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神宿りの木    たまゆら編 4

瑛人はハッとして目を覚ました。
気付けば、ソファーで眠っていたようだ。
これから警戒の為に眠らないようリビングではなく、寝室の前に椅子を置いて作業をしていたはずだ。
慌てて時計を見る。


22時35分。


まだ日付は変わっていないことに安堵しつつ、肌に触れる何者かの気配を感じて勢いよく立ち上がる。
寝室のドアを開けた。
真人と一緒に住むようになって、ベッドをひとつ増やした。
寝室内のベッドはどちらも空で、真人はいなかった。
真人側のベッドは先程まで誰かが寝ていたのが分かるぐらい、シーツは乱れ布団がめくれている。
今日は一緒に夕飯を食べ、9時過ぎに真人はベッドに入った。
つい5分前にも、真人がベッドで寝ているのを確認している。
寝室のドアは一つしかない。真人が出てくれば嫌でも気づく。
誰かに眠らされたのだ。まがいなりにも御子となった自分の力が及ばぬように。
一気に体温が下がる。喉の奥が詰まり、絶望の二文字が内臓を締め付ける。
背後で、台所にある食器達がカタカタと音を立て始めた。
揺れを感じるたび、シンの存在を認めざるを得なくなる。
瑛人は地震とは関係なく震える指先で、ズボンのポケットにしまっていた携帯端末を取り出した。

 


『どうした。』
「真人が消えた。一瞬だけだったけど、気配がした。神の仕業だ。予定通り、決行しよう。」
『・・・わかった。側にいなくて大丈夫か?』
「ああ・・・。声聞いたら落ち着いた。いつまでも頼ってたら恥ずかしいからね。」

 


通話を終えると、地震も収まっていた。
空のベッドを数秒眺めた後、呼吸を整え自室から出る。
ここのところ多発している地震で集民は大人しく部屋にこもっているのか、廊下に人はいない。
そもそも瑛人がいるのは綴守5階層の特別区域だ。
一般人は入れないので極端に人は減る。
茜音が現れ、瑛人の早足に合わせ隣に並ぶ。

 


「瑛人様。真人様の気配が突然消えました。監視しておりましたが部屋からは出てきておりません。」
「神が真人を連れていった。」
「神眠りの日まではまだ時間がございました。祝詞を聞いておりません。」
「相手は神だぞ。わざわざチャイムを鳴らしてはくれないさ。茜音、体は無事だな。」
「はい。」
「よし。付いてきてくれ。」

 

廊下を進み6階層への階段を上りすぐ左に曲がると、その最奥にある部屋の扉を押し開けた。
そこは司令長室。司令室の長である瑛人の個室であり仕事場。滅多に使うことはないが、情報の全てが集約する。
縦に長い部屋で、パソコンや機材が並び、モニターが壁に何枚も設置されている。
中央の機材でキーボードを操作すると、立体映像モニターが顔の前で立ち上がり、文字配列や数式、図面などが次々切り替わる。
向かいにある壁掛けモニターにスイッチが入り、水縹元老院椛田常の顔が写った。
神眠りの日を前に警戒していたのだろう。元老院議員の服をまとっていた。

 


『どうしました。』
「神籬が消えました。」
『・・・少し早いですね。』
「シンではなく、神が動き出したようです。目的は不明ですが、接触は想定内です。」

 


話ながらも、瑛人は指のタイピングを止めようとはしなかった。
遠回しな説明でも事態を理解したのか、モニターの向こうにいる椛田の顔に緊張が走り、無意識にモニターに体が傾いた。

 


 「まだ天御影は静寂に包まれています。シンが本格的に動いてない証拠です。嵐の前の静けさが止まぬうちに事を進めましょう。まず、民を逃がします。」
『どこへ?』
「地上です。」

 


画面の中の椛田が、僅かに眉根を寄せ険しい色を見せたのを、瑛人は見ていなくてもわかった。

 


『・・・数ヶ月前に提出してきた大規模な避難計画書はこの時のためですか。』
「承認は頂けませんでしたが、この非常事態です。各一族も乗ってくるでしょう。
シンが起きれば地震で潰されるか黄泉に招かれるかで天御影の民は死に絶えます。
逃げ道は一つしかありません。もちろん、生存率は僅かしかありませんが、天御影にいるよりマシでしょう。」

 

声は落ち着いていた。不気味な程に。
話し続けてはいても、意識は別のところにあるのだろう。
元老院議員と話していて意識をそぞろに出来るのは、彼ぐらいだろう。それほど、綴守にとって重要な男でもある。
瑛人は別の立体モニターを起動させ、椛田に見えるように画面を回転させる。
モニターには天御影の簡易的な図面が描かれていた。


 

 「経路は以前出した計画書通り、塗装された道を選んだ最短ルートです。各実行部隊の配置も記しておきました。」
『結界はどうするつもりですか。』
「クイーンに解いてもらいます。」
『可能なのですか?』
「計画書を提出する前に本人に確認済みです。ただ、解除に時間が掛かるようです。
元老院権限で、天御影中の民を第一から第四階層に集めて下さい。実行部隊は第五階層以下で十杜、エキと交戦。上に侵入させない絶対防御を築いて貰います。」
『今から招集を掛けたとして、彼らがスムーズに従うとは思えません。』
「そこのところを、椛田さんにお任せしたくて呼んだのですよ。俺は貴女を信用しています。」
『評価頂けてることはありがたいですが。彼らは民の命より自身の尊厳を高めることを大事にしています。』
「時間は本当にないですよ。このまま死ぬのか、希望がある場所に走るか、どちらがいいか問えばいい。
特に五大一族は始祖からの大切な語り継ぎを抱えたまま地下に落ちた。シンの恐ろしさも神眠りの日が意味する先もよく知っているはず。」
『やりましょう、ツネ。』

 


瑛人の左にあるモニターが勝手に付いた。
そこには、煙管をくわえた半月眼鏡の美女が映っている。赤い唇は艶めかしく、こんな時でも余裕の笑みを浮かべていた。
椛田の位置からもモニターは見えた。

『よろしいのですか。結界を張ったのは貴女の恩人と聞きました。』
『いいに決まってるじゃない。いつだって、今生きてる命が優先よ。』
『今更地上に戻り、何が出来るでしょうか・・・。地上も地震で被害は甚大だと聞いておりますが。』
『珍しく弱気じゃない。しっかりなさい?生きてさえいれば、何だって出来る。きっとアタシ達が杞憂する出来事は、
その先に立った時に考えたって遅くはないはず。そう信じましょう。アナタが導きなさい。水縹の長として。』

 


一拍置いて、顔を上げた椛田の表情に迷いはなくなっていた。

 


『かしこました。元老院はお任せ下さい。必ず説き伏せてみせます。民をお願いいたします。神籬様が無事勤めを果たせますよう、お祈りいたしております。』

 

椛田はカメラの前で丁寧に頭を下げて、モニター通信が切れた。
そこで初めて瑛人は指を動かすのを止めて、両手をズボンのポケットに入れクイーンが映るモニターと向き合った。

 

「クイーン達が用意してくれた船を、降りようと思います。」
『巣立ちの時はいつも寂しいわね。』
「飛び上がる空はもうありませんがね。」
『立派になったわね、瑛人ちゃん。都羽子も喜んでるわ。』
「これから先の出来事は、無謀な賭けでしかありません。勝率など無いに等しい。それでも信じて付いてきてくれた家族のためにも、止まれません。」
『アナタが愛されてる証拠よ。アナタたちの絆の強さは、よく知ってる。最後ぐらい、好きに暴れなさい。アナタたちにはその資格も力もある。』
「今まで、ありがとうございました。」
『ご武運を。』

突如訪れた静寂に、瑛人はそっと息をつく。
数あるモニターが様々な情報を映し出し、代わる代わる情報を垂れ流す。
あちらこちらでアラームが発動し、寝ていたところを起こされた通信部や司令室の声が届くようになる。
顔の前に置いたモニターに、一通のメールが届く。
地上への避難計画はたった今決めたばかりだというのに、地上・日之郷の議長から了解の返信が来た。
通用口全てに御司守を配置し、緊急でこしらえた避難所に誘導してくれるそうだ。
子供の頃一度だけあった白髪の老人の顔が浮かぶ。

 


「茜音。」
「はい。」
「お前も避難の誘導にあたってくれ。ただし、体に異常が出たらすぐ報告しろ。綴守からは出ないように。」
「かしこまりました。」

丁寧にお辞儀をして、茜音が退室する。

 

「ずいぶん勝手ですね。自分たちで抑えきれなかった因果を、人間に後始末させるなんて。」

 

茜音がいなくなった部屋で、瑛人はそう吐き捨てた。
背後に現れた神は何も言わなかった。
頭だけ振り向くと、立派な男神だった。
頭の上にお団子を作っている髪は一部の乱れもない。
髪留めは金色で、重ねた着物は橙を基調にしており、帯締めの紐に繋がれた玉は翡翠。
髭はなく、背が高くたいそう立派な美丈夫である。
かつて呼ばれていた名を、瑛人はあえて呼ばなかった。
側に立つ神もまた、何かを告げるつもりはないらしい。


「俺は諦めませんよ。真人を犠牲になんてさせません。」


瑛人の言葉に、神は口を一文字に閉めたまま、しかし、重々しく頷いて、その場から消えた。

以前の自分なら、真人が消えた時点で絶望に支配され動けなかっただろう。
励ましてくれる兄にわがままを言って困らせたし、優しい妹に気を使わせただろう。
もう運命を嘆くのをやめた。
逃げないと決めた。
必ず迎えにいく。
強い決意は、しっかりと2本足で立たせてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 


沙希が裏門から綴守に入ると、1階廊下に十杜やエキが数体入り込んでいた。
実行部隊員が応戦しているので被害は問題なさそうだが、本来あり得ない光景である。
もう一つ異様な光景があった。
固く閉ざされているはずの正門が大きく開かれているのだ。
実行部隊が防壁となって守りながら、集民達が荷物を抱えて正門を超え外に出ていた。
工事用採掘車が入る以外であの門を開く理由は、一つだけ。沙希はその時が来たのだと門を見て察する。
瑛人が計画した大規模避難が始まったんだと、腹の上の方が苦しくなった。
瑛人が動いてるということは、すでに真人の身に何かが起きているんだ―――。
通信機が壊れてしまったため、まずは現場を仕切っているであろう考仁に携帯で電話を掛ける。

 


 「大事な時にごめんなさい。神使に足止めされてた。」
『繋がらなかったのはそういうことか。真人が神にさらわれた。』
「っ、・・・私を足止めしてきた時点で、そんな気はしてたの。でも、日付超えてなかったでしょ?」
『その通りだ。何かが起きている。もちろん、言い方向にだろう。予定通りまずは民を地上に逃がす。現場は任せろ。
沙希はイツキさんを探してくれないか。10分程前に結界が解かれ、十杜達が入ってくるようになった。
きっと何かが起きたんだ。』
「わかった。」

 


携帯をしまって走り出す。
集民は背後に迫る十杜に怯えながら早足で正門に向かい、隊員は集民に怪我をさせぬよう
集中し陣形を整えながら必死に声を出して誘導している。
このままなら無事地上まで行けるだろう。
問題は地震だ。また大きい地震が来て土砂崩れでも起きたら道が閉ざされ、
あらかじめ決められた避難道から逸れてしまう。
瑛人の計画書では、避難通路に注連縄であるイツキさんの結界を張る予定だったはず。作戦の要が崩れては困る。
民の避難は計画の序盤に過ぎないのだ。此処で手こずってる場合ではない。
まんまと足止めされた自分の不甲斐なさに腹が立って、奥歯を噛み締める。
神使は非常に強く、防御で手一杯だった。
何も出来ずにいたが、突然消えていなくなった。
慌てて綴守に戻ったが、すでに手遅れだったようだ。
綴守の廊下に設置してある時計は、まだ日付を超えていない。
時間はある。まだ残された希望があるなら、必ずすくい取る――。
地下へ続く扉から階段を辿り篠之留の研究室を覗いたが、彼も助手の高井の姿もなかった。
他の研究員の姿もないから、同じように避難したのだろう。
篠之留は役持ちなので瑛人と一緒に司令室にいるのかもしれない。
結界を張れない事態でも起きたのだろうか。
再び綴守1階に戻る。
実行部隊が前線を押し上げたおかげで十杜があらかた排除され進入口を塞いでいる。
順番に避難させている集民の数を増やしたのか、1階廊下にわらわらと集まり
押し合いながら正門を目指している。
皆不安そうな顔で、恐れられ崇められてい沙希がいても振り向きもしなかった。
階段は使えなさそうなので、高く飛び屋根や通路の手すりを伝いながら2階まで上った時、地震が始まった。
激しい縦揺れに、頭上から岩肌の破片が落ちてきた。
下から集民達が悲鳴を上げ、まだ廊下にいた焦った民が正門へと駆け出したせいで人が押され混乱が生まれる。
隊員が必死になだめるも、パニックは伝染する。人が転び、重なりあり悲鳴と怒号があちらこちらで湧き上がる。
せめて天井からの破片を細かくしようと沙希が粒子を飛ばそうと手を上げた時、2階の渡り廊下で座り込む金髪の男性が視界に入った。篠之留だ。
沙希は慌ててて彼の前に飛んだ。

 


「イツキさん!無事ですか?」

 


まだ揺れ続ける視界で、彼は顔を上げた。
外傷はみられないが、顔は水の中にいたのかと問いたくなるほど青くなっていた。
唇に生気はなく、丸眼鏡がない切れ長の瞳に、鋭さは感じられない。

 


「どうしたの、怪我した?」
「いや・・・平気。」


響き渡る悲鳴や怒号でかき消えそうなイツキの声を聞き取るため、片膝をつき、顔を寄せ覗き込む。

 


「イツキさん、今すぐ結界を張り直して。民を上に逃がさなきゃ。」
「ああ、そうだったよね。でも、ごめんよ。集中力、切れちゃってさ。」

 


いつもの口調でなんとか喋ろうとしているのだろうが、それが逆に違和感を強くしていた。
声に覇気ははなく、何かが起きたと明白に告げている。

 


「お願い。もう少し頑張って。真人が神にさらわれたの。急がなきゃ。民がいては予定が―」
「ごめん。本当にごめんよ・・・。もう、無理なんだ。」

 


縦揺れが少しだけ収まった。
まだ僅かに足裏に揺れがあるが、目の前の男が、あまりにも辛そうな顔をするので
沙希は現状を忘れてしまった。


「誠が・・・っ、崩れた棚の下敷きになったんだ・・・。
女の子を助けようとしたんだよ、あいつ。最後までお人好しだろ・・・?」

 


ああ、そうか。
沙希は結界が解けた意味を納得して肩の力を抜いた。
両膝をついて、真っ直ぐイツキに向き合う。

 

「もう結界を作れないんだよ。美也子も誠もいない世界を・・・俺は守れない。」
「そう。わかった。」

 


沙希は自分の額を、イツキの額に合わせて目を閉じた。
昔、母がそうしてくれていたように。

 


「注連縄を解くことを許しましょう、シノノメ。
私たち兄弟を育ててくれて。綴守という家を用意してくれて、本当にありがとう。
ゆっくり休んで、イツキさん。後は任せて下さい。」


最後にもう一度だけ小さく謝って、彼は安らかな表情を浮かべ瞳を閉じる。
体がどんどん透明になり、沙希の前から消えていった。
額に合わさっていた温もりが無くなり、沙希は瞼を開けながら、その場でぺたんと座り込んだ。
揺れはまだかすかに続いている。
足下からいまだ湧き上がる悲鳴と怒号、加えて十杜の泣き声。
それらが急に遠く、曖昧にぼやけ始める。
沙希は右手を挙げて、手の平を上に粒子を出してみた。
細かい石のような粒子は、いつもより減光していた。
主である真人と離れすぎているのだ。
手をぎゅっと握り、頭を更に下げる。
育ての親と言ってもいい篠之留の離脱は、沙希に深い傷を付けた。
刃物でぐっさいりと心臓を突き刺されたような痛みと、失望感。
いつもニヒルに笑いながらも兄弟を導いてくれた大切な存在。
両親を失った時、もう二度とこんな思いはしたくないと刀を振るい続けたはずなのに。
自分の不甲斐なさが更に追い打ちをかけ、背中から肩に掛けて重く重くのし掛かる。
急激に不安が胸に巣くう。
一滴の黒い染みが白い布に広がるように、じわじわと。
今までやってきたことは、本当に有効だったのだろうか。
そもそも、あがくことすら無駄だったのではないだろうか。
世界は終わるのだ。
神籬はシンに連れて行かれそして―
全て決まっていた。
自分たちは運命という絶対的なものに抗っていた。
蟻がコンクリートを運ぼうとつっこむ愚行さだ。
急に心細くなる。
地上にいる祖父母や叔母は無事だろうか。
最期ぐらい、血の繋がった家族と一緒にいさせてはくれないだろうか。
ずっと一緒だと誓ってくれた兄達の笑顔が浮かぶ。
沙希の背は更に曲がり、握りしめていた手を解いて、
減光し弱々しくなった粒子を眺めながら、体を蝕む絶望の囁きと戦い続けた。
また立ち上がれるようになるまで。

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