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第一部 青星と夏日星 2

 


鬼、妖怪、幽霊、エトセトラ。
古来から語られ人間の生活を脅かしてきた摩訶不思議な生き物達は、確かに存在する。
その真実をこの小さな箱の中に閉じ込められたクラスメイトは誰も知らない。

四限目の古文の授業を聞き流しながら、夏海は窓の外に視線を投げた。
老齢の教師が紡ぐ言葉はなんて恐ろしい呪文なのだろう。
6月の頭とはいえ本日の最高気温は30度に達し、適度にエアコンが効いた部屋は心地よく、流れる呪文により眠くて眠くて、仕方がないのだ。
クラスメイトの半分以上も同じ思いのようで、抗わず机に突っ伏す生徒を教師は叱ろうともしない。
きっと次のテストは地獄だろう。大人ってずるい。


昨晩、人間が沢山集まる公園を根城にしていた化け物を倒した。
これで魂をかじられたせいでやる気を失い鬱状態になる人も、理性と判断力を失ってキレやすくなる人も減るだろう。
だというのに、褒められも称えられもせず、今日も今日とて狭い箱に押し込められている。
―まあ、大して仲良くない人たちに褒められても嬉しくないけれど。
ウサギのゆるキャラが描かれたシャーペンで、真っ白なノートの1ページに適当な猫の絵を落書きする。
その隣に、昨晩倒したナバリの絵を描いた。
まだらの模様を描いてるうちに、キリンが出来上がっていた。


隠<ナバリ>。
昨日倒した化け物みたいなものも、実態が無いものも含め
人間の理解を超え不思議な現状を起こす存在を今はそう呼んでいる。
古来は妖怪、魔物、鬼などと様々な呼ばれ方をしていたので、総称ってことで昔偉い人が付けたらしい。
ナバリが視認出来てナバリを倒すことが出来る人々のことを、術士と呼ぶ。
術士をまとめるのが術士協会という組織であり、昨日のナバリ退治の報酬を払ってくれる人たちのことだ。

机の下でこっそり携帯を確認すると、術士協会所属術士だけが使える専用アプリから入金お知らせのポップアップが表示されていた。
ナバリを倒すと、協会に属する術士は報酬を得るのが、仕事の内容に加え、与えられた階級が重要になる。
低い階級者は雑魚のナバリ退治の仕事しか降りてこないし、報酬も低い。
入金された報酬額に、位の高い兄に感謝しながら、自分の位の低さに失望も覚える。

 

終了の鐘が鳴る。
古典教師はそそくさと教室を出て行き、寝ていた生徒も伸びをしながら開放感に安堵の吐息を漏らす。
今日は午後教員会議があるとかで、生徒は午前放課となっている。
選択授業がある曜日だったので帰りのHRもない。
落書きしか書かれていないノートをしまっていると、夏海を呼ぶ声がした。
振り向くと、小柄な女生徒が帰宅する生徒の波に逆らって夏海に近づいてきた。
うっすら茶色い髪を二つに分け三つ編みにしてまとめ、眼鏡をかけている。
小柄でちょっと地味めな子であるが、夏海にとってはとても大事な親友である。
ちなみに並ぶと身長差が10cm以上ある。夏海は高身長なのだ。

 


「杏子(あんず)~!会いたかったよー!」
「お疲れ夏海ちゃん。古典大変だったでしょ?」
「退屈過ぎて死ぬかと思った。話は右から左。」

 


鞄を持って立ち上がる。


「さ、予定通り渋谷へゴー!こないだ迷ってたバック、買おうと思って。」
「お小遣いもらったの?」
「臨時のバイト代が入ったんだ~。」

 

電車に乗って渋谷に向かう。
いつどの時間に来ても人でごった返しているのだが、商業ビルの上で飛んでいる無害な
ナバリを見える人間は何人いるのだろうといつも気になってしまう。
人が多い場所はナバリも多い。奴らにしてみれば、いい餌場なのだ。
有害なやつはもう退治されているらしいので、気にせず目的のビルに入った。

 


「本当に、良かったのかなぁ。おごってもらっちゃって。」
「当たり前じゃん!アタシの買い物に付き合わせたんだから。」

 


買い物を終えた二人は、トッピングマシマシのクレープを手に持って、広場のベンチで休憩をしていた。
SNSでも話題のクレープ屋で、夏海は苺生クリームチョコソースブラウニートッピング、杏子はバナナチョコレートカスタードをテイクアウトした。
ちなみに昼ご飯をつい1時間前に済ませたばかりである。
女子高生らしく写真撮影をきっちり終えてから食べ始める。
たっぷりのクリームにフルーツの酸味がとても良いバランスで、もっちりした生地も食べ応えがある。
これは30分並んだ価値はあるというものだ。
あれやこれやと話ながら仲良くクレープを食べ終えると、杏子が飲み物ぐらいはおごるから、と近くにある自動販売機に駆けていった。

 


「主が早く家に帰るように、と。」


夏海の背後から、低い男性の声が響く。
すぐ真後ろで問いかけられたような近さだが、当然後ろに誰もいないし、何もいない。
自販機前で飲み物のボタンを押す杏子を見守りながら、夏海は振り返らず口を開く。

 


「門限にはまだ早いでしょう。」
「夕刻過ぎ、近くで大規模な討伐作戦が実行されるらしい。」
「そんな通知受けてないけど。」
「上級位だけの集まりのようだ。」
「じゃあアタシ関係ないし、プロがいるなら安心じゃんか。」
「騒ぎに影響された雑魚ナバリが、友人の家にまでついて行ったらどうする。憑かれる前に帰るのが一番だ。」


しばし思案した後、人知れず深いため息を漏らす。
ペットボトルを2本抱えた杏子が帰ってくると、後ろにいた声の主は消えていった。

 


「炭酸と紅茶どっちがいい?」
「炭酸もらうね。でさ・・・、ホントごめん!急に家に戻らなきゃならなくなっちゃったんだ。ちょっと用事が出来ちゃって。」
「そうなんだ。大丈夫だよ。急ぐ?」
「ううん、平気。ごめんね、せっかく来たのに中途半端で。」
「私は楽しかったよ。また遊びに来ようね。」

 

こういうとき、優しい友を持って良かったと心底実感する。
重くなった気がする鞄を肩に抱え、公園を出て駅方面に戻る。


「次はアタシが杏子の買い物付き合うよ。ほら、新作コスメ気になるって言ってたジャン。」
「気にはなるんだけど、私に似合うかな~。」
「オレンジ系のカラーなら絶対似合うって。色々試してみればいいよ!」


スクランブル交差点で信号が変わるのを待つ。
黄色が点滅してもギリギリまで攻めてくる車が通り過ぎたのを確認してから足を踏み出した。
大量の人の波が動き出す。
あ、と夏海が小さく声に出す。
向こうの信号側から見慣れた顔が道玄坂方面に向かって歩いていた。
兄だ。隣には、兄の友人で術士でもある奏多さんがいた。
夏海にとっても顔なじみの友人と、真剣な話をしながら歩いて行く。
幾人もの人が居る中、兄も夏海を見つけて目が合うが、あっさり反らされ人混みの中に消えていった。


「奏多さんが一緒ってことは、結構面倒くさい案件なわけかぁ。」
「夏海ちゃん?」
「ううん。なんでもない。」

 


独り言を笑顔で誤魔化す。
本当は、クレープを食べた後杏子を連れてキャラクターショップに行こうと思っていた。
杏子が好きなウサギのキャラで、専門ショップが渋谷にあったのだ。
色々見たかったし、お揃いで買いたいものもあった。
今日渋谷に遊びに行くことが決まっていたからこそ、わざわざ兄に頼んで上位依頼をこなしお金を稼いだというのに。
明日の放課後はカラオケにでも行こうと約束をして、再び電車に揺られて家に戻った。
ほとんど東京寄りの神奈川にある自宅は、閑静な住宅街の中にある。

 

「ただいま~。」
「お帰りなさいませ、夏海様。予定よりお早いお帰りでしたね。」


玄関で靴を脱いでいると、パタパタとスリッパが廊下を擦る音が近づいて、小柄な女性が夏海を出迎えた。
すっきりとした縦ライン模様が入った若草色の着物に、フリルを縁取った白エプロンを着けている。
それだけなら着物を好む大和撫子なのだが、彼女の頭には茶色の動物の耳、おしりからは尻尾が生えている。
兄が契約し従えている式神・犬神まろんだ。

 

「夕餉の準備はまだ途中でして、羊羹でもお召し上がりになりますか?」
「クレープ食べてきたばっかりだからまだ大丈夫。先にお風呂入っちゃうよ。」
「かしこまりました。」

 


この家の家事一切を、この式神が執り行っている。
実に丁寧な仕事ぶりで、料理の腕も一流。
和食が多いが、最近は夏海のために洋食のレパートリーも増やしてくれている。
買い物も担当してくれていて、外に出るときは耳と尻尾をしまう。
珍しい和服姿で変な名前だが、近所のマダムと付き合いはいいらしい。
愛想がない兄に変わってご近所づきあいまで代行してくれてる。とてもありがたい。
お風呂でさっぱりしてから部屋着に着替え、リビングのソファーに寝転がって携帯をいじる。

 


「夏海、テレビつけてくれ。」
「そのでっかい肉球でリモコン使えるようになりなよ。」
「無理であろう。ボタンが小さすぎて二つ同時に押してしまうのだ。」
「ミーチューブでチャンネル変える猫の動画見せてあげようか。」
「わしは虎だ。」


ソファーの横に現れた大きくて白い大きな虎に催促されて、テレビをつけてやる。
座っているのに、寝転んでいる夏海より頭が高い位置にある。
兄の式神・白虎は夏海のボディーガード兼兄との連絡係だ。
夏海は兄がつけた自分の監視役だと思っているのだが、子供の頃から一緒だし現代の生活を受け入れ馴染んでいるこの虎を邪険にしているわけではない。
常に見張られているのは、年頃の女の子としては複雑だが。
もう夕方にさしかかりニュースばかりだったが、教育テレビの子供向け番組に合わせると満足したのか絨毯の上に寝転がりだした。
陰陽師界隈では有名な式神が、子供向け番組に目を輝かせてるなんて知れたら、サブカル好きな一般人も残念がるだろう。
無事に家についたらしい杏子とメッセージアプリでやり取りしながら、術士協会が開発した仕事紹介アプリを眺める。
ちゃんとしたアプリ開発企業に頼んで基礎を作ってもらったとかで、社会からは非公認の影の組織が提供しているとは思えないぐらいクオリティが高いアプリだ。
本部が提供している仕事が一覧で表示され、詳細の確認、受領条件なども閲覧出来る。
ボタン一つで受領出来て、ちゃんと討伐を終えると報告もこのアプリを使う。
無事本部のスタッフが討伐を確認すれば即報酬が得られる。
受領履歴も報酬受け取り履歴も閲覧できる。
若い術士向けにスタンプ機能があって、仕事を一つこなす度スタンプが貯まり十個貯まれば本部内のレストランで使える割引券がもらえる。
親指で今自分が受けられる仕事を流し見する。
夏海の術士階級は六位。下から三番目で、受けられる仕事はどれも雑魚ナバリ退治ばかり。
報酬も当然安く、普通の高校生がバイトで得られる日給より断然安い。
お金をもらえるだけありがたいのだけど。
高校に上がって、色々なことに興味が出たせいで、出費がかさむようになった。
バイトも考えたが、術士協会に所属している以上、いつでも出動できるようにしてなくちゃならないらしい。
兄に頼めばいくらでもお小遣いを増やしてもらえるのだろうが、頼りたくはなかった。
子供ながらに、お金の大切さは知っているつもりだ。
ソファーの上で寝返りを打つと、懐かしい10分アニメが流れていて、夏海も一緒になってアニメを見た。
すぐ目の前にいる虎の背を撫でると、確かに固い毛の手触りを感じられる。
普通の人には見えないのに、確かに此処にいる。
白虎は何も言わずアニメを熱心に見続けていた。
次の番組まで一緒に見ていると、夕飯が出来たとまろんに呼ばれテーブルに移動する。
今夜は味噌汁とほうれん草のゴマ和え、メインはハンバーグだった。
いただきますと手を合わせ、味噌汁から手を伸ばす。
まろんは片付けのために台所に戻り、白虎はテレビの前から動いていない。
食卓には、可愛いピンクのテーブルクロスに乗せられた一人分の食事だけ。
此処にいるのは、夏海と式神。
兄は高校に上がってから術士協会に入り、その実力の高さで夜は仕事をする事が多くなった。

兄は天才だった。術士として非常に優れ、誰もが兄を必要としている。

神奈川に引っ越して三年目。田舎で自分達しかいない狭い空間にいたせいで兄がどれだけ凄いのか全く理解してなかった。

自分にとったはただ一人の家族。とても優しくて、いつも遊んでくれていた。それだけで十分だった。

世間を知ってからは、兄の非凡さを痛いほど思い知らされた。

同じ一族の出身なのに、才能のない自分は雑魚ナバリを狩る仕事しか与えられないという劣等感。

いや、違う。置いて行かれているような孤独が日に日に強くなる。
寂しい夕飯は慣れたはずなのに、箸を持つ手が少しだけ重くなった。

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