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神宿りの木    沙希編 7

 

地上から虚の内部へと流れ込む強めの風が、マフラーを踊らせた。
大切なマフラーが離れぬように、口元へたぐり寄せる。

 

「二人は?」
「自室だ。今日は一緒に夕飯を作ると言っていた。」
「素敵ね。きっと考仁の分も作って待ってるわ。」
「瑛人はいつだってお前の分も作って待ってるぞ。」
「行ったら、戻れなくなりそうで。」
「安心しろ。俺は此処にいる。朝から胸騒ぎがするのだろう?」
「うん。」

 


壁沿いに取り付けてある螺旋階段の中程で、眼下で蠢くそれらを見下ろす。
感情もなく、右手に刀を作った。
刀は、祖父の和室に飾られていた骨董品をそっくりそのまま真似た。
祖母はそんな野蛮な武器、と嫌がったが、初めて目にしたとき、コレだと確信した。
私には守る力がある。もう二度と失わないよう強くなればいいのだと気づけたのだ。
幸いにして、私には生まれながらその力が備わっていた。
左手で握るマフラーも、地下は寒かろうと祖父が譲ってくれたものだ。
沙希には長すぎるわね、と叔母が長さを調節してくれた。
血の繋がった家族とも、血の繋がらぬ兄弟との絆も、確かに此処にあるのだと安心出来る。
命が軽い天御影において、私は恵まれている。
――気配を感じて、目線だけ右を向いた。


「こんなところで黄昏れているとは、余裕だな。剣の御子。」


階段の踊り場で、仲良く手を繋いだ双子の子供が立っていた。
右手に持っていた疑似刀が勝手に具現化を解かれ、青い粒子に戻されてしまった。
右側にいる女の子がニヤリと口元を歪ませた。左側の男の子は反対に悲しげな眼で俯く。

 


「明日は神眠りの日だ。その前に神籬様には禊ぎを行ってもらうべく迎えに来た。結界をほどけ。」
「お前が決めることではない。」
「守護役でしかない御子よりは適役であろう。」

 


女の子は生き生きと話しだす。
沙希は目を細めて女の子の方を睨みつけた。

 


「選定者とあろう者が、柵に囚われるとは情けないな。シキ。」

 


双子の後ろに移動していた考仁が、男の子の方だけを抱えて後ろに下がった。
一緒にいるときは必ず結んでいた手が離れる瞬間、言葉を詰まらせ悲痛な目をユキがしていたのを、シキは見ようともしなかった。
シキは強気な態度を止めない。

 

「勘違いするな剣の御子。我らは神の器たる帝一族を見定める。
人間の味方になったこともなければ、神々の傀儡というわけでもない。
もちろん、黄泉の王の使いというわけではない。脈々と受け継がれたお役目を機械的に実行しているだけのシステムだ。」
「そのシステムを作った者の名を忘れたか。創造主の名を言ってみろ。」

 


沙希の冷たい刃のような問いかけに、シキの笑みがパタリと止み、目を見開いたまま固まってしまった。
柵に囚われたせいで、忘れてしまったのだ。
自分が誰なのか。誰によって生み出されたのか。
長い長い、永劫のような時間の中で、始まりの姿から遠く離れお役目すら忘れたことを悟ったようだ。
自分がもう暴走するしかない、糸が切れた絡繰り人形だと理解してしまえば、その小さな胸に広がるのは拒絶だ。
いつから狂ってしまったのか。いつ柵に絡め取られたのか。
神の使いとしては実に滑稽で、哀れな結末であろう。
シキの小さな肩が震えだし、やがて全身激しく痙攣し出す。

 

「お前の名は歪んでいる。」

 

沙希が追い打ちを掛けると、幼い少女から発せられたとは信じがたい絶望のこもった悲鳴を上げながら
後ろに大きく仰け反りながら、膝をついて倒れ頭も床に打ち付ける。
ひっくり返ったことでユキの方を見たが、彼は考仁のコートを握って顔を背けていた。
ぎゅっと目をつむり、見ないことがせめてもの情けだと言いたげに。もしくは、片割れの墜ちた姿を目に留めたくなかったのかもしれない。
少女の体に切れ目が走り、そのまま縦半分に割れ、中から黒い靄が噴き出した。
空気が抜けた風船のように少女の体がしぼみ、そこに残ったのは黒い靄だけだったが、青い粒子を纏わせた沙希の疑似刀に斬られ空気に消えた。
気配が消えてから、ユキが目を開けて顔を上げた。

 


「手間をかけさせました、剣の御子。」
「神の鎮座、直会の場として君臨していたあなたたちが穢されるなんてね。」
「元を辿れば、僕の地で穂が取れなかった場合の保険でしたから、彼女は。」
「身代わり?」
「初めは。今となっては、一心同体でした。神と帝一族を繋ぐお役目は、やはり黄泉の王によって奪われました。
僕らのように、お役目を失った氏神や付喪神は山ほどいましたが、ほとんどが消えました。」
「あなたはどうするの、ユキ。」
「幸い、僕の力はまだ残っています。神籬の守りに徹しましょう。」


考仁の腕の中から、ユキの姿が陽炎のように揺らぎ消えていく。
途端、足下の十杜達が一斉に鳴きだした。
滅多に声を上げぬ彼らの怒りに似た木霊が、束となって円柱の壁を反射し左右から音圧がかかってくる。
光を嫌う十杜とエキが壁を伝い昇ってくるというようなことはないだろうが、異様なのは変わらない。
考仁が叫んだ。

 


「上だ!!」

 


反射で振り上げた刀が甲高い金属音を奏でた。重みで腕に痺れが走る。
黒いフードを目深にかぶった人物が空から落ちながら、沙希に一撃を振り下ろしてきたのだ。
疑似刀の刃に合わさっているのも、また刀の刃であった。
不意打ちの一撃を防がれたことは大して気にしてない様子で、あっさり沙希から離れ後ろに弧を描きながら大きく飛ぶ。
二人がいる螺旋階段の廊下部分とは対面となる壁まで大きく飛んだ黒コートを纏う人物は、細い手すりの上に器用に乗った。
軽業師のように体重を感じさせない機敏で猫のような動きで、そのまま手すりの上で膝を立て座る。
細身の男性であることは判明するが、顔は見えないため年代もわからない。
男がぶらりと下げた手の中にある刀に、見覚えがある気がして一歩沙希が踏み出した時、また地面が揺れた。
立っていられるぐらいの揺れだったが、虚の底で蠢く十杜とエキ達が再びざわめく。
揺れる視界で先ほどのフード男を捜すが、手すりの上からいなくなっていた。
首を回して辺りを確かめるが、いつもなら数秒で収まる地震が全く収まらず視界が安定しない。
左上から気配がして刀を振り上げると、目の前にいたはずの黒コートの男が真横から攻撃をしかけてきた。
地震が無かったとしても、気配を読めていたかは微妙だ。
足下が不安定なせいで体重が乗った重い一撃に耐えられず、膝が床に付きそうになる。
崩れる沙希を、考仁が青く光る拳で助ける。
フードの男の腹部に素早く一撃を打ち込んだが、考仁の顔面に、懐から出した黒い何かを吹き付けてきた。
滅多に声を上げぬ考仁が低く短く声を漏らし、その場に両膝をついて倒れ込む。
今度は沙希がカバーに入り刀で横に一閃すると、フードの男は再び高く飛び退いて視界から消えた。

 


「考仁っ、」
「・・・問題ない。」


考仁の顔面に纏わりついていた黒いモヤのようなものは、考仁が扱う青い光に一気に焼かれ綺麗に消えた。
しかし、前髪の下で額に汗をかき、分厚いサングラスの奥にある眉がぐっと寄っている。

 


「今のは穢れだ。」
「シキの中にいた穢れ?」
「同一ではないが、同種であるとも言える。おかげで篠之留さんの結界に穴が開いたのを感じた。悪いものが全て寄ってくるぞ。」
「あの人は私がやる。考仁は応援を呼んで警戒を。他の虚も異変があるかもしれない。」
「だが、」
「嫌な予感がする。真人を優先して。」

 


数秒思案した考仁だが、彼も予感はしているのだろう。立ち上がり走り出す。
気をつけろとの言葉に小さく頷いて、駆ける考仁の背中を守るように体の周りに粒子をわざと飛ばしながら辺りを睨みつける。
足の裏にずっと感じている揺れは未だ細かく続いている。
こんなに長い揺れは天御影で生きてきて初めてだ。
胸騒ぎが止まらない。
湧き上がり喉元を焼こうとする焦りと不安を必死に押しとどめる。
帝一族が始まった当初から存在したとされる選定者が消えた時点で、もう異常事態なのだ。
それに加え、最悪のタイミングで現れた見知らぬ敵。
体が覚えている。あの敵は厄介だ。
気づいたら、再び対面する手すりの上に男が立っていた。
唯一見える口元が、こちらを見下ろしてあざ笑っている。
男が右手に握る刀は、沙希の握る疑似刀より刀身が長く太く、柄は赤い。
体勢を整えようと左足を前に出したのと同時、目の前に男が迫ってきていた。
ほぼ筋肉の反射で刀を鼻先で構えたが、勢いと体重が乗った一撃に全身が押され足を床に付けたまま後退する。
背面の壁に背中が付く寸前に刀に最大火力の粒子を纏わせる。
爆風、とまでは行かないが湧き上がる気の流れが風となり男のフードを背中に落とした。
ハッと息を飲み僅かに刀を握る指先から力が抜けてしまった。
背中が壁に強く打ち付けられ、背筋に走った痛みが脳天を抜ける。
敵対する男がさらに口角を上げ、合わさる刀に体重を乗せ押しつぶそうとしてきた。
すぐに頭を切り替えて、中腰になりながら右足を踏み出し体重を移動させつつ腕の筋肉で刃を押し返す。
全て返す事は叶わずとも、僅かに壁との隙間が空いたことで肢体と手首をひねり相手の刀を落とした。
男の右側に避け、切っ先を上に向けていた刀を下から上に振り上げる。
沙希がしたのと同じ身のひねりで一撃を避けた男と、間近で睨み合う。
いや、男はずっと笑っていた。
冷たい笑いを浮かべながら、金糸のように繊細な前髪が揺れる。
青玉より僅かに薄い水色の瞳が愉快そうに細くなったが、右の瞳は黒い眼帯に隠されていた。
僅か数秒の睨み合いが1分にも感じられた。
胸の中に僅かな違和感を感じて、沙希から距離を開ける。

 

「火事で死んだと聞いたけど、生きてたのね。」
「実に絶妙な質問だね、沙希。定義を考えると、とても答えにくいよ。」

 

返しの声も言い方も懐かしささえ感じるのに、この違和感は何なのだろう。

 

「どうして今になって戻ってきたの。貴方はクイーンとの取引で神門の鍵を戻し、赤畿の集落を焼いて自分も自殺したはず。まだ何かやることがあるの?逃げたいって言ってたじゃない。」
「待って待って。それはボクの知らない話だ。」

 

肩をすぼめながらわざとらしく首を横に振る。
そういえば、以前の彼は常に白いシャツとズボンがお決まりであった。
近所をちょっと散歩するような格好で、どこにいてもひょいと現れたものだ。
目の前にいる男は、黒い外套に黒いTシャツ。だぼっとしたカーキ色のパンツ。
丈の短い黒手袋も、黒い眼帯も以前はしてないなかった。
まるで、これから戦う気満々だと服装からも物語っている。
沙希と刀を合わせた時だって、チャンバラごっこを楽しむ子供の延長線のような手合わせだった。
なぜなら、彼はいつも本気を出してなんかいなかった。
やれと言われていたから、なんとなく戦っていたと何度も絡まれ手合わせした沙希は理解している。
彼は、吉良斗紀弥は―――

 

「君が知る吉良斗紀弥は死んでいる。これは確実に起こった現実であり、紛れもなく揺るぎない事実。
ああ、回りくどい変な言葉回しですまないね。まだ他人と話すのは慣れていないんだ。
なにせ、生み出されてまだ3時間しか経っていない。」
「貴方は、何者なの。」
「ボクは―」

 


言葉の途中で、大きく一歩を踏み出しいきなり振り下ろされた一撃を刀で防ぐ。
刃が合わさる甲高い金属音が虚の中で反響する。
足下で泣きわめく十杜の大合唱が合わさって、無意識に背筋が震えた。

 

「ボクは吉良斗紀弥のデータを復元しただけのコピーだよ。
吉良斗紀弥が作り上げた人間に限りなく近づいた思考、知識、そして処理能力。
ついでに身体能力も受け継いだが、本物の彼が何を想い何を狙ってたかまでは知らないね。
最後に創造主を裏切るに至った理由を、ボクの脳みそでは理解することが出来ない。
コレは遺伝という人間特有の生産性を繰り返したからこそ出来た進化の一途をボクが踏まえてない証拠さ。」
「つまり、姿形が同じ他人ということね。」
「すばらしい!簡潔にまとめてくれて助かるよ。実にわかりやすい。スマートというやつだね。」
「誰が貴方を作ったの。」
「決まってるじゃないか。」

 


沙希が反応出来ないスピードで腕を引いた彼は、そのまま切っ先を真っ直ぐ沙希の胸に突き刺した。

 

「ボクはただ、シンが命じるがままに動く人形。またよろしくね、沙希」

 

その言い方も笑い方も限りなく本人であるのに、細まる目元が彼ではないと断言していた。
以前の彼には無かった他者を完全に拒絶する色味と、蔑むような野蛮さ。
瞳の奥と言葉の節々に底知れぬ悲しみと孤独を持ち合わせていたのに、今はそれが一片も感じられない。
一度死んだはずの命を、何故シンが再び求めたのか。
それほど吉良斗紀弥が握っていた何かは重要だったのだろうか。
彼は一族もシンも裏切り、最後に人間の語り継ぎを一つにまとめた本を託してくれたのだ。
裏切り者に対する侮辱にしては、やり過ぎだ。
人道も神道も踏み外した許されぬ所業をどう扱っていいか、沙希には判断出来なかった。
今目の前にいる男に、欲しかった答えを問うても意味がないということだけは、痛いほど理解した。
遠慮も気遣いもなく刀が沙希の体から抜かれたが、噴き出したのは鮮血ではなく、青い粒子だった。

 

「御子を殺すのは難儀しそうだね。」
「貴方は、何をするために作られたの。」
「それはもちろん、シンを助けるためさ。」


その時。
地面が突き上げるように縦に激しく揺れた。
目に映る景色が全て歪み輪郭は剥がれ重力が上に下に入れ替わる。
自分が立って居るのかどうかもわからなくなる。
轟音が湾曲しながら耳に届き、崩壊と悲鳴が合わさって歪んだ曲が爆音で奏でられている。
空気が体を押しつけ頭を地面にこすりつけられている。
わずかな抵抗すら許されない。
この揺れの前で人間は無力であった。
絶対的な力を前に、沙希は理解した。

 

 


明日は神眠りの日である。
つまり、真人の誕生日だ。

お役目を担う可能性がある神籬が必ず生まれる日。
シンビトの力を全て宿すことが出来る器は、その魂をすくい上げた瞬間神の御許に帰還すると予言されてきた。
だが一度たりとも神は神籬を迎えに来なかった。
先祖達はその日が来ないことに願いを込め、神眠りの日と名付けた。
だが、たった一度だけ。
人類最期となるその日は、名称が変わるだろうと言われている。
神が降りる日。
神籬に宿ったシンビトの魂を神が抱き、天に帰ると言われている。


そのチャンスを、見逃すわけがないのだ。
この日を人間は避け続けていたが、彼の神達は待ち望んでいた。
長い長い、人間には想像すら出来ない年月の間、ずっと。

収まらぬ縦揺れの中で、沙希は目を瞑り拳を握りしめた。
涙を流しながら小さく言葉にせざるをえなかった。

シンが目覚めた、と。

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