❀ 3-8
「転移魔法貸すから家に戻ってなさい。」
「嫌です。私も話し聞かせて下さい。興味があります。」
「ダメだ。得体が知れない奴の側に置いておけるか。」
「私を1人にしていいんですか。先生は私専属の見張りで、私が自由になる条件ですよ。」
「・・・減らず口だな、ルフェは。」
「へぇ~。ルフェちゃんっていうのか~。可愛いね。」
タテワキはムッとした顔で隠すようにルフェの前に立った。
タテワキと、部隊長クラスの魔法使い数名は現場近くにある治安維持部隊隊舎の一室を借りて
突然狭間の世界から現われた大男の尋問を行うことにした。
魔法院本部から結界術が得意な術士も3人呼び、椅子に座る大男を結界と鎖で拘束しているところである。
ルフェを女性魔法使いに預け部屋の隅にいるよう命じてから、この場で一番位が高いタテワキが大男の前に座る。
「敵意は無いってことでいいんだな、ハインツ。」
「もちろんだ。攻撃して悪かった。狭間の世界に長く居たせいで、敵味方の区別がつかなかった。
目で物を見たのも久々というか、物質的なものの区別がつかなかった。
久しぶりに手応えのある奴と手合わせ出来たんで嬉しくなってしまってな。悪かった。えっと・・・。」
「タテワキだ。一応高位魔導師。」
「本当に、アルバ先生は亡くなってるんだな。」
此処に来てから、建物のデザイン、服の流行りの違い、極めつけに携帯機器を目にしたハインツは
周りが言うように150年の年月が経ったことを理解したようで、声に覇気が無くなり、椅子の上でうなだれていた。
タテワキにしてみれば、まだ警戒を解く理由にはならない。
狭間の世界から来た時点で、ルフェを浚おうとしている敵の罠である可能性も残っている。
しかも、ハインツはかなりの手練れだ。能力はタテワキと互角レベル。
ルフェがいたので本気を出していなかったとは言え、少しでも気を抜いたらやられていた。
「まずは、事の発端を教えてくれ。なぜ狭間の世界へ行こうなどと考えたんだ。」
「俺はアルバ先生の弟子であり、助手をしていた。知ってると思うが、アルバ先生は魔法科学者の第一人者だ。
事象の原因と形成する物質や仕組みを理解しないではいられない性格だった。知りたいという探究欲が凄かった。
始め、アルバ先生が興味を持っていたのは、ウィオプスだった。ウィオプスが何で出来て、何に引き寄せられているのか、
自立しているのかとかも知りたがってた。だが何もわからない。
ならゲートである狭間の世界を調べようってなって、世界中あちこち転移を繰り返して
ウィオプスがこちら側にやってくる瞬間を狙った。そりゃあもう大変だったよ。狭間のゲートが開くのは本当に不定期で不規則だ。
3日後に見かけることもあれば、3ヶ月かかることもあった。狭間のゲートと遭遇する度、先生はありとあらゆる実験をした。」
「例えば?」
「遠隔操縦出来るマナの飛行機を向こう側に飛ばして通信出来るかどうかとか、マナを投げつけてみた反応とか。
生き物を放ってみようと言い出した時は、さすがに止めたけど。」
魔導師大全に載ってる大魔術師アルバの人格がだんだんわかってきた気がする。
「それで、次は人間を送り込もうとして弟子を送り出したと?」
「その通りだ。いきなり背中を蹴られて狭間の世界に放り投げられた。」
「マジかよ・・・。」
「先生は入ったらこちらに通信を送れと言ってきたが、それは不可能だった。
狭間の世界は、物質世界ではなかった。俺は迷い込んですぐ、体を失った。」
その場にいた全員が動きを止めた。
未知の世界である狭間の世界。内部など、想像したこともなかった。
次元の狭間だと推測する説が有力視されていたが、誰も正解がわからないままでいた。
タテワキは急に興味が湧いて、顎に手を当ててハインツの話に集中した。
「あそこは概念がない。思考がない。かといって無ではなかった。マナはあって、俺という個は存在する。
ただ、考えるとか感情とかは残ってなかった。俺という個がある。それだけだ。」
「霊体みたいなものになったということか?魂そのものというか。」
「そう。魂が近い。そこで俺はしばらく漂っていたんだと思う。
気づいたら、他の魂が周りに存在することを俺は自然と理解してた。理解という回路はないから、適切ではないが。」
「動物の本能的思考ってところだろうな。人間の複雑な回路ではないが、やつからも確かに脳がある。」
「きっかけはまるでわからない。突然俺は、俺になった。魂だけの存在に輪郭が生まれて、形が出来たと気づいた。
そこから徐々に人間的思考が蘇ってきて、利便性を優先した俺の意識が、体を作った。」
「もしかして・・・あの影で出来た人形みたいなやつか?」
「俺自身は見てないからわからないな。」
そこに鏡があるわけでないし、と言われそれもそうかと変に納得してしまう。
もし狭間の世界に認識という工程が存在しないなら、タテワキ達が見た影のような姿もハインツは知らない事になる。
「結論から言う。ウィオプスは魂の塊だ。」
「・・・は?」
「詳しい部分は推測なんだが、マナを持って死んだ魔法使いの魂が狭間の世界にやってくるんだと思う。
俺が認識できた魂は、全部マナで出来ていた感覚がした。確信はない。
魂と魂は、自然と引かれ合い寄り添って融合する。まるで温もりをもとめるみたいにだ。
合わさって、くっついて、ある程度の質量になると外に放り出される。それがウィオプスだ。」
「あんたはどうして融合しなかった?」
「個体としてのマナがでかすぎたんだ。他の魂と質も波動も違ったから、混ざれなかった。
だからこそあの世界でも自立してたし、思考も取り戻し形を手に入れた。」
「フム・・・。」
「皆、納得してない顔してるが、とりあえず続けるぞ?俺は形を手に入れた後もしばらく彷徨った。
形も、思考も次第にはっきりしてきた。といってもまだ未完全で、本能で動いてる赤ん坊みたいなもんかな?
だが急に、自分がハインツという人間で、生まれてから過ごしてきた記憶も、俺を形成する全てを思い出した。
思い出した途端、そこに地面が生まれた。」
「地面?」
「生まれたってのは違うな。初めからきっとあったんだ。俺が認識出来なかった。
地面で、歩くというのを思い出した俺は、俺と同じように人の形を手に入れた奴らを見つけた。
そいつらは、俺のマナを欲しがった。くれてやったら消えると本能的にわかってた俺は、ただ戦った。喰われたくないからな。
ほんと、今思うと不思議な世界だったよ。体は人間なのに、顔がワニとか犬とか、トカゲとか。いろんなのがいた。」
再び、周りの空気が一変したのをハインツが気付いて首を捻る。
代表してタテワキが声に出した。
「魔物が、いたんだな。」
「なんだ。知ってるのか。アイツらのこと、魔物って呼んでいるんだな。
そうか、あいつらもたまにいなくなるもんな。こちら側に来ていたのか。」
「魔物は、マナを狙ってるのか?」
「ああ。好物らしい。まだ魂のままでいる個体は、やつらに喰われてた。」
タテワキは、振り向かずにルフェを家に戻さなかったのを後悔した。
ルフェには残酷な話を聞かせてる。
だが今更止められない。
「俺の感覚だと、ほんの1年ぐらいだ。お前達が呼ぶところの魔物に喰われないように必死に戦って、戦って。
なんとかアルバ先生と通信出来ないか考えてた。不思議と、狭間の世界では腹も減らないし喉も渇かない。眠くもならないから
考える時間は無限にあった。まさか150年以上も考えてたなんて驚きだがな・・・。」
「大方の予想通り、次元が違うんだろう。時間概念がねじ曲がってるんだ。それで、どうやってこちらに帰ってきた?」
「それがよ、夢みたいな話なんだ。俺にとってはついさっき起きた出来事なんだけどよ。
あの世界で、完璧な姿をした人間に会った。」
「人間?」
「魂だけの存在ではないとは思う。わからねぇけど。白い髪をした綺麗な子だ。俺はその子を見かけて
綺麗だなーなんて思ってたら、もうこちらに帰ってきていたみたいだ。
最初はこちらの世界を理解出来なくて頭が混乱してた。魔物がまた俺を喰おうと襲ってきてるんだと思って戦ってたんだよ。
それがあんただな、タテワキ。でも途中から此処が現実世界で、魔法使いと一緒に戦ってんだと理解出来たら嬉しくて。」
「影の塊みたいだったのに、人間の姿に戻れたのは?」
「俺がそう認識したからだ。あるべき姿を取っただけのこと。」
「狭間の世界にいたころと、この世界とで何が一番違う?」
「認識の違いだ。あちらではとにかく思考と自己認識フワフワする。ずっと寝ぼけてままならないみたいな感覚だ。
こちらに居るときより曖昧で、おぼろげだ。」
脇にいた魔法使いの1人が、タテワキに耳打ちしていきた。
「ハインツ。残念だが、魔法院からのお呼び出しだそうだ。あちらで事情聴取したいんだと。大人しく従ってくれ。」
「今の様子だと、信じてくれてるのはタテワキぐらいだが?」
「個人的にはもっと話を聞きたいところだが、決定権は俺にはないからな。まずは院の判断を待ってからだ。」
「ありもしない話しやがって、みたいな感じで処罰されたらどうすんだ?」
ハインツが急に殺気だったので、周りの魔法使いが全員反応し身構えた。
虚言だなんだと嘘つき扱いされるなら、此処にいる全員を倒して逃げた方が賢明ではあるが、
タテワキは座ったまま手で制した。
「そうならないように今から手を打つから、安心しろ。暴れると処遇が悪くなるからやめてくれ。」
「わかった。お前を信じよう、タテワキ。」
ハインツは手首を魔法具で拘束されながら、転移魔法で魔法院へ連行されていった。
タテワキは残った魔法使い達と2,3相談してから、ルフェを連れてとある場所に転移した。
降り立った瞬間包まれる、柑橘系の香りと、海の匂い。
視界いっぱいに広がる、緑色。
見たことのあるけれど、ちょっと変わった風景。
それは今の季節が秋になったからだとルフェはすぐに理解出来た。
此処は夏の間お世話になった、ライム島だ。
歩き出したタテワキ後に続くと、本コテージではなく海の方へ向かっていた。
秋の海風は冷たく、夏特有の焼けて重くなった空気の面影は無い。
海と空の色もだいぶ霞んでしまったように思う。
友達と遊んだ海を見ていると、小太りの男性が波打ち際に立っているのに気づいた。
「久しぶりですね、ルフェさん。」
「オークウッド先生!」
大魔導師チャールズ・W・オークウッドは2人を迎えてにこりと笑った。
夏の間、ルフェはこのライム島で合宿を行い、魔女の襲撃を受けてからは先生達に訓練を付けてもらっていた。
まるで昨日のことのように思い出せる。
「まずは卒業おめでとうございます。特例とはいえ、正式な卒業認可が降りてますから、終業したことになりますからね。」
「はい。ありがとうございます。」
「先生、お聞きになってましたか?」
「ええ、もちろん。実に興味深い話です。それに、アルバ大魔導師の魔法術式については若い頃よく議論を交わしたものです。
懐かしいですね。」
「さすがに本人とはお会いしてませんよね?」
「私は延命魔法使ってませんから、生まれてからの年数はそのままですよ。」
此処は冷えますから、と大先生が言ったすぐ後に、3人は本コテージ2階にある書斎に転移していた。
進められてソファーに座り、大先生は自分の椅子に腰掛けた。
「私もトーマ君と同じで、信憑性はあると思ってます。ただ、証拠もないし証明のしようがありませんね。」
「それに、この混乱時です。魔法院はこれ以上の面倒事は嫌がって目をそらすでしょう。貴重な情報です。」
「ええ。わかってますよ。連絡をもらってすぐ、部下に頼んで身柄の受け渡しを要求してあります。
妄言だの虚言だのと、適当な罪で裁かれることはないでしょう。
ただ、私の発言がどこまで届くかはわかりません。いくつか手を打ちます。少し待っていてください。」
「感謝します。」
大先生がルフェを見た。
眼鏡の奥にある瞳は柔らかく、優しさに満ちあふれていた。
「新しい生活には慣れましたか?」
「はい。先生方が力を貸してくれてるので。」
「ルフェさんは我慢強い子ですが、我慢しすぎるのも、いいマナは形成されません。
困ったことや辛いことはすぐ周りの大人に相談しなさい。もちろん、私もいつだって力になりますから。」
大先生の部下の人たちが本コテージを訪ねてきたので、2人は家に戻ることになった。
昨日の夜呼び出しを受けてから、12時間以上ぶりに帰る家にホッと息をつく。
もうすっかり、此処が落ち着ける場所になっているようだ。
「いつの間にオークウッド先生に連絡を取ってたんですか?」
「魔法院の奴らにバレないように、携帯の通信を入れっぱなしにしてただけだ。魔法を使うと勘付かれるからな。」
キッチンに入りお茶をいれだしたタテワキ先生は、本当に何手も先を読んで動いているから凄いと思う。
魔法院の証であるローブを脱いで、椅子の背にひっかける。
「先生。シャワー浴びてきていいですか。煙くさくて。」
「もちろん。その間に飯作っとくから。」
「ありがとうございます。」
廊下の奥にある浴室へルフェが入り、タテワキはお茶で喉を潤してから冷蔵庫を空けた。
食材はいつも多めに貯蓄するようにしているので、献立には困らない。
出動命令があってからルフェは半日以上寝ていない。さっと食べられるものにして、仮眠を取らせなければ。
フライパンにオリーブオイルを垂らし、タマネギとニンニクを炒める。
昨晩の残りご飯を入れ炒めてから、殻から外したあさりとトマト缶を入れ混ぜる。
仕上げに粉チーズを入れ、皿に盛ってパセリを少々。
あさりのトマトリゾットの完成だ。
ちょうどルフェがお風呂から上がってきた。もうTシャツにハーフパンツとラフな格好だ。
テーブルにお皿を並べ、一緒に食事をする。
「食べたら寝ちまえ。今日は色々あったろ。」
「はい。」
「いらん事まで聞いたろうが、まだ仮説の話だ。気にするなよ。」
「フフ。ありがとうございます。もし仮説じゃなかったとしても、私がやるべき事は変わりません。大丈夫ですよ。」
「無理するなよ?俺には、何でも言ってくれ。胸に溜めとくのは良くない。」
人を励ますなど、生まれてからやったことがないので
必死で言葉を投げかけるタテワキに、ルフェは優しく微笑んだ。
「覚えてますか。誕生日を祝ってもらった時。理科室でシャボン玉見せてくれてくれたじゃないですか。」
「ノア科学のあれか。」
「自分の気持ちを誰かに話したの、先生が始めてでした。ずっと、胸の内側に隠してたのに。
先生には、なんでか話しちゃうんです。だから、今回先生を指名させてもらったんですよ?」
「そうか・・・。俺の心配のし過ぎか。」
「お母さんみたいですね。私、母親の記憶ないですが。」
「せめてお父さん・・・いや、お兄さんって言ってくれよ。そこまで歳じゃない。」
数時間ぶりに笑い合いながら談笑し、食事を終える。
和やかな空気を惜しみながらルフェは2階の自室に戻り仮眠をとることにした。
タテワキは食器を片付けてからシャワーを浴びる。
思えば、昨晩遅くに出動要請が出てから長距離転移や、ハインツとの戦闘と立て続けにあった。
さすがにマナが切れかけてる。自分も仮眠を取らなければ。
考えることや整理することは沢山あったが、彼も自室に戻ってベッドに横たわると、すぐ深い眠りについてしまった。
*
「・・・・さい。起きて下さい、先生。」
体を揺さぶられる感覚を理解してから、タテワキが目を開ける。
視界に入ってきたのはルフェで、此処が自分の部屋であると理解するまで数秒掛かってしまった。
慌てて起き上がり、時計を確認する。
昼を少し過ぎたぐらいで、大幅に寝過ごしたというわけではないようだ。
「どうした。何かあったのか?」
「あの、それが・・・、下に誰か居るみたいで。確認する前に先生を起こした方がいいかなっと思って・・・。
ごめんなさい、お休み中のところ。」
「正しい判断だ。」
ルフェの頭を撫でて部屋を出る。
この家には、彼が自分で掛けた守りの術が3重に掛けてある。
簡単に不法侵入はできないはずだが、ルフェが自分を起こしにくるぐらいだ。
警戒をしながらゆっくり階段を降る。
確かに物音がする。警戒しながら音を立てずに廊下を進み、キッチンを覗く。
そこに、冷蔵庫をあさっている褐色肌の大男がいた。
今朝方、魔法院に連れて行かれた狭間の世界からの帰還者、ハインツだった。
「おい、何してんだ。不法侵入だぞ。」
「よう。さっきぶりだな、お邪魔してるぜー。」
「どうして此処にいる。鍵はしまってたはずだぞ。」
「転移させられたら此処だったんだよ。それより何かないか?現世に戻ってきたら腹が減ってきたんだ。
向こうじゃ何も食べさせてもらえなかったんでな。」
「向こう?」
2階から、タテワキの携帯が鳴っている音がした。
魔法で手元に移動させ、ハインツを睨み付けたまま通話ボタンを押す。
『やあトーマ君。いきなりすみません。時間がなかったもので、ハインツさんだけを転移移動させました。』
「やっぱり、大先生でしたか。」
この家の周りにはタテワキが厳重な結界術を施してある。
並みの魔法使いなら絶対に破れない代物だが、術者であるタテワキが気づかないうちに内部に侵入するなど
魔導師クラスでなければ不可能だ。
警戒は解いたものの、ルフェを背後に匿ったまま通話を続ける。
『魔法院の上層部に誤情報を入れて、ハインツくんの話は信憑性が無いほら話だと信じ込ませて、自由にしました。
どうせ院は彼の話に耳を傾けないでしょうからね。身柄をこちらで保護した方が早いと思い、ライム島で一時保護したのですが、
向こうも勘付いて見張りをまた差し向けたようです。
あれこれ理由を付けて捕らえられては困りますので、そちらに飛ばしました。』
「困りますよ。ただでさえこっちにも監視はついてるのに。立場がより悪くなります。」
『安心して下さい。今アレシアさんに動いてもらって、注意をこちらで引きつけます。
ハインツくんはまだライム島に居ると偽装してます。時期ルフェさんの監視は解けますので、自由に動けますよ。』
「どんな手を使うおつもりですか。」
『正攻法ですよ。ルフェさんが不利になるようなことはありませんから、安心してください。
後でゆっくり事情を説明しますから、ハインツさんから色々話を聞いて、協力してあげて下さい。』
通話を切って、シャツのポケットに携帯を入れる。
穏やかな人なのだが、たまに勝手な行動をするから、巻き込まれる方は溜まったもんじゃない。
ため息を吐いていると、冷蔵庫から牛乳ビンを勝手に取り出し一気飲みしていたハインツが、突然シャツを脱ぎだした。
上半身の筋肉が露わになり、慌ててルフェを壁に向かせる。
「いきなり脱ぐな!ウチには女の子がいるんだぞ。」
「あーそうだった!すまない。シャワーを借りていいか?キッチンに入るには、臭いがヒドイと気づいた。」
「・・・廊下の奧だ。」
「その間に飯を頼んでいいか?使い方がわからん。」
「わかったよ。」
脱いだシャツを手に持って、ハインツは浴室へと入っていった。
ルフェがゆっくりタテワキの方に向きを戻す。
「ハァ・・・。大先生が、しばらく此処に置いてくれって。詳しいことは後で連絡くれるらしい。
先生が認めたってことは、脅威はないと思う。いやだろうが、少し我慢してくれ。」
「大丈夫です。先生、私クロノスで過ごしたから、平気ですよ?」
「ああそうか・・・。多少耐性ついてたか。それでも、俺が注意するから。
さて、何か作らないとか。ルフェは?といっても、夕飯には早すぎるか。」
「アレシア先生から頂いたロールケーキ食べていいですか?」
「もちろん。」
ルフェも手伝いながら、2人でキッチンに立ちパスタと何品かのおかずを作る。
タテワキは1人暮らしが長かったようで、手際がよく効率的だ。
ボンゴレパスタ、ブロッコリーと卵のサラダ。
ベーコンのスープを作り終えたところで、ハインツが風呂から上がってきた。
腰にタオルを巻いただけで、ほぼ裸だったので、タテワキがまた怒りの表情を浮かべ、ルフェは苦笑するしかない。
「怒るな!服を借りたい。よく考えたら、服は俺が魔法で作ったから、脱いだら消えた。」
「風呂場から呼べばいいだろ。その姿で出てくるな。というか、また作ればいいだろ。」
「飯をくってる時ぐらい気を抜かせろよ。」
「アンタのサイズ持ってないぞ・・・。」
ブツブツ文句をいいながら2階に連れて行き、タテワキが持ってる衣服で一番大きいスエットのズボンとTシャツを貸してやったが
やはりパツパツになってしまったが、今はこれで我慢してもらうしかない。後で大先生に請求すればいい。
1階に戻ると、ルフェが料理をテーブルに並べておいてくれていた。
「紅茶でもいれて、一緒にロールケーキ食べなさい。」
「先生はコーヒーですか?」
「紅茶で良いよ。」
「いいなータテワキ。こんな可愛い子と同棲か。新婚か?」
「うるさい。いいから食え。」
いただきます!と元気よく挨拶してハインツは凄い勢いで食べ始める。
150年ぶりの食事はよほど美味しかったのか、目に涙を溜めながら掻き込んでる姿を見ながら、紅茶を飲む。
パスタもスープも多めに作ったのに、あっという間にハインツは完食してみせた。
「ごちそうさま!いやー、美味かった!感謝するタテワキ。」
「おそまつさまでした。さて、色々聞きたい。」
「話す事は特に無いぞ?魔法院では誰も話聞いてくれなくて、外に放り出されたと思ったら小太りのじいさんにつれてかれた。」
「オークウッド大魔導師だ。感謝しろ。あのまま魔法院にいたら、事実隠蔽を図った院に虚偽罪とかありもしない罪きせられてたぞ。」
「最初から聞いてくれるつもりはなかったわけだ。俺も聞きたい。なぜそんなにシビアなんだ?」
「狭間の世界から魔物が出てくるようになったんだ。ウィオプスと合わせて、魔法院は対処に困っててんてこまい。
ただでさえいっぱいいっぱいなのに、狭間の世界から150年前に死んだはずの魔法使いがやって来たなんて
院は認めたくないし、無かったことにしたいだろうな。今は労力割きたくないだろうし。」
なるほど、とハインツは腕を組んだ。
大人同士の会話だと判断して、ルフェは皿を片付けだして、キッチンで洗い物に専念する。
「オークウッド大先生から何か聞いたか?」
「同じ話をもう一度しただけだ。小太りのじいさん・・・じゃなかった。
その大先生とやらは、アルバ先生の論文をよく理解してくれてたから話が合って助かった。こちらの話も信じてくれてたようだし。
ただ、一方的に話をしただけであちらさんは忙しいようで言えなかったんだが、お願いがあるタテワキ。
俺をノーチェの家に連れて行ってくれ。生家がどうなってるのか気になるんだ。」
「アンタ、セレーノの生まれなのか?名前の響きからバーンシュタインだと思った。」
「俺を拾って育ててくれたアルバ先生がバーンシュタインの生まれで、たまたまノーチェに拠点を持っただけなんだ。
俺にとって故郷は先生の家。」
「150年も経ってるからな。残ってないだろ?」
「だとしても、先生が残した研究データがあるはずなんだ。先生は、誰にも見せたくないデータは目に見えない箱の中に入れて隠していた。
家はなくても、その箱は誰にも壊せない。他の魔導師に見つかってなければ、まだあるはずなんだ。
そのデータがあれば、狭間の世界のこともわかるかもしれない。
俺の記憶がまだ鮮明な家に、照らし合わせたい。」
『それはいい考えですね。』
タテワキのシャツポケットに入れていた携帯が勝手にしゃべり出した。
手に取って、スピーカーになった携帯を睨み付ける。
「大先生、俺のプライバシー侵害なので勝手に通話繋ぐの止めて下さい。どうやってるんですか。」
『内緒です。まずはこちらの現状をお伝えします。』
ハインツにも聞こえるように携帯をテーブルの真ん中に置く。
ルフェも水道音が邪魔にならないよう水を止め、テーブルに戻ってきた。
『我々チームとしては、ハインツさんの話を全面的に肯定します。
その上で、狭間の世界のゲートを閉じることに力を入れようと思います。
狭間の世界が閉じれば、ウィオプスや魔物がこちらに来る事も無い。』
「次元ごと切り離すということですか?」
『可能であれば。まだ私達は、狭間の世界が何であるかわかってませんが、ハインツさんは唯一体験までしている。
全ての糸口であると言えます。ただ被害を受ける側だった我々が反撃できるチャンスでもあります。
ノーチェに行けば、その答えがわかりますか?』
「答えになるかはわからない。箱の中身次第だ。アルバ先生を信じるしかない。」
『なら私も信じましょう。トーマくん。ルフェさんの監視は解きました。
今までのウィオプス退治への功績と未成年魔法使いに対する保護責任を訴えました。
元老院は我々が何か企んでると踏んで、狙い通り監視を解いて泳がせようとしてくれました。注意はこちらで引いておきます。』
「動くのは俺ですか・・・。」
『これも縁ですよ。彼を止めたのも君の功績です。』
「ルフェの契約があります。出動要請が出れば動かざるおえません。」
『好都合じゃないですか。ウィオプスが出たということは、狭間の世界からのゲートが開いたということ。』
それもそうか、と納得してしまう。
全て大先生の手の上ということらしい。
ルフェを伺うと、力強く頷いてくれた。
「わかりました。俺が責任を持って情報共有します。」
『ハインツさん。アルバ大魔導師が残した功績と、やり残した研究をやり遂げるチャンスです。』
「もちろん、俺の話を信じてくれるなら味方だ!タテワキには飯を食わしてもらった恩義がある。喜んで協力しよう。
ただ1つ、教えてくれ。アルバ先生はどうやって亡くなった?」
『記録上だと、老衰とあります。自宅で亡くなってたのを、知り合いの魔法使いが見つけて発覚したとか。』
そうか、とハインツは短く答えただけだった。
その後いくつか情報共有をしてから、通話を終了する。
「出発は明日にしよう。もう夜になっちまう。それでいいか?」
「ああ。」
ハインツは、あからさまに落ち込んでいた。
師匠であるアルバ魔術師の死を、まだ受け入れられないのだろう。
狭間の世界に落ちて、150年経った世界は発達した電子機器を見てわかるが
親しい人間がいない世界にすぐ慣れろと言っても無理な話だ。
「ルフェ、買い物に行こう。」
「いいんですか?」
「監視が解かれたんだから、当然だ。久々に外に出たいだろ?」
急いで着替えてきます、とルフェは小走りに2階に上がっていた。
「アンタはどうする?」
「少し疲れた。」
「そこの応接間使っていいぞ。少し小さいだろうが、寝れるだろ。
家にあるもん勝手に使ってくれて構わんが外には出ないでくれ。念のためだ。」
わかった、と短い返事をしてハインツは先程と打って変わって静かになってしまったハインツは、のろのろと応接室に入っていった。
ハインツを残し、家の脇に止めていた車でルフェを乗せ、少し離れた街まで出かける。
久々に戦場以外の外に出られたルフェは、楽しげに外の景色を眺めていた。
横目でルフェの顔を伺いながら、口を開く。
「大先生に巻き込まれたな。うまく押しつけられた。俺達なら、都合良くゲートの出現箇所に行ける。」
「でも、ハインツさんを助けられます。」
「助ける?」
「私がハインツさんだったら、周りのことなんて気にしないで、すぐアルバさんのことを調べにいきます。
何をして、どう亡くなったのか、とか。
ずっとアルバさんの元に帰ろうと知らない世界で頑張ってたのに
いざ戻れたら150年も経っていて、お世話になった人もいなくなってるんです。きっと、とても辛いです。」
「優しいな、ルフェは。」
「私も手伝いますから、夕飯は豪華にしましょう。美味しいもの、沢山食べてもらいましょう。」
「頑張るよ。」
ハインツが寝てる間に見た魔術師大全には、アルバ魔導師のことも、ハインツ自身のことも記載されていた。
大全には、150年間ハインツは行方不明となっていた。
魔法使いに対する行方不明は、死亡と同義だ。
死んだはずの男が帰ってきて、言葉を交わしている。不思議な話だ。
敵の罠の可能性をタテワキは捨て切れていないが、ハインツ自身は悪い人間には見えない。
それも敵の罠かもしれない。警戒だけはしておこうと、アクセルを踏む。