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第三部 夜永月の妖星闊歩5



エレベーターを降り術士協会本部の一階ロビーに辿り付いたところで、名前を呼ばれた。
考え事をしていたせいで俯き加減であった顔を上げると、夏海が小走りで近づいてきている所だった。

 


「お兄ちゃん大変!」


そこで夏海は先ほど起きた出来事をたどたどしくはあるが全て兄に伝えた。
どんどん兄の眉間の皺が険しくなっていく。


「何もされなかったか?」
「うん。ちょうど近くにいた術士の人が助けてくれたの。」
「ずいぶん大人しく帰ったものだが・・・。お前が無事ならいい。」


何やら思考しているのか、険しい顔をしながら無意識に妹の髪を撫でる。
昨晩怒られたこともあり、兄に心配してもらっているのが嬉しくて嬉しくて、緩みそうな頬を必死に引き締める。


「ねえ、七星の宝物庫に摩夜様の法具沢山あったよね?どれのこと言ってるのかな。やっぱり五鈷杵?」
「さあな。俺はこの後用事がある。夏海、本郷会長のところに行って起きたこと全部報告してこい。後で思い出したことがあれば俺にもメールしろ。帰る時は黒鳥貸してやる。」
「わかった。」
「白虎、平川って男の気配覚えたな。アイツが元七星の裏切り者だ、警戒しろ。出会ったらすぐ俺にも知らせろ。」
「承知した。」

 


気をつけろよ、と念を押し出入り口へ体を向ける。

 

「あ、お兄ちゃん!あと一つ。その人達ね、自分達のことインシって呼んでたよ。」
「インシ?」
「こう書くんだって。」

 


急いで文字を打った携帯画面を見せる。
そこには“隠士”と書いてあった。

 

 

「隠士ね~。<隠>ナバリを狩る俺達に対する嫌味かね。」


古く、術士達は妖怪達の事を総じて隠者と呼んでいた。影に隠れ潜む者、と。
カウンター内にいる更衣は、フードから唯一見える口元を歪ませ愉快そうに笑った。
今日は素顔ではなく、ねずみ色のパーカーを着た情報屋「逆(さかう)」の姿である。
華やかな姿を隠し、中肉中背の男性が向かいに座る高校生にオレンジジュースを差し出した。


「正直なところどうなのさ。奴らが行ってる宝具は七星の法具ってことでいいのかな。」
「十中八九そうでしょうね。」
「お、正直に白状するじゃない。会長にははぐらかしたくせに。」
「夏海の前に平川が現れた事で確信を得たんです。
俺が気にかかってる点は二点。武蔵野国結界があるにも関わらず酒呑童子を召喚出来たのは何故か。
もう一つは、七星の法具は七星の結界内にあると平川なら知っているにもかかわらず、わざわざ夏海の前に現れたこと。」

 


パーカーのフードで顔の半分以上を隠した逆は、わざとらしく首をひねった。


「昨晩の酒呑童子召喚も謎だよね。透夜くんを脅したいだけにしては大げさ過ぎない?」
「法具を求めているのは隠士達であろうに、なぜ酒呑童子も法具を寄越せと言ったのか・・・。」
「法具渡さないと、三大怨霊連れてくるって。ウケルね。」
「全然ウケません。酒呑童子は自然発生ではあり得ません。鬼を召喚した人間がいて、そいつは平将門・崇徳天皇の魂を握っているということになる。」
「あれ、菅原道真公は数に入れないの?」
「あのナバリは大丈夫です。」
「本物かどうかもわかんないのに。」
「とにかく、酒呑童子召喚の種を明かさないことには。また住宅街で大暴れされては困ります。」

 


意味ありげな笑みを口元に携えたが何も言わず、逆はカウンターに手をつく。


「で、ご注文は?」
「隠士の情報。ここは生田目の娘を辿れば可能性があります。それから、来栖比紗奈の両親が死亡する直前に会っていた人物。どんな痕跡でも構いません。辿って下さい。」
「承りました。前金はいつもの講座に頼みますよ。」
「わかってますよ。」

 


生ぬるくなったオレンジジュースを一気に煽りる。


「次から次へと忙しい・・・。夏海とゆっくり飯も食えない。」
「フフ。けど、夏から随分楽しそうジャン?」


カウンターに肘をついて透夜の顔を覗き込んでくる逆を軽く睨み、空になった瓶をテーブルに戻す。


「年末のファンタジーランドホテル、もう予約取ったのかい?」
「オススメしてもらったプランを夏海に伝えたら、今悩んでるところらしいです。」
「仲良し兄妹でいいね~。予約取るの手伝ってあげるから、日付決まったらまたおいで。」
「はい。助かります。」

 


再び見せたその笑顔は口元しか見えないのに、どこか優しげな色合いに変わっていた。

 

 

 

 


がたん。ごとん。
初めて電車に乗ったのは、小学校に上がる前だった。
両親が里の守護役を担っているので、滅多に七星領域の外に出ることは無かったのだが
母が三つ隣の街で買い物があるというので、せっかくだからと連れて行ってもらった。
田舎故に一時間に一本しか運行していない三両だけの電車は、子供の頃の自分にはまるで遊園地のアトラクションだった。
いつもよりずっと早く通り過ぎる景色。見たこともない建物群。
周りに乗客もいないので、座席に乗り上がって窓に張り付いて眺めていた。
初めての電車に興奮が隠せない自分を、微笑ましく見ている母。

がたん、ごとん。
がたん、ごとん。
ことん。


いつの前に居眠りしてしまったのだろう。
目を開ける。
新宿から乗った電車の車両で、乗客は透夜一人だけであった。
電車は動き続けているのか細かな振動は感じるが、あの独特な稼働音が聞こえてこない。
青いシートの下は、白い煙で覆われ透夜の膝から下が飲まれていた。
せっかく幸せな夢を見られたのにと短くため息を吐いた透夜は姿勢を正して、虚空に向けて話しかけた。


「貴女まで出て来たら洒落にならないんですよ。さっさと栃木に帰って下さい。」
「あら、だって私のお家、誰かが割ったせいで居心地悪いんだもの。」


返ってきたのは、艶やかな女性のねっとりとした声であった。
どこから降ってきたのか、電車のどこにいるか特定はさせないようにしているらしい。腕組みをして、向かいの座席を見る。


「ん?どうしたの透夜ちゃん。解かないの?アナタ、蚊を払うみたいにささっと手を降って幻術消してくじゃない。」
「今疲れてるんです。」
「気疲れ?」
「誰のせいですか。」
「もう。そんな怖い顔しないでちょうだい。いつもの戯れじゃないの。」


電車の光景が煙りで包まれぼやけていき、真っ白になった後に自宅最寄り駅付近に立っていた。
日に日に日照時間は短くなっており、夕暮れは大分暗くなり気温も下がっている。
家路を急ぐ学生や社会人、買い物帰りの主婦が通り過ぎていく。
腰に手を当てて首を回す。
電柱に寄りかかる和服の妖艶な美女を、誰も認知出来ないだろう。
派手な柄の着物は胸元を大きく開き鎖骨や胸元を露わにし、着物の合わせも広げているので細い足が覗いている。
まるで艶美な遊女のようだが、頭には大きな耳と、ふさふさの尻尾が地面に垂れている。
彼女は玉藻前としての名でも知られる九尾の狐。
有名な陰陽師安倍晴明に正体を見破られ下野の国へ逃げ、封印されて石になった。
封印されても彼女の強力な呪力が外に漏れ周囲に悪影響を与えるようになり、殺生石と呼ばれるようになった。
が、数年前。その殺生石が真っ二つに割れる事件が起き、玉藻前は自由に動けるようになってしまったのだ。
今でも原因は不明。自然に割れたのか人因的なものなのかすらわかってはいない。
術士界隈では日本大妖怪の女狐がいつ暴れ出すのかと神経質になっていた時期もあったが、

幸いなことに、玉藻前は以前のように人を騙して都を混乱させるようなことはなく、フラフラと彷徨っているだけ。
玉藻の前は菅原道真と同じく、現代に馴染みそれなりに楽しんでいた。
昔の恨みは昔に置いてきた。以前彼女はそう言っていた。
現代人に恨みを向けても、今の人間は妖怪に興味がなさ過ぎるせいでつまらない、とも。


「面白いことになってるようね。」
「まさか、関わってませんよね。」
「透夜ちゃんを敵に回したら魂まで粉々にされるってわかってるもの。そんな馬鹿なことしないわ。ワタシ、これでも楽しくやってるのよ。」


赤く分厚い唇で笑った彼女は、電柱から離れて透夜にぐっと近寄ると、
透夜の頬を赤い爪を持った両手で包み、顔を近づけてきた。
妖怪のくせに香水でもつけているのか、甘い、それでいてどこか渋みのある匂いが鼻をくすぐる。

 

「可哀想。大事なものが沢山あるのに、きっとガラス玉みたいに砕けてしまう。」


息が掛かるぐらい近くで、玉藻前が妖しく微笑んだ。
瞳の中にある瞳孔が縦に長くなり、狐の面影が過ぎる。

 


「崇徳天皇と平将門まで呼び出されたら、さすがの透夜ちゃんも負けるかしら?」


透夜は何も答えず、可笑しげに化かし合いを始めた女狐を睨み付けていた。


「フフフ。今の透夜ちゃんは怖くないけど、敵には回したくないから大人しく帰るわ。」


甘い匂いが遠くなり、名残惜しげに頬を撫でた長い指が離れ玉藻前はどこかに消えてしまった。
突っ立っている高校生に不審そうな目線を投げながら、自転車に乗った主婦が右から左へ去って行く。
がたんごとんと音を鳴らして、背後に走った線路の上を電車が通過していった。

 


「壊してたまるかよ。やっと手に入れた日常だぞ・・・。」


拳を握りしめ、低い声音でそう吐き捨てた声は、踏切の警戒音にかき消されて夜に溶けていった。

 

 

 


*    *    *

都心にある超高層マンション。
最上階である五十五階の一室は壁が全面ガラス張りになっており、東京のビル群や富士山まで見渡せた。
大理石の床に白い足長の白カーペットが引かれ、黒で統一されたフランス家具が置かれている。
しかし、大理石の上にも磨かれたテーブルの上にも小さな段ボールがいくつも積み重なっていた。
L字型ソファーの上に膝を立てて座る男は、また新しい段ボールから、新品のスニーカーを出しては革張りソファーの上に並べていく。
最新モデルから、プレミアが付いたレアスニーカー。一般市場に出回ることはまずない、マニアの間で取引され値がかなりついた品ばかり。
NIKEのロゴが入った真っ赤なスニーカーを眺めているのは、背が高く筋肉質な三十代前半ぐらいの男。
一重の細い目をしているが、奥にある瞳は獲物を吟味する抜かりなさがある。黒いややくせっ毛の髪は肩に触れるぐらい長く伸ばしていた。
ヴィンテージ物のジーパンを履いてる下半身は細身だが、白いTシャツはぴっちりとしており腕や胸の筋肉の膨らみがよくわかる。
二十帖は越えているであろうリビングで趣味の時間を楽しんでいると、ガチャリと音がして扉が開いた。
顔を見せたのは、ワイシャツにスカートを履いているが裸足の少女ー生田目藍佳であった。
裸足のままペタペタと大理石を歩いている藍佳の目は、腫れて真っ赤になっていた。
そのままカーペットに足を埋め、ソファーの端っこで体育座りをする。
スニーカーから顔を上げて、細目の男が顔を向ける。


「おはよう藍佳ちゃん。落ち着いたかい?」
「うん。」

 


か細い掠れた声でそう答えたが、表情は暗く、伏せ目がちに膝を引き寄せる。
男―仲間から巌沢(がんたく)と呼ばれている家主は、またスニーカーに顔を戻す。
脇にあった箱から、今度は迷彩柄のスニーカーを取り出しにかかる。

 


「逃げたくなった?」
「逃げられないよ、もう。」
「俺なら藍佳ちゃん抱えて逃げるくらい簡単さ。」
「鬼の力、奪われちゃうよ。」
「じゃあ辞めとくか。」

 

結っていない髪から、一部だけ緑になった部分がさらりと顔の方へ流れる。

 

「なんであのとき、力を使えなかったんだろう・・・。
何かに力を押さえつけられてるみたいだった。平川さんには、役立たずってめちゃくちゃ怒られた。」
「気にしなくていいよ。あのおっさんはいつもプリプリ怒ってる。」


巌沢がスニーカーを並べていくのを横目で眺める。
スニーカー収集は巌沢の一番の趣味であった。
彼の父親が不動産で儲けている社長なのをいいことに、彼自身は働かず、父親が与えてくれた高級マンションで暮らし、毎月振り込まれる多額のお小遣いで豪遊をしている。
ネットやオークション、裏取引などで欲しいものを手に入れている。
それも自分ではなく、秘書とか執事とか人を使って。
そんなぼんくらな彼が、何故隠士に入って人殺しを始めとして汚れ仕事を行っているか、理由は知らない。

 


「藍佳ちゃん。君はまだ人だ。心もある。引き返すなら今だよ。」
「ガンさんは?どうするの。」
「この手はもう血に染まってる。人を殺す快楽を知って、それを悪いとは思わない。俺は倫理観ぶっ壊れた不良品だけど、藍佳ちゃんは俺が見るに、まだまともだ。」

 


黄色のスニーカーを眺め口角を上げて微笑む横顔に、問いかける。

 

「どうしてガンさんは、私にそんなに優しいの。こんなに役立たずで・・・。」
「俺にもいたんだよ。良心の支えが。何も持ってないつまらない俺でも頼ってくれて、生きててもいいんだと思わせてくれた。でも死んじまった。
そっから俺はおかしくなった。こんな俺自身のことはもうどうでもいいけど、藍佳ちゃんみたいな子は綺麗な世界に居て欲しいって思うよ。」

 


窓から覗く東京の景色が眩しく見えてきて、視界が歪み出す。
耐えきれずに落ちる涙を隠すように、膝に顔を埋めた。
昨晩あれだけ泣いたのに、涙はなぜか枯れてくれない。
湧き上がる自分への情けなさと、こんな自分に優しくしてくれる唯一の存在。
気づいたら巌沢はスニーカーを置いて、藍佳の髪を撫でてやっていた。


「逃げな、藍佳ちゃん。生田目の家からも、隠士からも逃げていいんだ。
自分を守るために背を向けるのは悪いことじゃない。もう自分を責めるな。君が安心して暮らせる場所が、絶対あるからさ。」


ありがとうと言いたいのに、声が詰まって出てこない。
ソファーの傍らには、巌沢が藍佳のためにゲームセンターで取ってあげたウサギのぬいぐるみが、色違いで三匹笑っていた。

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