神宿りの木 真人編 4
「真人くん、逞しくなったんじゃない?」
「そうですかね。まあ、筋トレはさせられてますけど。」
「外見もそうだけど、中身がさ。」
真人は定期検査のために、綴守地下3階部分にある篠之留研究員の個人研究室に来ていた。
目の前で検査をしてくれているのは助手の高井で、部屋主は隣接された私室で仮眠を取っているらしい。
綴守内で<シンジュ>石の解明や新システムの開発を行ってる研修室は地下にあるのだが、
最高責任者である室長の部屋が一番深い場所にあった。
理由を高井に聞けば、あの人はモグラだからだと返答があった。モグラは土の中に生き基本敵に外に出ない生き物だと記憶している。
「体に異常が出たとかは?」
「特に、大丈夫です。」
「以前言ってた頭痛はどうだい。」
「そういえば、ここ数日無いですね。」
「地下に体が慣れてきたのかもしれないね。」
いい事だ、と高井は席を立ちあがり、ポットのお湯を使ってココアを真人に差し出した。身体検査は終わったらしい。
高井は立ったついでに、篠之留が散らかしたという書類等を片付け出す。
ココアを飲みながら、部屋を観察する。
アルミ棚にファイルや実験器具が並んでいる光景は、学校の科学実験室を思い出させる。
篠之留のものと見られるぐちゃぐちゃのデスクと、きっちりとした高井のデスクが置かれ、
あとはコンロや水道が設置された小さな台所がある。
この部屋の左奥は壁一面ガラス張りになっていて、コンクリートに囲まれた大きな空洞が見えた。
それは虚(うろ)と呼ばれる巨大な空気穴で、天御影に無くなはならない施設だという。
虚は地上と繋がっており、巨大な空洞が天御影に3つ作られているおかげで、
入り組んだ空気口から地下のどの層に居ても空気が行き届くらしい。
その虚が見下ろせる窓際に、小さな写真立てが置かれていた。
今より髪が長い篠之留と、若かりし高井。そして、高井によく似た黒髪の女性が映っていた。
勝ち気そうな瞳を持ち知性が溢れる美しい女性も白衣をまとい、2人の肩に手を置いてこちらに微笑みかけていた。
ココアを飲みながら、気軽に尋ねた。
「高井さんのご家族ですか?」
「ん?ああ、写真。そう、姉さんの美也子。」
「似てますね。白衣姿ってことは、研究室で働いてるんですか?」
「前はね。もう亡くなったんだ。実験中の事故でね。」
コーヒーをすする高井の横顔に哀愁がかすめた気がして、小さく謝った。
「謝ることはないさ。姉さんは僕よりずっと賢くて凄い人だったんだ。ああそれに、篠之留さんと婚約してた。」
だからか、と写真を再び眺める。
写真の中で不機嫌そうにしている篠之留さんの腕に、お姉さんの腕が絡まっている。
「僕と篠之留さんは子供の頃から顔見知りでね。姉さんとは自然と仲良くなった。2人が夫婦になったら、僕の本当の義兄さんになるって喜んでたんだけど、その前に、ね。」
「それで、高井さんは篠之留さんの助手に?」
「いや、助手は初めからかな。腐れ縁だよ。あの人生活力無くてだらしないから、僕が見ててあげないと、3日コーヒーだけで平気で過ごすからね。」
「お前は俺のお母さん気取りかい?」
「あれ、起きてたんですか。」
おはようございます、と言いながら篠之留用にコーヒーを用意する。
寝起きのせいかボサボサの頭でネクタイも締めていない篠之留は、白衣を肩に掛け真人の向かいに置かれた椅子に腰掛けた。
「写真の話してたから、引っ張りだしてきたよ。良いもの見せてあげる。」
そういってテーブルに置かれたのは、青髪のひょろっとした子供が映った写真だった。
「うそ、藤堂隊長!?」
「可愛いだろー。彼にもこんな時期があったんだよ。」
ニヤニヤ笑ってる篠之留は、コーヒーを飲みながら先程検査した真人のデータを見ていた。
写真の中の幼い藤堂は、大きめの瞳に、あどけない表情。筋肉はまったくなく、色白で儚げな印象を受ける。
無表情なのは変わらないが、今の筋肉隆々の美丈夫と同一人物だとは驚きだ。
写真は他にもあったので、1枚ずつ見させてもらう。
「この黒髪の女の子、総隊長ですか?」
「そう。一緒に映ってるのはご両親。」
「お父さんとそっくりですね。」
「そうだね。沙希は父親似だったね。」
ボブの小さな女の子は、カメラに向かって無邪気に笑ってピースをしている。
こちらは藤堂と違う意味で別人だった。今の総隊長と美しさは変わらないが、こんなにわかりやすい笑顔は作らなそうだ。
ウェーブの茶髪をした母親も美人だが、その隣にいる黒髪の男性と、双子かと疑うぐらい今の総隊長はそっくりだった。
特に黒曜石のように奥深い輝きを持つどこか謎めいた目が同じだ。
写真の中には、まだ若い篠之留の姿も小さく映っていた。
「総隊長と藤堂さん、幼なじみだったんですね。篠之留さんとも古い付き合いなんですね。」
「ああ。水面って昔あった集の出身で、僕は廃墟の集にこっそり住んでたんだけどね。
都羽子(とわこ)さん―、沙希のお母さんがいる研究室で手伝わせてもらったりしてたから顔なじみ。」
総隊長の母親は白衣を纏っていた。
研究室よりアフタヌーンティーが似合いそうな上品で可愛らしい見た目をしているのに、研究員達と同じ白衣姿だった。
別の写真をめくったとき、真人の指が止まった。
藤堂隊長の腕を引っ張りながらカメラに一生懸命ピースを向けてくる少女の後ろで、水色の水槽に手を当てる茶髪の男の子がいた。
ピントがあってないのでぼやけて居るが、切なそうな顔で分厚いガラスの向こうを見上げている。
この子は誰かと問おうと顔をあげたとき、けたたましい警報が鳴り響いた。
身の危険を感じさせる耳障りな音に胸がざわついて思わず立ち上がる。
研究員の電話が鳴り、高井が取る。
「・・・大変です篠之留さん、14階層に鬼妖(きよう)出現!」
コーヒーカップを乱暴に置いた篠之留が走り出し、真人も本能的に後に続いた。
長身故の長い足を活かした篠之留は意外にも俊敏で、筋トレを始め動き慣れてる真人でさえついて行くのがやっと。
左右に並ぶ実験室や事務室から白衣の人達が何事かと顔を覗かせては全力疾走で過ぎ去る室長に驚いていた。
廊下を駆け抜ける間も、警報音は鳴り続けていた。
階段を駆け上がり綴守1階へと出る扉を押し開くと、不安そうな顔をした集民が集まっていた。
館内アナウンスが、一般集民は自室で待機するよう注意喚起を繰り返し、岩穴の中で不気味に反響する。
実行部隊や警備隊が早く居住区に戻るよう指示を出し、1階正面扉には班編制されている隊員達が集まっている。
馴染みある八班の面々も並んで居た。
真人が呆けてる間に、篠之留はどこかに消えており、遅れて肩で息をする高井研究員が追いついた。
「2人とも足早過ぎ・・・。」
「高井さん、この警報は?」
「鬼妖が出たんだ。地下世界で最強の生き物で、人間の<シンジュ>では怪我1つ与えられない地下で最強生物。ただし、藤堂くんや沙希様級の実力者は別だけどね。」
「警報でるぐらいヤバいってことですか。」
「ああ。ヤバいね。」
呼吸を整えた高井が、背筋を伸ばして辺りを眺める。
「鬼妖は普段最下層付近を根城としてるんだけど、ごく希に上層階にやってくる。
十杜達と違って人間は食べないんだけど、動く者には遅いかかってくる。1体だけでも、小さな集なら壊滅させられる。」
群衆の中に、総隊長の姿もあった。
部下に指示をしているのだろうか、皆真剣な顔で話し合いをしている。表に滅多に現われない篠之留も、話し合いに参加していた。
「倒せないなら、どうするんでしょう。」
「手分けして警戒し、近くの集には防衛ラインを張る。上手く連携して下層に戻すよう誘導したりもする。
まあ、今回も沙希様が退治してくれるだろう。」
総隊長が、こちらを見た気がした。
黒い瞳に捕らわれて動けなくなるが、すぐ顔を背けて彼女もマフラーを揺らし出動していった。
まだ見ぬバケモノは、一体どんな姿で、どれほど強いのだろうか。無いとは思うが、怪我などしないといいなと身の程知らずなことを思ってしまう。
幼少期の写真であんなに晴れやかな笑顔を向けていた少女は、今は勇ましく刀を振るい、民が恐れる怪物を退治しに行くのだ。天御影では、普通に暮らすという地上では当たり前の光景が存在しない。
高井も篠之留に呼ばれていった。
班に属していない新人に声は掛からないので自室に戻っていようかと1階の通路を歩いていると、紫の姿が見えたので駆け寄る。
初日に見回り任務を一緒に行って以来、顔を合わせることがなかった。
「あれ、久しぶりじゃん。なんだかんだ顔合わせなかったわね。」
「お久しぶりです。怪我はどうですか?」
「とっくに治ってるわよ。あんたも待機?」
「だと思います。声は掛かってないので。」
「鬼妖相手じゃあたしも出番はないわね。」
警報音が止んだが、綴守内は混乱と緊張が漂っていた。
名も知らぬ隊員や各部署の幹部クラスが難しい顔をしながら話し合いを続け、
指示を受けた隊員は表門横の通行口から出動し始めている。
「捕まえた赤畿幹部から情報も得られてないってのに鬼妖騒ぎ。参っちゃうわね。」
「相変わらず黙秘ですか?」
「逆を言えば、自分とこの情報簡単に話すやつがいる組織なんて手こずるはずないもの。忠誠心の表れね。」
先日、火群エリアで星読みの巫女を救出した際に総隊長が戦って捕らえた赤畿幹部の男は
今は綴守のどこかに拘束されているらしいが、こちらが欲しい情報は何も話さないらしい。
同盟一族を束ねる元老院も焦りを見せており、過激な拷問が行われるのも時間の問題じゃないかとヤマトは言っていた。
紫は知り合いに呼ばれ去って行き、真人も自室に戻ろうと歩き出したその時、突然激しい頭痛が襲ってきた。
あまりの痛みに立っていることが出来ずその場で蹲る。
喧噪が遠くなり、視界がぐにゃりと歪んで体重を支えてる足が急に頼りなく感じた。
強烈な吐き気と、割れそうな頭。声にならない悲鳴を喉の奥で鳴らして、
遠のく意識を客観的に見つめはじめた所で、急に痛みが消えた。
スライド写真を切り替えるように、一瞬で去った痛みに唖然としながら、荒い呼吸をしながら涙ぐむ瞳を開けた。
視界に、小さな靴か二足入ってきた。
痛みの残り香のせいで震えている体を動かして、ゆっくり顔を上げた。
目の前に、同じ顔した2人の子供が並んでいた。
黄緑色の髪をした女の子と、水色髪の男の子が仲良く手を繋いで無表情のまま真人を見下ろしていた。
「もう大丈夫ね。」
女の子が言った。人形が喋ったのかと疑う程に、小さな唇は最低限の動きしかせず、愛らしい声で単調な声を出した。
おおよそ子供らしくはない。
頭を押さえていた手はまだわなわなと震えていたが、溜まった涙を拭って双子に目線を合わせる。
「うん、もう大丈夫だよ。ごめんね。」
「謝ることわないわ。私はシキ。」
「僕はユキ。」
「「一緒に来て。」」
男の子の方が空いた手で真人の手を取り、くるりと向きを変え歩き出した。
急に立たされふらつきながら中腰になって付いて行く。というより、引きずられてしまう。
先程地下研究室から出て来たものとは違う扉を開け、下へ続く階段に真人を連れたって降りだす。
「ま、待って。どこへ行くの?今は危ないから部屋に戻らないと。」
「あなたはダメ。」
「こっちだよ。」
まるで見知った道とでも言いたげに、双子は迷う様子も怖がる素振りもなく、むしろ堂々と進み続ける。
こんな非常時に子供の遊びに付き合っている場合じゃないのに、小さな手の平にしっかりと指を握られてしまっている。
階段をいくつ降りたか覚えてないが、篠之留研究員の自室より深い場所であろう階段の終着点の先に、
今度は廊下が延びており、行き止まりにエレベーターの扉が見えた。
地下にもエレベーターがあることに驚いている真人に構わず、女の子はちょっとだけ背伸びをしてボタンを押し、
開いた口に躊躇なく身を滑らせる。男の子も真人の手を引いたが、一瞬戸惑って足を止めた。
はたして使っていいものなのか。
エレベーター内部の明るい黄色の明かりを見上げた真人の左腕を、今度は女の子が引っ張って無理矢理エレベーターに乗せた。
大人3人入れるだけの小さな箱は降下してるようだと体に感じる引力で察する。
エレベーター内に階層の表示はなく、上と下のボタンがあるだけだった。
双子に何かを聞くより前に、エレベーターの口が再び開いた。
廊下が伸びていたが、今度は右に大きく湾曲している。
いつの間にお互いに手を離したのか、右は男の子、左は女の子に手を握られ引っ張られるようにエレベーターから下ろされた。
「ねぇ、此処はどこなの?僕入ったらダメな場所じゃないかな。」
「ダメじゃない。」
「左京は怒るでしょうけど。」
「左京さん?」
少女の口から出たのは、実行部隊への配属が決まった初日の見回り任務で、
1人戦いながら自分を守ってくれた訛りの強い隊員の名だった。なぜここで名前が出るのだろうか。
そういえば、紫同様あれ以来顔も合わせていない。
右へ右へ曲がる廊下がひたすら続いていた。どうやら右手に円形の施設があるようだった。
その証拠に、両開きの扉が右手の壁に見えてきた。
廊下の素材と同じ扉は3人が近づくと自動で開いて、中を確認する間もなく中に引き込まれた。
中は円形のドーム型施設で、天井に小さな明かりが相当数埋め込まれているが、薄暗い設定にされているようで夜の只中だった。
幻想的な明かりが灯るドームの中にあったのは、無数の樹木達だった。
地上で見かけるものと何ら変わらない。幹も枝も立派で、葉は生い茂っている。
木が植えられている場所は土が植わっているが、歩道は灰色の石畳でちゃんと塗装され、低い柵が土との境界線を作っていた。
久々に嗅ぐ土の臭いと、体に感じる風の流れに無意識に深い呼吸をして綺麗な空気で肺を満たす。
薄暗くとも青々と茂る葉はどれも立派で、樹齢は長いだろう。
木の種類に詳しくはないが、幹の色や葉の形で何種類か存在するらしい。
双子に手を引かれ続けながら、左右見渡して懐かしい地上の気配に気を取られる。
ふと、双子が真人から手を離した。
真正面を向くと、小さな若木が植わっていた。他の樹木に比べれば幹は子供の腕ほど細く、葉のしげりは隙間だらけ。
ただ、若木の周りだけしめ縄で囲まれていた。
『ほぉ。これは、まことに驚いた。』
どもってハッキリしない声が聞こえた。
双子より大人だが、幼い印象を受ける男の声は、どこかおかしそうな響きを含んでいた。
若木の前に薄緑のモヤが現われたと思ったら、そこに宙に浮いてあぐらをかいている青年が現われた。
黒く長い三つ編みを背中に流し、黒い装飾を纏い、玉があしらわれた装飾品をいくつも身につけている。
青年は真人を見ると、ニヤリと含みのある笑みを向けてきた。
「悪い子らじゃ。勝手に連れてきおって。」
脇にいた双子はいつの間にか消えていた。
辺りに姿も見えない。
「どうか許してやってくれ。気まぐれな奴らなのじゃ。」
声は中性的に思えるほど甲高いのだが、ゆったりとしたしゃべり方は老人のようであった。
口角を上げる微笑みも、どこか余裕を持っている。
おかしなしゃべり方をする青年は、あぐらをかいたまま上下にプカプカ浮いて、真人の前までやって来た。
近づいてくる黒い瞳は興味津々といった色を隠そうとはせずキラキラしていた。
「あの・・・すみません、入っちゃダメな場所でしたよね。」
「構わぬ。少し退屈しておったところじゃ。話し相手を頼みたい。人の子よ、名は何という。」
「真人です。あの貴方は・・・零鬼、ですか?」
「ほっほ。わしを零鬼呼ばわりとは、神職めらが聞いたら卒倒しそうじゃな。」
何か失礼を言ったのだろうかと慌てて謝るが、気にしていないとケラケラ笑う。
「わしに名はない。そうじゃな・・・木の精とでも思っておくれ。その方がわかりやすかろう。」
「はあ・・・。あの、此処はどういったところなんです?木は地下で育たないと聞きました。本物ですよね。」
「此処にある木々は紛れもなく本物。光合成が出来るように明かりをあて、雨を降らし育む場じゃ。木々達もすくすく育っておる。」
「じゃあ、サカキも・・・。」
総隊長に口止めされていた単語がつい口から出てしまったが時すでに遅く、青年の瞳が細まった。
黒いと思っていた瞳に、緑色の妖しいハイライトが入ったように見えた。
足下に埋め込まれたシーリングライトの明かりを吸収しているかのような。
面白がっているはずの瞳は、胸の内まで見抜いてくるような居心地の悪さがあった。
「お主、サカキがなんであるか知っておるのか。」
「・・・神様との繋がり、とか。」
「そうじゃ。この世界を創った始まりの3柱が人の子らのために贈ったのがサカキである。
サカキは人間が住む地の世界と神々が住む天の世界を繋ぐ橋じゃった。
あるとき、八百万の1柱がサカキを独り占めしようと地の世界に舞い降りた。
疫病や災いの神であっため、天候は荒れ、地震が起こり、病がはびこった。
人間に死という概念を押しつけるだけではあきたらず、神々に愛された人間を恨み、喰らう生物を作った。」
「それが、十杜たち?」
「そうじゃ。あれらは始まりの3柱が作っていない生物。おかげで地の世界が穢れ、天との橋は消えてしまった。
3柱の中央におわした神が人間に授けものをした。神が授けた力。すなわち<神授>の力。
そして当時神に仕えていた一族は厄災の神からサカキを守るため隠し守り続けた。
神々との唯一の繋がりであるサカキが枯れれば、<シンジュ>の力も失われ、
再び厄災が大地を覆い命を喰らい尽くすであろう。そう言われておる。」
自らを木の精と名乗る青年の表情はもう真面目なものに切り替わっており、声もやや固くなった。
それが、とても大事なことだと痛いほどわかる。
「なら、赤畿がサカキを狙うのは?」
「奴らが崇めるのは厄災の神。シンと呼ばれておる神だ。シンは3柱によって地下世界の奥深くで眠りについておるが
奴らはシンを起こし、信仰の証としてサカキを献上するつもりでおる。」
「そんな大事な狙いがあるなら、どうして彼女は、その事実を隠そうとしたんだろう・・・。
全員に教えてサカキを守った方がいいに決まってる。」
「フッフ。サカキはのぉ。ただの木ではない。」
首を傾げた真人を、木の精はまた愉快そうな笑みで見つめた。
てっきり、目の前にある若木がサカキだと思っていた。
「サカキは―」
「賢者殿っ!」
ドームの天井を揺らすかのような大声に振り返る。
肩で息をして、驚きと不安が入り交じった複雑な表情をした左京がそこにいた。
依然見たチャラついた服ではなく、紫のもったりとした民族衣装―着物という衣をまとい、手に錫杖を握っていた。
前に、外の任務で見た錫杖とデザインはほぼ同じだが、その重厚さはまったく違っていた。あれが本物なのだろう。
伊達メガネも掛けていないし、髪も黒く染めている左京は真人を一瞥してから、宙に浮かぶ青年を凝視する。
目玉が飛び出しそうなほど強い眼光に真人は胸がざわついた。やはり此処に入ってはいけなかったのだ。
先日会った温厚そうな彼とは全く別の表情は、余裕さはなく、内なる人間性を見てしまった恐怖心が僅かに走る。
「何をなさってはるのですか・・・、お姿を、表すなど・・・。」
「シキとユキの仕業だ。引きずられてここまで連れ込まれておった。真人は大丈夫じゃて。」
「なりませぬ。この場所は限られた人間以外の立ち入りを禁止されております。」
「相変わらず神経質な奴じゃのぉ。諦めい、橘の。」
口を一文字に閉ざした左京は、長いこと思考を巡らせていた様子だったが、やがて諦めたように深いため息をついた。
「怒られるのはわいですよ・・・。まったく、」
左京の悲痛なぼやきもカッカと笑って済ませる木の精は、膝を叩いて愉快そうだった。
まるで、苦しむ左京を試しているかのようだ。
顔を上げた真人を向いた左京は、以前会った穏やかで優しげな彼に戻っていた。
袖を合わせ錫杖を抱きながら苦笑してみせる。優しげな目元に真人は少しほっとする。
「あの双子は知る人ぞ知るいたずらっ子でな。どこでも入り込む。真人はんは巻き込まれたってことにしたるから、
此処の存在と、そこの賢者殿のことは他言無用で頼んます。」
「賢者殿?」
「儂に名は無いと言ったであろう。橘の祖父がそう呼んでおっただけのこと。」
「そこの若木があるやろ。あれが賢者殿の本体。地下で育つ木には自我が生まれ、人間の言葉を理解し意思疎通をはかってくれはる。
木の化身であられる賢者殿は、人間より遙かに多くの知識と記憶を我々に教えてくださる貴重なお方。」
周りを見ろと言われ、辺りを囲む木々を見上げた。
若木に比べどれも背が高く重厚そうな体を風になびかせている。
「あれらは樹齢が経ちすぎて、もう人間では到達できない領域に行ってしまわれたんや。言葉はもう通じへん。
歴史が失われたのは地下も同じ。賢者殿から得る知識や歴史は未来を生きる人間にとっても重要なんや。
だから、賢者殿の若木を初め此処にある木々は人間の道しるべ。木々と我々を繋ぐ賢者殿はとても貴重なお方である。
他者にさらすわけにはいかんのや。特に、他者を平気で傷つけるような輩にはな。この場所を守らねばあかん。わかるね?」
「はい。」
左京は瞳の鋭さを強くした。
「運命に巻き込まれたと賢者殿は仰ったが、サカキは水縹を始め多くの一族の先祖が必死に守り繋いできた宝。
あんさんが追求していい代物やない。もう忘れていつも通り過ごしなさい。
もうサカキについて口にするのもあかん。」
葉がこすれる音が奥から一気に近づいて、反響が重なって音の渦となって体に押し寄せた。
風だ。地上のドームと同じで、此処も人工的に風を作っているのだろう。
風に吹かれ、枝が上下に揺れている。
「真人よ。わしはそなたを歓迎する。また話し相手になりにこい。」
賢者殿はその言葉だけを残して、すぅっと姿を消してしまった。
背後にいた若木の葉も、気持ちよさげに揺れていた。