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第三部 夜永月の妖星闊歩4

 


翌日。
学校を終えた透夜は、言いつけ通りに協会本部を訪れていた。
上層階にある会長の執務室の扉を叩くと、今日もきっちりと髪を整えている秘書川村が扉を開けてくれた。
黒い家具で統一されたシックな会長執務室。吹き抜けの大きな窓が開放的な印象を与えてくれてるのだが、調度品は最低限、窓の側に置かれた観葉植物が唯一の人らしさとも言える。
中央に置かれたソファーの、会長の向かいに腰掛ける。
間に置かれた黒い長机の上には、大量の報告書が散らばっていた。


「昨晩はご苦労だった。」
「俺は何もしてませんよ。薬師寺さんが来てくれて助かりました。」
「さっそく聞かせろ。宝具に心辺りはあるか。」


書類から、目を上げて透夜を半ば睨み付けるように射抜く。

 


「疑ってます?」
「そうではない。」
「お察しの通り、七星にもありますよ。隣の真言宗と同じ、法事の法を書いて、法具と呼んでますが。

あれは今も、七星の宝物庫で眠っています。加えてに言えば、七星の法具は開祖が使っていた品のため持ち主を選びます。普通の人間では触れることさえ叶わない。結界が破られない間は安全でしょうね。」
「敵の平川という男、一度その法具を狙ったことがあるらしいじゃないか。今回の酒呑童子も、平川という男が呼び出したのではないか。」
「可能性はありますね。奴には前科がありますし。昨夜、酒呑童子が現れた場所で白い刀を持った子供を見掛けました。俺の家を襲おうとした奴です。」
「平川の仲間だな。」
「はい。ですが仮に平川が酒呑童子を呼んだとして、あの場所でわざわざ暴れた意味がわかりません。七星の法具を狙ってるなら尚更、そんなことをしても意味がないとわかっているはずです。回りくどい真似をしてる暇があったら、七星の結界を破る術を考えた方が賢い。」
「酒呑童子が喚いていたホウグは別の物を差している可能性がある、か・・・。しかし、犯人は平川が属する組織で間違いなさそうだな。武蔵野国結界が効いているはずなのに、大妖怪であり調伏が難しい鬼を呼び出せたということも問題だ。」
「一晩で、あらかた調査は済んだのでしょ?」


唸り声のような曖昧な返事をして、本郷は腕を組んだ。


「結界にほころびは見られなかったと報告を受けた。信用していいとは思う。」
「結界を破ろうとしていた奴らが、結界があっても問題ないと判断した。次どんな動きを取るか恐ろしいところですね。」

 


ずいぶん軽く言ってくれる高校生に、短く息を吐く。

 

「俺からもう一つ報告が。白い刀を持った子供を猿鬼で追跡させた所、ある民家にたどり着きました。此処、来栖比紗奈の自宅でした。」

 


制服のポケットに畳んでしまっておいた一枚の紙を差し出す。
昨夜辿り付いた一軒家の写真付き報告書。
さらっと内容を読んだ本郷の眉間に、皺が寄る。

 


「来栖比紗奈は同じ白拵の日本刀を持っていますよね。猿鬼は、子供を見失った後、同じ匂いに誘われて来栖家に辿りついたのでしょう。」
「比紗奈が敵と内通していると?」
「本人の可能性もあるし、本人は何も知らされてないが、ご両親が敵と繋がってる線も考えられます。」
「・・・比紗奈の両親は亡くなっている。三年前にな。」

 

本郷会長は顔だけ振り向いて、秘書に目配せだけで指示を出す。
すると、壁際にずらりと並んだ本棚の一つからファイルを取り出し、丁寧な仕草で一枚の紙を抜き取ると会長に手渡し、会長が透夜に渡した。
それは、来栖夫妻が死亡した自宅現場についてまとめられた報告書であった。

 

「あの夫妻は以前から錬金術やイタコ、人を生み出すといった倫理観を疑う儀式を行っていた。事件当日も自宅の下に作った地下室で何かしらの儀式をしていたところ、呼び出したナバリに殺された。酷い殺され方だったが、自業自得でもある。」
「来栖比紗奈の身元引受人は、本郷会長だと聞きました。」
「ああ。両親を殺したやつを捕まえたいから協会に入れろと怒鳴り込んできたのだ。」
「どのナバリが両親を殺したか知っているのですか?」
「比紗奈は、両親が何者かに半分脅される形で仕事を請け負い、死亡するまでの数ヶ月、辛そうに呪文書や術式開発に悩んでいたと言っている。殺したのはナバリではないと主張していが、証拠は何もない。」
「・・・仮説は組めましたね。もし来栖夫妻がナバリではなく平川が属する組織が何かしらの目的を持って接触し、殺したなら、猿鬼が来栖の家に辿り着いたのも偶然ではなくなります。」
「部下に調べさせよう。」
「俺もこのあと更衣さんの店寄ってみます。細い糸の先に、少しでも手がかりがあるといいんですが。来栖には話聞きますか?」
「いや・・・。少し待ってくれるか。」
「構いませんよ。来栖は夏海の友人ですし、下手に騒いで敵に警戒されたくもないです。」


透夜が無意識に窓の外に視線を飛ばすのを確認する。
妹の大事な友人である、という点が無ければ今頃式神を使って自白をさせていただろう。
会長に顔を戻す。


「一つ聞いても?来栖は、いつからあの刀を持ってるんです?」
「出会った時には既に。いつ如何なるときも身につけていた。親の形見なのかもしれないが、武具であるとしか言わないのだ。・・・俺も気になる事がある。同じぐらいの歳の娘がいるから気づいたんだが、比紗奈はいつもあの制服を着ていて、私服姿をみたことがない。
年頃の娘なら、服装に気を使うものだと思っていたのだが。」
「そういえば、そうですね・・・。長野でもわざわざ制服を着てましたね。」

 

顎に手を当て数秒考える仕草をした透夜はすくりと立ち上がり、ズボンのポケットに片手を突っ込んだ。

 

「色々調べてきます。何かわかれば連絡しますよ。」


ああ、と返事をしながらまた書類に目を落とした会長の横を通り過ぎ、
秘書の川村が開けてくれた扉から廊下に出た。
ポケットから携帯を取り出すと、夏海からの不在着信が三件も入っていた。

 

 

 

 

時間は少し遡り、一時間程前。

学校が終わり、昨夜の出動報告をするため新宿の本社へ制服姿のまま向かっていた夏海は、
改札を過ぎた通路内で既視感のある後ろ姿を見つけた。
黒い鞄を肩に掛けた女子高生で、セーラー服の上に紺色のカーディガンを着ている。肩より少し長い紺色の髪には、一部だけ緑のラインが入っている。
通路から地上に出ると、大通りから反れて小道に入ろうとするセーラー服の女学生の後を、駆け足で追いかける。
大通りに背を向け角を曲がり、細い路地裏入った背中は再び左に曲がった。
後を追って夏海も角を曲がろうとした寸前、本能で後ろに飛んで前方から放たれた一撃を避けた。
右手側にあったビルの壁面が渦巻き状に抉られていた。細かくなってしまった瓦礫が足元に落ちる。
T字になった角に背を預け、通りの向こうに問いかける。

 


「待って!アナタと戦うつもりはないの!話をしたいだけ。」
「わ、私と、何を話すっていうのよ・・・!」


返って来た声はやや低めのか細い声で、語尾は震えていた。
夏海はゆっくり顔を出し路地先を観察する。
両手を前に出して構えるセーラー服の少女。
影の中で白虎が止めたが、夏海は足を踏み出して姿を見せた。
向かい合う女子高生二人。
前方から、鎖が擦れるようなチャリ、という音がしたが、気配は目の前の少女以外ない。

 

「私、四斗蒔夏海。高校二年生。」
「ななな、何よ急に!」

 


両手の指で三角を作るようなポーズで固まる少女は、怯えていた。
反して夏海は片足に体重を掛け警戒してないことを表す。
いつ至近距離でかまいたちの攻撃を浴びるかわからない中、なるべく警戒心を抱かせないよう細心の注意を払う。

 


「アナタの名前、アイカちゃんで合ってる?漢字教えてよ。友達になろう。」
「は!?わ私は貴方の敵よ!?こ、殺そうとしたのよ。」
「敵意は感じない。渋谷の時もそう、怯えてる子供が見えない幽霊を怖がってバットをブンブン振り回してるみたいだった。」
「ししし、失礼ね!誰が子供よ!」


赤い顔をして怒りだした相手に、白虎がもう寄せと止めてくるが、夏海は続けた。
手に汗が滲みだしているのに気づかれないように。

 


「脅されてるんじゃない?やりたくないのに、やらされてるとか。」
「違うわ!私は、私の意思でインシに入ったのよ。生田目一族の落ちこぼれなんて言わせないために!」
「インシ?」
「我々の名前は隠匿の隠に、武士の士と書いて隠士といいます。以後お見知りおきを。」

 


セーラー服の少女の後ろから、黒色コートを着た、髪が全て灰色の男性が歩み寄ってきた。
仕立てのいいスーツに黒のロングコート、グレーのマフラーまで肩にかけ、まだ秋の中頃にしては早すぎる格好に思える。
整えられた口ひげに杖までついて、まるで英国紳士のようだが、額から右目を経由した大きな傷が目立つ。
さすがの白虎も夏海を庇うように影から飛び出し、警戒の姿勢を取る。

 

「敵の挑発に乗って神聖な我々の名前を教えるとは・・・。まあいいでしょう。透夜様も呼び名に困っておられるところでしょうから。」

 


杖の柄を握り持ち上げながら、横目で少女を睨み付ける灰色髪男性に、少女は両腕をすぐ引き寄せて目を伏せてしまった。怯えている。そう思った。
男がわずかに微笑みを携えながら夏海に向き直る。

 

「お前のような力の弱い者が透夜様の妹というのは実に嘆かわしいが、透夜様にこれ以上嫌われたくもないのでな。挨拶ぐらいしてやろう。私は平川という。お前に聞きたいことがある。」


完全に見下した発言に、小言を返すことさえためらわれた。
ここでこの男を怒らせたら、兄に迷惑がかかるとすぐに理解できたからだ。
自分を人質にでもなんでもして、兄に理不尽な要求をされては困る。昨日勝手なことをするなと怒られたばかりだ。皮肉なことに平川と同じで、これ以上兄に嫌われ失望されたくはない。
夏海は平川という男の言葉を待った。

 

「七星の法具を、どこに隠した。」

 

目尻に皺を携えた瞳がすっと細まった。
肌がピリと痛む。この男も、相当な力を持った術士のようだ。放たれるプレッシャーに体が無意識に反応し、指先が震えたのを見透かされないように、わざと笑顔を作った。


「七星の宝物庫にあるに決まってるジャン。大切なお宝なんだからさ。欲しいなら結界破って入ってみなよ。てか、どれのこと言っているの?」
「どれ、とは。」
「七星の法具、沢山あるよね。錫杖とか着物とか、全部お兄ちゃんが持ってるよ。聞いてみたら?」

 


そう笑顔で告げたと同時、夏海は白虎の背に跨がり、白虎が地面を強く蹴って垂直に飛び上がる。
ビルの屋上を走り抜け、また別のビルへと移っていく。


「馬鹿者!わざと喧嘩を売ってどうするのだ!」
「お兄ちゃんのところに行けないから、アタシのところきたんだよあの人。それに、今は七星の法具はお兄ちゃんしか触れないよね?七星の結界がある以上宝物庫にも入れないし。知らないような野良術士には見えないんだけど・・・。」

 


肩に掛けてる鞄の中に、乱雑に放り込んだ携帯を取り出して兄に電話をかける。
が、コールすら鳴らず、画面の表示は圏外になっていた。そういえば、渋谷で結界に閉じ込められた時も圏外であった。
鎖の音が耳に入ってきて、夏海は叫んで白虎の走りを止めさせた。
走っていたビルの屋上が円形に抉られた。かまいたちの姿も、宿主アイカの姿も見えない。
気配を感じて白虎の背中から飛び降り左に避け、白虎は右に避けた。
再び地面が抉られ細かい破片舞い上がる。細々した欠片が地面に落ちる前、夏海の大きな瞳が影を捉え飛び上がる。
杖の先を地面に突き刺そうと落ちてきた平川という男と、すれ違い様睨み合う。あの杖は隠し刀だったようだ。
避けろ!と白虎に言われ着地した足で、そのままさらに後退する。
白虎が軽く右に首をひねり、牙の覗く口から青い炎を男に向かって吐き出した。
平川の眉が一瞬動いた後、目の前から消えた。
動こうとした夏海の肩が何かにぶつかった。隣に何も無い。いや、見えない壁がある。
白虎を確認すると、式神も同じく見えない壁に四方を挟まれ動けなくなっていた。
壁を前足の爪で斬りつけるが、手応えは無さそうだ。
それが生田目の結界だと気づいたとき、目の前に巨大な渦が迫っていた。かまいたちの攻撃が鼻先から迫り、耳元で鎖が擦れる音がする。結界の中に居たら兄の守りも効かないであろう。
身構えたその時、たまたま手を置いていた右手側の壁が突然消え、体が横に倒れる。
ハッとして右手をコンクリートに突きながら滑るように渦の下をくぐって回避をした。
白虎も同じように壁が消えたことに寸でで気づき、無事回避したようで、夏海の脇に着地する。
目の前に生田目アイカと、平川が突然姿を現した。
グッと眉根を寄せた男が、形相を変え少女の頭上に怒鳴り声を降らせた。

 


「何故結界を解いた!」
「わ、私・・・解いてない!!」
「嘘をつけ!大事なところで手心を加えおって!」
「ほ、本当です!何か、別の力が―」
「隠士の恥がっ!」
「女の子相手に、ヒドイおじさんだね。」


一同が声をした方を振り返る。
夏海の後ろ、ビルの屋上の縁で、見知らぬ男が立っていた。
すらりと背の高い、漆黒のような黒髪に浅黒い肌を持った若い男性。


「術士が争ってる気配がしたから駆けつけてみれば、穏やかじゃ無いね。」


杖を握っていた平川が、杖の先を地面に付けて何も言わず少女と共に消えてしまった。


「あれ?逃げちゃった・・・。君、大丈夫かい?」


男性に声を掛けられ、拍子抜けして呆気にとられる夏海は、口をだらしなく開けて首を縦に振るしか出来なかった。
太めの眉の下にある垂れ目がちの紫の瞳は、どこか妖艶で儚げな印象を受ける。
日本人らしい凹凸の少ない顔立ちは、硬派な印象を受ける。

 

「東京の術士さん?」
「あ、はい。本部所属です。」
「よかった。地方支部から応援で来たんだけど、本部ビルがわからなくてさ。
ぐるぐる彷徨ってたら争う気配を察して登ってみたんだ。東京はジャングルだっていうのは本当だったんだね。良かったら案内してくれないかな。」


ああそういうことかと納得して、夏海は姿勢を正した。

 

「私は五位の四斗蒔夏海と言います。助けてくれてありがとうございました。」
「僕は何もしてないよ。あ、名前ね。僕の名前は、保那といいます。」

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