第一部 青星と夏日星 7
午後七時二十分
渋谷駅東口地下広場
「坊主の人なんて一人もいないじゃーん。アタシ、見落としてないよね?」
「そのはずだ。」
装飾がされ公告も巻き付けられた柱が並ぶ綺麗な広場は、この時間であっても帰宅を急ぐサラリーマンや遊びに急ぐ若者、観光客で往来が激しい。
とはいえ、坊主頭の人物はそう簡単に見落とすわけがない。
待ち合わせを向こうも承知しているなら、必ずどこかで足を止めるはずだ。
次々と移り変わる壁際の派手な公告ももう見飽きた。
「依頼人のおじさん、待ち合わせ場所聞き間違えてたんじゃない?東口と西口、とか。」
「ありえん話ではないな。本部に問い合わせて情報聞いてみたほうがいい。
相手側の住職が帰ってしまっては元も子もない。」
「・・・そうだね、家に帰れない上にこの石持って帰ったらお兄ちゃんに何言われるか・・・。」
一人と一匹は同時に体を震わせた。
夏海は鞄から携帯を取り出し、本部に連絡する。
だが呼び出し音すら聞こえてこなかった。
「・・・あれ?ガイダンス音声すら聞こえないんだけど。」
「おい、夏海。」
なに、と顔を上げる。
異変はすぐに分かった。
あれだけ往来していた人が綺麗に消えていた。
人間は夏海以外誰もおらず、エスカレーターは動いているが誰も乗せていない。
次々切り替わる電子公告だけが空しく点っている。
「え。一瞬で・・・?」
「人払いの結界だ。わしとお前だけが残されたってことは、わしらが内側から外へ出ることは許されておらんのだろうな。」
「壊せる?」
「これだけ強固な結界を一瞬で張れるやつだぞ。一筋縄ではいかんだろうな。」
携帯の画面を覗く。電波マークは圏外と表示されている。
「電波ない。連絡取れない。まずいね・・・。」
「ああ、まずい。」
「「お兄ちゃん(主)にバレたら怒られる~~!!」」
現状より頭に浮かぶ人物に怯えた一人と一匹が恐怖で叫んだそのすぐ後、駅構内の電気が消えた。
ぐるりと設置された電子公告だけは、目が痛いぐらいカラフルに灯って公告を流し続けている。
まったくの暗闇じゃないのは有り難いが、目には優しくない。
携帯を鞄にしまい直し、鞄は被害に遭わないように物陰に隠しておく。
夏海は身を低くし、白虎も威嚇の姿勢を取りながら辺りを探る。
「避けろ!」
白虎の叫びに反射的に左へ飛んだ。
右へ大きく避けていた白虎との間にある壁が、円形にえぐれて粉々になっていた。
「何この攻撃っ、」
「前を見ろ夏海!次が来るぞ!」
ハッとして頭を前に戻す。
向こう側にある電子公告が歪んでいた。違う。空間を歪ませて見えない攻撃が飛んできているのだ。いわば円形に飛んでくる風の攻撃、かまいたち。
空気を斬るため景色に歪みが生じるようで完全に見えないわけではない。電子公告の目に刺さるカラフルな公告に内心感謝しながら、攻撃を避ける。
また壁がえぐられる爆音が聞こえたが、冷静に攻撃が飛んできた方を観察する。
攻撃はかなり上、天井付近から下にいる夏海達に向け放たれている。
この広場は柱があり、出っ張った公告を飾る壁がある。
上階はないが、電気がぶら下がっている板のようなものが浮いているのがうっすら見えた。
電子公告の明かりが届かないのでほとんど闇に包まれており人影は見つけられない。
観察している間も、夏海、白虎の両方に攻撃が降り続けている。
「白虎、気配ある?」
「ある。これは人間だ。」
「術士が相手か。そいつを倒せばこの結界解けるよね。」
「可能だろうが、近づければの話だ。お前もわしも攻撃は近距離型。」
「お兄ちゃんに術式の一つでも教えてもらっておけばよかった!」
叫んで走りながら、夏海の足下に青い炎が纏わり付く。
走るスピードを上げて地面を大きく蹴ってジャンプ。高度が落ちる前に壁も蹴り真上へ飛び上がる。
下から白虎の咆哮が目に見える白い渦となって天井を狙う。天井のコンクリートが砕ける音がするが、人が動いた気配がない。白虎が攻撃した場所とは反対の方へ目を懲らす。
人影を見つけられる前に、次の攻撃の気配を感じて、右手側の壁を蹴って下に降りた。
「どこにいるかわからないんだけどー!近づこうとすると攻撃降ってくるし!」
「見えぬのを逆手に取っておる。悔しいが上手い。」
「防戦一方じゃジリ貧だよ。なんか作戦ないのー?わしは神獣だぞっていつも自慢してるじゃん。」
「たまには自分の頭を使え!」
まあそれもそうだよね、と夏海は攻撃の態勢を取る。
拳に青白い炎が宿り、地面を蹴って飛び上がり、壁を蹴って攻撃を回避しつつ天井からぶら下がっている板に向かって殴り掛かった。
ワイヤーでぶら下がっていただけの簡易的照明だったようで、網掛けで横長の黒格子板がガシャンと甲高い音を立てて床に落ちた。
なるほど、足場を先に全部落としてしまえば敵は地面に降りるしかなくなる。
ちゃんと頭を使えるではないか、と褒めてやろうとしたところで、再び飛び上がった夏海の側面から攻撃が襲いかかった。
空中で攻撃態勢を取っていたために反応が遅れ、まともにくらって夏海が力なく床に落ちる。
通路の脇に併設されたカフェの上に夏海が落下し、机と椅子がいくつも吹っ飛んだ。
白虎が彼女の名を叫びながら落下地点に走った。
電子公告の不十分な明かりでも、夏海の焼けた腕に無数の切り傷が走り、血が流れているのを確認出来た。制服もスカートの裾が切り刻まれ、シャツに穴が開いている。
足も同様に傷だらけ―だったのだが、白虎が様子を伺っている間に、いくつもあった切り傷が消えて無くなった。
制服の汚れはそのままだったが、血が流れた跡すら、再び夏海が立ち上がった時には綺麗さっぱり消えていた。
「ごめん、油断した。もう治ったから平気だよ。」
夏海は天才と言われる兄透夜と違って術士としての才能はほぼない。
ただし、子供の頃から傷が瞬時に治る超再生能力と、身体強化能力が備わっていた。
高身長や筋肉質な肉体がさらに彼女の味方をして、術士では珍しく肉弾戦で敵を倒せる。
白虎は油断なく暗がりを睨みつけていたが、チラリと夏海を見た。
「平気なわけがあるか。肩で息をしているではないか。いくら再生能力を持っていても痛みはあるのだろう。」
「この身で受けたおかげで、ちょっとヒント掴めたかもしんない。白虎、手伝って。」
「・・・緊急事態だ。仕方あるまい。」
夏海が腕を前に出して交差させると、足下から青白い光が湧き上がり高速で回転を始めた。
その光りは隣の白虎にまで乗り移る。
何か技を使うのはあから様で、予想通り上から攻撃が振ってきた。
夏海も白虎も避けることはしなかった。
透明な空気の攻撃は、夏海の鼻先ではじけて消滅した。
空間の歪みが消え、そこにいた白虎は消え、夏海は姿形が変わっていた。
頬には三本の線、瞳孔は黄色く細長くなり、髪は毛先が白く染まってなびいている。
太もも、ふくらはぎ、二の腕などがアスリート選手のように隆々とし、逞しく勇ましい体躯になった。
体の前で会わせた腕の先には、長く上部な爪が生えている。
足下で波のうねりのような動きをみせる青白い光に混じって、青い雷がチリチリと音を立てた。
「降神合体術、“逆しま”」
喉から出た声は、夏海のものと白虎の低い声が混ざったものであった。
―夏海がその場から突然消えた。
かと思えば、空中で振り上げた右足を天井の黒板に叩きつける。
すぐ様攻撃が真横から襲ってきたが、青白い残像だけを残して再び消える。
電子公告の一つが攻撃の餌食となり砕けて画面が真っ暗になる。
ジジッ、という電子音が響いて行き場を無くした電気が弾けた僅かの間に、天井の黒板がまた一つ落とされた。
細長い瞳孔が開かれた。
夜目が利いてきたおかげで、天井の端に人影らしきものを見つけた。
まるで重力を無視しているかのように、宙を蹴った夏海が前屈みになりながら影に接近し腕を振り上げる。
真正面から攻撃が放たれる気配がしたが、夏海は空気を高速回転させたかまいたちの渦を爪で真っ二つに切ってしまった。
術者がたじろいだ気配を感じる。近くで、金属同士が擦れる音がした。
頭の中で連想するのは、ジャラジャラして重そうな鎖。
駅の中に鎖なんてあるのだろうか。ライトをぶら下げている一部なのだろうか。
そんな事を考えながら、まだぶら下がっている天井の黒い板を蹴ってさらに接近し、再び腕を振り上げ爪で相手を狙う。
人物のシルエットが掴めるぐらいの距離まで近づくと、脳天を狙い腕を振り下ろした。
斬撃に手応えはなく、空を切ったまま空しく体が落ちる。
どこへ逃げたが探るより前に、自分の肩に乗った気配に細長い目を向けた。
左肩に、小猿が乗っていた。
「え、猿鬼!?」
声が夏海だけのものになり、地面に着地した時には夏海と白虎はそれぞれの個体に戻っていた。
兄の式神が突然現れた事に理解が及ぶ前に、ガラスが割れる破裂音がして無意識に頭を守った。
騒音が戻ってくる。
人々の足音、話し声、公告から流れてくる音楽。
壁のへこみは一つもなく、天井でライトをぶら下げている黒板も全て揃っている。
夏海の制服も綺麗なままだ。
「幻術だったの・・・?」
「対象者を現実世界を複製してから切り離し、仮想空間に閉じ込める仕様だ。内部で壊れたものは、結界が解かれれば元に戻る。」
夏海と白虎は、同時に情けない悲鳴を喉から漏らした。
どちらも顔は引きつり、目の前でポケットに手を入れて眉間に皺を寄せた男性を見て筋肉が硬直する。
「これはどういうことだ。」
決して大きくないが威圧感マシマシの声と、迫力がありすぎる鋭い目に睨まれて
一人と一匹は無意識にくっつきながら逃げられない運命を悟って心で泣いた。
*
午後八時二十五分
渋谷駅から移動し、新宿内にある術士協会本部ビル
昼頃訪れた会議室でまた椅子に座っている透夜は、相変わらず偉そうにふんぞり返っていた。
今度は日室だけでなく、夏海も、術士協会会長―本郷宗武も同席していた。
本郷会長は四十代後半ぐらいのかなり大柄な男性で、ラグビー選手か格闘技の選手のような厳つさがあった。
長身で大柄であるはずの日室よりさらに一回り大きく、革張りの椅子が小さく見える。
顔つきも険しく眉間だけじゃなく顔中に皺を寄せている。髪も服も真っ黒であった。
会長と対照的に、大人しく椅子に腰掛けている夏海はとてもとても小さくなって縮こまっていた。
百七十センチ近くある長身少女も、今は小さな子供のように見える。
兄にこっぴどく怒られ事情聴取され、もう気力も精魂も尽き果てた様子である。
向かい合う彼らの横に移動させられた長机の上には、夏海が預かった石が乗せられていた。
「俺自身で、小石を調べ尽くしましたが、口が固く閉じられているようで何も見つけられませんでした。
悪い気は感じないのが幸いですが、中に何かが込められているのは確かです。」
「透夜くんでも解けないとなると・・・。ずいぶん古い品である可能性があるね。」
「依頼人の方は何かわかりました?」
「ああ。此処にまとめてあるから、目を通してくれないか。」
日室が一瞬気まずそうな顔をして、何も言わず一枚の紙を差し出してきた。
幸い、夏海は顔を下に向けているので日室の表情の変化を見られずに済んだ。
紙を受け取ってさっと目を通した透夜は、日室の気遣いに心底感謝をした。
依頼人が夏海と別れた後、死亡が確認されている。
死因は背中を肉から抉られたことによる失血多量によるショック死。
加えて、依頼変更の件を本部に連絡なんてしていなかったし、
もちろん住職を紹介した電話受付の人間はいない。
あの場で本部に確認を取ってさえいれば巻き込まれずにすんだに違いない。
これは夏海の落ち度だが、これ以上怒ると本格的にへそを曲げてしまうので黙っておく。
「・・・本当に術士ではなく一般人のようですね。この老人が言った話を仮に全て信じるとして、
俺は猿鬼に、あの豪邸で神棚にしまわれていた品の波動を追えって命令したんです。
この石が昼間の家に封印されてたとして、なぜそれが夕方になって依頼人の手に渡ったのか。」
「依頼人と三件目被害者、未縞忠興の繋がりを警察に調べてもらっている。未縞は神道系の一派で空真教という宗教法人、東京目黒区支部代表だ。
依頼人の男性が空真教の一員で、何かしら知り合いである可能性もある。あの住宅街に置かれた監視カメラの映像も、当然捜査対象だ。映っててくれるといいんだが。」
「三件の術士殺害も、コイツを狙っての犯行かもしれませんね。」
透夜が指で石をつつく。
石は何も言わずただそこに眠っている。
「夏海ちゃんを襲った犯人は?」
「猿鬼で後を追わせましたが、途中で見失いました。転移系の術でも使ったのでしょう。
張られていた空間組み替え結界は人間が作ったものなので、人間であることは確定しましたね。
夏海はともかく白虎が近づけもしなかったことから、三位以上の実力です。」
ああ、それと。と、腕を組みながら顔を上げて難しい顔をしている会長に顔を向ける。
会長が難しい顔をしてないときの方が少ないが。
「三件の事件は、全く同じような犯行だったんですよね。窓からの侵入、暴行、殺害方法。
夏海を襲った術士は相当な腕がある。
そこで一つ思い出したんですが、古い術に人流掌握心操術、通称“水魚の交わり”ってのがあるんですよ。知ってます?」
がたいのいい大人二人は揃って首を横に振った。
「簡単に言うと、人間を生きた式神として契約し、支配下に置く術です。」
「生きた式神?」
「書物で読んだだけなので詳しい事までは知りませんが、操り人形にするんですよ。
自分の力を相手の体に流し込んで自分の変わり身をさせたり、転移術を仕込んでおいてピンチの時に盾にしたりとか。式神となる人間側が術士より弱ければ、術士の力を注がれ過ぎて死んでしまう場合もあったそうです。血液型の違う血を大量に輸血されるようなもんですから、当たり前ですがね。平安時代の前だか後だかに、式神調伏が流行った時に生み出されたようです。」
「聞いたこともないね、そんな恐ろしい術。」
「で。今回の事件でそれが使われたと?」
「あくまで可能性ですがね。術士が安全な場所で、手下を瞬時にターゲットの家に転移させた方が不意打ちは必ず成功しますよね。
目撃される心配も、痕跡を残すような失敗も侵さない。
ナバリの気配が一切無かったことから、操られたのは鬼のような力を得た人間だったんじゃないかと。俺は三人の術士殺しの実行犯は人間だと思います。ただ、話を聞く限り術士の頭を抉ったのは鬼かそれ同等の力を持った妖怪の類いだと推測しています。
けどナバリの匂いは無かった。
主である術士が、自分が調伏した鬼の力を宿し、そのまま手下に鬼の力を使わせる。
頭を潰したのは、記憶を覗かせないようにするためでしょう。生前の記憶を覗ける巫女もいますからね。」
会長が肘置きに寄りかかってゴツゴツの手で顎を撫でた。
「透夜。そんなことが出来る術士が日本にいると思うか?」
「いるところにはいるでしょうね。術士協会にいる術士だけが全てではないです。七星の俺がいい例でしょう。」
「ふむ。お前を呼んで正解だったな。とても参考になった。その線も含め調査させよう。夏海。」
「は、ハイっ!」
大人しくしていたのに急に会長から名前を呼ばれ、夏海は上擦った声で返事をした。
「これもまた必然だと思っている。君が巻き込まれた事件は、新たな手がかりを運んできてくれた。兄さんは怒るだろうが、君の判断に私は感謝している。ありがとう。」
「いいい、いえ!そんな!」
「ご苦労だった。今日のところは帰って休んでくれ。透夜は、また明日手伝ってもらうかもしれん。」
「はいはい・・・。そんな予感はしてましたよ。帰るぞ。」
「うん。」
夏海を連れて扉から会議室を出ようとした―夏海が軽く悲鳴を上げたので慌てて振り返る。
「どうした。」
問いかけると、夏海は右腕を上げ、握っていた拳を開いた。
そこには、机に置いた筈の小さな石が乗っていた。
会長と日室も、夏海の後ろで驚いた顔をしていた。
「まさか・・・移動した?」
「今、僕達の前から石が突然消えたよ。」
「お兄ちゃん・・・アタシ、何もしてない!」
「夏海、俺に石を寄越せ。部屋の隅まで移動してみろ。」
泣きそうな顔で頷いた夏海は、兄に小石を託し小走りで広い会議室の対角を目指した。
だが会長の前を通り過ぎた辺りで、また悲鳴を上げた。
透夜の手の上から、石は消えていた。
頼りなく眉尻を下げた夏海が右の拳を恐る恐る開く。
「ひぃぃ。ど、どういうこと?」
「くっそ最悪だ・・・縁を結ばれてしまった。」
苛立たしそうに歩いて夏海の前に戻ると、石を手に取って夏海にマジマシと見せつけるように差し出す。
「この石は、お前を守り手として選んでしまった。お前が一定距離離れても、この石はお前の元に戻る。」
「なななな、なんで!?」
「知るか。お前が何の疑いも無く安請け合いした罰だ、バカ。」
苛立って頭を掻く透夜に、慌てて日室がフォローに入る。
「今すぐ呪具関連に詳しい人を呼ぶよ。」
「いえ誠司さん・・・。この縁はもう切れないでしょう。依頼人は守れと夢見で言われたと言ってました。俺が思ってるよりもっと古い品の可能性があります。自動で発動する術式、言い換えれば、さも生きてるかのようだ。中に刻まれた術式を無理矢理無効化させたら、何が起こるかわかりません。」
冷静になった透夜が椅子から腰を上げた会長を見上げた。
横に並ぶと身長差は三十センチ程あり、首が痛くなりそうだった。
「依頼人、そして石の調査を早急にお願いします。この石は俺が責任を持って監視、本格的に分析してみます。」
「万が一もある。此処で保護するが。」
「家が一番安全ですから。俺もいますし。」
それもそうだな、と納得して会長は後ろに手を組んだ。
「特位のお前の側が、妹さんにとって一番安心であろう。」