top of page

神宿りの木    真人編 5

 

自力で綴守の最下層から戻って来た真人は、普段のトレーニングより疲れた体を引きずって。3階の自室に戻った。

結局左京には立ち入り禁止エリアのことは他言無用で、賢者殿が呼べば自分が声を掛けるから勝手に行くなと釘を刺された。

真人としては、見知らぬ子供達に引きずられた被害者だと思うのだが、強く拒絶しなかった自分もわるいか、と納得する。
靴箱の上に鍵をほおって、すっかり慣れた自分専用のリビングに入った。
一歩足を踏み入れた途端、真人の口元に生暖かい何かに覆われ、喉元に冷たいものが当てられた。

気づいた時には左手は背中に回され、動きを封じられた。


「動くな。」


男の声と、冷たい感触に背筋が震えた。見えてないのに、喉元に当てられたのが刃であると検討がついてしまう。
声を上げたら殺すと脅された後に口元を押さえていた手が下ろされ、細く息を吐く。


「サカキはどこだ。」

男の顔は見えないが、真人はその質問で背後にいるのが捕獲した赤畿幹部の男だとすぐに理解した。
サカキを知っている人間は、恐らく一握り。必死に探しているのは赤畿の人間しかいない。

真人は冷静に策はないかと頭を働かせる。


「僕は何も知らない。」
「嘘をつくな。お前が星読みの巫女に何か言われたのを見ている。俺が何のためにわざと捕まったと思ってる。」

―僕に接触するためにわざと捕まったのか。
言われれば、確かに事が順調過ぎた。総隊長が強いから疑問もわかなかったが、
今まで誰一人捕まえられなかった幹部級にしては簡単過ぎたのかもしれない。


「さっさと教えろ。時間がないんだ。指を一本ずつそぎ落としてもいいんだぞ。」
「僕は知らない。」
「・・・話したくなるようにしてやる。」

 


男が刃を真人の喉から離した一瞬の隙を察して、拘束している腕を弾いて抜け出した。
身を低くして向きを変えてから、藤堂に習った護身術で関節を狙うが
気づいた時にはベッドに倒され、男がのし掛かり真人の首を押さえる。
目の前にハッキリと、冷たく鈍く光る刃を見せつけられた。
フードを被っていない男の顔を、間近で見上げた、
雪のような白い髪に、紫の瞳が放つ儚げな美しさがありながらも、双眸に宿る恨み辛みが激しい葛藤を起こしている。
男は、苦しそうに肩で息をしていた。元々色白の顔なおだろうが、どこか調子が悪そうに見える。
覆い被さる男は、苦しげに肩で息をしながらも、双眸に迫力を込めナイフの切っ先を真人の眉間に向ける。
紫色の中に僅かに青いグラデーションが光る瞳は実に綺麗だが、欲しい答えを与えなければベッドが血だらけになるだろう。
それだけじゃない。サカキの場所が分かるまで、綴守の人達が傷つけられるかもしれない。

 


「サカキの場所を教えたら、綴守から出て行くのか。他の人達を傷つけるなら―」
「無駄な殺しはしない。お前が話せば脱獄がバレる前に去ることが出来るんだ。追っ手がくれば対処するぞ、俺は。」
「・・・星読みの巫女の家の庭だ。あそこに埋まっている。」
「嘘なら、再び戻って此処の人間を殺すぞ。」
「僕が案内する。見つからなかったらそこで殺せばいい。」

 


真人も強い決意を持って男の目を見返した。

これは無謀な賭けだと頭の中で警鐘が鳴って、発言を後悔するも、もう遅い。

赤畿幹部をみすみす見逃すわけにもいかないし、綴守の人達を危険にさらすわけにもいかない。
数秒思案した男は。真人の肩を掴んで立たせると背中に下ろしていたフードを目深く被った。


「外まで案内しろ。おかしな行動を取ればお前を殺し、此処の人間も殺す。」
「・・・わかってるよ。」

「通信機器も此処に置いていけ。GPSが入ってるだろ。」

男はナイフの刃を出したままトレーナーのポケットにしまった。
真人はポケットに入っている携帯電話をベッドサイドに置いた。

佇まいを直して、男に急かされ自室から出た。鍵はわざと掛けなかった。きっと、戻ってこれる確率は低いだろう。
鬼妖騒ぎで一般集民は自室待機となっているため、人の気配はあっても廊下に人影はなかった。
無駄な騒ぎにならなくてすみそうだと安堵の息を漏らし、真人が先頭になって居住区を抜ける。

無言の圧を背中から感じるが、男は大人しく真人の後に付いてくる。
綴守内部には警備目的で巡回している見張りが数人いるだけで、普段の賑やかさはなく、綴守は静まりかえっている。

実行部隊員である真人が外に出ていても注意してくる人はいなかった。
渡り廊下を辿って階段を降りようとしたところで、真人は足を止めた。

後ろの男が急かしてくるが、真人は通路から見える木製の正門を見つめていた。

胸がざわつく。

「音がする・・・。」

 


真人のつぶやきを男が問いただしたとほぼ同時、爆音と衝撃が体を襲い、真人は咄嗟に頭を抱えしゃがみ込んだ。
何事かと立ち上がって辺りを確認する視界に入ってきたのは、正門の扉が割かれ中央に大きな穴が開いている光景だった。
厚みが3mはあるはずの木製の扉は、綴守の絶対防御だったはずだ。
緊急事態以外では決して開かれず、十杜でずら破れないはずの扉が、外側から破られ、穴から大量の十杜やエキがなだれ込んできた。

正門に辿り着く前には、十杜が突破出来ないように電気が走った金網フェンスが守っていたはず。

それすら突破されたというのか。

絶え間なく流れ込んでくる黒い生き物の並に、1階にいた見張りの隊員が次々飲まれていく。

群がる十杜達の活気の良さから、救出は不可能であろう。きっと喜んで血肉を貪りついている。
即座に耳を塞ぎたくなるような爆音で警報が鳴り響き、一般集民に外に出ないようアナウンスが始まった。
正門に開いた穴から、十杜と共に人が入ってきた。
首元にファーを巻いた艶やかな女性と、ミルクティー色の髪をした男性―赤畿のリーダーだった。

何故か十杜もエキも赤畿の二人には見向きもしない。

綴守内部に見事侵入した吉良は満悦そうな笑みを浮かべて内部を見渡すと、

3階の廊下で手すりから身を乗り出している真人を見つけて、にやりと綺麗に笑って見せた。
何かを叫ぼうとした真人の襟元が力一杯引かれ、男が真人を引きずりながら廊下を歩く。


「待て!これはどういうことだ。赤畿は何をしている、お前も知っているのか!?」
「・・・うるさい、黙れ。主力が戻ってくる前に外に出るぞ。」



十杜とエキは荒れ狂う洪水の水のように綴守の中に入り込み、人の気配を探して必死に駆け回っている。
逃げ遅れた隊員やたまたま顔を出していた研究員、指示を聞かず買い物に出ていた集民が次々襲われ黒い塊に食われていく。

十杜は重力を無視して壁を伝い、上階にも上ってきたが、真人と男は目に入らないのか、綺麗に避けていく。
襲われることもなく、階段を駆け下りると突破された門の反対側にある裏門への通行口に辿り着く。
男が通行口に手を掛ける直前に、二人の周りを青い炎が囲んだ。
<シンジュ>で産み出した炎なのか熱はないのだが、真人の背丈ぐらい高く登った炎は燃え盛る。
急に男が頭を抱えてうめき声を上げた。
喉からか細い絶叫を漏らしながら、頭を抱えて蹲る。

フードが背中に落ちて、紫の瞳に溜まった涙が炎のぬらりとした明かりを反射した。
真人と男の間にも炎が走り、両断され真人は数歩後退した。
炎の圧が男を襲い、気絶した男が床に倒れたのだが、そこにいたのは膨らんだ尻尾を持つ、大きな白狐だった。
困惑した真人は、どうしていいか分からず呆然としながら、気配を感じて二階の廊下を見上げた。
2階廊下に、人影が見えた。十杜が壁を這い絶叫が木霊する喧噪を意を介さぬ様子でこちらを見下ろしている。
熱量はないはずの炎が描く陽炎で輪郭がぼやけるが、茶色の髪をした男性だとわかった。
もっとはっきり見ようと右に一歩ずれたところ、炎を飛び越えてきた白狐が真人の首根っこをを口で噛み
着地する前に真人ごとその場から消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 


気づいた時には、知らないどこかの通路に立っていた。
汚れた壁、明度が落ちた蛍光灯、悪臭。
ここは集の外だ。

綴守の裏門の近くにいた直後、何故外にいるのか全く理解出来ない。瞬間移動でもさせられたのだろうか。
視界の端で影が動いた気がして顔を向けると、白い狐が人間の姿に戻っており、ちょうど床に倒れるところだった。
額に脂汗がたまり、苦しげに浅い呼吸を繰り返している。
もう服のポケットにしまったナイフを握って脅すことは出来なさそうだ。
このまま逃げた方がいいのではないかという囁きが内から聞こえてくる。

此処がどこかはわからないが、綴守のピンチは目の当たりにした。自室に逃げた一般集民も、扉を破られれば無事では済まない。
今あの家には防御がないのだ。有能な隊員も出払っている。
――なぜ迷っているのだろう。この人は天御影にとっての敵だ。ナイフで脅された。
当然サカキの場所など知らないので、このまま適当な場所に連れて行っても殺されるだけだ。

此処に放っておいて綴守に戻るべきだろう。
しかし真人は男の横に膝をつき、ポケットからナイフを没収して、彼の額に手を当てる。
恐ろしく冷えていた。
男の眉間がぐっと寄った後、再び白狐の姿に変化したのだが、先程より二回り程小さくなって動かなくなった。
人が狐になる現象を真人は見たことなく戸惑っていると、遠くで雄叫びが聞こえた。
十杜のものだろうか。距離はかなり遠いが、光源があっても狭い通路だ。見つかれば厄介だ。
真人は白狐を抱えて走り出した。
十杜とエキだけじゃない。鬼妖という観たことのないバケモノも今はいるらしい。
自分の不運さと遭遇率の高さを考えればエンカウントしてしまう可能性しかない。
今は通信機もライトも、携帯すら持っていない。
入り組んだ天御影の通路を指示なしで帰れる可能性は低いが、どこかの集や見回り中の隊員と出会えればいい。
腕の中の狐は、表面は冷たいが、僅かに鼓動を感じる。狐もどうしたらいいかわからないので抱えるしかできない。
通路が終わり、広い空間に入った気配はしたのだが、光源が無くなり広がっているのは闇しかない。
地下に降りた初日に十杜に追われ駆け抜けた闇のことを思い出す。
雄叫びが近くなった気がする、背中から聞こえるため、進むしかなくなった。
今では十杜の攻撃が効かないとわかっているので、鬼妖とやらがいなければ闇も怖くないのだが。
意を決めて掛けだした。あまりスピードは出さず、壁や柱にぶつかって狐を潰さないように片腕を前に突き出しながら進んだ。
灰を被った感覚はないので、此処に十杜は潜んでいないようだ。
壁を見つけて、手で伝いながら進んでいく。今まで見てきた施設の作りならば、反対側に続く廊下への口があるはずだ。
自分の荒い呼吸と、心臓の音がうるさかった。熱いのに指先は緊張で冷たくなっていく。
気づけば、自制心を保っていられるのは白狐のおかげだと気づく。
自分を傷つけようとした敵だが、今は保護する小動物だ。
僕が守ってやらないと、十杜に食べられてしまうかもしれない。そんな気さえしてきた。

一体この生き物がなんなのかはわからないままだが。
突然斜め後ろから気配を感じた。
闇の中に赤い点が浮かぶ。それが十杜の赤い瞳だと気づいて身を捻って避けるが、

壁に添えていた手に灰が降りかかった感触がした。
来た。十杜だ。汗のにおいでバレてしまったのだろう。
壁に置いた手を離さないようにしながらスピードを上げるも、短い声の後にまた灰が降りかかり今度は服の中に入った。

不快感に襲われる。見えてないからこそ、迫る気配が恐ろしくもある。口に入らぬように頭をやや俯け、白狐を抱き寄せる。
壁が急に曲がる地点を見つけた。通路だ。どうにか人と巡り会わないかと走り続ける。
何度か灰を被る場面はあったが、群にはまだ気づかれてはいないようで、灰の雨は止み気配がなくなった。
安堵するも、光源がある場所に中々あたらない。コンクリートで作られているだけまだマシなのだろうが。
今自分が綴守に近づいているのか遠のいているのかもわからない。どうしたらいいのかも。
急激に不安に襲われる。
十杜の攻撃が効かずとも、このまま誰にも見つけられず地下で彷徨って、死ぬのだろうか。
天御影ならそれがありえると、まだ落ちて日の浅い真人も理解している。
土地勘のない人間が携帯も明かりもなく地下を彷徨うなど、自殺行為だ。
静寂がうるさかった。自分の心臓の音が全身を内側から叩いている。
闇の中を進むたび、なぜ自分は此処にいるのかという疑問がふつふつと浮かび上がってくる。
兄に会えるかもしれないという僅かな希望に縋ったのは事実だ。兄は交通事故で亡くなってるはずなのに。
納得せずに無謀なことをしたのは自分だ。
両親を悲しませてまで、やるべきだったのか。何日も戻らぬ息子に母さんは今頃発狂しているだろう。
―だが、何度繰り返しても、自分はあのマンホールを開けていただろう。それだけは確かだ。
後悔はしていない。兄はいる。きっといる。
そう思うと気持ちが落ち着いてきた。
片腕で抱えている白狐が、僅かに暖かくなってきた。鼓動も落ち着いてきた気がする。
左手で辿っていた道が終わった。空気が変わり、先程よりかなり広い場所に出たことを察した。
相変わらず明かりはないが。
ふと、抱えている白狐がほんのり光り出した。青白い光が毛皮の内側から灯っている。
何が起こったか戸惑っていると、前から気配を感じた。
十杜ではないとすぐにわかった。十杜は足の先に爪のようなものがついているので、コンクリートを擦ったような音がするのだ。
鬼妖とやらだったらマズイと、壁を慌てて左に曲がる。
気配はどんどん近づいてくる。すぐ灰が被らないあたり、十杜でもエキでもない。
突然身の危険を感じ足を止めた真人の目の前の壁が大きく凹んだ。
闇がさっと引いていき、右側に現われたぼんやりとした青白い光がどんどん光度を増し、久方ぶりに闇から真人を掬う。
そこに立っていたのは牛の頭部に人間の体がついた骨標本のような何かだった。
背丈は2m以上ある体は全て骨。骨であるのに肩幅がある体躯であったとわかり、大きな布をマントみたいに肩に引っかけ、
今し方壁を叩きつけた武器を長い腕で引き寄せる。背丈と同じぐらいの棒状の武器で、先端は銛のように2つに割れている。
空洞になっているはずの窪んだ目が、真人をじっと見つめていた。
マントを含め骨の体は全て青白く光っている。腕の中の白狐と同じように。
骨の標本は何も言わず何も音を立てずに、肘をそっと引き、真人に鋭い先端を持つ武器を突き刺してきた。
しゃがんで避けるも、砕かれた壁の破片が降りかかる。白狐を抱えて走り出したが、大きめに切り出された壁の破片に躓いてしまう。
狐を守って肩から倒れた拍子に、瓦礫が服を貫いて肉に刺さる感触がした。
血のにおいは一番まずい。十杜が集まる。だが、新たに現われた謎のバケモノをどうすればいいのか。
混乱し思考する真人が立ち上がるより早く、腕の中にいた白狐が起き上がり、骨に向かって威嚇の姿勢を見せた。
大きさは子犬並。威厳もなくなり、四本の足は無理矢理踏ん張っているのか震えている。
動く骨の標本が武器を投げつけてきたのが見え、発光を強める白狐に手を伸ばす。
と、左の闇から現われた何者かが骨の標本に拳を打ち込み、そのまま壁に叩きつけた。
たった一撃で骨は砕け、打たれた箇所から粉々になり床に崩れ、最後にマントが地面に落ちた。
現われたのは、先程の骨標本と同じぐらい背丈のある筋肉質な大男で、外套を纏っていた。
腰にぶら下げていた明かりが、額から右目にかけて走る傷を浮かび上がらせる。
太い眉や逞しい首、腕。背格好はまるで軍人だった。
何が起きたか分からない真人の前で、白狐が発光を止め倒れてしまった。


「あ、おい・・・!」
「九郎じゃないか。ずいぶん弱っているではないか。」


声はかなりの低音で淡々とした喋り方だが、言葉は重々しさと威厳の気配がある。

「クロウ?」
「お前も怪我をしているな。血のにおいで十杜が集まる。ついてこい。」
「あの・・・。どこの所属でしょうか。」
「俺は深梛には加入していない。六本鳶松(ろっぽんとびまつ)の久我だ。」

 

 

 

 


六本鳶松とは、移動民族と言われており、一族という繋がりは無いという。
特定の集を持たず、かといって十杜に狙われないように天御影を点々と移動する集団。
時折迷い人や集を失った浮浪者、親に捨てられた子供などを保護しては動いている。
一族の集まりである深梛には加入していないが、決して敵対しているわけでなく、同じ一族の集に送り届けたりもしてくれる。
歴史もまた古く、天地平定が起こった直後には存在していた集団だという。
彼らが今拠点を張っているのは、地下で“平原”と呼ばれている安置だった。
ただの平地のように見えて、通路が通っている場所より2段高く、水路が囲まれているため水を嫌う十杜は飛び越えてこない。
しかも、六本鳶松が独自に開発した十杜が嫌う音を出すスピーカーのようなものをテントの外側に設置しているらしい。
人間には聞こえない周波なので害はない。
怪我の手当を受け、用意してもらった桶で体にまとった灰を拭かせてもらった真人は、すっきりした状態で外に出た。
一人用の小さなテントから大人数用のオレンジのテントまで、色とりどりのテントが並び、
火を焚いた場所で料理をしたり、編み物をしたり、子供が駆け回ったりしている。
集でもないただの空間で、十杜が当たり前に付近でうろついている場所の光景とは思えなかった。
平原の天井には裸電球がぶら下がっており、テント横のランタンもあって辺りはかなり明るく感じた。
一番端に設置された、一番古そうでかつ歴史がありそうな深緑色のテントに近づいた。
先程真人を助けてくれた大男が、たき火をつついて大きくしていた。
真人に気づいた彼は、横に長く低いベンチを進める。礼を言って火の前で暖まる。


「綴守には連絡したが、やはり混乱の只中だ。」
「皆無事ですか?」
「わからん。ただ、外に出ていた実行部隊がすぐとんぼ返りして上手く防いでいる。
赤畿は追い出し、民も上手く地下に誘導していると高井が言っていた。心配していたぞ。」
「高井さんをご存じなんですね。」
「色々あってな。」
「さっきの、骨みたいなやつは何ですか?」
「悪鬼だ。」
「零鬼の仲間、ですか?」
「墜ちた零鬼そのものだ。零鬼は環境、人の思いの影響を受けやすい。魂そのものだからな。
先程のは死んだ人間の骨に取り憑いて無理矢理実体を得たのだろう。残滓に影響されて憎悪に膨れ、生き物を襲っていたのだろう。」


久我と名乗った大男は、六本鳶松の族長であると手当をしてくれた女性が言っていた。
族長は組織の長で、守りの要。テントで暮らす老若男女を、この人達を率いているという。

厳格そうな見た目をしているが、民には好かれ両目の奥には人情や慈愛などが見て取れる。

だが族長と呼ばれるには若すぎる気がする。今まで出会った集長達はみな高齢だったが、対面している彼は30代後半ぐらい。
久我は自分の後ろにあるテントをチラリと見た。


「九郎も零鬼だ。古い馴染みなんだが、何故か赤畿の肩入れを始め、人間と戦いだしたんでおかしいと思っていたんだ。
あれは魂を握られている。」
「魂を?」
「零鬼は実体を持たないが、神に魂を作られ存在している。人間でいうところの、腕か足を一本奪われた状態だ。
どうやったかは知らんが、吉良の奴が何かして、九郎を無理矢理服従させているんだろう。」
「だからあんなに苦しそうなんですか。」
「魂が欠けたままの零鬼が、不完全なまま漂うことは出来ない。形を作るだけでもやっとだろう。
あいつは気高い白狐だ。屈辱だったろうに。しばらく俺が預かる。綴守から連絡が来れば、お前も送ってやるから安心しろ。」



久我は子供達に呼ばれ、そちらに行ってしまった。火は小さなドラム缶の中で燃えているので放っておいても問題ないだろう。

真人は迷った後、テントの中に入った。
毛布が敷かれたテントの中央で、白狐が丸くなって眠っていた。
体はもう光ってないが、久我が治療してくれたのか、大きさは元に戻っていた。
真人がテントの中に入っても反応はなく、眠り続けている。
傍らに立って、そっと手を伸ばし体毛を撫でた、
白い毛は繊細で触ると柔らかかった。もっさりした尻尾は枕にしたら気持ちよく寝られそうだ。
この白狐がナイフを首元に押しつけてきた男と同一とは思えない。
しかも零鬼だったとは。

 


「君は、初めから誰かを傷つけるつもりなかったからなんだね。」


白狐の体が僅かに光った。今度は暖かな黄色い光が、テントの中に溢れた。光の中に白く細かい粒子も降り出して、そっと収束した。
今の現象は何だったのか。狐は眠ったままである。

先程より寝顔がリラックスして見えたので、真人はテントを出た。
久我はまだ戻ってなかったので、少しテントが張ってあるエリアを散歩することにした。
テントは左右にいくつも立てられており、この人数が一度に移動してる光景は想像が出来ない。
綴守の実行部隊のように戦える人がどれだけいるのだろう。
年齢層様々な女性達が料理を楽しそうに作り、子供達がおもちゃを手にして掛けている。
一人では何も出来ずべそをかいていた自分より、此処の人達は逞しくみえた。
自分では何も出来なかったし、綴守に戻ることも出来なかった。

たまたま敵を灰に出来る<シンジュ>が目覚めてくれただけで、自分はただの迷い人。
そもそもとして、日之郷でも自分は社会に適応出来なかった。
不自由な生活と、自由にならない時間から逃げ出したかっただけなんじゃないか。
兄さんを探したいだなんて大義名分を掲げて、逃げただけではないのか―。
兄さんにも両親にも申し訳なさ過ぎる。十杜にはらわたを引き裂かれても文句は言えないが
十杜は僕に噛みつくまえに灰になってしまうんだろう、などとくだらないことを考えて自分で呆れた。
一人用テントが密集した場所の横を通り過ぎようとしたとき、一人の老人が手を上げて真人を止めた。

腕や裾の短いズボンからのぞく足首はほぼ骨。僅かな肉と垂れた皮がついてるだけの腕は痩せ細り過ぎている印象を受けた、
老人の顔はシミと皺だらけ、長い髭は灰色と白が混ざって汚らしく手入れは一切されていなかった。
ただ、白濁し視線が交わらない目が、老人が物乞いではないと教えていた。
肺から漏れる頼りない音の後に、しがれた声が発せられた。


「お主、落ちた者か。」


迷い人のことだろうと、真人は頷いて老人と向き合った。
上げた腕は下ろされ、焦点が合っていないはずの白濁の瞳が、確実に真人の双眸を射貫いた。


「そうかぁ。そうか、そうじゃったのぉ・・・。」
「あの、僕に何か?」

 


一人で納得した声を漏らした老人は、皮しかない震える人差し指を真人に向けてきた。


「今代は神門を抜けねばならぬ。神眠りの日は変わるであろう。
見定めよ。お主は選ばれた見届け人。お主の血に問え。特に父親の血が濃いとみた。」
「父さんの?」
「運命の濁流に飲まれたのだ。数奇な血を持つ父を恨め。落ちた葉はもう戻らぬ。」
「僕の父さんは普通の大学教授です。」
「いやいやいや、いや。弟は陰の気が強い。だから兄じゃだめだった。」
「兄さん・・・。あの、占い師さんでしたら、僕の兄さんはどこに居るかわかりませんか。生きてますか。」
「見定めよ。お前は落ちるべくして落ちた。運命は手招きしておる。見定めよ・・・。」


最後の方の声はどんどんしぼんでいき、老人は目を開いたまま俯いて動かなくなってしまった。
兄について食い下がってみたが、何の反応もみせなくなってしまった。
予言めいたことを言われたが、痴呆症の老人による戯言かもしれない。
父は平凡で、息子が言ってはダメかもしれないが、何の取り柄もない古典学者だ。
見定めよと言われても、何を見たらいいのかさっぱりだ。
真人は動かない老人を残し、その場を立ち去った。
しばらくウロウロしていると、外套を纏った久我がやって来た。
手には旧式のトランシーバーを持っている。

 


「高井が司令室と繋いでくれた。綴守には戻らず、梔子の金糸雀に行けということだ。藤堂もいるから合流を―」
『久我さん、もう1つよろしいですか。』


トランシーバーから若い男性の声がした。
旧型なので音質は悪く、クリアな声とは言いづらいが、真人の全細胞がざわついた。
静かに湧き上がり、草原に吹き抜けた風で草の先が踊るように感情が絡まって交差する。
真人の様子には気づかず、久我が応答する。

「どうした。」
『場の混乱に乗じて、かどうかはわかりませんが、鬼妖も複数体登ってきているようです。
沙希と藤堂が2体倒したらしいですが、他にも目撃情報がきています。』
「わかった。処理したら報告を入れよう。」


お願いします、と通信は切れた。
トランシーバーを懐にしまった久我は、硬直して棒立ちしている真人に声を掛けるが、

呼吸すら忘れているようで、真人はしばし固まり続け、やがて顔を少しだけ上げた。

「あの・・・今の人は。」
「綴守の司令室長一ノ瀬だ。なんだ、知らなかったのか。」
「お名前は、何度か・・・。どういう、方ですか。」
「綴守創建に関わった一人だ。沙希と藤堂とも幼馴染みだ。」
「・・・なら、迷い人ってことは・・・。」
「ありえないな。あいつは生まれも育ちも天御影だ。」


そうだよな、と肩に張っていた力をゆっくり抜いて細く息を吐いていく。

体が反応したので、兄かと思った。もちろん、大人になった兄の声など知る由もないのだが。
それに、迷い人が天御影で偏見を受け悪待遇なのは身に染みてわかっている。
元迷い人が、司令室長になれるわけがない。


「どうした。」
「いえ、なんでもありません。すみません。」
「金糸雀まで送ろう。藤堂に話しもあるしな。」


連れてきた白狐はそのまま六本鳶松で休養させることとなり、久我の先導でさっそく移動をはじめた。
六本鳶松はしばらくあの平原で暮らすようだ。

資源が尽きそうになったり、十杜の動き次第では次の場所を求めて彷徨うのだという。
明かりがない通路に入るが、久我が手にしているランタンがやんわりとした明かりが闇から柔らかく救い出してくれた。


「ヤマトは相変わらず勝手にしているのか。」
「ヤマトともお知り合いですか?」
「あいつは元々捨て子でな。悪人に売り飛ばされていた所を助けて、六本鳶松で育てた。
戦闘向きの<シンジュ>石を活かせと綴守に預けたが、藤堂には苦労させた。」


あの目つきの悪い少年は最初こそ意地が悪いところがあったが、最近は仲良くやっていると思う。

「口は悪いですけど、面倒見がいいし、綴守の集民にも好かれてます。」


 

ならよかった、と小さく呟いた久我が、いきなり通路の左手側を押した。
変なところに扉があったらしく、開かれた先に広がっていた光景に真人は驚いて足を止め、まじまじと眺めてしまった。
扉の先にあったのは、円形の巨大な縦穴だった。
上を見ても下を見ても果ては見えず、ぐるりと円を描くように螺旋の階段が付属している。
光源が埋まっており、コンクリートで囲まれた筒の中は明るかった。
久我はランタンの明かりを消してから階段を降りていくので、慌てて後に続いた。

むき出しの外回廊は見た目よりしっかりしているが、眼下に闇が落ち底が見えない恐怖がある。

高所恐怖症の人間は拒絶反応を起こすだろう。


「此処は地下に3つある虚(うろ)と呼ばれる立坑だ。気圧を調整し、地上から空気を送って天御影全体に循環するために作られた。」
「ずっと疑問だったんですけど、地下の人達ってどうやって穴を掘ったりして道を広げたんです?
最初地下に落ちたのは1000年以上前だって聞きました。」
「ここまで発展したのは100年ぐらいだ。最初はシャベルなどの道具や<シンジュ>石持ちが穴を掘ったと聞いたが
十杜やエキが上に登るために作った天然の坑道も無数あったと聞く。

それから地上と取引や交流が盛んになると塗装工事が進んだ。この虚も手厚く作り直した。
これもまた人類が足掻いた故だろう。道は少々広げ過ぎだがな。それぞれの一族が好き勝手に伸ばしたせいで蟻の巣より複雑だ。」


低い声で物静かに話す大男の背中は、どこか安心出来た。
族長を務めているほどの人格者だからだろうか。
―いや、どことなく藤堂に似ているからかもしれない。
時折言葉を交わしながら階段を降り続け、変わらぬ光景に頭と目が混乱してきた辺りで、

久我が左手に現われた扉を開けた。再び薄暗い小道入り、久我がランタンを灯した。

だが小道はすぐに終わり、横に広いトンネルに出た。
日之郷にある車道用トンネルによく似ている。潰れた楕円のような形に、頭上に埋め込まれたライト。

人間が通るにしてはずいぶん広く大きく作ってあった。トラックぐらいなら余裕で通れそうだ。
丸型ライトの冷たい明かりが眩しいトンネルを進んでいくと、道の終点に辿り着き、両開きの大きな扉が鎮座していた。

扉の前に見張りらしき男性が2人、手に長銃を握っている。

警戒した様子を見せていたが、近づいてくる人影が久我だと気づくと、銃を下ろし会釈をしてきた。


「久我族長、お疲れ様です。」
「見張りご苦労。綴守の藤堂ははいるか。」
「はい、第一客室ッス。」

 


左にいた男が回れ右をして、扉を脇にあるタッチパネルそ操作した。
ドスン、という低い音がトンネル内に響いた後、扉が口を開いた。

その先にあったのは、トンネルより更に明るく清潔感のある廊下だった。

トンネルほどは広くないが、車2台なら余裕ですれ違えるだろう。

再びランタンをしまう久我に続いて中に入ると、背後から扉が閉じる音がした。

中には人の姿が往来しており、武装した男達が多うように見受けられる。緊張した面持ちで銃を手にしている若者もいれば

リラックスした様子で談笑する中年男性もいる。

久我が、此処が梔子の集・金糸雀だと教えてくれた。

梔子一族の集でも上位に入るほど大きく設備が整っており、天御影の物資振り分け、運搬を任されているとか。

先程のトンネルも、物資を各一族、各集に届けるための道路であるらしく、車ではないが荷車を使うとか。

天御影のシステムにはまだまだ驚かされる。

道は知っているらしい久我が廊下を進み、何度か角を曲がっていると、ちょうど部屋から出てきた藤堂と鉢合わせた。

久我の姿を確認すると、丁寧にお辞儀をしてみせた。


「ご足労おかけしました。わざわざ送り届けて頂いて。」
「お前と辻浪に話もあった。少しいいか。」

 


二人は揃ってどこかへ向かい、お前はこの部屋で待機してろと藤堂に言われて真人は一人残された。
見知らぬ場所で急に一人にされ心細さも感じながら、言われた通り扉を開けたところで、

廊下の向こうから歩いてきた誰かの声が届いた。

「あいつだよ、あいつー。地上人のくせに優遇されて部隊入りしたガキ。」
「隊長のお気に入りなんだろ?」
「確かに可愛い顔してるもんなー。」


現われた3人の男達は、人を見下した嘲笑を向けてきたので、

真人は嫌悪感と警戒を隠そうとはせず、部屋の中に逃げようと踏み出す。

が、男の一人にドアを押さえてしまった。
真人より背が高く歳も上らしい彼らの顔は知らないが、事情を知っているあたり綴守の実行部隊員なのだろう。
ニヤニヤとした笑みが近づいて不快感しかない。


「そう睨むなって。少し俺らと遊ぼうぜ、地上人。」
「ちょうどストレス溜まってたんだよねー。サンドバック代わりにするには、細すぎるかなぁ?」
「・・・綴守が非常事態だというのに、此処で何をしているんですか。今は鬼妖に対する警戒も―」
「うるさいぞ地上人!生意気に物言ってんじゃないぞ!」


腕を無理矢理掴まれ扉から剥がされ、別の男が拳を真人の眉間に向けてきた。
反射的に目をつぶった真人だったが、頭から覚えのある感触が降ってきた。
灰だ。十杜を灰にしたときに体に降りかかる灰の感触。
目を開けると、真人に殴りかかろうとした男の上半身が灰になり、やがて下半身も灰となって、纏っていた衣服が砂の上に落ちた。
残った二人も真人自身も、何が起きたか分からず数秒時が止まったように動けなかった。
男達が灰の山から後ずさりし、バケモノでも観るかのような目を真人に向けた。

「そういえば、こ、こいつ・・・敵を灰にする<シンジュ>石を持ってるって・・・。」
「嘘だろ、人間も灰にしちまうのかよ・・・!」

 


畏怖と軽蔑の眼差しと、足下に落ちた灰に真人の頭は真っ白になった。
何が起きたのか理解したくない頭が、急に痛み出した。いつもの頭痛に襲われる。
内側から刺すような激痛に頭を抱えて蹲った真人は、そのまま意識を手放した。

 

bottom of page