど真ん中の部分だけぽっかりと抜けており、よくよく観察すれば
天井に同じぐらい厚さがあるコンクリートの塊がぶら下がっていた。縦長の長方形で、扉のようにも見える。
つまり、あの宙に浮いた扉を下ろせば、完全に通路を遮断できる仕組みらしい。
壁はつるつるした表面をしているので、十杜でも簡単には登れない。
自分たちを追ってきた十杜と対峙しながらそれぞれが同じものを確認した。
「電気は通っているようですけど…。どうやって下ろすんですの?」
同じ疑問を、緑延がイヤホンに手を当てながら司令室とやらに問う。
「制御室があるって司令室の人たちは言うんだけど…。」
翡翠という半透明の零鬼のおかげで十杜の灰を被らずに済んでいる真人が、辺りを見渡す。
通路を、今は左右だけ遮断する壁の右上部に、四角い掘っ立て小屋のようなものがあった。あれが制御室だろう。
目を凝らせば、壁を沿うように小屋へ続く階段もある。
真人は緑延に振り返った。
「僕に行かせてください。」
「え?!ダメですよ。」
「見た所、この連携誰かが抜けたら崩れてしまいますよね。」
入って来た穴から十杜は徐々に増えていく。
通路を塞ぐにしても、ギリギリまで侵入を防いでおかねば、塞いだ向こう側に十杜を招いてしまう。
赤い電で数を減らし、こぼれた十杜を絵美が捉え翡翠が攻撃という流れが出来ている。
緑延は一見手持無沙汰に見えるが、彼が翡翠を動かして指示している術者であると真人は見抜いていた。
誰一人此処を抜けられない。
真人と合流する前から彼らは十杜の相手をしていたのだろう。
赤い稲妻をだすヤマト少年は、疲労からか表情がだいぶ険しくなり、肩で息をしている。
今動けるのは、自分だけだと理解した。
「僕の<シンジュ>は触れた十杜を灰に出来るんです。十杜で怪我をすることはありません。」
数秒考えた素振りをした緑延だったが、手にしていた錫杖を構えて頷いた。
自分の腰にぶら下げていたミニランタンを真人に手渡し、真人はベルトにぶら下げた。
「制御室の近くにいるようにします。何かあったらすぐ戻って下さい。」
真人は走り出す。
十杜を引き付けるため、赤い閃光と黄色い光が強くなった。
階段までのたった数メートルの距離がとても遠く、駆け出した足が重く感じる。
この部屋全体がずいぶん使われていないのか、ランタンに照らされた階段は赤く錆びていた。
今にも崩れそうな印象を受けるが、迷ってる場合ではない。
鉄の階段を靴底が擦れる度カンカンと軽やかな音が鳴る。
同じく錆びて汚れた細いパイプの手すりで必死に体を支えながら駆け上がる。
壁に沿うように作られた外階段が折り返し、反対へと伸びる。
目線の先にある手すりから、十杜が真人に向かって突進してきた。
鋭利な牙と濁った瞳。恐怖で反応が遅れてしまい、頭から灰を被る。口の中に侵入され、せき込みながらも、階段を掛け上げる。
心臓はとっくに早鐘を打っている。
いくら攻撃を受けないといっても、襲われる恐怖はそのままだ。
肌に爪は刺さらなくても、攻撃されるモーションに体は反応して強張るのだ。
一人だったらとっくに泣き叫んでるが、背後で必死に戦っている彼らを早く助けてやらねばという思いの方が強かった。
階段を登り切り、制御室へのドアノブを回す。
鍵は掛かってなかったため、すんなり扉が開き中に入れた。
念のため扉を閉め十杜が入ってこられないようにしてから、ガラス張りになった窓に近づき、制御盤の前に立つ。
腰にぶら下げたランタンをかざすと、分厚い埃が被ったモニターやボタンたちがあった。
ボタンの横や上に掠れた文字で説明書きがあり、電源と書かれた大きく赤いボタンを見つけ叩く。
が、何も起こらない。
違うボタンなのかと一通り叩いてみるが反応はない。
この制御室は長い間使われていないので電力供給がないのだろうか。
一度戻って緑延に報告すべきか迷っていると、扉が乱暴に叩かれる音がした。
前足でひっかくような嫌な音もするので、十杜に違いない。
汚れたガラスの下を覗けば、下で戦う隊員達と、十杜の蠢く影がよく見えた。
数はあっという間に増え、百は越えたであろう十杜に囲まれてしまっている。
やはりあの扉を落として通路を遮断しなければ、あの数と相手をしなくてはならなくなる。
ボタンが並んだ制御板も、その下もランタンで照らし、部屋のどこかに電源プラグがあるかと探したが、それらしきものはない。
ただ、足元に黒くて四角い何かが転がっている。
黒くて重量感があり埃をかぶったそれはバッテリーだった。
部屋に電気のスイッチもブレーカーも見えないということは、この制御室は十杜に襲われることも考慮し
電気を配給する線は伸びてないのではないか。
真人は目に入った回転椅子を持ち上げて、思いっきりガラスを叩き割った。
重たいバッテリーを必死に持ち上げ窓枠に設置して、コードを制御盤に差し込む。
それから下に向かって大声で叫んだ。
「ヤマト――!!!バッテリーに電気を送ってくれ!!」
急に名を呼ばれたヤマトは、制御室の窓からそう叫ぶ真人の姿を確認した。
左手で右手首を握り手のひらを上に向ける。
手の中で、赤い電気が走る。
「呼び捨てに…すんじゃねぇよ!!」
ヤマトの手から発射された赤い雷がパチパチと音を立て
目に見える線を描きながら制御室に放たれた。
部屋の隅で頭を守っていた真人は、制御パネルに電気が灯ったことを確認すると、
電源のボタンを押し右手にあったレバーを下ろした。
鎖が鳴らす金属音と耳を塞ぎたくなるような耳障りな稼働音が響いて、制御室と同じ高さにあった分厚い扉が下りだした。
下のメンバーも装置が動いたことを確認し、十杜の相手をしながら壁の向こう側へ移動する。
装置が狙い通り動いたことに安堵していると、自分が割った窓に、半透明の青年が現れた。
びっくりして小さな悲鳴をこぼすと、緑延の零鬼はにっこり笑い、真人の体を持ち上げ、何の説明もなく窓から飛び降りた。
半透明の姿をしているので、触れたら通り抜けるかと思ったのだが、体の感覚は確かにあり、強張って握ったのは確かに服だった。
制御室から脱出すると、頭上から降りてくる防御壁をくぐった。
重厚な音を立てて、防御壁が地面に落ちた。埃が舞い上がり、十杜の鳴き声と前足が地面をこする音が遠くなった。
壁と天井の間には隙間があるが、十杜は壁を越えてはこなかった。
戦っていた3人は大きなため息をついて、肩の力を抜いた。
ヤマトは、その場に座り込み、翡翠は抱えていた真人を丁寧に地面に下ろした。
緑延が額の汗をぬぐいながら言った。
「皆お疲れ様。よく耐えました。」
「ええ。桃那が抜けるだけでもだいぶつらいですわね。」
「でも真人さんがいてくれて助かったよ!ありがとう、真人さん。」
「いえ…お役に立ててよかったです。」
「よくねぇよ地上人!俺様の雷を電気代わりにしやがって!しかも呼び捨てにしたろ!?」
「ご、ごめんなさい…。つい。」
「ついなんだよ!」
「ヤマトが小さいからガキだと見抜いたんでしょ。どう見たって真人さんより年下ですし。」
「あぁ゛!?お前の方がチビでガキだろこら!」
座り込みながらも怒鳴りだすヤマトを緑延が苦笑しながらなだめる。
十杜がまた集まってきちゃう、と告げるとさすがに口をつぐんだ。
疲労の色は明らかだ。これ以上の戦闘は遠慮したいところなのだろう。
「とにかく帰ろう。一ノ瀬さんの指示通りいけばすぐ綴守だ。」
「左京さんと紫さんは?」
「無事綴守についてるそうです。」
「よかった…。」
ヤマトも立ち上がり、のろのろと歩き出した一行に加わった。
「さすが一ノ瀬さんですわね。的確な指示でした。」
「制御室に電気がないのは見抜いてなかったじゃねぇか。」
「そういえば地上人。名は何というのですか。」
「真人です。」
「実行部隊入りが決まった迷い人とは貴方でしたか。所属は決まったのですか?」
「いえ、まだ。実行部隊は、基本班で動くんですよね?」
明らかに自分より年下な小柄の少女だったが、喋り方と圧を感じて敬語になってしまう。
実行部隊入りが決まったのだから、先輩なので敬語は当たり前なのだろうが。
錫杖を握ったままの緑延が代わりに答える。彼の相棒の零鬼とやらは姿を消していた。
「一班2~5人で、藤堂隊長が<シンジュ>石の相性などを見て編成するんです。
新人は班には入らず、今日みたいにベタランと君で見回り任務だけですから、安心して下さい。」
「お前、十杜引き寄せるんじゃね?この広い天御影で十杜の群に何度も合うなんて、悪運強すぎ。」
「もー。いじわる言わないでよ、ヤマトくん。」
コンクリートで覆われた綺麗に道に入る。
光源が埋め込まれた灰色の廊下の先に、3重に並べられた黒いフェンスが現われた。
横の操作盤で緑延が数字を入れ、フェンスは開いた。
十杜が此処から先入れないようにしている扉とはこれのことだろう。フェンスを通り、またロックを掛ける緑延。
パチっと弾ける音が聞こえてきた。壊されないように電流も流れていると聞いたような。
歩き続けていると、天井がどんどん高くなり、木製の巨大な扉が現われた。
綺麗な木目が入った素材はどこで手に入れたのか不明だが、高さ5m程ある両開きの扉は、綴守の門であり防壁だ。
しかし木造の大扉は掘削機を入れる時ぐらいしか開くことはないらしい。
人の出入りには横にある大人一人が通れるだけの小さな扉があり、そこを使う。
出入り口の前で、サングラスを掛けた大男と、桃色髪の少女が立っていた。
仲間の顔を見ると、桃那は安心した顔をして駆け寄ってきた。
遅れて藤堂が、真人の前に立った。
「怪我はないな。」
「はい。」
「初任務で無理をさせた。」
「皆さんのおかげで、大丈夫でした。」
「真人さんの判断は凄かったんですよ、隊長。」
「ええ。立派でしたわ。」
「そうだ真人さん。一緒に食堂行こうよ。お腹すいたでしょ。隊長、報告書はその後でいいですよね?」
「ああ。行ってこい。ご苦労だった。」
8班の皆に引っ張られるように連れられて、食堂に向かうも、食欲は涌かなかった。
バケモノと戦い命の瀬戸際の近い場所に立って、血なまぐさい臭いや道ばたに落ちた何とは言えない欠片を見てきたというのに。
食堂よりも、服の中に入り込んだ灰が気持ち悪いのでシャワーを浴びたい気分だが、せっかくの誘いを無碍には出来ない。
地下に落ちた地上人がいかに嫌われ疎まれてるかはこの3日間で身に染みてよく分かった。
地上人は地下の人たちと違って命を狙われる心配はない。それどころか、ドームの中で快適に過ごせ、物にも恵まれている。
自分たちは明日の命もわからないし、今日食べる品も十分に得られない。
同じ人間なのに、と疎まれ憎まれているらしかった。
真人を地上人と知るや、嫌味を言われたりゴミを投げつけられたことあったので
こんな気軽に声を掛けてもらえるのが、素直に嬉しかった。
綴守のショッピングモールみたいな施設の3階の一角に食堂はある。
1度に300人来ても大丈夫なように横長に作られた内部はかなり広く、テーブルと椅子が無限かと思うぐらい置かれている。
食堂の右手壁が全て提供スペースになっており奥の調理場は壁で仕切られている。
本日のメニューと描かれた看板から好きな料理を伝えると、中にいるスタッフ―みんな中年女性―が用意してくれる。
8班のメンバーと調理フタッフは顔見知りのようで、ヤマトが背が伸びるようにご飯を山盛りにしてくれた。
当人は余計なお世話だと怒っていたが素直に受け取っている。
現金なもので、育ち盛りの学生身分のせいか、食堂に入って美味しそうな料理を見たら急にお腹が空いてきた。
スープで済まそうと思っていたが、結局生姜焼き定食を頼んでしまった。
8班が揃っているテーブルに、申し訳なさそうに着席する真人。
ヤマト少年はもうハンバーグにがっついていた。
女性陣はスパゲティセットにデザートを付けており、
緑延はというと、山盛りのご飯に手の平より幅があるあるとんかつ。キャベツも山盛りだ。
ひょろっとした細身の体のどこに入るのか。
「驚きますよね。緑延くん。成長期入ってから凄く食べるんですよ。」
「つい1年前までヤマトより小さかったんですのよ。」
「え。凄いですね。何センチ伸びたんですか?」
「今が172cmなので・・・、15.6cmですかね。」
「嫌味かコラ。」
ご飯を頬張ってリスみたいになりながら睨み付けるヤマトに、苦笑しながら緑延も箸を取った。
真人は、マジマジと彼らを観察する。
金髪巻き髪の女の子は喋り方や身のこなしから、昔の貴族を連想してしまう。地上では滅多にいないタイプの人だ。
能力は神社の巫女さんみたいな道具を使うし、桃那みたいな結界も張れる。たぶん後衛タイプ。
ヤマトは常にうなり声を上げる狂犬みたいだが、食堂のおばさん達に人気だったし思うほど悪い子じゃないのかもしれない。
緑髪の緑延くんは人が良さそうで、リーダーも努めていたし、現場の判断も下せる頼りがいがあるタイプだ。
一番謎なのは、彼の零鬼だ。零鬼については桃那に事前に聞いてたし、実物も見て仕組みは分かったけれどまだ現実味はい。
十杜のような生き物がいることも、幽霊が実体として人間と共存してるなんて、いまだに飲み込めない、
「そんなに見つめられると照れちゃいますよ、真人さん。」
「ご、ごめん!」
「あらかた、お前の翡翠が気になってんだろ。」
ヤマトにぴったりと指摘され恥ずかしくなる。
彼のご飯はもう半分に減っていた。
なるほど、と笑った緑延の隣に、半透明の童水干を纏った半透明の青年が現われた。
地面より30cm以上浮きながら、真人に向かってニコニコ笑みを向けてくる。
「零鬼というのは、天御影に沢山いるんですか?」
「居ますわよ。地上にもいるらしいですが、わざと見えないようにしてるとか。」
「透明度も自由自在なんです。翡翠はこのぐらいの明度が一番楽だから半透明だけど、人と同じように実体化して
過ごしてる零鬼もいる。様々ですね。」
「零鬼と契約っていうのは、たとえば僕でも出来ることですか?」
「相性次第です。契約は<シンジュ>石を通して行うんですが、ヤマトくんみたいに完全攻撃型で自立した力がある人とは
出来ないこともある。真人さんも、波長が合う零鬼がいて、あちらが合意してくれれば契約出来ますよ。」
「あら、いいではありませんか。十杜を灰にするだけの能力は攻撃型じゃないですから。」
「そうですね。」
「真人さん。」
「はい。」
「敬語やめよう。僕ら年が近いし、一緒に戦場を駆け抜けた仲なんだから。」
「あ、うん。ありがとう。」
聞けば、桃那が真人と同じ17歳。
緑延、ヤマトが15歳。絵美はまだ14歳だという。
「ところで、あなたもマンホール見つけて天御影に来たんですの?」
「そうなんだ。」
「地上人はマンホールを見ると入りたくなる生き物なのですか?」
「そういうわけでは・・・。僕の場合は、神隠しの都市伝説と、行方不明の兄さんが見つかるかと思って来たんだ。」
交通事故の事も含め、皆に都市伝説のことや兄のことを話す。
最後の味噌汁を飲み干したヤマトが乱暴にお椀を戻しながら、くだらない、と吐き捨てた。
「なんで俺らが地上人なんてさらうんだよ。平和ぼけした連中なんかいらねぇっつーの。」
「あくまで都市伝説じゃないか。天御影にも地上人都市伝説あるだろ?」
「大体事故で死んだんだろ?ありもしねぇ望みにすがりつくなんざ――」
「ヤマトのぼやきは放っておいて。」
「おい。」
「希望はありませんわよ。本当に行方不明で天御影へ来ていたとしても、当時お兄様は11歳でしょ?
無事に十杜から逃げ切った可能性は極めて低いですわ。十杜は鼻がききますもの。」
「兄も<シンジュ>石を持ってたとしたら?」
「<シンジュ>石も十人十色。上手い具合に十杜達に聞く能力であるなんて、かなりの幸運ですわ。
兄弟そろって幸運っていうのも、何万分の1の確率ってところですかね。」
「いいじゃないですか!希望を持つぐらい。此処で生きていくんです。望みがあろうがなかろうが、
心に灯る希望を抱いてたって、迷惑はかかりません。」
「あら桃那。その言い方だと真人のお兄様が死んでるって言ってますわよ、」
「そそそ、そういうわけではないですぅ・・・!」
兄の事は否定的だったが、久しぶりに楽しい食事の時間を過ごせた。
お盆を返し、解散となった。
彼らはまだ報告書を作らなきゃいけないとかで、実行部隊用会議室へ戻っていき、真人は部屋に帰ることにした。
左京の様態や紫の怪我の具合は気になるが、いつまでも灰だらけでフラフラするわけにもいかない。
入り組んだ居住区でも自分の部屋には無事辿り着けるようになり、すぐ風呂場に入り服を脱ぐ。
体にこびりついた血の臭いや十杜が放つ独特な異臭もボディーソープで洗い流す。
スッキリして、髪を拭いていると、頭痛に襲われた。
頭が鋭い刃で突き刺されているような強い痛みは、地下に来て、何度かあった。
偏頭痛持ちではなかったのだが。
研究室の高井さんは、地下に降りて空気圧が地上と掛かり方が違うせいかもしれないと言っていた。
体が地中の生活に慣れるまで仕方ないのかもしれないが、その時の痛みは気絶しそうな程だった。
思わず頭を抱えて洗面所で蹲る。
頭が脈打つ。脳裏に、母親の顔が浮かんだ。
きっと母さんは発狂している。長男もなくし、次男も姿を消した。
なんて親不孝なのだろうと思いながらも、地下で過ごすと決まったとき、安堵した自分がいたのは事実だ。
いつも優しくてかばってくれていた父さんにも、本当に申し訳ないが
地下で生きている時間の方が、肩の力が抜けて生きていると気づいてしまったのだ。
痛みに耐えきれなくなって生理的に流れた涙が床に落ちた。
父さん、母さんごめんなさい。
僕はどうしても、兄さんに会いたいんだ。
どうしてかわからないけど、会わなきゃいけない。その使命感を思うと頭痛が和らいだ気がした。