❀ 2-3
クロノス学園での生活、2日目。
昨日食堂で、主席と次席に挟まれて夕食を取っていたのを多くの生徒に目撃されたため更に目立ってしまい、
クラスメイトはジノ以外寄ってこなくなってしまった。
といっても、騒がしいのも気を遣うのも嫌いなので、人除けにはちょうど良かったかもしれない。
お昼時。
今日も律儀にリヒトが迎えに来て、ジノも誘ってお昼を食べていると、タテワキ先生がやって来た。
午後、ルフェはタテワキ先生による個別授業となった。
座学は他の生徒と一緒で問題ないが、少量でもマナを使う授業は別の場所で行うこととなっている。
せめてマナが自在に操れるようになるまで。
当然だ。マナを暴走させて他の生徒に被害が出ては困る。ルフェもそれは嫌だった。
せっかく新しい居場所を与えてもらったのだから。
タテワキ先生の背中について行くと。武道館を過ぎ、女子寮を右手に通り過ぎ、どんどんと森の中に入っていく。
まだ学園の敷地内ではあるらしいが、どこに向かっているのか検討もつかない。
転校初日に覚えた校内地図では、この先に何も無かったはずだ。
口を出さず大人しくついて行くと、鬱蒼と茂る木々の間に、小屋が見えた。
正方形の小屋は日光を受け鈍く銀色に光っている。アルミ製か何かだろう。扉が一つついているだけで窓は見当たらない。
明らかな人工物は森の中でかなり違和感があった。
先生はポケットから鍵を取り出して扉を開けると、中に入っていく。ルフェも後に続いた。
暗闇しかなかった小屋に先生が明かりを点ける。
すると、内側の壁一面、虹色の光沢があるパラボラアンテナのような平たい皿が沢山設置されていた。
天井も似たような機材が敷き詰められており、広さは教室を一回り小さくしたぐらい。外で見た時より中は大きく感じる。
内部には他に何も無かった。
「俺が特注で作った君専用の訓練施設だよ。壁に貼ったマナ吸収アイテムで、
君が万が一シャフレット級のマナを放出しても大丈夫なように作ってある。」
「わざわざ、私のために?」
「当たり前だろ?君を早く一人前にして前線で戦える魔法使いにするのが俺と、学園長が出した条件なんだから。」
条件通りに早く一人前にならなくては、ルフェは抹消される。続きの言葉はルフェが一番よくわかっていた。
ルフェを生かすために、きっと沢山の大人が院と約束を交わしたに違いない。
魔法使いに取って、約束は呪縛。達成しないと、殺される場合もあるのだ。
「まあそう気負わない。気楽にね。じゃ、まずはこの魔法具にマナを込めてみて。」
手渡されたのは、黒い岩石のような何かだった。
石というより、表面がかなりデコボコしていて、溶岩が固まった土を切り取ったような。
手の中で観察すると、光沢は紫でラメのようにキラキラと光っている。
これも魔法具なのかとちょっぴり疑いつつ、とりあえず言われた通りマナを込めてみる。
手の中の石が形を変えてウネウネと動き出した。
堅い石がスライムyのような軟体動物の動きをしてみせたが、僅かに表面を波打たせただけですぐ固まってしまった。
「もっと思いっきり込めていいよ。さっきも行ったけど、此処は安心だし、万が一が起きても俺が抑えるから。」
「込めてます。」
「アテナでウィオプスを退けたぐらい込めて。」
アテナ女学院でレオンに守られながら力を放出した時のことを思い出す。
あの時は必死だっただけだ。
親友のアンナを守りたかっただけ。
手の中の石がまたウネウネと身をよじり出すが、丸い石が楕円に伸びただけでまた固まってしまう。
「フム。君はちょろちょろとしたマナしか出してこなかったから、制御癖がついてるね。
これじゃ細かい制御が出来ないし、力を込める恐怖感が根強い。少し出力を学んだ方がいいね。」
「すみません・・・。」
「謝らない。君にそれを教えるために俺は此処にきた。」
その日の午後は、ひたすら手の中の石にマナを込めるという作業しかやらなかった。
タテワキ先生はいくつかのアドバイスをルフェに与えたが、魔法具は先生が満足する変化は見せてくれなかった。
結局、就業のベルが鳴ったので本日の授業は終わりとなった。
魔法具は持っていなさいと言われ、ポケットにしまい、帰りは一人で森の中を辿る。
マナを上手く出せなくて落ち込むことなんて初めてだった。
今までは極力抑えるような生活をしていたし、そもそも封印が施されていたので
頑張っても生活に支障ないレベルのマナしか使えなかった。
自分の意思で全力を出したのは一度だけ。
今までとは真逆で、望んでマナを使わなければならなくなるなんて、1年前の自分は想像もしていなかっただろう。
高位魔術師を何時間も付き合わせて、満足のいく結果が何一つ得られなかったことに落ち込みながら、校舎に戻ってきた。
森の中を歩いてる間にHRも終わってしまったらしく、廊下には生徒が溢れている。
リヒトが迎えに来ているはずだ。居ないと知れたら大問題に発展しそう、と慌てて足を速めた。
が、本校舎A棟の玄関はすでに生徒で溢れており、ルフェを見て指さす者が多数見えた。
なんとなく、まだ人混みが苦手なルフェはあの人混みをくぐり抜けるのが無謀に思えて
本校舎C棟から渡り廊下を抜けてA棟に行くことにした。
CとAを結ぶ渡り廊下は2階にあるため階段に向かうと、
階段の脇にあるC棟とB棟を結ぶ1階渡り廊下の方からルフェを呼ぶ声があった。
レオンだった。
その渡り廊下にも人が集まっていたが、皆ルフェではなく外に視線を向けていた。
何か気になって、レオンの隣へ行く。
C棟とB棟の間で、生徒が沢山集まって睨み合っていた。雰囲気は和やかとはほど遠く、殴り合いが今にも始まりそうだった。
「よう、どうしたルフェ。リヒトは?」
「今タテワキ先生の授業が終わって、教室に戻るとこでした。この集まりは?」
「最近賑やかな集団達がブロール宣言したんだが、中々ルールが決まらないみたいで睨み合ってんだよ。」
「その様子をみんな見てるんですか?」
「あいつらが出す決闘方法、結構面白いんだよ。ボクシングしてみたり、腕相撲してみたりさ。」
レオンに隠れてわからなかったが、隣にいた生徒がひょいっと大男の奥から顔を出した。
黒髪の真面目そうな男子生徒だったが、雰囲気がかなりおどけてるというか、緩い感じがする。
「やっほー。君がルフェちゃんかー。俺、レオンのクラスメイトで唯一の友達、サジ・オルヴァルト。よろしくね。」
ぺこりと頭を下げて挨拶する。クラスメイトということは、この人も6学年Ⅱなのだろう。
「レオン、ちゃんと友達がいたのですね。」
「ブッ、ハッハッハ!ルフェちゃんいいねー。こいつにそんな物言い出来る子そうそういないよ。」
「お前もな!コルネリウス家の俺に無遠慮で近づいてこれるのお前ぐらいだ。」
「まあまあ。誰も近づいてこなくて寂しかったろー?俺がいてよかったなーレオン。」
レオンも、貴族で主席で、何かと肩身が狭いとか感じていたのだろうか。
ルフェにアンナやジノがいてくれるように、レオンにも側に居てくれる友人がいたらしい。
睨み合う集団達に目線を戻すと、サジが補足をしてくれた。
「左側にいるのが5学年がリーダーのチームね。仮称でブルーとするか。右側が6学年がリーダーの仮称レッド。
派閥的な問題でいつも喧嘩してて、面白がった連中がどんどん加入していったことにより巨大化。
ああやって、週に1回は小競り合ってる。奴ら、ただの喧嘩ってより競技で戦うから、
こっちはスポーツ観戦してるみたいで楽しいんだよ。」
「民衆の退屈しのぎってわけですか。・・・私、教室戻らないとリヒトが心配するので、そろそろ――ー」
踵を返しかけた時、仮称ブルーのリーダーと目が合った。
リーダーがにやりと笑う。
「あの転校生にフラッグを運んでもらうってのはどうだ?」
しまった、とレオンがルフェをかばうように立ちはだかったが、遅かった。
「俺のチームフラッグを転校生に託す。フラッグを持った転校生が夕刻のベルまでに正門に運べたら俺達の勝利。
阻止出来たらお前らの勝利。俺らは全力で援護する。」
「乗った!!」
波紋のように、薄紫のオーラが走り廊下や建物を沿って広がっていった。
それがブロール宣言をした後に展開される魔方陣のようなものだとルフェは知るはずもなく、
気づいた時には転移魔法でブルーのリーダーが目の前にやって来ていた。
「駄目だ!こいつを巻き込むな。」
「あんた以外の代役指定は自由だぜ、主席さんよ。拒絶の意思を示さなかった転校生が悪い。」
「それは教えて無かったんだよ!」
「ってことで転校生、コイツを正門まで運べ。」
両手の平に乗せるには少し大きな白い箱を押しつけられ、受け取るしかなかったためにルフェの手に渡った。
キョトンとするルフェを差し置いて、慌てだすレオンとサジ。
「ルールを知らないヤツに押しつけるなんて、無効だろ!」
「だがブロール宣言の中に組み込まれてる。正当と見なされてるんだ。これは逃がした方が得策だね。」
「俺が代行する!」
「駄目だ。主席のお前が加担したとなってはバランスが崩れるだろうが。せっかく学園長先生に除外してもらったってのに。」
「だがルフェがー」
「これを持って、敵チームの人たちに取られないように正門まで辿り着けばいいんですね。」
焦るレオンを差し置いて、ルフェは冷静に仮称ブルーのリーダーに確認を取っていた。
「フラッグ設置時間ってことで30秒やる。合図が鳴ったらあいつらが追いかけてくるからな。
わかりやすいように、俺達は青いバンダナを腕に巻いて、あいつらは赤いバンダナを腕に巻く。
任せたぞ、転校生。」
「やれるだけやってみます。」
リヒトには現状を伝えといて下さい、とだけ言い残し、ルフェはたくましく一人で走り出した。
追いかけようとするレオンをサジが止めた。
ルフェはまず渡り廊下からB棟に入った。正門へ真っ直ぐ行きたいところだが、
赤チームの人に捕まらないように上手く迂回するか隠れなければならない。
けたたましいブザーの音が鳴り響いた。ゲームが始まってしまったようだ。
雄叫びと、地鳴りのような者が聞こえてきた。
B棟の南へ行ければ正門まで真っ直ぐなのだが、そうも行かないようだ。
反対側の渡り廊下から赤チームと、赤を止めようとする青チームがもみくちゃになりながら廊下を走ってる様が見えた。
青チームの誰かが上へ行け、と叫んだので、とりあえず言うとおり階段を上がる。
2階へ上がると、反対側の階段からも群衆が上る気配がしたので、3階まで走る。
と、いつの間に先回りしたのか、ガタイのいい赤チームの男子生徒3人が、4階に上がる階段の上で待ち伏せしていた。
ルフェを文字通り体当たりで止めようと階段から飛んで降ってくる。
か弱い女性を男が3人のしかかろうとするなんて、さすがにどうかと思ったので、
ルフェは機敏にかかとで重心を回し2階へと戻る。
2階では人が溢れていたが、青チームが赤チームを抑えてくれていたので、小柄な特徴を生かし間を器用にくぐり抜け走る。
すると、本校舎A棟に続く渡り廊下の先に、リヒトが見えた。
遠くにいるリヒトが、何か大声でルフェに叫んでいる。
ここから飛べ。
そう聞こえた気がする。
気配を感じて振り返ると、赤いバンダナを腕に巻いた男がすぐ真後ろに迫って、ルフェに手を伸ばしていた。
飛べ?飛べってなに。
廊下から下に飛び降りろってことかしら。でも此処は2階。
リヒトはそれ以上何も言ってくれない。
このままじゃ捕まってしまう。手の中にある四角い箱をぐっと胸に抱き寄せる。
走っていたら、首に提げたアセットが制服から出て視界に横切った。
アテナ学院長からもらった特注のアセット。
ああ、そういうことか。
タテワキ先生からマナ使用禁止令は言い渡されていない。
走る度跳ねていたアセットを握りしめ、マナを込めた。
僅かな光を帯びて、ネックレスサイズだったアセットが、ルフェの身長ぐらいある白い箒に変形した。
箒にまたがって、渡り廊下に出た途端ルフェは飛んだ。
古代期の魔女は箒で空を飛んでいたと歴史の授業で習ったけど、自分のマナで操縦する木の棒は飛ぶには心許ない。
後を追う男達も、ルフェが急に飛行するとは思ってなかったようで渡り廊下の手すりを悔しそうに握っていた。
ハッと我に返り飛ぼうとする輩は、味方チームが取り押さえてくれた。
とりあえず、ほっと一息つく。
『お疲れー。第一難関突破おめでとー。』
緊張感のない緩い声がした。
ルフェと併走するように、白い折りたたまれた紙が箒の横を飛んでおり、そこから声がした。
「えっと・・・サジさん、でしたっけ。」
『そう、サジだよー。』
白い紙は鳥のような形をしており、羽らしき箇所をはためかせた。
『俺は宣言外だから直接の手助けは出来ないけど、サポートはさせてもらうよ。』
「ルール違反にはなりませんか?」
『どっちかのチームに加担しなければOK。違反にはならない。僕は君の安全を優先するだけさ。
隣でレオンが怪我しないかヒヤヒヤしてるからね。』
困り顔で心配そうなレオンの顔が見えるようだった。ルフェはちょっと笑ってしまった。
話してる内に、ルフェのように飛んで追いかけてくる人影がいくつか見えた。
アセットを箒ではなく、ボードにして乗ってくる赤チームの男達が険悪な表情でスピードを上げてくる。
『このまま真っ直ぐ正門を目指してもトラップだらけだろう。迂回して隠れるのも手だよね。』
「めんどくさいので、正面突破します。このゲーム、時間を掛けて相手側に策を練られる方が危ないです。
私は味方との通信出来ない見たいですし。」
『策を練るほどあいつら頭良くないと思うけどー。脳筋バカが多いから振り落とされるかもよ?大丈夫?』
「なんとかやってみます。マナでの操縦はそこそこ成績良かったので。」
昼間、あれだけ頑張っても魔法具を変形出来なかったストレスがあったのかもしれない。
ルフェは箒型になったアセットにマナを定着させ集中した。
前方から、ボードアセットに乗った赤チームが2人急接近してきた。
後ろを確認すると、後方にいた3人もスピードを上げた。
前後合計5人がルフェに手を伸ばしてきて、無理矢理掴もうとした直前、ルフェは箒の先を上に向け急上昇。
5人は見事に正面衝突して落ちていった。
「大変・・・怪我させちゃったかな。」
『石頭ばかりだから大丈夫だよ。次、来るよ。』
林から飛び出してきた追っ手達がルフェと同じく急上昇。
手には、魔法具の網を持っている。確か、あれに絡まると抜け出せなくなる。
野生の動物や泥棒を捕獲するアイテムだ。
二人がかりで網を広げてルフェを包み込もうと狙っている。
ならば、と今度は上に箒を向けた体制のまま、急降下。
向きも変えずに降りてくるとは予想外だったのだろう、
一瞬戸惑いが見えた隙を突いて空中で体を90度左に向け、そのまま直線に飛んだ。
行く先に、赤い風船がいくつか浮いていた。
どう考えても罠だろう。下を潜ろうと思ったが、草むらから赤いバンダナがちらりと見えた。
身を隠して投擲でもしてくるつもりか、ルフェを引きずり下ろそうとしているのか。
残るは上か。
「上も罠かな。」
『じゃあ真ん中?』
「行ってみましょう。」
『ルフェちゃんも怖い物知らずだねー。俺そういうの好きよー。』
「飛ばしますよ。」
『お供するよ!』
スピードを上げ、空気抵抗を減らすため身を低くする。
1つめの風船の横を通過。すると、風船が弾けて中からツタ植物のような触手が飛び出てきた。魔法植物の一種だ。名前は忘れた。
真っ直ぐと伸びる触手が、ルフェが抱える白い箱を目指してるのがわかり、
箒を傾けて箱から少しでも遠ざけようと悪あがきをしてみる。
スピードを上げて次の風船を通り過ぎると、やはりはじけて中から魔法植物が飛び出した。
勢いよく伸びてくる触手相手に空中で避けるのは難しく、箱に触れられそうになる寸でで、下から矢が飛んできた。
マナで作った矢だ。味方の青チームが特別教室棟の屋上から飛ばしてくれたようで、早く行け、と下から叫んでいる。
他の風船の横も全て通り触手を出し、味方に射抜いてもらい突破。
特別教室棟の上を通り過ぎて、花壇を通り過ぎれば正門だ。
太陽は夕焼けへと顔を変えている。オレンジ色の明かりを浴びながら、飛び続ける。
辺りに気配はない。妨害が無いわけない、と思うのだが・・・。
石で出来た四角い正門まであと少しというところで、突然正門の前に組み体操で積み上がった人間の壁が現れた。
魔法で補強してあるのか、5段積み上げられてもバランスを崩すことなく立っている。
錯覚魔法でもかけて風景に溶け込んでいたのだろう、突然現れた人間の壁に驚いて箒を急停止させる。
一番上段の男子生徒がルフェに向かって太い腕を伸ばす。
その時、アテナ女学院でマナを大放出させた時の事が頭に浮かんだ。
ウィオプスの攻撃で倒れる生徒、翌日の生徒達による冷たい目線、包帯だらけのアンナの姿。
自分のマナで他人を攻撃してはならないという無意識の制御が働き、アセットに込めていたマナが無くなり箒がネックレスに戻る。
ルフェの体は15mぐらいの高さから地面に落ちる。
壁を作っていた赤チームの生徒達も、組み体操することにマナを調整していたために、
突然の事に対処が遅れ落ちる女生徒を見るしか出来なかった。
驚いている赤チームの人たちの顔、夕焼けに染まりだした空、視界で輝くアセット。
腕の中に抱いた白い箱だけは大事に抱えて、迫る衝撃に備える。
地面へと落ちる重力から急に解放された。
視界の中には、緑や赤の汚れがついた白。白衣だ。
ルフェは空中で、タテワキ先生に抱き留められていた。
先生の後ろで、人間の壁が崩壊していくのが見えた。
「正門超えればいいんだっけ?」
「あ、はい。」
タテワキ先生はアセットを使ってる様子はなく、ただ浮いていた。
道具を使わず浮遊し、ルフェを抱き上げたまま正門を超えてくれた。
ルフェが大事そうに腕の中に抱えていた白い箱が消え、薄紫の閃光が正門や校舎、地面を駆け抜けた。
ブロール宣言で守られていたフィールドが消えたんだろう。
遠くから、歓声と落胆の悲鳴が聞こえる。
正門を少し越した場所に、タテワキ先生がゆっくりと着地する。
ルフェは下ろさぬまま、彼女の顔を覗き込む。
「意外だね。面倒事に巻き込まれるのは嫌いなのかと思ってた。」
「気づいたら巻き込まれてたので。逃げられないなら、やるしかないかなと。」
「マナを使い出したから何事かと思ったけど、興奮して爆発の方にパラメーターが行かなくて良かったよ。」
丁寧にルフェを地面に下ろして、白衣のポケットに手を突っ込む。
「学園長先生に言って、君もブロール宣言から除外してもらうよう言っておかなきゃね。」
「あ・・・すみません。もしや、迷惑かけました?先生、監視役ですもんね。」
「いいや?学生らしく楽しそうでよかったよ。暴走さえしなきゃ問題ない。
ただ一つ聞いていいかい。最後、どうしてマナを解いたの。」
「・・・無意識です。人に当たったらと思ったら、アセットに込めてた力まで解除してしまいました。」
「君のストッパーがわかったよ。」
あの魔法具持ってるか、聞かれ、ポケットから取り出す。
石の形が変わっていた。最後に見た時は楕円形だったのに、卵形に変わり
手の平で包むには足りないぐらい大きくなっていて、色も紫が混じった水色に変わっている。
ずっとポケットに入れていたのに、重さなどは一切感じなかった。
「マナを込めてごらん。」
「でも、此処では・・・・」
まだ人間の壁を築いていた赤チームの人たちは正門の近くにいる。
此処は森の中にある特別な訓練所ではないのだ。
不安げに先生の背後を伺うと、大丈夫だからと優しく諭される。
「さっき箒に乗って障害物を避けていた時のことを思い出しながらやってごらん。アセットの箒を操るみたいなもんだ。」
ほら、早くと急かされて、卵形になってしまった魔法具に恐る恐るマナを込める。
アセットを操って追っ手を避けたり、障害物を避けたり、風を切った感触はまだ体に残っている。
成り行きで行動してしまったが、よくよく考えれば、あんなに人に注目されたのは初めてかもしれない。アテナでの事件は別として。
目立たないように、地味に生きていた。
自分から積極的に動いて、人のうねりの中に入ったのは、生まれてから経験したことがない。
「ルフェ。目を開けてごらん。」
力を込めていたら目をつぶっていたようで、まぶたを開く。
手の中にあったのは、視界いっぱいに広がる黄金の光だった。
両手で包み込んでいたはずの魔法具は、ルフェの顔ぐらい大きくなっており、黄金に輝く光の塊になっていた。
光が上へ上へと滴となって離れていく。離れた滴は蝶の形になって空へ飛び立っていった。
何匹も、何匹も光の蝶は空へと飛びながらルフェの周りをぐるぐる回る。
幻想的な光景に、目が奪われる。
「おめでとう、第一関門クリアだ。といっても、入り口に立ったぐらいだけどね。」
「え?」
「その魔法具は、一定量のマナを込めないと形状の限界突破出来ないんだ。
一定量を学び覚えさせるための魔法具だったけど、羽化とは、面白いね。」
空へ舞い上がる蝶は夕焼けを受けてさらにキラキラと輝いた。
幻想的な光景だった。
蝶が一匹、ルフェの髪に止まった。髪留めのようにとまったそれを、タテワキは目を細めて見下ろしていた。
こんなか細い少女が背負うには、運命は過酷過ぎる。
この子の人生は常に監視される。未来に選択肢はない。
生かすために、学ばせているにすぎない。
楽しい日々を、何も考えず生きていけるはずだったのに―・・・。
「何があっても俺が君を抑える。安心してマナを使いなさい。怖くないと覚えるまで、ひたすら特訓だな。」
「はい。よろしくお願いします。」
魔法具に溢れた黄金の光が無くなるまで、蝶は羽化して飛び続けた。
やがて魔法結界が解かれたので、駆けつけたレオンに怪我はないかと情けない顔で詰め寄られたり
一緒になってやって来たリヒトに小言を言われたりしてるウチにタテワキ先生は姿を消し、蝶の羽化は終わった。、
ルフェの慌ただしい1日も終わった。