大聖堂
白い柱が生まれたばかりの陽光を吸うように煌めく大聖堂。
高い鐘付き塔が特徴的な大聖堂はカウス城のすぐ隣にある。
レイエファンス大陸が宙に上がったのは、神マヤーナが自分の懐に抱くためだという伝承がある。
その為レイエファンスは強いマヤーナ信仰が根付いている。
さらに、そのマヤーナ神の使いであり、人々から絶対の信頼を受けている僧侶達が奉公する場所が大聖堂である。
僧侶というのは神への祝詞により力を得る守りのエキスパート。
兵士達をあしき魂―悪魔など―から守る防壁を張ったり、一時的に騎士の攻撃力を上げたり、治癒の神に祈れば治癒も出来るし、大僧正になれば祝詞のみで敵を一掃出来る。
現在たった一人の大僧正は国王を守る為だけに大聖堂奥にいて、常に守りの力を発動させていると聞く。
魔法とは全く異なる力を使いこなせる人間は余りおらず、清い魂と存在そのものが重宝される。
王族騎士団にも数名、要請により属してはいる。だが身分が高い僧侶は属さず、派遣、というほうが正しい。
その騎士団に、先日派遣され見事な手際を披露した僧正サキョウは、朝の祈りの儀式を一人で行なっていた。
大聖堂のメインホールである堂の奥にあるマヤーナ神像の前に座り、銀の盆に並々と汲んだ清らかな水を祝詞を唱えながら尺で掬い、隣にある平たい銀皿の上に山に詰まれた砂に掛けてゆく。
普通ならば砂が水を含み、水は皿の縁へ流れていくはずなのだが、水滴に触れられた砂粒と水滴は突然浮力を与えられたかのように舞い上がり登ってゆくと、白い石で作られたマヤーナ像の周りをクルクル周りだすのだ。
ひと汲み事に右回りになったり左回りになったりするので、像を囲む水と砂は次第に複雑な模様を作り出し、祝詞がクライマックスになると速度を上げ自転しやがて大気に溶けて消えてしまった。
儀式を終え、尺を戻し余った水で皿を始めとする装飾品を拭いたり、数珠を磨いたりしていたサキョウは、振り返る事なく後ろにずっといた女性に声を掛ける。
「ずいぶん早起きやなぁ、ユカリ」
ユカリ、と呼ばれた女性は肩を露出させた紫のローブドレスを身に纏い、後ろ手にプリーストが使う長杖を握っていた。
声をかけずとも気配を読まれてしまった事にか、はたまた嬉しさを隠すためか、ぶすっとした顔で2歩だけ近づく。
儀式を終えたとはいえ神聖な僧侶の台座に余り近付いていいものではない。
「アンタ、イグアス遠征行ってたんだって?」
「ああ。リョクエン様が同行されるからって、隊長はんに頼まれたんよ。ユカリは一緒に行ってなかったん?」
「行ってないわよ!」
大きな声が堂に響いてしまい、ユカリはしまったと肩をすぼめた。
確かに大人数の遠征じゃプリーストの自分は豆粒みたいなもんで、王子の護衛は忙しくて周りを気にしてる場合じゃないにしろ、幼なじみの気配があるかどうかすらわからなかったとは実に腹立たしい。
腹立たしいが、そう言える立場と場所ではないので声のボリュームを落とし続ける。
「私は留守番だったのよ。」
「小隊の隊長さんやのに?」
「偉いからよ。カウスに何かあった時治癒にあたれるようにね。」
本当は全然偉くはない。
騎士団のプリースト部隊とはいえ人数が一番多い部所だ。
隊長直直の小隊にくっついているエリート達とは違い、ただの雑兵隊に過ぎない。
かつては自分の方が強かったのに、みるみる出世してしまった幼なじみに対する見栄。
幼いころ、サキョウとユカリは都市から離れた田舎町に住んで共によく遊んだ。
だが7歳の時に、元々才能があったサキョウは妹と共に僧侶の道へ。
サキョウはみるみる力をつけていき、史上最年少12歳で修行位を終え、17歳の時には律師、そして全僧侶の中で7人しかいない僧正になった。
普段は呑気な若者だが、その実力は未だ未知数で神童とすら呼ばれていた。
史上最年少で大僧正になるのも彼なのだろうとユカリは考えている。
町を出てしまった彼を追ってプリーストになったはいいが、ユカリは余り魔力がある方ではない。
意地と根性で部隊長にはなったが、かつての悪友の背中は大きく、そして遠くなってしまった。
ユカリの声が暗くなったのに気付いたのか、作業を続けながらサキョウが声をかける。
「どないしたん。」
「別に・・・。それより、ミドリはどうしたの?最近見かけないけど」
「ああ、ミドリな。ミドリは巫女さんやからわいより忙しいんよ。今丁度禊で地下の湖に篭ってるんちゃう?」
次に悲しげに笑ったのはサキョウだった。背中を向けていてもユカリにはわかる。
ミドリとはサキョウの妹で、サキョウ同様、いやそれ以上の力を持っていてサキョウと共に大聖堂に入った。
巫女―男性ならば神子と書く―は僧侶よりさらに貴重な存在で、清らかな体と心でこのレイエファンスを支えている。
神聖さを保つため外に出ることは許されない。
「最後に会ったのは?」
「三ヶ月前。」
「今度はずいぶん長いわね。」
手を止めたサキョウがマヤーナ像を見上げた。
入口上にある小窓から差す朝日を一身に浴びるその姿は像とはいえやはり神々しい。
「最近レイエファンスも何かと騒がしいもんやから、巫女も構えとかなならんのやろ。・・・なんや、嫌な予感がすんねん。」
「嫌な予感?」
「ちゃうな・・・。嫌悪感というより、変化の兆しっちゅうか、大きなうねりが近づいてるっちゅうか・・・」
「アンタみたいなチャラい僧侶でも、僧正の予感なら当たるんでしょうね」
「ハハ、チャラい言うなや~。」
力を抜いた軽い笑みを溢し、長い棒のようなもので銀盆の縁を叩く。
すると空になった盆にまた水が並々と溢れた。
「平和が一番やねんけどな~。レイエファンスに何かあるならミドリは大忙しや。兄ちゃんの顔忘れないとええんやけど。」
「その顔は中々忘れられないから安心しなさいよ」
「キッツいな~。でも、ありがとさんユカリ。この僧正を心配してくれんのはユカリだけやな~。」
「・・・心配ぐらい幾らでもしてやるから、死ぬのはナシよ。怪我や病気以外じゃアタシ治せないんだから。」
「もちろん。ミドリが嫁に行って綺麗なドレス姿をこの目に焼き付けるまでは死なんて決めてん。」
最後に手の平サイズの鐘を3度鳴らし、朝の勤めは終わる。
鐘の音は反響がまた反響し、しばらく堂の中で木霊していた。
巫女であるミドリが結婚するのは無理な話だと二人とも知っている。
巫女は生涯大聖堂に住み、生涯王家とレイエファンスの為に祈り続けるのだ。
わかっていながら、兄の夢物語をユカリは受け継いだ。
「その時はアタシが純白ドレス縫ってあげるわよ。ブーケもちゃんと作って、子供が出来たらプリーストの特別有難い祝福を捧げるわ。」
「ありがとう、ユカリ。」
背中を向けたまま、サキョウはまた礼を言った。