神宿りの木 吉良編 3
シンは神々により地底深くで眠らされている。
魂は抜かれ、かの場所には鍵が掛けられた。
自力で目覚めることは許されず、外からのアクセスでしか復活はありえない。復活に必要なものは三つ。
一つ目は、シンが眠る場所の特定。
人間が掘り進んだ最下層の55層まで全て調べたが、何も無かった。普段は隠されているのかもしれない。
二つ目は、シンを閉じ込めた場所を守る門を開く鍵。
これは辰巳という人間の集からさらってきたあの少年が、そのお役目を担っている。
三つ目は、体。
物質的な肉体ではなく、魂や依り代であると推測されている。
黒衣の魔術師が宿しているあのモヤがシンから抜け落ちた体なのではと思っていたが、どうやら違ったみたいだ。
現在水縹一族が守るサカキという依り代が最有力。
鍵以外揃ってはいないのに、吉良自身は焦ってはいなかった。
待鳥の長が手に入れた人間達の語り継ぎが黒衣の魔術師の手に入ったということは、あの女狐が動くだろう。
事態は悪くなるし、赤畿は確実に後手に回る。人間達はシンを起こさないように最大限あがくであろう。
シンは神である。ならば死という概念がない。ただ有り続ける。
消失と無縁ならば、いつか目覚めるだろう。それが摂理というものだ。
正直、興味はない。
シンが起きようが、寝たままだろうが、赤畿が滅びようが好きにしてくれという気持ちだ。
口伝集めも探索も興味はないしやる気も起きないが、赤畿の性で、長に逆らえない。
長になってからは、頭の中にいる声に逆らえない。
生まれ落ちた瞬間から、選択肢など存在しないのだ。大半の赤畿の民は操られている事実に気づいていない。
本当に、愚かな一族だ。心底嫌いになれないのは、同族であると無意識に受け入れているからなのだろうか。
「すいません、旧友に情報流しているのバレまして、動き辛くなりました。」
「君、友達いたんだ。」
「ハハ、一応いますよ。昔からの馴染みでして、今会ってるのも監視されてます。」
「わざわざお別れ言いに来てくれたんだ?大丈夫なのかい?」
「盗聴器の類いは無いっぽいんで、前金で貰ってる分を情報を渡しに来ました。」
「意外と真面目だね。」
「真面目なんですよ。よく勘違いされますがね。」
情報屋との会合場所は決めていない。
吉良の居る場所にふらっと現れては、必要な情報を売ってくれる。
今は窪んでいる床を見下ろせる3階部分の出っ張りのような場所で、冷たい無人の空間を並んで眺めていた。
青白いライトが下から尾身を照らし、特に特徴のない顔に濃い陰影を描く。
情報屋はしゃがみ込んだまま声を落として話し出す。
「調べたところ、少年だった箕有楽を拾ったのは清野長老でした。余所者だからこそ、信頼し最期を悟って口伝を託したのでしょう。
箕有楽は待鳥集長の洗脳で気狂いになることも想定してた。なら、黒衣の魔術師に渡った本は完全版ではないかと俺は予想してます。
待鳥集長があなたを真実の反対側へ導こうとしてたことから、真実は集結してるんじゃないかと思います。我々一般人には絶対知らせてくれませんがね。」
「やはり水縹一族か。しかも綴守が要・・・。シノノメに接触するのが精一杯だったし、深部を探るのは難しそうだね。」
「本気を出していないだけでは?どこかで一線を引いておられる。」
「君は人間が嫌いなのかい?同族を襲えって言ってるようなものだよ。」
「僕に好きも嫌いもありません。命を大事にしろなんて教わって育ちませんでしたし。」
よいしょ、とわざとらしく声を出して情報屋が立ち上がった。
真っ直ぐと見据える先に、彼が言う監視でもいるのだろう。今日は少し気が立っているように見える。
「僕は人間社会には馴染めなかったへそ曲がりですが、綴守には友がいるので内部情報は渡せません。
忍び込むにしろ襲撃するにしろお好きにどうぞ。それは置き土産です。またお目にかかれるのを楽しみにしていますよ。」
「世話になったね。」
情報屋は最後に微笑んでから、背中を向け去って行った。
極力顔を動かさないように彼がいた地面を見ると、USBメモリが置かれていた。
彼が去ったことで監視役の気配も消えたので、堂々と手に取って眺めていると、刺すような痛みが頭を貫いた。
一瞬視界が砂嵐になり意識が遠のく。かすかに残っている冷静な部分でUSBメモリーをズボンのポケットに差し込んだ。
その場でうずくまりながら頭を押さえる。
こめかみから後頭部にかけて走る痛みと激しく脈打つ度痛みで低く短い唸り声が喉から漏れる。
拒絶したくてもまとわりついて離れない。記憶だ。自分のものではない記憶が流れ込む。
今度はずいぶん昔の長の記憶だ。まだ人に成りたてで、言語も理性も何も無い人間の形をした野生の獣。
知らない人間の記憶が、一つの脳に収まろうと無理矢理入り込んでくるせいで脳が限界を訴えている。
キャパオーバーで脳が焼ける。見開いた目から涙が落ち、唸り声を漏らすため開けっぱなしの口から涎が垂れる。
また景色が流れる。
これは、記憶とは違う。ただ流れる景色。
真っ暗な闇の中、歩いていた。体は見えないが内側に轟く渦が有る。
怒りに似ているが、人間の感情とはちがう。何もかも違う。
足の動かし方すら、人間が行う無意識の運動信号とは全く違う。息の仕方さえ違和感が凄まじく吉良は自身の意識では処理仕切れなくなってくる。
痛みと混乱がどっと押し寄せてパニックに逃げたいのに、気絶すら許されぬ程、意識が全て掌握されている。
映像に、赤味が掛かってきた。光源はわからないが、赤黒いライトが等間隔で並んでいる。
急に足を止めた視界の主が、自分の手を見下ろす。見覚えがあった。鬼妖の手だ。
赤く、爛れた太い指。手を見ながら震えだした体の主が、突然雄叫びを上げる。
途端に流れ込む強い感情。叫んでいる。泣いて怒っている。
人間の、吉良の感情とは違う激しい何かが流れ込み、混ざり合って複雑な感情の模様を描く。
理解した。
これは、初代の記憶だ。始まりの個体。初めて、人間にさせられた鬼妖。
見下ろしている手から赤い皮膚がドロドロと溶けて落ちていく。溶け落ちた下から現れたのは、人間の皮膚。作り替えられていく。体が、全てが、意識が。そして存在理由が失われていく。感情が染み渡る。怒りと悲しみが相変わらず混ざり合ってとぐろを巻く。
フラッシュバックが終わると、大きく息を吸い込んで、上手く呼吸が出来ずに咳き込む。
頭痛が遠のいていくが、痛みの残滓だけが居続ける。喪失感が全身を巡り疲労感を強調した。
四つん這いで体を支えるのも難しくなり、腕の力がついに無くなり、倒れ込む。
慌てて自分の大事な記憶を探る。膝を寄せ自分を抱くように小さくなって、涙を流す。
「お願い、助けて・・・お姉ちゃん。」
*
宝鬼は、母親が違う異母姉弟であった。
赤畿の長の息子として僕は里で厳しい教育を受けてきたが、宝鬼の母は人間であったため、親子は忌み嫌われ里の外れに追いやられた。
長の血が入っている宝鬼が外の世界に逃げることを長であった父は許さず、支援を得られぬ場所で軟禁状態にしていた。
人間は赤畿の民と違い病気をしたら医者に見て貰わねばならないのに、長は人間と関わる事を許さなかったため宝鬼の母はどんどん病気を悪化させていった。
息子である僕自身も、教育係の目を盗んで宝鬼親子に会いに行くもんだから、長はお気に召さなず、バレるたび殴られ、罵倒され、檻に入れられた。
それでも僕は懲りずに宝鬼に会い続けた。
実の姉である宝鬼だけが、心のよりどころ、安らぎで会った。
産みの母の行方は知らず、父は自分を立派な長に仕立てるための道具としか見ていなかった。殺伐として、血の匂いしかしない赤畿の里が大嫌いだった。
逃げ出したかった。宝鬼と宝鬼の母を連れ出して外に出られたら良かったのに、赤畿の血は、長と決めた群れのボスに逆らえない仕組みになっていた。
永遠の監獄。
でも、宝鬼がいてくれるなら耐えられた。
興味のない勉強も、退屈な説教も、痛みも、孤独も。
毎日会えなくったって、たまに笑って遊んでくれればそれでよかった。
それだけでよかったんだ。
「やめてお父さん!!!!お願いだ!!!やめて!!!」
僕の絶叫に近い抗議を、長である父は無視し続けた。
父の服を引っ張っても大人の動きを貧弱な子供の腕力じゃ歯が立たず、足にしがみつけば乱暴に蹴られ落とされた。
体中が痛み、骨が折れる気配がしても、僕は父を追い続けた。
顔は涙で濡れ、本当は内側からこみ上げる恐怖で震えていたが、追うことを止めなかった。
父は脇に、宝鬼を抱えていたのだ。宝鬼は意識がなく、四肢を投げ出してぐったりとしている。
「ごめんなさい!僕もうあの家にいかないから、勉強もちゃんとする!!」
駄々をこねる子供が必死に親にすがりつく。おもちゃがほしいわけでも、置いて行かれたくなくて主張しているわけでもない。
長の向かう先が、わかっていたからだ。
赤畿の里の近くに、焼却炉と呼ばれる立抗がある。元は人間が作り始め、空気を地上から通す孔にする予定だったが、ガスが噴き出す箇所にぶち当たってしまい、建築途中で廃棄されたものだ。途中とはいえ、10層ぐらいの高さは完成しており、ところどころ中を移動する階段や横穴がつけられていた。
これを見つけた昔の赤畿は、此処に火をつけ永遠に消えない炎を手に入れた。
赤畿は人間と違い、火を作れない。よって此処で廃棄物を処理するようになり、裏切り者や大きな失敗をした民を投げ入れる場にもなった。赤畿に取って、焼却炉はゴミ捨て場であり、処刑場、恐れの象徴でもあるのだ。
長である父は宝鬼を抱えたまま真っ直ぐと焼却炉を目指していた。
今日も授業を抜け出して、宝鬼の家に遊びに行っていた。
宝鬼の母が手編みした真っ白なマフラーを渡してくれて、それを巻きながら家の中で遊んでいたら、突然扉が開かれ父が現れた。
戸口にがたいのいい個体が出現したとき、それが父だと気づくのに時間が掛かった。
父とは屋敷の中でしか会うことが無い。しかも大抵、自分を叱りにやってきた時。
だから外であり、一番安心できる場所に異物が現れたことで、脳がこれが現実だと理解出来なかったようだ。
部屋の中を見渡した父は、僕が巻いたマフラーを見てまず首から取り上げると、怪力で破り、突然宝鬼を抱えて家を出た。
僕は、僕が家を抜け出して勝手な事を繰り返したせいだと父を追った。宝鬼もぶたれて檻に入れるんじゃないかと危惧したからだ。
走りながら、赤畿の男達数人が小屋に向かっていったのを横目で見たが、宝鬼を追うので精一杯だった。
最初は暴れて抵抗していた宝鬼だが、何をされたのか、ぐったり動かなくなる。
てっきり屋敷に向かっているんだと思っていた父の足先も、別の方向に曲がる。
不安を抱きながらてくてくと後をついて行くだけの僕が、目的地が焼却炉だと知った時の絶望は、言葉にし難い。
とにかく暴れ、叫び、抵抗した。
何を言っても、どう謝っても父の進みは止まらない。
どうすればいいのかわからず枯れるほど大きな声を出すしか方法が思いつかず、心はどんどん恐怖に支配される。
「いやだいやだ、いやだああ!宝鬼には手を出さないでよ!!!!僕ちゃんと長になるからぁ!!!」
「これはお前の弱みになる。お前は立派な長にならねばならぬのだ、斗鬼。」
初めて父が反応したので、足にしがみついていた僕はぽかんと口を開けた。
内容は理解出来なかったが、いつも厳しく厳格な父の声が、どこか弱々しく感じたのだ。
いつも僕を叱る時みたいに、怒りで尖っているかと思っていたのに、声に拍がなく、響きに願いのようなものが乗っている。
いよいよ焼却炉が近くなってきて、頬に温かさが触れる。薄暗い一帯にオレンジの明かりが広がっていく。
影が複数、父の足先に見えてきた。
火の番人達が長の姿を見て頭を下げながらスッと姿を消し、誤って落ちないように周りを囲っていた手すりや鎖をどかす。
いよいよ心臓が小さくなってお腹の奥が重くなってきた。
火は彼らにとって恐怖の対象であり、ゴミ処理以外で近づくことさえ敬遠している。
その熱は罪の証であり、降りかかる災難であり、目を背けたくなる罪の行く先であった。
僕は長の息子として、もっと小さい頃から父に付き合わされ罪人やさらってきた人間を焼却炉に放り込む様を見てきた。
生物があげる最期の断末魔は、何も分からず幼子を不眠症にさせるには十分な旋律であった。
あの声を、宝鬼に上げさせるわけにはいかない。
僕はもうどうしたらいいかわからなくなって、父の足に噛みついた。
血の味が口内に広がり、肉の筋がぷちんと切れる音を聞いた後に、父に首根っこを掴まれ持ち上げられる。
今までで一番強い一撃がみぞおちに入り、殴った勢いで吹っ飛ばされる。
地面の上に落ちても、息がうまく出来ず視界がぼんやりする。気絶はなんとか免れた。
くらくらする頭を必死に動かして父の場所を探る。
蹴られた腹だけじゃなく、全身が悲鳴を上げる。上手く力が入らなくなってきた。
ぼんやりした世界で、父がぐったりと目を瞑ったままの宝鬼を、焼却炉の縁で持ち上げるのが見えた。
どうやって動けたのか、今もよく覚えていない。僕はとにかく足を動かして父の元まで走った。
何かを叫びたかったけど、声が出なかった。怖くて出せなかったんだと思う。
ゆっくりと、宝鬼の体が父の手から離れた。宝鬼は目を閉じたまま、力が入っていないため体が優雅な動きを描きながら落ちていく。
まだ間に合うかもしれないと縁を蹴ろうとした僕の首根っこを、父に掴んで阻止した。
赤々と、そして煌々と。
身をくねらせ激しく踊る炎の手が、宝鬼を飲み込んだ。
最期まで、宝鬼は目を開けなかった。
父はゆっくりと僕の体を下ろした。
体全体が震えて、尋常じゃなく冷えていた。炎が目の前にあるのに。
内臓が冷えている。心が震え、頭が馬鹿になる。
四つん這いになりながら、縁に手を掛け宝鬼の姿を探したが、眼下にあるのは燃えさかる炎だけ。
「長に執着は不要だ。余計なものを捨ててやったんだ。」
頭上からふる弱々しい父の声など、もう気にならなかった。
涙も止まっていた。
現実を受け入れられずぐるぐる回る思考と、激しい後悔が僕にそっと寄り添ってくる。
僕が言いつけを守って大人しくしていれば、宝鬼はあの小屋で静かに暮らしていけたかもしれない。
僕が―、全部僕のせいだ。
その後、宝鬼の母がどうなったのか、僕にもわからなかった。小屋は取り壊され、親子が生きていた証は何一つとして存在を許されなかった。
いつも優しかった異母姉弟。
たった一人の姉弟。
唯一無二の親友。
思い出も全て、忌々しい炎が焼き尽くしてしまった。灰すら残すことを許さずに。
人でないはずの化け物に宿った心という副産物を、僕は恨んだ。
―宝鬼が居ない世界など、全部燃えてしまえばいいんだ。
吉良は高く高く燃え上がる炎を見ながらそんなことを思った。
人間が生きたまま焼かれていく様を、特に感情の乗らぬ目で見つめる。
絶叫と悪臭が充満していく空間は、人間がいうところの阿鼻叫喚の地獄絵図といったところだろうか。
焼けた空気と、人間の狂気が肺を冒していく。
生き物のようにうねる炎の手に包まれ、肉は簡単に消し炭となり、建物は崩壊していく。
炎は一瞬だ。人間と、人間が作った物ならあっという間にさらっていく。
残るのはむせかえるような汚れた空気と、虚無感だけ。
尚も勢いを増しながら燃えさかる炎を見つめながら、吉良は遠い日の記憶がまた一つ欠けて行くのを感じていた。
*
「調子はどう。」
「変わりありません。頭、痛いですか?」
「治ったみたい。」
情報屋からもらったUSBメモリをノートパソコンに差して、早速中のデータを確認した。
中に入っていたのは、情報屋が仕入れた口伝についての書き写しと、
火群の星読みの巫女の隠れ家、山振の長老についての居場所などが記載されていた。
足りない部分は、自分で待鳥集長の幼なじみ達に聞けということなのだろう。
「斗紀弥さん。」
「んー?」
「台所入ってもいいですか?」
「もちろん構わないよ。この家の中なら好きに使ってくれって言ったろ。料理でもするの?」
「美季さんが、今度教えてくれるって。自分で出来ること、増やしてみたいんです。」
「そうか。」
向かいのソファーに座って、少年はオレンジジュースを飲んでいる。
着替えも用意してあるが、水色の袴姿のままである。
この部屋にもう檻はない。冷たい鉄格子は撤去され、畳の上には2組の布団が畳んで置かれている。
吉良個人の寝室は廊下を通って行かねばならないので、最近はソファで寝るようにしていたが、畳の上も寝やすいしわざわざ移動しなくていいと気づいて、美季に用意させた。
「新しい本も必要だね。全部読んじゃったんだって?」
「家では創作物は禁止されてましたので、物珍しくて。」
「何で?」
「修行の延長戦です。無駄な想像力はお勤めの邪魔だと言われました。」
「大丈夫かい?」
「はい。そのときが来たら、僕の意思など関係ありませんから。」
ならよかった、と画面に目を戻す。
データの奥に、さらにフォルダが入っていた。
まるで息を潜めできるだけ存在感を消しているようなそれを、ダブルクリックして開いてみる。
フォルダの中にあったのは、地上で学校とやらに通っている生徒数人のデータだった。
全て顔写真付きで、生年月日や住所など基本的な情報と、成績。第三者からみた性格や特徴まで記載されている。
なぜこれを、彼が置いていったのだろうか。
地上の人間など、吉良にとって無意味だが、あの情報屋がわざわざUSB内に残したぐらいだから、何かあるはずだと丁寧に確認していく。
「尊(みこと)は何が好きなんだい?」
「干し柿、かな。」
「渋いね。」
「斗紀弥さんは?何が好きですか。」
「うーん、そうだなぁ。地上のお菓子かな。クッキーとか、食べたことある?」
「ないです。」
「今度食べさせてあげるよ。きっと気に入る。」
ページをめくり続けながら、ある一人の男子生徒の顔を見て、ふと手を止めた。
茶色の髪をして、可愛らしい顔をした男子生徒。
成績、性格に特徴はなく極めて平凡。特筆する点もない。
―誰かに似ていないだろうか。
そう思って、モニターに顔を寄せる。
―違う、これは僕の記憶ではない。
頭の中にぎゅうぎゅうに詰まっている記憶の海をダイブして、頭に引っかかった違和感の正体を探る。
僕は確かに、この写真の彼を知っている。いや、彼自身ではない。彼に似た誰か。
歴代長の引き継がれた記憶の中に、答えがあるはずだ。
拡大しようとして画像をクリックすると、違うウィンドウが開いた。
メモ帳が開き、文字だけが数行書いてあった。
文字にあったのは、茶髪の彼と仲がいい別の生徒に関する記述と、彼の連絡先。
名前に見覚えがあって、生徒達のデータを高速でめくる。
あった。黒髪短髪で、気さくな笑みを浮かべている男子生徒。
肩幅や太い首から察するに、体格が良いのだろう。肌は少し焼けている。
成績は下、性格は明るくムードメイカー。そう記述がある。
吉良が気になった茶髪の生徒とは、幼稚園からの幼なじみ。
そして、頭の奥底に植え付けられた記憶を見つけ出した。
情報屋はどこまで知って、未来がどう動くのかを知っていたのだろうか。
あの真面目そうな顔をした特徴の無い情報屋が、全知全能の神に見えた。
―そうか、あの情報屋と同じ古巣から生まれたのか。
なぜ今地上で学生なんぞやってるかは不明だが、
記載されていた連絡先の人物、吉田太陽にメールを送ると、わずか3分後に返信があった。
上下を隔てる分厚い壁があろうとも、有線のネットさえあれば繋がれるとは、人間の技術には心底恐れ入る。
何度かやり取りを繰り返し、情報を交換しながら計画を練っていく。
吉良は胸が踊っているのがわかった。実に愉快でもあった。
これはシンを目覚めさせる手段や場所の特定とは関係ない。わかってはいるが、自らが審判を下しているような愉悦感があった。
お茶を飲もうと顔を上げると、ソファの上で尊が寝てしまっていた。
最近、気を抜いているのか昼寝をよくするようになった。子供はよく寝るというのは本当らしい。
立ち上がって畳の上の布団を敷いてから、少年を抱き上げ移動させた。
起こさないようにそっと下ろして、前髪を分けてやる。髪も少し伸びたかもしれない。
掛け布団を乗せてやってから、パソコンの前に戻った。
美季が夕飯の準備を済ませて主の部屋に戻ると、畳の上で二人とも眠っていた。
少年は布団の中だったが、少年を抱き枕にする主は直接横になっている。
布団を敷くのが面倒だったのであろう。こんな穏やかな寝顔は初めてみたかもしれない。
仲良く寄り添って、ぐっすりだった。
主の上にも布団をかけてやり、美季はしばらく寝顔を眺めていた。