神宿りの木 たまゆら編 3
小さな小さな木造の船が、川を流れていた。
子供が折り紙で作ったような、大人の拳3つ分ぐらいの質素な船だった。
ただ造りは細かく、神明造の屋根の下に格子扉がついていた。細かな格子にはちゃんと和紙が貼られている。
せらせらと流れる綺麗な水の流れに、船は順調に進んでいく。
川は下へ下へ、右に左に曲がりながら、どんどんと細くなる。
やがて、大きな岩に引っかかって船は止まってしまった。
くぼみに先端がはまったのだ。しばらくその場でぷかぷか上下に揺らぐ。
船を止めた岩の横は、土の陸があった。
土は乾き赤茶色で、雑草は翠を失って枯れ草色になっている。
空は濁り、黄土色の雲が頭上を覆っていた。
岩の横を、黒い何かがふわっと飛んだ。
黒い煙のようだったそれが消えることなく、丸い固まりになる。
気体であることには変わらないのか、自転しながら輪郭線がハッキリしていく。
体を波打たせながら、子供の拳ぐらいの大きさになる。
黒丸は雑草の上を浮いていたが、岩のところに何かがあるのを発見した。
今度は岩の上で、上下左右に揺れ動く。
始め、一つだったそれが二つ三つとなり、五つ八つと増えていく。
どこか輪郭が曖昧な黒丸が、船の周りに集まって、興味深そうに覗きだす。目はないのだが。
やがて、黒丸から細い腕のようなものがにょきりと生える。
黒い糸みたいな細い腕で船を撫で、つつく。
周りの黒丸も真似をし始め、腕で体をはずませてるうちに、足が生えた。
不格好な足に慣れない様子だったが、やがて歩く事を覚えたようで
最終的に船を持ち上げ水から引き上げると、祭りの神輿のように船を掲げていた黒丸たちは、重さというのもを知ったのか、
細い腕では支えきれぬと知って赤茶の土の上に船を降ろした。
黒丸の一つが、うねる細い糸のような腕を伸ばし、ついに格子扉を開けた。
中を覗いて、しばしうねうね体をこすりあわせる。
中には、赤い敷物の上で、赤い布に包まれたなにかがあった。
数体の黒丸が共同作業で中身を取り出し船から降ろして、地面に固まりをそっと置いた。
やはり黒丸はしばらく周りを漂っていた。
どうやら、黒丸に知性はないようで、どうしたらいいかわからないのであろう。
寄せ集まって、次の手段を生み出す個体が現れるまで同じ行動を取る。
やがて、一体の黒丸が赤い布をめくりだした。
折り紙を解くように、こすれるたびさらりと音を立てる絹の布をはいでいく。
中にあったのは、水色の半透明な固まりだった。
黒丸3つ分ぐらいの大きさで、表面をつつけばうねる。
固まりではあるが、ずいぶん柔らかいスライムみたいな何かである。
黒丸はずいぶん興味をそそられたようで、水色のスライムを囲んで踊り出した。
「おやおや。2柱が川に流してしまったというから見に来てみれば、あなたたちが助けてくれたのですか」
そこに、神が現れた。
肌は白く、纏ったくるぶしまである大きめな白衣を赤の帯で巻いている。
艶やかな髪は腰まで伸び、赤い紐で毛先を結っている。
装飾品は一切つけていなかった。
体は服を含め僅かに黄色に発光していた。
影がやや落ちるこの場所で、その神だけやけに目映く映る。
黒丸は驚いて草の間や石の影に隠れたが、害はないと察すると、足下までやってきてぴょんぴょん跳ね出した。
黒丸はしばし楽しげに跳ねていたが、小さな神の姿になった。
「これは驚いた。私の形を真似たのですね。」
近くにあった葉と草で服を造り着せてやると、黒丸であった者達はキャッキャと笑い出した。声も真似たようだ。
周りにいた黒丸も、同じように真似て神の形になる。
船に乗っていた水色のスライムだけは、表面をうねらせるだけで形は変えられなかった。
「困りましたね。まだ弱っているようです。では、これを使いましょう。」
神が懐から出した枝をスライムにくっつけていく。
最後に優しく表面を撫でてやると、スライムは神と同じ形になった。
背丈は神と同じで、水色のもっさりとしたうねる髪がくるぶしまで伸びている。
肌は水々しく、唇は小さく、瞳は髪と同じ色をしている。
顔は愛らしいのが、体はどこか不格好で、腕は関節がある場所以外同じ細さのままである。
きっと細い枝を使ったからであろう。
けれど本人は手足があるのがうれしいのか、その場でくるくる回り出した。
黒丸達と同じく葉で服を作ってやり着せてやる。
葉が足りなかったので、袖までは作れなかったため不格好な腕はむき出しとなってしまった。
代わりに、落ちていた石を拾い上げ手の中で転がすと、綺麗な翡翠の玉になる。
形は綺麗な丸ではなく輪郭が歪んでいる。
懐からだした糸に玉を通し、首飾りにしてやった。
「さ、戻りましょう。」
黄色く光る神がスライムだったものに言うが、首をぶんぶんと横に振った。
「此処はそれらの穢れがたどり着く場所です。あまり長居をしては、帰れなくなります。」
またしても、首を左右に振る。
「いいですか。お前はそれら藻とは違うのです。だが・・・そうですね。戻っても居場所はないのかもしれません。」
神はいくつかの注意を告げてから、また来ますねと去って行った。
*
「え、今の何!?」
ベッドから飛び起きた。
はずだったのに、起きるベッドは消えていた。
そこは兄と暮らしている部屋の寝室ではなく、どこかの洞窟だった。
足下も天井も分厚い岩肌で囲まれ、わずかにテカテカと光っている。
洞窟内は薄暗いが、ぼんやりと明るく周りを見渡せるぐらいには困らない。ただし光源は見つからない。
どこか遠くで落ちる水滴の音が聞こえ、木霊する。
パジャマではなく、洋服を着ていることもそこで気づいた。
「へ?・・・ここどこ?僕、寝ぼけてる?」
たった今夢を見ていた。
やけにリアルな夢だった。
川のせせらぎも草や土の匂いもまだ覚えている。神様が出てきたのは驚いたが。
夢であることは確実なのに、まるで実際に体験したような変な感覚が残っている。
それなのに。
目が覚めて、また別の夢を見ている。
今の自分も、とてもリアルで真人は首をひねる。
現実と何が違うのかわからない。
水の音が気になって、真人は細い洞窟の道を進むことにした。
足下が滑るので、右側の壁に手をつきながら歩く。
足にはいつものスニーカー。手から伝わってくるひんやりとした岩の感触。
この夢もとてもリアルである。
夢を見ていると自覚しながら動くのも奇妙な気分だ。
道が終わり、視界が突然開けた。
洞窟の最奥には、池が張っていた。
窪んだ場所に水が溜まったのか、境界線も特になくスニーカーのつま先に水が当たる。
その池の中央で、銀色の長い髪をした少女が浮かんでいた。
裸足のつま先はギリギリ水に触れていない。
二つに結った髪は風もないのにゆらゆら波打って、少女は閉じていた瞳を開けた。
「あなたも夢を渡れるのですね。」
少女らしい甲高く可愛らしい声が遠慮がちに反響する。
少女の目は、髪と同じ銀色で、視力が伴っていないようである。視線が微妙に交わっていない。
池の輝きが、少女のワンピースに反射する。
「これは、君の夢?」
「あなたの夢とも言えます。」
小さな手が持ち上げられ、こちらへ、と少女が手招きをする。
真人はなんの疑いもなく、水へと足を進めた。
スニーカーは水の中に沈むことはなく、表面の上を地面のように歩いて少女の前に立つ。
水面に広がる波紋が消えるのを待って、少女はまた少し顔を上げた。
今度はしっかり、視線が交わる。
「私の名はラン。夢見です。」
「夢見?」
「あなたも心辺りがあるのではないのですが。未来を予見するような夢を見たことを。」
言われて、そういえばと思い出す。
天御影に来る前、よく地上のモノレールに揺られる夢を見ていた。
旧型の車内で、顔も知らぬ兄や友人、その時点で存在すら知らなかった沙希を見た。
沙希は、ちゃんと手に刀を持っていた。
真人の様子を肯定と取ったのかどうかはわからないが、ランと名乗る少女は最低限の動きで口を開く。
「お急ぎ下さい。猶予はあまりございません。
夢を渡る間、時間の進みは遅くなりますが、完全に隔離されているわけではありません。」
「どういうこと?」
「私では渡れないのです。あなたじゃないと。隠された真実を見つけてください。未来はまだ、確定しておりません。」
「僕が?どうして・・・。」
「あなたが、神籬だから。」
「ひも、ろぎ?」
少女の足先が水面に触れると、波紋が池の端まで広がっていく。
何回も、何回も。
やがて水面が揺らぎ、あちらこちらで波紋が生まれる。
洞窟内が揺れていた。
「この世界は、あなたの誕生を待っていた。神々が、勤めを果たすのを待っている。」
少女の体が薄くなり、池の天井が崩れて欠片が落ち始める。
天井の岩が崩れた箇所にあったのは、星空だった。
日之郷で天井パネルに映し出された偽物とは違う輝きが広がっている。
あれらの点々は、確かに燃えている。
「待って!」
「家族を助けたいなら、進みなさい。」
天井から風が吹き込んできた。
少女の髪が激しく踊り、結んでいた紐が解けて空へ舞い上がる。
天井が全て崩れ、足下には一面の水。
空には満天の星空。
少女の体が粉々になり、蛍の光のように空中を漂った。
洞窟だったときより、空気がひんやりとしていた。
頬に触れる風は冷たく、凜とした空気が肺を支配する。
「ここ、本当に夢?」
星空の瞬きを見上げて確信した。
この夢は覚めない。
起きることが出来ない。
気配がして後ろを振り返ると、重たそうな装束を纏った女性が立っていた。
幾重にも重なった布に、きらびやかな紐や装飾品。
長い黒髪は半分を背中に流し、半分を後ろでまとめている。
女性は、服も全て全て半透明に透けていた。
袖通しを合わせ、真人を見てニコニコと微笑んでいる。
嬉しさを表情で表しているようだが、しゃべりかけてはこない。
「あなたも夢見?」
女性は微笑みながら首を横に振る。
「胸騒ぎがしてきた・・・。ランって子が言ったこと、本当なんだ。」
今度は、しっかりと頷く。
「何が何やらさっぱりだ。現実に戻れないのはよくわかった。」
頭上の星が、一つ流れて消えた。
「そもそも、天御影に来て毎日夢を見てるような気分だったんだ。
手から雷出したりバリア張ったり、僕からしたら非現実だったもの。慣れっこさ。
僕は兄さんを探しに来たんだ。
やっと会えたんだ。二度と離れるつもりはない。僕は必ず戻る。」
赤い星が生まれて、青い星が白く発光を始める。
流れ星が絶えず流れ出す。
「それにさ、さっき夢を見た直後から、思い出さなきゃいけないことがある気がするんだ。これは僕の成すべきことだ。」
よくわからないけれど、と真人が首を戻すと、半透明の女性が合わせていた袖を解き、片手を差し出してきた。
白くほっそりとした腕は星空の薄明かりの下で、淡く光っているかのようであった。
真人は、差し出されたその手を取った。
星空の下に、二人はいなくなっていた。