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「後悔、してるんじゃないかしら?」
新月の夜。
星明りの下で、フクロウがほーと心細そうな声で鳴いている。
「後悔はしてないよ。ただ、名残惜しいだけさ。」
ベッドの上で眠る少女の寝顔を眺めながら言う。
どんな夢を見ているのか、いや、見ていないのか。
頬にかかった髪を払ってやる。
指先で頬の輪郭をなぞると、くすぐったいのか
眠ったまま、身をわずかによじりだらしなく頬を緩めた。
呑気な寝姿に彼まで頬を緩めたが、手を放し部屋を出た。
音を立てぬよう静かに玄関の扉を閉め、夜の帳にしがみついている星々を眺めた。
この田舎村には娯楽はほぼない。
なので晴れた夜は空を見上げ星座を探し、流れ星を数えた。
星座図に乗ってない星に名前をつけ、いい加減な神話を考えて笑い合う。
あの夜は、もう来ない。
「行こう。」
彼の顔の脇に、白く発行する逆三角形が浮かぶ。
それは少しずつ明度を落とし、夜の森へ入る彼の後に続いた。
アビテーション
動きあり、との通信が入ったのはアルベルが張り込みを初めて1時間経ったころだった。
「やっとか。」
薄暗い路地裏の汚い木箱の影に隠れていたが、耳に差したイヤホンから聞こえる指示を聞きながら立ち上がる。
肩の上で癖がついたピンクの髪が跳ねた。
「アタシらは捕獲要因だから後ろからこっそり近づけってよ。」
「こっそりの意味ちゃんとわかってるでしょうね?」
「わかってるよ!」
少女のものとはちがう、大人の女性の声がしたが、周りには誰もいない。
顔の横に浮かぶ水色に発行する逆三角形の何かが、少女の動きに合わせて浮遊した。
どうやらそれが声を出したようだ。
木箱から離れ駆け出す。
昼時を大分過ぎてしまったために太陽は建物群の向こう傾き、濃い目の影が路地の隅に生まれだす。
錆びれ、廃墟となった建物もちらほら通り過ぎ、彼女は迷いない足取りでどんどんと奥に入っていく。
離れないように顔の横を飛ぶ逆三角形の浮遊物からまた声がした。
「前方100mぐらいに気配が2つ。次の角右に曲がって。」
「人間?」
「両方ね。」
「味方か?」
「違うみたいよ。」
「まだ到着してないのか…?まあいいや。裏に回ろう。」
声の指示に従って入り組んだ路地を右に折れ、とある路地の角で足を止めた。
レンガが積みあがった壁に背中を預け、少し上がった呼吸がバレないように慎重に息を吐く。
「ベルちゃん、ヴァン君が足止めされてる。」
「あいつ…!よし、あたしらでやっちゃおう。」
「勝手に動いたら怒られるわよ?」
「このまま逃したら大通りに逃げられる。行くぞ。」
物陰から飛び出し、標的と距離を詰めると、足音に気づいたのか男達2人が振り向いた。
「なんだ小娘。あと5年してから声かけろや。」
「誰が小汚いおっさん共に相手頼むかよ。あんたら、ケルベロスの運搬屋だろ。お犬様はこの街に立ち入りを禁止されてるはずだぜ。」
「お前…グアルガンか。」
「そんなとこだ。捕らえさせてもらう。セウレラ!」
虚空に向かい叫ぶと、浮遊していた逆三角形の水色が球体に変化し、膨張し一呼吸より短い内に人の形になった。
その体は水で出来ていた。
体のラインや豊満な胸部は女性のそれであるが、体は透け、ほんのり水色に輝いている。
「セウレラ、スフィアブレット。」
「了解、マスター。」
水で出来たしなやかな腕を胸の前でかざすと、体の前にいくつかの水球が出現した。
凄まじいスピードで自転する水球が男達目掛けて発射された。
圧の掛かった水が肌に当たれば本物のボールより痛い。
攻撃が当たり目を逸らした隙に彼らを捉えてしまおうと、口を開いたその時、
水しぶきの向こうで、水球が弾かれたのを見た。
コンクリートであるはずの地面から少女の太ももぐらいある木の幹が生え、男達を守るように枝を伸ばしていた。
「残念だったな嬢ちゃん。俺も正規適合者なんだわ。」
向かって右側にいた男が余裕の笑みを浮かべて揚々と告げた。ズボンのポケットに手まで入れている。
水の人型が小声で主に呟く。
「森の精霊スダナよ。だからベルちゃんには捕獲だけを命じていたんだわ。」
「水は木を育てる!俺様のスダナには栄養でしかないってことだ。残念だったな。」
「残念なのはそちらかと。」
違う男の声がした。
澄んでいるのに芯があり、鈴の音のように涼やかだが鐘を打った時の重厚さも感じられる。
とにかく、聞いた瞬間油断してしまう声に男達が一瞬動きを止めた。
その隙に、体を縛り付けられ地面に顔面から倒れた。
まとわりついているのは縄の類ではない。太い蔦だ。
生きているかのようにどんどん体に巻き付ききつく縛り上げる蔦。
辛うじて自由が利く首を回して背後に立っていた人物を確認した。
黒い執事服に身を包んだ、とても顔が整った美青年だった。
彫刻か絵画のモデルがそのまま動いているかのような、非現実さがある。
極端に言ってしまえば、現実離れした美しさが動いている奇妙さ。
そんな人間が執事姿を着ているのもまたおかしく見えた。
「ゲ。」
「ゲじゃない、アルベル。命令違反だ。まだ君では緑系精霊を制圧出来ないから拘束だけを命じたんだ。」
「だってヴァンが…!」
「彼は関係ないだろ。」
執事姿の美青年が、男達を再度見下ろした。
彼らを縛る蔦の先端は、執事の手から出ている。
一切感情のない瞳に、スダナの主は背中に悪寒が走るのを感じた。
今までいろんな人間を見てきたが、この奇妙さは初めての経験だ。
「残念ながら、私の精霊は緑の精霊ユリウス。緑系最上位ですので、貴方では勝てません。
このまま身柄をグアルガンで拘束させていただきます。」
「俺たちは何も喋らねぇぞ!」
「喋りたくなくても、喋ってしまいますよ。」
蔦を握っていない方の手で指を鳴らす。
すると蔦ごと男二人はどこかに消えた。
転送先が牢獄であることを知っているアルベルは、観念して執事の前に歩み寄る。
と、水の人形の表面が波打ち、水色の長い髪を持つ人間の美女が現れた。
肌の色は白く、胸元が大胆に空いた水色のドレス姿。
切れ長の瞳に赤い唇、女性にしては長身の美女が、腰に手を当てて少女の横に降り立った。
「戻ったら特訓だね。やはり緑系や土系など相性が悪い相手と当たった時の対処法を教えておかなければ。」
「わかったよ、師匠…。」
「セウレラも、人に対して遠慮し過ぎだ。威力を抑えすぎ。」
「あら、精霊に対しても厳しいわね。」
「スキルアップが君たちの目的だろ?」
踵を返した執事がポケットにしまっていた手袋を装着する。
アルベルも後に続いた。