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❀  5

 

シャフレットの大惨事と呼ばれる未解決の事件がある。

緑の山に守られ、コバルトブルーの美しい湖があるシャフレットという大きな街が一瞬で消失してしまったのだ。
規模は直径で約3km。
山の一部は欠け、湖の水は全てなくなり、建物、人、そこに存在した全てのものが消失した。
あるのはえぐられた土だけ。
この奇怪な事件の真相は未だに判明しておらず、大規模な空間転移魔法だの怪奇現象だのと、
その手のネタが好きな民衆によって話題になり、今では誰もが知ってる大災害-いや死体すらないので大惨事だった。

だがたった一人、シャフレットの中に生き残りがいたのを、民衆は知らない。

魔法院のごく一部の人間と、アテナ前学院長メデッサだけが知る生き残りの5歳の少女を今回の事件の犯人だと断定し、
トップシークレットとして隔離した。
そう、わずか5歳の少女がたった一瞬で自分の周りのものすべてを破壊し尽くしたのだ。
少女は、生まれながらに莫大なマナを持っていた。
幼い子に制御できる量ではなかったため制御出来るはずもなく、メデッサはその子にマナの封印を施した。
生活に困らない最低限のマナだけ放出できるように調節してから、少女を自分が運営する孤児院へ連れ帰った。

 


少女の名前は、ルフェという。

 

 

アテナの医務室の扉を空け、ルフェは勢いよく中に入り、無数のベッドの中から一人の友を見つけ出した。


「アンナ!!!」


顔半分包帯が巻かれ、輸血や心電図に繋がれてはいたが、友人がちゃんと呼吸しているのを確認して
ベッドの脇に崩れ落ちる。

 


「お前が助けたのだよ、ルフェ・イェーネ。」
「学院長先生…。」

 


アンナのベッドの足元に、スーツを少し汚した美しき学院長が立っていた。
こうして面と向かって話すのは、入学以来。
メデッサ前学院長から身元の引き受けをされた時。

 


「アンナは、他の生徒も・・・あの時確かに・・・」


ルフェは間近で友人の命が消える瞬間を見たし
ウィオプスの稲妻にやられ積み重なっていた死体の山も見ていた。
にもかかわらず、ベッドの上で横たわっている生徒は皆ちゃんと生きていた。

 


「マナの根本は再生と育みだと入学してすぐ教わったはずだ。
封印され貯めに溜まった育みの力が爆発したのだろう。クロノスの生徒が抑えたのは攻撃的部分だけ。
漏れた部分は学院中を駆け抜けた。一度止まった心臓を動かすなど、聞いたこともない」
「私が…?」
「早急にその力解明したいものだな。人類にとって助けになるか、脅威になるか。」

 


好戦的な鋭い目線が向けられる。
医務室の扉が開いて、事務員の一人が学院長を呼んだ。
ヒールできびすを返した学院長が、横目でルフェをもう一度捉える。

 


「クロノス生徒と共に議会室へこい。」

 


有無も言わさぬ迫力でそれだけ言い残すと、医務室を出て行く。
入れ替わりに、レオンがやって来た。

 


「あれだけの力放出して、すぐ此処まで走ってくるとはな。」

 


ルフェはアンナに向き直って、眠る彼女の手を両手で包んだ。

 


「あの…ありがとう、ございました。」
「礼をいうのは俺らのほうだろ。お前が勇気ださなきゃ、今頃全滅だ。」

 


大きくてごつい手が、ルフェの頭を撫でる。

 


「勇気なんて…そんな綺麗なもの、ありませんよ。」
「あるさ。その子、守りたかったんだろ?」
「はい…。生きてて、よかった。」
「行こう。学院長がお呼びらしいじゃねぇか。野郎共はもう集合させてあるから。」

 


頷き、アンナの手をそっと元に戻し、ルフェは後ろ髪引かれながらも医務室を出た。

 

 

 

 

 

 


 

 

アテナ学院を牛耳っているのは、当然学院長だ。
ルールも秩序も彼女が決める。
議会室に初めて入ったルフェは、長机の真ん中に一人座る学院長を見て息を呑んだ。
生徒会会合なども行われる部屋なので広さはあったが、絨毯が引かれている以外はいたって普通の部屋だった。
あるのは長机がいくつかと、観葉植物ぐらい。
今は予備ライトの明かりしか点いておらず、暗すぎる議会室は藍色に染まり、
仄かな明かりを受ける学院長の鋭さがまた増した気がする。
ルフェの後ろにクロノスの生徒が横一列に並び終えると、学院長が口を開いた。

 


「ルフェ・イェーネ。」
「はい。」

 


物怖じしないルフェだったが、さすがに恐怖で肩が震えそうになっていた。
ルフェは先ほど、自ら封印を解いてマナを大放出してしまったのだ。
封印を解かず、普通の生徒として大人しく過ごすこと。
それが現学院長フレイアから言われた入学条件だったのに。
退学は仕方ないとして、魔法院の地下に永久軟禁とかだったら嫌だな、と考える。
あの時だって、殺せない私を完全封印しようとしていた魔法院をメデッサ先生が助けてくれて自由になっただけでーー
最悪死刑とかだったらどうしよ。
本読めなくなるのは嫌だな。アンナにも2度と会えないし・・・。

 


「お前は本日をもってアテナ女学院からクロノス学園に転校してもらう。」

 


予想外の宣告に、ルフェは目を見開いて返事を返すことも忘れていた。

 


「魔法院と学園議会で話し合った結果だ。此処ではお前の力を抑え込める人間がいない。」

 


考えも付かなかった進路にルフェも後ろの男連中も唖然とする中、学院長が続ける。

 


「クロノスは此処と学風が全く違う上に、男子生徒が多いので何かと大変だろうが、

その力を人類の為に役立てるため、向こうで制御方を学びなさい。」
「は、はい…。」
「ところでコルネリウスくん。」
「はい?」

 


間の抜けた返事をして、主席が一歩進み出てルフェの隣に並ぶ。

 


「君たちを呼んだのは万が一予言が当たった場合、ルフェの力を完全制圧するためだった。だが力は漏れていたぞ。」
「結果生徒さん助かったじゃないですかー」
「結果論にすぎない。ルフェの力が生命の再生を促進しただけだったからよかったものの、
もし漏れた力も攻撃性のあるものだったらどうする。シャフレットの二の舞だ。
このことは向こうの学園長にしっかり報告させてもらう。」
「うげ…。俺達、自分でマナの塊の娘を探し出せってお題、クリアしましたよー。俺なんてアテナに脚を踏み入れた瞬間に気付いてー」
「口説けとはいっていないが。」
「…見られてましたか。」
「言っておくが、ルフェはアテナの大事な生徒だ。手を出してみろ、コルネリウス家の坊ちゃんだろうが、容赦しないぞ。」

 


苦い顔をさらに苦くして、レオンは元の場所に戻った。

 


「ルフェ、これを」

 


学院長が何かをマナで飛ばし、弧を描いてやってきたそれを両手で掴む。
それはネックレスのようだったが、チェーンに繋がれた先にある白い棒は見たことがある。
アセットだ。

 


「君専用の変形アセットだ。君のマナにも耐えられるよう私が作った。」
「が、学院長先生自ら?」
「お前はメデッサ前学院長から預かった大事な娘。向こうでも精進しなさい。」
「ありがとうございます。」
「こちらも一応礼を言っておこう。学院と生徒を守ってくれたことを議会を代表して、感謝する。ルフェ・イェーネ。」

 


議会室を出たルフェは、貰ったアセットをまじまじ眺めながら廊下を歩いていた。

見た目は数センチの白い棒にチェーンを付けただけの代物。

しかし太陽光にかざしてよく観察すると、白の表面がキラキラと輝いており、僅かな溝もある。

訓練用の共同アセットとは質感が全く違う。ただのネックレスではない証拠だ。
後ろからレオンとリヒトだけがついていく。

 


「そんなちっせぇアセット始めて見たぜ。」

 


隣からレオンがペンダントを覗く。


「学院長先生は、有名な魔法武具職人でもあるの。世界で3本の指に入る凄腕だったんだけど
前学院長が私のせいで退職になって、後を継ぐ為学院に。」
「へー。」
「それで、この娘はいつからクロノスへ搬送する?」

 


リヒトが腕組みをしたまま淡々と告げる。

 


「私は荷物か何かですか。」
「んー。どうせ明日帰る予定なんだ。明日出立でいいだろ。ルフェも用意があるだろうし」

 


まだペンダントを眺めているルフェの頭を、レオンは大きな手でかき混ぜる。

 


「痛いです…。」
「今日のうちに別れをすませとけ。しばらく此処へは帰れねぇからな。」
「…はい。」

 


しばらく、とレオンは優しい言い回しを使ったが
もう二度とこの学園に戻れないことは、ルフェが一番わかっていた。
本来なら自分は監視対象であり処罰されてもおかしくない身。
将来有望な淑女の卵たちが通う学び舎に、危険分子を置いておくわけにはいかないのだろう。
それでも、転校という処分で済んだことには、ルフェにとっては幸運中の幸運。
廊下の窓から空を見上げる。
ウィオプスが消えて、分厚い雲もどこかに去ってしまったようで、眩い青がルフェの黒い宝石のような瞳に映る。
あの綺麗なものを見れなくなるのは、いささか残念であると思っていたのだ。
そういえばー…。

シャフレットで最後に見たモノは自分が消した台地の抜け殻と、気持ちいいぐらい鮮やかな、一面に広がる青い空だった。

 

翌日。
学院内にウィオプスが侵入した事件は、全校生徒の記憶に鮮明に刻まれており
中でも、無事避難し競技場で起きた一部始終を見ていた生徒により
3学年ルフェ・イェーネの莫大なマナに対する恐怖が語られ、尾びれ背びれをつけ校内を駆け巡った。
死者を生き返らせ、魔法院の高位魔法使いですら倒せないという噂があるウィオプスを
一度に破壊してみせた光景は、ただただ畏怖を植えつけた。
助けてもらった恩義はあるのだが、世界をホワイトアウトさせてしまうほどのマナを持っていると判明したのだ。
万年最下位だった劣等生が、だ。
そしてある噂が、噂ではなく、真実として校内を行きかっていた。
『シャフレットの大惨事を起こした犯人もルフェ・イェーネである。』と。

 


「女の勘ってやつですかね。見事に真実です。」
「ずいぶん客観的だなー。」
「私が犯人なのは、事実ですから。というか、皆さん知ってたんですね。魔法院のごく一部しか知らないトップシークレットですよ。」
「そのごく一部から依頼されて此処に来たんだよ、俺達は。」

 


翌朝。
食堂でルフェはレオン、リヒトと一緒に朝食をとっていた。
普段はアンナと一緒か、一人で食事をする場所で、大男や無愛想男に囲まれて朝食をとる。
彼らの取り巻きだった生徒達は、ルフェに近寄るのを怖がって誰も寄ってこないため
ルフェ達がいるテーブル周辺は誰もいなかった。
遠くから向けられる視線と話声。
さらに、クロノス生徒と一緒に食事をしていることに対する嫉妬の眼差しが痛い。
こんなに人に顔を見られながら食事をするのは初めてだ

 


「助けてもらっておいて、皆冷たいよなー。」
「いきなり担ぎ上げられても困ります。」
「一番冷めてるのはお前だな。」
「はい。ところで、なぜ朝からお二人と一緒にいなければならないのですか。」

 


レオンがパンをちぎりながら肩をすくめて見せる。
貴族の出身らしく、食事中のマナーは綺麗で完璧だ。顔に似合わず、とは口には出さずにおく。

 


「お前さんの封印もう解かれちまったからな。いつ爆発するともわからないから、監視兼制御役。」
「それはそれは…御愁傷様です。」
「言葉間違ってねぇか?」
「間違えてませんよ。大虐殺の凶悪犯とずっといなきゃいけないなんて。」

 


レオンの手が頭に乗る。
ごつい手は、意外と重くなくて、ルフェは驚く。

 


「別に殺したくて殺したんじゃないんだろ?マナの暴走って聞いたぜ?しかも5歳の時。」
「まぁ、そうなんですけど…。」
「いいからさっさと食え。食べたら荷造りしちまいな」
「はい。」

 


冷たい視線とこそこそとした小さな声が渦巻く食堂で食事を終え、寮の部屋に戻る。
寮には男子禁制結界が張られており、そこまで解けないと学院側に断れててしまったため、二人には入り口で待っててもらう。
ボストンバックに着替えなどを詰めていく。
元々私物は多くないので、荷造りは簡単に終わった。
ルームメイトのドレッサーが目に入る。
いつもならそこで髪を梳かしたりお化粧をしているはずの友人は、まだ医務室のベッドで眠っている。
そういえば。
昨日アンナに言われたことを思い出し、彼女の勉強机の引き出しを開けていく。
上から2番目の引き出しの中に、オレンジの包装紙に白いリボンの箱を見つけた。
ルフェへ、と書かれたカードが添えられてあった。
可愛く結ばれたリボンを解き、中を見る。
数日後に迫っていたルフェの誕生日を祝うメッセージカードと共に、口紅やアクセサリーがいくつも入っていた。
もっとお洒落に気を使いなさいと、同室になってから何度言われたことか。
ルフェはアンナのドレッサーに腰掛けて、口紅を引き、はさみをとりだす。
伸ばし放題だった髪を肩ぐらいでカットしてドライヤーで内巻きにする。

ボブというやつだ。入学したての頃アンナにやってもらったことがある。
痛くて嫌いだが我慢してイヤリングもつけた。
そしてボストンバックを持って部屋を出る。

 


「遅い!」

 


ルフェの姿を見るなり、リヒトが怒鳴る。
不機嫌そうに柳眉を寄せ、相変わらず腕組みをしていた。

 


「まぁまぁ。女の子の支度は時間が―――おや。イメチェンかい、お嬢さん。」
「そんなとこです。私、医務室にいるので、送迎会終わらせてきちゃってください。」
「俺達はお前から離れるなと言われている、」
「いいじゃねぇか。別れぐらいゆっくりさせてやろうや。」
「だがもしー」
「大丈夫です。マナさえ使おうとしなければ体から出ることないと思うので。」

 


文句ありげなリヒトをレオンが連れていってくれた。
今日はクロノス生徒たちの送迎会が、歓迎会と同じ大ホールで開かれる。
最後の最後で大事件が起きてしまったので、女生徒達の熱量はいまいちであったが、
交流会の締めくくりはしっかりと行わなければならない。
色目ばかり忙しい生徒は忘れているだろうが、これは立派な2校による交流会、学びの場だったのだから。
ルフェが送迎会に出席したら、盛り上がるものも盛り下がってしまう。
堂々とサボることにして、一人で医務室に向かった。
部屋が足りなくて一部屋に何人も押し込まれている状態だったが
1日経ってアンナは個室に移されていた。
心電図はもう片付けられていたが、点滴はまだアンナの腕に伸びていて、額の包帯はまだ取れていない。
呼吸器も、まだ彼女の口元にくくられたままだ。
それでも、アンナの胸が僅かに上下する度ルフェは安心するのだった。
生気を失い雷に打たれた姿を見てしまったため、包帯はあるが綺麗な友人の寝顔がとても美しく映る。
バックを置いて、ベッドの脇に立つと、彼女の瞳がゆっくりと開いた。

 


「あら…ルフェ。いいじゃない。可愛いわ。」

 


まるで何事もなかったような、普段どおりの彼女の声。
恐る恐る、アンナの声が聞こえるように体を近づけた。

 


「プレゼント、ありがとう。」
「これからどんどん使いなさい?定期適にクロノスに送ってあげるから。」
「アンナ…聞いたの?」
「聞いたわ。」
「ごめんね…。」
「なぜ謝るの。」
「だって私、ずっと隠し事してて…こんな化け物と同室だったなんて、嫌でしょう?」

 


呼吸器の中で、彼女はクックと笑った。

 


「馬鹿ね、ルフェ。学院長先生が仰ってたわ。
私がルフェと友達になってなかったら、ルフェは力を使うことを躊躇い今頃全滅だっただろう、て。」
「…そうかも。」
「フフフ。じゃあ、私が学校を救ったのね。」
「そう、そうよアンナ!アンナがいなかったら私、マナを使おうなんて考えなかった。」
「私の親友が学校を救ったの。ルフェが助けてくれたのよ。貴方のマナが、私を生かしてくれたのね。」
「アンナ…。私が、怖くないの?」

 


体の横に添えられていたアンナの腕が僅かに上がって、ルフェは慌てて彼女の手を取った。
指先はまだ冷たい。
感電の影響で毛細血管が死んでしまったせいだろうか。

 


「怖いもんですか。あなたは地味で面倒くさがりで、お洒落に興味ない、私の大切な友達。」
「きっと…そういう優しいアンナだから、私は友達になれたと思う。」
「これからいくらでも話を聞いてあげられるわ。クロノスの話、たんまり聞かせなさいよ?」
「うん。」
「困ったことがあったらなんでも言いなさい。」
「うん。」
「また会いましょう。」
「必ず。」

 


子供の頃に泣きすぎて涙腺を壊してしまったルフェに変わって、アンナが涙を流す。
自分じゃ到底流せない、綺麗な涙を拭ってあげる。
お互い笑いあってから、ルフェはバックを持って医務室を出た。
送迎会が終わったのか、廊下には生徒が溢れていた。
皆ルフェを見るなり悲鳴を上げたり、こそこそ話したり、睨んだりしてくるが、ルフェの目には留まらなかった。
たった一人、自分を待っててくれる人がいれば十分だ。
玄関を出てエントランスに出ると、クロノスの面々が集合していた。
7日前。
輝く青いキャンパスに色とりどりの紙吹雪が舞ったあの日のように、
ベランダや外廊下に溢れていた女性徒たちの姿は、今はなかった。
歓迎はあれほど熱烈だったが、見送りの姿はなく、静かなものだ。
校門を出る前に、ルフェは一度だけ振り返る。
初めて自分が一人で過ごすことができた場所。
普通の女の子していれた場所。
初めての友達を守れた場所。

 


「名残惜しいか?」
「少し。」
「これからはクロノスがお前の家。俺達がお前の友となろう。」
「はい。」

 


入学したら卒業するまで出られぬはずだった門を抜け、ルフェはアテナ女学院から去った。

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