❀ 2-8
これはまだ、実家にいた頃の
いつもの朝の光景。
「リクー、リン!さっさと起きないとパン無くなるぞー!」
「にいちゃん、かみむすんでー。」
「はいはい。シャツのボタンずれてるぞ、リナ。」
末っ子の髪を結んでやっていると、朝寝坊常習犯の双子が起きてくる。
寝ぼけ眼のまま、テーブルに置いてあるパンを手に取る。
「顔洗ってきたのか?」
「んー。」
「ウソつけ。」
「リヒ兄、バターどこぉ。」
「目の前にあるぞ、リク。」
リナを椅子に座らせて、洗濯物を干しはじめる.。
自分はもう朝食を作りながらパンをつまみ食いしたし、制服も身に纏っている。
あとは双子の着替えを見届けて、送り出せば終わり。
・・・なのだが、後ろから言い争いの声がしてきて、リンの悲鳴。
「お兄ちゃん!リクがジュースこぼしたぁ!」
「リンが腕をひっかけたんじゃないか!」
「拭いておいてやるから、さっさと顔洗って着替えてこいよ。」
テーブルの上に広がったオレンジジュースを拭きながら、リナのほっぺについたケチャップを拭う。
慌ただしく食器を片付け、身支度を調え、まだぎゃあぎゃあ言い争ってる双子を見送って、リナの手を引いて家を出る。
2ブロック離れたガロアさんにリナを預け―もちろん有料―、自分のジュニアスクールに向かう。
今朝も街は汚くて、酔い潰れたのか行き倒れたかわからない奴らが道ばたで倒れている。
転がる空き瓶、積み重なるゴミ、悪臭。
ここはスラム街。行き場をなくした貧困層が逃げてきた巣窟。
夜にもなれば犯罪は行き交い、他人が他人を傷つける。
無秩序で清潔感も欠片もない街で、俺は生まれた。
生まれながらに貧乏で、弟妹が3人もいるので母は朝から晩まで働いている。父はどこかへ消えた。
さっきも母は家の奥でぐっすり眠っていたので、自分が代わりに朝食を作り弟妹の面倒を見る。
母が体を売ってまで働いてくれたおかげで名字を手に入れることが出き、
自分も双子もマナの量が認められたため学校に通うコトが出来た。
血のにじむような努力と奨学金のおかげで、もうすぐクロノス学園へ入学出来る。
有名な学校を卒業出来れば将来いい職に就けるはずだ。
弟妹とは離れてしまうのは寂しいが、母の負担も少しは減るだろう。
目標は最短4年で卒業。
さっさと学校なんて卒業して、いい会社に就職したら、家族に家を買ってあげよう。
スラム街なんかじゃない、普通の暮らしをさせてあげたい。
そうしたら、リンがほしがっていた髪留めも、リナがほしがっていたぬいぐるみも好きなだけ買ってあげられる。
家を出たらリクには苦労を掛けるだろうが、ああ見えて責任感のある子だ。きっと家族を守ってくれる。
母も昔みたいに笑ってくれるはずだ―――。
もう4年か。
リヒトは授業を受けながら窓の外に視線を投げた。
綺麗な服を着て、綺麗な教室で、平和に授業を受けられる幸せを、此処にいる生徒の何割が気づいているのだろうか。
当たり前過ぎて怠惰になってるヤツばかりなのだろう。
今は6月。衣替えも終わり、夏服になった。
8月にある卒業試験さえ通れば、無事9月には卒業出来る。
2月の試験で残念ながら落ちてしまったため卒業が半年延びてしまったのだ。
次席であるリヒトには、すでにいくつもの企業や魔法院の部署からスカウトの声が掛かっている。就職先はそろそろ決めておかないと。
先月あった大魔法運動会でのレオンを思い出し、ペンを握る指先に力がこもってしまう。
ヤツはとっくに卒業出来たのに、わざと卒業試験を受けなかった。卒業試験は年に2回しかないというのに。
貴族のお気楽さにはうんざりする。
飢える苦しみも、将来に対する不安もないのだろう。
終了のベルが鳴り響く。4限が終わり、昼休みになる。
リヒトは教科書をしまって、教室を出た。
夏の日差しが差し込みだした廊下だが、標高高い山の中にある学校なのでまだ暑さは感じない。
お昼休みになった安堵感で騒ぐ生徒の間を縫って、購買で適当にパンを買い、校舎の外に出た。
武道館の向こうにある池の畔へ向かうと、いつもの3人組がすでに食事を始めていた。
彼らも最近食堂ではなく購買を利用し、此処で昼食を取っている。
自分の秘密の場所だったのに、騒がしくなったものだ。教えたのは自分だけれども。
「ここここんにちはっ!」
「リヒトさん、いい所に。」
「どうした・・・と聞くまでも無いか。ルフェは進級出来なそうだな。」
ひどい、とサンドイッチを握ったままルフェは頭をうなだれた。
6月末に4学年以上の生徒は進学試験が受けられる。
彼ら3人、無事試験に受かれば5学年Ⅱに上がれる。
ジノは成績優秀なのでまったく問題ないだろうし、マリーも性格は引っ込み思案だが学科も実技も特に悪い点はない。
試験で緊張してとちったりしなければ受かるだろう。
問題はルフェ。
彼女は真面目な生徒で学科はクリアしているのだが、他の生徒と別に受けている実技の授業でだいぶ遅れているらしい。
「タテワキ先生はなんと?」
「このままじゃ合格は無理だろうって・・・。」
進級試験には実技テストがあり、運の悪いことに、コントロールを試す科目がある。
ルフェは大分マナを恐れずに使えるようにはなったのだが、微調整が大の苦手という難点が出てきた。
元々意識して生活してこなかったのも原因の一つだ。
「2人と離れるの嫌だ・・・。」
「お前の場合、進級出来ないことに焦った方がいいのでは?」
「大丈夫ですよ、ルフェ。一緒に試験対策しましょう。私も、実技はまだ不安なので。」
「そうだよ。僕が何かいい手を考える。」
「タテワキ先生が指導しても駄目なのにか?」
リヒトさん、ひどいです!とジノに噛みつかれても、リヒトは何食わぬ顔でパンを食べ続ける。
ジノとマリーはまだ知らないが、タテワキ先生は高位魔導師だ。
偉大な指導者が横にいても上達しないなら、進級は難しいだろう。
第一、ルフェは進級にこだわりはないし、周りも進級よりマナをより正確に操れるようになってくれさえすればいいに決まってる。
リヒトがパンを食べ続ける間も、2人は一生懸命ルフェを励まして特訓方法を相談している。
微笑ましい光景なのだろうが、無駄な時間を割こうとしてる愚かさも感じる。現実を見てなさ過ぎだ。
「リヒトさんは、どういう特訓をしたんですか?」
「俺か?そうだな・・・空き瓶をよく使ってたな。」
「的当てですか?」
「いや。空き瓶にマナを当てたら駄目なんだ。その周りに布とか綿とか、マナを当てても壊れないものを置いた。
空き瓶はマナが当たればすぐわかるから、割らないように周りのものを操作して・・・とかやってたな。」
「それいいですね!」
ジノが食いついて、ブツブツ言いながら特訓メニューを構築していく。
スラム街にはゴミが沢山落ちていたから、マナの練習するアイテムには困らなかったのだ。
食事を終えると、3人組はテーブルの隣で早速練習を始めた。
何故かマリーが持っていた風船を真ん中において、その周りにマナで作った塊を配置していく。
最初は杖を使って的に当てていくが、杖ではなく自分の手を使いだした瞬間風船が割れた。
落ち込むルフェを2人が励まして、特訓を続けていく。
この3人を見ていると、郷愁のようなものに駆られる時がある。
春休みはアテナ女学院との交流会の準備で家には帰れなかった。
たまに手紙が届くので元気なのだろうが、無理してないだろうか。
夏休みは、顔ぐらい見に帰れるだろうか。
リヒトは立ち上がった。
「昼に集まりがあるから俺は戻るぞ。」
「ありがとうございました、リヒトさん。」
「別に・・・。」
ルフェはかなり集中していて、リヒトの言葉には気づかず練習を続けている。
ジノに後は頼んだと言い残して、校舎の方へ戻る。
林を抜けた辺りで、珍しい人物と出会った。
「珍しいなグラン。昼休みに図書館に居ないなんて。」
「あ、うん・・・。」
成績第6位、同じ6学年Ⅱのグラン・グライナー。
大人しい性格で人畜無害そうな顔をしているが、かなりの実力者で頭も切れる。
本人がやる気を出せばもっと上を目指せる実力がある―まあ俺には適わないだろうが。
引きつった彼の顔を見て、もしやと思い聞いてみる。
「ルフェの姿でも見に来たか。」
どうやら当たっていたようで、自分の腕を掴みながら俯いた。
彼も森から出てきた所だったようだ。
「お前はただアテナとの交流会に選ばれたメンバーだ。関わる必要はないだろ。監視と世話役は俺とレオンの仕事だ。」
「うん・・・。」
「何だ。何かあるのか。」
「なんでもないよ。」
逃げるように、グランはその場から早足で去って行った。
あいつ、あんなヤツだったろうか。
もっと明るくて穏やかな生徒だった気がするのだが、アテナから帰ってきてずいぶん根暗な人間になってしまったような。
彼はシャフレットの隣町に住んでいたが被害もあったと聞く。
そんなにシャフレットで見た光景は凄まじかったのだろうか。
当事者にとって、それだけルフェは恐ろしく見えるのだろうか。
いたって普通の、どこにでもいる少女だと思うのだが。
校舎に戻って、特別棟にある会議室に入った。
成績上位の者が集められる定期的な報告会。
中には先ほど別れたグランと、ココロ、他数人。
当然レオンはいない。この集まりにレオンが居たためしがない。
席に着くと、隣に座っていたココロが身を寄せてきた。
「リッキー、僕そろそろルーちゃんと遊んでいい?」
「駄目だ。お前は容赦がない。」
「えー!僕もマナの塊の子と遊びたい!」
「タテワキ先生にまた怒られるぞ。」
先生の名前を出すと。ココロは苦い顔をして椅子に座り直した。
タテワキ先生が高位魔導師だとココロは知らないはずなのだが、野生の勘で結構な実力者だとわかったのだろう。
学校に就任したその日に戦いを挑み、コテンパンにやられたらしい。
さらにルフェに戦いを挑もうとした所を捕まえられ、二度とルフェに近づかないよう念を押された。マナで。
好奇心旺盛で自由人なココロもタテワキ先生の脅しにはかなりひるんだようだ。
生徒指導の教師がやって来て、伝達事項を伝える。
成績上位者は、学園の秩序を守る風紀委員のような役目もある。
生徒会ももちろん存在するのだが、この学園は広く生徒も多い為手が回らない。
だからこそ、実力者はある程度の権限を与えられ、生徒同士の闘争やいじめなどを発見し次第対処するよう言われている。
教師では目の届かない寮などでも同様だ。
定例報告会は5分程度で終わり、解散となった。
退室しようとした所を教師に呼び止められ、学園長室に顔を出すように言われた。
当然、ルフェの事だろう。
バカ主席は気まぐれに声を掛けたりはしているようだが、監視としての仕事はさっぱりなので
次席の俺に全て仕事が回ってくる―・・・。
エレベーターで上に上がり学園長室の扉をノック。中に入ると、学園長だけが中にいた。
マンツーマンで話をするのは初めてのような気がする。
座るよう言われソファーに腰掛ける。
「試験対策はどうかしら。」
「実技がやはり不安があるようで、細かなコントロール方を―」
「ルフェじゃなくて、貴方の方よ。」
「俺のですか。」
てっきりルフェの事を聞かれたと思ったので、少し意外に思いながらも
問題ないと答えると、リヒトに1枚の紙を差し出した。
「ノワールって民間企業知ってるかしら。」
知らない人間はいないだろう。
医療施設、技術開発、最近では教育機関の設立など
あらゆる事業に枝を伸ばし急成長している新鋭企業だ。
設立からまだ数年らしいが、めざましい成長ぶりで、魔法院と提携してる事業もあるとかないとか。
「そのノアールからね、貴方に新設する低学年向け魔法学校で先生をやってくれないかって話が来たの。」
「俺が、教師?」
「貴方、9月に卒業予定でしょ?それから半年で教員免許を取得する勉強をして、来年春から新任の先生。
学業はもちろんだけど、マナの教育に力を入れる学校方針で、将来魔法院で活躍する生徒を育てたいそうよ。
先月あった大魔法運動会で、貴方が見事に指揮をする姿を見た社長自らが打診してくれたみたい。」
差し出された推薦状を見る。
教師とはいえ、企業に就職し所属という扱いになるので給料はいいようだ。
評判もいい大企業への就職は願ってもない程いい話だ。
これで母や兄弟に楽をさせてあげられる。
「返事は今すぐじゃなくていいわ。少し考えてから答えを聞かせて頂戴。」
「わかりました。」
返事は決まっていたのに、学園長の慈愛に満ちた少し悲しげな笑みを見たら、自然とそう答えていた。
考える意味など―。
学園長室を出て、午後の授業を受ける。
授業の間もノワールからの推薦状のことが頭から離れなかった。
なぜだろう、スッキリしない。
放課後になって、もう習慣となってしまった4学年の教室を訪ねるも、あの3人組の姿は無かった。
昼間の事を思い出し、校舎を出た。
林を抜け、池の畔へ向かうと、予想通り3人組が昼間思いついたであろう特訓を続けていた。
風船を真ん中において、今度は周りにぬいぐるみが置かれている。
マリーが指定したぬいぐるみを動かしていって風船を割らないようにする練習法らしいが、
水色の犬が宙に浮いたと思ったら、地面に落ちて風船も割れた。
「マナの一点集中がすぐ解けるようだな。持続性と、ポイントを合わせるのが課題だな。」
「さすがリヒトさんです。ルフェの苦手なことを的確に。」
「見ていればわかる。」
「先生に向いてますよ、リヒトさん。」
まるで昼間起きたことを見抜かれたような台詞にドキリとするが、さすがのジノもそこまでは知らないので
純粋な褒め言葉なのだろう。
「お前は、最短卒業狙ってるのだろう?」
「こだわってはいません。受けたら受かったので進級しただけで。」
「・・・他の生徒が聞いたら恨まれる台詞だな。」
「次席に言われたくないです、僕、今凄く楽しいんです。この学校に来てから、友達出来なくて。」
「地味過ぎるのか?」
「う・・・。それは、多分ありますけど・・・。」
「ルフェが受からなかったらどうする。」
「ルフェは大丈夫です。僕もマリーも、リヒトさんもサポートしてるんです。絶対受かります。」
「俺を巻き込むな。」
「心配だから見に来たんでしょ?もう監視の任解かれてるって、タテワキ先生が言ってましたよ。」
耳が早い。
あから様に不機嫌そうな顔をしてから、ルフェの近くに立つ。
「マナを糸だと思え。」
「リヒト?」
「何かを操る時は、イメージが大事だ。お前の手から糸が出て、あのぬいぐるみに繋がっている。そう考えろ。」
「うん、やってみる。」
アドバイス通りに、マナを本当に糸にしてぬいぐるみに繋いでみる。
ルフェのマナは白色。時に金色になるが、意識している時は白。
ジノが、猫のぬいぐるみだけを右に整列させるよう指示をする。
言われて、猫のぬいぐるみに糸を繋いで、風船を割らないように動かしていく。、
普段なら、2匹目を持ち上げた時にマナが乱れ出すが
無事全ての猫が右に並んだ。綺麗な整列とはいえないが。
初めてジノの指示を無事達成できて、マリーが喜びを抑えきれずにルフェに抱きついた。
「やりましたルフェー!凄いですー!」
「うん、ありがとう。」
「って、ただのお遊びを成功させただけだろう。」
「はい、先生。なら次のご指導よろしくお願いします。」
にこにこ笑うジノを睨み付けて、次のメニューを考えてる自分に呆れた。
マリーほどでは無いが、ルフェも嬉しそうだった。
「試験まで2週間か。5学年への進級試験内容はだいたい覚えてる。やるなら本気でやるが、どうする。」
「お願いします!先生!」
もし、ノワールへの就職を決めたら、俺はそう呼ばれる日もくるかもしれない。
俺が人を指導する側になんて、考えてもいなかった。
これが、最後の仕事になる。監視者として。
この学園でいい思い出などなかったが、確かに、此処2ヶ月ほどは楽しかったかもしれない。
家族以外で、一緒に食事をしたことなど無かったわけだし。
もう少しぐらい、自分のために時間を使ってもいいかもしれない。
それから少し特訓に付き合ってから、図書館で過去に出た問題や資料を探りながら、寮に戻りルフェ用の特訓内容を考える。
夕食を取るのも忘れ集中していると、ドアにノックがあった。
扉を開けた先にいたのは、私服姿のジノだった。手には購買で買ったであろう品が入った袋をぶら下げている。
「此処で会うのは珍しいな。」
「リヒトさんも特訓メニュー組んでるころだろうなと思って、よかったら僕の案も練り込んでもらおうかと。ご飯も買ってきましたよ」
部屋に招き入れ、適当に座るよう指示してから、紅茶を出してやる。
次席の部屋が、他の生徒と同じような間取りでジノは驚いていたが寮生活で特別扱いはない。
もっと広い部屋を望む貴族や金持ちの坊ちゃんは家に帰っている。
過去に出題された実技テストの一覧と、リヒトが体験した試験内容をジノに見せる。
「凄い、短時間でこんなにピックアップしたんですか?カンニングしてる気分ですよ。」
「図書館に置かれてる正式な資料だ。もちろん、これと同じ内容が出る保証は全くない。」
「でも対策は出来そうですね。共通事項は、やっぱりマナのコントロール。」
「操作、出力調整、適格性。この3点さえ出来ればどんなテスト内容が出ても対応出来るだろ。」
次にリヒトが考えた特訓内容と、ジノが考えたという案を意見交換してメニューを構築していく。
ジノの差し入れを食べながらあれはどうだ、これはこうしよう、などと語っている内に、気づいたら1時間も経っていた。
休憩を挟もうと提案し、備蓄していたお菓子をテーブルに並べる。
「リヒトさんもこういうの食べるんですね。」
「小腹を満たすにはちょうどいい。頭を使うと糖分が欲しくなるしな。」
アーモンドが入ったチョコレートを口に放り込みながら、ポテトチップスの袋を開ける。
そういえば彼がかなりの大食いで甘党であったと思い出す。
見た目は上品そうで綺麗な顔をしているが、実際付き合ってみると、彼はとても庶民的。
貴族の出身ではないかと誰もが勘違いしてしまうだろう。
「リヒトさん、兄弟居ます?」
「いる。弟と妹が3人。」
「やっぱり!面倒見いいし、他人のために動く事に慣れてると思ったんです。
あ、変な言い方してごめんなさい。僕一人っ子なので、下に姉弟がいる人って
自然と手を差し出してあげることが出来るから、すぐわかるんです。」
「お前も出来てるだろ。転校生のあいつを面倒見たから、あいつは孤立しないで済んだ。」
「僕のは、偽善入ってますから。今は違いますけど。」
ジノという少年は、時折、自虐的な事を言う。
客観的に自分は酷いヤツだと言ってるような。
しかもその笑みに、他者を拒絶する色合いがある。
「地味は地味なりに苦労してんだな。」
「地味って言わないでください!・・・僕そんなに地味ですか。」
「見た目が一般的だからな。とりとめて突出部分が無い。」
「リヒトさんと真逆ってことですね。」
「あくまで見た目の印象だ。実際のお前は末恐ろしいよ。すぐランク上位に入ってきそうだ。」
「リヒトさんこそ、実際は面倒見がいいじゃないですか。」
「・・・男同士で褒め合って気持ち悪いな・・・続きやるか。」
またノートを広げ、就寝時間が過ぎても議論を交わし合った。
思えば、議論を誰かと交わし何かを構築するのは初めてだった。
部屋に人を招くことも無かった気がする。
寮内に門限などはないが、あまり遅くまで起きていても明日に支障が出る。
キリがいいところで切り上げジノを見送る。
「お邪魔しました。リヒトさん、」
「なんだ。」
「そろそろご自分のために生きてもいいんじゃないですか。
常に他人を気遣うようになってる人は、沢山見てきましたので。
だから、ルフェみたいに自由に生きようとしてる人を応援するの、好きなんです。リヒトさんもそうするべきだ。」
「生意気だな。」
じゃあまた明日、とジノが去って行き扉を閉める。
もう日付が変わる直前だ。
開けたお菓子類を片付けて寝る準備をする。
ベッドに横になると、すぐ眠りについてしまった。
*
この世に神様がいないことは、産み落とされた瞬間からわかってはいたが
この時ほど、神様を恨んだことはない。
「ルカ、大丈夫だよ。お母さんが今お医者さんを連れてきてくれる。」
「・・・兄さん、」
「大丈夫。お兄ちゃんが側にいるからね。」
汗ばんだ震える手で、冷たい小さな手を握りしめる。
息苦しそうな妹に声をかけてやることしか出来ない。
俺はもうわかっていた。知っていた。
この貧困街に医者などいない。
隣町の町医者を見つけられたとしても、金もない貧民のために医者が足を運んでくれることなんてない。
大人はみんな冷たく慈悲なんて持ってない。
ベッドに横たわる俺の大事な双子の妹。
綺麗だったブロンドの髪にもうみずみずしさはなくなり、肌も青白くなってしまった。
妹は生まれながらにしてマナが少なく、病弱だった。
消化機能も低いのであまり多く食事はとれないのも原因だった。
一緒に生まれたのに、俺とは正反対。
きっと俺が、母さんのお腹にいる間にマナを奪ってしまったんだ。
ルカにもう少しマナがあれば、使える医療道具が沢山あったのに。
「兄さん、ありがとう。」
「何を言ってるんだルカ、諦めるな。」
「母さんを支えてあげてね。父さん、頼りないから。」
「やめろルカ、」
「私、生まれてこなければよかった。そうすれば、兄さんを悲しませたりしなかったのに。」
「違う!俺のせいだ!俺が、お前の全てを奪って―・・・。」
ルカの瞳が閉じられて、握っていた手の平から力が一気に消えてしまう。
神様が俺の大事な妹を連れ去ってしまった。
この世は不平等で、不条理だと思い知った。
それから数年後。また母さんは双子を産んで、次に女の子を産んで、姉弟が4人に増えた後、父さんがどこかに消えた。
根性無しの最低親父だったから愛着は無かったが、妻と子供を残してどこかに行ってしまったせいで
母さんは昼夜問わず働き詰め、家族の面倒は俺が見ることになる。
ルカを失った悲しさを昇華させてくれる間もない日々だった。
クロノス学園へ旅立つ前日、母さんは言った。
「リヒト、貴方1人を頼ってしまって、ごめんなさいね。母さん、本当に感謝してる。
家の事は大丈夫。母さん、頑張ってお金貯めたの。
学校へ行ったら、自分のために生きて頂戴。友達を沢山つくってね。
だってリヒト、マナを勉強してるとき、とっても楽しそうなんだもの。」
目が覚めた時、それが記憶なのか、昨晩ジノに言われたことと混同しているのかよくわからなくなっていた。
まあでも。
ジノと同じ事を言っていた気もする。
俺は家族のためにクロノスに来たのに、その選択を否定された気がして
あの時は、そのまま別れの言葉もなく背中を向けた。
入学後は、長期休暇で家に帰る度に、母は嬉しそうに笑ってくれるようになった。
一時期は荒れて笑顔どころか言葉を交わしてすらくれなかったけど。
母がいたから、ご飯も食べられたし寝床もあった。
やっぱり、家族のために頑張ることが俺の生きがいだ。
「でもね兄さん、私マナが無くてよかったと思うの。兄さんが生きていけるもの。だから全部、兄さんが持ってて。」
そんな悲しいことを言うなよルカ。
色素の薄いブロンドの髪も、お前が持つから綺麗だと思えたのに。
お前の笑顔ほど美しいと思えたものはない。
お前が死んだとき、俺の半身も死んだのだから。
*
始まったよ、と言われ窓の外へ視線を投げた。
窓の向こうに見える第3グランドで光が走るのが見えた。
本日は休校日。
生徒達は基本寮生活を送り学園の敷地から出ることはないが、たまにある長期休暇や休校日は
実家に帰ったり外に遊びに繰り出したりするので校内にはあまり生徒は残っていない。
なので、グランドの一つを貸し切って特訓なんて大胆な事が出来るのだ。
申請したのが次席であるリヒトだから許可がおりたのだろうが。
「ルフェも頑張ってるんだ。僕たちも頑張ろう。」
「ええ。」
ジノとマリーは休日でも利用可能な図書館で勉強していた。
進級試験まであと3日。
ルフェのことはもちろん心配だが、2人にとっても大事な試験だ。
そのことをわかっているのか、リヒトはマンツーマンでルフェの実技対策を手伝ってくれて、勉強でもしてこいと言ってくれた。
リヒトは独自に考えたトレーニングメニューでルフェのマナコントロールを確実に高めている。
この調子なら合格も夢じゃ無い。
タテワキ先生からすると、まだ五分五分らしいが。
ジノは成績的に問題はないが、マリーは学科に不安が残るので時折ジノに教えてもらいながら、順調に勉強を進める。
グラウンドの方から爆発音が聞こえる度にちらちら窓の向こうを確認する。
砂煙が上がって、マナが空気中に走る線が見えた。
「コントロールを教えてるはずですよね・・・。」
「爆発する理由がわからないけど、リヒトさんに任せておけば大丈夫だよ。」
「先輩は、もっと人嫌いなイメージがありました。いつも怒ってるような顔で、周りに人を引きつけないというか・・・。
綺麗でしたけど、孤高の人って思ってました。」
「実際は、面倒見がよくていい人だったね。」
「私最近よく思うんです。ルフェがいなかったら、ジノくんとも、リヒト先輩ともお話しすることなく過ごしてたんだなって。」
「僕も、きっと1人だったろうし、マリーと話すことなくクラス別れてたね。ルフェに置いていかれないようにしないとね、僕たち。」
確かに、とマリーはクスクス笑ってまたペンを走らせる。
2人はもくもくと勉強を進めたが、そろそろ図書館が閉まる時間となったので今日は終了することになった。
図書館の出入り口から直接外に出てルフェを迎えにいくこととなった。
グランドで睨み合う二人は、体操服が土にまみれてかなり汚れており
ルフェの髪の乱れっぷりにマリーが顔に両手を添えて悲鳴を上げた。
「お二人ともー。そろそろグランドの使用時間終わりですよー。」
「ああ、もうそんな時間か。続きはまた今度だな。よく復習しておけ。」
「うん、ありがとうリヒト。」
「もうルフェ~~!土が固まってるじゃない。これじゃ食堂も入れないわ。」
「リヒトさんもね。」
休校日でも食堂はやってくれているが、さすがに2人は足を踏み入れた瞬間食堂のおばちゃんに怒鳴られるだろう。
いったん寮に帰ってシャワーを浴びてから、となったが
リヒトは購買で適当に買って済ますというので、ジノもそれに合わせ女子2人と別れた。
「間に合いそうですか?」
「誰にものを言っている。俺が自ら考えて特訓しているんだ。絶対に間に合うし受かる。」
「さすがリヒトさん。」
正門前にある花壇と噴水エリアを通って寮に向かう。
山へ落ちる前の夕日が最後のあがきとばかりに、まぶしい閃光を投げつけてくる。
山の上にあって、いよいよ暑さも届き始めた頃合い。いよいよ本格的な夏がくる。
「秋が来る前に、リヒトさんは卒業ですか。寂しくなりますね。」
「そんなことはないだろう。すぐ忘れる。」
「ヒドイなー。悲しい事を言うのはナシですよ。」
歩きながら、横目でジノを見る。
ニコニコ笑っている、普通の男子生徒。
だが時折感じる違和感。
やけに達観しているというか、歳の割に客観的に物事を見すぎている。
「お前、ジジくさい時があるよな。」
「どういう意味です?」
「それか、血統能力かなんかで、事象を見抜いたり出来るんじゃないだろうな。」
「僕はいったって普通の人間ですって。貴族でもなければ特殊能力もありません。」
「お前は十分普通じゃない。」
それ褒めてます?と拗ねた顔のジノを見て、自然と笑ってしまった。
ジノが、購買で適当に食事やお菓子を買っていくから先にシャワーを浴びていてくれと提案。
時間も短縮出来るのでリヒトは彼に任せることにして、先に自室に戻った。
汚れたジャージを脱ぎ捨てて土汚れを落としてから、散らばった教科書類を片付ける。
学園長先生から渡されたノワールの推薦状がひらりと舞って床に落ちた。
さっさと返事をするつもりだったのに、ルフェの特訓をしてるうちに忘れていた。
いつもの自分なら、忘れることすらなかったはずだ。
俺にとって、一番は家族の幸せ――――。
チャイムが鳴って、両手に袋を抱えたジノを招き入れる。
ジノもリヒトも育ち盛りなので、多めに買い込んできたようだ。テーブルの上に弁当やサンドイッチが大量に並べられた。
各自適当に食事を始める。
「あとルフェの課題は?」
「マナに対する恐怖だけだろ。」
「そこが最大の難点なんですよね。潜在的に刻み込まれたトラウマですからね。」
「かと言って意図的に操れるようにならなくては、今後の成長には繋がらない。」
「ああ、だから今日グラウンドで特訓だったんですね。外でマナを使う感覚を慣れさせるために。」
察しが異様にいいジノに指摘され、やや悔しそうにホットドックにかぶりついた。
「お前達の方はどうだ。」
「順調です。マリーは暗記がやや苦手みたいですが、コツをいくつか教えたので。」
「一緒に進級か。お前以外は無理だと思ったが、なんとかなりそうだな。」
「リヒトさん、ノワールに就職決めたんですか。」
ちらりと勉強机を見る。ノワールからの推薦状が出しっぱなしだった。
本当にめざといヤツだ。
「推薦状をもらっただけだ。」
「でも受けるんですよね?」
「そのつもりだ。」
「新鋭の大企業から声が掛かるなんて、うらやましいなー。」
「お前は?どこか希望先があるのか。」
「全然。今は、ルフェやマリー、リヒトさんと楽しく学園生活が送れていれば楽しいので。」
俺もちゃっかり入って入るのか・・・。
食事を終えると、今度はジノの勉強をリヒトが見てくれることとなった。
優秀なジノに特に問題点は無かったが、全科目の最終確認をする。
自分でヤマを張ってはみたが、経験者からの目線で色々予測が立てられて勉強になった。
またお菓子をつまみながら、勉強したり合間に雑談を挟んだりを繰り返す。
同じような知識や知性をもった同世代の人間と話すのはどこか心地いい。
絶対口には出さないが。
気づいたら、また日付が変わる直前になっていた。
「そろそろ戻りますね。あまり夜更かしすると、魔女に魂吸われて二度と目覚めなくなっちゃう。」
「小さな子供しか信じない迷信だろうが、それ。まだ遅い時間でもなし。」
「なんですか。僕が帰るの寂しいんですか?」
「なわけあるか!」
「よろこんで泊まりますけど。」
「帰れ。」
顔を若干赤くして怒るリヒトにクスクス笑って、ジノは自室へ帰っていった。
急に静かになった自室。
テーブルの上に乗ったままの推薦状をじっと見つめた。
(ねえお兄ちゃん。お兄ちゃんは、自分のために生きてね。)
(ルカ?)
(お兄さんは、誰よりも自由にならないと。)
何を言ってるんだルカ。
俺は不自由になった覚えはない。
愛する家族のために、俺はずっと―――
(自分を犠牲にしないで。)
自分の中に巣くい始めた黒い何かをに、気づいてないわけではない。
あいつらと関わるようになってから、俺の中にあった根本を揺るがして、拒絶してくる。
その拒絶すら、俺には苛立たしかった。
俺の存在意義を、俺の目標を、俺自身が拒否したがっている。
あり得ない。
やんちゃなリク、生意気になってきたリン。まだまだ甘えん坊なリナ。
やっと笑うようになってくれた母親。
いつかまた一緒に暮らすんだ。
いつか―――。
(そろそろご自分のために生きてもいいんじゃないですか。)
頭を振って、ベッドに横になった。
本当に生意気な後輩だ。
あと2ヶ月ちょっと。
俺は絶対に卒業をして、クロノスを去る。
もう揺らがない。
そう決めた。