第一部 青星と夏日星 3
時間は巻き戻り、夏海とすれ違った渋谷のスクランブル交差点を背に
彼―四斗蒔透夜は、親友である吏九上奏多(りくがみそうた)と共に集合場所に向かっていた。
道玄坂を辿りつつ、人があまり通らない路地を選んで歩く。
「夏海ちゃんに声かけなくてよかったの?せっかくだから連れて行ってあげればよかったじゃない。付き添いでも報酬は出るんだから。」
「気が散るだけだ。」
その言葉の真意を理解している友は、小さく笑った。
「心配になって仕方ないから、家に帰したわけだ。」
「アイツは無鉄砲が過ぎるんだよ・・・。怪我でもされたら適わない。」
「優しいからね。」
「頭より体が先に動くからな。言語使いのナバリ相手だったら簡単にだまされるし。全く・・・。」
再びクスクス笑う友人を横目で睨んで、ずんずんと道を進む。
誰かが張った人払い結界に入ると、一般人の気配はなくなり、代わりに良くない気配が強まった。
「俺を呼ぶぐらいだからどんなものかと思ったが、中々だな。」
「協会本部がざわめくぐらいの案件だよ。中々じゃ済まないと思うんだけれど。」
肌の上を滑る気持ち悪さは、体の奥の血肉、細胞にいたるまで撫でられているような変な気分だ。
一般人の中にも、見えずともこの感覚がわかる者はいる。彼らはそれを霊能力と言っているが、身近にいる悪性のナバリを本能が探知してしまったに過ぎない。
幽霊もまたナバリに分類されるのだ。
通りを右に曲がり、更に二本路地を進むと顔なじみの術士コンビを見つけた。
「お。やっとご到着かい、透夜クン。」
手前にいたニット帽をかぶった細目の男性が親しげに片手を上げた。
オレンジに近い茶髪は毛先が上に跳ね、白いパンツを履きアクセサリーをふんだんに身につけている。かなりチャラチャラした印象の大学生だ。
その隣にいる緑髪の硬派な男性も同じぐらいの年齢で、透夜を確認して腕組みを解いた。
近寄る透夜は会釈もせず、訝しげな目線を糸目の男性に投げた。
「本当に俺必要ですか、頼安(らいあん)さん。」
「必要じゃなかったら呼ばないでしょうよ。キミを呼ぶだけでどれだけお金掛かると思ってんの。」
「三位クラスで十分な気配ですけど。」
「本命はそこじゃない。ナバリが宿っている器物がヤバいらしい。」
宇佐美頼安の相棒、伊埜尾嵐が視線を投げた方を透夜も辿る。
黒いスーツを着た術士協会の警備隊や、腕章を腕に付けた下っ端隊員達が慌ただしく動き回っている。
ビルとビルの間に正方形の土の地面が広がっていた。売地と書かれた看板は色褪せ斜めに歪んでいる。
透夜が言うところの中々レベルのナバリが住み着いているなら、そりゃ買い手もつかない土地になるだろう。
「付喪神ですか?」
「本部の予測だと相当古い品が埋まってて、相性が合ったナバリが絡め取られてるんじゃないかということだ。先に付喪神を調伏しようとしてもナバリが邪魔をしてくる。」
「まるで、ナバリが番犬をしているようですね。」
奏多が呟くようにまとめると、嵐は頷いて再び腕組みをした。
「結界術師が辺りを囲んでから、まずナバリを討伐。その後器物回収を試みるらしいが。鬼が出るか蛇が出るかわからんので、お前を呼んだ。」
「結界貼り終わるまで時間掛かるやつじゃないですか。高校生に夜間労働させないで欲しいですね。ワックで時間潰してていいですか。」
「保険が現場から離れないで!あと、文句は本部に言ってよね。」
指さしで怒られ不機嫌そうな顔を隠そうともせず、透夜は携帯を確認した。
現在時刻は午後四時三十五分。
今度から、結界を張り終わって作戦開始してから呼んでもらうように本部に伝えておかねばなるまい。
「透夜。ナバリが暴れ出して一般の人に被害が及んだら大変だろ?いつでも対処出来るようにしておかなきゃ。」
「わかってるよ・・・。待機してた時間分も請求しようと時間確認しただけだ。あまり遅いと夏海が心配するし。」
「ナンプレでもしてたら?」
「携帯でやると目が痛くなるから嫌だ。」
緊張感も責任感もない高校生の会話に頭が痛くなりつつ、何も言えない頼安は帽子ごと頭をかくしか出来なかった。
透夜の予想通り、本部から派遣されてきた術士が現場に到着し、内側にいる化け物が外に出ないように三重の結界が貼り終わり術士の配置が終わったのは、午後七時を回ってからだった。
初夏も終わりに近づき、日の入りも大分遅くなった。
やっと太陽が西に沈み始め、夕日の刺すような痛みも弱まり、橙の空が藍色の帳に巻き込まれ夜が進んだ。
透夜と奏多は空き地の横に立つビルの屋上まで登り、縁に腰掛け大人達が集まる空き地を見下ろしていた。
辺りは術士が張った結界が放つ青白い明かりと緊張感で満ちていた。
大型施設にあるような三脚投光器が点され、ピリつく大人達を尻目に余裕の表情を浮かべる透夜を下から照らした。
「結界のおかげで虫が寄ってこないのは何よりだ。」
「呑気だね。さすがの僕も寒気がしてきたよ。」
「お前なら余裕で倒せるレベルだろ。」
「その奥で眠る何かの方だよ。」
「吏九上神社の跡取りに警戒させる程の品じゃないだろ?」
「この場で余裕なの君ぐらいだよ。」
来たよ、と奏多が静かに告げた。
空き地の中心から、白い何かが吹き出してきた。
黒い輪郭を持つそれは煙のようにうねりながら体積を増やし、はっきりとした形を作って顕現した。
半透明な白い鳥だった。
体はビル三階と同じ高さで、顔と嘴は鷲や鷹に、体は鶏に似ていた。随分不格好な鳥である。
何故か両足と首に計四本の鎖が繋がっている。鎖の先は地面の中に繋がっていた。
期待していた分ガッカリする透夜と違って、空き地に配置された術士達から掛け声や怒声が飛ぶ。
仏教の僧侶系術士達は経を唱え始め、陰陽師系術士は手で印を作りながら言霊を投げる。
もしくは式神や形代を使って攻撃を始めた。
空き地の角や道路に配置された結界術師達は片膝をついて結界が破られぬよう集中する。
四方に配置された三脚投光器が出現したナバリを照らす。
ナバリは羽を軽く持ち上げてから首をひねって、そして鳴いた。
苛立し気な声は鳥と言うより、獣の咆哮だった。
野太い声に大気が震え衝撃波で周りのビルでいくつも窓が割れた。
衝撃は術士達の体制を崩し力の弱い者から転がって飛ばされる。体格のいいの大人も含め。
陰陽師が放つ術や動物系式神の攻撃が煩わしくなったのか、畳んでいた左の羽で横払いにする。
土煙が巻き起こり、悲鳴が混ざる。
白い鳥形ナバリは地団駄を踏みながら術士達を羽で払い足で踏み潰し始める。
首を左右に振らして暴れる度、辺りに張った結界が震えた。
「大人が揃いも揃って、みっともない。」
「あのナバリ。三位どころか一位レベルだ。十分強いと思うよ。
やる気なくしてないで、早く仕事した方がいいよ、透夜。
大人はメンツがあるからね。あれやこれやと理由を付けて罪をなすりつけられる前に片付けよう。」
「わかったよ・・・。腹も減ったしな。奏多、」
「任せて。」
奏多が左手を顔の前まで持ち上げる。
彼の細い腕に水の鞭が生まれ絡まった。
生きた水は彼が腕を下方向に払うと勢いよく飛び、三脚投光器のレンズを割りライトを砕いた。
四つ目のライトが消えたと同時、透夜は六階建てビルの縁から飛び降りた。
まるで重力というものを無視し衝撃すら殺した彼が土の上に着地したとき、その両肩には黒い羽織が掛かっていた。
明かりが消え落ち着きを取り戻した白い鳥型ナバリが、新たに現れてた敵を鳥の目で確認する。
嘴が開くより早く、透夜が右腕を上げる。
たったそれだけの動作で、目の前のナバリは内側から爆散。跡形もなく吹っ飛んだ。
周りの術士達は、あれだけ苦戦したナバリが一発で消されたという事実に唖然とするしか出来なかった。
鳥に繋がれていた鎖が宙に舞い、だんだんと透明になっていく。
鎖は地面に落ちながら、上の部分から輪っかが崩れバラバラになり、ガシャン、という質量のある音が空き地に響いた。
鎖が消えた直後、土の地面が深くえぐれた。
歪に抉られ蟻地獄のようになった土の中心部、最奥から青の光が吹き出した。
結界内部にいた術士達が吹っ飛ばされ縁に叩きつけられる。
透夜の肩にかかった羽織が激しく揺れたが、透夜の冷静な表情は変わらず眉一つ動かさなかった。
今度は半透明な青色のアメーバが土の上、透夜の頭より少し高い位置でうねる。
内側から発光しているせいで中心部は白く輝く。
その場にいた透夜以外の術士は、現れた付喪神のプレッシャーに指一本動かせず、息すら自由に出来ずに居た。
付喪神とは物に宿る想いがこもった精霊。
その物が古ければ古いほど力を得て、強力になる。人の人智など、軽く越える。
結界を張る術士を守るために道路を挟んだ向こうにいた頼安は、
空き地に降りて来た透夜が呪文を唱えた直後に、付喪神を攻撃する青白い閃光弾を放つのを見て細い目を見開いた。
「あ!アイツめっ・・・!陰陽師流派の離れ業を簡単に使いやがって、自信なくすわー。」
半透明だった付喪神の体に大穴が開いた。
痛みがあるのかどうかは知らないが、一際表面がうねうねと蠢いた。
「さすがたった一人の特位。ここ数十年は生まれなかった逸材と言われるだけはある。」
「そういや透夜クン、自分家の技全然使わないんだよなー。」
「彼は、あの伝説級の術士集団七星の出身なんだろ?これだけ術士がいる前で秘術を使うことはないだろ。七星は秘密主義の一族としても有名だ。よく協会に入ったな。」
二人の後ろにいた結界術師の男が会話に入ってきた。
ちゃんと手で印を結んではいるが、もう意識は目の前で地面を攻撃しはじめた高校生に夢中になってしまっている。
「今の会長が直にスカウトしたらしいんスよ。」
「どうやって?七星と言えば本拠地に余所者が足を踏み入れられないよう結界を張り、霊力の高い御山に居るのだろう。外の世界と交流は一切無いと聞く。」
「それは誰も知らねぇッス。確かなのは、オレら陰陽師すら凌ぐ、いや、どんな流派の術士より凌ぐ実力者集団の若き天才が協会にいるってことだけッスよ。
オレの一族すら適わないッス。なにせ、七星の開祖が日本に天文学や占星術、暦を持ち帰ってきて広めたんだ。
仏教系、陰陽師系一族の源流は七星だって話ですよ。どこも認めてはいないッスけどね。」
術士階級トップに君臨する若者が両手で印を結び、いくつか呪文と真言を重ねた。
悲鳴のような雑音が鳴り響いた後、術士達は、頭上から押さえ込まれるように掛かっていたプレッシャーが消えたのを体で感じた。
スライムのようにうねうねしていた付喪神の幻覚は粒子となって消えた。
静寂が降り、一帯が闇に飲まれ始める。
慌てて警備隊の人達が予備のライトを付けた。
えぐれた土の縁にいた透夜の肩から羽織がふわりとなびきながら消えていくのを見た。
こちらに向かって手を振ってるのが分かったので、頼安と嵐は駆け足で透夜の元に駆けつけた。
「無力化しました。もう魂は宿ってません。アレ、回収して下さい。頼安さん、念のため護符で封じておいてくれますか。」
「オレの護符?」
「安部流派伝統の護符なら使い手が二流でも問題ないですよ。」
「相変わらず言葉のトゲで胸をぐっさり刺すね、キミ・・・。」
「腹減ったんで帰っていいですか。」
「ああ、もう時間も遅い。俺から上に言っておく。お疲れさん。」
「報告よろしくです。」
じゃ、と軽く手を上げ、いつの間にか地面に降りていた友達を連れ最強術士の高校生は帰っていった。
本部司令室の指示で結界が全て解かれ、街のうるさい喧噪と街の明かりが帰ってくる。
緊張が解かれた瞬間、どっと疲れたのは頼安だけじゃないはずだ。
ここに集められた術士は、少なくてもそれなりの実力と経験が伴った猛者達。そのはずだった。
なのに、圧倒的な実力差を高校生の若者に易々と見せつけられては自信は根こそぎえぐられる。
此処の土のように。
頼安はえぐれた地面の縁に立って、下を覗き込んだ。
逆三角形にえぐれた土の底辺にあったのは、細かい装飾が施された円形の銅製鏡だった。
近年の品ではない。もっと、ずっと古い、教科書に載っててもおかしくない時代の品に見える。
ただし、真っ二つに割れている。
「なあ、もしかしてあれ国宝級の品だったりしない・・・?付喪神があんだけ強かったってことは、年代的にも卑弥呼の時代とか―」
「考えるのはよそう頼安。何も考えず運ぶんだ。」
現実を拒絶した相棒の力ない言葉に全力で同意を示し、頼安は祖父直伝の護符を割れた鏡に投げつけた。