3弾目
「お前・・・、本当最低だな…。」
「褒めないでよ。」
「褒めてねぇ。軽蔑してるんだ。」
「ヤマトの今までの愚行に比べたら可愛いもんでしょ?それに、お財布アジトに忘れてきちゃったんだもの。」
「人の金で食ったクレープは美味かったか。」
「最高。やっぱり黒猫亭のクレープは世界一。」
「遠慮せず2つも平らげやがって。」
「マヒトさん、外見に似合わずよく食べるよね~。」
「イチゴとブルーベーリー、どっちも美味しそうだったんだ。僕には選べない。」
マヒト達三人は市内から旧市街にあるアジトへ向かっている最中だった。
マヒトの希望で立ち寄った、町で人気のクレープ屋で長居をしてしまい、ボウリングはしなかったものの、もう昼半ば。
旧市街地沿いの小道は静かで、午後の穏やかで眠たくなる程平和な時間が流れていた。
日向で昼寝をする猫と老人。どこかの家から漂ってくるパイの匂い。
路地の間に上手に張られた洗濯紐にぶら下がって、シャツが揺れている。
リセルという小さな田舎町は、マフィアの拠点があったりするが港の貿易は盛んで、商店は賑わってる。
マフィア達が睨みをきかせてくれているおかげで、一般人の治安も悪くない。
不良同士のいざこざはあれど、市民は安全に生きていた。
平和に、安全に、静かに――ーー
目の前を爆弾が横切った。
「ふざけんなっ!」
小さく短くヤマトが悪態をつき、彼らは近くに駐車してあった車の陰に隠れた。
爆音と、爆風が体の横をすり抜ける。
幸い、というべきか爆弾は小型で、車や周りの家々が吹っ飛ぶようなことはなかったが
石畳と、平穏な時間が壊された。
車のボンネット脇から顔をのぞかせると、車2台がギリギリすれ違えるだけの決して広くない小道の向こうに
服装年齢体格様々な男達が、武器を片手に立ちふさがっていた。
共通してるのは、みな黒いサングラスをかけているということと、敵意の全てをマヒト達少年に向けているということ。
「うわー…今時のギャングでもあんな恰好しないよね。」
「隊長だってグラサンだろうが。」
「タカヒトさんのはもっとお洒落でかっこいいよ。あんな安っぽくないし。」
群衆の中から一人、一歩前に出てきてライフル銃を肩に担いだ。
車の陰に隠れている少年達に聞こえるよう声を張り上げる。
「出てこいガキ共!俺らの身内をぶちのめした礼をしにきてやったぜ!」
あ、と声を漏らしてマヒトが手を打った。
ボンネットの陰から声だけでライフル銃を構えた男に答えた。
「もしかして、銀のスーツケースを運んでた人のお仲間ー?」
「そうだ!」
「あのおじさんをやったのは街の不良だよ。近くに倒れてたでしょー?派手な三人組。」
「その派手なガキ共起こして聞いてきたんだよ。」
「あー…。」
少し身を乗り出していたマヒトが大人しく体を元に戻して座り込む。
「自首して、ヤマト。」
「なんでだよ!」
「ヤマトが全員殴って気絶させたんじゃんか。」
「俺を馬鹿にしたのが悪い。」
「ならあのグラサン集団にそう言ってきてよ。」
少年達が反応しなくなったので、サングラスの男がまた喋り出す。
「仲間は家族。家族を傷つけた奴は全力でヤリにいく。それがたとえお前らみたいなガキ相手でもな。ってことで―」
ガチャリ、という金属音が聞こえ、三人はまた車の陰から身を乗り出し
各々、「あ、」「おっ」と短い声を漏らし頭を下げた。
何重も重なった銃声が響く。弾が地面や車をぶち抜いては耳障りな音を生み出し、家や地面の破片が頭上に降ってくる。
奴ら弾だけはたんまり用意しているようで、銃声は鳴りやむことなく発射され続けている。
車の屋根が吹っ飛びそうになってるのを確認したヤマトは
腰にぶら下げていた木刀で車の側面を叩き、その小さな体からは想像できない馬鹿力で車を半回転させてしまった。
「ヤマトくん。防壁としての面は増えたけど、ガソリンタンク狙い放題じゃない?」
「爆発して吹っ飛ぶ前にいい案考えやがれ。」
「無茶ぶりー。」
「このまま車の陰に隠れて逃げ―」
「ダメだよ。市街地は人が住んでるんだ。このまま僕たちが動けばあの人たちも追ってくる。」
先ほどまで緩んだ表情をしていたマヒトが真面目な顔で訴えてきたので
ヤマトもリョクエンも思考を切り替えた。
「チッ。市民を傷つけるのはガラッシアの御法度。シベリウスのじじぃが後でうるさそうだしな。」
「戦うの?僕、商売道具置いてきちゃったよ。」
リョクエンが何も持っていない両掌を広げて見せる。
「俺のベレッタ貸してやるよ。マヒトは?」
「イツキさんに直してもらったマテバだけ。」
「十分だ。」
「つっこむ?」
「ああ。援護しろ。」
車の間からヤマトが飛び出す。
銃口が彼を追いながら、遠慮無く発砲する。
身を低くしながら通りを左に走り、石畳を撃つ銃弾が足元に迫りながらもヤマトは男たちを双眸でしっかりと“観察”した。
見える数は15、後ろにも路地の合間にも隠れて、20はいる。
武器はサブマシンガン、ハンドガンと安物ばかり。被害をこの路地だけに留めれば、まあ上出来か――。
ヤマトは腰に差していた木刀を抜いて、柄の部分を握りスライドした。中にあった仕込み刃が弾発を弾いた。
木刀の中に隠してあった真剣が次々と弾を切り、マヒトとリョクエンが男たちの肩や銃を確実に射止めた。
援護のおかげでヤマト少年はあっという間に男たちの間合いに入り、拳銃を真っ二つにしていく。
狭い路地なので男たちの逃げる場所は後ろしかないが、前方はヤマトが、後方は二人がしとめる。
素晴らしいコンビネーションで数を半分にまで減らしたとき、奥の四つ角から敵の増員が現れた。
増員は皆銃を所持しており、ヤマトも物陰に隠れざる追えなくなり、さらにー
「ごめーんヤマト。弾切れたー。」
「ざけんな!まだ8発ぐらいしか撃ってねぇだろマヒト!」
「イツキさんに預けてたから予備弾倉持ってこなかった。」
「テメーがコッチきて俺の弾除けになりやがれ…!」
銃撃が激しさを増し、二人が防壁として使っている車はすでに穴だらけ。
車が爆発しないのは、敵がこの狭い路地で爆発を起こせばどうなるかわかっているからにすぎない。
ヤマトが隠れた建物の石壁も削られ続け穴が開きそうだ。
強行突破しようものなら風通しのいい体になる。
ヤマトが隠れている道から逃げられるが、今この場を離れれば二人が危ない。
自分が此処にいれば、二人に銃口も追手も集中しないはずだ。
ヤマトが下唇を噛んだ時、
「面倒くさいことになってんじゃねーよ、クインタ共。」
ヤマトが路地から顔を出し、マヒトとリョクエンが振り返る。
ヤマトと似たような体格の、小柄で灰色髪の少年が、コンパクトサイズの拳銃を腰のホルダーから抜き両手で構えた。
右と左交互に引き金を引き、的確に敵の銃を落としていく。小さな弾は針で刺されたような痛みがあるのか
着弾された男達は一様に悲鳴を上げる。
装填数が尽きるとあっさり両方の拳銃を地面に捨て、今度は胸元のホルダーから銃を二丁取り出し、また交互に引き金を引く。
手前にいた男たちは手元や足を狙われ次々倒れていく。
しかし灰色髪の彼は、両手に収めた銃で発砲しながら不服そうに呟いた。
「やっぱり距離がいまいちだなコレ…。リオン、奥は頼んだ。」
「任せてハイジ。」
頭上から別の声がした。
気配を察知してリョクエンが顔を上げると、空からスナイパーライフルが一丁降ってきた。
慌ててそれを掴む。
「リョクエンくん、それ使って。」
「ありがとう!」
金髪の青年が軽業師のような身軽な動きで壁を伝い、建物二階部分のベランダの手すりを器用に渡りながら、男達の真上に飛び降りた。
手にしていた短い棒のようなもので、踊るように彼らを気絶させていく。
その隙にリョクエンも得意の狙撃で確実に数を減らし、灰色髪の少年も次々銃を取り換えながら狙撃する。
どれもディフェンダーサイズの小銃なのだが、手品みたいに服の間から現れるのだ。
スーツの中、ズボンの中、袖の中、などなど。
数が減ったためヤマトも物陰から飛び出て参戦し、
武装していたはずの男たちは、たった5分ほどで少年5人に制圧されてしまったのだった。
そこに立っているのはスーツを着た少年達だけ。
「お前はなんの仕事もしてないって、アキトさんに報告するかんな。」
「う、うるさい…。」
車の陰から立ち上がったマヒトは、灰色髪の少年に歩み寄った。
彼と、壁を伝っていた金髪の美青年もガラッシアの一員であり、黒いスーツを身にまとっている。
マヒト達のグループはクインタ(五番目)で、ハイジとリオンはノーナ(九番目)である。
「助かったよハイジ君。」
「ここは俺らの管轄。面倒ごとなら自分らの管轄でやって。」
ハイジという名の少年は、心底迷惑そうに、心底面倒くさそうに吐いた。
ちなみにハイジは背は小さいが、マヒトと同い年である。
「ヤマトのせいなんだけど、変な因縁つけられちゃって。」
「またヤマトか。」
「またってなんだよ。」
「子供相手にこんなド派手な報復もどうかと思うけどさ、君たちのボスがシベリウスに呼び出しくらってる時に
こんなことしてていいわけ?」
「アキ兄からまた何も聞いてないんだ。兄さんがすぐ指示を出してこないってことは、僕たちはまだ動くなってことだろうし。」
「…ま、どうでもいいけど。」
リョクエンと金髪の美青年ーハイジの相棒でリオン―が男を一人引きずりながらやってきた。
出血はしてないようだが、打撃をくらったようでもがく姿もぎこちない。
襟元を掴まれた男の目線に合わせるために、ヤマトがしゃがんだ。
「で?たかがガキ3人のために大勢で歓迎してくれるような組織の名前は?
俺らのこと知らないみたいだが、敵に回せばもうこの街にはー」
「知ってる。ガラッシアが飼ってるガキ共だろ。」
「なんだ、知ってんのかよ。だったらなぜ狙ってきた。お仲間を一人殴ったぐらいでこんな大ごとを起こそうなんて、
よほど馬鹿なのか、お前ら?」
かなり歳の離れた子供に見下され馬鹿にされる屈辱にも、男は下唇を噛むだけで反論したり激高する様子はなかった。
まだ、冷静さを失っていないようだ。
たかが子供ではない、ガラッシアの子だ。歯向かえば自分の身だけではなく家族も危なくなると理解している。
「この街にはマフィアがいて、あんたらと仲がいいってもの知ってらぁ。
だがよ、仲間の恨みは必ず晴らす。家族の復讐は必ず遂行する。それが俺たちジュメッリだ。」
ヤマトは後ろを振り返り、今聞き出した名を知っているか、と視線で仲間に問いかけたが、全員首を横に振った。
男は続ける。
「仲間を大勢失い、家を失い街を追い出された…。関係ない身内までやられた奴らも大勢いる。
この恨み晴らすためなら、マフィアに睨まれようが噛み付いてやると決めてこの街にきた。」
「お、おい待て…なんの話だ。俺が殴ったのはおっさん一人だぞ。」
「お前らは知らなくてもお前らのリーダーは知っているはずだ。
数年前、カモッラにまで上り詰めた俺たちジュメッリを壊滅寸前に追いやったのは、
アキトって若造なんだからな。必ず…必ずあの野郎の首をとる。そう誓ってこの町に来た。」
皆一斉にマヒトの顔を見た。
元々大きめだった瞳をさらに大きくして、呼吸すら一瞬止めて、彼は硬直していた。
*
ロード伯爵の舞踏会が開かれたのは、夜が始まって3時間も経った頃だった。
首都に近いこの街を収める伯爵は不定期ながら豪勢なパーティーを開き客人を招くのが趣味で
世界各地から取り寄せた高級食材を使った料理に、一流の音楽家を呼んで自身の権力を見せびらかし客人から賞賛をもらう。
つまり、自己顕示欲を果たすためだけの場だった。
毎度趣向を凝らすパーティーであったが、今夜は一際おかしな様相であった。
仮面舞踏会である。
皆思い思いの仮面を付け、女性陣は中世さながらの派手なドレスを纏っている。
これでは誰が誰かわからなかったが、アキトにとっては好都合であった。
ウェイターから受け取ったウェルカムシャンパンを指先で弄びながら、会場をゆっくり観察する。
会場は人で埋め尽くされ、料理が並んだ丸テーブルが規則的に並んでいる。
頭上には眩しすぎるシャンデリアが3つ。輝くあれはダイヤなのだろうか。別段興味はない。
左手はベランダに出るためガラス窓が並んでおり、更に中庭に降りられるはずだ。
きっと中庭もやたら金をかけて改装しているに違いない。やはり興味はないが。
会場の奥にある人込みを凝視する。幸い、仮面のお陰で一点を熱心に見つめていても不審がられることはない。
ドレスやスーツの塊の中に、背の低いかなり肥えた男の姿が見えた。
グレーのストライプスーツと一見地味な装いではあるが、指や手首に光るものに嫌でも気づく。
仮面の装飾が明かりを反射して輝いているということは、仮面にも宝石を使っているのだろう。
彼こそロード伯爵だ。
客人相手に熱心に何かを語っており、客人もさも興味がある体を装って聞き入っている。
寒々しい芝居が渦巻いた空間から目線を反らし、シャンパンを飲む。
『…ポイントについたぞ。』
耳につけていた小型イヤホンから声がした。
自然なそぶりでベランダの方を向き、バレぬよう口を動かす。
「タカヒトもこっちくればよかったのに。外は寒いでしょ?」
『人込みは好かん。男二人で舞踏会のほうが寒い。』
「マヒト連れてきたかったなー。あいつの好物ばかりだ。女装して仮面つければ絶対大丈夫だ。可愛いから。」
『ブラコンもいい加減にしとけ。マヒトを寄せ付けたくないから内緒で潜入したんだろうが。』
「ここは血の匂いがするからね…。ターゲットは俺が見張ってるから、潜入経路確保よろしく頼むよ。」
『また連絡する。』
通信が途絶えた。
シャンパンを口にしながら振り返る。伯爵とその周りは相変わらずお世辞と薄い自慢話に熱心だ。
さて。
適当に料理をつまみ、適当に女性と踊って時間を潰さねば。ただ立っているだけの招待客は悪目立ちしてしまう。
前回の時のように女性と親しくし過ぎると、後々面倒だがー…。
「こんばんわ。」
声をかけられた。
質素な白い仮面をつけた若い男だった。仮面をかぶっているので当然顔はわからないのだが
ミルクティ色の艶のある髪や出で立ちから、そこそこ身分が高い若者だと思う。
シャンパンを持つ姿も様になっているが、輪郭にやや幼さが残っているので、自分より年上ということは無いだろうと読んでみる。
彼は仮面と同じ白い軍服のような格好で仮装していた。
「こんばんわ、いいパーティーですね。」
アキトも彼の気品に負けぬよう、知り合いから叩き込まれた礼儀作法で答える。
「見たところお一人のようでしたので、声を掛けさせていただきました。」
「父が急な仕事で出席できなくなってしまいまして、突然呼ばれた次第ですよ。
せっかくの伯爵からの招待ですから、穴を空けるわけにはいきません。
私自身、一度この舞踏会に参加してみたいと思っていたところでしたので。」
「そうですか。私は姉と参りましたが、」
青年が会場の一角を指さす。
同じように白い仮面、白いドレスを着た女性が、煌びやかな男たちに囲まれていた。
どうやら連れの女性と合わせてコスプレをしてきたようだ。
「あのようにパートナーを探すのに夢中でして、一人寂しくしておりました。」
「お仲間ですね。私はミルコ・クッカリーニ。」
「もしや、ライオネルにあるクッカリーニ商会のご子息で?」
「そうです。」
「これは驚いた。商会の話はいろんなところで耳にしますよ。」
「父が昔から顔が広かったというだけです。うちは周りに支えられここまできたようなものですから。」
「ご謙遜を。」
口から出る言葉は全て嘘であり、名も偽名であるが、商会もブラッディマリーが持ってる店の一つで実在する。
潜入捜査の際に息子の名前を借りている。タダではないのだが。
「お会いできて幸栄です、クッカリーニさん。」
「ミルコ、とお呼びください。えっと…」
「これは申し遅れました。アンジェロ・ヤコピーニです。少しの間で構いません、話し相手になっていただけたら嬉しいです。」
「是非。」
差し出された手を取って、握手をした。
室内にいて、首元まで閉じた服を着ているのに、その手の冷たさに驚いたのだった。
*
夜も大分更け、仮面舞踏会に招かれた酔っぱらった客人たちもさすがに眠りに落ちた頃。
か細い三日月が西へ行進を続け、星空が寒々と光り輝く下で肥えた中年男性が中庭に倒れていた。
もう息はない。
この世のすべてに絶望したような醜い死に顔は皺に影が落ちたせいで青白く際立ち気味が悪かった。
死体―先ほどまで仮面舞踏会を満喫していたはずのロード侯爵ーの傍らに立つアキトは
なんの表情も宿していない顔で、足元に転がったソレを見下ろしていた。
軽蔑でも不快感もない、その瞳は無であった。
そこはロード侯爵邸の南側にある裏庭の一角で、石灰石で埋め尽くされた廊下が折れながら走っており
花壇と、丸く整えられた植木が並ぶ、質素ではあるが美しい庭であった。
贅沢の限りを尽くした傲慢な主人が作ったとは信じがたい庭で、主人は死んだ。
「実に見事な御手前だったね、アキトちゃん。」
冷えた空気を割って入ってきた明 るい声に、瞳だけ動かした。
月の冷たい明かりを受けて気味悪く光る石灰石の廊下。当然そこに誰もいない。
しかし、折れた角にある影に声の主がいると、アキトにはすぐにわかった。
「出血もなし、外傷も作らず、痕跡も全く残してない。暗殺者向きなんじゃない?」
「スカウトかい?俺が君の仕事全部取ってしまうよ?」
「おっと。それはよろしくないね。」
やっと頭を少し動かしたアキトは、影から目線を外し短く息を吐いた。
無意識に全身に走らせていた力を抜くと、彼に表情が戻った。安堵が走るリラックスした表情だ。
彼らしいようで、今の場面には似つかわしくないほど穏やかな顔。
「侯爵含め、招待客56名中32名を永遠におやすみさせるとはね。」
「自業自得さ。リセルを 汚す輩はこの街にいらない。」
「ガラッシアもマフィア並みに恐ろしいね」
「苦しまずに死ねただけ優しいだろう。本当の恐怖は生きてなきゃ味わえない。
ここを牛耳るマフィアのやり方よりずっと優しいと思うけど。」
「そんなこと言って、マヒトちゃんには絶対その仕事させないくせに。」
影に潜んでいた声は、自分の失言を心底悔いた。
月夜の下に立つ青年の双眸が、警戒を通り越した殺意の色でこちらを向いてくるもんだから、
あらゆるピンチや命の危機を経験した彼でさえ、心臓が震え息を詰まらせた。
睨むでも、怒るでもない。
敵意、否。静かな、とても凪いだ宣言だ。
お前は今、殺されるぞ?という、死亡勧告。
「ごめん…。今その名前を言ったのは軽率だった。」
「俺こそすまない。ちょっと気が立っていたんだ。」
男は肩の力を抜いた。
力を抜いたことで、指先が震えていたのに気づき、ぎゅっと握りしめる。
「後処理は任せたよ。」
「ああ、任された。その為に呼ばれたんだ。給料分はきっちりやるよ。ところで、グラサン兄貴はどうした?見なかったが。」
「ボスの仕事を代わりにやってもらってる。」
「こっちはついでか。」
「そ。最近そっちのほうが忙しくてね。可愛い弟と二日も会えてない。」
二日でこの苛立ち具合か。
ブラコンも恐ろしい。
「なあユタカ」
「なんだい?」
「こないだ持ってきてくれたグラタンパイとピッツァ、あとあの四角いケーキ、また頼むよ。」
「カッシュ苺のやつ?」
「そう。俺のディアが好きなんだ。グラタンパイは兄の方が好きで。お代は請求してくれていい。」
「相当お疲れのようだな…。わかった、すぐ取り寄せる。」
「ありがとう。」
アキトは手にしていた暗器をさっと袖の下に隠し、庭を突っ切って去ってしまった。
影の中にいた人物もその背中を見送っていたが、やがて完全に消えてしまった。
――――その会合を、二階の渡り廊下から見下ろしていた人物は
思わぬ収穫に口角を面白いぐらい釣りあげて、笑みを作った。
ひどく残忍な笑顔だった。
*
リセル街の北西にあるコンテナ置き場にいたタカヒトは、錆びたコンテナに背を預けながら冷えた三日月を見上げてい た。
世界が急に、二段階明度を増して、弱いはずの月明りでさえ眩しくて目を一瞬細めた。
「一人で乙に浸って月見とは、あなたも随分普通になったのね。」
タカヒトの顔からサングラスと取り上げた人物は、コンテナの上で優雅に座りながら、サングラスを手悪さしてほほ笑んでいた。
「返せ…。」
「可愛い弟達からの贈り物だから?ねえ、私があげたネクタイピンは大事にしてくれてる?」
「捨てたに決まっているだろう。」
コンテナから数歩離れ、どこかあざ笑うように見下ろしてくる女性を軽く睨みつける。
しかし、眉間の間の嫌悪と共存する戸惑いを読み取られ、女は声を出して柔らかく笑った。
まるでタカヒトを手玉にとっていると確信しているような笑いだ った。
港から吹く微風が肩の上でそろえられた茶色の髪を揺らすのでさえ、タカヒトの心は乱された。
かつて心から愛した女は、裏切りによって絶望の底までタカヒトを叩きつけたスパイ。
今は隣町の組織に雇われていると聞いたが、それも確かではない。
風のように、するりと身を翻しどこへだって行ってしまうのだ、この女は。
「ここを見張っていたって、妖精さんは捕まえられないわよ。」
「お前も狙ってるのか。」
「まさか。ピングイーノとは関わりたくないもの。」
「どうだかな。」
「信用ないわね。まあ、無理もないけど。」
「いいから、返せ。フウコ。」
「その名前、本名じゃないわよ。」
「…知っている。他の名を知らん。」
女はサングラスを自分の額にかけて、やや肩を上げ孝仁を見下ろした。
「こんなとこで遊んでていいの?」
「アキトの言いつけは絶対だ。」
「あなたを血生臭い現場から外したかっただけじゃないのかしら。今アキトさんが何をしているか、知らないわけじゃないでしょ?」
無言を肯定と受け取って、フウコは少しだけ笑みを弱めた。
「義兄弟が大切なら、側にいた方がいいわよ。」
「アキトは足を残すようなヘマはしない。」
「ロード侯爵のことでも、ピングイーノでもなくて。
この街に入ってきたジュメッリっていうチンピラたちがアキトさんを狙って探しているわよ。」
「聞いたことない名だな。」
「数年前、とある街でカモッラ寸前にまで出世した組織よ。荒々しいガラッシアって感じかしら。
仲間を大勢殺された恨みを晴らそうと躍起になってるみたい。」
「それとアキトにどう関係がある。」
「あなたは本当に成長しないわね。愛する隣人が見せる顔が全てではないと思い知ったんじゃなかったの?」
「お前とアキトを一緒にするな。」
「忠告のし甲斐があること。」
「第一、お前の言葉を信用するわけないだろ。俺を惑わせて今度はどうするつもりだ。」
「もうあなたを騙しても私に得は無いわよ。ただの忠犬となった貴方には、もう騙す価値もない。」
女は軽やかにコンテナから舞い降りて、わずかな音だけで着地する。
髪の隙間から覗く赤い唇に、昔の感情が嫌でも呼び起こされてしまう。
「この街に嫌な気配が集まって、線は複雑に絡まってる。アキトさんがその糸に捕らわれないよう、守ってあげて。」
「言われずとも。弟達だけが、俺のすべてだ。」
「そうね…。あなたは昔から、私よりも―…。」
いきなり投げつけられたサングラスの軌道を目で追った一瞬の隙に、フウコはその場からいなくなっていた。
一人に戻った途端、押し寄せる静寂と月明りの冷たさに、サングラスを握る指に少し力を込めた。