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第三部 夜永月の妖星闊歩8

 

「最近お仕事無いんだよねー。」
「ナバリが出ないのはいいことではないか。」
「そうなんだけどさー。お兄ちゃんとの旅行に備えてお小遣い増やしておきたいのにー。」

 


公園のブランコ前で黄色い柵に腰掛け、携帯をいじっている夏海がぼやく。
テイクアウトしたストロベリーフラペチーノを飲みながら口を尖らせる夏海の隣で、大人好く座っている白虎が顔を上げ公園の向こうにある建物達を眺める。


「先日の酒呑童子騒ぎの前から、やけに静かだ。」
「そうなの?」
「嵐の前の静けさかもしれんな。」


そう言って、白虎は急に影の中に消えてしまった。

 

「やあ。また会ったね。」


携帯のディスプレイと睨めっこしていた夏海が顔を上げると、ベージュのコートを着た浅黒い肌の男性ー保那がいた。
此処は自宅付近にある公園で、何故彼が都心から離れたこんな場所にいるか疑問が頭を過ぎる。

 


「こんにちは。お仕事ですか?」
「そんなとこ。」
「ナバリの駆除依頼があるってことは、やっぱり保那さん位が高いんですね。」
「位?僕にはないよ。」
「本部に名簿登録すればアプリ経由でもっと仕事もらえますよ。」
「ああ、いいんだ。僕には関係ない。」

 

青年はさらりとこたえながら、夏海の向かいにあるブランコに腰掛けた。
鎖がガシャリと乾いた音が響く。
この人の一人称は、僕、であっただろうかと細かい疑問が引っかかる。普段なら割とどうでもいい違和感が、輪郭線を太くして佇んでいるような。

 


「君は、随分立派なお兄ちゃんがいるね。本部で聞いたんだ。」
「うん・・・。私と違って、頭が良くて強いんだ。」
「嫌いなの?」
「ううん、大好き。だからたまに、こんなダメな妹捨てられちゃうんじゃないかって、不安になる。」
「それは、血が繋がってないから?」


一瞬呼吸が止まる。
目を見開いて固まる夏海に、脱力した微笑みを向ける。
だが、保那の目は笑っていなかった。黒い瞳の奥に、闇が存在している。


「君の中にあるのは、法具だね。君の魂と固く結ばれている。だから取り出さずに保管してある。
君は術士としての才能も潜在能力も皆無だが、身体能力を底上げし超再生能力を法具が与えてくれている。君が術士の力を使えるのも、法具を通じてお兄さんが力を貸しているから。僕はそう予想している。」
「なに、言って・・・。」
「ああ、知らないのか。法具を埋め込まれたこと。」


夏海の脳裏に、今まで存在していなかったはずの光景がフラッシュバックする。
炎がくすぶる夜の森。知らぬ森を彷徨いながら、大声で泣き喚く幼い自分。
辿り付いた先で、血まみれの眼鏡の男性。
その人が、自分に優しく微笑みかけてきて―――この人は、お父さん?


「十一年前。君は恋人と一緒にいることを選んだ母親によって、山に捨て置かれた。
そこは偶然にも七星の山。冥王の力が漏れた夜だったせいで結界が緩んだのだろう。
彷徨っていた君はたまたま四斗蒔慧俊に出会った。彼は法具を狙う輩から守るために、居合わせた幼い子の体内に埋め込んだ。
親に捨てられた子なら好都合だと、四斗蒔家に迎えることにして、君は記憶を消された。」

 

この人の言ってる事がわからない。
支離滅裂で現実離れした、まるで妄想。
なのに、どうしてだろう。
頭に次々湧いてくる光景がリアルだった。
夢で見た断片的な絵が映し出されてるように、デジャブを感じる。
汚い畳の部屋。弱い夕暮れの明かりに浮かぶ階段下。肌寒さと空腹感。
茶色い柴犬。
化粧をした女の人。痣だらけの自分の腕。
その次に、思い出として残っていたハズの四斗蒔両親の絵が霞んで消えていく。

 


「君はお兄さんに騙されている。お兄さんは、お父さんが命がけで守った宝具を守りたいだけ。
君を守ると言いながら、本心はそうじゃない。
だって君は七星の子ではない。ただの一般人の、捨てられた子。
たまたまあの夜、あの森に迷い込んで、死にかけのお父さんが入れ物に選んだだけ。」

 


呼吸することも忘れたように、夏海は目を見開いて固まっていた。
目の前で喋る男性の言葉は譫言で、頭の中で書き換えが進む記憶の処理が追いつかないでいた。
受け入れられない、が正しいのかもしれない。
受け入れてしまえば、今まで兄と過ごしてきた十数年が、指先から砂のようにこぼれてしまうとわかっていたから。

 


「ねえ、これは意地悪で言ってるんじゃないんだ。君を救いたい。
お節介かもしれないけど、俺と同じ思いを味わって欲しくないんだ。
目を覚ますんだ、夏海ちゃん。」

 

保那の顔は、眉尻を下げ心底心配だと言っているのに、顔にかかる影が濃くなっていくのがわかる。
言葉と表情をいくら取り繕っても、目の奥にある闇が濃く深く、何もかも飲み込む恐ろしさを抱いていることは変わらない。
気づいたら、空は橙に染まって、公園の古びたスピーカーから午後五時を知らせる調べが流れてきた。
壊れているわけではないのに、どこかこもった音響の夕焼け小焼けが近くの家やビルに反響して、とても気持ちの悪い不協和音に聞こえてくる。
歪な音色が、体に降りかかる感触が、ひどく怖かった。
聞き慣れたはずの音色が、夕焼けに続く恐怖の道を浮き彫りにさせる。
そっちに行ってはならない。頭の中で警鐘がずっと鳴っている。

 


「僕と一緒に来れば、その法具を取り出してあげる。
法具がない真っさらな状態でお兄ちゃんに会ってごらん。ただの人になった君を、果たして彼は愛してくれると思う?」

 


酸欠が限界になった体が、強制的に口から息を吸わせた。
大きく酸素を肺に送り込んで顔を上げる。
空はまだ、青い色をしていた。
夕焼け小焼けのメロディも聞こえてこない。
バイクが通り過ぎる音、どこかで誰かの話し声、いつもと変わらぬ公園。
夕方が近くなり肌寒くなりはじめた気温に反して、夏海は汗びっしょりになってブランコに座っていた。
先程まで、ブランコと対面した柵に腰掛けていなかっただろうか。
手にしていたはずのストロベリーフラペチーノの容器が、床に転がっていた。
蓋が外れてしまったせいで、半分程残っていた中身が砂の上にばらまかれている。

 

「おい、夏海。どうした。」


錆びた機械のように、不自然な動作で首を回す。
隣でお座りした白虎が首をひねっている。

 


「急に黙ったと思ったら固まって。飲み物が勿体ないではないか。」
「びゃ、っこ・・・。」


口の中が恐ろしく乾いていた。声が掠れて震えている。
汗だくの背中の不快感が駆け上がるのに、指先は恐ろしく冷えていた。

 


「今・・・誰か、いなかった?」
「いや?儂と話していただけだが。」
「何も・・・?起きてない?」
「なんだ。夢でも見ていたのか?まだ昼間だぞ。」

 


呆れた声を出す白虎は、兄の式神で中国でも有名な西を司る四獣の一角。
何か異変があれば自分より先に気づいているはず。
本当に、夢であったのだろうか。
それにしては、頭の中の混雑具合はそのままで、浮き彫りになった違和感が一向に沈んでくれない。
落ち着かない呼吸を繰り返しながら、重くて支えきれなくなった頭をもたげる。
もう何が現実で、何が夢かわからなくなっていた。
今言われたことは全てただの戯れ言。記憶がそう告げている。
私は確実に七星の土地で育った。四斗蒔家の長女。
―周りの大人は私を嫌っていた。七星の恥だと指を差してきた。
私は次期当主四斗蒔透夜の妹。
―でも私は、術士としての能力が皆無だった。
ノイズが大きくなる度、不安が不安を呼びつける。
これは洗脳だ。
―どっちが?

 


「どうした。帰らないのか?」
「う、うん。」

 


無意識に耳に刺したピアスを確認する。
術士になった記念に兄がプレゼントしてくれたもので、兄も守りが効いている。
これが有る限り、私は兄の妹だ。
心臓は酷く高鳴っていた。指先は冷たいままだったが、鞄を抱えてブランコから立ち上がる。
大丈夫。あの家に帰れば、すべて元通り。
私には、帰る家がある。
私は四斗蒔夏海。
そう言い聞かせながら、公園から出た。


*       *       *


午後八時。
新宿区都庁第一本庁舎南側、屋上ヘリポート。
二百メートルを軽く越える上空で冷たい刺すような夜風が吹き、コートの裾が激しく揺れていた。
東京の夜景を見下ろしながら、ベージュのコートを来た若い男は薄く笑っていた。
杖を突いた壮年男性が横に寄り添って、口を開く。

 


「驚きましたぞ。突然そのようなお姿で。」
「気まぐれだ。この目で、今の星の形を見てみたかった。」

 


コートのポケットに手を突っ込んで佇む横顔を一瞥してから、夜景に視線を戻す。
鬱陶しいぐらいの街の灯りの中で、明治神宮の森だけが真っ暗であった。

 

「生田目の娘が離反しました。巌沢が、自分の腕でも命でも差し出すから見逃せと言っていますが。」
「捨て置け。」
「よろしいのですか。手の内を知っていますよ。」
「術士が知ったところで、どうしようも出来ない。内部を調べてわかった。現代の術士は貧弱過ぎる。」

 


ベージュのコートを着た男―保那が右手だけポケットから取り出して手首を軽くひねる。
水色の細かな粒子が氷雪のように右手の周りに舞い、彼と平川の前に二つの黒い卵が生まれた。
両手の平で包んでも余るぐらい大きな卵の殻は、明治神宮に落ちる闇より黒い。

 


「これをやる。」
「ありがたき幸せに存じます。」


平川が杖を前に差し出す。
浮遊していた卵二つが平川の前に移動し、乾いた音を立ててヒビが入る。
ヒビはどんどん広がり、剥がれ落ちた殻が次々に落ち、隙間から、紫色の煙が天上に昇っていく。
雲一つ無い空に、突如雷が落ちる。
二つ、三つと落ちた後、都庁の足元、地表が赤く染まり出す。
霧が立ちこめあっという間に、眼下に広がっていた夜景が飲まれ、停電もしていないのに光が次々飲まれていく。
しかし、期待していたような混乱が巻き起こらない。

 


「おや?これはこれは・・・。さすが透夜様。先を見越しておられたとは。」
「お前は派手に暴れててくれ。場を乱してくれれば、俺が武蔵野国結界を破壊する。」
「承知つかまつりました。せっかくおもちゃを頂いたんです。百鬼夜行と洒落こみましょうか。」
「久々の現世だ。存分に楽しませてもらおうか、天狼星の子よ。」

 


保那がすっと目を細めて、都庁から見下ろせるとあるビルの方を向いた。
遙か彼方にあるそのビルの屋上に立ち、都庁を睨み付けているのは、透夜であった。

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