❀ 4-2
それは何の前触れもなく始まった。
魔族達による世界各地への一斉攻撃。
田舎の小さい村は次々襲われ被害甚大、生き物は犠牲になり、精霊の住処である聖なる土地も荒らされた。
円卓議会と魔法院が指定避難地だけは守っているが、どこか1つでも防壁展開装置が破壊されれば、共鳴による強化も失われてしまう。
世界の混乱は極まりつつあった。
ルフェ達が所属している特別対策班も避難地の護衛に回されることとになり、タテワキの転移でクルノア国ガムールに降り立った。
リヒトがローブで鼻を押さえる。
「酷い臭いだ・・・。」
「人間じゃないのが幸いだね。」
ジノが冷たく言い放ちながら見下ろしたのは、地面に転がっている魔族の死体。
避難地へ乗り込もうとしたが防壁に触れて絶命したのだろう。
防壁には魔族避けの呪術が刻まれており、魔族は触れた瞬間感電して焼け死ぬと聞いたことがある。
「魔女の姿はないな。」
「先生、現在襲撃を受けている箇所に飛んだ方がいいのでは?」
「世界中に散らばってた魔導師が緊急招集されている。俺達はこのポイントに魔導師が集う間の時間稼ぎ。
魔女退治が狙いじゃ無い。キルンベルガー君、突っ走って魔女に喧嘩売るのは止めてくれよ?」
「俺は命令違反を侵したことは無いですから、安心してください。・・・・なに笑ってるジノ。」
「なんでもないよ。」
万が一に備えて仕込みをしてくる、とタテワキは空を飛び、ルフェ達3人は防壁を背にして積み上がった瓦礫の山を見る。
防壁から一歩外に出れば、そこから先は荒んだ光景が広がっている。
防壁内と同じく綺麗な街が広がっていたはずだ。整った石畳、並ぶ木造と石造りの建物。
花壇や噴水もあったかもしれない。
人々が暮らしていたはずの街は今、崩れた建物と魔物の死体しかない。
「ルフェ、大丈夫?」
「平気。見慣れた。」
「そうじゃない。モロノエさんに送ってもらった時から、少し変だ。」
数日前、ルフェはロードの襲撃にあって味方側の魔女達に助けてもらったことがある。
ジノとリヒトはあの時の事をずっと謝ってくれていたが、転移魔法中の妨害はどうしようもない。
相手が強者ならなおさら。
ジノはあの時何があったか見てないし、ルフェも
仲間になれと勧誘を受けたがモロノエが助けにきてくれてギリギリで助かった、と報告してある。
言葉の中の違和感を、ジノは見逃さないし、親友の変化もめざとく気づいてくれる。
嘘をついて誤魔化した罪悪感の中に、心配してもらっているという自負がくすぐったくて嬉しかった。
「うん・・・。ちょっと気になることがある。任務が終わったら聞いてくれる?」
「もちろんさ。」
「マリーもいてくれたらよかったんだけど。」
「まだメデッサ魔導師の痕跡は見つけられてないようだね。」
「そもそも不可能な話だろ。大先生やアレシア学園長でさえ長年連絡が取れない相手だぞ?」
「でも、前回サジ先輩に痕跡を残してくれたのも何か思惑があったからじゃないかな?
メデッサ魔導師にどういった目的があるか不明だけど、あちらの事態も動き出してる。
動いてる者同士、いずれは重なり合うよ。」
「お前にしてはずいぶん希望的観測な意見だな。ーー・・・あれについても前向きな意見を頼む。」
「うーん。リヒトのファンになちゃったんじゃないかな?美女にもモテモテで、さすがリヒト。」
ジノのジョークに強めのため息を吐いて、リヒトは杖を出して構えた。
空からタテワキ先生が降りてきて、目の前に現われた灰色の魔女と対峙する。
「お前達は防壁守護に集中しろ。」
「はい。」
こちらに歩いてくる灰色の魔女の肩に、灰色のカラスが止まっていた。
カラスは首を傾けたり縮めたりを繰り返している。
灰色の魔女に隠れて、もう1人小柄な魔女もこちらに向かってきている。
「ずいぶんと、小賢しい技を仕掛けているようですね。」
「魔女と戦うならあらゆる手を使わないと。」
「戦う?これから行うのは一方的な暴力です。今まで、力の大半をセーブさせられていたので思うようには動けなかった。
貴方達と顔を合わせるのは何度目か忘れましたが、まだ息をして向かい合っていられるのも、そのためです。」
「手を抜いてやっていたが、ここから本気出すぞってやつかい?ずいぶんとマイペースな侵略者だ。」
「段階があるのですよ。ああ、そういえば。貴方の事も記されていましたね。運命の子を導く先導役。」
ルフェから表情は見えなかったが、タテワキが纏う空気が確実に変わったのはすぐに気づいた。
タテワキが猫背のままポケットに入れていた手を抜いた。
「名を教えて下さい。」
「聞いてもすぐ忘れるでしょ。」
タテワキが手を横に振ると、足下、それから体の左右に魔法陣が展開した。
紫色の陣から風が吹き荒れ、タテワキの前に、一冊の書物が現われた。
古そうな分厚い本の表紙を見て、ジノが叫んだ。
「グリモワール!?失われた書を、何故先生が!?」
宙に浮いていた本をタテワキが手に取ると、本が勝手に開いてパラパラとめくられた。
紫色の稲妻が大気中に走り、強まった風にルフェの体が少し後ろに押されてしまう。
左右の魔法陣が本の中に吸い込まれていき、代わりに本の上に新たな魔法陣が刻まれ、白く発光する。
陣から現われたのは、鷲の顔と白い羽を持ち、ライオンの下半身を持った生き物―――伝説の魔獣グリフォンであった。
タテワキの召喚魔法を借りてルフェも鳥を出したことがあったが、それとは比べものにならないぐらいのオーラを纏っている。
鳥の双眸が目の前にいる魔女を睨み付け、咆哮を上げながら空に飛び立った。
羽ばたき1つで爆風が起こり、鋭利な風をリヒトが防壁展開をして防いでくれた。
あっという間に頭上に移動したグリフォンが、口を大きく開くと、紫色の閃光を魔女に向かって放出する。
魔女は飛んで攻撃を避けたが、まるでレーザーのように鋭く早い光線が地面に穴を開けた。
左右に分かれた魔女のうち、左側にいた小さな魔女―ティティンが体制を整える前にタテワキが背後を取った。
手に刻んだ紋が背中に触れる前にティティンが避け、ロノエが応援に回ろうと一歩踏み出したところで
頭上から垂直にグリフォンが飛び降りて進行を阻んだ。
粉砕された瓦礫の破片が舞い散る中、獸と魔女が睨み合う。
魔女と獸と高位魔導師が戦いを始めると、タイミングを見計らったように狭間の口が開き、魔物が何体も落ちてきた。
リヒトが杖を構え、ルフェがアセットのハルバードを握った。
「ジノ、反転魔法用意。術式は三重。転移魔法足下に刻んどけ。」
「僕らだけ逃がそうとか考えないでよね。」
「安心して。その時は私が必ず道連れにするから。」
リヒトが呆れたような小さな笑いを漏らし、杖から紫色の粒子を大量に噴出させ魔物達に振りかけた。
粒子を頭から浴びた魔物から次々悲鳴が上がり、掛けだしたルフェが横に大きくハルバードを振るって魔族の体を切り裂いた。
その隙にジノが高度な魔法陣を展開していく。
地面に陣を描いていたジノが顔をあげると、灰色の巨大な烏とグリフォンが空中でくちばしで戦いながら咆哮を上げていた。
2羽の羽が羽ばたく度辺りの木々がしなり砂が舞い上がる。命を取り合う瀬戸際の咆哮は能に直接響き渡ると、嫌に不安感が煽られる。
灰色烏が鋭利な爪をもった足でグリフォンの胸をえぐろうと伸ばすが、
グリフォンは器用に空中で身を後ろに下げ、くちばしの前に紫の魔法陣が現われる。
咆哮と共に紫の閃光を吐いた。
烏は体を右に傾け避けたが、羽の一部が閃光に触れてしまい、悲痛な悲鳴を大地に響かせ羽をばたつかせながら更に空高く舞い上がる。
その下で、タテワキと小さな魔女ティティンが人間離れした動きで攻防を繰り返している。
ジノの胴体視力では、タテワキが高速魔法を使っていることと、
時折手にしているグリモワールのページをめくっていることしかわからなかった。
突然、ルフェの叫び声が聞こえた。
自分の名前を叫んだのだと気づいて顔を回した時には、目の前に醜く表情を歪めた灰色の魔女が、
長い爪を持った手を振り上げているところだった。
爪が肉に食い込む――その直前に、甲高い金属音が1つ鳴り耳の奥に痛みが走った。
眼前に迫った爪を防いだのは、見慣れたヴァイオレット色の棍棒型アセット。
「相変わらずドンくさいね、ジノ。」
「ギリギリ間に合ったみたいでよかったよかった~。」
「マ・・・ヴァイオレット、サジ先輩まで!?」
ロノエの一撃を受け止めたままヴァイオレットは棍棒を振って魔女を後退させた。
サジの足下に見たことがない魔法陣が浮かび、白金の閃光が辺り一面に走り一瞬全ての輪郭線が曖昧になる。
ジノの元へ走っていたルフェが再び目を開けた時、ジノやサジの前にいた人物の姿を見て全ての動きを止めた。
紫色のパンツスーツを纏い、院のものとは違うロングローブを肩に掛けた年配の魔法使いらしき女性。
その隣には、この世のものとは思えないぐらい美しい金髪が目を閉じたまま立っていた。
スーツ姿の魔法使いが、ルフェの方を向いて僅かに微笑んだ。
その笑みはどこか悲しそうな、申し訳なさそうな、そしてとても懐かしいものだった。
「メデッサ、先生・・・?」
ルフェがそう呟いたその後、灰色の魔女がその喉で上げたとは思えぬ程汚く耳障りな奇声を上げた。
喚くロノエは、老婆の見た目になっていた。骨が浮き出た肌に艶のない湿った心許ない髪の毛。
見た目こそ老婆だったが、その場にいる誰もが反応出来ない早さでルフェの目の前に移動し、
頭を掴むとそのまま地面に展開させた大きな魔法陣に埋めていく。
地面を超えて魔法陣の中に体が食い込んでいく中で、唯一残った右目の視界で、こちらに走ってくるマリーとジノの姿が見えたが
魔女の干からびた手に押され視界は暗闇に呑まれた。
・
・
・
「ハッ・・・!」
顔を上げた時、その世界は白に近い灰色に染まっていた。
異空間にでも閉じ込められたのかと疑ったが、急激に冷える指先と頬に当たる雪の感触がこれは現実だと告げてくる。
吹雪の中だった。
一面雪が暴風で吹き荒れる白い光景と、頭上に広がる灰色の曇天に挟まれ何も窺えない。
もう何時間も吹雪いているのだろう。積もった柔らかい雪に足が埋もれていく。
肩にまとっていたローブが風とは違う力に引っ張られた気がして、左に顔を向ける。
マリーを抱いたジノが、まるでクモの糸を手繰るようにルフェのローブを弱々しく掴んでいた。
ジノの唇は紫に染まり、閉じてしまいそうな瞼を必死に開き意識を保とうともがいているのがすぐわかった。
腕の中にいるマリーに触れると、わずかだが温もりが残っている。
この世界の全てはマナの量だ。マナというエネルギーが多ければ環境にも対応出来るのだが、
マナの少ないジノがこの寒さの中意識を保っていることすら奇跡だ。
ルフェは咄嗟に杖を取り出し積もった雪をマナで持ち上げ簡単なドームを作ると、その内側に防壁を張り簡単な風よけ空間を作る。
完全に閉じてしまいたい所だが、酸素を入れなくてはならないので防壁の下の方だけわずかに穴を開け、炎の魔法を杖先に灯した。
「さすがルフェ・・・。頭が、全然回らなくて・・・ルフェを離さないようにするのに、必死で・・・。」
「もういいわジノ。手を離して、もっと暖かくするから。」
炎で足下の雪がどんどん解けていき、土の地面が現われた。
雪で濡れぬかるんだ土から水分を抜いて乾かすと、ローブを敷いてジノが大事そうに抱いて守っていたマリーを寝かせてやる。
ジノも腰を下ろし、ローブを脱いでマリーにかけてやった。
地面に炎を宿したままの杖を差し、温度を上げるために手の平にマナで作り出した炎を宿した。
疑似的な炎なので火傷をすることはないし、ルフェのマナは無限に近いので枯渇する心配はない。
「これ、使って。魔法院での経験かな。急な現場出張で野宿も多かったから、日用品はストックしておいてあったんだ。」
「さすがジノね。」
震える腕で差し出されたランタンに手の平の炎を落とし、蓋を閉めず土の上に置いた。
マリーの額に手を置く。熱はないし、しっかり呼吸をしている。眠っているだけのようで安堵のため息をこぼした。
「ここ、どこかしら。」
「暴風雪具合からいって、北の方だと思いたいけど、最近異常気象が多いからね。ちょっと読めないな。」
「魔女が無理矢理私を飛ばしたのに、よく付いてこれたね。」
「リヒトに言われて作っておいた陣を移動させて同調したんだ。間に合ってよかったよ。
転送地点は魔女の情報に呑まれてしまったから、僕らがギリギリ間に合っただけ。」
「タテワキ先生、大丈夫かしら・・・。」
「僕も、リヒトを置いてきちゃったよ。今頃寂しくて泣いてるかも。」
この状況下において、自分ではなく同行者を心配する発言に小さく笑い合う。
少しマナが回復したのか、口元を緩ませながらジノは自分の片膝を引き寄せた。
「先程いたスーツの人が、メデッサ先生かい?」
「うん。」
「サジさんとマリーはちゃんと見つけたみたいだ。それにしても・・・おかしかったね。
灰色の魔女が、メデッサ魔導師を見て発狂したように感じた。
キーマンであるメデッサ魔導師を狙うならともかく、真っ先にルフェを引き離しに掛かるとは、不自然だ。
しかも命を狙おうと思えば出来た。現に誰も防げなかったのに、転移させるだけ。それにあの人―」
「ええ。先生の隣にいた人、魔女だった。初めて見る顔だったから、末のティティスさんだと思う。
名前と、姉妹の中で唯一金の髪をしてるって聞いたことがある。」
ロードの話によれば、女神が予言を残した9番目の巫女。
絵画の中で人々が空想する女神の姿のように、他の姉妹とは一線を画す美しさだった。
とにかく、とジノが顔を上げた。
「マリーが目を覚ましたら移動しよう。」
「未成年魔法使いは好きに転移魔法使えないはずよ?さっきのはタテワキ先生が近くにいたから陣を張れたけど。」
「足で動くしか無い。」
「この吹雪の中?」
「食料も水もない。このままじゃどっちにしろのたれ死ぬ。動けば手がかりぐらい見つかるし、運が良ければ廃村にたどり着ける。」
「・・・大人がいないと何も出来ないのね。」
「ああ。どれだけ守られていたか身にしみて理解してるところだよ。」
ジノが圏外のままの携帯画面を見せながら力なく微笑んだ。
場所がわからない以上、連絡手段はない。
胸の奥に生まれた不安を見ないようにする。
この吹雪の中、マナの少ないジノが真っ先に力尽きてしまう。
自分だって、無限に近いとはいえ極寒の中では体力が減って急激にマナは枯渇するだろう。
しかし、守らねばならない。
魔女2人と対峙していたタテワキ先生も、怪我をしてないといいが―――。
2人も仮眠を取ることにして、マリーが目覚めてから防壁を一度解いて外に出た。
外は相変わらずの暴風雪。
風は吹き荒れ、真横に大粒の雪が降ってくる。
頭上は分厚い雲が覆っており、視界は悪く雪と靄で数メートル先が見えない。
ルフェは防壁を三重に張って仲間を風から守るも、芯から凍えるような冷たさは防げなかった。
「ルフェ、下に隙間を作ってくれ。」
「でも、風が入ってくる。」
「塞いでしまうと、積もった雪に挟まれて二酸化炭素中毒を起こす。マリー、目はよかっただろ?
樹木を見つけたら教えてくれ。影が薄いけど、これで方角ぐらいはわかるかもしれない。」
「腕時計で方位がわかるの?」
「暇潰しにサバイバルの本を読んでおいてよかったよ。」
ルフェとマリーは、ジノがいれば心強い、と歩き出した。
ルフェは防壁を維持することに集中し、マリーは前方で目を凝らし耳を澄ます。
ジノは、きっちり100歩進むごとに手帳に印をつけ、空に向かって信号弾を発射する。
敵に見つかるリスクもあるが、運良く人間に見つけてもらえる幸運に掛ける。
歩いても歩いても、見えるのは白い大地と吹雪だけ。
建物の影どころか、木々すら見えてこない。
無限に広がり続ける悪夢のような光景に、皆口には出さないが不安と焦りが体を巡り、
冷え切って感覚のない指先が苛立ちを煽ってくる。
時折休憩を挟んではいるが、もう何時間も歩き続けている。
食料はおろか、水すらないので、仕方なく雪を口にする。
体力も気力も、確実に削られている。
ジノがしっかり計算して真っ直ぐ歩くよう心がけているのに、ここまで何も見つからないものだろうか。
木も、岩も、山肌もない。
ただただ、平坦な道が続いている。
何もない。
どこへもたどり着けない。
これは――――
「ジノ・・・コレって・・・。」
「もっと、早く気づくべきだった・・・。」
マリーは何も言わず膝から崩れ、ジノが支えようと腕を伸ばしたが、力が入らず一緒に倒れてしまう。
防壁を解いたルフェは、体を叩きつけるような強い風に耐えながら、震える腕を伸ばして空にマナの塊を飛ばした。
変化は起こらない。呑まれてしまったのだろうか。
ルフェもまた膝をついて、感覚のなくなった手で意味もなく雪を掴む。
吹雪の音の向こう。遠く、遙か遠い場所で、ガラスが割れる音が響く。膜が掛かったように曖昧だったが、欲しかった変化であった。
重たい首を持ち上げると、地面が僅かに傾斜しており、何も無かったはずの視界の先に枯れた木と、黒い影が見えた。
それが人影で、猟銃を持って自分に向かってくるのに気づいたのだが、糸が切れてルフェも意識を手放した。
*
パチッ。
・・・パチッ、パチ。
小さく弾ける音が繰り返し聞こえてきて、ルフェはそっと瞼を開けた。
木目の美しい天井に、オレンジ色の影が揺れている。
心地よい感触に体が包まれている。
これは、暖かいという感触だと気づくのに時間が掛かってしまった。
首を回せば、暖炉の中で炎が揺らいでいた。
どこかの部屋だった。
部屋は木目の壁や木の板を敷き詰めたような床が広がり、見慣れぬデザインの分厚い絨毯が敷かれていた。
重たい体を持ち上げると、寝かされていたベッドの布団も絨毯と似たようなデザインパターンが描かれていた。
角の立派な鹿と、木。花か雪のようなマークとレース柄が糸で施されている。見てるだけで暖かくなる。
声がして暖炉の反対側を見ると、すぐ隣のベッドでマリーが眠っていた。
暖炉の温かみで頬が真っ赤に染まっている。
安堵しながら、部屋をぐるりと見渡した。
民家にしては部屋が広いし、天井は高く、窓に掛かるカーテンも大きく高級感がある。
意識が途絶える直前に見た、猟師のような人物が助けてくれたのだろうか。
「あれ、ジノはどこに―・・・。」
「男はさすがに別室にしたが、一緒の方がよかったか?」
お盆を持って部屋に入ってきたのは、金髪の若い男性。
ルフェは男性を知っていた。
クロノス学園で生徒会長を務めていた、クリスティアーノ・ファン・デル・ベルクその人だった。
ベッドの脇にある円形のテーブルにお盆を置いて、不思議な模様が描かれたマグカップに何かを注いでいく。
匂いは、クラムチャウダーだ。
「これでも飲んでろ。もう少ししたら食事を用意してやる。」
「ありがとう、ございます。」
差し出されたマグカップを受け取って、湯気の向こうに立つベルクを見上げた。
ルフェが学園を去って3ヶ月ほどしか経ってないが、彼もまた、その表情は大人っぽくなっている。
「あの、助けてくれてありがとうございました。まさか・・・また会えるとは。」
「こちらの台詞だ。シュヴァルツから、お前らが音信不通だという連絡を受けていたが、よりによって俺の所に飛ばされるとはな。」
「此処は?」
「俺の家だ。バーンシュタイン国のキルシェにある、ベルクの土地。」
授業で習った世界地図を思い出す。
キルシェは南にあるのだが、海から吹く風と切り立った山のせいで気候が荒れやすい場所だと習ったことがある。
しかし、此処まで天候が荒れてるのは、世界情勢と魔女によるものだろう。
マリーが再び小さな声を漏らし、目覚めが近いのか目をこすり始めた。
後で呼ぶ、と言い残しベルクはあっさり部屋を出て行って、すれ違いにジノがやってきた。
マリーも目を覚まし起き上がる。
此処がベルクの家で、助けてもらったと簡単に説明して、ジノがベッドに腰掛け一緒にクラムチャウダーを飲む。
カップは3つ用意されていた。
「寒さと焦りで、無限回廊に閉じ込められていたと気づかなかったよ・・・。」
「私もよ。歩くことに集中しすぎた。」
「わわわ、私はもっと役立たずでした!ルフェが最後、内側から壊してくれなかったら、
ベルクさんにも気づいてもらえなかったところです。」
「色々教えてもらわないと。シュヴァルツ君から情報が行くなら、ベルクさんは味方だろう。」
「会長さんも、卒業扱い?」
「僕たちの方が先に許可が出て卒業したからわからないけど、今学園にいないということはそうなんじゃないかな?
といっても、名門校の生徒会長を務めた人材が生家にいるとなると、どこかに就職はしなかったのかもしれないね。」
ゆっくりと談笑しながら体力回復をしていると、ベルク邸のメイドが呼びに来て、1階の食堂に通された。
リヒトが散々田舎貴族とバカにしていたがベルク邸だが、さすが貴族の屋敷という具合で
中は広く部屋数もあり、調度品も高級品ばかり。
といっても、出された料理はこのご時世なのであまり豪華ではなく、比較的質素であった。
シチューに、焼きたてのパン、鶏肉料理に、丸いポテト料理。
家庭的なラインナップで、味付けも独特でだった。
「ベルクの歴史は古い。大昔の木こり一族が発祥だからな、郷土料理も手に入りやすい食材を使った物が多い。」
「部屋にあったデザインもこの土地のものでしたね。」
「こ、このセーターも、暖かいです!」
「この土地に伝わる柄だ。二重に編み込んで厚手に仕上げている。山から吹く風でこの一帯は一際寒い。」
上品な手際で鶏肉を切り分け、口に運ぶベルクは、学園にいた時のような破天荒キャラの面影は無かった。
静かで、落ち着いている。
どこか、冷たさも感じていた。
「あの、このお屋敷の人たちは避難地へ移動してないんですか?」
「屋敷で働く者には、避難するようすでに言っている。残っているのは彼らの勝手だ。」
「今、世界各地が狙われています。例外はありません。魔女の転移先が此処であったのも理由がー」
「此処は雪が多く、魔族もあまり姿を見せない。それに、避難させた民が帰ってくる場所を守らねばならないだろう。
土地と家々を守るのも、領主の勤めだ。動くわけにはいかない。」
文化祭で、巨大なコカトリスやペンギンを召喚してはしゃいでいた生徒会長とは、全く別の顔に
3人は正直戸惑っていた。
領主としての顔など、学園では見せたこともなかった。
きっと彼もシュヴァルツやレオンと同じく身分や宿命から逃れ、学園ではありのまま楽しんでいたのだろう。
そして彼らと同じく、あの時にはもう戻れないと確信しながら、力強く立っている人の顔だ。
知っている人が違う意味で遠くなってしまった。これが大人になるということなのだろうか。
彼の背負っているものが、どれほど大きかったか
また、その重さに潰されることなく立派に立っているその姿勢が、どこまでも誇らしげで、かっこよかった。
過去の仕打ちもあるので声には出さなかったが、ルフェは心があったかくなるのを感じながら、手作りのパンを口に運ぶ。
「シュヴァルツには連絡してある。ストラベル国で合流せよとの指示だ。
明日港まで送ってやるから、船で行け。ボネに貿易船を貸すように言ってある。」
「ボネさん、貿易関係の会社を経営しているんでしたね。」
「ああ。陸路は避けろと言われた。魔女がお前らを探しているという話だ。」
「あの、じゃあ此処にいたら・・・。」
「フン。魔女の襲撃ぐらい耐えてやるさ。俺はクロノスの生徒会長を務めた男だぞ。庶民の元生徒を守るのも義務だ。」
優雅な仕草で紅茶を飲むベルク。
学園にいた時と同じ口ぶりがどこか懐かしくて、嬉しくなった。
食事を終えると風呂に入るよう進められ、3人が順番に済ませた時には、ベルクは外出してしまっていた。
もう少し彼とは語らいたいと思ったのだが。
ルフェとマリーが与えられた部屋にジノも集まって、暖炉の前で話し合う。
「執事さんから聞いたけど、会長・・・じゃないか。ベルクさん、数時間に1回は近隣を見回りに行くんだって。」
「当主自ら?でも、そのおかげで見つけてもらえたのね。」
「ああ。嫌がらせされた事もあるけど、今思えばリヒトやレオンさんと遊びたいだけだったのかもね。
ベルク家はその昔現王族と対立した歴史があるから、素直に喧嘩も出来なかったんだろう。」
「貴族っていうのも複雑なのね。あ、そういえば。ストラベル国ってマリーの家があるじゃない。
実は一度、街を見たことがあるの。素敵な所だった」
「褒めてもらえて、嬉しいです!
里帰りしたい所ですが、次帰る時は全てを終わらせて、ルフェとジノくんを招待するって決めてます。
お気に入りの庭があるの。東屋でお茶をしたいわ。」
「もちろんさマリー。楽しみにしてるよ。」
「私も。」
穏やかな雰囲気を楽しんだところで、ルフェは聞いてほしい話がある、とロードから聞いた話を語り出した。
その後魔女に言われたことも、包み隠さず全て。
マリーは今にも泣きそうな程顔を歪め、ルフェに抱きついた。
「酷いです!ルフェに全て押しつけようとしてるではありませんか!」
「現状、ウィオプスを倒せるの私だけだし、アテナ女学院では沢山の命を救えたみたいだから。」
「そういう事ではありません!ルフェを道具としか見ていないのが腹立たしいんです。」
憤慨するマリーと違って、顎に手を当てて思案を巡らせていたジノが顔を上げた。
「その予言、矛盾してないかい?」
「矛盾?」
「2番目の予言を阻止する為に、アレシア学園長達はルフェの封印を解いてウィオプスに対抗させたんだよね?
俗世から切り離して孤児院で育ててたルフェを、わざわざアテナ女学院に入学させたのも予言を知っていたからってことだ。
きっと予言には詳細が記されてて、アテナ女学院が狙われるとピンポイントで・・・。
待って・・・。だからクロノス学園は昔からアテナ女学院と交流会をしてたのか・・・?」
ブツブツと、予言以外の事も考察しだしたジノ。
珍しく、そんなジノにマリーが頬を膨らませて抗議する。
「ジノくん!予言の内容とかどうでもいいじゃないですか。
問題は、それによってルフェが巻き込まれてしまってることです!予言は元凶です!
予言さえなければ、ルフェは普通の暮らしが出来ていたかもしれないじゃないですか!」
「怒ってくれるのはありがたいんだけど、マリー。
シャフレットの大惨事が起きた時点で私の運命は決まってた気がするの。
ジノには、その辺りを解明して欲しい。私が聞いた記述が、何か新しい糸口に繋がるかもしれないから。」
ルフェの迷い無い眼に、マリーは握っていた拳を下ろさざるおえなかった。
別にルフェを追い詰めるわけじゃないからね、と困った笑みを浮かべたジノだが、考察に戻る。
「じゃあ話を戻すね。予言とやらが詳細まで記されてると仮定すれば、ルフェがウィオプスを倒せると知っていた理由は納得出来る。
未来についてもある程度わかっているなら、ルフェをアテナ女学院に送り込んだのもわかる。
ルフェの封印を解いた時の事を考えてクロノス学園から優秀な生徒数人を送り込む理由も。
そこまで事細かく記されているならば、3番目の予言についても詳細があって、事前に対策出来たはずだ。
それも、人類が滅びるなんて恐ろしい内容だ。魔法院が中心となって避難地をあらかじめ作っておいたとか
ウィオプスを倒せなくても、近づかせない装置を作る時間はいくらでもあったと思わない?」
「そうね・・・。私の時よりは、緻密さを感じられないわ。」
「わかっているなら世界はこんなに混乱してないし、被害も最小限に抑えられるはずだ。」
難しい話に早速マリーは首を捻って眉根を寄せてしまった。
構わずジノは続ける。
「それに、2番目の予言だけ規模が弱い。宇宙意思が女神の創造とは真逆の存在なら、2番目の時点で人類滅亡を示すべき。
魔族の王ロードって人も、3番目については曖昧なようだったし。」
「3番目だけ女神から詳細を開示されてないとか?」
「そうだね。予言に因果律が有効なら、世界の動きで3番目が変わり続けるために曖昧なのもまた納得・・・。
でもなー、うーん。」
「3番目だけ大雑把なのが気になるの?」
「本当に3番目の予言なんてあるのかな。」
「え?」
「ごめん。変なこと言ってるのはわかってるんだ。
1回目の襲撃で実際土地が半分に減ってるのが、宇宙意思による破壊を起源としてるなら
2回目でもう世界滅亡か人類全滅を予言してもいいと思うんだ。
ピンポイントの場所で、数千人規模の死者というのは、破壊のレベルが下がってる。
世界を創った女神が恐れる存在なんだろ?宇宙意思って。3回襲撃があるとわかっているなら、もっとこう・・・。
いや、効率とか順序とかに捕らわれているのは人間の思考だから、宇宙意思の理には関係ないのかもしれないけど・・・。
それに、宇宙意思に対抗するのが一人の女の子ってのも引っかかる。そこは女神が自ら産んだ巫女達を使うのでは?」
「言いたい事はわかったわ、ジノ。モロノエさんに予言を聞いたとき、もっと詳しく聞かなかった私が悪いの。
今度はジノも交えて、色々聞いてみましょう。」
話を結びだしたルフェに、部屋のどこかに投げていた視線を戻すと、マリーが丸くなって眠ってしまっていた。
ご飯も食べて、暖かい部屋で難しい話。
寝るには十分な要素がそろい踏みだ。
二人は声を出さないように笑い合って、マリーをちゃんとベッドに寝かせてあげた。
「ごめん。予言の違和感にしか目がいかなくて。もっと考えなきゃいけない事あったのに。」
「いいの。二人には隠し事したくなかったから、私はスッキリした。」
「なら良かった。続きはまた今度。おやすみ。」
ジノは自分が与えられた部屋に戻っていき、ルフェは電気を消してベッドの中に入った。
暖炉の火は燃えたままにしてあるので、火影が天井で踊っている。薪が無くなれば、そのうち消えるだろう。
ルフェは、先程ジノが言っていた予言について考えていた。
自分の運命を決定づけている忌まわしい女神の置き土産。
モロノエさんに聞いた時、違和感は感じなかったのに、早速疑問点を見つけるとは、さすがジノだ。
もっとピースを揃えれば、何かわかるかもしれない。
自分の運命を一度は受け入れ諦めていたのに、今となっては、大切な仲間と一緒にいたいという欲が生まれてきてしまった。
予言の通りにウィオプスとひたすら戦う生活を回避出来るなら、私は―――。