神宿りの木 クロガネ編 3
目を開けると、ユタカが携帯をこちらに向けてニヤニヤと笑っていた。
「何をしている・・・。」
「スヤスヤと眠ってる姿が激レア過ぎて、写真撮った。」
「消せ。」
どうやら自分は寝ていたらしく、重くなった体を持ち上げるため腹筋に力を込めねばならなかった。
見知らぬ部屋の、見知らぬベッドの上であった。
小さな棚と観葉植物が置かれた質素な部屋で、間接照明の青白い光がほどよく辺りを照らしていた。
胸に手を当てて鐵(くろがね)の様子を伺うと、彼も疲れて眠っているようであった。安堵して、記憶をたぐり寄せる。
「空木の隊員が来たから倒れてるところを抱えて連れて来たんだよ。オレ達が居る方がややこしくなると思って。」
「部屋を提供したのは俺だよ~。」
ユタカの背後からひょこっと顔を出したのは、平凡な顔をした男だった。
中肉中背、年齢が読みづらい外見は年下にも年上にも見える。いい意味でも悪い意味でも特徴がなさ過ぎた。
彼は顔なじみの情報屋、尾見だった。
彼はどの一族にも属さぬのに、どんな情報も確実に仕入れてくる。
報酬は高いが、それに似合う仕事をしてくれるのでクロガネも信頼して仕事を頼んだりしている。
彼の持つネットワークは広く、此処が彼のセーフハウスなら安心だ。片膝を上げて座り直す。
「俺が離脱したあとの状況を教えてくれ。」
「空木実行部隊が到着する前に赤畿は逃げた。集民のほとんどは無事だったが、長老家に代々伝わる家宝が盗まれ、次期当主の息子であり神子として修行中だった若君がさらわれた。」
「ごめんよークロガネ。幹部の女にも逃げられちゃった。」
「俺も情けなく倒れてたんだ。お前のことは責められない。」
「ゴメンついでに、ククリヒメの能力外で辰巳の家何件か黒焦げにしちゃったけど、許してくれるよね!」
ギッと睨みを向けられて、尾見の後ろに隠れるユタカ。身長差があるので全く隠れられてないが。
尾見はクロガネの睨みも気にせず続きを話す。
「赤畿の悪行は現場にいた水縹の守姫には伝えてあるよ。彼女を経由して元老院にも伝わっているだろう。」
「辰巳の家宝とは?」
「それを知る長老は殺されてしまって、息子夫婦も知らないらしい。
どうやら当主しか内容を見てはいけないようで、俺のネットワークをフル活用してもわからなかった。空木から深梛へ少年に対する救出要請がなされたが、元老院は足踏みしてる。証拠もないのに赤畿の根城に足を踏み入れれば、不戦の約定をこちらが破棄したと見なされ、さらに奴らがやりたい放題やるからね。」
「元老院は常に後手か。」
「被害は食料と家宝のみ。赤畿がなぜその家宝を狙ったか、心当たりがないか他の集にも聞いてみるよ。ああ、それと。ユタカ君から清野の集長の件も相談されたから、俺の方でも探ってみる。」
「助かる。報酬は後で振り込んでおく。」
「いつでもいいよ。君とは長い付き合いだしね。じゃ、好きなだけ此処使ってよ。」
食事を用意するといって尾見は退室し、気まずそうに目を泳がせるユタカを無視して、クロガネは部屋の隅に顔を向けた。
すると、ずっと黙って気配を消していた千木良が一歩前に出た。
「鐵(くろがね)は?」
「大人しくなった。」
「良かった。あなたは平気?」
「問題ない。」
「私、行かなきゃならなくなった。しばらく手伝えない。ごめんなさい。」
「謝ることはない。」
淡々と別れを告げ、千木良はあっさり部屋を出て行った。
気を遣ってかどうかはわからないが、口を挟まなかったユタカが、ベッド脇までやってきて端に腰掛けた。
「千木良ちゃんは、夢遊病みたいに生きてるよね。」
「あいつはあれでいい。そもそも、俺達は進む方向も見てるものも違う。目的が一致した時だけ共に動いていた。」
「さっき、うなされてたぞ、お前。」
「名前が思い出せないんだ。最後に言われた言葉も。」
「それ、お前の記憶じゃないだろ、若葉。」
「・・・そうだった。」
「飲まれるなよ。」
「ああ。」
*
部屋に彼一人になった。
静寂が耳鳴りとなって急に押し寄せてくる。
誰かが呼んでいる。
ベッド脇に綺麗に畳まれた外套を巻いて、彼は部屋を出た。
モヤで転移したクロガネは実体に戻り、かつては水路として利用していたであろうコンクリートに囲まれた道を歩き始めた。
左手側に続くへこんだ道には水跡が残っているが、綺麗な上水を流していたのか、汚らしい印象は無い。
緑と黄色み掛かった証明が通路沿いに埋め込まれ、高い天井の闇を薄くしている。
吹き抜けた場所に足音が響く。
水路を見下ろすように、彼が道の途中で腰掛けていた。さすがに、足をぶらぶらと揺らしてはいない。
「やっぱり、来てくれたね若葉。」
「お前が呼ぶのなら、どこからでも。」
近づくと、茶髪の若者が立ち上がってクロガネと向き合った。
「わざわざ呼び出すぐらいだ。何が起きた?」
「これは非公表にする予定なんだけど、1時間前、綴守に赤畿の幹部三人が侵入した。」
赤畿には何人か幹部と呼ばれる実力者がおり、クロガネが辰巳の集で対面した吉良、暗器を使う女、黒づくめの男の三人は筆頭幹部であり深梛もずいぶん手を焼いていると聞く。
彼らは綴守の集と隣接している虚(うろ)と呼ばれる立抗から侵入したらしい。
虚の一番近くにあったのは、綴守、引いては水縹一族で一番の頭脳を持つと言われている篠之留斎研究員の
個人研究室であり、狙われたのも篠之留研究員本人であった。
「彼ら、斎さんにサカキはどこだと尋ねたらしい。」
「なぜ奴らがその名を知っている。」
「どこからか仕入れたんだろう。辰巳の件は聞いてる。清野の集長の他にも行方不明の長がいないか探らせてる。」
「やつら、サカキの件を調べてるのか?」
「わからない。けど、サカキを欲しているのは本当のようだ。
境界を司る<シノノメ>である斎さんに接近出来ないとわかると、助手の高井さんをさらって行った。彼を帰してほしければサカキに関する情報か、サカキがある場所に案内しろって。」
「わかった。俺はその助手を助けてくればいいんだな。」
「すまない。頼めるのは君しかいないんだ。赤畿の領域内に深梛の人間を送れば、やつらどんな言いがかりを突きつけてくるかわからない。今、無駄な戦いをしている余裕はない。」
彼は辛そうな表情になり、右腕の肘を左手で掴んだ。
「時間がないっていうのに、余計なことを・・・。」
自分で自分の肉を握り潰そうとでもしてそうな程食い込んだ指先を解放してやる。
「そうやって全部抱え込む癖を直せと言ったろ、瑛人。俺がなんとかする。」
「嫌な予感がするんだ・・・。柵に囚われようとしてる。」
脳裏で洞窟の奥で眠る少女の言葉が過ぎった。
最近よく聞く単語だ。目に見えない糸が、抗う友の努力を無碍にしてしまう。
彼らが戦っているものは、あまりに強大過ぎる。
それは運命とか定めとかと呼ばれている。
「起こる前にせき止めればいい話だ。赤畿が何かしようとするなら、俺が必ず止めてやる。」
此処は初めて会ったあの日と同じ場所。表舞台に立てない瑛人と闇を好む彼が会うのはいつも此処だった。
あの日の幼い瑛人は子供にしてはしっかりとしていたが、大人になった今、とても弱々しくなった。
焦りが瑛人を追い詰めているのだ。隣で見ていた若葉はそれを痛いほど理解している。
細い肩に手を置いた。
「頼む瑛人。もう馬鹿な真似は止めてくれ。」
「それは考仁に耳が痛くなるほど言われたよ。俺はもう何も出来ない。こうやって、若葉に頼るしか・・・。」
「お前の頭脳は誰にも負けない。落ち着いて真実を見つけ出せ。それがお前の仕事であり、お前は綴守で沙希や考仁を守るんだ。」
浅い呼吸をしていた瑛人が、深く息を吐いた。
顔を上げた時には、もう爽やかな笑みに戻っていた。
「ありがとう若葉。ごめん、取り乱した。」
「構わない。高井研究員は無事に取り戻す。」
肩から手を離し、外套を巻き付けながら力強く頷いてその場から飛んだ。
体が物質からモヤになり全てから解放されている間は真の自由を感じた。
暗闇の中で目を閉じた。闇の中は安心する。
(お前は安請け合いが過ぎるぞ。)
(瑛人の依頼なら、鐵も二つ返事で受けるだろう。)
(胸騒ぎは私も感じている。気を引き締めろ。)
体に重みと輪郭が戻った気配がして瞳を開けた。
闇の世界に、ポツンと赤い点が見える。それは広すぎる楕円形の中心で灯る弱々しい明かりだと気づく。
遠目に見えるあの集まりが、赤畿の根城。
そしてクロガネが今立つ場所は、彼らの領域内であり、見つかれば問答無用で奴らが襲い掛かってくる。
楕円のへこみを見下ろせる場所で、近くにある虚の風を受けながら集落を観察する。
「今度は赤畿と喧嘩するの?」
「密偵だ。奴らが綴守の研究員を人質にさらった。救出する。」
隣に、赤毛の男が現われ赤畿の根城を見つめながら、膝を立てて座り込んだ。
呼んではいないのに、いつも隣に現われるのがユタカという男だ。
友という程近くはなく、仲間というほど同じものを見てはいない。
気づけば隣にいる同僚と言った所か。
「絶対赤畿の奴らに見つかるな。炎は禁止だ。」
「え~。俺のアイデンティティー台無しじゃん。」
「なら此処にいろ。」
「行くよ!」
前傾姿勢になって落ちていくクロガネを慌てて追いかけるユタカは、派手な髪を隠すため黒い帽子を被ってから後を追った。
足音を消しながら走るという高等技術で赤畿の集落に近づいていく。
辺りに監視もいなければ、センサーや監視カメラのようなものも見当たらない。
近づくと、赤畿の集落を赤く染めているのがランダムに設置された黒い灯籠内部にある炎だと気づいた。
普通の炎ではないのかユタカが小さく悪態をついたのが聞こえた。
木造建築の周りに簡単な柵があるが簡単に飛び越えられる高さで、二人はそれより高く飛び屋根の上に静かに着地をした。一旦動きを止め辺りを探る。
侵入者に気づいた様子がないどころか、静寂そのものだった。気配は感じるのに、生活音の一つも聞こえてこない。
黒灯籠の明かりが思ったより明るいため、屋根の上でも見つかる可能性が高くなり、中腰で屋根の上をゆっくり移動していく。人が動く気配を感じて、そちらに移動する。
下の道で、槍を構えた黒づくめの男達が数人行進していた。
うち二人が縄を持っており、縄の先には生真面目そうな黒髪の若者と、顔に傷のある見知った顔の大男が手首と首に縄をくくられ連行されていた。
(六本鳶松の族長じゃん!捕まってんの!?嘘でしょ!)
(もう一人が綴守の研究員だ。)
よれたシャツにネクタイを締めた高井研究員は疲れた表情をしながら、ふらついた足取りで歩かされたはいたが
外傷は確認できない。大事な人質故に、暴行は加えられていないようだ。
男たちに見つからない死角を選んで近づくと、巨体の男の体には生傷や殴られた痣が嫌でも目についた。
六本鳶松の族長と言えば、天御影最強と言われる綴守の守姫と同等の力を持つ。
加えて今代の族長久我は肉体も精神力も非常に強く、他人とあまり関係を持たず育ったクロガネですら
幼少期からよく懐き、手ほどきも受けたことがある。
そんな彼がボロボロになり、しかも赤畿なんぞに捕縛されてるなど信じたくない光景である。
二人は引きづられるようにして、建物の間にある地下へ降りる階段へ連れて行かれ、
闇の中に消えてしまい、扉も閉められてしまったが、クロガネは外套のフードを被った。
(お前は見つからぬようこの集落を探ってくれ。清野の長老や辰巳でさらった少年もいるかもしれない。)
(気をつけろよ。)
クロガネの体がモヤとなり、今し方閉められた扉の向こうに移動する。
顔の周りだけ実体化し、闇の中で目を開く。ランタンの明かりをつけた男達が久我と高井を連れて地下の廊下を進む後ろ姿を見つけた。存在を更に薄くし、闇に紛れて後をつける。
通路の奥は行き止まりだったが、左右に鉄格子が並んでいた。
此処は牢獄だ。その一部屋に二人は乱暴に入れられ、男達はそのまま地下から出て行った。
人の気配が完全に無くなったのを確認してから、檻の中へ移動する。
檻の中にも外にも光源は設置されておらず、闇の牢獄内では格子も意味を成していない気がする。
「久我さん。」
「気配は感じていた。」
夜目がきくクロガネは、闇の中から聞こえた見知らぬ声に驚いて、肩を大きく跳ねさせた高井研究員の姿が見えた。
「高井誠研究員だな。一ノ瀬瑛人から依頼されて助けに来た。安心しろ。」
「瑛人くんが・・・?」
「久我さん、何があったんですか。貴方ほどの実力者が赤畿に捕まるわけがない。」
「簡単に捕まったんだ。子供を人質にとられた。」
「卑怯な。」
抑揚がない喋り方をする彼には珍しく、声に嫌悪感が宿っていた。
完全に闇へ溶け込んでいる彼の場所がわかっているかのように真っ直ぐと見上げた久我の顔には、額から右目にかけて走る傷跡がある。最近出来た傷では無い。
「ユタカに辺りを探らせています。すぐ脱出出来るよう手筈を整えますので少し待っていて下さい。」
「待て、良い機会だ。お前も少し探ってきてくれないか。幹部の吉良という男にサカキはどこかと聞かれた。」
久我の言葉に隣の高井が反応した。彼もさらわれる前、吉良に同じことを聞かれたのだ。
「赤畿がどこからサカキについて知ったか突き止めた方が良い。嫌な予感がするのだ。」
「辰巳の家宝が赤畿に奪われました。清野の長老が行方不明の件もレイコに頼まれ調べていたところです。」
「・・・全ては必然ということか。辰巳も清野も神世時代から続く始まりの血族だ。奴らは確実に何かを知り、何かを探ろうとしている。手遅れになる前に手は打った方がいい。」
「わかりました。連絡を取れるように影は置いておきます。何かあれば呼んで下さい。」
真っ暗な闇を弾きながら移動し、クロガネは赤畿の建物の上に出た。相も変わらず気配もなければ音もしない。
だが、機械の稼働音のような重低音が遠くで聞こえるのに気づいた。
ユタカの位置を探りながら、クロガネも屋根の上を移動し始めた。
立ち並ぶ建物は全て平屋の一階建て。どれも木造で屋根は黒瓦、造りはとても古風で、天地平定前地上で主流だった建築だろう。
静けさも相まって、此処だけ時間が流れていないかのようだ。
頭上には色濃い闇が鎮座し、地上は明度の低い橙がはびこっている。
集落の中央付近で、屋根の上でしゃがみ込んでいるユタカを見つけた。
「クロガネ、あの建物。人がいる。というか、此処にある家全部空っぽだったよ。気配は全部黒ずくめの兵隊だけ。赤畿って民いないの?まるで実物サイズのジオラマだよ。」
「逃走ルートは。」
「見つけてある。」
「久我さんがいる牢屋に影をつけてある。先に二人を連れ出してくれ。」
「一人で大丈夫かい?」
愚問だ、と言葉にはせず目線だけ向けて、体をモヤにしながら屋根から飛んだ。
ユタカが見つけた建物は周りの建物と違い、入母屋屋根で、破風飾りとその下にある懸魚は金に光っている。
破風下の矢切格子が換気口のため透かしになっており、中が覗けるようになっていた。
音も無く屋根に上がりそっと中を覗く。
中は畳が一面敷かれた道場のようになっており、床の間の壁に掛け軸がかけられ、床柱は黒檀。
山水画が画かれた掛け軸の下には刀掛けが置かれているが、そこに刀は乗ってなかった。
畳の上で、五人の老人が向かい合って円になりあぐらを掻いて睨み合っていた。
皆和服姿で、顔の皺は皆濃く、かなりの高齢だと窺える。
赤い着物に黒い羽織を肩にかけた四角い顔の老人がうなり声を上げながら腕組みをする。
五人の中では一番ガタイがいい。
「ずいぶんと派手にやり過ぎではないか。目撃者もかなり残したせいで、深梛には襲撃がバレておる。」
「別にどうということではあるまいよ。奴ら、平和どいうぬるま湯に浸かりすぎて皮もぶよぶよになっておる。
我らと戦う気力もない腰抜けよ。約定を正式に破棄してやってもいいと思っておるがな。」
「我らの目的は征服ではないぞ。全ては主への忠誠を示し再び世に出てきて頂くこと。それには、道しるべを揃えねばならん。」
「それは斗紀弥に一任しておる。既に辰巳の巻物を手に入れ今解析させておる。」
「フッ。解析しているのは、どこからさらってきた研究員だ?」
老人達が下卑た笑いを漏らす。
次に青柳色の着物をまとい目がギョロっとしている老人が切り出した。
「サカキとは地上にもある樹木の名前らしい。三神が人間に送った木に違いあるまいよ。。」
「その木には一体どんな秘密があるというのだ。」
「それを知る客人を呼んである。」
蜜柑色の着物に赤い帯という派手な色合いの着物を纏った老人が部屋の外に声を掛けた。
すると、黒ずくめの男達が別の老人を無理矢理引きずって入室してきた。
白髪に藍鼠色の和服を着た老人の顔には、痛々しい痣や腫れが浮かんでいた。
きっちり着せられた服の下も、齢70近い老人に対して無残過ぎる跡があるのだろう。足を片足引きずっているのは、骨でも折られたか。
クロガネは老人に見覚えがあった。レイコから依頼された行方不明であるとされる清野の長老だ。
長老は両脇をしっかり掴まれたまま、円に座る老人達の前に立たされた。
「清野という集落の長殿だ。我らが得た書物によれば、清野は神代の時代からの語り継ぎを所持しておる。」
「中々口を割らんと聞いたぞ。」
「だからおいで頂いたのだ。体をいくら痛めつけても効果は無い。人質を取るにも、清野には正気の人間はおらんかった。」
「ハッハ。歴史だなんだと大事に抱えているわけにすぐ自滅しおる。」
「どうしたら我々に話したくなるか、各々考えてくだされ。」
うなだれていた清野の長老が辛そうに瞬きをしながら目を開けた。
苦渋の表情に苦痛と苦悩が滲むも、力強く目の前に並ぶ敵を睨み付け口を開いた。
「お前らなんぞに・・・先祖代々の語り継ぎを教える馬鹿は人間の中にはおらんぞ、シンの手下どもめ。」
弱く吐き出された暴言を、黄土色の着物を着た老人が膝を叩いて笑いだした。
皆有利であるという態度を崩さなかったが、清野の長老の目は、軽蔑の色を含みながら何も知らぬ愚者を哀れみ愚かだと言っている気がした。
「何故今、各一族の語り継ぎを集めているかは、知らん。興味もない。だがな・・・。」
「小うるさい!指でも折って黙らせろ。」
「待て。続きを、清野殿。」
目を開けているのも辛いだろうに、細く開けた瞳で続きを促した一人を見据える。
一時の間、言葉を選んだ彼は、しっかりとした声で答えた。
「例えお前等がサカキを手にしたとして、願いは叶わぬぞ。」
「サカキが何でも願いを叶えてくれる素敵なアイテムじゃないことは、僕らもわかってるさ。」
この場に似つかわしくない、爽やかな声が老人達の話し合いに割って入ってきた。
幹部の吉良が、右手に赤鞘の刀を持ちながら微笑を浮かべ床の間を背にして立つ。
赤い着物に四角い顔をした老人が一気に気難しい顔になり怒鳴り声を上げる。
「おいこら若造!上座に立つとは何事か。此処は赤畿の―――」
老人から続きが紡がれることはなかった。
一瞬で鞘から抜かれた刀で、老人の首が胴体から離れた。首を失った胴体がゆっくりと畳に倒れた。
首から鮮血が噴水のように吹き出したあと、小さな赤い池を作る間に、絶句した三人の老人も首を落とされ、残ったのは薄墨色の着物をまとい、白いオールバックの髪に白い顎髭を生やした老人だけになった。
唯一残った老人だけは、たじろいだ様子も見せずどっしりと座ったまま金髪の若者を鋭い眼光で睨み付けていた。
血の海が吉良のつま先に届き、やがて足裏全体が浸っても彼は気にすることなく、清野の長老を振り返る。
繰り広げられた惨劇を目撃しても、清野長老の眼光は揺るがず若者を重たい瞼を持ち上げ対峙する。
「人間達は実に愉快だね。皆バラバラになって、それぞれ宝を大事そうに抱えている。
一つに集まって全部一緒に宝物庫にでも入れておけばいいじゃないか。」
「そのたった一つの宝をお前等みたいな不埒者に奪われぬよう分散したのだよ。秘密を細かくちぎり、子から子へ、次の世代の子らが困らぬようにと先祖達が大切に繋いできた絆。他人どころか人でもない化物に奪われてたまるか。」
「でも、口伝なんかより大事な家族をさらって迷わない人間はいないのでしょ?」
「そこで迷う程度の輩に口伝は伝わらん。」
「なるほど、じゃあ新しく連れてきても無駄になるってことかな。」
「さっさと殺せ。清野の口伝はわしで止める。そのために全て手配済みだ。」
「おや?大事な語り継ぎなんじゃないの?」
「もう微睡みに入っているのだろう。世界はもうじき終わる。保って次の世代だろうて。」
「つまらない。諦めず足掻く姿は美しいと思ってたのに。」
「足掻いたところで、柵に縛られるだけだ。」
力尽きたのか、老人が静かに瞳を閉じた。
吉良はもたれて落ちた清野長老の頭頂部を見ながら何か思案しているようだったが、構えた右腕を引いて、清野長老の胸へと突き出した。声はクロガネの所までに届かなかったが、また鮮血が吹き出し畳を濡らすと、長老の首がガクッと垂れ、重くなった体を部下達が連れて行った。
残ったのは、返り血で白いシャツを汚した若者とあぐらをかき沈黙を貫いていた一人の老人、そして転がる死体。
振り返った吉良の表情には、いつも貼り付けている優男の顔はなかった。
無表情であるはずなのに、恐ろしいほど冷たい双眸と白い頬や額。空っぽの表情に、クロガネの背筋に悪寒が走る。
「次の長は僕だ。いいですね、先代。」
「長を引き継いだからには、もう逃げられぬぞ斗紀弥。」
「わかってます。」
「大願を成せ。」
突然、吉良が刀を畳の上に落とし、頭を抱えて苦しみだした。
痛みがあるのか、食いしばった歯から漏れるうめき声は彼の爽やかな声と反して低く苦々しい。
ついに立っていられなくなったのか、膝をつき、ついには血で濡れた畳の上を転がり出した。
攻撃されたようには見えない。老人がおかしな術でも使っているかと訝しんだが、会話からその様子はなかった。
何事かと、屋根の上から伺うクロガネには事態が理解出来なかった。
やがて、荒い呼吸を繰り返しながら、震える手を頭から剥がして吉良が起き上がる。
体から湯気のようなものが立つ。
細い体が、僅かに膨れたように見えるのは苦しみの姿を凝視しすぎた故の幻覚か。
――クロガネの右目が、突如として痛み出した。
眼球を鋭く長い針で内側から貫かれたような痛みに咄嗟に右目を手で押さえる。血は出ていない。攻撃されたわけではないようだ。
生まれてこの方、感じたことの無い痛みと内で同居人が暴れ回る感覚に混乱し、声を漏らさぬよう歯を食いしばる。
右目を手で覆ったため左目だけで伺う格子の向こう側で、吉良がこちらを見上げ笑っていた。
頬に飛び散った赤い血飛沫拭わぬままあまりに奇妙に笑うので、背中に悪寒が走った。
瞳孔が開ききって、獲物を見つけたとでも言いたげな野生的で好戦的な殺意に生存本能が悲鳴を上げる。
クロガネは格子から離れ屋根から飛び降りると、音を出すのも気にせず走った。
(ユタカ、吉良に潜入がバレた。)
(何やってんの!?こっちはもう領域外に出てるよ。)
(こちらに目を引いておく。そのまま二人を綴守に送り届けろ。)
(出入り口を前に見た時、右手側の高い位置に換気口があるからな!そこで―)
ユタカとの会話が途絶えた。走る彼の背後でけたたましい警報が鳴り響いく。
人の気配が全くなかった集に無数の気配と音があふれ出した。一体どういう仕組みか、今は探っている場合では無い。
右目の眼球を刺すような痛みは引いたが、熱を持ったまま脈動している。内なる友も混乱しているようで、言葉が通じない上にモヤ化が出来なくなっていた。
あれは友の力だ。体の本来の持ち主である彼の力ではない。身体能力も全て、友がいなければ使えない。
仕方なく屋根の上を走り続け、集落の外れからユタカが先程言っていた換気口を探す。
夜目が効かなくなってきたが、集落の警報装置と友にスポットライトが2本侵入者を捜して右往左往しているおかげで、壁に空いた小さな穴を確認出来た。
内なる友に問い続けるが、感情がぐにゃりと混ざり合った渦の中に引きこもってしまい声が届かない。
背後の気配が大分近づいてきた。幸いスポットライトには見つかっていないが、屋根から降りて集落を出たとして、換気口がある壁面まで障害物は何も無い。見つかるのは時間の問題だ。
せめてあの換気口まで転移出来さえすれば。
そう願う彼の焦りとは裏腹に、内なる友は言う事を聞いてはくれず、ついに赤畿の追っ手に見つかった。
武器を持った黒ずくめの男達がはしごを使って屋根に上がってきた。
無意識に右目を押さえながら後退する。今居る建物の下にも男達がうじゃうじゃと集まっていた。
バラバラに動いていた二つのスポットライトが彼を捕らえた――と思いきや、ライトが瞬時に消え、彼の周りを赤い炎がぐるりと囲んだ。燃え盛り背丈を越す程燃え盛る活きのいい炎に男達はたじろぐ。
「お前、まさか今若葉状態?」
隣に眼帯の男が着地する。もう隠れる必要がないと帽子は脱ぎ捨てられ赤毛がむき出しになっている。
「久我さんは?」
「研究員くん連れて綴守に向かった。こっちは任せろというからお言葉に甘えたの。黒衣の魔術師が敵に見つかるとか、名折れじゃん。」
「仕方ないだろ、鐵が言う事を聞いてくれない。」
「まったく世話のやける・・・!お前はオレがいなきゃダメってことだ。よく覚えとけ!」
やけに上機嫌なユタカに文句を言おうと口を開いたが、軽々と肩に担がれてしまい。そのまま瓦屋根を蹴ってユタカが飛んだ。
踏ん張りで瓦が割れる音がしたがすぐ遠ざかり、高く距離のある跳躍で群がる男達の頭上を飛び去り、
あっという間に集落の外に出た。
着地したユタカは大人の男一人抱えたまま足に炎を纏い、加速しながら走る。
後ろ向きに抱えられながら、赤畿から聞こえる警報が鳴り止み、追ってきていたはずの男達が集落の門から一歩も出ずこちらを見ているのが確認出来た。
諦めが早すぎる。侵入者をこうもあっさりと逃げがすわけが――。
「ユタカ!避けろ!!」
天井から影が近づいてくるのを、視認するより気配で察して叫んだが一歩遅く、
ユタカがバランスを崩し転がったせいで彼も地面に落とされた。
素早く体制を整え、顔を上げた。
――――なぜこいつが此処にいる。
ユタカも同じことを思ったようで、信じられないものを見たと血の気の引いた顔で硬直していた。
二人の前にいたのは、血の染まったかのように赤い肌をした二足歩行の化物、鬼妖であった。
筋肉で張り上がった二の腕と太もも、やや曲がった背にむき出しの血管。
口からはみ出た牙から涎が垂れ、白濁の眼球がクロガネを見下ろしていた。
おもむろに右腕を持ち上げ、勢いよく振り落とした。
反射で避けるも、拳は埋まり岩石の地面が砕け深くえぐられていた。
心の中で友に問いかけるも、やはり声は届かない。
初めての事案にどうしていいか分からず、戸惑う彼を守るように炎が再び辺りを囲む。
両手に炎を宿したユタカが高く調薬し鬼妖の頭に炎の拳を打ち込んだ。
しかし手応えは一切なく、地面に埋まっていた右腕を引いてから小虫を払うように手を左右に振る。
鬼妖の肩を蹴って再び跳躍したユタカが、今度は炎を放出させて鬼妖の全身を囲んだ。
踊る炎は最大火力で化物を飲み込み、熱量で風が起こりクロガネの外套が揺れた。
炎を出し切ったユタカが鬼妖から距離を取って着地するが、炎を拳で消し去った化物の肌に火傷の1つも出来てなかった。
「原始存在の炎が効かないとか、こいつマジでバケもんかよ!」
「応戦してる場合か!逃げる方が優先だ!」
「ハイハイ、わかったよ!」
再びクロガネを抱き上げたユタカは、足に炎を纏わせると高く飛び
赤畿の根城を見下ろす壁面に作られた換気口に入った。
さすがの鬼妖も、そこまで追ってくることはなかった。