♥♦♠♣10
時間は少し遡り
マヒト達新生ハーティアがクラブの居住城に侵入を試みていた時間。
アオガミことタカヒトは裏道を巧みに使い、誰にも姿を見られることなく<ブルーソード>居住区に辿り着いた。
居住区の外は火薬と血の匂い、野次と怒号が混ざりあい戦場に慣れた彼でさえ気分が悪くなった程だった。
ハートの内乱を発端としたスートの混乱が起きて6日といったところか。
そろそろ死体が臭ってくる。
今だ勢いが衰えないダイヤの猛攻と崩れぬスペードの防壁問題は置いておいて、司令室に急ぐ。
早く戻らねば、新しい主がヘソを曲げてしまう。
一般市民は決して知らない裏通路や排気口をネズミを驚かせながら中心部へ辿り、目的の部屋を見つけ天井から一気に下りた。
モニターの灯りしかない薄暗く狭いそこは、パソコン類しかなく、飾りも何もない四角い部屋に、白髪の老人がいた。
音も無く上からやって来た気配に気づき、振り向く。
「随分変わった場所から来たもんだな。」
「俺はもう別スートの人間だからな。」
「堂々と侵入すればよかろう。今はお前さんに構ってくれる奴はおらんじゃろう。」
老人の横に並び、同じように浮かぶモニターを見上げた。
映し出されるのは、<ブルーソード>を囲む分厚い防壁。
壁を壊そうとドリルを握るダイヤと、壁の上で侵入者を叩く<スペードの10>トキヤ。
「アイツは相変わらずだな。」
「日頃の鬱憤を晴らせて楽しいんだろ。」
「あの防壁、いつ仕込んだ?」
「わしがまだ司令をやっておった時だ。万が一を想定し埋めておいた。まさか使う日がくるとは、皮肉なもんだ。で、何しに来た?」
杖に手を置いた老人は、横目でタカヒトを伺う。
背丈はどう見たってタカヒトの方が高いのに、背筋が真っ直ぐ伸び漂う威厳が老人を大きく見せる。
「新しい主からの気遣いでな、じいさんに別れの挨拶してこいと。」
「ハッハッハ!それは傑作だ!」
「仕方なく来ただけだ・・・。俺がどうなろうと、じいさんは気にしないと言ったんだが。」
老人―前<ブルーソード>司令官シベリウスは、再びモニターに目を戻す。
その人徳と高い知性、統率力は彼の右に出る者はおらず、全スート統一も可能と言われていたのに、
数年前突然引退してしまい妻と一般人として過ごしていた。
だが、今回の事態を重く見た上層部が彼を呼び戻し、<スペードのキング>として一時復帰をさせた。
引退後もその手腕衰えず、スペードは6日経った今もダイヤの侵入を許していない。
「ダイヤの連中は総合力は弱い。攻撃特化のリセル所持者はおらず、召喚士もいない。
ただ、団結力と忠誠心は<ブルーソード>をしのぐ。
怪我人は増える一方だ。時期不利な状況に陥る。」
「珍しく弱気じゃないか。」
「策は全て講じてある。だがわしが出来るのはそこまで。シガウラが抑えてはおるが、スペード内の不満や不安、憤りは増す一方だ。
分かりやすくわしの命令を聞かないトキヤが一番元気だ。」
赤い柄の湾曲した剣―刀を振り回すミルクティ色の髪をした青年はイキイキとダイヤの野蛮な連中と、
まるでダンスをしているかのように跳ね回っている。
「わしは安心しておる。タカヒト。」
サングラス越しに、モニターを見上げるシベリウスの横顔を見る。
「道具として育てられたお前さんに、わしは魂を入れてやれなかった。ただ指示されて動く人形と変わりない。」
「・・・。」
「今のお前の顔をみて心底安堵した・・・。新しい主とやらは、眠っていた魂を呼び起こしてくれたようだな。
その顔をトキノにも見せてやりたいようだ。」
「そんなに変わったか?」
「自覚は無いのか。いや・・・やがて訪れよう。」
モニターの中で、爆発が起きた。誰かが手榴弾でも放ったのだろう。
室内は静かで振動も届かない。
この旧司令室がスペードの最上階にあるからかもしれない。
煙幕が止む。
防壁にヒビが入っていた。
「雨は石をもうがつ・・・。さあ戻れ、タカヒト。挨拶はすんだろ。」
「大丈夫なのか、あれ。」
「ほお。わしに向かって随分な物言いじゃないか。このシベリウスに。」
「ばあさんがあの連中みたら即倒するぞ。箱入りで育ったんだ。」
「トキノは守もる。お前は主を、新たな拠り所を守れ。男にはそれぞれ守るべきものがある。」
「ああ。」
「わしもトキノも、お前が裏切ったなんて思っとらんよ。裏切りがあるとすれば、お前の行動に喜ぶわしらの心だ。」
「世話になった。」
「達者でな。」
シベリウスに背を向け、天井ではなく部屋の扉に向かう。
「おっと、忘れるところじゃった。新しい主とやらに伝えろ。“ヘミフィアの剣は女王が守っておる”とな」
「なんのことだ。」
「時期にわかる。」
今度こそシベリウスに無言の別れを告げ旧司令室を出た。
等感覚で並ぶ天井の白熱灯から放たれる冷たく弱々しい明かりを受けながら、小走りに廊下を走り抜ける。
この通路をしばらく辿り、突き当たりを右折し、再び通気口に戻ればまた裏道に入れる。
スペードの連中に見つかることなく用事が終えられたのは<ダイヤ>の連中に感謝しなければならない。
ふと、脳裏にマヒトの顔が浮かぶ。
年齢の割に幼い主は今頃心配して部屋をぐるぐる回っているころだ。早く戻り、「遅い」などの小言を回避しなければ。
いや、早く帰っても何かしら文句を言われそうだ。
頬を膨らましながら怒る新しい主の姿を想像して、彼の口角は自然と上がっていた。
笑うなど、今まで知らなかった。
自分の変化に自分で驚きながらも、先程シベリウスに言われた台詞に納得し、安堵する。
自分はやっと、魂を得て、人になれたのだ――――。
「青髪の死神と呼ばれたヤツが、随分ふぬけた顔をしてるじゃない。」
声がしたと気付いた時には遅かった。
一瞬の内に体を半透明な何かに包まれた。
水だ。
歪んだ景色の向こうに、二人の人影が見える。
「驚いた。あのアオガミさんを捕まえられるなんて。」
「だってソウタ、今の彼隙だらけじゃん。新しいスートで彼女でも出来たかね~。」
クスクスと笑う金髪の男を睨むことも出来ず、巨大水球に捕まったタカヒトは酸素を奪われ意識を奪われた。
これでは帰るのが遅くなってしまう。
小言どころか、新しい主を泣かせてしまうではないか―――
初めて出来た大切な弟の泣き顔は、見たくはないものだ。
*
「―――ので、<ダイヤのエース>様は<ハートの5>へ役が移りました。次回ゲームからのご活躍期待しております。」
チョッキに蝶ネクタイをした巨大な白猫は深々とお辞儀をして姿を消した。
<ジョーカー>からの通信を目を瞑って聞いていたアキト・アイザーはゆっくりと瞼を開き、視力のない目で前を向いた。
「結局、私までお世話になることになってしまいました・・・。改めまして、よろしくお願いいたします。」
「固いな~アキト。」
腕組みをして壁に寄りかかっていたグラス―マコトが茶化すような口調で言った。
ハートの談話室で、新メンバーアキトの車椅子を囲むように一同大集合していたため、笑いが起こる。
「そうだよ、僕らはもう仲間だ。敬語必要ないからね?」
「ですが、マヒト様・・・」
「それ止めてって!僕、もう皇子じゃないし。あ、そうだ。マコト兄さんみたいに兄さんって呼んでいい?」
「恐れ多いです。」
「呼ばせてやりなよ。<ジョーカー>に世界をぐちゃぐちゃにされる前は本当に兄弟みたいなもんだったんだ・・・。
俺の事も王子とか呼んだら許さないから。」
目は見えずとも、グラスの物言わせぬ笑みを感じとったのか、車椅子の青年は諦めのため息を溢して肩の力を抜いた。
「わかりました。負けましたよ。アイザーとして過ごしたままでいることにしよう。」
白目のまま力無く白旗代わりに微笑むと、モモナが歓喜の声を上げて車椅子に近付いた。
その目にうっすら涙が溜まっていたが、笑うことで気付かぬことにした。
さらにその場に二体の召喚生物が現れいきなり喧嘩を始めたので、談話室が和気あいあいとした雰囲気に包まれる。
グラスは腕組みを解き、そっと談話室から出た。
談話室と違いコンクリート造りの居住棟はひんやりと冷たく空気が止まってしまっている感じがする。
少し廊下を歩き、手摺に寄りかかる。
「お前もそんな顔をするんだな。」
「・・・どんな顔さ。」
「困惑。」
気配なく現れたクガが隣に並び、棟の中央を川のように分断する溝を見下ろす。
グラスも同じように視線を下に落としながら、指を重ねた。祈るように。
「いきなり真実を聞かされてもねー・・・。かみ砕けないというか。」
「頭の良さを自慢してたのはどこのどいつだ。」
「頭では理解してる。誰よりマヒトの言うことだ。全て信じるが、そうじゃなく・・・」
珍しく歯切れの悪いナビゲーターを横目で伺う。
どんなときも冷静沈着で、頭にくるぐらい余裕ぶった態度を取るスートのトップの姿は、見る影もない。
「僕の真名はマコト・ツヴァイ・タウ・クルノア。真名を取り戻すというのはかなり重要な意味を持ってたらしくてさ、
今までの記憶が少しずつ蘇る度に、この世界での思い出と詛齬が生じてるみたいなんだよね。
特に僕は<ジョーカー>に都合よく偽の記憶を植え付けられてたからね。」
「・・・。」
「何さ。何か言いたげだね。」
背筋を伸ばしたまま腕組みをしたクガを半分睨みながら下から伺う。
「なら言わせてもらうが・・・。記憶の混乱ぐらいで悩むタマじゃないだろ、アンタ。」
「嫌味?認めてくれてる、と喜ぶべきかい?」
「さあな。」
「冷たいんだか優しいんだか・・・。」
手摺の上で頬杖をつき再度視線を遠くに飛ばす。
「僕には兄さんがいる。今は<ブルーソード>に所属してて、僕の記憶部分は綺麗に消えてる。
世界線を変えてしまった罪があったから、兄さんと離れ離れになったのは罰だと思って、受け入れてた。罪が偽りなら、罰は発生しない。」
「<ブルーソード>に行けばいい。なんなら兄を連れ込め。」
「違うんだよ、タツロウ・・・違うんだ。今、兄さんには――――」
「グラス様、至急お越し下さい。<ジョーカー>からの通信が入りました。」
後ろから駆け足でやってきたアカネの言葉に、二人は瞬時に体を反転させ三階の通信室へ駆け出した。
グラスが慌ただしく扉を跳ね開け、電気も着けずに点滅を繰り返している赤いボタンを押した。
モニターに文字の羅列が走る。
「ゲームの案内状・・・?」
「ブザーは鳴らなかったぞ。」
「ああ・・・。フランソワーズ、君は談話室いたはずだ。」
「クラブ様方との定期連絡のお時間でしたので。」
「ああ、そうだった。」
コンピューター用の椅子に座りグラスが文字を追う。
「<ジョーカー>め・・・。」
「どうした。」
「ここにきてルール変更だよ。・・・役持ちの全員参加の義務、これ以降のゲームはクラウンシークであること、
最悪なのは・・・殺人の公認。気分悪い!」
悪態をつきキーボードを叩く。
と、緑色の通信ランプが点滅した。
緑ボタンを押すと、モニターに黒髪の少女の姿が現れた。
「グラス様、<ジョーカー>からの通達はお読みに?」
「たった今ね。おかげで気分最悪だよ。」
「全くです。」
「どうする?本物サキちゃん掘り起こし作戦やる?」
「その件をお話しようと思ってました。クラブは、いえ・・・私は是非ご協力をお願いしたいです。
恐らく<ジョーカー>はマヒト殿下の記憶が戻りつつあるのに気付いたのだと思います。」
無表情の少女は、かすかに柳眉を歪め、椅子の手摺を掴む指が白くなる。
「申し訳ありません。真実を伝えるのが早すぎたのやもしれません。」
「遅いぐらいさ。俺もマヒトも感謝してるよ?<ジョーカー>なんかにいいように利用されてるのも癪だし。」
「ありがとうございます。」
「次のゲームは明日だ。ゲームの猶予が一日になったのは有難い。こちらで作戦を立て三時間後連絡する。」
「了解しました。」
モニターの電源を切る。
静かになった薄暗い世界で、グラスは背もたれにもたれかかりながら顎に手を当てた。
機材の僅かな明かりだけが彼の顔半分を浮かび上がらせる。
「フランソワーズ、オニキスに連絡を取れるか。」
「可能です。」
「<ブルーソード>を探りアオガミことタカヒト君の行方を探し、連れ出せなくとも三時間後には戻るよう指示してくれ。」
「かしこまりました。」
「全員参加、というやつか。」
クガがボソッと溢す。
グラスの向かいに立っているので、左目に走る傷が際立って見える。
「彼は確実にトラブルに巻き込まれてる。」
「古巣の人間に協力してるだけじゃないのか?」
「マヒトはそう思いたいだろうけど、違うね。タカヒト君は兵士タイプの人間だ。忠誠を誓った主の命令だけに忠実。
まさに騎士<ナイト>。その辺りは暗殺部隊にいた教えがあるんだろう。
今の主はマヒトだ。彼は育ての親に挨拶を終え、余計な事をせず帰還するはず・・・。」
「スペードに戻った、とかではないだろうな。」
「所属が動けば<ジョーカー>が知らせてくる。奴らルールには絶対だから。」
顎に手を置いたまま、グラスはフランソワーズを見た。
「この話はマヒトには伏せてくれ。イタズラに不安にさせたくない。」
「はい。」
グラスは立ち上がった。
「さて、まずは作戦会議だ。タカヒト君の件はオニキスが戻ってからにしよう。」
二人は頷き、通信室を出る司令塔に続く。
オニキスに連絡を取りに行ったアカネを除き談話室に戻ると、アキトを囲んでお茶会の真っ最中だった。
紅茶の匂いが漂い、テーブルいっぱいにクッキーなどのお菓子が並んでいた。
モモナの向かいにいるマヒトの後ろに火竜の召喚獣ユタカがおり、部屋の隅には見慣れぬ白い布を纏った美しい女性が立っていた。
肌も髪も白く、切長の瞳はこの穏やかな空間を拒絶してるように見える。
グラスに気付いたマヒトが顔を向けて花のように鮮やかな笑みを向けた。
「どこ行ってたんだよマコト兄さん!」
グラスは肩の力を抜いて、緩む頬を隠さずマヒトの隣に座った。
今までどんな堅苦しい話をし、非道な考えを講じていても、あの笑顔を見るだけで一瞬で緊張が解けてしまうのだ。
クガはモモナの隣に座り、グラスがマヒトの髪を撫でながら白い女性を見た。
「彼女が氷の女王様かい?アキト。」
「はい。雪籠女、ご挨拶を。」
壁に寄り添ってピクリとも動かなかった女が、アキトに言われ素直にテーブルの側に寄ると、グラスに頭を下げた。
「氷の召喚鬼、雪籠女にございます。我が主様がお使えしていたお方なら、妾にも主様。なんなりとお使い下さい。」
「あははー。そんな堅苦しくならなくていいよ。よろしくね~。」
手をヒラヒラさせて挨拶すると、彼女はまた壁の側に戻ってしまった。
「人見知りかい?」
「すいません。あまり他人と接してこなかったもので。」
「アカネは?」
チョコレートをつまみながらマヒトが問う。
「オニキスを呼んでもらってる。素敵なお茶会を中断させるようで心苦しいんだけどね・・・<ジョーカー>から次のゲームの通知が来た。」
一同の空気が鋭く変わった。
表情を引き締めたマヒト。
「ブザーはなかった。」
「今回から、通知は一日前に通信機へのメールになった。他にもルール変更がある。
次回から役持ちの全員参加、おまけにクラウンシーク、プレーヤー同士の命のやり取りの公認。」
モモナが息を呑み口元に手を当てた。
見るからにショックを受けた顔だ。
「ここに来てのルール変更、ですか。<ジョーカー>は焦りだしたのでしょうか。」
眉を寄せながらも、冷静にアキトが発言する。
「僕もそう思う。ハートの新設をしてしまったわりに、ダイヤが期待に外れにも他スートを侵略出来ずにいるせいでスートは4つのまま。
奴らの、もしくは奴の目的がスートの一本化なら、そろそろ事態を動かしたいだろうね。
なにせ、最大の敵である我等の皇子様は真名と記憶を取り戻しちゃったんだから。」
マヒトを見ると、視線を少し下げたままで難しい顔をしながら何か考えてるらしかった。
グラスが続ける。
「とにかく、僕達は次回ゲームでクラブとの共同作戦を決行する。異議は?」
メンバーを見渡す。
異議は無かった。
「よし。じゃ作戦伝達ね。ひとまず全員で宝を探し、オニキスとモモナちゃんで宝を他チームから守り続けてくれ。
誰かが宝に触れたらゲームが終わってしまうからね。」
「了解です!」
「宝を隔離後、クガさんとフランソワーズはクラブの指示する場所を穴堀。
厚さ40cmのコンクリートを全てはぎとってクラブが土部分を掘れるようにしてほしい。」
「分かった。」
「僕は非戦闘員で指示しか出来ないけど、アキトは召喚鬼で回りを牽制しててくれ。」
アキトが力強く頷くと、今だにうつ向いて考えを巡らすマヒトを再度見る。
今の話も聞いてなかったのだろう。
「マヒト。」
「・・・グラス、タカヒトは・・・。もし、戻らず役が揃わなければ。」
「オニキスにタカヒト君を連れ戻すよう頼んだ。<ジョーカー>にも聞いてはみる。
全員揃えられなかったスートはゲームに参加出来るのか否か。」
「ごめんなさい。僕がタカヒトに行くよう勧めたから、スートにも迷惑かけてる。」
グラスはナビの顔を止め優しげな笑みで隣のマヒトを抱き寄せる。
「謝ることない。お前の優しさだろう。誰も責めたりしない。」
「そうですよマヒトさん!タカヒトさんは絶対帰ってきますから!」
「モモナ・・・。」
「彼はひとまずオニキスに任せるとして、ユタカ君の現状はどうなってる?」
マヒトを離しながらアキトに問う。
と、アキトは困り果てた顔をした。
聞かずとも、アキトの両目が白眼な時点で大体は理解出来る。
「それが・・・火竜の精霊核をお返ししたいと言っても受付てくれなくて、それに―――」
「俺と契約打ち切るって言うんだよー!!!」
今まで大人しく控えていたユタカが後ろからマヒトに泣き付く。
「だが、もうアキトに火と氷の融合なんて必要ないだろ?」
「うん、だから、ユタカの核は放棄してって言った。」
「ひどいよマヒトちゃーん!俺のこと嫌いになった!?」
「違うよ。僕にはもう、必要ないんだ。」
悲しみとも焦りとも違う、悟ったみたいな落ち着いた表情をするマヒトの横顔を伺う。
「今まで僕は、元の世界に帰るため力が欲しかった。他の誰を犠牲にしてでも願いを叶えるために・・・。
真実を知った今、リディアとして振る舞ってきた自分を捨てて、仲間とちゃんと前に進みたいんだ。」
「マヒトちゃん・・・。」
「ユタカと契約したのは野蛮な願いのためだったから、一度リセットして欲しい。
少し時間を置いて、自信が持てるようになったら、<ジョーカー>と戦う為にまた力を貸して。それまではアキト兄さんにお前を託す。」
腕の力を更に込めた赤髪の召喚獣だったが、マヒトから矧がれアキトの隣に並んだ。
「君の願い、確かに聞き入れた。」
その時、アキトの右目がクリアになり、元々の茶色い瞳に戻った。
契約は切れ、アキトも精霊核を放棄したのでユタカは自由になり、視力が戻ったのだ。
マヒトがグラスに顔を向けた。
「というわけで、また勝手してごめんね、マコト兄さん。」
「お前が決めたことだ。それに、ユタカ君は君に協力してくれそうだし。」
「おう、任せろ!お前らに協力は続ける。フリーになっても、愛しのマヒトちゃんは俺が守るぜ!」
「フフフ、戦力は失わずに済みそうだ。」
「未契約の召喚獣が人に従うとは・・・。」
驚愕を通り越して感嘆の声を上げるクガにグラスは微笑みを向け、マヒトの頭をグリグリと撫で回してやった。
*
その夜。
グラスは真っ暗な部屋のベッドの上で立体モニターをいくつも展開させながら過去のクラウンシークゲームのデータを見直していた。
作戦を円滑に進めるなら、どこよりも早く宝を見つけださなければならない。
過去のフィールド、トラップの位置、宝の位置。
あらゆるデータから可能性がある場所をしぼり仲間を導く、ナビゲーターとして重要な役目だ。
それに、クラブのサキ曰く、本物のサキさえ掘り起こしてしまえば、<ジョーカー>はもうゲームを行えなくなるらしい。
殺し合いオッケーとなったゲームからマヒトや仲間を引き離せる。
もう危ない目にあわせなくて済むのだ。
現状で一番の問題は、タカヒトだ。
結局、戻ってきたのはオニキスだけ。
彼もギリギリまで<ブルーソード>内を探してくれたようだが、タカヒトは見付からなかった。
侵入の形跡もなかったらしい。
後はオニキスが張らせた網に情報が掛かるか、雇った情報屋が何か掴んでくれるか、一番いいのは、彼自身が歩いて帰ってきてくれることだ。
グラスは奥に浮かぶモニターの一つを引っ張りだしスライドさせた。
黒い画面に、<ジョーカー>からの返答が白い文字で淡々と書かれている。
“役持ちが揃わぬスートはゲームへの参加を認められない。”
青白い明かりに照らされながら、しばし瞑想に浸る。
突然、真っ暗だった寝室に電気がついた。
シャワーを浴びていたクガが肩にタオルを掛け、飲み物を二つ持って入ってきた。
「ちょっと。モニター見てる最中だったんだけど。」
「人の部屋で威張るな。」
クガは缶の飲料水を一つグラスに投げてよこし、ベッドの端に腰掛けまだ濡れた髪をタオルで拭き出す。
黒いシーツのキングサイズベッドが沈む。
グラス、ことマコトはモニターを明るい室内モードに切り替え、缶を傾けながら再びそれらを睨みつける。
「今更見直さずとも、全て頭に入ってるのだろう?」
「慢心は持たない主義なんでね。見落としはいつでも足元にひそんで僕を脅かそうと躍起になってるものさ。」
「何が心配なんだ。」
マコトではなく、壁を見つめながら、小さくも芯のある声で言われ、モニターをいじる手を止めた。
「僕が心を乱すとすれば、マヒトの事だけだ。」
「グラスとしてはそうだろうな。今お前は真名を取り戻した。」
「兄さんのこと聞きたいんだ?」
「昼間はフランソワーズが来て中断された。中途半端は気持が悪い。」
ベッドサイドに缶を置くと、クガがこちらを向いたので勝ち誇った妖艶な笑みを向けた。
「フフフ、ナイショ♪」
「・・・。」
「タツロウが気に掛けてくれるとは、光栄だね。」
「強情だな。」
「ねえ、僕に甘えろって言ってる?」
モニターを全て消す。
クガは目線を外した。
「今のお前を見てると、モモナを拾った時を思い出す。」
「へぇ~?」
「小さな声で、泣いていた。子供なんだから大声で泣けばいいものを、自身の存在を極力消した泣き方で、
気づいて欲しいと思いながら、誰も求めてないような泣き方だった。・・・お前も同じだ、マコト。」
「・・・っ。」
余裕の表情が一瞬で強張った。
まるで胸の奥底に隠した本心を見抜かれるのを恐るように、ベッドの上で肢体を退けぞらせる。
クガも自分の分の缶を煽り、肩のタオルを床に落とす。
「無理に聞こうとは思ってない。俺はお前に拾ってもらった恩がある。」
「・・・君とモモナちゃんに目をかけたのはマヒトだ。」
「そのマヒトと、フランソワーズを拾って面倒みてたのはお前だろう?偽りの記憶とはいえ、動いたのはお前自身だ。」
「さっきから何が言いたいんだ・・・。無口な君がずいぶんお喋りじゃないか。」
「そうだな・・・。こういう時、なんと言って伝えればいいかわからない。お前ぐらい口が達者なら良かったよ。」
「皮肉だ・・・。」
「その通り。」
滅多に見せない微笑を浮かべるクガを見て、マコトは全身の力を抜いた。
「君、甘やかすの得意でしょ?」
「そんなことはない。」
「君といると、グラスとしての自分を忘れそうになるよ、タツロウ。」
ベッドサイドに置いた缶を再び持ち、向けられた大きな背中に自分の背中を合わせ、彼も缶の中身を飲み干した。
「世界が改ざんされ、家族との繋がりを切られ絶望していた僕を救ってくれたのはあの子だ。
元の世界の記憶も戻りつつあるが、あの子は変わらず僕の光だった。
あの子が大事にしているのもを守るのは当然だ。」
「自分の事は後回し、と?」
「というか、もうどうでもいいんだ。兄さんの事は好きだったけど、今も変わらずヘラヘラ楽しそうにやってるみたいだし。
生きてるのがわかるだけで、今はいい。」
「そうか。」
「そうですとも。…ッン!?」
飲み干した缶を手悪さして、首を少し後ろに回す。
「髪、ちゃんと拭きなよ。雫垂れた。」
「前から思っていたが、お前普段は喋り方マヒトと似るな。」
「そりゃ義兄弟だし。…なに笑ってんのさ。」
「おかしな奴だと思ってな。」
「タツロウに言われたくないし!!」
そして夜は更けた。