神宿りの木 たまゆら編 5
今が夕暮れか、夜に変わったのか、はたまた夜が明ける前なのか。
分厚い雲が空を覆っているため判断するのは難しく、けれど真夜中ほどではない薄暗さにその集落は包まれていた。
茅で作られた三角形の建物は授業で習ったことがある。
人類史の割と初期の方で主流だった竪穴式住居というやつだろう。
小さな家は肩を寄せ合うように密集していくつも立てられていた。
その中の一つから、女性の泣き声が聞こえてくる。
中を覗く。
柱が何本か立ち、骨組みが頭の上で屋根を支えている。
地面を掘り下げてある室内は外で見る印象より広く感じた。
藁で作られた絨毯のようなものが敷かれ、中央に枝と石が集まったかまどがある。
食器がいくつか絨毯の上に置かれ、簡易的な机まである。
部屋の隅に敷かれた、使い古され端が丸まりつつある白い布の上で、3歳にも満たない子供が横たわっている。
その上で、母親らしき女性が子供にすがりついて嗚咽を漏らしていた。
絶望の限りを吐き出しているような悲痛な声と、動かない子供に、状況を察してしまう。
部屋には体格の良い大人の男が3人かいたが、泣き喚く女性を見下ろしながら部屋の隅で立っていることしか出来ないという様子だ。
「少し目を離した隙に、川で溺れたそうだ。」
「これで何人目だ。」
「コクリが狩りで胸をやられてから、何かがおかしい。」
「やはり、芦原で暮らすようになったせいではないか?神力が薄れている気がするのだ・・・。」
中央にいた口ひげを蓄えた中年男性が、下唇を噛みながら低い声を漏らす。
「魂が黄泉に引きずり込まれたのだ。」
そう苦々しく吐き捨てると、脇に居た男性二人が一斉に顔を向ける。
「大地の下にあるというかの国か?」
「だがあそこは、人間達しか墜ちない場だ。」
「本来ならそうだ。我々神の一族に死という概念はなく、時が来たら海を渡り根の国に旅立つはずだ。
役目を終えられた父神様もだいぶ前に旅立たれ、残りの神々は天におわす。
だが、我が子を見ろ。肉体を此処に置いたまま魂が抜かれているではないか。」
中央にいた子供の父親が、顔中に皺を寄せ悔しげに口を歪ませる。
行き場のない怒りと悔しさを滲ませた声が歯の間から漏れた。
「これは死だ・・・。」
「馬鹿な!我々は神の子だぞ?」
「人間が馬鹿みたいに数を増やしたせいで黄泉の住民が増えている。
人間から落ちた穢れはどんどんと増えているはずだ。穢れが我らを侵している。あの国の力も増している。
このままでは、他の同族達も何かが起こる度絡め取られてしまう。死というものにな。」
「どうするというのだ?あそこは造化三神様ですら穢れが強すぎて近づくことすら出来ん。」
腰に帯びていた武器を握りしめると、魂の抜けた我が子にすがりついて泣いていた妻が顔を上げた。
その形相はこの世の恨みを全て宿したとでも言いたげに歪み、怨霊よりも恐ろしいものだった。
見たことがある、そんな気がした。
泣きはらしたせいで濁った目、左右に大きく避けた口、怒りで赤く染まった顔。
まるで――、
「これ以上強大な国になる前に、我らが潰すのだ!造化三神様が出来なかったことを、尊き神の子である我らが!」
「そうだ!これ以上の犠牲者を増やしてはならん!」
「黄泉の王などおそるるに足りず。われら神の兵ぞ!」
「同族を集めよ!武器を持て!」
わずか数分後。家の外に、子を亡くした父親の呼びかけに応えた男達が皆武器を手に集まった。
異様な空気だった。
未知なるものへの恐怖が怒りへと姿を変え、彼らをかき立てて急かしている。
焦りが何も見えなくさせているのだ。
きっと彼らには怖くて仕方なく、どう受け入れたらいいかわからなかったのだろう。
死という別れを。
人間と同じ姿形をした神の子たちは、勇ましく集落を出て行く。
最初は20人ぐらいだった軍勢は、他の集落の男達も合流し、100人近くに膨れ上がる。
地上の端にあった長い坂を下り、ついにその地へたどり着く。
坂の先に、人影が一つある。
人影の横で闇が蠢いていた。
目が付いた黒い丸たちが跳ねている。
(あれ、彼女は――)
*
目を開けると、やや垂れ目の美しい女性が、間近で真人を見下ろしていた。
まとっている衣服で、最初の夢で会った女性だと寝ぼけた頭で理解できた。
やけに近い距離と、逆さまの顔。頭の後ろに感じる暖かい感覚に、驚いて慌てて体を起こした。
飛び起きた真人ににっこり笑いかける女性―夢で見たところ神様―は夢と違って実態があった。
体は透けておらず、布の上品さと背中に流れる髪の繊細さもよく分かる。
起きた真人に向かって、女性はにこにこと微笑んでいた。
そこは、見知らぬ木造の一室だった。
正方形の木造部屋で、造りは古く、汚れた天井からもう使われてない場所なのだろうと感じた。
生活で使う部屋ではないらしく家具の類いは何もない。
唯一、女性の後ろに神棚が置かれていたが、埃がかぶっており、お供え物の類いは一切なかった。
「厄災の神に膝枕されるとは、末恐ろしい話ですね。」
声がして首を回す。
まだ寝起きの頭で視界が揺れたせいで、少しめまいがした。
障子もなにもない窓枠に、男の子が膝を立てて座っていた。
水色髪で、長めの前髪の下には憂いを帯びどこか寂しそうな眼が二つ。とても整った顔をしている。
「君は・・・。」
「僕はユキ。一度会いました。」
「あ、樹木エリアに連れてった双子?ずいぶん大きくなったね。女の子はどうしたの?」
一瞬だけ辛そうな色を見せたユキだったが、真人の問いには答えず膝を下ろしこちらに体を向けた。
真人が以前綴守の廊下でこの子供に会ったとき、彼らは8歳から10歳の見た目をしていたが、
手足は伸び今は14,5歳辺りといったところか。
成長期にしては短時間過ぎる。
「君、やっぱり、ただの子供じゃなかったね。」
「大人というわけでもないですよ。見た目は選定の度に変えていましたし。」
さして興味がなさそうな、まるで他人事と言わんばかりの物言いよりも
彼がこんなに話すことに驚いていた。以前は、女の子の方ばかり喋っていた気がしたのだ。
「夢渡りは思ったより順調のようですね、神籬。」
「ひもろぎ・・・。それ、前も言われた。どういう意味?」
「古代の儀式で、使っていた神の依り代のことです。まあ今となっては、シンへの供物という意味ですが。」
供物という響きに胸が僅かにざわめいた。口触りが悪い言葉だ。
「シンって、悪い神様のこと、だよね?」
「ええ。かの神は神籬の祖であるシンビト・・・一族によってはサカキと呼ばれる彼の器を欲しています。」
「器?」
「本来の役目と同じく、神籬はシンビトと呼ばれる神格化した樹木の魂を宿すことが出来ると言われています。
シンビトはかつて地上を穢したシンを遠ざけた後、柵により人間に落とされ帝一族の始祖となりました。
けれど天の神にとっては地上を救った大事な子。そして―」
「ちょ、待って待って!」
すらすらと言葉を紡ぐ少年に両手を向けて慌てて声を遮る。
「情報量多すぎてわからないよ!」
「あなた、何も聞かされてないようですから、少しでも情報提供して差し上げようとしてるんですよ。親切に水を差さないで下さい。」
心外です、とでも言ってそうな両目に戸惑って頭をフル回転させる。
「えっと・・・帝一族って地上にいた王様でしょ?木が人間になって、王様になったの?」
「その通りです。あなたは帝一族の末裔で、正当後継者という意味では最後の一人ですね。」
「そ、そうなんだ・・・。」
今度は、当たり前のことですけど?と言われそうな目線を向けられたので
此処は素直に受け入れることにする。言葉を咀嚼するのは後にした方が良さそうだ。
困惑した頭では何も理解出来てない気もするが。
「僕はその神籬っていう、神様を宿す器ってこと?」
「ええ。」
「ご先祖様の魂を宿して、どうするの?」
「天に帰るのです。」
「へ?」
「ですが、邪魔者がいます。シンです。シンはずっと、シンビトの清い魂を狙っています。
シンビトを宿すことが出来る神籬が生まれ、その魂が現世に現れるのを待っていたのです。」
「・・・・・・ごめん、もう限界。話さっぱりわからない。」
「しっかりして下さい。あなたを神からもシンからも遠ざけるため、先代はあなたを地上に逃がしたんですよ。運命を変えるのにどれだけの代償が払われたことか。」
淡々と、冷たいほどに淡々と吐き出された言葉に顔の筋肉がこわばる。
「に、逃がした?僕を・・・?僕、地上の生まれじゃないの?」
「事故にもあってないですよ。あなたを隠すため、生まれてからずっと眠らせてたようです。だから幼少期の記憶がないのです。」
どれも全て信じがたい、いわばファンタジーな話だったが、夢の中に放り込まれた今なら、どれも受け入れられる。
いや、受け入れないと全てが納得いかないのだ。今の状況も、兄と離れて生きていたことも。
沙希がサカキをから遠ざけたがっていたのも、納得できる。
「神籬が自ら地下に来たのは皆想定外だったでしょうね。これも運命の輪に絡め取られた行動といえばそうなのでしょうが。」
「僕は、僕の意思で天御影に来た。後悔はしてないよ。兄さんにも会えたし。」
「そろそろ質問タイムは終わりでいいですか。話すのも疲れました。」
勝手に話し出して、勝手に疲れるとは、と内心呆れつつも慌てて手を上げる。
「あと一つ。彼女のこと聞くの忘れてた。厄災の神って?名前、なんだっけ。」
「マガツカミです。彼女は厄そのものを体現した神です。人々は彼女を恐れ遠ざけてました。」
「そうは見えないけど・・・。」
「彼女もシンと共に封印されていたはずですが、赤畿の長が鍵を掛けたことで、彼女だけは封印から逃れたのでしょうね。」
なぜ此処で赤畿の名前が出てくるのか、首を傾げたが
ユキは真っ直ぐと憂いを帯びた大きな瞳を向けてきた。
「肝心なのは、あなたが成すべき事をしなければならないということです。」
「それをすれば、帰れる?」
「夢で見たのでは?」
「肝心な部分はまだ・・・。」
「時間がありませんよ。僕の守りとそちらの女神―マガツカミのおかげで猶予を得ましたが、現実の時間は進んでいる。」
まだ声変わりもしていない愛らしい声で、他人事のように紡がれる言葉に、急に気持ちがしぼんでしまう。
自分がやらねばならないと分かっているが、どこへ向かったらいいかもわからないまま後ろからはやし立てられている気分だ。
少年がちらりと窓の外に目を向けた。
真人の後ろで、神棚に乗った皿や何も差していない花瓶がカタカタと音を立て始めた。
「僕の守りの中にまで足を伸ばして来ましたね。」
そう呟いて、少年は窓枠から飛び降り、床に座る真人を真っ直ぐと見下ろした。
「お喋りはここまでのようです。あとは任せました。人間がいなくなって困る神は、ここに少なからずいますので。」
頑張ってくださいね、と特に熱の無い声で言ってから少年は姿を消した。
花瓶の音も揺れも収まり、静寂が訪れた。
「一方的だなぁ。・・・ん?あの子も神なの?」
振り向いてマガツカミという女神に問うと、ニコニコ微笑みながら頷いた。
喋る黒豹や半透明の零鬼を見て来たので、神が複数現れても特段驚かなくなった自分に感心しつつ、
何も解決されてない事実に頭が痛くなってくる。
「えっと・・・マガツカミって呼べばいいのかな?」
女神は大きく頷く。
「どうして僕と一緒にいてくれるの?」
ニコニコ微笑み続けるばかりで、何も答えてはくれなかった。
どうやらこの女神様は、喋らないようだ。
先ほどユキが話してくれた事柄をゆっくり咀嚼しながら、ため息を漏らした。
「夢を無事見られて真実を知って、その先どうしたらいいんだろうね。」
急に心細くなって、兄に会いたくなった。
何故こんなことを始めてしまったのだろうという後悔が滲んできたので見ないように務める。
本当なら、目が覚めたら自分の誕生日であった。
初めて血の繋がった家族と過ごせる特別な日で、兄は前日からケーキやごちそうの用意をしてくれていた。
子供みたいにわくわくしながらベッドに入って眠りについたのに、この夢はいつ覚めるのかもわからない。
もしかしたら仕事を終えるまで夢の中かもしれない。
起きたらちゃんと、兄の元に帰れるのだろうか。
さらに不安なのは、誰しもが時間が無いと急かしてくることだ。
どれぐらいの時間が残っているのかも、誰も教えてくれないのに。
と、髪に何かが触れた。
傍らの女神が、髪を撫でてくれていた。どこか心配そうな目でこちらを見つめている。
肩に張っていた力を抜いて、大丈夫だよと笑って告げる。
此処で頭をいくらひねっても意味も無いので、部屋から出ることにした。
戸口のすぐ下にある階段を降りて建物を眺めると、どうやら小さな神社の中であったらしい。
屋根は欠け、廃れ忘れ去られた社は、かつて人が祈りに来たのだろうか。
「そういえば、日之郷にも神社はあったなぁ。信仰はほぼないし祈ってる人は少なかったけど。神様が本当にいるなんてね。」
戸口をくぐり真人についてくる女神を見てそんなことを呟く。
そういえば、あの女神はどうして一緒にいてくれるのだろう。
夢で出会って、何か目的があるのだろうとは思っていた。
自分が目指す先に、彼女の目的もあるのだろうか。
行こうか、と声を掛けると、女神は微笑んで後を付いてくる。
神社を背に歩き出すと、急に指先が熱くなってきて、手の平を見る。
熱いのではない。恐ろし程冷えて熱があるのだと勘違いしたのだ。
見慣れた自分の指先が、半透明に透けていた。
心臓が急に鼓動を早め、体が震えた。器官が苦しくなるのを必死に堪えて、浅くなった呼吸に気づいて、深く息を吐く。
真人は自然と理解した。
「時間がないってそういうことか・・・。」
手の平をぎゅっと握りしめた。
歩みを止めるわけにはいかない。
この道の先に、家族と過ごす未来が待っていると信じて、もう進むしかないのだ。
この足で立っていられる限り。