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昔々。
何千年も前の古代期。
当時の君主であった人間王が、世界の反対側に存在していた精霊界の王と契約を結んだ。
人間からは言語や思考などの知恵を与え、精霊からは力を授かり、二つの世界を固い絆で繋ぐことにしたのだ。
それからこの土地には「大地の適合者」と呼ばれる精霊に選ばれし人間が生まれるようになった。
彼らは森羅万象、この世の理を司る精霊達と共に秩序と均衡を守っていた。
人間界が発展し技術や科学が向上すると、精霊も数を増やし
元素の精霊しかいなかった古代期とは違い、数多の精霊とその適合者が世界に存在するようになった。
時は1週間前に遡る。
国の南南東に位置する街・ヴォルク
錆と汚れが目立つ路地裏。
一人の小柄な少女が、柄の悪そうな男3人に囲まれていた。
「もう鬼ごっこは終わりだぜ嬢ちゃん。」
「ちょこまか逃げやがって!投げつけたビンでほっぺた切っちまったじゃねぇか。」
小さな切り傷をわざわざ見せつけながら、苛立たし気に手に持っている棒でコンクリートの地面を叩いた。
向かって左にいる坊主頭が半歩距離を詰めた。
「さあ、大人しくおじさんと楽しいことしましょうねー。」
「おいマジかよこいつ。こんなガキとヤろうってのか。」
「幼女趣味も大概にしとけって、あんまり長居すると奴らが―――」
「あのさー、アタシ時間ないんだよね。もう帰っていい?」
男達がまた口々になにかを言う前に、少女は面倒くさげに髪を掻いた。
自分より体格がいい男達に囲まれても怯える様子が一切ない。
むしろどこか、なめきっていた。
「どの街にもこういう頭悪そうな輩はいるもんだな。」
「なんだと!?」
「減らず口がきけねぇように痛めつけてやる!」
右の男が上着からナイフを取り出した。
「だから都会は嫌いなんだよ。セウレラ、頼む。」
少女が虚空に向かい何かを呼ぶ。
すると、少女の隣に水色の球がどこからともなく現れた。
それは自転しながら徐々に大きくなると、人間の形になった。
濃い水色の液体で出来たマネキンは半透明で、長い髪はうねっている。
顔には目や鼻の凹凸は一応確認できるが、全てが曖昧な、水の人型。
突然の出来事に口を大きく開け固まっている男たちを確認してから、少女へ顔を向けた。
「わざわざ私を呼ばなくても、ベルちゃんで相手できるでしょ?」
「歩き疲れたんだよー。この街デカすぎ。適当に寝かして縛り上げよう。」
空気を震わす破裂音に、ビルの上で羽を休めていた小鳥が一斉に飛び立った。
木霊する残響に、少女は顔の筋肉を引き締めた。
少女に厭らしい視線と欲を向けていた坊主頭、硝煙があがる拳銃を両手で握っていた。
発砲してしまったことに驚いているのではない。
打った弾丸が、水色の謎の人型の腹部辺りに吸収され、そのまま可愛い音を立てて地面に落ちた光景に絶句していた。
「物騒なもん持ってんじゃねぇか…。」
「お、おま…なな、なんだよ、ソレ…。」
「それじゃねぇ。精霊だ。」
「大地の、適合者!?」
「セウレラ、スフィアドーム。」
水色の人型がスラリと伸びた腕を胸の前に掲げると、男達との間に体と同じ色の水の球を出現させ
一瞬で体より大きく膨れたそれを、僅かな腕の振り下ろし動作だけで男達に投げつけた。
水球は男3人を同時に飲み込んだ。
頭からつま先まで水で包まれた彼らは、当然呼吸が出来ず水の中で身もだえ藻掻き苦しむが
やがて力付き水の中で動かなくなった。
「安心しろ。ちゃんと酸素を入れておいた。気絶させただけ。」
「どうする?」
「警察探して置いてこようぜ。腹減ったなー。」
「ベルちゃん。いつも言ってるでしょ?」
水色の人型がぐにゃりと歪む。
表面が波打ち震えたかと思えば、水色のドレスを着た人間の女性に変化した。
肌は透き通るような白さで、大胆に開かれた胸元からもわかるように豊満なボディー。
肩にかかった水色の髪を払いながら、赤い唇を動かす。
「女の子なんだから、乱暴な言葉遣いしちゃダメよ。」
「へいへい。」
飽きれた溜息をこぼし、腰に手を当てながら、指をパチンと鳴らすと
水球に捕らわれていた男達はどこかへ消えた。
*
幼馴染がいなくなったのは3日前。
二人とも、生まれた直後に両親を失い、山奥の小さな村で育てられ
ある程度生活できるようになってからは二人で一生懸命に生きてきた。
食材は自給自足、足りないものは村人に分けてもらう。
文明とはかけ離れた場所だったが、幸せに暮らしていたと思ったのだが、幼馴染は突然消えた。アルベルを残して。
枕元に書置きがあり、ヴォルクという街へ来いとあった。
田舎者が、あんな都会になんの用があるのか。
外に出たいと一度も言った事がなかった幼馴染の突然の行動に、アルベルは戸惑いが落ち着くまで半日かかってしまった。
非常時用にと貯めておいたお金を引っ張り出し、ヴォルクに着いたのは数刻前。
なにせ田舎から出たことがなかったので、バスという乗り物に大分戸惑って別の方向へ行ったりしたが
無事到着したから良しとしよう。
「着いたのはいいが、この街のどこにいるのかまで書いてなかったよな。」
「これだけ広いと、探すのに一苦労ね。」
「あいつ、シータ出してないの?」
「ええ。反応なし。」
少女は路地裏を脱出し大通りに入った。
歩道の端から端まで人が溢れ、道路は絶え間なく車が行き交っている。
薄い黄土色のブロックが特徴的な歩道に、古そうな建物は石造りと、歴史を感じる街であった。
露店の店主は声を張って世話しなく客引きをするが、都会人は済ました顔で歩き去っていく。
美味しそうな匂いがそこら中から漂い、アルベルのお腹が反応して音を立てた。
適当な露店で軽食を買い、歩きながら食事を済ます。
聞いたところによると、この辺りが街の中心部らしいのだが、目当ての人物は見当たらない。
「セウレラ、やっぱり探索形状(サーチモード)でいない?」
「せっかくおおきな街に来たのだから、人間の姿で見て楽しみたいわ。」
「あ、そう…。」
すれ違う市民が露出が多い美女に目を奪われながら通り過ぎていく。
特に男性は口を半開きにしながら瞬きも忘れるほど見つめるので、電柱やごみ箱に面白いほどぶつかっていく。
ご愁傷様と、心の中で心無い言葉を投げる。
自業自得だ。
「ベルちゃん。なんだかこの街変な感じがするの。」
「変、というと?」
「街に入った瞬間から、力が出しづらいのよね。なんだか、歪んでる。」
「土地が荒れてると精霊も影響されるんだっけ?治安悪そうには見えねぇけどな。」
「そういう感じとはまた違うの。なんて言葉にしたらいいかわからないわ。」
―どこかから女性の悲鳴が聞こえた。
「セウレラ!」
「あっちよ!」
大通りから再び細い路地へ走り出す。
セウレラは水の精霊だ。
当然ながら周りの水を探知できる。
体内の60%が水分である人間も気配ですぐ探知でき、たった今響いた悲鳴の反響も水によって探知しているのだ。
先程自分が体験したように誰かが不貞の輩に襲われているのだと思った。
捉えた三人組はとっくに警察の前に落とした。
やはり都会は闇の部分も広いのか―
入り組んだ路地裏の角を曲がった時、それは見えた。
黒い泥のような球体が、女性を丸呑みしようとしているところだった。
脇に居た二人の男がその様子を見守っていた。
骸骨のようにガリガリで気味が悪い男の傍らに、黒い球体と棒を組み合わせて作ったような不格好な人型が立っていた。
精霊だ。
女性を取り込んでしまった球体はゆっくり自転しながら、二回り小さくなった。
アルベルの存在に気づいた骸骨男がこちらを向いた。
「あー。精霊だー。」
間延びした、緊迫感のない声に、なぜかアルベルは腹立たしくなってきた。
声を低くして読め寄る。
「今の女の人、どこやった。」
「うーん、言えないかなー。」
「もとに戻せよ!」
「それも無理かなー。」
「テメェ…!」
突然、アルベルの後ろから、炎の球が通り過ぎた。
炎は骸骨男に当たる前に吸収され消えた。
どうやら体の前に黒い伸ばしたゴムのようなものを出し、それで絡めとったようだ。
原理はわからない。
アルベルが振り返ると、白い軍服のような制服を来た男が立っていた。
燃えるような赤毛をしており、手に炎を宿らせている。
セウレラが語り掛ける。
「その力…マグニ、なの?」
「そう。君は正規適合者のようだ。手伝って。」
「正規・・・?」
「あのガリガリ男を捕まえないとそこで捕まってる女性が助けられない。」
「そういうことなら!」
突如現れた謎の男と、謎の二人組を相手にすることになった。
アルベルは難しく考えるのは得意ではないが、捕らわれてる女性を助けるという明確な理由があれば十分だった。
「適合者さん。君の精霊は?」
「水だ。」
「ならアイツとは相性良くないね。あの黒いのは黒鉄の精霊。炎の俺が相手するから、もう一人が逃げないようにして。
出来れば女性がどこかへ飛ばされないようにしてほしい。」
「わかった。」
赤髪の男が手に宿らせた炎を再度ぶつける。
「ベルちゃん、黒鉄は鉄よ。炎に溶かされることもあるから、力量によっては彼の方が有利。」
「なら任せていいな。面倒だからあれをスフィアで囲め。」
「了解。」
セウレラは人間の姿を解き、水で出来た人型に変化すると下から上へ腕を上げた。
女性を飲み込んだ黒い球を、水ですっぽりと包む。
中にはちゃんと酸素を入れる。
「っ!?…ピリピリする!わざと鉄を溶かして水分にイオンを混ぜてきてる。」
「結合できそうか?せめて膜の役割でもしてくれ。」
「わかったわ。やってみる――…ベルちゃん!」
もう一人の仲間が走って逃げだした。
「あたしが追う!続けてろ!」
セウレラが制止するのを無視して男の後を追った。
裏路地の特性を活かし―ゴミ箱を倒したり木箱の中身をぶちまけたりする時間稼ぎ―入り組んだ道を右往左往と走り抜ける。
山育ちのアルベルは体力も持久力もあるので、障害物で邪魔はされるが距離を離されないように走り続けた。
(セウレラ、その状態でブレット打てるか。)
(狙えないわよ?)
(合図したら正面に……今だ!)
アルベルの体の横に小さな水球が現れ、合図と同時に前方に放たれた。
弾丸のように凄まじい早さと威力で逃げる男の背中に命中。
男はバランスを崩し足をもつれさせた。
その隙を見逃さず、大きくジャンプして背中にタックルをする。
お互い地面に手をついたが、反応が早かったのは男の方だった。
素早く身を捻りアルベルの首を掴もうと腕を伸ばしてきた。
咄嗟に身を引いて交わす。
起き上がりながら突進してきた肩を押して再び転がすも、軽やかな身のこなしで転がりながら立ち上がる。
急な肉弾戦に、こちらの男は適合者ではないと悟る。
(肉弾戦苦手なんだよなー…。)
(ごめんベルちゃん、マグニが暴れてるせいでそっちに送る余力がないわ。)
(その球体手放すなよ。)
男が、懐からナイフを散りだした。
どいつもこいつも女相手に刃物持ち出すなんて、と嘆いたが、精霊の適合者相手なら警戒されて当然か、
と一人な納得してからから対峙する。
短距離選手のスタートダッシュのように低姿勢で距離を詰めてきた。
アルベルは刃が腹部に届く直前で水のバリアを張り刃の部分を掴むと、水圧を一気に掛け刃を折った。
精霊使いの主も微力だが元素の力を使える。
といってもセウレラの意識がこちらに無いので今のが精一杯の隠し玉だ。
あとは男の首を叩き気絶させれば―と伸ばした手首を掴まれてしまった。
振りほどこうともがくが、やはり男女の力の差は歴然。
顔面に拳が迫る。
アルベルは避けられないと察知し全身に力を入れた。
鼻先数センチのところで拳が止まった。
男は苦し気な表情を浮かべ奥歯を噛みしめている。
男の腕、関節、首、腹部、足。全てに緑の縄―いや太い蔦が絡みついていた。
体を支配していた緊張を少しずつと解き、距離を取るように数歩下がって、男の後ろを伺った。
蔦が集まるところに、黒い服を纏った恐ろしく整った顔の男がいた。
あの服装は見たことがある。執事服だ。
執事服の男が指先を軽く動かすと、蔦で捉えていた人物が倒れた。気絶させたようだ。
地面に不格好に倒れた男を、蔦がすかさず拘束した。
執事の後ろから、上品そうな少女が出てきた。
アルベルより幼く、人形のように美しい少女であった。
肌は白くきめ細かく、髪は繊維のような金髪。青い瞳はサファイアのように輝いている。
手を前に組み丁寧にお辞儀をしてみせた少女は、アルベルに近づいた。
「もしや、アルベル様ではないですか?」
「…そうだけど。」
「ウィリアム様より事情は伺っております。まずは私の屋敷へお越しくださいませ。」
その名は、数日前に消えた幼馴染の名前であった。