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森の神主

木立をゆったりとした馬の進みで辿っていた男は、ふと後ろを振り向いた。
斜め後ろにいた連れは、白フードで余り良く見えないまでも顔色が優れないのは明白だった。


「やはり森は避けるべきだろ。」
「いえ。安全でより早い道は此処です。僕の心配はなさらないで」
「そうはいかない」


男は馬を止め滑り降り、連れの腕を無理矢理引き馬から下ろすと抱き上げまま近くの太い気の幹に座らせる。
フードを払うと、やはり顔色が悪い。


「水を取ってこよう。」


立ち上がりかけたアキラだが弱々しい白い手に外套を引かれ再び膝をつく。


「お側に、いてもらえませんか。」
「・・・分かった。森の精霊がまた騒いでいるのか。」
「この辺りに入ってから一段と声が大きくなって・・・近くに森を守護している神官様でもいるのかもしれません。直接攻撃されるわけではないので、大丈夫ですよ。小さくとも僕もエルフですから。」


主を安心させようと無理に笑ってみせるエルフの少年だが、唇は紫で体調が優れないのは一目瞭然。
少し休め、と瞳を閉じさせる。片膝を付きながら頭を悩ませる男は辺りを見渡した。
方角を無視してとにかく森を抜けるにしても、最低あと3日は掛かる。
強行すればさらに体調が悪化して病気になりかねない。
かと言ってゆったり進むのは精神負担が増えるばかり。
どちらにしろ苦しむのは従者自身だ。
清いエルフが自分のような悪しき魂についているの事がそもそも間違いなのだ。
自分はそこまで価値のある人間ではないのに。
――物思いに耽っていたアキラのすぐ背後から声が掛った。


「どうかなさったのですか?」


心底驚いてアキラは体ごと後ろを振り向いた。
ボロを着てはいるが明らかに人の良さげな顔をした茶の髪の若い男がこちらを伺っている。
驚いたのは、気配が全く無かった事だ。
アキラは小動物はおろか蝶でさえ背後にいれば気配を読める。気配というより、命の脈動を感じるのだが、この青年にそれが一切無かった。
アキラの困惑と警戒を受けながら、青年が膝をついた。


「怪我ですか?」
「い、いえ・・・」


言いづらいのか、言葉を濁らせるエルフ少年の顔をしばし覗いていた茶髪の青年は何かに気付いたらしく頷きだした。


「今朝から森の精が騒がしいと思ったら、君が足を踏み入れたからなんだね。」
「貴方は、精霊召喚士なのですか?」
「そうじゃない。この森に住んでるだけだよ。すぐ彼女達を説得するから。でもその前にいくつか聞いていいかい?」
「はい」


人を信用しないエルフが素直に青年と会話をしているので、アキラは口を挟まなかった。


「君はダークエルフに堕ちたわけじゃないんだね?」
「はい。」
「この森に被害をくわえるつもりは?」
「ありません。この森を真っ直ぐ行く方が目的地へ早くつくと判断したので、通らせて頂いているのです。」
「そうか。なら、隣の“羽無し”さんに付いてるのは君の意思なんだ。」


アキラは一旦引いた敵意を再び纏い、懐にある短剣に手を伸ばした。


「貴様、何者だ。」
「ただの森の住人ですよ。別に貴方の正体を知ってもどうこうするつもりはない。俺はただ食材を探しに来たら弱ってるエルフを見掛けただけで。」
「ただの住人は気配を消したり俺の素性を探知出来たりしない。」
「俺の家族がちょっと特殊で、それで鍛えられたんです。すいませんが、これ以上は話せません。ワケアリなのはお二人も同じでしょう。」


凛々しい眉の下にある、強い意思を象徴したかのようなマホガニー色の眸にこれ以上の詮索は不要、と言われている気がしてアキラは短剣から指を離した。
何も言わず背を正した男の行動が了解のしるしだと取り、青年はタイチに向き直ると額に指を沿え瞼を閉じる。
すると、みるみるうちにタイチの顔色は良くなり唇も元の色に戻った。
驚愕に瞳を見開いた少年エルフは、畏怖が混じった戸惑いで指を離した青年を見上げる。


「精霊達の敵意がさっぱり消えてしまいました・・・。それどころか歓迎さえされているのです。」
「本来エルフとはそういう存在だろ。」
「僕は嫌われて当然なのですよ?何をなさったのですか?」
「いやなに、君は敵じゃないと彼女達に教えただけだ。俺は生まれてからずっとこの森にいるから、友達みたいなもんだ。」
「それこそ不可能です!召喚士でもなく、ましてや人間に精霊が心を開くなんて・・・まさか、神官様ですか?それとも人の殻に入った土地神様?」
「アハハ。面白い事をいうエルフがいるなんて驚いたな。俺は本当にただ只の人間だよ。元気になって良かった。」


少年の銀髪をポンポンと軽く撫でて青年は立ち上がった。


「では、道中お気をつけて」


アキラに会釈してから、くるりと踵を返し青年は行ってしまった。
アキラは追う事はしなかった。
深追いは危険と本能が言っていたためと、レイエファンスに降りたってからずっと調子の悪かった従者の顔がイキイキと輝いているからである。
本来エルフとは森と生きるもの。その森に歓迎され表情は明るい。
タイチは立ち上がりアキラの隣に並んだ。


「お名前だけでも伺うべきでした。このお礼はせねばなりません。」
「ああ。体調は、良さそうだな。」
「良すぎるぐらいです!神聖な森の息吹は大陸よりずっとずっと心地よいのです。流れ込んでくる清らかな空気で頭が溶けそうなぐらい。」


やや興奮した従者が満ちた気分をつらつらと喋りだす。いつもより饒舌にさせるのは、やはりレイエファンスの土地だからだろう。
エルフにとって此処は一種の夢幻郷。今まで嫌われていた分感情が高ぶってしまうのは仕方ない。


「予定通り森を抜けられそうだな。宰相の命令を無視しウロボロスを置いてきたんだ。必ずオニキスを手に入れなければ。」
「はい。」
「お前の力、期待している。」
「アキラ様の力になるために僕はいるのです」


再び馬に跨った二人は、レイエファンスの森を進みだした。





一方、茶髪の青年は木の実を入れた籠をぶら下げ木立の間にひっそりと建つ小屋に入った。
豪華絢爛とは程遠いが、きっちり組まれた屋根や壁は普通の雨風ではビクともしないしっかりとした組み立てである。
キィ、と音を立て扉を閉めると、中から少年が顔を出す。
少年というには年が行き過ぎている気もするが、真ん丸な瞳や細い体は女の子のようでもある。
青年よりやや明るい茶の長い髪を揺らしながら迎える。


「おかえりアキ兄ぃ!」
「ただいま。」


弟は嬉しげに兄に抱きつく。と、急に訝んだ顔をして背の高い兄を見上げた。


「エルフの匂いだ・・・。あと羽無し魔導師。」
「相変わらずお前の鼻は凄いな。といっても、嗅覚とは違うか。」


木の実入り篭を灰褐色の木で作られた机に置き、ベストを脱ぐ。
その間に先程あった出来事を伝える。


「森の精に嫌われて気分が悪そうだったから、俺の友達だと精霊に言ったんだ。エルフが森に嫌われたら衰弱して死んでしまう。・・・勝手にまずかったか?」
「いや、兄さんがそうしたならそれが必然だよ。あの魔導師がガムールに入るのもヘミフィアの導きに違いない。」
「あの人、俺の気配も読めなかったみたいだったな。テラの神は気まぐれだ・・・。さて、木の実でケーキでも焼くか。」
「やったあ!」


真面目な顔をしていた少年の雰囲気が一気に丸くなり子供のようにピョンピョン跳ね出した。
重い空気は消え去り、穏やかな時間が再び小屋を巡る。

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