第一部 青星と夏日星 5
六月某日
午前八時半
都内
高級住宅街の中にある、とある豪邸
通されたリビングは二十畳はありそうな広々とした空間で、家具や調度品は明るい色で統一され
華美さはあるがそこまでしつこい感じはしなかった。
淡い黄色の絨毯は毛足が長く靴下の上からビニールを付けていても、毛足に足が埋まり柔らかさがよく分かる。
大理石テーブルの脚に飛び散った血痕と、さっきまで死体が置かれていた場所にある乾ききった血の池さえなければ、お金持ちのお宅訪問だとウキウキした気持ちでいられたであろう。
今朝方、術士協会に不可解な死体が発見されたと警察から連絡があった。
死亡推定時刻は昨晩23時頃。
被害者は昭和後期から存在する宗教団体の代表でもあり術士の男。
第一発見者は家政婦の女性だった。
拷問を繰り返したであろう痣や損傷が体中に刻まれ、
頭の右側は食いちぎられたような、武器の類いでは到底不可能な欠損があった。
侵入したであろう窓は銃弾を防ぐ分厚い強化ガラスを使っていたにもかかわらず粉々に砕け、窓枠はひしゃげ中心部は折れ曲がっていた。
今も警察の鑑識部が写真を撮ったり指紋を採取したりしてはいるが、これは人間では到底不可能な犯行だと判断されたのだ。
現代でナバリと呼ばれる妖怪や幽霊、物の怪の類いは社会でも認知されている場合がある。
警察も例外では無く、昔から人間ではどうやっても犯行不可能な事件、死体、現象などを現場で確認してきた彼らは表立ってそれらを認めては居ないが、昔から術士達を頼り協力関係を築いていた。
術士協会が今のような大きな組織になってからは特に、警察庁、警視庁と太いパイプで繋がっているとか。
まあ詳しい話は下っ端の俺達には関係ないが、と今回派遣された協会の調査員三人は、顔見知りの老齢警部に近づいて軽く挨拶を交わした。
現時点でわかっている死因、死体の状態、家の周りにあった不審な点などの報告を事務的に聞いてメモに残していく。
「今回も表向き外部専門家への捜査依頼ってことになってるから、好きに見てってよ。帰るときは表の警官に声掛けてね。」
「いつも助かるよ、ゲンさん。」
疲れた顔をした警部は現場検証に立ち会っていた部下と鑑識達も全員連れて退室した。
残された彼らは、じゃあ始めますか、と鞄をソファーに置いて
赤い複雑な線が描かれた霊符を張ったり、壁に手をついて術式を展開して手がかりを探す。
「これで三件目。ナバリの犯行にしちゃ現場が綺麗すぎるな。」
三人の中で一番年齢が高そうな、白髪交じりの男性がふぅと息を吐きながら額の汗を拭いながら言った。
「誰かが別の場所で呪詛なんかを実行したんじゃないんですか?権力者を狙った連続殺人事件、みたいな。」
「権力者ってのどうだろうなー。この家の持ち主、未縞忠興は宗教団体の代表ってだけで術士としての能力は高くない。協会に属してもないだろ。」
「三人とも同じような死に方してるってのは気になりますね。一番に報告が来た呉さんは桝山教団の先代当主だった実力派。二件目の阿覚僧正だって密教系じゃ名の知れた術士だ。こんな簡単に自宅へ侵入させて、あっさり殺されますかね。」
「身内が手引きして油断したとこを・・・とか?」
「三件ともか?同じ団体内での内乱や権力争いならわかるが、三人に関連性が全くない。別の宗教、勢力のおエライサンってだけだ。」
「無差別に術士を狙ってる知性あるナバリの犯行ってのが、今本部が立ててる有力な仮説だな。
金品は取られてないが、拷問を必ずしている。仏さんの写真見せてもらったが、ありゃ相当な恨みがあるとみた。目的があって動いているのは間違いないだろうな。痕跡、見つかったか?」
「何も。」
「俺もです。ナバリの犯行なら必ず残り香のように力の断片が張り付いてるはずなんですがね。」
「他二件の現場もそんな感じらしい。本当にナバリの犯行なんかね?」
「かといって、普通の人間には無理ですよ。玄関は閉まってたし、窓枠をあんな風にねじ曲げられるのは――」
と、霊符をリビング中に貼り付けていた男の携帯が鳴った。
しばし丁寧な応答を繰り返し、ズボンのポケットに携帯を戻す。
「俺達は此処で撤収。代わりに、特位の彼を呼ぶそうです。」
「四斗蒔くんをか?最強とはいえまだ未成年、学生だぞ。殺人現場に呼んでいいもんかねぇ・・・。」
三人は無意識に血に汚れたカーペットを見下ろした。
乾いているとはいえ、生々しい鮮血の色はそのまま。皮膚片などは警察が綺麗に片付けてくれてはいたが、此処が殺人現場であるのは変わらない。
あの赤は、ドラマで見るようなペンキではないのだ。
「今後協会に属する術士も狙われる恐れがあり、早急な対策と事件解決をと幹部連中に圧を掛けられたみたいです。協会所属の特位でいる以上、協力してもらわないと困る、とか。」
「自分の護身に必死なだけじゃねぇか。狙われるようなやましい心辺りがあるなら、その辺りしっかり教えてほしいもんだよ。」
高齢の男性がどっこいしょ、と小さく漏らして上着に腕を通す。
霊符は全て元に戻され、展開していた術式は消えた。
三人は鞄を持って、主がいなくなり静まりかえったリビングを後にした。
*
同日
午後一時。
新宿にある術士協会本部内。
「学生に午後の授業休ませて無理矢理呼び出したかと思えば、ナバリによる殺人事件の捜査を手伝えって?未成年に?そろそろ出るとこ出ますよ。」
「だからっ、文句は幹部連中に言ってってば・・・!ボクだって殺人現場なんて行きたくないんですよ!今日は午後の講義も入ってたのに!」
上階にある会議室には、腕組み足組みをして偉そうな透夜と
泣きそうな顔で反論する宇佐美頼安、そして物静かな相棒の伊埜尾嵐がいた。
四角に配置された長机に、椅子も沢山置いてあるのに、ただっ広い室内にいるのは彼ら三人だけであった。
「つい先日労働したばかりですよ。ナバリが関与しているかもしれないとはいえ、討伐でないなら契約違反では?」
「オレに言わないで!」
「会長がもうすぐ説明にくるらしいから、少し待ってろ。俺達も事情はよく知らないんだ。」
「ダル・・・。帰りたい。」
「たまには意見が合うじゃないか。今戻れば講義も夕方のサークル活動も間に合いそうなんだよ。」
「サークルって、ただの飲みサーでしょ?何回合コンしても頼安さんに彼女が出来るわけないじゃないですか。」
「さらっと暴言吐かないでくれる!?年下のイケメンに言われると凄く腹立つ!」
頼安が再び握りこぶしを作ったところで、会議室の扉がガチャリと音を立てながら開いた。
現れたのは、術士協会の会長―ではなく、スーツ姿の壮年―に掛かっているかどうか微妙なところの成人男性だった。
風貌を簡単に言ってしまえば、夕方駅で大量に発生する疲労が全身から滲み出ているサラリーマン。
猫背気味で、目の下には色濃いクマが影を差し、瞳に生気が宿っていない。
七三に分けられた前髪の一部が白いのも、実際より年上に映る上に疲れて見える原因かもしれない。
だが、百八十センチは軽く越える長身でがたいがよく、首回りや二の腕は太くスーツが窮屈そうだ。引退した重量級柔道選手、と言われたら信じてしまいそうな容姿である。
三人を見つけると、目尻を下げ柔らかく微笑む。笑うと、とても人の良さそうな雰囲気で印象も柔らかくなる。
「やあ皆、招集に応えてくれてありがとう。それとごめんね。三人とも学生さんだってのに。」
「誠司さん!」
ふてぶてしい態度で座っていた透夜がいきなり立ち上がった。
そして、頼安と嵐は目に入ってきた光景を疑った。
あの透夜が。大人だろうが誰だろうが他人を見下ろし自分が上だとふんぞり返っている生意気な高校生が、現れたスーツの男性に駆け寄ってニコニコと微笑んでいた。
その笑顔はまるで春先の花畑を連想させるぐらい華やかで、キラキラしたものが漂っている気がする。
元々顔は良いので、眉間の皺が取れ綺麗に微笑む事で、まるでテレビの中で輝くアイドルのように可愛らしく見えてきた。
厄介なナバリの幻覚術にでもかかってのではないかと、頼安は袖で目を擦った。
頼安ほどではないが、嵐も驚いた顔で目をしばたいていた。
「会長、透夜が日室さんのこと大好きなの知って使ってきたな。」
「対透夜クン最終兵器・・・。あれがある限り協会は特位を好きに使える代物だ。」
「そこまでか。」
今透夜が嬉しそうに話している相手は、術士協会総務部に所属しながら会長の補佐役を務めている日室誠司。
術士としてランクは下から二番目の七位と決して強くないのだが、
彼が使う術が索敵や情報収集に長けているため現会長が目をつけ、時たま全国に派遣され調査をしたり、術士のスカウトなども担当している。
七星の子である透夜を会長に引き合わせたのも彼だという噂がある。
透夜が幼い頃からの顔見知りのようで、透夜は日室にだけ異様に懐いているのだ。
ちなみに四十代前半見えるが、年齢はまだ三十二歳。
「期末試験前なのに、呼び出してすまないね透夜君。」
「いえ、誠司さんのお呼び出しならいつでも何時でも、喜んで!それに日頃から予習復習は欠かしてませんので、テストは問題ありません。」
「そっかぁ。さすがだね透夜君。努力家さんだものね~。」
ゆったりとした喋り方で、ニコニコと菩薩のような笑みを浮かべながら少年の頭を撫でてやる。
普段の透夜にそんなことしたら、鋭い目で睨まれて石化させられるか呪いでもかけられてしそうなものを、透夜もまたニッコニコしながらご機嫌で撫でられていた。
犬みたい、と頼安は小さく呟いた。普段は気まぐれな猫のくせに。
さあ座って、と催促され透夜は椅子に戻り、誠司も彼らの近くに腰を下ろす。
日室は表情を引き締め仕事の顔に戻った。目尻は下がったままだったが。
「会長は対応に追われてて席を外せないから、代わりに僕から簡単に説明させてもらうね。
此処一週間で都内に住む三人の術士が殺される事件が起こった。
彼らは拷問のような暴行をされた後に殺されている。その傷と、現場の荒れ方が人間では到底不可能と判断され警察から協力要請があった。
三カ所全てに協会の調査員を派遣したけど、手がかりも痕跡も見つけられなかった。
ナバリの仕業なら残り香はあるはず。術士を狙った人為的な無差別犯の可能性もあり、事態は急を要するため、特位である透夜くんに現場で痕跡を見つけて欲しいんだ。」
真面目に話を聞き、事態を一応理解したらしい透夜は同じく表情を引き締め、体を前のめりにして座り直す。
「位は俺ほどじゃないにしろ、協会の術士が見つけられなかった痕跡が、俺が出向いたからといって都合良く見つけられるとは限りませんよ。」
「君が動いたという事実が欲しいだけだ。こちらとしても、何かが見つかる期待はしていないんだ。」
何それ、と声を漏らしたのは頼安だった。
「さすがにそれは酷いッス。わざわざ高校生に殺人現場行かせようとしてて、無駄足を踏ませる気ですか、会長サンは。」
「俺にも調査資料と、死体の写真見せてもらえませんか。」
「透夜クン?!」
「さすがに、それは・・・。」
「死体なんて見慣れてますよ。そのねじ曲げられた窓、傷口や死体の状態から攻撃手段を見極めます。お偉いさんたちは自分が殺されるのが嫌で俺を指名してきたんでしょ?お望み通り、早期解決に手を貸してやしますよ。それには、詳しい事情が知りたい。」
嫌味たっぷりに若者がそう吐いたので、周りに居た大人達は苦い顔をした。
生意気で傲慢な高校生だが、実力は本物だ。
謎のベールに包まれながらも日本最強と謳われている七星出身というだけで同年代の子達が経験しないような辛いことを沢山経験してきただろう。
この少年の肩に乗っている重責は、一般人はおろか並の術士では想像も出来ないもののはずなのだ。
何せ、数十年現れなかった特位レベルの実力者であり、古来、飛鳥時代より前から存在したと語られている七星の秘術を受け継いだ子供なのだ。
今までどんな修行をし、何をさせられていたのか誰も知らない。
加えて、術士は簡単に死ぬ。
強いナバリや敵の式神、調伏した妖怪など、並の術士では到底適わない相手は山ほどいる。
任務の最中命を落とす術士は少なくない。
術士協会に入ってから特位クラスの仕事を与えられている。仕事の中で死んでいく術士を見ることも決して少なくないはずだ。
誠司は困惑した顔を浮かべたものの、すぐ首を左右に振った。
「透夜君は現場に行って痕跡が残ってるかどうか調べる。ただそれだけでいい。
会長も本当は君を巻き込みたくないと思っていたが、立場上幹部会議で決まった事に逆らえなかっただけだ。
事件は必ず僕たち大人が解決する。巻き込んでおいて何を言ってんだって思うだろうけど、任せて欲しい。
僕個人的にも、君に普通の学生でいて欲しいんだ。夏海ちゃんと幸せに暮らしていてほしい。
だから、自ら闇を覗くようなことはやめてくれ。君が協会に属する学生でいるうちは、全部僕たち大人のせいにしていいんだから。」
透夜は難しい顔で誠司の目を見つめていたが、やがて細く短く息を吐いて、椅子の背もたれに体を埋めた。
「わかりましたよ。あくまで形だけの派遣、ってことですね。」
「そういうこと。大人の面倒な駆け引きに付き合わせてごめんよ。ちゃんと報酬は払うから。」
「それより、またご飯連れてってくださいよ、誠司さん。最近忙しくて付き合ってくれないじゃないですか。」
「ああ、そうだったね。」
またすぐに連絡するね、と柔らかく微笑んだ誠司につられて、透夜も綺麗に笑う。
ただ、その笑顔はどこか大人びて達観したものであり、大人を気遣う偽物の笑みであると、隣にいた頼安は思った。
「あの。ところで、オレと嵐さんが呼ばれた理由は?」
「さすがに高校生一人で現場に行かせるわけに行かないから、透夜君が心を許している君たちに付き添ってほしくて。」
「見届け人と運転手ってとこじゃないですか。」
「本当の事言わなくていいの!あ、運転は嵐さんに任せますね。」
「おう。」