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神宿りの木    沙希編 2

これといってとりとめの無い日だった。

 

「君はさ、どうして戦うの。」
「あなたが言うと嫌味。」
「あはは。」

 

 


乾いた笑い声は、いつものより遠慮がちでおしとやかに空気に響いた。
彼の目が、少しだけ細くなる。

 


「どうして、そうやって立っているのか。ちょっと不思議に思ったんだ。」

 


握っていた刀を鞘に戻したので、沙希も疑似刀の具現化を解いた。
青い粒子が宙に舞う。

 


「あなたも立っているじゃない。」
「僕はずっと、座り込んでしまいたいと思ってるんだ。」

 

水より濃く鮮やかな青色の燐灰石のような瞳の奥で、何かが鈍く瞬いた。

 


「君もそうなんだろ?」

 


薄っぺらい偽りの笑みが、今日ばかりは僅かな哀愁の色合いをみせている。
実に珍しいことだ。
それは、奥深くに隠されしまわれていた彼の本質なのかもしれない。
沙希は何も答えず、じっと水色の瞳を見つめ返していた。

 


「君と僕はよく似ている。似ているのに、全く違う。どうしてなんだろうと、そればかり考えるんだ。君にはわかるかい?」
「わからないわ。」

 


きっぱりと、冷たく突き放した声を出す。
でも、と彼は気にせず続けた。

 

「君も、守りたいものがあるんだね。」

 

彼が笑みを深くした。
同情でも哀れみでもない、不思議な色味を含んで。
白いシャツごと、体が闇の中に飲まれていくのを沙希はただじっと見守っていた。

 


「沙希、シンの真名を見つけて。そうすれば―――」

 

 

 


ハッと息をのみながら目を覚ました。
見慣れた天井にこれは現実だとすぐ理解する。
急に体の重みが降ってきて、気怠い体を持ち上げながら額に張り付いた前髪を払った。
ブラインドの降りた窓の向こうには、綴守の常夜灯が苛立たしいほど目映く主張してくる。
体内時間を整えるため夜時間は綴守でも通路の電飾は消灯されるのだが、天井に埋め込まれた大きなライトだけは
警戒のために常に灯っているのだ。
此処は誰にも認識されていない、綴守の6階部分に位置する沙希の自室。
常夜灯のすぐ近くにあるせいで彼女の夜は暗くない。
何の飾り気もない横長のプレハブ小屋が彼女の家だった。
建物は集の天井である岩肌と建物の隙間にあり、下からは絶対見えないようになっているし、

一部の重役を除き、此処に沙希が住んでいることは誰も知らない。
外見は質素なプレハブだが、室内はそれなりに整えられていた。
ダブルサイズベッドがブラインドの下に置かれ、中央には円形の足長テーブルとお揃いのチェア。
ピンクゴールドの装飾があしらわれた白くて可愛らしいドレッサーは兄達からのプレゼントだ。
その上にある小物入れは祖母から譲り受けたもので、一度もつけたことがないアクセサリーなどが入っている。
だが家具はそれだけ。年頃の女の子の部屋にしては余計なものが一切無く、殺風景だった。
出入り口の扉が開く。
茶髪ですらりとした手足を持った女性が朝食の乗ったトレイを持って部屋に入ってくる。
派手な顔立ちではないが、お淑やか雰囲気を纏った女性は、朝の挨拶をしてから手慣れた様子で
テーブルに皿を並べグラスにジュースを注いでいく。
数年前から身の回りの世話を焼いてくれる使用人である。
幼い頃から沙希に付いているため、好みや思考を熟知してくれている。

 

「今朝はアールグレイにしておきましょう。気持ちも落ち着きます。」
「ありがとう、穗のか。」


何も言ってないのに、沙希の様子で必要なものを察してくれる。
特に沙希は無表情で感情を表に出さないので、穂のかは魔法使いではないかと思っていたこともあるほどだ。
シーツを剥いでベッドから出た。
部屋着のまま椅子に座り、適温まで冷ましてくれた紅茶を口に運ぶ。
温かさが内臓を通って行き、甘みが寝起きの脳を優しく揺り起こしてくれる。
部屋に取り付けてある通信装置が耳障りな音を鳴らした。もっと優しい音に変えておくべきだった。
朝食を食べる主に変わって、使用人穗のかが応答する。

 


「沙希様、司令室経由で、岩坂の集長から呼び出しです。」
「すぐお伺いしますと返事を。」
「礼装をご用意しておきますか?」
「いい。いつもの格好で行く。まだ儀式の日じゃないし。」

 

朝食を食べ終える。手を合わせてから、洗面所で顔を洗い歯を磨き、ずいぶん長くなった髪を結ぶ。
両親が綺麗だと褒めてくれた父譲りの黒髪。
母が結うのが楽しみだから伸ばそうと言ってくれたので、腰の高さより短く切れずにいる。
穗のかが差し出す黒いコートに腕を通す。
昔は嫌いだった色。
闇に溶けてしまったら逃げられなくなりそうで、怖かった色。
今は何も感じないし、首に白いマフラーを巻くと、自然と落ち着けた。
穗のかに見送ってもらいながら部屋を出る。
綴守の屋上に出る。小さく掘った通路から隠し通路を通って領域外に踏み出す。
今朝は特に冷えていた。
吐いた息がすぐ白くなって通り過ぎる。
きっと地上の鳥かごの外は雪が降っているのだろう。まだ暦では秋だというのに。
春と夏は死んだ。冬はもっと長く辛くなる。そうしたら地下の人間も生きていけなくなる。
迫り来るものを、人間は今日も見ない振りをして、当たり前の日常を謳歌する。
私も同じか、と自虐的な事を考えているうちに、岩坂という場所にたどり着いた。
家らしき建物は一切無く、細く長い石段が上へ上へと続いている。
石段の入り口に鳥居があり、注連縄で守られている。
この先は神域であるとされている。選ばれた者しか石段を登れないため、鬼妖も十杜も近づけない。
鳥居の前で一礼をしてから、境界線を跨ぐ。踏み飛ばすことはせず、丁寧に一段一段上がっていく。
空気がまた一段と冷え、階段を上がる度、こちらを見てくる闇に紛れた目線が増えていく。
決して目を合わせぬようにしながら上段にたどり着くと、杖をつき和服を纏った白髪の老人が出迎えてくれた。
息ひとつ乱していない沙希は、丁寧にお辞儀をする。

 

「急に呼び立てして悪かったな。」
「問題が起きましたでしょうか。」
「うむ・・・まあ入れ。」

 

岩坂の集長―といっても今岩坂という地域にこの長である神主しか住んでいない―が踵を返して社に向かった。
沙希を見ていた視線達は全て消えていった。
石畳の道を辿りながら、後を追って社に入れてもらう。
岩坂の社は灰色の木材で作られているので、朝霧の中に紛れていると石造りかと見間違えてしまう。
家紋が刻まれている以外飾り気はなく、装飾は最低限。
権力を振るわせる欲もなければ、誰かを迎えるために作られたわけではない神社だった。
階段を上り外廊下を回ってから、社の一室に案内される。
中は畳が敷き詰められて、奥には神棚がある。神社の中にあるとは思えない、いたって普通の和室だ。
座布団を丁寧に断って、畳の上で正座をし膝に手を乗せた。
神主は自分専用の座布団に座ると、袴姿のまま胡座をかいて、漆喰の箱を引き寄せ煙管取り出す。
雁首に詰めた余分な葉を盆の灰皿の上に落としてから、火を付けて口に運ぶ。
本当に、天御影に住む年長者は煙管が好きらしい。一度煙を肺にくゆらせ味わってから、話し始めた。

 

「お主らが探しておった、鏡の形代。八千代鶯(やちようぐいす)の巫女が持っていた。
正しくは、産んだ。ずっと腹の中に隠しておったらしい。見つからんはずだ。」
「今も巫女の側に?」
「ああ。神力を固定させるため祈りの儀式をさせておる。終わり次第届けてやろう。」
「ありがとうございます。」
「神器を産んだと聞けば、運命とやらを信じないわけにはいかなくなった。」

 

姿勢正しく座る少女の真っ直ぐで純粋な瞳を、皺に埋もれた眼でじっと捕らえる。

 

「お前さんをわざわざ呼び出したのは、その件ではないのだ。」

 


低い声を漏らして、神主は社の中ということも気にせず紫煙を吐く。
煙管箱と一緒に引き寄せた肘置きに体重を乗せながら、神主が煙管の雁首を沙希に向けた。
わずかに、心臓が跳ねる。
無意識に肩に力が入ってしまう。
此処がどういう場所かは、沙希はよく知っていた。
だからこそ、これから聞く答えを聞きたくないと思ってしまう自分を押し殺す。

 

「黄泉の封印が解けた。」

 

無表情でクールと周りから言われる沙希の目が、大きく見開かれた。
小さく息を吸ったまま、動きが止まる。
話す神主も神妙な顔になり、僅かに前のめりになりながら、短く伸びた顎のひげをさする。
それは自分を落ち着かせる癖でもあった。

 


「境界を守っていた黄泉比良坂の注連縄が切れ、オオカムヅミの神木が枯れていた。
儂の先祖らが作った守りは全てパァだ。急ごしらえで道反(ちがえし)を置いたがいつまで保つかわからん。」
「それも、シンが?」


喉の奥から必死に絞り出した沙希の声は震えていた。
普段の凜とした威厳の有る声音ではない。

 


「奴しかおらんだろう。人間に死という概念を植え付けたのは黄泉の王であるシンだ。
人間に死などなかった。なにせ、世界を漂う藻のような何かだったんだからな。
本来行くべきであった根の国から切り離され、現世に帰ってこれなくした。
にも関わらず、<シンジュ>石が外れれば十杜になる呪いまでかけおった。迷惑極まりない。」
「シンは神々やシンビトを黄泉に招くつもりでしょうか。」
「奴の考えてることなど人間にはわからん。
わかるのは、人間はこの戦い蚊帳の外に置かれる。人類にはいよいよ、時間がなくなった。」

 


神主は更に身を乗り出してギロリと沙希を下から睨みつけるように言った。
齢70を過ぎているのに、その眼光は衰えることを知らない。

 


「その時は目の前に迫っている。次の神眠りの日に、ヒモロギは勤めを果たすだろう。」

 


膝の上に重ねた指先が恐ろしいほど冷えていた。
体温は全て失われ、人体としてあり得ない冷たさを宿している。
心臓が小さくなって痛い。呼吸が浅い。
それでも沙希は、神主の目を見返していた。
背けてはならない。
逃げないって決めたじゃない。あの日から、ずっと。


「私たちは、ヒモロギをお守りするだけです。」

 

ふぅと息を吐いて俯いた神主は、この一瞬で10歳は年を取ったように見えた。
疲れ果てた肩にのる重責と、長年見送ってきた悲しみや痛みが透ける。
お茶を煎れましょうと進言するも神主は手の平をむけて断ったので、沙希はそのまま部屋を出て社から去った。
境界の縁で一礼をして、今度は階段を降りる。
帰りは射貫くような視線は感じられなかった。
階段を全て降りてから振り返ると、社はモヤの中に埋もれて消えていた。
初めからそこに何も無かったと断言してきているかのようだった。

 

綴守の近くに帰ると、灰色のロングコートに身を包み、分厚いサングラスに黒手袋をした大男が待っていた。
肌を極力隠しても、わずかに藍色に染まった髪はよく目立つ。
腕組みをしていた手を解いて、沙希に体を向けた。

 

「ご苦労だった。」
「鏡の形代が見つかった。」
「そうか。」
「次の神眠りの日まで時間が無いといわれた。」

 

沙希のすぐ前に立ち、今度は黒手袋を取って頭を撫でてやると、沙希は額を考仁の胸に当て寄りかかった。

 


「疲れたか。」
「少し。」
「大丈夫だ。俺達はその時のためにずっと用意してきた。うまくいく。」
「そう思う?」
「当然だ。」


必要最低限の慰めしか言わない長兄だが、無駄な言葉の羅列を聞くより
落ち着いた声で静かに言われるだけで心が大分軽くなった。
胸から頭を離す。


「瑛人に報告に行きたい。クイーンにも聞いてもらおう。」
「ああ。」
「真人は?」
「今は八班の奴らと一緒だ。午後は斎さんの診断がある。茜音が引き続き監視している。」
「そう。」

 

真人は元々の性格の良さで、天御影でも友人が増えている。喜ばしいことだ。
なのに、胃の奥が重たくなったような鬱陶しさが降ってきた。
今更、私たちは幼なじみだから仲良くしてなんて図々しいというのに。
考仁の携帯から耳障りなアラーム音が響く。警報だ。
耳に差したイヤホンに手を当てたので、沙希もポケットにしまったままだったイヤホンを差した。

 


「鬼妖が出たのね。現場は?」
「待て、瑛人が一度綴守に戻れと言っている。」

 


外にいるならそのまま鬼妖の対処に向かった方が圧倒的に早く被害も少ないというのに
わざわざ綴守に戻すというのは、何か理由があるのだろう。
二人は走って綴守へと向かった。
正門から敷地内に入ると、けたたましい警報が鳴り続け、1階ロビーで集民が不安そうな顔をしてうろうろしていた。
沙希の姿を見つけ、息を切らした篠之留が近づいてくる。

 


「赤畿が大量の十杜と鬼妖を引き連れて綴守に向かっているが、賢者殿が招き入れろと言ってる。」

 


考仁は眉根をぐっと寄せたが、沙希は表情一つ乱さず肩で息をする篠之留の、丸眼鏡の奥に潜む焦りを感じていた。


「裏門の結界を一時的に解くよう言われた。」
「隊員の命を晒せと?」
「一般集民含め全て建物内に避難させ結界を張り直す。廊下に人形を作ってクイーンが幻覚を使う。
例え十杜でも、噛みつくのがただの偽物だと気づかない。一時的にならだませるだろう。被害は建物だけだ。」
「そんな芝居まで打つ理由は?」
「赤畿の吉良と話がしたいらしい。」
「危険過ぎる。此処には―」


沙希は篠之留の向こうで高井研究員と話している真人を見つけた。
赤畿が血まなこになって探しているサカキが人の形をしていて、それが綴守にいると気づいていない。
彼らはまだ樹木を探している。
赤畿がサカキを手にしたとしても、シンがすぐ目覚めることはないだろうが、何が起こるかわかったものじゃない。
沙希の胸に不安ばかり広がる。
大事な物をしまって鍵をかけたとて、柵はしまった箱ごと奪い去ってしまうのだ。
真人が顔を上げ、沙希と目が合った。
指先が僅かに震えた。
子供の頃と違って、今真人は目覚め、すぐそこに・・・手を伸ばせば簡単に触れられる場所にいる。
守らねばならない―
篠之留に目線を戻す。

 

「綴守と真人をお願いします。私たちは気取られないように鬼妖退治に出ます。」
「マズイときは転移させるから、そのつもりで。」
「はい。」

 


綴守には篠之留も瑛人もいる。此処はどこよりも安全なはず。
胸にわずかな染みとなって現れた不安を見ないようにして、再び正門から外に出た。
鬼妖目撃情報があった12階層に上る。

 

「クロガネさんが言っていたこと、本当だったわね。」
「鬼妖を操れるというやつか。鬼妖が人間になったというのは信じがたいがな。」

 


沙希は刀を、考仁は拳を振るいながら鬼妖と戦う。
暴れているのは、普通の<シンジュ>石を持つ人間では倒すことが出来ない化け物だ。
巨体のわりに動きは早く、力は強い。皮膚は硬いため力が通りずらい。
二人は当たり前のようにただ敵を倒していた。
沙希は自分の力で作った疑似刀を振るい鬼妖の右腕を落とし、考仁が青い光を蓄えた拳をみぞおちにたたき込む。
喉の奥から野太い声を漏らした鬼妖は、体の色素を失い灰色になってから、粉々に砕けていった。
積み重なった灰色の山を確認する前に、次の鬼妖が突進してくる。
地面を蹴って宙に逃げてから、軽業師のように身をくねらせ、背後に回り着地しながら背中を切りつける。
気持ちが上の空だったせいで傷が浅い。鬼妖が振り向き様に拳を振らせてくるも、沙希の頭上に落ちる前に灰になって崩れた。
巨体が落ち辺りを見回す考仁が隣に立つ。

 


「この辺りの個体は狩ったな。あとは―」

 


その時。
地面を下から強く突き上げるような衝撃が襲い、二人は立って居られず地面に手をついた。
視界が激しく揺さぶられ何も判断出来ない。
無意識に沙希が力を放出するも、集中出来ず形にならない青い粒子が飛ぶだけになってしまう。
それが何秒だったのか、それとも何分だったのか。
体感ではかなり長い時間揺れが続き、やっと揺れが弱くなった時には三半規管が機能を停止しておりかなり酔ってしまっていた。
頭を抑えながら辺りを見渡すと、塗装された壁に亀裂が入り、所々天井が崩れ、割れた電球がいくつか確認出来る。
落ちたサングラスをかけ直した考仁が、疲れた声を出した。

 


「何事だ。」
「シンが起きかけてるのよ・・・。」


震える足で無理矢理立ち上がった時、二人を呼ぶ声がした。
顔を向けると、長いくすんだ金色の髪を三つ編みにした長身の女性がこちらに走ってきていた。
黒いロングスカートに、白いエプロンを揺らし、大人しそうな垂れ目の緑眼は焦燥の色を宿していた。
彼女を見て、沙希が珍しく声を荒げる。

 


「茜音、どうして此処にいるの!?真人は?」
「申し訳ございません。選定者が真人様に接触したのを確認した直後、飛ばされました。」
「あの双子・・・!」

 


沙希が奥歯を噛み締める。地震でどこか遠くで崩壊の音がした。
塗装や補強がされていない天然の通路の多くは潰れただろう。


「茜音、すぐに綴守に戻りなさい。枇居名の貴方が無事ということは、真人も無事なはず。出来れば瑛人を見張っていて欲しい。
考仁は先回りして金糸雀へ。事が起きたらすぐ辻浪さんに物資援助の話しを取り付けてきて。

瑛人とは常に通話を繋いでおいて欲しい。」
「お前はどうするつもりだ。」
「イツキさんが呼んでる。」

 

沙希の輪郭が白くぼやけ体が空気に溶けていく中、黒い瞳が怒りに燃えていたのを考仁は確認したが
後を追うことは不可能だった。
沙希の体は遠く離れているはずの綴守の地下、樹木スペースの天井に投げ出された。
眼下で揺れる樹木の葉と、中央にいる金髪の男が取り出した鋭利なひらめきに、一瞬で状況を理解し
空中で落ちながら沙希は手に疑似刀を作り出し大きく振り下ろした。

 

 

 

 

 

 


「似てるだなんだと言っておいて、貴方だけ逃げるつもりね。」

 

そう吐き捨てるように向けた言葉を、吉良に届いたどうかはわからない。
闇の中に綺麗に金糸の髪は溶けて消えてしまった。
全身が震えていた。おそらくこれは怒りに支配されていたせいだ。
浅い呼吸を整えて刀を握りしめていた指の力をゆっくり抜いてやる。指先はガチガチに固まっていた。
彼は全て知っていた。私が目を背けていたもの全てを。
それらを真っ直ぐ提示されたのが怖かったし、必死で頑張ってきた努力を一瞬で怖そうとする姿勢が腹立たしかった。
けど、こうなると私自身が気づいていたと見せつけられたのが悔しかったのだ。
真人をどれだけ遠ざけても、運命とやらは必ず真人を呼ぶと知っていた。
吉良もまた、運命によって動かされた哀れな駒であったのだろう。私と同じように。
戦闘の途中で司令室と繋がっているイヤホンを落としてしまったので、ズボンのポケットから携帯電話を取りだした。
瑛人に聞くと、真人は双子と会った後、赤畿幹部の男に連れ去られて行方が掴めないとのことだった。
瑛人の声は異常な程落ち着いていて、服の下に有る皮膚に鳥肌が走った。
私もすぐ探し出す、と言い残して通話を切った。
この天御影には、数多ものカメラや赤外線センサーが設置され、そのほとんどを綴守の管理局が監視している。
十杜によって壊されたり、人が入り込まない天然通路にまで眼は届かないにしろ
足取りはどこかで掴めるはずなのだ。
普通の人間なら。
真人は普通でもなければ人間とは別の存在だ。
監視システムも赤外線センサーも、人間の体内にある<シンジュ>石から発せられる微弱な電波を探知している仕組みだ。
発現させていようがなかろうが関係なく、人間には絶対的に存在する器官。
静脈センサーよりも確実で、個人を特定するのに最適な部位である。
地上世界でもこのシステムを利用していた。もちろん、地上人は<シンジュ>石のことを知らせてないので
静脈センサーであると偽っては居るが。
<シンジュ>石がない帝一族の血族は、このシステムに適応出来ない。
地上ではそのせいでずいぶん不自由な生活をしたに違いない。
沙希は右手を挙げて、手の平を見ながら青い粒子を放出させる。
システムに頼れないなら、自分の力に頼るしかない。
この力は、ヒモロギである彼を守るためにある。きっと導いてくれるだろう。
手から水のように次々湧き出すぼんやりと青白い光で闇から切り取られる感覚。
冷たくも暖かくもない灯りを見ていると、頭がどんどんすっきりしてくる。
ふと視線を感じて、首を右に回した。

沙希の手の平にある灯りと全く同じ色合いの光があった。
それは光ではなく、人型の何かだった。人では無い。
何枚も布を重ねた重厚そうな衣服を纏い、黒く艶のある長い髪を背中に流している。
人では無い人型の何かが内側から青白く光っていた。零鬼でもない。
手を下ろして向き合うように数歩進む。
凜々しい眉の下にある瞳は力強くも慈悲深い柔らかさを感じて警戒心は一切持てなかった。
薄い唇の端をほんのりつり上げて、微笑んでいる。
男か女かもわからない。ただ上品な美しさと生まれ持った気品が備わっていた。
私はこの人を知っている。
自然とそんな気になる。
青白い光が、黄色く暖かい色に変わった。肩から袖にかけて曖昧だった輪郭がだんだんとハッキリ写るようになる。
目の前の人物はただ微笑んでいた。
口を開いて話し出すということはなかった。
沙希も黙っていた。
やがてそっと右腕を上げる。長く幾重にも重なる袖から、白く美しい手が現れ、細く綺麗な指で沙希を指さした後
自分の胸の上に手の平を置いて、目を閉じた。微笑みはそのままに。
胸の内から何かが叩いてきた。戸を叩くように、乱暴に。
一瞬息が詰まり、体の力が抜けかけたのを堪えて2本の足で立ち続ける。
沙希の意思とは違うところで、何者かが嘆いている。

 


「真人のところへ、行かなくちゃ。」

 


無意識に口の端から言葉が漏れたとき、目の前にいた人物は消えていた。
闇が落ちる通路で踵を返して走り出した。
まだ完全に目覚めてはないが、真人が力を使ったせいで居場所がバレた。
連れ去れれるわけにはいかないのだ。
まだ、まだその時では無い。
白いマフラーの端が踊るのも気にせず、沙希はただ走り続けた。

 

 

 


 

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