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神宿りの木    たまゆら編 14

 


藍色の幕で覆われた場所を、ただひたすら降りていた。
どこまでもどこまでも下へ続く階段は薄い板で出来ているのみで、ずいぶん足下がおぼつかない。
階段以外何も無く、藍色の膜には星のような点が見えるが、あれが光なのか穴なのかは全く分からない。天井も壁もとても遠いのだ。
音も無く静かであるのに、時折揺れを感じるのが若干腹立たしかった。
どれぐらい下ったのか、青い粒子が足下から生まれ上を目指しながら舞い上がるようになってきた。
まるで自分が疑似刀を作る時に出る粒子のようではないか。
後ろをチラリと伺う。
手を引いている真人は、足を動かしてはいるが、油断したら今にも足を止めて座り込んでしまいそうなほどぼんやりした顔をしている。
泣き止んだのもついさっきで、目は赤く腫れている。
こういう時何か言ってあげられたらいいのに、口を開いても上手く声が乗せられない。

 

「ごめん。」


沈黙を破ったのは、真人の掠れた声だった。
覇気もなく今にも消えてしまいそうなか細い音だった。

 

「どうして謝るの。」
「何から謝ればいいのか。言わなきゃいけないこと、沢山あるのに。頭が混乱してて。」
「今は、やるべきことをやりましょう。」
「強いね。」
「私にとって答えはシンプルだった。真人を守る。それだけ。」


天井から砂が降ってきた。此処にも崩壊の魔の手が伸びたようだ。
顔を上げれば、藍色の膜に赤い目が二つ、ギロリとこちらを見下ろしていた。
だがまだ手は出せないようで、口惜しげにただ観察することしか出来ないようだ。
赤い目から顔をそらし、階段が左に曲がったので真人を落とさぬように誘導する。


「僕も、決めたんだ。僕にしか出来ることがある。それをやり遂げる。」
「なら大丈夫ね。」
「この先に、神門があるんだね。」
「ええ。」

 


握る指の先が僅かに震えたのに気づいて、沙希は強くその手を握った。
重なる手は温かく、握る指はもうとっくに大人のものになっていた。
共有できなかった時間はあまりにも長かったと実感する。

 


「大丈夫。大丈夫よ真人。私が最後まで守る。」

 

再び、鼻をすする音が聞こえてきたが、沙希はただ前を見て階段を辿り続けた。
どれだけの時が過ぎたのか、どれだけ下に降りたのかはさっぱりわからないが、ついに階段の終わりが目に入ってきた。
終着点には、岩肌の地面があった。
黒石がぴったりと隙間無くくっついており、磨き上げられたかのような輝きがある。
その地面に降り立つと、対面したのは大きな門であった。
水色の柱と、石造りの扉。
合わさった扉の隙間から、目映い光が漏れているが、鍵がしまっているかのように固く閉じられている。
握っていた手が離れて、真人が沙希の横を通り過ぎて門を見上げた。

 


「この中に、シンが封じられているんだね。」
「ええ。」

 

青白い粒子が存在感を増し、呼吸するように明暗を繰り返しながら岩肌の地面周辺をくるくると回り出した。
藍色の膜にくっついていた星のような何かも一緒になって回っている。
足下を見れば、岩肌の表面も僅かに光っている。
神門がこんなに騒がしいのは初めてであった。きっと、真人がこの場にいるからだ。
歓迎しているのだ、神籬を。
門の前に、人影が現れた。
重そうな装飾を何枚も重ね、長く艶やかな髪の半分を背中に流し、半分をお団子に結っていた。
沙希は見たことがあった。
クロガネから、力の根源である黒いもやを盗んでいった女神である。
警戒して真人を庇おうと足を踏み出した沙希を、真人が片手を上げて制止した。


「君も戻ってきたんだね、マガツカミ。」
「わたくしは初めから此処におりました。主と共に。」
「夢で助けてくれてありがとう。おかげでやるべきことが決まったよ。」
「ようございます。」
「君の主は、許してくれるかな?」
「もちろんでございます。このお方が此処にいるのが何よりの証拠。」


マガツカミが、重たそうな袖の中から左手を持ち出し手の平をくるりと上に向けた。
白く美しい手の中から、黒いもやが噴出し自転しながら膨らんでいく。
沙希も真人も、そのモヤを知っていた。クロガネが使う力そのものだった。
モヤは丸い塊になると女性の手では収まらない程大きくなり、マガツカミの横に落ちると自分の足で立った。
短い手足は細く、上の方についている両目は閉じていた。


「この方は穢れの王。元々は我が主の友として過ごしておられたのですが
人間が増え穢れが世界の隅でくすぶると、自ら同化し黄泉の国から穢れが溢れぬように統率して下さっておりました。」
「その王を、シンとなった神々が斬ってしまったから穢れが世界に溢れちゃったんだね。」


マガツカミが大きく頷いた。


「黄泉を訪ねた神に斬られたことにより因果がねじれ、自我を失ってしまってもなお、世界に飛び散った穢れをまとめようと運動的に彷徨っていたところ、一人の人間と融合し彼の<シンジュ>石の効果で無事この現代まで運ばれた。これは本当に素晴らしい奇跡。やっと主のもとにお帰り頂けます。
門を開けたら、穢れの王を主のもとへ運んで下さいませんか。シンがばらまく穢れをこの方なら――」


言葉の途中でマガツカミが固まってしまった。
動かなくなったことに首を傾げた真人が一歩踏み出しかけたところで、青い粒子が目の前で踊り沙希が刀を握って真人を庇うように前に出る。
マガツカミの体が崩れ粒子になりながら消えていき、穢れの王の縦長の体が真っ二つに割られた。
黒くうねっていた体が細かく砕け内側から飛散した。

 


「瑛人から習った。マガツカミは神樹が大地の穢れを払った時に生まれた神。シンより若い。」
「人間が生んだ神とも言えるから。だから僕と一緒に夢を渡れた。
沙希、あいつらを抑えててもらっていい?門を開けながら散らばった穢れの王を集めてみる。
やり方を、兄さんが教えてくれてる。」
「そう。此処にいるのね・・・。任せて。」

 

沙希が刀を前に構える。
その瞳が水色に染まり、真人も水色の勾玉を握りしめた手を前に出す。
指の隙間から水色の光と沙希のものと似た粒子が溢れる。
真人は門と睨み合い、沙希は顔を上げた。
藍色の膜に張り付いていた赤い目が増えていた。
いくつもの赤い目の下に、無数の手が生えている。どれも枯れて乾いた細い腕。
皮膚は黒く肉はかろうじて骨の上についているのが暗がりでもよくわかった。
やがて、岩肌の地面にボトリと何かが落ちる音が聞こえてくる。
神門の明るさで生まれた闇から、裸足の足が冷たい岩肌をペタペタ歩く水音のような不快な足音が近づいてきた。
暗がりから姿を表したのは、シンではなく鬼妖だった。
幾度となく対峙してきたというのに、白濁した双眸と肩で息をしながら白い息を姿を見る度僅かに胸がざわついた。
刀の柄をぎゅっと握る。

 


「神門の番人。シンによって歪められた柵、私が解こう。」

 


鬼妖も足を止め、長く赤い肌がむき出しになった太い腕の先にある拳を地面につけた。
顔の横で刀を構え、両者はしばし睨み合う。
夜の帳に似た藍色の膜が降りた現実と常世の狭間で、かつての宿敵と睨み合う。
呼吸すら、心臓の音すら煩わしく感じる。
両者の間に、青い粒子が降り始めた。沙希のものではない。
この場所特有の力が満ち始めた。
口火を切ったのは鬼妖の方だった。
予備動作無しで突進し沙希に向かってくる。
彼女は避ける様子もなく、地面を蹴り接近する鬼妖の眉間目指して剣を突き出した。
刀は空を斬り、胸が地面につくほど身を低くして一撃を躱した鬼妖が、右手を構え、沙希の足を狙って伸ばす。
沙希はあえて避けることはせず、手首を回し切っ先を下に向け自分の足を狙う鬼妖の腕に刃を突き刺した。
野太い悲鳴が響く。
沙希の刀を狙って暴れる左腕を飛んで避ける。腕に突き刺したまま置いてきた刀は抜かれ、鬼妖の手で半分に折られるも青い粒子に戻り、再び沙希の右手に生成される。
すかさず、沙希は身悶えたことで背を反り無防備になった喉を刃で斬った。
吹き出したのは鮮血ではなく、黒い霧。
空間を震わせたうめき声がどんどん細くなり、鬼妖の体が崩れて岩肌の地面に落ちた。
燃えかすのような黒く積み上がった鬼妖であったものが、徐々に光だし浄化された粒子となって宙に浮かび上がる。
目線の先で、目映い光が生まれ白んだ世界に立っていたのは真白の髪と服をまとった女性だった。
体や服の輪郭が曖昧で、水のように体の端が空に昇り解けていく。


「神々が神樹の助けをするために送ったのは貴女だったのね、淡至真様。姉妹を助けにきたの?」


凜々しい眉をした女神は力強く頷き、神門を指差した。
口を動かして何かを言ったが、声は乗っていなかった。
声帯はないのだろう。
沙希には女神が言っていることが自然と理解出来た。


「シンの柵は解いた。後は任せて、先にお帰り下さい。」


美しい女神の体は髪から徐々に泡となり消えていき、最後に小さく微笑んだ。
沙希は神門を振り返る。
固く閉じていた扉が30cm程開いていた。
眼球の奥を差すような目映さが奥からあふれ出し、手を差し出し続ける真人の輪郭が半分ぼやけている。
開いた門の中から、黒い腕が何本も現れる。
腕はどんどん伸び真人の体に纏わり付くようになった。
触れられた箇所からどんどん黒い染みが生まれていく。
侵食されているのだ。

 

「真人!」
「平気だよ。沙希はそれ以上近寄らないでね。」


痛みと苦しみに堪えながら絞り出された真人の声に従うしかなく、念のため手に刀を握りながら現状を見守る。
その間も門はカタカタと変な音を立てながらゆっくり開き続けている。
目映すぎて向こう側の様子は一切わからない。
世界を一度滅ぼしたシンと、シンを抑えるため眠りについている神樹が封印されている地。
神門が開き始めた今、もう封印は意味を成していないだろう。
それでもまだシンが完全に姿を現していないのは、神樹のおかげなのだろうか。
黒い腕が、門の口を捉え、ぐっと身を引き出し肩が出てきた。
次いで頭がこちら側にやってきた。
焼け焦げた真っ黒の頭に目も鼻もない。眼球があったであろう箇所は窪んでおり深淵が掬っている。
何も見えぬ筈のそれが、長い皺だらけの腕を伸ばしながらもがきだす。
門に手を置きながら下半身を引っ張りだそうともがいているようだが、まだ下肢は何かに捕らわれているらしい。
焦げた頭を持つ個体が二体、三体と増えていく。
真人まで伸びる触手のような腕の猛攻も止まらない。まさに地獄絵図だった。
体をモヤに襲われようと、真人は両足を踏ん張り門の前で腕を掲げ続けていた。
神門の周りを漂っていた青い粒子がさらに増える。
バサリ、と。
門から出ようと足掻いていた一体が地面に落ちた。
どこか十杜に似た腕で体を支え立ち上がったときには、下半身も全て門から出ていた。
沙希はその姿に驚いたが、真人には見覚えがあった。
かつて芦原の国を滅ぼした堕ちた神々―シン。
開きっぱなしの口に避けた瞳は白濁し、肌は赤黒く変色し肉は痩け干しぶどうのように干からびた肌だけがある。
長い手を力なくぶら下げながら、一歩を踏み出した。
ぎぎぎ、とイヤな音を立て門は最後の力を振り絞るように大きく口を開け、最大値まで扉を開いて見せた。
次々に神門とこちらの境界線は白い膜のように隔たれ、そこから次々シンが現れる。
本体が出たことで真人に手を出していた黒い触手のような腕は消えたが、彼の体にまとわりつくモヤはそのまま肌に黒い斑点模様を描いている。
真人は一番手前にいたシンに向かって口を開いた。

 

「カバウは死んだんだよ。黄泉を探しても、魂はなかっただろ?」


手前にいたシンが、足を止めた。
真人との距離は5歩程度。
わずかに腕を前後に振りながらも、真人を見下ろしている。
真人は続けた。

 


「愛しい相手との別れは、誰にだって訪れるんだ。神だって、人だって、等しく訪れるのが死なんだよ。
神も人間も、死んだ魂を等しく受け入れてくれていたのが黄泉の国だった。
軽はずみな行いと自分達のおごりが、その苦しみを招いたんだ。僕はそう思うよ。」


シンの体の奥から、唸り声のような音が漏れる。
声というには不明確で、振動で空気を揺らしているだけにも感じた。


「いい加減、受け入れてはくれないか。お前達が安らかに眠れるよう、彼女はずっと悪夢を抑えてくれていたんだ。」
「・・・あ、・・・おぇ・・・ヴァ」

 


次に聞こえて来たのは、確かに人の声だった。
シンが長い腕を持ち上げて、頭を抱えだした。
脳天から影がどろりと地面に落ちた。中から現れたのは、真人が夢の中で見た、子を失った父親であり、第五世代の神であった。

 


「もう・・・我が子には会えぬというのか・・・。」
「肉体から切り離された魂は戻ってこない。」
「まだ三つだったのだ、やっと・・・やっと言葉を話せるようになったばかりで・・・。」
「カバウを連れ川遊びの最中に、目を離したから溺れた。あなたはそれをずっと悔いていた。」
「っ・・・、」
「この世界の柵をいくら変えようと、過去には戻れない。僕に穢れを押しつけて天つ国を手に入れても、散った命だけは生まれないのがこの世界の決まり事なんだ。
事実を受け入れた上で、僕に手を貸してくれないか?
君達シンは柵を変え因果をねじれさせることが出来る。そして僕は神籬。過去には戻れないけど、新しい世界を作ってみない?」

 


真人の声に反応したのは沙希だった。
まるで友人と出かける話でもしてるような気軽さであっさりと軽やかに吐かれた言葉。
神門から吹き出す純粋な力で体は動かせなかったが、僅かに目を見開いて刀を握る手に力が入る。


「ほら、造化三神も君たちシンを封印した後イチからまた世界を組み替えたでしょ?
あれに似たことやってみようと思って。」
「そなたは器。器に力は無い。」
「やるのは君たちだよ。第五世代の神とはいえ、神であることにかわりはない。
なにより、天つ神ですら君たちをどうこう出来なかったんだ。もう既に理から外れている。媒体として僕を使ってくれ。」
「お主は、我々を滅ぼしに来たのではないのか?」
「今更君たちをどうにかしても、死んだ人々は帰ってこないし、この世界はまもなく終わる。
僕だって、依り代として終わるつもりはないんだ。家族を迎えに行かなきゃならないからね。」

 


シンであったひげ面の中年男性は、やや戸惑った顔をした後に、真っ直ぐと背を伸ばし真人に向き合った。
顔を引き締めるとその凜々しさと精悍さが際立つ。
気づけば、真人の横に黒い塊が立っていた。
穢れの王が、まるで初めからそこにずっといたかのような自然さで真人の脇に控えていた。

 

「全く同じは無理かもしれないけど、未来に賭けてみない?」
「・・・・・・良いのか。これは救いだ。犠牲になった人間は多い。」
「全部持って行く。」
「大それたことを簡単に言う。それでこそ神籬といったところか。」


ふっと肩の力を抜いた男は、やれやれと首を左右に振ってから、口元を緩めて頷いた。


「我々が招いた事態でもある。これも贖罪となるならば、喜んで協力しよう。」
「ありがとう。」

 

シンであったはずの男の体が光り、健やかな笑みを浮かべたままその場から消え、真人が沙希の方に顔を向けた。
その時には、真人の皮膚にあった黒い模様は消えていた。
辺りに漂っていた粒子が纏まって、一本の線となり神門の周りをぐるぐると回りながら、
口を開いた門の中へ消えていく。

 


「行くのね。」
「うん。」
「結局この世界は、あなたを一時受け入れて送り出すためにあったのね。」
「違うさ。繋がりを見つけて育んだ。喜びも悲しみも無駄ではない。ちょっとズルをするから、怒る人もいそうだけど。」
「私、此処で待ってるから。」
「兄さん達を連れてくるよ。」
「真人のことも、ちゃんと待ってる。」


かなわないな、と真人は苦笑を漏らした。
彼女は全部見抜いてる。
力強い黒い瞳は相変わらず深く魅力的な輝きを持っている。
一度目が合えば反らせなくなるほど。

 

「行ってきます。」

 

真人は一歩一歩踏みしめるように歩き出し、神門の中に入っていった。
彼が光の中に消えた途端、辺りは震えだし藍色の膜は崩れて落ちてきた。
岩肌の地面も端から無くなって轟音を奏でながら消えていくが
沙希はじっと神門の向こう側を見つめ続けていた。
鈍い音を立て再び門は固く閉ざされても、目線を背けるようなことはしなかった。
手にしていた刀は自然と粒子に戻り崩れ落ちる瓦礫の間を縫って天に昇る。
最後に大きな瓦礫が頭上から降ってきてもなお、沙希は真人が去った方を熱心に見ていたのだった。

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