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事前情報で4階層までしかないと聞いていた南棟に、下の階層へ続く階段をユリウスが発見したのが5分程前。
リカルドとヴァンは暗闇の中、懐中電灯の明かりのみで階段を下り続けていた。
「長過ぎじゃね?この階段。」
「随分深くに次の階層があると、ユリウスが言ってる。」
懐中電灯の明かりが照らす円の中に、細い蔦が2人より先行して階段を降りている。
斥候として行く先の危険を探知し次の階層までの距離を測っているのだろう。
「秘密がこの奥にありますって言ってるようなもんなのに、仕掛けが一つもないな。」
「監視システムも人間も眠らせてある。」
「人間じゃねぇよ。オニキスはどこの配下か忘れたか。正規適合者ほど、属性上位の影響受けるだろう。」
リカルドは何も言わなかった。
ヴァンが言おうとしているプレッシャーを純粋に感じているのが、なによりもリカルドとユリウスだったからだ。
圧は確かに感じるのに、未だ自由にさせている狙いはなんなのだろうか。
明らかな罠か、気まぐれの狩りでも楽しんでいるのか。
二十段程の階段を辿り折り返し階段でくるりと向きを変える。
その動作を繰り返していると、やがて下の方から光を感じるようになった。
ついに階段の終わりが現れ、懐中電灯が無くても周りの様子が把握出来るようになった。
降り立ったのは、白黒の格子タイル張りの床が続く円形の空間だった。
天井は高く、この空間の光源は、中央に置かれた2つの台座に埋め込まれた青白いライトのみであった。十分な明かりとは言いづらいため、部屋の四隅は濃い影を落としている。
美術館などで展示品を飾るような、高さ1m程の台座は3m程間を空けて並べられていた。
台座はあれど品を覆い守るガラスケースは無く、中身がむき出しに置かれている。
そこにあったのは、装飾が美しい50cm程の杖と、赤い表紙を持つ古びた本であった。
2つの芸術品は支えもなく台座の上で、文字通り浮いていた。
台座縁に埋め込まれたライトの明かりを下から浮け、ゆっくりと自転している。
懐中電灯を腰のポシェットにしまったヴァンが、杖の方を見上げながら首を傾げた。
グリップは丸く、赤い石が埋め込まれている。透明度はほとんどないが、鉱石の類いなのかもしれないが、詳しくないので判断が付かない。
その赤い石を守るように茶色の飾りが絡みつき、支柱にも絡まっていく。杖先に行くほど細くなるデザインは、実用性のあるステッキではなく、あくまで芸術品だとすぐ分かる。
飾りのデザインが、どことなく父の故郷、西の砂漠地方を思い出させる。
「これ、もしかして力を失った宝具ってやつ?精霊王が人間に与えた宝具は5つあったなんて噂あるよな。知恵の杖と、歴史を刻む本ってやつ。」
「五老院にちなんで生まれた都市伝説だよ。本当に五老院家全員宝具を渡されていたなら、今も現存してるはずさ。」
「それがコレだったり?」
「あり得ない。宝具は、選ばれた人間にしか扱えないし、取り出して一箇所に留めるなんて不可能。」
「それもそうか。」
「悪趣味な・・・。」
棘のある声にリカルドの横顔を伺うと、眉間に僅かな皺を寄せていた。
暗がりの部屋で見受けられる微妙な表情の変化だが、普段一切感情の出さない彼にしては、かなり苛立っていると顕著に表現していた。
彼が仕えるネスタ家当主ディアナは、体内に宝具・鍵を所持している。
存在しないのパチモン宝具が、祀るように飾られているのが許せないのかもしれない。
視線だけ本の方に向ける。古い革の表紙はくたびれ所々が汚れている。
重なる紙も日に焼けしなびた小口がやけにリアルだ。
「趣味で作ったとは思えないクオリティだな。でもなんでこの2つ?
本来ある宝具3つのレプリカ飾ってる方がまだ納得出来るけど。」
「興味無い。」
リカルドが二つの宝具の間を通って先に進む。この空間の先にも、もう一つ部屋があった。
部屋と部屋が扉のない出入り口で繋がっているらしかった。
ヴァンも後に続く。
同じく格子柄の床が続く隣の部屋の中央に、先程と同じ台座があった。今度は1つだけ。
青白い埋め込みライトに照らされ自転しているのは、リカルドの手の平よりやや大きな黒い鉱石だった。
ダイヤ型で、先端は鋭利。表面は荒削りで研磨されておらず、透明度も無い。
ただ、天然で生まれた鉱石にしては形が整い過ぎている気がする。
突然、リカルドの右頬が熱に触れた。
遅れて部屋に入ってきたヴァンが、足元から炎を放出させていた。
目は見開かれ、眉は歪み、怒りと混乱が色濃く滲んでいた。たった今まで穏やかな表情だったのに、急激な変化にさすがのリカルドもたじろいだ。
「これは、ウルが破壊したはずだ・・・!なんで此処にある!?」
「ヴァン?」
「あり得ない!これは、これは・・・!」
ぶわっと炎が勢いを増してヴァンを守るかのように火群を踊らせた。
ヴァンの腰辺りまで火が上がったため、リカルドの頬や手の甲が熱くなり、驚いて一歩下がった。
「壊さなきゃ・・・。家で大人しく守られてるなんて、もう嫌だ・・・。」
「ヴァン、落ち着いて。一体何が―」
「今度こそ、自分で―・・・!!!」
明らかに冷静さを欠いているヴァンが、台座の黒い石に向かって炎を放出させた。
太い渦となって石に向かっていったが、自転する石の表面に触れること無く炎は掻き消された。
見えぬバリアが石を守っている。そう感じた。
黒い石は何食わぬ顔で回り続けていたが、凹凸はあれでつるつるとした石の表面から黒い何かが床に落ちた。
ポトリ。それは二つの黒い水滴だったが、一瞬で台座と同じ高さの、黒い木偶人形に形を変えた。
人形といっても体は薄っぺらく、とってつけた手足、頭は丸いだけで顔のパーツは一切ない。
真っ黒い出来損ないの人形がゆらゆらと手をなびかせ、浮かび上がった。
リカルドは頭ではなく、反射でその一撃を避けた。
横に飛びながら全面にユリウスが編んだ枝で防壁を張ったが、一撃が当たった箇所から枝がじわじわと枯れて、最後には灰になって床に落ちた。
ヴァンを伺うと、突如現れた黒い人形を火の鞭で拘束していた所だったが、その鞭も端から黒く染まり同じように消し炭にされている。
頭の中でユリウスが警鐘を鳴らす。
「コレが精霊核・・・?さすがにダーク本人のではないようだな。だがこいつらは―」
2体の人形が左右に分かれ、片方がリカルドに体を向け、右腕を伸ばしてきた。
高速で打ち込まれた攻撃を体を反らして避け、左に飛びながら両手を合わせる。
その合図で、腕を伸ばしている黒人形を床から生えた太い樹木の枝が囲み閉じ込める。
だが太く逞しい枝も一瞬で黒く染まり炭になって散った。
相手はダークの自動防御システムだとユリウスが教えてくれる。オートで動いているとはいえ、精霊界トップに立つ勢力の片割れ。正規適合者だが自分が叶う相手でもなかった。
・・・たかが人形の小さな防御システムにすら適わないと察してしまう程だ。本体はどれだけ強いのか、考えるだけでおぞましくなった。
8年前、ヴォルクの全勢力を向けても勝てなかった現実に、嫌でも納得してしまう。
「ヴァン、分が悪い。此処は撤退しよう。コイツらはオートマタだからまだ本体にはバレて―」
「あれを壊すまで離れねぇよ!あれがあるからダークは現世に顕現出来てるんだ!ってことはケルベロスのボスは正規適合者じゃねぇ!」
「ダーク本人の精霊核がこんなところにあるわけないだろ。光の適合者によればダークには契約者が生まれてる。冷静になれ。」
「あれさえ壊せば・・・っ!?おい、離せ!」
ヴァンの手足、胴体を拘束し、何重にも絡めた蔦で引っ張る。
「攻撃は届かない。今は撤退だ。博士を救出するほうが優先。」
「アレがあるだけでヴォルクがまた危険にさらされる!ルチアーノが何のためにさらわれたと思ってるんだよ!?きっと狙いはコレだ!」
「?・・・、俺を指名したのはそういうことか。だが、俺にもコレは御せない。まずは博士と合流して一緒に―ッ、」
ヴァンに意識を取られ、横から黒人形2体が迫っていることに気づかず、黒い閃光のような一撃がリカルドのこめかみを狙う。
遅れて気づいたヴァンが息を呑んで手を伸ばそうとする。
しかし、攻撃はリカルドの肌に当たる手前で散乱し、黒人形も突然姿を消した。
「何だ、今の・・・。」
「わからない。けど、今のうちに戻るよ。ダーク本体が現れたら厄介だ。」
「さすがにもうバレてるっての!離せよ!」
「あれ、持って行けばヴァンも動くんだね。」
駄々をこねるヴァンの態度にムッとしたのか、リカルドが細い緑の蔦で黒い鉱石をぐるぐるに包み混むと、ひょいと持ち上げてヴァンと同じように引き寄せた。
「はぁ!?攻撃しても一切届かなかったのに!?」
「これがあればヴァンは動くのだろ?北棟に行ってリントさんと合流しよう。」
「・・・お、おう。言うこと聞くから、俺の蔦は解いてくれ。」
ヴァンを自由にし、ぐるぐる巻にした鉱石を引き連れながら、走って階段に戻り南棟4層に戻る。
南棟は相変わらずユリウスの花で眠り続ける人達が冷たい床に倒れており、下の争いなど知らぬ顔で静寂に守られていた。
「本当に、ダークに気づかれてない・・・?」
「リントさんが無事博士と合流したって。北棟1層で合流。行こう。」
階段を走って登りながらトランシーバーで連絡を取っていたリカルド。
すっかり頭が冷えたヴァンは、リカルドの冷静な対応に関心しつつ、この作戦にレベッカがリカルドを巻き込んだ理由が分かった気がした。
正規適合者は精霊核に対しては有利なのだろう。此処は確かにケルベロス配下オニキスの研究施設だが、ケルベロス本部がある箇所から離れている。
いくら狂犬薬を生み出した研究施設とはいえ、ダークの目が常にあるほど重要施設でもないのだろう。薬の製造工場は別にあることだし。
それより、敬語はいいと言った途端、よく喋るようになった。
嫌味事以外で、普通に喋ることなど滅多にないので、おかげで頭がクリアになった。
走るリカルドに続いて、眠りこける人を踏み抜けぬように廊下を駆けた。
*
一方、北棟のアルベル。
数分前、無事リカルド達とトランシーバーで連絡が付いて北棟の1層に戻っているところだった。
博士も共だっているため、なり振り構っている場合ではなくなり、起きている研究員に姿を見られる前にリントのフェンリルが片っ端から氷漬けにしてしまっている。
廊下を走る度に冷たい石像の間をすり抜けなければならないので、やや苦労した。
冷たい氷に覆われた彼らは確実に心臓が止まっていそうなのに、彼らはちゃんと生きているらしい。説得力がない見た目だが。
「さすがヴァン。アイツの引き寄せの強さだけは信頼してるんだよ。人間性は終わってるが。」
「リカルドさんが運んでる精霊核って、ダーク本体のものなんですか?この腕輪に入ってる精霊核の元ネタみたいなもんですよね。」
「本体の核がこんな場所にあるわけないでしょ。此処にあるのは、ダークの助言で人間が人工的に作り出した精霊核で、狂犬薬の隠し味。」
「でも通信で、精霊核に仕組まれたダークの防御システムに攻撃されたって。」
「それは知らん。」
「えー。大丈夫なんすか。」
「こうして息してられるなら大丈夫だろ。」
「隠し味ってなに?」
アルベルが会話に入る。
走り続けながら、数日前にヴォルク旧市街地で捕獲した狂人の姿を思い出す。
動物のように4足歩行で走り回り、理性の欠片も見られなかったまるで野生児。
首元に落ちた涎の気持ち悪さは、今も肌が覚えている。
「ダークの恐ろしい力は、人間の内部にある怒り憎しみの感情を増幅させるんだ。俺はノンアドレナリンを異常分泌させ交感神経を過剰に刺激する作用があるんじゃないと踏んでるんだが・・・、まあとにかく。真人間をあっという間に狂人変人に陥れることが出来る。
その力で人間界の歴史の中で大分悪さしてたんだが、近年その力を大量生産する方法を見つけたらしい。それが、オニキスが開発した薬にダークの力を混ぜること。」
「精霊にそんなこと出来るのか?」
「出来るしから薬中がそこら中で溢れてるんだろ。」
角を曲がろうとした時、視界に入ってきた研究員2人を、リントが左腕を横に振って凍らせた。
氷の像を走って通り抜ける。
地図が頭に入っているリントの先導で階段を上がり、2層まで戻る。
「精霊核どろぼうしたら確実にケルベロスに狙われるだろ?ヴォルクは大丈夫なのかよ。」
「ヴォルクにダークは入れない。」
「ケルベロスの人員は入れるだろう。ヤバい奴多いって聞いたぜ?」
「その為にグアルガンがいる。」
「お嬢ちゃんも対抗策としてヴォルクにいるんだろうが。」
「・・・そうか。わざと喧嘩売りにきたんだな、アンタは。」
「ハハハ。」
「笑ってる場合かよ!」
「ただの田舎娘にしちゃ頭いいじゃないか。」
再び廊下の角を曲がったとき、リントが急ブレーキをかけて止まった。
彼らの前で、氷の狼が前肩を落とし威嚇の唸り声を牙の合間から漏らした。
廊下の真ん中に立っていたのは、白衣を着た研究員でも警備員でもなかった。
かなりの猫背で、隣にいるルチアーノ博士より痩躯の男。
肌の具合から若いのはわかるのだが、痩けた頬と目の下に濃く描かれているクマがずいぶん疲れた中年のような印象を受けさせる。
ウェーブの掛かった肩より長い黒髪はパサついて広がっており、黒シャツに黒ズボンも皺が目立つ。
俯き加減で廊下の壁側を向いていた男だが、アルベル達の接近に気づいて体ごとこちらに向いた。
体だけでなく、顔も痩せこけへこんだ頬が骸骨を思わせる。
眼球周りの肉が少ないのか、眼球が飛び出してるように見える。
ハッキリ言って、気味が悪い男だった。
男がニヤリと笑った。笑ったのか、薄い唇を引きつらせたかは微妙なところである。
「ヒヒッ。き、来たね。ぼ、ぼ僕、やるよダーテ。」
いち早く反応したのはフェンリルとセウレラだった。
フェンリルが前方に氷の壁を作り、セウレラが人間達を水で囲んでその一撃を防いだ。
男が左腕を上げて、その指先から黒い何かを投げたのだ。
黒い液状の何かは、フェンリルの氷の壁に防がれたが、ゆっくりと地面に落ちていく。
垂れ落ちる程ではない粘液性のある黒い液体が、一筋の道となって存在していた。
「鋼のフェール!ベルちゃん、正規適合者だわ!」
オニキスの研究施設に入ってからずっと探知機能を高める逆三角形のブローチ姿だったセウレラが、久々に人型になってアルベルの隣に降り立った。
「じゃ、アタシの出番だな。リント!博士連れて先に行け。」
「長引くと逃げ辛くなるぞ。」
「適度に切り上げて後を追うよ。」
「気をつけろ。」
黒いどろりとした球体が再び襲って来たので水の壁を作って防ぎ、その隙にリントが博士の背中を押しながら別の階段を目指して廊下を引き返して行った。
「かっこ良く引き受けたところ悪いんだけど、ベルちゃん。」
「何?」
「私と鋼は相性悪いわ。」
「先に言えよ!!」