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神宿りの木    たまゆら編 2

 

刀を横に一閃すると、鬼妖は野太い悲鳴を上げながら黒い霧となって消えた。
今ので何体目か。
数える気にもならないが、肉体の疲労から相当数は退治している。
かつて鬼妖の出現率は極めて低く、一度に3体倒せばいい方だった。
今、視界に見えるだけでもまだ5体は残っている。
1体倒すのに時間が掛かるが、1体ずつ向き合って倒さねば対応出来ない。
不効率であるが、仕方が無い。疲労で大分頭が回らなくなって、もどかしさで苛立ってきた。
ただ、オリジナル鬼妖と違って血潮が噴き出す事が無いのはありがたい。
吉良斗紀弥のコピーと自称する男が連れてくる鬼妖は精巧に作られた偽物らしく、斬れば霧となって崩れるだけ。
服が汚れないし臭いが鼻につかない。
ふぅと息を吐いて、刀を握り直す。
此処は地下21階層。よりによって、綴守の近くでキラと名乗る男は鬼妖を呼んだ。
今も見張り台の上で暢気に座ってこちらを見下ろしている。
顔はよく見えないが、どうせにやついているのだろう。
早くあの男をどうにかしたいのに、見張り台に近づこうとすれば鬼妖が集まってくる。
後手に回され完全に状況は不利。


「珍しく苛立ってるな。」


天井から闇が降ってきた。
黒い外套を翻しながら地面に着地したのは、左右で色の違う目をもった若い男性だった。
その向こうで、赤い炎が踊り出し鬼妖達を一気に焼き始めた。
彼の相棒が暴れてくれているようだ。

 


「クロガネさん、助かります。」
「此処は引き受ける。少し休め。」
「いえ、あの人を止めないと。」

 


顔を上げる沙希の真似をして上を確認したクロガネが、柳眉を歪めた。

 


「あいつ、死んだと聞いたが?」
「本人曰く、シンによって再び作られたコピーで、私たちが知っている赤畿の吉良ではないようです。」
「今はあいつが鬼妖を操ってるのか。厄介だな。」
「はい。前の吉良よりタチが悪いです。」
「ねえクロガネー!アイツ、俺のアイデンティティパクった!!」


遠くで炎の使い手ユタカが喚きながら自分の眼帯を指さす。
本人は本気で憤慨しているようだが、呆れたため息をクロガネが漏らした。

 


「ねえクロガネさん。今何時?日付、変わった?」
「あと2時間だ。」
「時間がない。」
「あいつは御子の足止めが目的のようだな。此処は任せろ。綴守に戻って神籬を――」

 


二人が気配に気づいた時、クロガネの胸を後ろから刃が貫いていた。
クロガネが眼球を動かしながら背中を全てモヤ化させそれを噴き出した。
背後にいた男をモヤで包もうとするが、刀を抜きながら後ろに逃げる。
その着地点にいたユタカが、手に宿した炎を突き出した。
見事な連携技だったが、キラはニヤリとした笑顔を顔に貼り付けたまま高く飛び上がり空中で一回転する。
キラの背中を刀を持った沙希が追い、再び着地を狙う。
二重の構えにユタカも気づき、援護でキラの足下に背の高い炎を飛ばし越えられぬ壁を作る。
さらに頭上ではクロガネの闇が逃げ道を塞ぐ。
沙希が振り上げた刃を肩目指して振り下ろした。
キラは余裕の笑みを崩さず、唯一の目をカッと見開いた。
炎の壁を超えて、鬼妖が突進してきた。
がら空きだった沙希の脇腹を太い腕で強打し、細い体が吹っ飛んだ。
飛んだ沙希の体をモヤがキャッチし、ユタカは火力を上げ鬼妖を焼き払おうとする。
生まれた隙をキラが見逃すわけもなく、今やってきた鬼妖の肩を踏み台にして囲いを突破する。
ユタカが獲物を睨みつけながら腕全体に炎を纏わせながら強く地面を蹴る。
一瞬でキラの鼻先に迫り、顔面を炎の拳で打ち付ける。
感触も手応えも得られたが、後ろから両手を握り合わせた拳を振り上げた鬼妖が現れた。
舌打ちをしながら、唯一の目で後ろを確認して鬼妖から距離を取り、沙希を支えるクロガネの前に着地する。

 


「鬼妖ウゼー。」
「沙希、無事か?」
「平気。もう治した。」


鬼妖に打たれた脇腹に青い粒子が集まっていたが、粒子が散った時には怪我も服の汚れも無かった。

 


「キラを抑えれば鬼妖の統率は無くなる。」
「つっても、奴の目的は守姫ちゃんの足止めだろ?逃がした方が早いっしょ。」
「逃げられると思ってるの?」

 


キラが口を挟んできた。
鬼妖の肩の上で足を組み、優雅に座っている。

 


「沙希には此処で、僕と遊んでてもらうよ。」
「ペットに守って貰わなきゃ俺達とまともにやれない奴が、ほざくな。」
「ハンデはちょうだいよー。最強の御子に黒衣の魔術師、原始生物の竜だよ?ボクは半鬼妖ってだけのか弱い人間だからね。」
「シンが作り出して差し向けた時点で、か弱い人間じゃねーよ。大人しく倒されろ!」
「ボクを倒しても鬼妖は止まらないよ?だって彼らは、解放して欲しいだけなんだから。シンを守るお役目からね。」
「守る?」

 


沙希が反応すると、キラは野蛮に口を左右に引き延ばした。
絵本の中で、悪いオオカミが獲物を前に涎を垂らしたときのような。
あんな笑顔を、かつての彼はしなかった。
沙希を庇うようにクロガネが一歩前に出る。


「これも時間稼ぎだろう。突破する。ユタカ、」
「はいよ~。」

 


両腕を持ち上げ、炎を宿す。
赤味が強かった炎が黄色や青を含み出す。温度が上がった証だ。
息を吐きながら背を低くして、地面を強く蹴って走り出した。
キラは笑みを浮かべたまま赤髪の男を待ち構え、代わりに鬼妖が走り出し対峙する。
走りながら振り上げた鬼妖の拳を、ユタカの後ろでクロガネがモヤで縛り付けた。
ユタカは鬼妖の脇を走り抜け、キラに飛びかかる。
打ち込まれた炎の拳を刀で易々と受け止める。
鉄で出来た人間の工芸品は、温度を上げ続ける炎を当てられ続け表面が熱されチリチリと小さな音がしてきた。

 


「バカなの?このまま溶かすぞ。」
「いやいや。熱を借りただけさ。」


斜め上から振り下ろされる拳を易々と刃で弾いた。
優男の細い腕で簡単に弾かれたことにユタカが若干驚きを見せ体勢を崩した。
熱された刃が行く先は、クロガネが捕らえた鬼妖の腕を切った沙希の背後だった。
ガラ空きの背中に食らいつく。

「やっぱバカじゃん。」

 


すれ違い様に、耳元にそんな声が届いたがキラが突き出した腕は止まらない。
背中の肉に切っ先を埋め込む。
―はずだったのに、突然目の前に黒い闇が広がり刃と、刃を持つ手、腕、足が囚われる。


「偽物には届くらしいな、俺の力が。」
「沙希も竜もおとりか。連携美味いね。」


冷静な声を出しながらも、モヤの触手を剥がそうともがくが、もがくほど闇が絡みつく。
力運動とは関係ない拘束力だった。
沙希がつま先を軸にくるりと向きを変えキラの背中から腹へ横凪に刀を払い、
斜め後ろにいたユタカも体勢を変えて炎の拳をお見舞いする。
聞こえて来たのはユタカの舌打ちだった。
彼の拳がキラの体に触れる直前に、背後で生まれた鬼妖が右の二の腕をでかい手で払い吹っ飛ばした。
沙希の刃がキラの肉に届く前に、クロガネの拘束を手の部分だけ無理矢理引きちぎったキラが手首を回して
刃を受け止めてしまった。
クロガネがモヤで締め付けようとしたところ、また鬼妖が生まれ仕方なくその場から飛んで避ける。
中々一撃をキラに与えられない。
見た目は細身の男性だが、力は鬼妖と変わらない。反射も人間の域を軽く超えている。

 


「眉間の皺なんて似合わないよ、沙希。」
「お前が言うなっ!」


叫んだのは地面すれすれで突進してきたユタカだった。
キラの斜め後ろで地面に手をついて、勢いを殺さぬまま体を回転させ足を払う。
優男は体勢を崩したが、体にモヤを纏わり付かせたまま振り向いて、倒れながらユタカの太ももを切りつけた。
ユタカはまだ足を払うために体が動いていたため、ついでとばかりに神と眼帯を縛っていた紐も切られてしまった。
僅かに遅れて、沙希が踏み込んで下から上に切り上げる。
モヤの縄を落としながら、キラはユタカを吹っ飛ばした鬼妖の奥に隠れた。
体重を支えきれず地面に倒れたユタカの脇に腕を入れ、刀の具現化を解き力の出力を利用してその場から運んで避ける。

 


「今治す。」
「ヘーキだよ。かすり傷だ。」


クロガネとは幼少期からの付き合いだが、その相棒のユタカとはあまり親しくない。
なので、間近で見る人間のものでは無い竜の眼を見たのは初めてだった。
眼球の結膜は黄色く、瞳孔は細長い。虹彩は美しい碧であった。


「腹立つなぁ・・・。この俺様をバカにしやがって。偽物鬼妖にやられるのも腹立つ。」
「私が一人で戦ってた鬼妖よりかなり早い。」
「俺達用の特別ブレンドってことかぁ?」


食いしばった歯の間から、炎の吐息が漏れ出した。
二人の隣にクロガネが着地する。
目の前の敵は、こちらの様子を伺っているだけで追い打ちを掛けてはこない。
本当に足止めが目的のようだ。

 

「このメンバーが揃って、やられっぱなしってのはどーなのよ。」


口から煙を吐くのを止め、沙希の懐から立ち上がる。


「ごめんなさい、私が足を引っ張ってる。」
「守姫の土台は人間なんだ。気にすんな。クロガネはもっと頑張れ。」
「俺も半分は人間なんだが。」
「そろそろ出し惜しみやめようーぜ、相棒。」
「元の姿には戻るなよ。まだ早い。」
「わーってるよ。」


沙希が右手に刀を作る。
先陣を切るのはやはりユタカだった。
両手に炎を宿しながら、鬼妖ガン無視でキラに突進する。
すかさず反応した鬼妖の足には、すでに黒いモヤの縄が絡まっていた。
キラが視線だけ軽く辺りを見渡すと、モヤの縄は辺り一面に張っていた。
モヤの質が変わったのを、キラは嫌でも気づいた。
再び刀の腹で炎の拳を受ける。
竜の男がスピードを上げる。だんだんと、キラの顔から余裕の笑みが消えた。
代わりに、ユタカの口元に笑みが移る。


「おやおや~?笑うのやめたのー?」
「お前ら・・・。急にタカを外したな。」
「あったり前じゃん。この後神様倒さなきゃいけねーんだからな。無駄に暴れて建物壊すなってクロガネに言われてたし。」

 


キラの様子が一変した。
眉間に皺が寄り、苛立ちが全面ににじみ出てきた。


「大人しく神籬を捧げろよ!神が去ればこの世は人間のもの!いいじゃないか!」
「神の加護が無くなれば、人間はあっさり十杜に戻るだろうが。」
「空腹も苦しみもない存在になるんだ。いいじゃないか!人間は柵が多いからね!」
「人間側も、余計なお世話だって言ってるよ!」

 


苛立ちで視界が狭くなっていたキラは、両隣の鬼妖が倒されていたことも
網状の輪となったモヤが四方八方から迫ってきたことも気づくのが一瞬遅れた。
竜の男が前方から去り、クロガネの外套の奥から、沙希が刀を突き出して突進してくる。

 


「これは気にくわない!」


いつの間に背後に移っていたユタカが、キラの眼帯を剥がした。
―その瞬間、眼帯をしていた目から黄色い閃光が漏れた。
沙希の刃がキラの肩を刺し、クロガネのモヤが肢体を縛り付けたが、モヤは一瞬で弾き飛ばされ沙希の刀も折られた。
嫌な感じがしてクロガネは沙希を抱えて後ろに避ける。
キラが、閃光が漏れる目を押さえながら苦しみだした。
口からうめき声が低く漏れ、肩が震えだしのが見て取れる。
クロガネは、その黄色い光に見覚えがあった。
かつて一緒に仕事をしていた千木良の<シンジュ>石、ククリヒメの灯りと同じだ。
彼女は今現在行方不明になっているはず。
なぜキラの体内から、彼女の気配がするのだろうか。

 


「くっそ・・・!こんな、こんなことが・・・!オリジナルの仕業か・・・!!」

 


異様な気配に、ユタカも距離を取る。
二人と一人の間にいるキラの体が大きく、くの字に折れたかと思えば、
今度は大きく仰け反り腹を割って黒い霧が噴き出した。
クロガネのモヤと似ていた。沙希はそう感じた。
キラの体はしぼみ、空気に溶けてあっさり消えた。


そして、キラがいた場所に、半透明の人物が現れたのを、沙希だけが気づいた。


二人は何も反応していない。
目はキラの体内から噴き出した霧を見ていた。


―ああ、これも神だ。


沙希は本能で気づいた。
半透明の誰かは、重たそうな布を何枚も重ねた装束を纏い、長い髪の半分を背中に流し、残り半分を後ろでまとめている。
以前会った神とは別の神であった。
この神は、はっきり女性型の神だとわかる。
沙希の隣にいたクロガネが、急に体をくの字に曲げ苦しみ出す。
先程のキラと同じように。
背中か黒いモヤがゆっくりと吹き出し外へ外へを抜けていく。
目を見開き口を歪ませ、悶えるクロガネの体が宙に浮く。
ユタカも相棒の異変に気づいたが、体が動かせなかった。声も出せない状態にあった。
女神が見える沙希と違い、何が起きてるのかさっぱりわからない様子だ。
浮いた体は仰向けにされ、モヤが背中だけではなく体全体から吹き出してきた。

女神がクロガネの体に手を当てると、モヤが女神の手に吸収され、クロガネの体から離れた。
声を漏らし苦しんでいたクロガネの意識が切れ、ユタカの拘束が解かれる。
落ちる体をユタカがキャッチした。
必死に彼の名前を呼ぶが、クロガネは苦しげな表情をしたまま固く目を閉ざしている。
女神はただ、微笑んでいるだけ。
沙希には、女神の行動がよくわからなかった。
悪意も敵意も感じられない。
黒いモヤを胸の中にしまった女神は、沙希に向かって微笑んで見せた。
神の理不尽に、沙希は珍しく殺気立ち、叫んだ。


「今まで人間に無関心だったくせに、今更何をしようというの!
あなたたちはそうやって、勝手ばかりする!!」


沙希の叫びが耳に入っていないのか、気にもとめていないのか
女神は微笑みながらその体を薄くし、やがて消えていった。


「おい、若葉・・・!若葉ってば!目を開けろコラ!」
「ユタカさん。今女神が来て、クロガネさんのモヤ、持っていかれた。」
「本体の気配が消えている・・・。鐵って化け物と若葉は魂で結びついてたんだ・・・。頼む、頼むよ・・・目を開けろバカ!」


あと少しで神眠りの日。
何が起きてもおかしくはないと思っていたが、これは想定外である。
気配がして顔を横を向くと、真横から現れた鬼妖が拳を上げているところだった。
身をひねりながら右腕を上げ、こちらに打ち込まれた腕を切断する。そのまま手首を返し、腹部を切断した。
これはオリジナルの鬼妖のようだ。斬った箇所から血が噴き出した。

けれど、キラの鬼妖と戦っていたせいか今までより楽に対応出来た。
反対側から鬼妖がもう1体突進してくる。応戦しようと一歩踏み出したところで、炎が燃え上がり鬼妖を焼いた。
轟々と勢いよく燃える火は丈を伸ばし鬼妖をすっぽり包み、獲物を逃がさぬように必要に追い立てている。

「守姫、行けよ。残りの鬼妖は全部焼いてやる。」
「・・・ありがとう。」


ユタカに礼を言って、走り出す。
クロガネは心配だが、一刻も早く綴守に行かねばならない。
2体の鬼妖が後ろを付いてきたが、沙希にたどり着く前に炎に焼かれ後ろで悲鳴を上げた。
今までユタカの炎はオリジナル鬼妖に効かなかったが、きっと今なら消し炭に出来ただろう。

 

闇に包まれる道も、沙希にとっては庭に等しい。
どこにいても、綴守に戻れる。
幸い、今戦っていた層と綴守は近い。
キラと戦っていた時間はそこまで長くない。
神眠りの日には間に合う。
この日のために、長いこと準備をしてきた。

器になんかさせない。

神の懐になんか行かせない。

彼は大切な家族だ。

例えこの世界が壊れようとも、離ればなれにはならない。
あと少し、あと少しで―――。
ふと、辺りを掬っていた闇が消えた。
ぼんやりとした明かりと、圧迫していたはずの空気が広がり、ただっぴろい場所にいた。
顔を左に向けると、小さな社がぽつんと建っていた。
天御影では珍しい石造りの小規模な社で、人間は入れないサイズだ。
その前にある地面から、社と同じ色合いの形代が現れた。
平たい体をぐねぐねと身をよじらせ、やがて立体的な姿になる。
手と足があるが、頭には三角形の兜をかぶっている。
顔らしい顔はなく、足らしい足はない。
裾にいくほど広がった袴に布の質感は感じない。
ただ、手には立派な刀が握られていた。
沙希が作る刀より刃は長く、柄は灰色。手貫緒だけは、碧であった。
あれは零鬼でも悪鬼でもない。
神の気配を体全体が察していた。
床を滑るように凄まじい早さで突進してきた人形の形代が振り下ろした一撃を刀で受ける。
先ほどまで紙のようにペラペラだったとは信じがたいほど、重い一撃であった。
刀を握る手が震え、柄を握っている指が剥がれそうになった。
先ほどキラと戦っていた疲労も確実にダメージを与えている。
腕だけではなく体全体の筋肉が悲鳴を上げ、足を広げて衝撃に耐える。
刀が小刻みに震えて音を鳴らす。
形代はそのまま体重を乗せ沙希を押しつぶそうとしてくる。
刀の具現化を解いて逃げようかと思ったが、具現化が解けないことに気づいた。
今対峙している兜頭は、御子の沙希より上位存在。つまり―――。


「御子の私を足止めするか!神ですら、シンが恐ろしいというのか!」

空洞に沙希の叫びがただ木霊する。
神の使いは何も語らず、二打目を打ち込んできた。

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