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第一部 青星と夏日星 12

 


両翼を水平に広げ、黒鳥ががしゃどくろの頭上を旋回する。
ビルとビルの間に収まっている大妖怪は、払い落とそうと片腕を伸ばしてきた。
三十階建て高層ビルと同じ高さのがしゃどくろにとって、黒い巨大な鳥でさえ顔の周りを飛ぶうるさい虫と変わらない。
その巨体のせいで動きは遅いものの、手を振ったことで生まれた気流が黒鳥の羽を乱す。
がしゃどくろの両手首に巻かれた鎖も振り回されてガシャンガシャンと音を立てながら暴れている。
黒鳥の上に振り上げられた骨の腕が襲ってきた。
手刀を体を斜めにすることでギリギリ避けたが、爆風で二回転する。
黒鳥を仕留め損ねた腕は止まれなかったのか、皮も筋肉も付いていない骨だけのくせに、ケーキのスポンジを切るような手軽さで間近にあったビルが真っ二つになった。
窓ガラスが全て飛び散り破片が道路に落ちる。土煙が激しく上がった。
体制を整えた黒鳥の背中から、先ほどから微動だにせず仁王立ちを続ける滝夜叉姫の様子を伺う。
相変わらず立っているだけで仕掛けてくる様子は無い。ただ強い双眸で透夜を見上げ続けている。

 

「透夜、結界術士は気絶させたようだが、逃げられた。鬼がさらったようじゃ。」
「出てきたか。結界は。」
「留めてある。頃合いか?」
「先にやることがある。」
「あまり欲張るなよ。」


耳元で聞こえてきた姿無き忠告を無視して、黒鳥に命じ上昇する。
再びがしゃどくろの頭上を取ると、透夜が片腕を上げ体の周りに青い球体を無数生み出す。
それをがしゃどくろの頭蓋骨目指して攻撃するも、ヒビが入った様子は見られない。

 


「見た目よりずっと固いな。」

 


ダメージどころか、骨の指で頭蓋骨を掻き出す始末。奴にとっては高濃度に圧縮した霊力の弾も痒いぐらいで済んだようだ。
下を向いたがしゃどくろが、先ほど真っ二つにしたビルを両腕で叩きつけ出した。
殴りつけ押しつぶす行動をしたあと、突然コンクリートの破片を透夜に投げつけてきた。
デカい図体のせいでのんびりした動きだったくせにその投球はプロ野球選手なみの豪速で、
黒鳥が驚いて高い鳴き声を上げた。
慌てて羽を傾け避けるが、次々破片は飛んでくる。鎖という付加を感じてないような身軽な動きであった。
加えて、デカい瓦礫全てにがしゃどくろの霊力が乗っていたせいで、黒鳥の羽に瓦礫が当たっただけで、召喚が解かれてしまった。
投げ出された透夜の体が重力に逆らえず落下し、ビルの屋上に衝突した。
土煙が上がる。うるさい虫を仕留めた満足感が得られたのだろう、がしゃどくろも投球を止めた。
コンクリートに激突するはずだった透夜を抱えて、新しく現れた人物が静かに足を床に付けた。
胴と肩にだけ具足を付け、籠手も装着した和服の男性だったが、その体は青白く灯り、顔のパーツは簡易的な凹凸のみで、まるでマネキンのようである。
腰より長い髪と、青く灯る着物の裾がなびき、腰に差した立派な太刀は鞘の間から光が漏れている。
丁重に透夜を床に降ろしてやると、刀の鞘に手を置いた。

 


「助かったよ、タケミカヅチ。」


そう呼ばれた男性は、話すことはせずしっかりと頷いた。
現れた青白い武者は、透夜が生み出した虚像召喚神タケミカヅチ。
式神と違ってしっかりした自我はなく、本物の神でもない。
神を崇め奉り、信仰する人の想いを具現化した創造物。いわば、自然の力を集めて作った最強の自立型人形。
しかもタケミカヅチは古事記でも有名な武神であり祀る神社も全国に沢山ある。
そういった神は虚像とは言え力が強い。特位クラスの透夜の力ももちろん注がれている。
腰から刀を抜き、構える。
刀身は形を成しておらず、圧縮され固まった青白い雷であった。
一呼吸の間に刀身は膨らみ透夜の身長を超えるぐらい伸びた。
バチバチと音をたてる雷のエネルギーで風が起こり、振り上げた刀をがしゃどくろに向かって振り下ろした。
三日月型の残撃が風に乗ってがしゃどくろに飛び、巨体の肩から腰にかけ切り裂き、雷混じりの残撃が当たった箇所を粉々に砕いた。
三十階建てビルと同じ高さの巨体が後ろに傾きながら、骨に走る亀裂が指の先や頭蓋骨の真上まで及び、体が地面に倒れる前に、その体は霞のように揺らいで消えた。
遅れて、がしゃどくろを拘束していた鎖も端から砕けて空気に解けていく。
タケミカヅチが放った攻撃で巻き上がった風が送れて透夜の体を押してくる。
がしゃどくろの圧が消えたと同時、タケミカヅチが大きく一歩踏み出し透夜の前で刀を構えそれを防いだ。
雷で出来ているはずの刀なのに、金属音が心地よい音を奏でた。
薙刀を突き刺した格好で、一瞬の間で眼前に迫っていた滝夜叉姫と透夜が睨み合う。
凜々しい眉の下にある力強い双眸を受け止める。
不意の一撃を防いだタケミカヅチだったが、腹部に短刀が刺さっていた。
武器は薙刀だけと見せかけて、懐にしまっていたのだろう。
召喚が途切れる寸前で滝夜叉姫の薙刀を払ったタケミカヅチは、手にしていた刀を上に投げた。
着物の裾が舞い上がりながら具現化が解かれ青い粒子となり消える。
滝夜叉姫は弾かれた薙刀を引き寄せ、再び透夜の胸を狙って刃を突き刺してくる。
が、透夜は避ける素振りもなく逆に一歩踏み出しながらタケミカヅチが投げた刀を手にして口で呪文を唱えた。
突き出された薙刀は何も刺すことが出来ず空を突き、一瞬で滝夜叉姫の真後ろに移動した透夜が刀を振り下ろした。
切ったのは、彼女の手首に繋がっていた鎖だった。
切断された鎖はがしゃどくろの時と同じように、端から砕けて消えていく。
透夜の手からも刀が消えた。
滝夜叉姫が、くるりと向きを変えて透夜を見た。

 

「やけに消極的な戦い方をするから、やる気がないのかと思っていたわ。」

 

滝夜叉姫に、もう争う様子は見られなかった。
それどころか、すがすがしい表情を浮かべ薙刀の石突きを床に付く。


「あなたこそ、よく抗ってくれました。」


向き合うと、小柄な女性だった。
身長は透夜より低く、強気な瞳はあれど顔はまだあどけない。
透夜は、懐から取り出したものを彼女に見せた。
手の平に乗っていたのは、小さな石―夏海のそばにあるはずの平たい石であった。

 

「石は壊されましたが、結界は補強してあります。安心して下さい。」
「あら、手が早いのね。さすが七星の子。」
「滝夜叉姫として縛られた、平将門の、三ノ姫ですね。」
「ええ。まさか、死んだ後も道化に巻き込まれるとは、思ってもいませんでした。」
「あなたは生前、本当に妖怪が見えたんですね。」
「小さな寺で独り暮しだったから、妖怪たちが友であり話し相手でした。がしゃどくろも、寺の裏にある山にいた骸骨の妖怪でした。あんなに大きく無かったけど、よく肥料を運んでくれるのを手伝ってくれたものです。」

 


術士ではないのに、ナバリと呼ばれる妖怪や幽霊の類いを視認できた人間は大昔から存在する。
彼女のまたその一人であった。
父将門が討たれ、一族を滅ぼされた三の姫は怨念により滝夜叉姫となり、妖怪達を手下として反乱を起こそうとしたが、朝廷の使いと戦い破れた―という江戸時代の読本が出回ったせいで創作が真実として語り継がれてしまった。
無実の娘が、後世の作り話で復讐の姫に祭り上げたのだ。
民間伝承、言葉、思い込みもまた形を得てナバリになる。
人間がこうだと思ったその願い、恐れが形を得る。
先ほどのタケミカヅチもそうだ。

 


「父上様は、頼まれたら断れない困った人でした。家族より他人を気にする人でした。
最期まで調子に乗るからあんな・・・。父上様の事は、もう関係ないの。私ただ、静かに眠りたかっただけなのにね。」

 


視線を落とした彼女の目が憂いで揺れていた。
千年も昔に何があったかは、軽く資料を読んだだけだから全部は知らない。
けれど、父が起こした乱で苦労は絶えなかったであろう。
滝夜叉姫が顔を上げると、その瞳は力強いものに戻っており、警戒の色が強まっていた。

 

「気をつけなさい。幽世の扉を無理矢理こじ開けた者が居ます。
奴らは長らく眠っていた亡者を使って何かしようとしてるようです。狙いはわかりませんが、
貴方は、必ず巻き込まれる。星の運命を背負っているようですから。」
「言わないでください。全力で無視しようとしてるんですから。」
「フフ。貴方は見て見ぬ振りは出来ないわ。優しい子だもの。」


一歩踏み出した滝夜叉姫は、薙刀を握ってない方の手を伸ばして透夜の頬を優しく撫でた。
手の平は、冷たくも温かくもなかった。
柔らかいのに、無機質なものが触れているような感覚が、対面している彼女に血が通っていないとわからされる寂しさが胸に一点の影を落とした。

 


「ありがとう、七星の子。名は?」
「四斗蒔透夜です。」
「私は空想上の妖怪。ですが形はこの通り出来上がりました。困った時は呼びなさい。貴方なら、喜んで現世に舞い戻りましょう。復讐の姫として。」
「無理してキャラ守らなくていいですからね。」
「フフフ。また会いましょう、透夜。」


滝夜叉姫は綺麗に微笑んで、そして消えていった。
久方ぶりの静寂に細く息を吐く。

 


「また味方を増やしたな。モテモテではないか。お主の契約はほぼ向こうからのアプローチだからのぉ。」
「お前がカタカナ使うと違和感が凄いな。」
「お主はわしを滅多に出さぬが、わしだって現代を満喫しておるのだぞ。」
「はいはい・・・。目的は成した。もういいぞ。」
「それなんじゃが、」


言葉の途中で、透夜の右側に透明なベールが出現し衝突音が響いた。
突然攻撃されたというのに、慌てた様子も無く首を右に回す。
同じビルの屋上に、スーツを纏った灰色髪の中年男性が立っていた。
本格的な夏は訪れていないとはいえ六月の夕方だというのに、グレースーツのジェケットに袖を通しきっちりネクタイを締めている。
さらに黒いロングコートに、グレーのマフラーを肩に掛けていた。
整えられた短い口ひげを生やし、白手袋に木製の杖まで持って、英国紳士のような出で立ち。
だが季節がずれ過ぎている。
もう一箇所異様なのは、額から右目、頬にかけて大きな傷があることだろうか。
真冬の格好に身を包んだ紳士風の男は、胸に手を当て丁寧にお辞儀をしてみせた。
透夜の脇で喋っていた声の主は、もう消えていた。


「無作法をお許しください。貴方様の使いが、何か仕掛けてこようといたしましたので、防衛のために。」
「何が防衛だ。俺の結界を邪魔してたのはお前だろ。」
「がしゃどくろと戦いながらもこちらの動きに気づいておられたとは、敬服の至りに存じます。」


随分と仰々しい物言いをする男に、透夜は目を細めそちらに体を向けた。

 

「何者だ。」
「こうして相対しご挨拶出来る日が来るのを待ち望んでおりました。ええ・・・、本当に心から待っていたのです。
延々と続く退屈は我が身を囲う牢獄のようでございましたが、全てはこの時のためと思えば、苦行もまた喜び。」

 


警戒を強めた透夜に口角を上げ微笑んだ男は、再び仰々しく頭を下げた。

 


「お初にお目にかかります、天狼星の宿命を持つ者よ。
わたくし、名を平川晩丈と申します。
星には役目がある。天狼星はまさに番犬。夜を睨み敵に噛みつく狼の宿命。そして、導く者。」
「星読みの記述を知っているということは、七星の人間だな。章雲派か。」
「朔山にて修行に明け暮れたこともございましたが、現代の七星とは縁を切っております。」
「俺の家を襲ったガキも、三人の術士を殺した鬼も仲間なんだろう。眠っていた滝夜叉姫を無理矢理起こし、魂を調伏ではなく縛り付けて従わせたな。何が目的だ。」
「全て、貴方様の為ですよ。七星宗家嫡男、四斗蒔透夜様。山を下り運命から逃げようと、無駄だなのです。
運命の子である貴方様が生まれ、最悪の厄災と恐れられた冥王ですら目を覚ました。
そう、十一年前のあの夜にね。」

 


透夜の眉がピクッと反応を見せたのを平川と名乗る男は見逃さなかった。
突然両腕を広げ、カッと目を見開き大きく口を開け、高らかに話し出す。

 

「貴方様こそ七星開祖・摩夜の生まれ変わりなのです!
この国この星、いえ。宇宙すら統治しバランスと整え次なる次元へ導くお方!
わたくしはずっと貴方様が成長なさるのを待っておりました!」
「・・・頭のおかしい狂信者め。今素直に正体と事件の真相を話せば気絶ぐらいで済ませて―」
「わたくしをガッカリさせないでくださいませ、透夜様。
なんのために十一年前、法具をお守りしようとしたわたくしを邪魔してきた慧俊を殺したと思っているのですか。」
「・・・・・・・・・は?」
「殺した、は正しくありませんね。息の根を止め損ねて結界を強化されてしまいましたから。
慧俊が独り占めした摩夜の法具、今はどちらに?」


平川の眼前に上半身を覆うぐらい大きな球体が迫っていた。
不意打ちの一撃だが、見えない壁にぶつかって消えた。先ほど透夜が奇襲を防いだ壁と同じであった。
弾けた一撃の向こう側で、怒りで青白いオーラを噴出させながら肩の羽織が激しく瞬いていた。
その様子に、平川は興奮した様子で手を叩いた。

 


「高濃縮された素晴らしい一撃ですな。鮮やかで派手に見えますが実に洗練されている。」
「お前か、冥王復活の混乱に紛れて宝物殿を漁ったのは。
父さんは七星当主として最高の術士だった。あの夜、漏れた冥王の力は森を彷徨っていただけでこれといった被害は無かった。にも関わらず、自ら即身仏となる決意を固める程の事件が起きたのは明らかだった。誰も話してくれなかったが。」
「ではわたくしがお教えしましょうか、あの夜のことを。
摩夜の法具をお守りすると言い渡したのに、生意気にも法具を奪って逃げた愚か者の様子を!!!」
「お前、もう黙れ。」

 


透夜の周りに青白い球体が無数に現れ、夜に落ちきらぬ青い世界で透夜の怒りに震えすぎて表情を失った白い顔を照らした。
球体が目にも見えぬ早さで狂った男に襲い掛かる。
男は両腕を上げ防御の姿勢を見せたが、先に球体が地面に落ちて土煙が上がる。

 


「生田目家の結界が解けぬように主導権を奪ったようですが、それでわたくし達を閉じ込めたとでも?ずいぶん生ぬるい。貴方様なら、中にいる全員殺すよう組み替えることも可能でしょうに。」

 


土煙が収まり、そこに立っていた男は体もスーツも無傷であった。
足下で三角形の陣が回転している。
手にしていた杖を手悪さして、ニヤリと透夜を見てほくそ笑む。
その笑みを見てか、透夜は左腕を上げ顔の前で指を二本立てた。


「星廻交降術(せいかいこうこうじゅつ)・六連星。」


その口から出たのは、透夜が人前では決して見せようとはしなかった
神聖なる七星の術名であった。

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