** 5
ひょろガリの男の隣に、黒い影が男と同じく細長い形で現れた。
影は枝のようなものが伸び、やがて人に似た形を作って実体化する。やはり細長い。
頭と腰、関節が球体で、黒い棒みたいな手足。
お世辞にもできの良い人形とは言えない造形であった。
隣の契約者と似たような背格好でどこか和やかにも映る。
「とりあえず足どめ、ウォーターブレット!」
「了解よ。」
人から水の人形に変化したセウレラが、手の平から水球をいくつも発射した。
早さの乗った攻撃を、鋼の精霊は避けずに体で全て受け止めた。
水球が当たった黒い肌の箇所が、赤く変色しただけで、すぐ元の黒さに戻った。
「錆もしないのか。」
「鉄に手を加えた鋼だもの。人間が作ったことで生まれた精霊は元素より科学の作用が強くなる。適度に時間稼いだら逃げた方がいいわ。」
「四大元素の一角が弱音吐いてんじゃねぇよ。」
「つつつ、次。ぼ、ぼ・・・・僕の、番。」
契約者の男はたどたどしく舌っ足らずな言葉でそういいながら顔には引きつった笑みを貼り付けていた。
横にいた鋼の精霊が左に大きく傾けた気怠そうな姿勢のまま、右腕を真上に上げた。投げやりに。
右手拳に当たる黒丸から、小さな球体が数個投げられた。
セウレラが水の防壁を作って主を守った。
が、黒い球体は水の壁を越えてアルベルの鼻先に迫ってきた。
驚いて身を引くアルベルの体を抱いて横に避ける。
投げつけられた球体は床に落ちると、焼けるジュッという音と泥団子が着弾したベチャという不気味な音を立てて液状となって消えた。
黒い塊が落ちた床は、焼けて茶色く焦げ、中心は溶けて小さく穴が開いていた。
水の成分をわざと取り込んで腐食性を攻撃にしこんだのだろう。
「圧をとにかく上げて細かく打ち込め。」
「やってみる。」
セウレラの腕の中で指示を送り、まだ体が不安定な位置にありながらも
早すぎて目で追うことすら出来なかった水弾が鋼の腹に打ち込まれる。
5発の弾丸は全て腹部に着弾し小さな穴を空けた。
しかし、5つの穴はみるみる塞がってしまった。
「体内で固形と液体を好きに変換出来るようね。」
「じゅあどうやって倒すんだよ。水で囲んでも腐って終わり、水圧で叩いても元に戻る。」
「隙を作って私達も逃げましょう。」
「ヒッヒ。四大精霊の一角がこ、こんなに弱いわけ、ないよね。だって、ダーテが言ってた。」
「ダーテ?あなた、ダークの事を言ってるの?」
「弱い弱い!ヒッヒッヒ!そそ、そいつ、イルだ!」
セウレラが眉根をぐっと寄せ一気に険しい表情を作った。
古代帝都時代風な衣装を纏った美女は、スカートのスリットから太ももが覗くのも気にせず足を広げ背を丸め、敵を威嚇する豹のような姿勢になった。
鼻先に皺が寄り、爪が鋭利に伸びる。
敵意を全身で表現するセウレラを、アルベルは初めてみてたじろいだ。
「私の主をバカにするな人間が!ダークの手下ならアタシが八つ裂きにしてやる。」
「おい待てセウレラ!」
「そうだ、オレにやらせてくれ。」
アルベルの横を熱が高速で通り過ぎていった。それはアルベルの頭より大きな炎の渦で、
鋼の精霊の胴体に直撃した。
接触した後も炎は生き物のように身をくねらせ、精霊の全身を飲み込んだ。
すると、炎の奥で黒い精霊の表面が融解し始めた。
「鋼は高熱によって固体として保てない。ナイスタイミングだわ、ヴァンくん。」
「セウレラがそんな怖い顔するなんてね。美人が台無しじゃないか。此処はオレに任せてくれよ。ちょうど鬱憤が溜まってたんでね。」
「そんな時間ないよ、ヴァン。」
「リカルド、その蔓で囲んでるそれなに。」
「ちょっと、精霊核盗んで来たの!?ダークに知れたら・・・あら、ダークの気配無いわね。」
「ダークの物じゃないようです。」
会話をしている間に、炎は高さと温度を増し鋼の精霊は腰から下が完全に液体に戻り、上半身がかろうじて固体を保っている。顔のない頭部からは感情は一切読めず、ただ無抵抗で炎に焼かれていた。
ひょろっとした痩躯の契約主は、炎の斜め後ろで親指の爪を噛んで、じっとこちらを睨んでいたが、やがて何も言わず立ち去り、炎の中に居た鋼の精霊も具現化を解かれ消えた。
「なんだよ、もう終わりかよ。」
「遊んでる時間なんてない。早くリントさんと合流しよう。アルベル様も、行きますよ。」
「なんだよ、アタシにもタメ口でいてくれよ。」
ニヤニヤとしたアルベルの嬉しそうな顔を一瞥し、口角にやや不満と恥じらいを宿して、一足先に
掛けだした。ヴァンとアルベルもそれに続く。
「おいセウレラ。大丈夫かよ。」
「ええ、ごめんなさい。みっともない姿見せちゃったわね。」
「お前がそんな怒るなんて、イルってなんだよ。」
「・・・ベルちゃんは知らなくていいことよ。」
人間の姿を解いて逆三角形のブローチに変化した。
変化の一瞬、セウレラが酷く辛そうな顔をしたのを見逃さなかった。
イルという単語が、酷く頭に残った。
凍らされた研究員を横目に見ながらリカルドの先導で廊下を走り抜け、第1層まで戻ってきた。
通信室の前で、リントとルチアーノ博士が待っていた。
「合図をしたら氷を解きますよ。」
「手筈は全て整っております。眠っていた奴らも起きて行動を始めます。起きて数分は軽い昏睡状態にあるので、その間に記憶の書き換えと接合を行います。」
「そんな上手くいくのか?床に倒れてた事実を忘れていつも通り行動するって?」
「強い麻薬は幻覚作用を引き起こすものもある。緑の精霊はその辺プロだろう。」
「おいおい・・・。いつからそんな楽天主義になったんだよ、ルチアーノ博士ともあろう人間が。」
「言うこと聞かない悪ガキに言われたくねぇよ。」
リントとリカルドが最終確認を行い、妨害電波を流していた装置を取り外している。
リントの狼は大人しくお座りをして主を見守っていた。
「なぜヴォルクを出た。ダークがいるかもしれないんだぞ。」
「俺はもう、守られているのは嫌なんだよ。」
「とんだ親不孝者だな。帰ってしこたま怒られろ。姉にもな。」
「ルチアーノこそ、大胆過ぎるだろ。」
「レベッカもわかってるから執事さん寄越したんだろ。なんだ、お友達巻き込んだのが気に入らないのか。」
「友達じゃない・・・。」
準備完了の合図が出て、一同は研究施設の上に立つプレハブ小屋にまで戻った。
セウレラが回りに人の気配が無いことを確かめてから、ドアを細く開ける。
有り難いことに、霧はまだ地面を覆っていた。朝よりは薄くなって陽もだいぶ高くなっている。
監視カメラが再起動を始めるとリントが忠告し、慌てて一同を森の奥へ追い立てた。
「潜入が誰にもバレないなんてことはありえない。ルチアーノも消えるんだぞ。」
「どこの誰か、まではバレない。」
「行く先はヴォルクに決まってる。」
「それでいい。」
「自分からダークと喧嘩するためにさらわれたのか!?」
「ヴァンさん、声抑えて。」
朝露に濡れた葉を擦るたびズボンが湿るのがわかった。
「俺が喧嘩するのはケルベロスだ。狂犬薬なんてふざけたブツを俺が根絶してやる。」
「それで盗みに入ったわけか。」
「もう守られているのは嫌なんだろ?長い間しまってた牙を研いでおけ。俺たちは動く。」
「もう動いてる、の間違いだろ。だから俺を易々と街から出した。ダークに顔を見せるためだ。いつなんだ。」
「すぐだ。向こうから迎えが来る。」
「・・・そうか。わかったよ、ルチアーノ。」
「謝らないぞ。」
「いい。感謝してる。久々の外は楽しかったよ。」
小屋の姿も見えなくなるぐらい森の奥深くを目指した。
傾斜は下り坂に代わり、やがて木々の茂みが開け、町外れに繋がった。
通りに出て、リントがあらかじめ用意しておいた車で街を出た。
彼らが乗った車が消えるのを、森の入り口で見つめた続けた影があった。
その影に気づいた者はいなかった。
その者が「見つけた。」と短く呟いたことも。
