❀ 2-2
ルフェのクロノス学園での新しい生活が始まった。
新しい家となった女子寮のベッドの上で目を覚ます。
クロノス学園の生徒も基本は寮で暮らす。
家から通うことも許されてはいるが、何せ学園は山の中だ。
毎日の登下校に時間がかかってしまうため、ほとんどの生徒が寮暮らしだという。
ルフェが与えられたのは3階の角部屋で、個室だ。
山の上の偏狭な土地にある点と、男子生徒の比率が多いので、女生徒の数はかなり少ない。
全体で見ても5分の1ぐらい。
男子校に転校してきた気分だ。
顔を洗い、髪を整え、壁にかけてあった新しい制服に袖を通す。
アテナの制服は白地にグレーラインのシンプルなデザインだったが、
クロノスは黒地で、女生徒のスカートだけ白黒の格子柄が少し入ったりしてオシャレだ。
新入生の頃に戻った気分になる。
親友にもらったリップを塗り、自室を出た。
女子寮はクロノス学園内で、北西の外れにある。年ごろの若者が集まるせいか、女子寮だけセキュリティが高い。
オートロックの自動扉を抜けると、校舎へ続く階段のところで、リヒトが待っていた。
「おはようございます。今日はレオンさん一緒じゃないんですね。」
「あいつとは仲良しこよしをしてるつもりはない。同じ任務を受けているというだけ。」
「監視の任は解かれたのでは?」
「親切に案内をかって出てやったが、一人でいたいなら離れる。」
「いえ!お願いします!」
リヒトが歩き出したので、後に続く。
「お前と俺は同い年だ。学年は俺が上だが、敬語はいらない。敬称もだ。」
「はい…、じゃなくて、うん。わかった。」
「それでいい。」
リヒトと同い年なのに学年が違うのは、クロノス学園の複雑な進級制度にあった。
普通の学校はちゃんと授業に出て、テストでそれなりの点数を取得し
単位や出席日数に問題なければ進級できるのだが、クロノスは違う。
まず入学して3年間は義務教育。他の学校と同じように進学する。
問題は4年生に上がるとき。
3年生最後の進級試験に合格すれば、4学年Ⅱという資格になり、不合格なら4学年1になる。
Ⅱの資格を得て、必修科目単位を取得すれば、3か月ごとに行われる進級試験で、あっという間に5年生に上がれるのだ。
大学のようなカリキュラム制と、試験に合格すればよしという実力至上主義。
6学年だけはⅠもⅡも必修なので5か月は単位を取り続けなければいけないらしいが、
Ⅱの資格をキープし試験に合格し続けさえすれば、入学から最短4年で卒業できてしまうのだ。
大抵の生徒は丸々6年在学することになるらしいのだが、ルフェの前を歩くリヒトは17歳にして6学年。
最短コースを歩み、あとは卒業試験を合格すればいつでも卒業出来る超優等生だ。
ルフェはというと、丸3年はアテナ女学院で学び単位も取得していることから
4学年Ⅱへの編入という形になったと、昨日のオリエンテーションで聞いた。
順調に必修科目単位を取得すれば、3ヶ月後には進学試験を受けられるので、5学年に上がれるらしい。
ルフェの最大の目的はマナのコントロールなので、最短進学にはさほどこだわってないが。
マイペースに学べたらなーと気楽な事を考える。
女子寮の坂を下り、武道館の隣を通り過ぎ、本校舎A棟に入る。
クロノスでは、カリキュラム制度より、校舎の並びを覚えるのが大変そうだ。
この学園は増築増築の繰り返しでマンモス校にまでなったらしく、校舎だけで8棟もある。
他に来賓用の特別棟や体育館、グラウンド、競技場に男女寮、他に諸々20以上の建築物が存在する。
まずは食堂で朝食をとらねばならないのだが、正直、リヒトがいなかったら迷子になっていただろう。
クロノスに住む生徒、教師は皆食堂で3食の食事をとる。
売店も男子寮の隣にあるらしいのだが、食堂に行けば間違いなくご飯を食べられる。
食堂も敷地内に3か所存在するが、近いので本校舎A棟に隣接した食堂を使う。
一気に500人入っても平気なように作られたそこは、小アリーナぐらい広さがある。
食事を作り配給する場所は入り口側の壁全部。種類も豊富で、欲しい料理を取ってトレイに乗せるシステムらしい。
ルフェはとりあえずリヒトの真似をしてパンとシチューを取り、空いているテーブルに着席する。
見慣れぬ女生徒に気づいた生徒は、物珍しそうに彼女を物色するが、大半の生徒は寝ぼけ眼で朝食は取っている様子。
人混みが嫌いなルフェだが、平和に食事出来てることに驚いた。
「ねえリヒト。クロノスの皆は、私の噂知らないの?」
「山奥の学校だからな。アテナ女学院でのウィオプス騒ぎのは入ってきてないんだろう。」
「いいのかな、言わなくて。」
「言ったところでこいつらは気にしない。クロノスは様々な人間が出入りしているから、いちいち気にしていたら進級試験に響く。
ただし箝口令をしいているわけではない。お前がクロノスに来た噂はやがて伝わるかもしれない。覚えとけ。」
綺麗な作法で食事をするリヒトは目線を上げずにそう言った。
怯え、蔑む眼が脳裏を横切ってはちくりと心臓を刺して去っていく。
大罪人が同じ学校にいると知れたら皆嫌がるし、学校にも迷惑をかけるだろう。
学園長がかけてくれた言葉を思い出す。
先のことを心配しても仕方がない。
此処で『私がシャフレットを滅ぼした大罪人です』と告げるのもおかしいので、大人しく食事をとる。
時間が進むにつれ、食堂に人がどんどん入ってくる。
空席だらけだったテーブルが次第に埋まって来たころ合いで、二人は食堂を出た。
目が覚めてきた男子生徒がルフェを見て騒ぎ出したからだ。
ルフェ本人は無頓着で全く気付いていないが、彼女の顔は整っており可愛い分類だ。男子生徒が可愛い転校生に騒がないわけがない。
リヒトはうんざりした様子でルフェを連れ本校舎A棟3階に案内する。
「共通授業はこの教室。その後選択科目はそれぞれだから、誰かに聞け。食堂の場所はもう大丈夫だろうから、
放課後になったら迎えにくる。」
「うん。」
つらつらと説明してくれたリヒトにやや感動する。
彼がこんなに面倒見がいいとは。
アテナ学院の図書館で横暴な態度をみせた人間とは思えない。
「ありがとうリヒト。」
「間違ってもマナを使うなよ。」
「了解しました。」
ふざけて敬礼ポーズをしてみた。
呆れてどっかへ行ってしまうと読んだのだが、かなり意外なことに、頭を撫でられた。
レオンがよくするその行動に、さすがのルフェも面食らって固まった。
「煩い輩は無視しておけ。シャフレットについて知るものがいても同等だ。」
「…心配してくれてるの?」
「お前を見守るように命じられたからな。レオンのバカがいない時は俺が責任もってお前の側にいる。
アテナの図書館で世話になった礼だ。」
「リヒトがそんなに律儀な人だったなんて、びっくり。」
うるさい、と小言を漏らしてから、今度こそリヒトは踵を返して自分の教室がある上階へ行ってしまった。
取り残されると、急に不安になる。
転校の挨拶は昨日済ませてしまったため、付き添いの先生もいない。
アテナの教室だったらアンナがいたし、一人は全然苦じゃなかったのに…。
まだHRまで時間があるので、人がまばらな教室に入る。
教室内にいたのは5人。全員男子生徒。
だが、全員ルフェに興味はさほどないらしく、一瞥しただけで特に何も言われなかった。
ほっと胸をなでおろし、自分の席に着く。
窓側の、一番後ろの席。
引き出しから教科書を出したりしていると、声をかけられた。
「おはよう、イェーネさん。」
ルフェの後に入って来た男子生徒の一人が、カバンを肩にかけたまま挨拶してくれた。
彼はルフェの前の席に座った。
「お…、おはようございます。ジノくん。」
「名前、憶えてくれたんだ。」
「前後ろのよしみで。」
「それは光栄だ。」
カバンを机の脇にかけて、ルフェと会話が出来るよう横を向いて椅子に座るジノ。
彼は地味で冴えない見た目をしている。
いかにも普通の少年。ルフェが憧れる普通を象徴したような。
「女子生徒は、男ばっかで息苦しいだろうけど、頑張ってね。」
「皆に言われた、それ。」
「女性は肩身が狭く感じるらしくってね、辞めちゃう女子多いんだよ。」
「なるほど。」
「イェーネさんはー」
「ルフェでいい。名字、言いにくいでしょ。」
では遠慮なく、と名前を呼んでから続ける。
ぽつぽつとクラスメイトが教室に集まって来た。
「ルフェは名家の令嬢とか?」
「違うよ。」
「コルネリウス家の主席様に、次席のリヒトさんが付き添いしてたから、てっきり貴族か政治家のご令嬢かなって。」
「ついこのあいだアテナ女学院と交流会あったでしょ?私アテナから来たから、その時に知り合ったの。色々面倒みてもらってる。」
色々複雑なんだ、とは初対面同様のクラスメイトに話せるはずなく、とりあえずそういう説明をした。嘘はついていない。
やがて先生が教室に入ってきて、1日が始まった。
前後のよしみ、なのかジノがなにかとルフェの世話を焼いてくれたおかげで順調に授業をこなすことが出来た。
ジノ青年はルフェより一つ年下の16歳だった。
順調に進学試験を終えた優等生であることに加え、気さくな性格で話しやすい。
教室まで案内してくれたり、授業内容が分からなければ補填してくれたし、大変助かった。
アンナの時といい、人の運はあるようだ。
あっという間に放課後になった。
宣言通りリヒトが迎えに来た。
「さっきのはクラスメイトか?」
「うん。前の席で、色々お世話してもらった。」
「よかったな。」
感情なく答えるリヒトの横顔を、ばれぬように盗み見る
一般生徒にとって、レオンやリヒトがどんなにすごく遠い存在か、先ほどジノに教えてもらったのだ。
約1400人いる生徒の中で、4学年以上は成績でランクをつけられる。
座学、実技両方の総合点上位10人は公表され表彰される。
アテナ学院の時のように他校との交流会選抜メンバーに選ばれたり、魔法院や有名企業への研修を受けられる。
トップであるレオンは有名な貴族の子息のため家督を継ぐだろうが、
ナンバー2のリヒトには卒業前にして各業界からスカウトの噂が後を絶たないとか。
「なんだ、人の顔を覗き込んで。」
「リヒトって、すごい人だったのね。」
「別に。所詮俺は二番手だ。貴族の王子様が表に出ないから俺がチヤホヤされるだけだ。」
端正な横顔から強い苛立ちを感じたが、元の凛々しい表情に戻ったので、ルフェは何も言わなかった。
1階の昇降口にやって来た時、見知った顔を見つけた。
「グラン!」
群衆の一人がこちらを向くも、手を振るルフェを見つけた途端逃げるように玄関の外へ逃げていった。
代わりに、ルフェを呼ぶ声がした。
レオンだ。群衆をかき分け大男が二人に歩み寄る。
周りの生徒は、学園トップとトップ2が並んでいる風景に大層驚いている様子をみせた。
「どうだい、クロノス学園は。」
「特に問題ありません。授業の遅れも大したことなかったのですぐ取り戻せます。」
「友達できた?」
「友達というか、面倒みてくれる人はいます。」
そいつはよかった、と満足そうにうなずくレオン。
娘を見守る父親のようだ。
「アテナを出てからグランが冷たいのですが…私何かしましたでしょうか」
「あいつも色々あるんだよ。」
「いろいろ?」
ルフェが首を傾げると、リヒトが静かに告げる。
「あいつはシャフレットの近隣に住んでいた。」
「おいリヒト、」
「親しい人間を失ったと聞く。」
「なるほど…。」
彼が出て行った玄関先を見つめる。
そうか。
彼も。
傘立てに忘れられた黄色い傘が、なんだかとても苦しそうに見える。
普段ならなにも感じないのに。
もうグランと本の話で盛り上がれる日はこないのだろうと、悟ってしまった。
彼にとって、私は悪人。
ちょっと…寂しい気分だ。
レオンに名を呼ばれ顔を上げる。
幸いにして、自分は基本無表情。引きつった頬の筋肉がばれてないと思う。
「無理に距離を詰めることは無いです。成り行きにまかせます。」
「そうしてやってくれ。つっても、あいつも交流生に選ばれるぐらいの優等生だ。今後嫌でも関わってもらうことにはなるがな。
さて、ルフェ。まだ校舎全部案内してないだろ?一緒にいこうぜ。」
「案内するお前も、ろくに校舎にいないだろう、特待生。」
「冷たいこというなよ。こっからは俺がエスコートするからリヒトは帰っていいぜ。」
「ルフェに手だしされては学園長に怒られる。」
「二人っきりに――」
「却下だ。」
学園トップとナンバー2に囲まれ学校を探索することになった。
放課後となったので、校舎内に話し声や笑い声が溢れ、外のグラウンドからは運動部の掛け声やボールが投げられる音がする。
廊下ですれ違う生徒達はナンバー1と2を見なり目を見開いて驚いては居たが、授業が終わった解放感から楽しそうだった。
ルフェの教室がある本校舎A棟は4~8学年の教室しかなくて面白くない、という理由で省略された。
ちなみに1~3学年は敷地の北東にある初等科で勉強しているらしいが高学年生は入れないので当然省略。
本校舎B棟から回ることになった。
B棟は家庭科室、多目的教室、コンピューター室など学習する教室が多く、静かであったが
次いで足を踏み入れた本校舎C棟は騒がしく人が多かった。
C棟は技工室、魔法科学室や音楽室など、実践系の教室が集まっており、
4階に3部屋ある実技室は生徒が自由にマナの戦闘訓練が出来るので賑わっていた。
床は板張り、壁には魔法を反射する術が掛かっており、中には監視用の教員もいるので安全だ。
学園ナンバー1のレオンと是非手合わせしたいという生徒が押し寄せてしまったので、3人は1階まで逃げることとなった。
1階は機械室や警備員室、倉庫などがあり特に見学する所も無かったので、学生テラスに行こうかとなったところで
何かが割れる甲高い音が響いた。
B棟へ続く渡り廊下の前で、男子生徒が二人睨み合っていた。
二人とも、マナを投げ合う競技で使う杖を手にしており、手前側の生徒の右側窓が割られていた。
ルフェが心配になってリヒトの顔を見上げると、眉間に皺を寄せてため息を吐いた。深めに。
「ただの小競り合いだ。ガラスまで割りやがって・・・。」
「でもあれ、宣言されてないみたいだぜ?」
「宣言?」
ルフェが首を傾げたと同時、奥の生徒が杖を振るい、杖から放出されたマナが対面する生徒に向けて投げつけられた。
が、生徒に当たる前に間に入ってきた女性によって弾かれた。
鮮やかなピンク髪をツーテールに結び、メイド服のようなエプロン付ワンピースを纏った若い女性。
制服を着てないので、生徒では無いようだ。
腰に手を当て仁王立ちになると、杖を持って睨み合う生徒両方を睨み付けた。
「ちょっとあなたたち!ブロール宣言されてない小競り合いは無効よ。マナやガラスが他の生徒に当たったらどうするつもりだったの!」
「でもエメルちゃん、コイツが・・・!」
「だまらっしゃい!喧嘩両成敗、しばらく反省していてもらいます!」
仲裁に入った女性が人差し指を振るうと、ピンクの粒子が現れ。生徒二人はあっという間にカエルに変身してしまった。
他者の姿を変える変身魔法だ。
生徒は数秒、自分に起きたことがわからなかったのかぼんやりしていたが、自分の手の平が水かき付きの緑色に変わった事がわかると
カエルの鳴き声で悲鳴を上げると、飛びはねながらどこかへ消えてしまった。
「カエルになっちゃった・・・。」
「自業自得だ。もっと小さいものになって他人に踏まれないだけマシだろう。足もあるしな。」
「ナメクジとかアリに変えられた奴ら、ちゃんと戻ったのかね。」
「知るか。」
「ねぇ、今のどういうこと?」
リヒトに問うと、心底馬鹿らしい、という顔をしたまま説明してくれた。
「この学園は元男子校なだけあって、喧嘩や騒ぎが多い。他の生徒が巻き込まれたり校舎へのダメージがデカかったりする。
そこで現学園長が考えたのが、ブロールっていうバカ騒ぎを公認するシステムだ。
どうせ押さえ込もうとしてもバカ共は勝手に暴れるから、ルール内で暴れさせることにした。
両者、もしくは両チームがブロールという宣言をすると、喧嘩に参加する人間が自動選定されて
宣言した者同士はいくら殴り合っても、校舎を壊しても罰はない。
ただし、宣言をしたら両者が納得いくルールをいくつか設けなきゃいけないし、守らねばならないラインもある。
例えば、ブロール宣言をしていない他者を巻き込めば自動的に負ける、とかな。」
「逆に、巻き込まれれば終わるまで喧嘩に付き合わなきゃならねぇ。ルールを決めるのは本人達だからな。ホント面倒くさい。」
レオンは何度か巻き込まれた事があるらしく、どこか疲れた表情を浮かべて頭を掻いた。
ピンク髪の女性が、割れたガラス窓を魔法で直している。
「校舎壊しても怒られないの?ってことは、壊した箇所はあの人みたいに先生が直してくれるの?大変じゃない。」
「いんや。ブロール宣言中の物損は、学園長の魔法で終了後勝手に修復されるようになってんだよ。
だが宣言外の物損は別。」
「そういうこと。宣言すると学園長に筒抜けだから、わざと宣言しない子達もいて、大変なのよー。」
ピンク髪の女性がくるりと向きを変えて、3人の前にやってきた。
ガラス窓は新品のようにピカピカになり、ヒビがあった形跡は一切残っていない。
長いまつげがカールして、ずいぶんと可愛らしい人だ。
「貴方が噂の転校生ね。レオっちとリヒリヒが案内してるの?」
「おう。」
「なるほど、だから二人が仲良くしてるわけね。」
「別に仲良くはしてません。あと、その呼び方やめて下さい。」
リヒトの小言を無視して、女性はぐいっとルフェに顔を近づけた。
「初めまして!アタシ、保険医のエメルよ。エメルちゃんって呼んでね。」
「ルフェ・イェーネです。」
「女の子が増えて嬉しいわー!ねぇねぇ、アタシの保健室も見てってよ!お茶とお菓子もあるわ。ね、いいでしょ?」
といいながらエメル女史に手を引かれてしまったため、学校案内は一時中断して、保健室へ向かうこととなった。
保健室は本校舎C棟の北側にある。
治癒魔法があるので利用者はあまり出ないのだが、気分が悪いとか熱が出たとか、魔法では無い普通の医療が必要な場合は
保健室を頼らざるおえないので、1階部分の1/4を使った場所を確保している学園唯一の保健室だった(初等科を除く)。
と、道中説明を受けたルフェだったが、保健室に一歩足を踏み入れて目の前に広がる光景に足が止まってしまった。
そこはまさしくファンシーな女の子の部屋だった。
薄い紫とピンクのカーテン、細かいイチゴ柄の壁紙。
気分が悪い生徒が使うであろうベッドにはレースの天蓋が付けられ、枕元にはぬいぐるみが沢山お座りをしている。
診察用と思われる椅子は豪華絢爛な白塗りの装飾が施され、
ルフェ達に座るよう案内した猫足テーブルもどこかのお姫様の部屋にありそうな代物だった。
「此処・・・エメルさんの個室?」
「保健室だ。普通の男はどんなに気分が悪くても此処で休ませてもらおうとは思わないけどな。」
眉間の皺を濃くしたリヒト。
本当は足を踏み入れたくなんてないんだろうが、ルフェの護衛である以上離れるわけにはいかないようだ。
部屋の空気に圧倒されながら素直に椅子に座ると、貴族の家で出てきそうなティーセットで紅茶を出してくれた。
とてもいい匂いがする。
「アールグレイですね。」
「嬉しい!わかるってくれるのね!さすが女の子。こっちも食べて頂戴。アタシが焼いたのよ。」
大皿に山盛りにされたカップケーキもまた、女の子が好きそうなピンク色のチョコレートが掛けられ
カラフルなビーズで飾られていた。
遠慮無く、とレオンが手を伸ばしたので、ルフェも一つ手にとって、一口。
いかにも甘そうな見た目と違って、口に広がるのは上品な甘さだ。
チョコレートにはラズベリーが混ざっているようで、酸味がチョコの甘さを抑えてくれている。
アールグレイのお茶とも相性抜群だった。
「美味しいです。」
「そう、よかったー。ほら、リヒリヒも食べてよー。甘いの大好きでしょ?」
何か言いたげな顔をしたが、リヒトも素直にカップケーキを手に取って食べ始めた。
レオンと違って、実に上品な作法でカップケーキを食べるリヒトを観察していると
表情は変わらないのに、リヒトの周りに花が舞っているような、そんな空気を感じた。
本当に甘い物が好きらしい。彼の周りの空気が一気に柔らかくなった。
その様子を、テーブルに両肘をついてエメル女史は満足気に眺めている。
「沢山あるから、いっぱい食べていってねー。お茶のおかわりもあるのよ。ルフェちゃん、ほら、おかわり。」
「ありがとうございます。」
「此処、滅多に人が来ないから退屈してたのよー。いつでも遊びに来てね。」
「あの・・・、さっきの、ブロールについて聞いてもいいですか?」
「ええ、どうぞ。」
「宣言をした人は自動認定されるって聞いたのですが、レオンは巻き込まれたことがあるって・・・。どういうことです?」
ティーポットを置いて、エメル女史は説明してくれた。
「ブロールのルールは各自が決められるのよ。もし宣言した生徒が、
”自分の代わりにレオンを身代わりで戦わせて勝敗を決める”って決めたら、
レオンはどこにいてもブロールに組み込まれ、身代わりで戦わなければならないの。」
カップケーキを紅茶で流し込んだレオンが、そうそう、と話に加わった。
「オレが主席になってから、オレを指名するヤツばっかりでよ・・・。毎日数件誰かの喧嘩代行やってたぜ。」
「主席は狙われやすいからね。そこから、喧嘩の代行指定は禁じられたけど、
別のルールでは他人を巻き込めるから、ルフェも気をつけなさい?」
「例えば、ルフェが選んだ方が勝者になるルールとか、ルフェが召喚魔法で○○を召喚できたら勝ち、とか。」
「なんでもアリですね・・・。」
「退屈してるのよ。この学園に入ったら、滅多に外に出れないもの。この森の奥じゃ、街へ遊びに行くなんて気軽に出来ないし。
だからブロールなんて制約魔法を学園長先生が作ってくれたの。」
そういえば、とエメルが顔を上げてルフェを見た。
「学園内案内してもらってるのよね?次はどこに行くの?」
「学園テラスか、購買所かなーって話してたとこだ。」
「特別教室棟は行かないの?」
「許可取ってねぇし、色々危ないだろうが。」
「ルフェちゃん!エメルと植物教室行こうよー!珍しい植物沢山あって面白いよ。」
「絶対制服汚れるだろうが、あそこ。」
「汚れたらエメルとシャワールーム行って洗いっこすればいいじゃない。」
いやだめだろ、とレオンが呆れた顔をした。
「あんた、男だろ。」
「・・・・・・え?」
カップを持ったままルフェは顔を勢いよく回した。
男?この可憐な女史が?
「コラ―!バラすの早すぎぃ。」
「周知の事実だろ。気をつけろルフェ。この人、クロノスの生徒だった時は、
腕っ節だけで喧嘩ふっかけてきた男共をぶちのめして死体の山を築き上げたという伝説が―・・・。」
パキッという爽快な音を立て、エメルが手にしていた銀のフォークが真っ二つに折れた。
可愛く笑ってはいるが、レオンの口を閉じさせるには十分だった。
「エメルはエメルだからいいのぉー。ルフェちゃん、困ったことがあったらいつでもおいでねー。
アタシ心は女そのものだから。男共にはいえないことたくさんあるだろうから、相談乗るよー。」
「はい。」
今までずっと黙っていたリヒトが立ち上がった。
そろそろ行くぞ、と踵を返して出入り口へ向かったのだが、大皿の上に乗っていた大量のカップケーキは、1つも残っていなかった。
「手品ですか・・・。」
「リヒトはああ見えて大食いで、尚且つ甘党。気に入ったらしいな、カップケーキ。」
「フフフー。」
手を振るエメル女史におじぎをして、リヒトの後を追う。
のんびりとお茶をしていたら、窓の外は夕焼けに染まっていた。
「どうする?まだ時間あるし、もう少し案内するぜ?」
「いえ、もう十分です。大体の場所は把握しました。ありがとうございました。」
「そっか。どうだい、クロノスは。」
夕日を瞳の中に溜めながら、レオンがルフェの顔を覗き込む。
一度、マナの膨出を手伝ってくれたことがあったせいか、その慈愛が見え隠れする瞳には安心出来た。
新しい場所はやっていけそうか、大丈夫かと聞いてくれているように受け取れた。
「皆個性的でキャラ濃すぎですし、いつも騒がしいし、汗臭いし。」
「あはは、確かに女子校では無い要素だな。」
「でも・・・、皆とても楽しそうで、自由で、いいところなんだと思います。」
ルフェが前を向いてそう言うと、そうか、とレオンが大きな手でルフェの頭を撫でた。
「困ったことがあったらいつでも言え。すぐ助けに行く。」
「お前、あまり学校にいないじゃないか、特待生。」
「うるせぇ!心意気の話だ!」
「頼りない助っ人だな。」
先ほどカップケーキを食べたばかりだが、せっかくだから夕飯を食べて行こうと食堂に行くことになった。
レオンとリヒトに囲まれ注目を集めたり、
カップケーキで胃袋を刺激されたのか、リヒトが山盛りの唐揚げとご飯の山を涼しい顔で平らげ、周りを驚かせたりした。
ルフェの転校初日は、こうして幕を閉じた。