第一部 青星と夏日星 6
午後一時四十分。
本部を出た三人は、嵐の車で都内にある高級住宅街の、とある豪邸の前に移動していた。
二階立ての洋館みたいな豪華な家は、高い壁と木々に囲まれている。
玄関前に二人の警官が立っているが、野次馬や報道関係者の姿は見えない。
「人払いの陣が張られてる。一般には公表しないつもりらしいですね。」
「新宿署のゲンさんって人の名前だせば入れてもらえるって、日室さん言ってたよね?」
「ああ、行こう。」
「うう・・・仕方ない。」
見張りの警官に協会と繋がりが深い警部の名前を出すと、あっさり中に入れてくれた。
もう現場検証は終わったので指紋などは気にしないでいいとかで、手袋や毛が落ちないように帽子をかぶれなどと言った指示は受けなかった。
万が一ナバリではなく人が犯人である可能性が残っていて急襲されては困るので、嵐が先頭を申し出て、飾りが施された玄関扉を開けた。
中に人の気配もナバリの気配もなく、ただ静かだった。
殿をつとめる頼安も、緊張した面持ちで警戒しながら扉を閉めた。
中は、所謂お金持ちの家で、玄関に無意味に置かれた壺や壁に飾られた絵画など。殺人現場でなければ声を上げて喜んで写真撮影でもしたであろう。
「嵐さん、警戒解いて大丈夫です。ありがとうございます。」
「そうか。」
懐に手を入れ、いつでも自分の武器を取り出せるようにしていた嵐に声を掛け、透夜はさっさと靴を脱ぐと廊下を歩き出した。
初めて訪ねる家なのにまるで自分の家とでも言うように、迷い無くリビングに入った。
一番に目を引いたのは、青いビニールで蓋をされた大きな窓だ。
ガラスは半分以上割られ、枠がひしゃげていた。
残っている部分のガラスは分厚くバッドで叩いてもああも派手に割れはしないだろう。アルミや樹皮で出来た窓枠だってねじり飴みたいになる訳がないのだ。まるでギャグ。
もう破片は全て掃除されたとかで、足の怪我は気にしなくていいらしい。
足が沈むほど気持ちの良いカーペットを歩く透夜が、大理石っぽい見た目の机の前で足を止めポケットに手を入れた。
後ろに居た頼安が後ろから覗くと、透夜の足下には生々しく残された血痕が円形に残っていた。
つい昨日、そこで人が殺されたという現実に短く悲鳴を漏らし、背筋が凍るのを感じた。
映画やドラマで見る作り物とは違う。これはホンモノだと本能が理解すると、食道が熱くなってくる。
「とととと、透夜くん。大丈夫・・・?」
「ええ。頼安さんこそ、気分悪いなら外に出てていいですよ。」
「オ、オレは君の先輩だよ。高校生を残して逃げるわけにはいかない!。きょ、今日は護衛だからね!」
「俺にとっては、頼もしい護衛ですよ。」
既に青白くなった顔で肩を強ばらせる頼安に、冗談を吐きながらもどこか嬉しそうに微笑んだ透夜は、その場に膝をついて血痕を観察する。
「ナバリの気配、一切残ってませんね。」
「なら犯人は人間か?」
「現場を聞く限り、窓を壊したのも被害者を殺したのも人外でしょう。
俺が予想するに、使役した鬼とか式神の類いなんじゃないかと。野生のナバリより、人に飼い慣らされた妖怪達は匂いはありません。術士の力を経由するので。
他の部屋も見て回っていいですか?」
リビングを出て、1階の水回りや2階の寝室などを見て回る。
透夜はドアを開ける以外特に引き出しを調べるなどといった行為はしなかったが、2階の書斎にある本棚の上に置かれた神棚を熱心に調べだした。
「殺された人、宗教団体の代表って言ってましたっけ?」
「空真教の地区代表と聞いた。」
「ああ、神道の。そのわりに、随分古いものを使い続けてますね。掃除もさぼりすぎ。」
「熱心な信者じゃなかったんじゃない?あそこって、近年の新興宗教ってイメージあるな。お金儲け目的の怪しい宗教団体と変わらないよ。」
白い榊立て、徳利や皿などの白い神具は全て濁って汚れている。中央の神鏡は埃だらけで指紋の跡も残っていた。
神棚を形作る木材に至っては、側面や底が腐っている。
透夜がぐっと眉根を寄せた。
「時間が、進んでる。」
「へ?」
「いや逆だ。この神棚だけとても古いもので、なんらかの術か力で現代まで残っていたんだ。」
「タイムスリップしてきたの?」
「結界で囲んで降りかかる時の流れを薄くしてたんでしょうね。結界が壊れたせいで劣化が加速してる。デザインの古さから言っても、大正明治・・・いやもっと古いかも。」
そう言って、神鏡の裏にあるおままごとセットみたいな木造の扉を指で明ける。
そこには、五、六センチぐらいの小さな木箱が入っており、絹の薄紫布がベッドのように敷かれていたが、窪んでいるだけで何も入ってはいなかった。
「犯人はコレを狙ってたのかもしれません。何があったかはわかりませんけど、神棚の奥に隠すぐらい重要な品。」
「もう盗まれちゃったってこと?」
「いや。埃はそのままだしこの部屋に荒らされた様子はない。犯人は家捜しをせず、被害者の尋問だけで満足して帰ったようです。」
「強敵なんだか間抜けなんだか、よくわからない犯人だね。」
透夜が二歩下がり、本棚の前で片膝をついて右腕を上げた。
浮かせた右手の真下で、青白い術式の陣が現れ、自転しながら複雑な模様や文字を刻み続ける。
陣は回りながら真円のまま膨れ、透夜が腕を伸ばすと地面に落ちて張り付いた。
続いて指で印を結びながら真言を唱える。
再び陣の模様が変化して、二重三重に膨らみ、中心部に、突然小猿が現れた。
体毛が茶色く瞳が大きい。赤い首輪がついていて、紐が透夜の方に伸びている。
横で見守っていた頼安が背中を曲げ覗き込む。
「式神かい?」
「はい。俺の式神・猿鬼です。こいつは細かいところに潜り込むのが得意なんです。
あの神殿の木箱にあったものが二十四時間以内に移動されていたなら、気配を辿って品の場所を探特定出来るかもしれません。うまくいけば、ですが。」
「見つけられる可能性は?」
「十パーセントぐらいですかね。会長と誠司さんはフリでいいと言ってましたが、特位の俺が動いて何も見つけられなかったと言いふらされるほうが心外なので、やれることはやらせてもらいます。」
「出た、負けず嫌いなプライド高しクン。」
「行け、猿鬼。」
透夜が命令すると、小猿は陣の中へ飛び込んで消えていった。
陣も収縮しその場に溶け込み、透夜は立ち上がった。
「こんなもんですね。帰りますよ。」
「そうだね、こんな場所早く出よう。車で送るよ、嵐さんが。」
「ああ。今回の犯人がお前を狙わないとも限らんからな。」
「自分の身は自分で守れます。俺、強いんで。
それより、腹減りました。昼休みに呼び出しくらったんで飯食い損ねたんです。」
「ラーメンでも食いにいくか。」
「なら、あそこ連れてってください。原宿にある塩が美味しいとこ。」
「人が殺された家の中に居て、よくそんな会話出来るよね二人とも!?」
*
午後三時半過ぎ
本日の授業を全て終え学校を出た夏海は先日兄に承諾してもらった任務をこなすため、
一般人には見えない白い虎を連れ立って、東京郊外にある細い川沿いを歩いていた。
左手には住宅街が並び、右手には道路を挟んで高いマンションが並んでいる。
「この辺りにナバリが出るのか?穏やかな土地だぞ。」
「近隣ビルとかに不定期的な電波障害が起きてて、今は民家に住み着いてるんだってさ。
テレビを始め家電が使えなくなる時間が増えたらしい。その民家の持ち主が今回の依頼人ね。」
「なら幽霊か、電波と相性がいい妖怪というやつだな。五行で電気と相性が良かったのであろう。」
「タイプでんきってとこか。それかウォッチかな。」
「なんの話だ。どうせゲームの話でもしてるであろう。」
「まずは依頼人さんと合流してから、家にあがらせてもらって―」
「あの、術士協会の方でしょうか?」
声を掛けられて一人と一匹が振り返る。
そこには、着物姿の初老男性がやや疑心的な表情を浮かべながら立っていた。
背は低く小柄で、髪は灰色。目尻は下がって皺が際立っている。
「なぜこの派手な小娘を見て協会の人間だとわかったのだ、このご老人。」
「うるさい、白虎。」
「私にも見えてるんですよ。そこの大きな虎さんが。まさか喋るとはびっくりですが。」
ああ、それで疑うような驚いたような顔をしていたのか、と夏海は納得した。
ナバリ被害を協会に依頼するぐらいだから、このおじさんもナバリが見えるのだろう。術士じゃなくとも見える人の中には、希に白虎も見える人もいる。
「それにしても、学生さんですか。ずいぶんお若い術士さんですね。」
「しまった、制服のまま来ちゃった・・・。あの、この通り、協会の腕章です。仕事はちゃんと出来るので安心してください。」
鞄を漁って、中から黄色に協会のロゴが入っている腕章を見せた。
それは協会に所属し位を得た術士に与えられる身分証変わりの携帯物。
任務の際は他の術士や依頼人などとのトラブルを避けるために持ち歩くよう義務づけられている。
夏海の兄のように持ち歩いていない不真面目術士もいるが。
「疑ってたわけじゃないんです。もっと怖いお兄さんがくるのかと思ってたので、可愛らしいお嬢さんで良かったと安心したんですよ。」
「そうですか。あの、早速ですけど、お家に住み着いたナバリを見せてもらって―」
「そのことなんですがね。依頼内容、変更させてもらいたいんです。」
「変更、ですか。問題ないと思うのですが、えっと、確か本部に電話して―。」
「本部には連絡済みなんです。お嬢さんさえよければって、受付の人が。」
「うーん。とりあえず、変更内容を聞かせてもらっても?」
「これを、私の代わりに届けて欲しいんです。」
これ、と言いながら手の中に握っていたものを夏海に見せた。
皺が多い手の中にあったのは、小さな灰色混じりの白い石だった。
直径は五センチぐらいで、厚みは一センチぐらい。
真円ではなく潰れた楕円形をしているが欠けてるわけでもなく、凹凸もないので綺麗な形をしている。といっても、隣で流れる川辺で今取ってきたかのような、ありきたりな石。
隣にいた白虎も首を伸ばして依頼人の手の中を覗き込む。
「なんじゃ。変な気を感じるのぉ。」
「悪い感じ?」
「ではない。と思う。いやしかし・・・。」
「どっちよ。」
「家に代々伝わる石らしいんですが、これを何に使うかも分かってません。
何故かこれは家宝として大事に受け継がれてきました。父の祖父、その祖父といった具合にずっと。
それで・・・信じて頂けるかわかりませんが、夢を見たんです、昨晩。石を手放し、守れと言われました。」
「守る?」
「夢見のお告げは信じろと祖父にも言われてました。」
「まあ確かに、古くから夢見が重宝されておるな。」
依頼人が重々しく頷いた。
「あれは普通の夢じゃない。そう信じています。
これがもし大事なものなら、素人の私が持っているよりしかるべき団体、組織の元にあった方がいいと判断しました。協会の人に相談したところ、こういった石なんかを祀ったり払ったりしてくれるお寺さんを紹介してくれたんです。
ちょうどお仕事で東京に来てらっしゃる住職さんがいらっしゃるとかで、
今夜七時、渋谷駅東口地下広場で待ち合わせです。袈裟姿に坊主頭なのですぐ見つかるとおっしゅってました。
私は今夜大事な用事がありまして、家から離れられないのです。代わりに、お願い出来ますでしょうか。」
「その石を、住職さんに渡せばいいんですね。」
「おい夏海。主の許可なく仕事を受けるなと言われているであろう。」
「ナバリ退治なんかより全然簡単じゃんか。ちょっと運ぶだけだし。そもそも、この人の依頼受けて此処に来たんだよ?内容変わっただけだって。」
「・・・渋谷で遊びたいだけであろう。」
「違うよー。」
棒読みで答えながら、差し出された石を受け取る。
手にして見ると、見た目より重みを感じる。
当然ながら、夏海には違和感や悪い感じは一切感じなかった。
手の中にぎゅっと石を握りしめ、依頼人に向けしっかり頷いて微笑んだ。
「確かに承りました!私が責任を持ってお届けします。」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
深々とお辞儀をして頭を下げてくれる依頼人に背を向けて、来た道を戻る。
アスファルトに爪が当たるカチカチした音を鳴らしながら隣の式神もついてくるが、心配そうに夏海を見上げた。
「よいのか、あんな簡単に請け負って。儀式で使われたり、呪具に用いられた品かもしれんぞ。」
「お兄ちゃんのコレ、反応しなかったじゃん。」
そう言って、右耳についている青いピアスを触る。
それは、術士協会に所属することが決まったお祝いに兄がプレゼントしてくれた装飾品だが、
悪いモノを祓い近づけないお守りの役目を担っている。
「白虎だって、変な感じはしても悪い気はしないから強く反対しなかったんでしょ?」
「むぅ・・・まあ、そうだが・・・。」
「大丈夫だって!渡しちゃえばそれで終わり。家に帰る頃には終わってるよ。
お兄ちゃん、ちょうど本部に呼ばれてお昼から学校休んでるらしいし。特位の仕事なら夜遅くなるはずだよ。」
「そういう時ばかり悪知恵が働くのぉ、お前は。」
「杏子にお土産買っていこ~♪明日土曜だからカラオケ行く約束してるんだ~。」
楽しげに去って行く女子高生と、小言をいい続ける白虎の背中を
着物姿の初老男性はその姿が見えなくなるまで見守り続けた。
彼らの影が無くなり、ちょうど雲影で視界で暗くなった時、依頼人の男性は地面に倒れた。
背中には、大きな穴が開いており血がアスファルトに広がる。
男性が散歩中の女性に発見されたのはそれから1分後。
男性に息はなかったが、穏やかな笑みを浮かべたまま事切れていた。